悟の治療が成功し、北上が今まで自身を苦しめ続けて来た後遺症と別れを告げ、その事実に思わず喜びの涙を流し始めてからしばらく時間が経過してからの事である
「取り乱しちゃってごめんね~、んで、このハンカチはどうしたらいいの?」
ようやく落ち着いたものの、未だに目を赤く腫らした北上が、自身の涙や鼻水でベチョベチョになってしまったハンカチを手に、そのハンカチの持ち主である悟に向かってこの様に尋ねると……
「そいつはこっちで処理しといてやるぁ、それともなんだぁ?後遺症完治記念として持って帰るかぁ?」
悟はこの様な事を言いながら、北上の手から汚れたハンカチを取った後、それを北上の前でヒラヒラさせながら、自身の手が汚れる事などお構い無しと言った様子で、ハンカチを手にする悟に対して若干引いている北上に対してこの様な質問をし、それを聞いた北上は、その表情を引き攣らせながら首を何度も横に振るのであった
尚、北上の様子から何かを察した悟は……
「こういう汚ねぇモンを触るのは、衛生上良くないってのは重々承知してんだけどよぉ、こちとら食中毒になった患者が診察中に吐いたゲロの処理なんかもやった事あるし、何より日本に来るまでの道中では、検死の為に死後数日経った死体に触ったりしてんだわぁ。それらと比較すりゃぁ、この涙と鼻水まみれのハンカチなんざ、まだまだ綺麗な分類なんだぜぇ?」
この様に言い放った後、いつもの甲高く気色の悪い高笑いを始めるのであった
その後、足の治療を終えた北上は、改めて悟に向かって礼を言って、医務室を後にしようとするのだが……
「「うぐぐ……、うぅ~ん……」」
此処で再び太郎丸達の呻き声を耳にし、それによって太郎丸達の容態が気になって来た北上は、思わずその足を止めてしまうのであった
「……ねぇ、これ本当に大丈夫なの……?」
「さっきも言ったがよぉ、この俺があいつらの事診察して大丈夫だと判断したんだぁ、ほぼ間違いなく問題ねぇだろうよぉ。なんだったら実際見てくかぁ?」
「うん、そうさせてもらうよ~。このままあの子達の安否も確認しないで実家に帰ったら、ずっとあの子達の事が気になって、夜も眠れなくなりそうだからね~」
その後北上と悟はこの様なやり取りを交わし、2人は医務室の奥にあるベッドで寝ていると言われている、太郎丸と弥七の様子を見る為にそちらの方へと移動し、通路とベッド及びベッド間を仕切るカーテンを開き、呻く2人の様子を見るのだが……
「……これ、どゆこと……?」
北上は今の弥七の姿を見るなり、怪訝そうな表情を浮かべながら、この様な言葉を口にするのであった
北上は治療中の悟の言葉や、悟から見せてもらった資料から、太郎丸と弥七も戦治郎達と同じ転生個体であると察していたのだが、今彼女の目の前でベッドに横たわる戦艦レ級eliteの転生個体である弥七の身体は、何故か虎の様に縞模様が入った毛皮で覆われていたのであった……。少し厳密に言えば、毛皮に覆われているのは首から下の全身、首から上は毛皮では覆われておらず、その代わりに頬などには虎の縞模様の様なものが浮かび上がっていたのであった
「弥七の奴、気絶してるにも関わらず、能力を発動しちまったのかぁ?しっかしまぁ、まさか能力で生前の姿に近付くたぁなぁ……」
「えっ?生前の姿?」
「この戦艦レ級eliteの転生個体の弥七はなぁ、戦治郎がペットとして飼ってたベンガルトラだったんだわぁ」
「戦治郎さん……、何て生物をペットにしてんのさ……」
「細かい事情については戦治郎の奴に聞きなぁ、飼い主はあいつなんだからよぉ。っとぉ……、さっき生前の姿に近付いたって言ったがぁ、それは撤回するわぁ……」
相変わらず怪訝そうな表情を浮かべる北上が、弥七の身体の変化に気付くなり弥七の身体を調べ始めた悟とこの様な会話をしていると、弥七の身体を調べていた悟が不意にその手を止め、弥七をうつ伏せに寝かせながらこう言うのであった
悟の反応を見て、更に不思議そうな表情をする北上が、悟に促されるまま彼が指で指し示す先、弥七の背中に視線を送ると、そこには少々信じ難いものが存在しており、その存在に気付いた北上は、驚きの余り思わずその双眸を丸くするのであった
それは本来の虎には存在しないはずのもの、まるで鳥の羽毛の様な物が僅かながら生えていたのである……
「こりゃぁどう見ても鳥の羽毛だよなぁ……、まさか弥七の奴、翼が生えるとでも言うのかぁ……?まあ確かに、そんな諺が存在するがよぉ……」
「諺?」
信じられないものを目の当たりにして、北上が愕然としている中、悟はその顔を顰めながらこの様な事を言い、それに反応した北上は思わず悟に聞き返すのであった
「流石におめぇでも、『鬼に金棒』って諺は知ってるよなぁ?」
「流石にそれくらいはね~、確か元々強い人に更に力を与える、みたいな意味だっけ?」
「それと似た様な意味を持った中国の諺みてぇな奴に、『虎に翼』ってんのがあるんだわぁ」
「えぇ……?」
「まあ、今の段階じゃぁ弥七の能力の詳細なんざ分かんねぇからよぉ、詳細知るには弥七を叩き起こしてテストする必要があんだがぁ……」
「いや、流石にそれは可愛そうでしょ~……」
このやり取りの後、これ以上弥七の事を言及すれば、弥七が可哀想な目に遭うだろうと判断した北上は、これ以上弥七の能力については言及しない事にし、医務室を立ち去る事にするのであった
尚、弥七と同じ様に呻いていた太郎丸の方だが、見た感じ特に変化が見られなかった事と、弥七の変化が余りにもインパクトが強過ぎた事が運悪く重なってしまった為、あまり言及されなかった様である……
こうして無事に後遺症の治療を終えた北上が、医務室に向かった時同様、悟の案内で横須賀鎮守府の出入口へと向かっていると……
「あれ?あれって明石さん……?」
「あぁ、ありゃおめぇのとこにいる由良や天城や羽黒同様、元アムステルダム泊地の明石だなぁ」
その道中にて、北上の視界にトヨタのハイエースに荷物を積み込んでいる明石の姿が映り込み、北上が思わず疑問を口にすると、隣でそれを聞いた悟がそれに答える様に口を開くのであった
「一体何してんだろ?」
「見ての通り、引っ越しするんだろうよぉ」
「引っ越しって……、もしかして異動するって事?」
悟とこの様なやり取りをする中、北上は悟の返答を聞くと、只々内心で疑問符を大量発生させるのであった
あの明石が横須賀に着任してからすぐ、横須賀の工廠の技術力が大幅に向上し、その立役者であった明石の名は、瞬く間の内に国内の工廠関係者の間に知れ渡る事となった為、工廠で作業をしていた北上は彼女の名前も実力も知っており、だからこそそんな彼女が異動で日本海軍内で最も大きな拠点である横須賀を離れると言う事が、とても信じられなかったのである
さて、そんな北上が内心で疑問を膨らませていると……
「あっ!悟さんっ!!それにそちらの方は……、舞鶴の北上さんですか?!」
如何やら明石がこちらの存在に気付いたのか、荷物の積み込み作業の手を止め、2人に向かって声を掛けながら駆け寄って来るのであった
「え?あ~……、そう、私は舞鶴の北上だけど~……」
「やっぱりっ!!!いや~、1度お会いして話がしたいな~って思ってたんですよー!!かなり特殊なケースで工作艦になったにも関わらず、かなりの腕前を持っている方がいるって、噂になってるんですよー!!!」
その後、明石に名前が知られていた事に驚いた北上は、明石の勢いもあってかしどろもどろになりながら明石の質問に答える一方で、視線で悟に助けて欲しいと言うサインを送り……
「明石よぉ、幾ら会いたかった人物が目の前にいるからってぇ、流石にがっつき過ぎだろうがよぉ。北上の奴をよく見てみなぁ?おめぇの勢いに圧倒されて困ってんだろうがよぉ」
「あぁ、すみません……。つい……」
北上のサインに気付いた悟が明石を窘め、何とか明石を落ち着かせる事に成功するのであった
それからすぐ、北上が自身の中にある疑問を、明石に直接ぶつけてみたところ……
「実はですね、戦治郎さん達が佐賀に向かってからずっと、私は戦治郎さん達の力になる為に、元帥に直接お願いして長門屋鎮守府へ異動しようとしてたんですが、それが昨日遂に許可が出て、これから佐賀に行って長門屋鎮守府建設のお手伝いをする事になってるんですよー!」
明石はそれはそれは嬉しそうな表情を浮かべながら、声高らかにこの様に言い放つのであった