比較的穏便に問題を片付けた戦治郎に対して、リチャードの方は流血沙汰に発展してしまっているが、一体如何言った経緯でこの様な事になってしまったのだろうか?
それを知る為に、少し時間を遡ってリチャードの対応を見てみよう
リチャードがシュガーシロップのカップを指弾の要領で撃ち出し、メイドさんのトレイをひっくり返して盗撮犯のカメラが入った鞄をずぶ濡れにし、戦治郎が盗撮犯の現行犯逮捕の切っ掛けを作った様に、戦治郎もミルクのカップをリチャードと同様に撃ち出していた訳だが、そのカップが何処に当たったのかと言うと……
「いってぇっ!!マジで痛ぇっ!!!」
それはリチャードの後方の席に座っていたガラの悪い男達のリーダー格と思わしき男の、右手の小指にスマッシュヒットしていたのであった
状況を掘り下げて説明すると、問題の男は誰にでも聞こえる様な声量でメイドさんをお持ち帰りして抱くなどと、聞いていて非常に不愉快になる様な事を言い放ちながら、偶々傍を通りかかったメイドさんの尻を鷲掴みにしようと手を伸ばしていたのである
彼がその様な行動に走った理由は、恐らく誰も彼らのマナーの悪さを注意しなかったから、調子に乗ってしまったと考えるのが妥当なところだろう。尤も、彼らは店の中にいる誰もが、自分達に対して注意して来る事など無いと、入店した段階で確信していた様だが……
「ダメじゃないか君達、他の人に迷惑をかけるだけでは飽き足らず、メイドさんに対してお触りしようとするなんて」
残念ながら彼らの思惑は外れに外れ、数少ない彼らに注意を促せる2人の怪物の片割れが、そんな事を言いながら彼らの愚行を止めにやって来るのであった
「んだてめぇっ!?!」
「こりゃおめぇの仕業かぁっ!!?」
「さぁ?どうだろうね?」
リチャードの声に反応したタトゥー入りスキンヘッドの男とサングラスをかけた筋肉質な男が、自分達の方へとゆっくりと歩み寄って来るリチャードに対して凄みを利かせながら詰め寄るのだが、リチャードは肩をすくめながら飄々とした態度でこの様に答え、彼らの神経を逆撫でするのであった
そんなリチャードの態度が気に入らなかったのか、刺青ハゲがリチャードの胸倉を掴もうと腕を伸ばすのだが……
「よっと、そんなんじゃ僕を捕まえる事は出来ないよ?」
リチャードはそれを半身ズラして回避し、余裕綽々といった様子でこの様な事を言い放ちながら、彼らを挑発する様に自身の右手を顔の高さまで上げ、指を波打たせる様に動かしてみせるのであった
それに逆上した男達は、何としてでもリチャードを捕まえようと腕を振り回すのだが、穏健派連合のトップとして恥ずかしい姿を晒さない様にする為に、日頃から射撃だけでなく軍隊格闘技などのトレーニングも行っているリチャードを捕まえる事は叶わず……
「はい、鬼さんこちらっと」
中々リチャードを捕らえる事が出来ない事に業を煮やしたハゲが、両手を広げ勢いをつけてリチャードに飛び掛かったところで、リチャードはそれをスルリと容易に回避し、勢い余って床を滑走するハゲの背中に向かってそう言い放つのであった
そんなリチャードの様子を見ていたグラサンが遂にブチギレ、捕まえるのを諦めて直接殴りかかりに入るのだが、結果は大して変わらず、リチャードはそれもヒョウイヒョイと回避してみせ、仕舞いには突き出された腕に指を這わせてみたり、近くにいたメイドさんが持っていたおしぼりを拝借し、闘牛ごっこを始めるまでに至るのであった
尚、リチャードがそんな事を始めた辺りで、今まで只々どよめく事しか出来なかったギャラリー達は、次第にリチャードが攻撃を避ける度に歓声を上げる様になった模様
そんな事をしているとグラサンに疲労の色が見え始め……
「どうする?まだ続けるかい?」
それを察知したリチャードが、疲れなど一切見せずにグラサンに向かってそう尋ねたその直後……
「てめぇのそのスカした顔ぶん殴るまで、止めるやきゃねぇだろうがよぉっ!!」
リチャードは不意に後ろから伸びて来た腕に羽交い絞めにされ、ようやくリチャードを捕まえたハゲはニヤニヤしながらそう叫ぶのであった
「おっと、急に大人しくなったと思っていたら……、チャンスを窺っていたのか。これはちょっと油断しちゃったなぁ」
「捕まっといて随分余裕だな?えぇ?おい……、おいお前、逃がさねぇ様にしっかり捕まえとけよ」
ハゲに捕まったにも関わらず、相変わらず余裕のある態度でこの様な事を言うリチャードに向かって、グラサンは肩で息をしながらこの様な事を言いつつ、近くのテーブルからコーヒーカップを奪い取り、ゆっくりとした足取りでリチャードの方へと歩み寄り、先程手にしたコーヒーカップをリチャードの脳天目掛けて振り下ろそうと、腕を大きく上に持ち上げ……
「死ねやゴルァッ!!!」
グラサンの叫びと同時に、コーヒーカップが振り下ろされるのであった
この先の未来を予想したギャラリー達が、凄惨な光景から目を背ける為に目を閉じて囚われたリチャードから顔を背けた次の瞬間、この場にいる誰もが予想する事の出来なかった出来事が起こるのであった
「これ、クセになるからあんまりやりたくないんだけど……、まあ仕方ないか」
カップが振り下ろされ始めた刹那、リチャードがこの様な事を呟いたかと思えば、突然リチャードの両肩からゴキリと言う骨が外れた様な音が鳴ったのである。そう、リチャードが羽交い絞めにされた状態であるにも関わらず、器用に身体を動かして自分の両肩の骨を外したのである
これにより腕から余分な力が抜けたリチャードは、リチャードが肩の骨を外した音とその感触に驚き、思わず硬直してしまったハゲの腕から己の腕を、うつ伏せに倒れ込みながらまるで軟体生物の腕の様にヌルリと引き抜き、眼前に床が迫りもう少しで鼻っ柱が床に激突しそうになったその直後に、肩回りの筋肉の動きだけで外れた肩の骨をはめ直し、直前で床に再び力が入る様になったばかりの手を付き、両腕を前に突き出しハゲの股下を滑走……いや、超低空飛行して潜り抜け、最後は床の上をコロリと後転した後、ゆっくりと立ち上がってみせるのであった
このリチャードの見事な脱出劇を目の当たりにしたギャラリー達は、リチャードが自身の方の骨を外した辺りでは表情を引き攣らせていたものの、無事にリチャードがハゲの後方に回り込んだ頃には思わず歓声を上げており、立ち上がったリチャードは沸き上がるギャラリー達に向かって軽やかに、そして優雅に手を振って返していたのだったが、それも束の間、次の瞬間にはギャラリー達から悲鳴が上がるのであった
リチャードがハゲの拘束から脱した時、ハゲの身体はリチャードに引っ張られるような形になって前屈みになってしまった訳だが、そんな彼の頭が現在ある位置は、元々リチャードの頭があった位置と重なってしまい……
「グハッ!?」
ハゲはグラサンが振り下ろすコーヒーカップを、後頭部でモロに受ける事になってしまい、ハゲはその衝撃で割れてしまったコーヒーカップの破片が飛散する中、頭から血を流しながら床にうつ伏せになりながら倒れ込んでしまうのであった
こうしてハゲを殴ってしまったグラサンが、状況が掴めず困惑していると……
「フレンドリーファイアかい?いやぁ恐ろしいねぇ……」
その様子を見ていたリチャードが、グラサンを挑発する様に肩をすくめながらこの様な事を言い放ち……
「ふざけんなやゴラァッ!!こうなったのはおめぇのせいだろうがっ!!!」
これにより再び逆上し、頭から湯気を出しそうな勢いで顔を真っ赤にしたグラサンは、そう叫びながら先程とは別のテーブルからコーヒーカップを奪い取り、リチャード目掛けて投擲するのであった
その様子を見ていたギャラリー達は、流石にそれはリチャードには当たらないだろうと思い、グラサンが無様を晒す姿を想像しながら、ざまぁみろとばかりにニヤつきながらリチャードの方へと視線を向けると、リチャードは迫りくるコーヒーカップを避ける様な素振りは見せず、それどころか額に手を当ててやれやれとばかりに首を振っており、その様子を見ていたギャラリー達が怪訝そうな表情を浮かべた直後、ギャラリー達が想像していなかった出来事が起こるのであった
「いってぇなクソがぁ……」
そう、先程グラサンに殴られたハゲが、フラフラしながらも立ち上がろうとしていたのである。そんな彼の身体は、グラサンが投げたコーヒーカップの射線上にあり……
「ガハッ!!」
ハゲは鼻っ柱でコーヒーカップを受ける事になり、カップの破片が飛散する中、彼は今度は仰向けに倒れ込むのであった
この様子を見ていたギャラリー達は、笑い事ではないと頭では理解しつつも、ハゲとグラサンのやり取りがまるでコントの様に見えてしまい、思わず吹き出してしまったり、クスクスと笑いを堪えていたりしており……
「ナイスピッチング!もしかして君、小さい頃野球か何かやってたのかい?」
グラサンに狙われていたリチャードはと言うと、グラサンに向かって爽やかな笑みを浮かべ、サムズアップをしながらそう尋ねるのであった
この挑発を受けたグラサンは、怒りが頂点に達し完全に理性を失ってリチャードに殴りかからんと全力疾走を開始するのだが、しばらく進んだところで床に広がったハゲの血に足を取られて豪快にすっ転んでしまい……
「ぎゃあああぁぁぁーーーっ!!!」
思わぬ形で散々自分が撒き散らしたコーヒーカップの破片の海にダイブする事になり、グラサンの身体の至る所にカップの破片が突き刺さり、グラサンはその痛みに思わず悲鳴を上げるのであった
「あ~ぁ……、ちゃんと足元の安全確認をしないから……」
痛みのあまりに床の上をのたうち回り、自ら傷を深くしてしまっている哀れなグラサンに向かってリチャードはそう言い放った後、未だに小指を押さえて蹲るリーダー格の男の方へゆっくり歩み寄り……
「さて……、残るは君だけみたいだけど……、まだ続けるかい?」
それはそれは柔らかい笑みを浮かべながらこの様に尋ね、それを受けたリーダーは複雑そうな表情を浮かべながら……
「あんなモン見せられて、まだあんたの事を殴ろうなんて思うほど俺は馬鹿じゃねぇよ……。負け犬は負け犬らしく、大人しく引き上げるわ……」
「そうかい、なら早く彼らを連れて医務室に向かうんだね。そしてそれでしばらくの間匿ってもらうといいよ、もうしばらくしたら警察が来るからね。君達も同士討ちで痛い目を見た挙句、傷害やらなんやらで前科を付けられるなんてのは御免だろう?」
店から出る事を約束したところ、リチャードは1度頷いてみせた後、彼に向かってウインクをしながらこの様なアドバイスを送ると、彼に背を向けて自分とほぼ同じタイミングで問題を解決した戦治郎の方へと歩き出すのであった
因みにリーダーがグラサン達に加勢しなかった理由だが、彼の小指は戦治郎が放ったミルクのカップが直撃した時点で骨が折れ、更には筋まで断裂してしまっており、拳が握れない上に痛みのあまりに動けなくなってしまっていた為、彼は加勢したくても出来なかったのであった
更に言えば、グラサン達には見えなかったのだが、彼にだけは朧気に見えていたものがあった。それは常にリチャードの傍に立つ、頑強そうな兜を被り立派な剣と盾を携えた身長2mほどの筋骨隆々の大男……、リチャードのファミリーネームであるマーティンの由来となった『軍神マルス』の姿が……
そう、リーダーはその存在に気付いた時点で、リチャードとやり合う気が失せてしまっていたのである
尚このマルスの正体だが、これはリチャードの身体から溢れ出すオーラがその様な形をしていただけで、本物の軍神がリチャードに宿っていたと言う訳では無い模様。尤も、本当にリチャードに軍神が宿っていたとしてもおかしくはないと思うが……