「あ、あああ、あの、モモンさ、〜ん」
「……なんだ、ナーベ」
「ぁ、その……至高の御方々のお一人と思しき方と、先程目が合ったのですが……」
冒険者組合長との会談の後、借りている宿へと戻ろうとしているとナーベが挙動不審な様子で言った。
「なんだと?」
「私の見間違い……? いえ、しかし、下僕として至高の御方々を見間違えるなど……」
焦りか混乱か、ナーベは自身の判断に自信が持てなかった。
(やっぱり、本人だよなぁ……この世界に来た時にメッセージで確認したと思ったんだけど。転移に時間差があった? ……うーん、それは確かめようがないとして、いきなりメッセージ送ったら驚くかなぁ……何とか直接話す機会があればいいんだけど……)
(だけど、もっと早くに見つけられていれば……あの人がいれば、シャルティアのことももっと上手く対応出来たかもしれないし……)
ナーベは知らなかったが、ナザリックのごく一部には至高の41人の内の一人とおぼしき人物が、冒険者として活動していることが知らされていた。
不確定な情報であったこともだが、何より周知した上で他人の空似だと明らかになった場合、その人物にNPCたちが不快感を露わにする可能性は高いだろうとモモンガは判断し、余計な騒動を起こさないためにも情報を規制していた。
「あの……御方様は私達の姿をお忘れになってしまったのでしょうか……何故、ナザリックにお戻りになられないのでしょうか……」
ナーベが落ち込んだような、寂しげな表情を浮かべた。
「……恐らくは、この世界にナザリックが転移して来ていることをまだ知らないのだろう」
「で、でしたら! 早くお知らせして、お迎えにあがらなければならないのでは!」
ナーベはじっと、思案するようなモモンを見た。その様は短慮なナーベが落ち着くのを待っているようにも見えた。
「も、申し訳ありません……」
「よい。だが……漆黒のモモンとナーベの名はこのエ・ランテルで知らぬ者はいないほどに広まっている」
大魔獣であるハムスケのテイム、先のエ・ランテルでの騒動の沈静化、加えてンフィーレア・バレアレの救出。他にも吸血鬼ホニョペニョコの討伐、ゴブリン連合の殲滅、ギガント・バジリスクの討伐など華々しい成果を上げてきた。
どれもが、話題性の強い内容であり、漆黒が関わっている。漆黒がアダマンタイト級冒険者へと格上げされるに至った出来事であるとともに、漆黒がエ・ランテルで英雄と呼ばれる由縁でもある。
「……ギルドメンバーであるならば、私達の正体に気付いていないとは考えにくいのだが……」
(分かりやすく、モモンにナーベにしたし)
「無論、私達の正体に気付いていない可能性もあるが……お前は彼と目があったと言ったな? であるなら、私達に注意を向けていたのは確かだということだ。だが、それにもかかわらず未だ向こうからアクションがないということは安易に接触出来ない理由があるとも取れる」
(まさか、そんなことないと思うけどね)
「そ、そんな……」
大きなショックを受け、悲しみの表情を隠せないナーベ。
「いや……これはむしろ私達からの接触を待っているという可能性もあるのだ」
(俺としても、本人なら早く合流して欲しいし……)
「わかるな? ここは慎重に行動しなければならない。今はデミウルゴスに命じて、身の回りに何かしらの理由がないかを調査させている。それまで待て」
「……はっ!」
□
『アインズ様、シャドウデーモンの居場所が感知されました。恐らくは、御方様の周辺を調査していたことも認知されていることでしょう』
デミウルゴスが話すには、男はシャドウデーモンに監視されていたことを察知しても、敵対行動に移ることはなかったという。
それはつまり……
『これは推測ですが……やはり、彼の御方は会談をお望みなのかと』
「うむ……ナーベに冒険者ギルドを仲介して会談を申し込ませよ」
『はっ』
『それと……どうやら人間の女を眷属化しておられるようです』
(え?)
デミウルゴスは声音を変えず、柔和な口調で続けた。
『御方様と同じダークリングの瞳をシャドウデーモンが確認しました。間違いないでしょう』
「う、うむ。会談には恐らく同席するだろう。……ナーベには、くれぐれも! 敵対行動を起こさないように伝えておけ」
(もしかして、あの時のかー! 向こうに知られてないとは思うけど、超気不味い!)
思い出すのは情事の風景。
乱れる女に腰を打ち付ける友人である男の様子。あの時はアルベドやシャルティアに鏡を奪われてしまったので相手の容姿などは確認できなかったが……アインズは居た堪れない微妙な気分になったことを覚えていた。
『はっ、かしこまりしました』
また、アインズは男の名誉のためにアルベドとシャルティアに男女の情事を盗み見たことを他言無用するように命令していた。
その分、今晩、至高の御方の寝所に呼ばれるのは私! と、バチバチ牽制しあう二人にしばらく付き纏われることになってしまったが。
(はぁ……精神的な疲れが……)
モモンガは、誰もいない執務室でひっそりと溜息をついた。
……
「さて……これから忙しくなるね」
赤い地にストライプのスーツを身に纏った悪魔はやる気に満ち、柔らかい笑みを浮かべた。
「ナーベラル」
「はっ」
側に控えていたナーベラルに対して、一言。
「アインズ様が御方様と会談をお望みだ。冒険者ギルドを仲介して御方様に会談を申し込むように」
「はっ!」
「それと会談には元人間の御方様の新しい眷属が一人同席することになるだろう。アインズ様からはくれぐれも敵対行動は慎むようにと伺っているよ」
「……はっ」
ナーベラルは物凄く困った顔をした後、返答し部屋を出ていった。
ナーベラルは根は真面目なのだが、どこか抜けており、モモンガにもよく叱られているのをデミウルゴスは知っていた。
言わば、至高の御方々のお言葉でポンコツメイド、と呼ばれる存在であると。
至高の御方より、かくあれかしと創造された身である。デミウルゴスとてナーベラルを軽んじている訳ではなかった。
「ふむ……御方様をお迎えするには、今しばらく準備が必要だね。アルベドとも対応の摺り合わせが必要だ」
「さぁ、至高の41人のお一人であらせられる御方様をお迎えするに相応しい、最高のおもてなしをしなければならない……気合をいれなくては」
重い決意の言葉とは反対に、どことなく軽い歩調で部屋を出てゆくデミウルゴスだった。
□
男は先日、冒険者ギルドから、漆黒が会談を申し込んできていることを聞いた。
男と漆黒のモモンとナーベとは面識がない。
むしろ、先のエ・ランテルを騒がせた事件の首謀者であるクレマンティーヌには面識があり、彼女の話では、モモンの正体はエルダーリッチであるということを以前に聞いていた。
面識のない人物から、突然の会談の申し込み。男はクレマンティーヌを匿っていると向こうにバレていることを直感した。
そのことから、会談ではクレマンティーヌに関することが議題になると男は予測し、当時の事件に至る経緯や状況について彼女に詳しく尋ねていたのだったが……
クレマンティーヌが死んだ経緯について尋ねている最中には、彼女は苦々しく、怒りと恐怖が無い混ぜになったような複雑な表情を浮かべた。
殺害された当時のことでも思い出したのだろうか。
そして、男が女と話している時に、ふと気づいたことがもう一つ。
そういや、コイツやったはずの指輪してねぇ、と。
「……おい、アレは?」
嫌な予感に頬を引き攣らせる。
女は唐突な問いに動揺を隠せず、一瞬だけ目を泳がせた。
「壊された」
「は?」
「……ごめん」
小さな声に込められた謝意。彼女の頭にあったのは、魔法により塵となった赤い宝石の首飾り。
無意識に握り締められた手が白くなっていた。
「……指輪もいつの間にかなくなってたし、もしかしたら盗られたのかも」
俯いた女の表情は影で伺えない。
「ん……? え……マジか……」
ショックを受けたような様子の男。
男と女で頭に浮かべた物には差異があった。
男はその微妙な食い違いの違和感に気付き、首飾りのことなど気にも留めていなかったが、流石に指輪が盗まれたかもしれないことは衝撃だったらしい。
もしも、件のエルダーリッチが指輪の価値を知っていたのなら、死体漁りをしたことも当然のこと。
それもそのはず、指輪は願いを叶える超激レアなアイテムであった。ただし、本来は3度叶えられるはずが、既に2回使用されていた代物だったが、と男は女に教えた。
だが、使用出来るのが一度だとしても、男にとって安くない金を出して買った激レアアイテムであることには変わりない。
男はキレて空気を微妙にしたお詫びにと高い指輪を贈った過去の自分に、馬鹿野郎と内心で罵った。
一方。
「ふ〜ん……」
と、クレマンティーヌは、だから罅割れていたのだろうか、と呑気に思っていた。
むしろ、あの罅割れた指輪は実はとても貴重な代物であると知ったが、むしろ彼にアイテムを貢がせようとした彼女自身への皮肉などでは無かったことの方が気になっていた。
それはつまり、あの指輪は彼女にとっての悲しみの象徴でも、皮肉を込めてガラクタを贈られた訳でもなかったということ。
「全く、ややこしいんだって……」
そう呟きながらも、頬が緩んでしまう。
男は傲慢な言葉を言い放った彼女を許していたのだから。
そして……
願いを叶える指輪──もしかしたら、指輪は男の過去を見せるという願いを叶えてくれたのかもしれない。
残った一度きりの願いは叶えられ、男の過去、彼女以外に誰も知らない神話を知った。そのことを自分と男だけの秘密にしたい女は、男にもあの夢物語を敢えて伝えることはしなかった。
一方、男は指輪が盗られたものとばかり思っているので、未練たらしく落ち込んでいたのだが。
彼女はその様子を愛しげに眺めてニヨニヨする。
ただクレマンティーヌ曰く、壊された首飾りについて、当時、モモンはアイテムの出処を酷く気にしていたらしい。
やはり魔道具に目がないのであろうか、と男は疑問に思うと、これからのことを考え、頭痛に耐えるかのように眉間を抑えた。
「はぁ……」
ひとまず、指輪のことは思考の片隅に追いやり、男は考えた。漆黒からの会談の申し込みのことだ。
如何にモモンの正体がエルダーリッチであるとしても、表向きには漆黒はアダマンタイト級冒険者であり、男の金級とでは冒険者組合における重要度も、信用度も天と地の差がある。
当然、漆黒が組合に男がクレマンティーヌを匿っていることを密告すれば、クレマンティーヌ共々男は街から逐われることになるだろう。
反対にモモンの正体がエルダーリッチであると伝えても、モモンが正体を偽る魔法を使用出来る可能性もあるのが悩ましい。
それに街中を平然と闊歩できるアンデッドがいるなど、確実に自身の素性を隠蔽できるアイテムかアンデッド探知を阻害する手段を保持しているはずだった。
そして、なお厄介なことに、その情報は冒険者組合に揉み消される可能性すらある。何故なら相手は英雄として知られるアダマンタイト級冒険者。英雄を疑って、実は間違いでした、などなってしまえば信用関係は簡単に崩壊する。
で、あるならば組合としては最初からそんな話は無かったことにするのが最善で、そうなってしまえば、やはり逐われるのは厄介者の男側になる。
つまり、考えられる状況は詰み。
どう足掻いても会談には応じるしかない。
そのため──もしもモモンの狙いがアイテムであるならば、男はその立場の違いをネタに指輪や首飾りなど、類似するマジックアイテムの譲渡について迫られる可能性に思い至っていた。
「こりゃ、面倒な会談になるかもな……」
「戦闘になっても、あんたなら楽勝でしょ? アレ。プチッとぶっ殺して、私の仇とってくれてもいいんだよー?」
男の力が夢で見た通りであるなら、女が敵わなかったあの骸骨すらも鎧袖一触だろう。
男の実力を信じて疑わない女はそうこぼした。
「そりゃ、エルダーリッチくらいなら負けるなんざあり得ねぇだろうが……」
「……もし、それでギルドを逐われることになっても逃げればいいしー」
むしろ、それがいいかも、と女は思った。そうすればもう、私と男は一蓮托生なのだから、と。
「おい、ヤメロ。そりゃ、最終手段だ……というか、仮にもアダマンタイト級冒険者をそんな簡単にぶっ殺していいわけねぇだろ」
「……実際に私一度は殺されたんだし、首飾りだって壊されたんだよ? ……やり返さなきゃ、全然気が済まねぇっつーの」
フツフツと昏い感情が沸き上がってきたのか、眉間に皺を寄せ、表情を怒気で染めた。
腹の底にはコールタールのようにドロドロに煮詰められた憎しみ。悪感情。
確かに、あのエルダーリッチは恐ろしい。死をもたらした存在であるし、自身が敵わないほどの化物だった。だが、それ以上に彼女は怒りや憎しみも感じている。
どんな汚い手段を使ってでも一矢報いてやりたい、という想いが急速に熱を帯びてゆく。
(絶対、許さねぇ……)
(私の……私の大切な物を塵にしやがった)
(人外のバケモノが)
だが──
「あぁん? 元はといえば全部お前が悪いんだろうが。俺は巻き込まれた側だっつーの!」
パシッ、と頭をはたいた。
「……ちぇっ」
怒鳴られたことで、女の怒気は一気に鎮火した。
拗ねたような態度を見せた女に、男はため息を一つ。
「そんなに気に入ってたなら他のがあるが?」
「え…………ん〜……いい」
女は少し逡巡した後、少し未練が残るように男の誘いを振り切った。
「それはまた別物だし、貰えるならもっと良いやつがいいかな」
どこか惚けた様子で女が続ける。
女が欲しいのは男の気持ちの籠もった何か、というストーリーや思い出を含んだプレゼントであり、その説明が恥ずかしい女は纏めて良いやつと例えた。
「いいやつ?」
露骨に、嫌そうに顔を顰める。
当然、男の頭によぎるのは高額商品。転移前の世界で言えば、高級ブランド品のバッグに始まり財布、小物、時計、服にヒール、もしくは化粧道具……etc……
女とは何と金のかかる生き物かと、男はいつかの過去を思い出し身震いした。
「別に高いとかじゃなくてさ。くれるってなら頑張って考えてよね〜」
「はぁ?」
「まぁ、女心ってやつ?」
あまりにも渋い顔に勘違いを覚ったのか、女はヒントを出してイタズラっぽく笑う。
この様子じゃ、察してくれてないな、と女は分かっていながらも決して悪い気分ではなかった。
つまるところ、プレゼントを悩んでくれている間は、自身のことを考えてくれているのだと、彼女は分かっていたから。
……
といった会話がありつつも、話は進んでゆく。
また、感情を表さないはずのアンデッドが僅かに怒気を発していたという話から特殊なアンデッドである可能性も考えられたが……
どこまで考えようとも予測の域を出ない。
ならば、なるようにしかならない。
取り敢えずは話を聞いてみてからだ、と男は諦め心地、なかば破れかぶれで会談に同意をだしたのだった。
会談が決まり、男に元凶のお前も同席しろと言われた時のクレマンティーヌは先程の男のように物凄ーく嫌そうな顔をしていたという。
□
会談に指定された時間、モモンとナーベは既にギルドに来ていた。
モモンは椅子に座り泰然と腕を組んで待っており、フルフェイスのヘルムにより中身の様子は伺えない。
対するナーベはモモンの側に立っており、どこか落ち着かない様子でソワソワしていた。
そこに歩み寄る二人組。
ラフな木綿の平服にロングソードを腰に提げた男と、全身を黒いローブで身を覆った正体不明の人物。
モモンは正体不明の人物が、男の新たな眷属なのだろうとあたりをつけていた。
「……はじめまして。あなた達が漆黒のモモンさんとナーベさんか?」
「話をしたいとのことだったが……
あぁ、私は金級冒険者の──」
話し掛けた途端、突然、ナーベは手で口を覆ってへたり込んだ。その美貌には真新しい涙の跡がある。
「あっ?」
突然の出来事にギョッとする男。
ナーベが泣き崩れたことにより、冒険者ギルド内では男に向けた殺気が満ちた。
(やっぱり、──さん! 俺ですよ! モモンガです!)
「はっ?」
困惑。
どこか見覚えのある女性が声をかけただけで泣き崩れたかと思ったら、今度はメッセージで聞き慣れた我らがギルマスの声が届く。
そこで男は混乱しながらも、ようやく二人の正体に当たりをつけることができた。
「ナーベは少し気分が悪いようだ。すまないが、場所を移したい」
(人のいない場所で話がしたいので、俺たちが拠点にしている宿に行きましょう)
「では、ついてきてくれ」
「あ、あぁ」
男は突然の出来事の連続に足元がフワフワするような気分になっていたが、何とか返事をする事ができた。
「あぁ、やはり御方様でした……良かった……やはり間違いではありませんでした……」
「……」
美姫と呼ばれ、冒険者連中には口汚く罵ることで有名なナーベから男が何故か『御方様』と呼ばれ心配されている……そのことにローブの人物が僅かに反応した。
「……ナーベさん、立てるか」
「は、はいっ」
「……っ」
『美姫が罵らないだと!?』
男の背後からむくつけき冒険者共の悲鳴が聞こえる。
男がナーベに手を差し伸べると、側でギリぃっと歯を軋ませる音が聞こえた。
ナーベが迷いながらも男の手を取り立つと、周囲から発せられる殺気が更に強くなった。
困惑。
(どうなってんだ……)
とは、その時の男の心の声である。
□
「御方様。失態を演じた無礼をお詫びいたします」
モモンの常宿に到着し、部屋に入るとまずナーベが深く頭を下げ謝罪した。
「ナーベ」
「はっ……」
モモンに促され、ナーベがモモンの背後へと下がる。
モモンがヘルムへと手を伸ばし、兜を掻き消した。
現れたのは見慣れた骸骨の頭部。
「お久しぶりです、──さん」
「あ、あぁ、久しぶり……驚いたよ……だとしたら、そっちはもしかして……ナーベラル・ガンマ?」
心底喜ばしい、と笑みを浮かべ、メイドらしい所作で深く一礼するナーベ。
「何から話しましょうか……ですが、その前に……そちらの人物もローブを取っていただきたいのですが」
男の側に佇み、無言で動かない不明の人物。
ただ気配から、何故かモモンを酷く敵視している様子であることを感じ取れていた。ナーベがいつでも動けるように警戒している。
「う……それなんだが……」
迷い、いくばくかの時間を要し、落ち着いていてくれよ、と男が破れかぶれな様子で促す。
「……」
顔を隠していたローブを下ろすと──
「ぬっ!?」
「キサマはっ……!」
敵意を顕にモモンを睨みつける金髪の女が顕れたのだった。
それはモモンが殺害したはずの相手であり、先のアンデッドが墓地から溢れた事件の首謀者の一人。
最近、死体安置所から姿を消したとは報告を受けていたが……
「あー……事の詳細はコイツから聞いてる。まずは……申し訳なかった、モモンガ」
女がフードを取り、開口一番に深く頭を下げたのは男だった。
その場にいた全員がギョッした。
「ちょ、ちょっと!」
「──さん!?」
「御方様っ!」
男は手で遮り、騒ぐ三人を制した。
「……何があったのかはだいたい聞いてはいる……大方、懇意だった冒険者や薬師にコイツが危害を加えたのが騒動の切っ掛けだったんじゃないのか?」
苦虫を噛み潰したような顔で言った。
男が知る人間の頃のモモンガであれば、危険なことには自ら首を突っ込むことはしなかったであろう。
この世界に来て、力を手に入れ気が大きくなっている可能性もあったが、根本的な気質は変えようと思っても、そう変わることはないはずだと男は思いたかった。
危険を顧みずに騒動の中心に身を置いたのは、それだけ重要な何かがあったのだと考えずにはいられない。
「聞けばコイツが拉致して危害を加えたのは、エ・ランテルじゃ有名なバレアレの孫らしいじゃないか……」
一方で、男はアンデッドであるはずのエルダーリッチが感情を表した理由がわかった。
その正体が同じギルドの仲間だったのだから。というより、クレマンティーヌからの情報にあったエルダーリッチですらなかったが。
「しまいにゃ、アンデッドを溢れさせるなんて阿呆な事件も起こして、街も大騒動になったみたいだしな……」
「ただ……コイツは愚かで、どうしようもないクソ犯罪者なんだが……ちょっと、見捨てられねぇんだ」
「勝手だと思う……だけど、すまないが怒りを納めてはくれないだろうか」
だから、頼む、と頭を下げた男。
つまるところ、今後、女に危害を加えるのは止めてくれとも言っていた。
それに真っ先に気づいていたのは女だった。
「なんで……」
「なんで……アンタが頭下げんだよ!」
「コイツは私を殺して、首飾りも壊した!!」
だからこそ、女は荒れた。
庇われるなんて久しくなく、自身のために、男に頭を下げさせるのは酷く耐え難い苦痛で、そんなことをされるのも、謝罪するのも弱者なのだと彼女はよくわかっていた。
だが、男は決して弱者などではなく、他に並び立つ者などいないと女が信じる強者であったから。
まして、相手は彼女自身を殺したバケモノ!
何故、そんな奴を相手に頭を下げるのか! と。
しかし──
「黙れ……!」
「ひっ……」
嵐のように大きな威圧感を感じた。
それだけで、女は萎縮し、荒れた感情など一気に吹き飛ばされた。
「お前がそれを本当に言えんのか?」
「……俺とモモンガの話に入って来んじゃねぇ」
語気を強めて、男が女を突き放すように注意すると、女は男に叱られ逆にソワソワしだす。
突き放すような態度だったが、男はそれがクレマンティーヌのためにもなると信じていた。
男に頭を下げさせた女に対して、ナーベが憎悪の形相で睨みつけていた。
モモンガは一度、女を殺している。
加害者と被害者──
ではあるのだが、女は重大な罪を何度も犯している極悪人であり、その関係性は当てはまらないだろう。
犯罪者と断罪者であれば──
犯罪者は討伐されたとしても世間ではむしろ喜ばれることだ。
この世界では盗賊などを『誤って』殺したとしても罪に問われることはないし、それが賞金首であって討伐をきちんと証明できれば褒賞すらつくのだから。
大きな力を持つ犯罪者など、一般人には到底抗えるはずもないし、対抗すべき兵や騎士も態々リスクをおかしてまで討伐に力を入れる事も稀だ。
賞金首とはそういう存在であり、社会の正常化のためには無駄なイレギュラーである犯罪者の排除が必要となる中で、自然と出来上がった仕組みだった。
法はあれど、社会の仕組みが単純で、犯罪者への抑止力も未熟、高度な社会に必須となる人々の倫理観も育ってはいない。
犯罪者を殺したとしても罪にはならない世界。
それがここの現実でもある。
──男はモモンガに頭を下げた。
交渉において、感情を全て呑み込むのは不可能だとしても、どちらかが折れなければならないラインというものは必ずある。
意地の張り合いでは何も話は進まないし、事態はどんどん硬直してゆくばかりだ。だから仲介人がいるのだが、ここにはそんな者いない。
そして、こちらは明らかな犯罪者側で早急な和解を望んでいる。
いわば、謝罪は線引きであり、歩み寄った形で立場を明確にさせたものだった。
もしも仮に先に謝ってしまわなければ、考えたくはなかったがクレマンティーヌが今度こそ完全に排除される可能性もあった。
仲間想いのモモンガならば、本来、先の事件とは関係ないはずの男を心配して女と縁を切るように言ったかもしれない。
そうなってしまえば、女は今度こそ罪人として処刑されるか、死を免れたとしても女として、一つの生命として地獄をみた可能性すらあった。
モモンガは仲間のためならば、汚れ役でも負う優しさと危うさを持っている。そういう人物だと男はなんとなく気付いていたし、仮にも縁を結んだ女のそんな未来を男は受け入れられなかった。
部屋に落ちる沈黙。
「……あたってすまん。この骸骨は俺の同胞なんだ。クレマンティーヌ、悪いようにはしない……話は俺に任せてくれ」
「……」
誰も何を発していいのかわからない。沈黙が続き、耐えかねた男が女に気まずげに先の威圧を詫びた。
そして、男の言葉に顔を歪め、悔しそうにしたクレマンティーヌだったが……小さく頷いた。
彼女は俯き、表情を窺うことはできなかったが、どこか意気消沈した雰囲気を感じ取っていた。
一方、モモンガは友人の恋人が……覗き見た情事の相手が自身が断罪した女だったことにまず動揺し、頭を抱えたくなる中、その友人が突然頭を下げたことで更に混乱していた。
そして、まず自身がしなければならないこと。人を、彼女を殺してしまったことを告白し、それを『友人』に謝罪していないことに思い至る。
何しろ、彼が今最も恐れているのは友人に軽蔑され、嫌われてしまうことだったから。
いずれ告白しなければならないとは考えていたが、モモンガ自身もその機会がこんなに急に来るとは思いもしていなかった。
「──さん、俺は……すみ──」
「待ってくれ。その言葉は今は言わないで欲しい……モモンガがやったことはこの世界では正しかった。悪いのはこいつだ」
男は言葉を遮った。
男はモモンガの言わんとしていることを察していた。男との交友関係を気にして謝罪しようとしたことを。しかし、男はその謝罪を不要とした。
しかし、それでもモモンガ自身の内心では不安があり、モヤモヤとした感情が燻っている。そうしていると今度はメッセージがとんでくる。
(……この話はまた時間が出来た時にしよう。何、俺もこっちに来てから経験くらいしたさ)
「……!」
男が思い出すのは傭兵崩れの盗賊の集団。あの時は街の衛兵に突き出したが、それも全員ではない。切り捨てて、そのまま息をひきとった者だっていた。
(それに、冷たいかもしれないが、こいつが一度死んだことについては、自分でも不思議なことに何とも思っちゃいないんだ。本当に奴の自業自得としか言えない)
横目でクレマンティーヌを眺め、小さく溜息をついた。
(ただ、モモンガに奴を殺させてしまったことには申し訳なく思っている……本来なら諌めなければならなかったのは俺だったんじゃないかって。だから……)
「すまなかった」
「もしも、こいつを見逃すのに対価が必要だってんなら何でもしよう」
「そこまで……」
モモンガは思案する。どうしたら丸く収まるかを考える。
しかし、何でもか……何でも?
そんなどうでもいい言葉で、モモンガは急速に混乱が落ち着き、思考もまとまってきた。
一先ず、話の落としどころが見えたからだ。
「……分かりました」
モモンガは努めて神妙に頷いた。
「俺はあなたの謝罪を受け入れます。そのかわりとは言えませんが、対価として……ナザリックに戻ってきてくれませんか?」
モモンガとしては何よりも最優先すべきことは友人のナザリックへの帰還。
友人の言う、女のことなどは友人がナザリックに帰還することを思えば至極どうでもいいことだった。
男から引き離されることを予感した女が、ギリギリと歯を食いしばり、再び怒気が漏れ出てくる。
ナーベラルが冷たく目を細め、クレマンティーヌに対してすぐに反撃出来るように警戒した。
「……ただし、すみませんが、俺は彼女をナザリックに招くのには反対です」
その怒気で女のことを思い出したモモンガは、そう一言付け加えた。
自身に敵愾心を持つ人物をナザリックに入れるなどリスクしかないし、ナザリックの下僕たちを刺激することにしかならない。
反面、それは事実、男にとっては限りなくノーリスクに近い和解案でもある。
「ナザリックがあるのか……? だがそれでは……いや、ありがとう。わかった」
男は懲りずに怒気を発している女を尻目に、モモンガに感謝した。
謝罪を受け入れてくれたことも、対価をナザリックに戻るという条件にしてくれた心遣いに。
「俺もあの時は、少し熱くなっていました。それに……その、彼女があなたの、こ、恋人だと初めから知っていたらコロ……オッホン! 断罪も、アイテムを破壊することまではしませんでした……」
「こ、恋人……? あんなクソ虫が……御方様の……?」
女が軽率な行動を起こしたら真っ先に捕縛する、と警戒を続けていたナーベはモモンガのその言葉に愕然とし、受け入れられない情報にフラリと近くにあった椅子に座り込んだ。
「あ? 別に恋人じゃあ……」
ない、と続けようとしたが、男の影から発された女の言葉で遮ぎられた。
「はっ……バケモノの癖にわかってんじゃん」
女は何故かナーベに勝ち誇ったように見下し、低く言い放った。
ゴッ……!
「〜〜〜っ!!!」
「お前、調子に乗んなよ」
男が女に拳を落とすと、いかにも痛そうな音が響いた。
「謝罪相手に挑発するとか、お前頭沸いてんの?」
「……」
ムスッ、と不貞腐れた様子を隠そうともしない。
「本当にすまない、このアホのことは気にしないでくれ」
その二人の様子にポカンとするモモンガ。
「ン、ンン! と、取り敢えずこの話はまた後にしましょう」
姿勢を正す。
「本題ですが、俺たちは……ナザリックは──あなたを迎えるために歓迎の準備を進めています」
少々遠回りしてしまったが、ようやく本題のオチまで辿り着けた。
「彼女の扱いについては……また後日考えましょう」
「明日、また迎えに来ます」
その言葉が漆黒のモモンとナーベとの会談で最後の言葉になった。
(──さん……すいませんでした。相談したいこと、謝らなければならないことがたくさん出来てしまいました。また時間をください)
(……あぁ、こちらこそ、すまなかった。俺にも確認し合いたいことはたくさんあるよ)
(あ、それと、デミウルゴスが忠誠の儀とか言ってたんで、言葉用意しといた方がいいですよ。俺もやりましたが、緊張しました……ナザリックに戻ったら今まで何してたのか……色々と話、聞かせてくださいね)
いや、宿を出た所でメッセージがモモンガから届いた。
「マジかよ……」
ナザリックへの帰還……前途多難である。
男は今度こそ頭を抱えた。
□
戻ってきたのは男の常宿。
「ねぇー、本当に行くのー?」
「あぁ。仲間だからな……ナザリックは俺らの拠点でもある」
「……」
女は先程の会談とはうって変わり、テンションが低く、気落ちしたような様子を見せていた。
「心配すんな。危険はねぇはずだから」
「そうかもしんないけどさ……ちゃんと戻ってくるよね?」
女の心配、それは男と引き離されるのではないか、ということ。ようやく見つけた心の拠り所を失うことを何よりも恐れている。
「戻るさ」
男が発した言葉。それでも女は不安感を拭えないでいた。
どうしても、クレマンティーヌは男が遠い場所に行ったまま、二度と戻ってこないという未来を脳裏から払うことが出来なかったから。
「……なぁ、目立たなくて、人が来ることのない場所はないか?」
少し考え、件の場所に思い至る女。
「あるけど……どうすんの?」
「篝火を作っておこうと思ってな」
「ふーん……それって、あんたが死んだ時に生き返るやつ?」
篝火、という言葉に女は迷いなく返した。普通であれば何で今、そんな物を? と思うのであろうが。
女は知っていた。あの夢で男が何度も蘇るのを見ていたから。
「そうだが……だから何でお前は教えてもいないことを知ってんだ」
「んー? ちょっとね〜」
「……」
真意を測りきれないのか、ジト目で女を見る男。
一方、女は目をそらして白状するつもりは無さそうだ。
「……まぁ、いい。で? どこなんだ、そこは」
□
「ここ。元々はカジっちゃんが儀式で使ってた場所なんだけどねー」
クレマンティーヌに案内され移動した先は、先日アンデッド騒動の起こった墓地の奥。
霊廟の奥深く、巧妙に隠蔽された通路を通り、堅固な扉で閉ざされた先にあった。
ここには中長期的に籠もることができるように、それなりの生活スペースもあるようだった。
「カジッチャンてのは、あれか。ズーラーなんたらってやつの」
「そ。カジっちゃんはあのナーベって女とやり合って殺されたんだっけ。まぁ、どうでもいいけど。ここなら墓地の一番奥にあるし、人も来ないから大丈夫なんじゃない?」
「仮にも仲間だったんだろうが……まぁ、ここなら大丈夫そうだ。ありがとよ」
男の目の前には頭一つ分低い位置にある、金髪の頭。
ちょうどいい位置にあったそれに手を乗せ、クレマンティーヌは、それを受け入れた。
「ふふ……どういたしましてー。ほらほら、私役に立ったしさ、ご褒美欲しいなー? プレゼント、ちゃんと考えてたー?」
途端に嫌な顔をする男。
「ねぇねぇ、何くれるのかなー?」
ニヤニヤと嗤う。
「お前…………欲しいものがあるなら言え」
「え゛ぇ〜?」
大きく不満げな声をあげた。
贈り物は嬉しい。しかし、それは男が彼女のことを考えた上での贈り物のことで、ただ欲しい物を貰うのでは意味合いが違う。
「はぁ、仕方ないなー……ん〜……どうしよっかなー。新しい魔法武器も捨てがたいし……あの指輪もう一個貰うのでもいいかも?」
彼女は不満げではあったものの、これから強請る一品に一旦想いを馳せ始めるとすぐに夢中になった。
「おい?」
「うーん……」
「……」
指輪、という単語が聞こえた時点で男は妄想に静止をかけようとしたのだが、どうやら彼女は夢中になっており、声は届いていないようだった。
「……やっぱ、もうちょっと考えとく。あっ、でも、プレゼントはしっかり考えておいてよー?」
ただ、色々と心惹かれる物はあったようだがイマイチ、ピンと来なかったようで、保留になったのだった。
石で円形に囲まれ、円の内側に不死人の骨が散らされている。その中心には、奇妙な螺旋の剣が突き刺さっていた。
男が剣に触れる。
『BONFIRE LIT』
螺旋の剣に火が灯り、火の粉が舞い散ると暗いカタコンベを篝火が仄かに赤く照らす。
揺らめく影を重ねて、二人は並んでボウっと火を眺めていた。
それは女が夢見た一つの光景。
あの夢では、男の隣で篝火を眺めてはいても二人が交わることはなく孤独だった。
だが、今はそうではない。
共に同じ火を囲み、同じ光景を見られていることが嬉しかった。
「お前に頼みたいことがある」
「……ふふん、当てて見せよっかー?」
三角座り。膝の上で組んだ腕に頬を乗せて、彼女はイタズラっぽく返す。
「……」
「この篝火を守れってでしょ」
黙り込んだ男に対して、女は簡単に答えを出した。
「……そうだ。これが不死人の寄る辺。俺たち不死が死から復活するのに一番重要な場所だ。篝火が無事なら俺らは何度でも甦られるし、どれだけ遠く離れた場所からでもここに移動することだってできる」
「知ってるよ。だから私がここの火防女にならなくちゃいけないってことだよね」
そう、篝火は不死人のためにあり、火防女はそんな篝火を守るために存在する。
「……あぁ、そうだ。火防女の役目は──」
「それも知ってる。しょうがないから、この篝火は……あんたの生命線はこのクレマンティーヌ様が守ってあげる」
──だからさ、ここであんたが戻るまで待っててあげるけど……あんまり遅いと、火消して探しにいっちゃうかもねー?
そう言って女は男の肩に頭を預けたのだった。