──私の判断の何を正せば、こんな事態にならなかったのだろうか。そもそも私が指揮を取らなければ作戦はもっと上手く行っていたのだろうか。
今はそんな事を考えている時ではないとわかっていても、先程の光景がどうしてもラキュースの頭に過る。
ラキュースは人的被害を出しながらも人質を悪魔の手から引き離すことに成功した。
しかし、その代償として有力な戦力である魔法詠唱者がラキュースを庇って悪魔の魔法を身に受けてしまい、戦闘から離脱することとなった。
今後はラキュースと残りの冒険者たちだけで、目の前の強大な悪魔を相手どらなければならない。
しかし、最早、敵う訳がないと皆わかっている。悪魔の実力は想定していたよりも遥かに上で、蒼の薔薇チームが対処可能な難度の上限90を明らかに超過していた。そして、単独で難度140ほどの強さのイビルアイすら上回っているように思えた。
だからこそ彼女は息を呑んで悪魔の出方を伺うしか出来なかったのだ。
「囮役、ご苦労」
「……っ」
アビスデーモンが高圧的に何でもない風に言い放ち、ラキュースはその無力さに唇を噛んだ。
悪魔たちはこの場で最も警戒すべき対象が消えて余裕を取り戻し、これから起こるだろう喜劇を想い悪意ある笑みを浮かべていた。
「あ、あ、あ、あ、あ、あああああああああああっ!」
「い、やだぁぁぁ、あああぁぁあぁぁ──!」
「誰かっ、助けっ──」
「お、お前ら! お前らなんてことをしてくれたんだ!」
ラキュースたちの後方で悲鳴が上がる。
そこでは悪魔に人質とされていた人たちが中衛よりも後方に位置する支援部隊へと引き渡されようとしており──ちょうど、彼らにかけられていた眠りの魔法も解け始めていた。
そんな、救出されたはずの彼らが突如として絶叫し、胸を掻きむしって苦しみだしたのだ。
「おい! お前らのせいで俺は死ぬんだよ!」
「痛い! 助けて、助けてよ!」
いやだ、死にたくない。魔法を解いて、解いて! と、パニックを起こしているのか、助けを求めて縋りつくのをレンジャーの一人が異常に感づいて突き飛ばす。
「──この、人殺し!」
突き飛ばされた女が信じられないと、呆然とレンジャーの顔を目を見開いて見つめ、絶望と憤怒がない混ぜとなった顔で絶叫。そのまま内部で火薬が炸裂したかのように破裂した。
苦しむ人々が次々に破裂してゆき、身体の破片や内容物、血があたりへと撒き散らされ、濃い異臭が立ち込める。
誰かのえずく声、バタバタと吐瀉物が溢れ落ちる音が聞こえた。
「な……ど、どうして……?」
後方で起きた理解不能な惨劇。信じ難い光景に唖然と硬直する人間たち。
悪魔達はその様子を目にし、恐怖の表情を滲ませた人間の様子が面白かったのかゲラゲラと指を指して笑った。
と、再び、悪魔側の集団後方から現れた下級悪魔が女の髪を引っ掴んで、ラキュース達の目前へと強く押し出す。
人間側の集団、冒険者たちの中から、何者か女のものだろう名前を叫ぶ声が聞こえた。
「いや……もう、ゆるして……ゆるして、ください……」
「っ、やめろぉぉぉ!!!」
その女は死の恐怖に怯え、大切な存在の名前を、家族の名を、死にたくない、お願いだから助けてと呟く。救いを求め、絶望の眼差しで集団の中にいた一人の男を見つけると、一筋の光明に縋るように足を縺れさせながら駆け寄り、手を伸ばした。
叫んだ冒険者の男も駆け寄るように女に向けて手を伸ばし、抱きしめようとしたが──それらの手は届く事も、交わされることなく、男の目の前で弾けた。
弾けた人間の残骸が、その場でぐしゃり、と崩れる。
理解不能な現実。見たことのない彼女の姿、嗅いだことのない彼女の臭い。ただ光を失った女の瞳が冒険者の男を無感動に見つめていた。
「え、お、あ、あぁ……あぁぁ……」
冒険者がヨタヨタと、崩れ落ちた女の破片を手で掬い集め……血と汚物で汚れた手で顔を覆って涙を流した。
男が発したその慟哭に対して、悪魔達はニヤニヤと表情を緩ませ、素晴らしい観劇の場面に感動すらしていた。
──あなたが無知で残酷だった子どもの頃に虫やカエルを甚振って遊んだように。その悪魔達も人間と同じく、自身よりも下等な生物を甚振る悦びを感じており、その眼差しには期待と喜悦、好奇心の念が含まれていた。
「許せない……」
ラキュースの食いしばるような言葉。しかし、それを耳にした悪魔達が何事かと一瞬黙り……次の瞬間、心底おかしそうに腹を抱えてゲラゲラと哄笑をあげる。
「絶対にっ……! 絶対に、お前たちを許さない……!」
嘲るように、囀るように、悪魔達の嗤い声が木霊した。
ラキュースの内面に溢れるのは、どうしようもないほどの怒りに、憎しみ、悔しさ──しかし、その根底にあるものこそ恐怖や怯え、不安。
この異質な存在を、一刻も早く人間の領域から排除しなけらばならないという焦燥で満ち、怒りや憎しみといった強い感情で弱さを隠してしまわなければ、一度でも怯えている自分を表に出してしまえば……もう戦えないと無意識でわかっていたから。
今、この場には彼女以上の実力を持つ者はいないのだ。ティナにはラキュースの代わりに指揮をとる役目があり、ガガーランとティアの二人は蘇生後のため、本来の力を発揮出来ない。イビルアイも漆黒の二人組と最前線に出たまま戻らない。
後方に控える冒険者や兵士達の命を実質ラキュースが預かっているのもそうだが、自身がここで死んでしまえば王都は、残された人は、自身に託された想いはどうなってしまうのかという重責もある。
しかし、悪魔達はそんなラキュースの心を見透すがごとく、その有様こそが滑稽であると嘲笑した。
高位の悪魔に対抗できるはずの人物は既に彼女を庇い死んでしまい、彼女が率いるべき冒険者や衛士は、先の爆散した人質たちの様子を見て完全に怖じ気づき、絶望の表情を浮かべてしまっている。
人間が悪魔に勝てる訳がないのに、怯えを隠して意味もなく意気を上げ、無駄に生命を散らしてゆく。最初から分かりきっていたことだ。しかし、そんな愚かさこそが悪魔達にとっては愛おしく、何よりの娯楽となる。
叩きつけられる嘲笑の嵐の中、ラキュースが悔しさに唇を噛み、歯を食い縛って悪魔達を睨みつけ──
「……どうして……どうして、こんな……! なんでだっ……なんで彼女がこんな目に合わなければならないんだっ……!」
「あ、あなた何を──」
──ウアアアァァァ──!!
女の亡骸を抱いていた冒険者の男がゆらりと立ち上がり、怒りに我を忘れたのか、はたまた自暴自棄となったのか、ただ一人剣を片手に悪魔の集団に突貫した。
そして、そのまま怒りのままに数体の悪魔を切り殺し、悪魔の鋭い爪に身を切り裂かれながらも痛みなど知ったことかとばかりに切り返す。最後には叩きつけた剣が折れようとも素手で立ち向かい、恨みや呪いの言葉、現実の理不尽への罵倒を吐き出しながら、無残にも袋叩きに合って嬲り殺された。
その事切れた様を見下して、死んだ、死んだと心底可笑しそうに悪魔が嗤った。
「人とは、矛盾の生き物であるな」
「……っ」
静まるように指示を出し、暫くして静まり返った場に、今度は低くアビスデーモンの声が響く。
「お前たちは同胞が殺されれば、怯え、怖れ、慄くくせに、自らのためには平気で同胞を裏切り、手にかける事もする」
「人間は自らの精神にそうした悪性を孕んでいることを自覚しているのに、しかし、同時に善としての奉仕を美徳とし、他者に求める」
それはさも不思議そうな、理解出来ない矮小な存在を観察し、そして観察した純然たる結果を語るような無機質な声音だった。
ラキュースの肩がビクリと跳ね、その言葉と声音に隠された刃を突き付けられているような心持ちになり、心胆が冷える。
警戒するように周囲に伝えなければ! と、思うのだが、《サイレンス/静寂》の魔法でも掛けられたかのように、はくはく、と口は喘ぐように開いては閉じるだけ。声が周囲に伝わることはない。
身振りで異常を伝えようとしても、体が押さえつけられているかのように自由にならない。ふと視界に入った自身の影が一人でに動いた気がして、既に悪魔の術中にある事を悟った。
悪魔も言葉を止ませることはなく、既に皆が、否が応にも悪魔の言葉に耳を貸さざるを得なくなっている。
「何と卑しい精神性か。群れる事を選択したのならばさっさと利己心など、悪性など捨て去ってしまえばよいものを……お前達は善性の存在を食いものにし、自身の欲望を満たすために他者を踏み台とする事を止められぬ」
「何とも人間の社会関係とは、人間の生存戦略とは醜悪よな」
悪魔は困惑の声とともに、呆れを顕にさせた。
「我らは……そう、お前達を憐れんでいるのだ。弱者であるせいで、したくもない協力関係を結ばねばならず、利己と利他の狭間で揺れ動いている様を。そして望んでもいる。人間の未来が我らと同じ、深淵へと続くことを……」
──そして、その苦悩を滲ませた重苦しい声音が、今度は人間たちに悪魔が何を言っているのだ、と困惑の念を抱かせる。
悪魔とは何だったのか。こんなに語りかけてくるような、疑問を投げかけてくる存在が悪魔なのだろうかと。平和だった王国の民が悪魔と相対するなど今回の事が初めてだっただろうが、悪魔とは人間の敵である筈なのに。
無論のこと、これまで彼らの仲間や街の住民が悪魔に殺され、打ち捨てられ、何処へとも知れぬ場所へと連れ去られたことは忘れていない。人間爆弾として無残に爆殺された者たちの姿を、蹂躪された恐れや恨みを忘れてはいない。
故に、未だ警戒をもってその悪魔の言葉に耳を傾けた。傾けてしまった。
その人間たちの様子を目にしたアビスデーモンは一息ついた後に続けた。
「お前達は悪魔を知らないようだから、少し教えてやろう」
それは教師が生徒へと教授するかのように。詐欺師が真実に嘘を混ぜるように。饒舌に語ってゆく──
「悪魔の世界は、弱肉強食であり徹底的な利己主義」
「それは神の如き御方の敷いた、常に自身の願いに真摯であれ、しかし行動には美学を持たなければならないという、自己の願いを叶えるための条理であり理法」
「我ら悪魔はある意味求道者であるが故に、目的を達するための手段には常に飢えているのだ」
曰く、悪魔の世界、社会とは──実は人間社会に密接に関係しており、人間社会の上層部の人間は悪魔の力の恩恵にあるのだと言う。
悪魔は人間の願いを叶え、人間はその対価を支払わなければならない。それは時に隷属した上での労働力や、その命そのもの。もしくは、生贄として捧げられる魂であったり……
人間は対価をもって悪魔に欲望を叶えてもらい、それらがいずれ社会の新たな上澄みとなって、人間の社会を支配し、動かしてゆく。その一方、悪魔は対価を利用して自身の目的に役立てるのだと。
悪魔と人間の関係はある種のビジネスライクであるが、しかし、本来は余程のことがない限り、請わ願われることがなければ悪魔から人間に話を持ちかける事は無い。
それは、取引したその瞬間から優劣の関係性が形成されるからであり、力のある悪魔が下手に出てまで人間に、弱者に取引を願うメリットなど何もないからでもある。故に人間は知恵を絞って、悪魔と交渉し、納得する対価を用意しなければならないのだ。
しかしだ。此度王国に持ち込まれた魔道具はその前提すら破壊しかねない、元々は悪魔を使役することを目的として作られた危険な物だと黒翼の悪魔は
──そして、彼ら悪魔の抱える願い、渇望とは。
「誰よりも強くありたい」
「常に最高の自分でありたい」
「私だけはただ一人、正しくありたい」
「愛しい、あの方の愛が欲しい」
「尊き御方々を失望させたくない」
「主へと永遠の忠誠を捧げたい」
「……多様な渇望があり、渇望こそが道標であり源泉。そのためには利己も利他も、善も悪も必要ない」
「ただ、この世の全てを、渇望を満たすために利用し尽くすのみ」
悪魔の話す渇望とは、聞いた限りでは、人間が抱くそれと大差はないように思えた。
しかし、それは渇望を満たすための自身以外の全ての犠牲を是とし、手段を問わずに目的を達成せんとするものだと気付いた者は人間たちの中にいただろうか。
むしろ、言葉の裏に気づく事なく、悪魔も欲を持つという観点から親近感すら覚えたのかもしれない。
「お前達自身は、我ら悪魔をどんな存在と考えている」
「お、俺たちはただ恐ろしい者たちとしか……」
冒険者の一人が問われ、答えた。
「……我らは悪魔とは意志の弱さそのものであると言わんばかりに、しばしば誘惑者の絵姿で描かれ、神に敵対する存在と呼ばれるが──」
「まさか本気で我らがお前達を誘惑しているなどとは思ってはいまいな。我らはお前たちが望むからこそ、契約をもって願いを叶えている」
「……まして、神が悪魔の敵であるなど有り得ぬ。お前たちの言う神とは、人間にとっては何処までも都合の良い偶像でしかない。……お前たちは受け入れられぬだろうが、悪魔とは信仰を失い零落した嘗ての神や天使、それら使者の姿──力ある者の末路でもある」
そして、悪魔たるこの身でも人を守護するような奇特な神など知りはしないと。神とは人々に信仰されようとも、下々の事など一々顧みたりはしないのだと。
そんな馬鹿な話があるか! と……その悪魔の言葉に反発する感情と、でももしかしたら信仰している神が存在しないかもしれないという疑心、ずっと何も無い所に祈りを捧げていたのかもしれないという寂寥感──その場にいた者たち皆が襲われた。
加えて、人間社会で悪魔との取引が忌避される風潮があるのは、人間社会の一部の人間こそが流した流言によるものなのだろうとも。──そう、悪魔から得られる利益を独占するため。富と権力のリソースを分配するのに、人数は少ないほど良いのだから。
自身の中枢に位置する信仰に裏切られ、所属する王国の支配層にすら自分たちは裏切られていたのだと知った彼らの心情とは……
「お前達、人間の上澄みが言う、この世において、自然災害が神の怒りであるという観念はおろか、自然悪が行為悪や宗教的悪に対する神の報復であるなど、人間の妄言に過ぎぬ」
そしてこの世には人の神もいなければ、神罰すら人の妄想でしかない。悪魔はそう語った。この世に人を守護する上位存在などいはせず、お前達は荒れ狂う嵐の海に浮かぶ一艘の舟のようなものなのだと。
悪魔の言に耳を傾けてしまった者の末路とは──根幹を成す芯が本当に正しい物なのか自信を失い、疑心暗鬼に陥いることになる。
そして、その疑心暗鬼が長ずれば自身のみを信じ利己心に奔るか、そうでなくとも、新たな何か──例えば真実を教えた悪魔に縋りたくもなるものだろう。
疑心暗鬼とは信頼関係の崩壊。裏切りの一歩目。いずれその歪みが大きく育てば、周囲が敵にしか見えなくなり、他者を貶め、騙し、攻撃的に振る舞うようになる。
つまりは人間社会における規範からの逸脱、犯罪行為、人格の破壊、それらを成すマインドコントロールの導入に他ならない。だが、悪魔はそこまで待つつもりはなかった。
「故に悪魔は祈らぬ。我らこそが理性の魔物であるからして。悪魔は強靭な意志を持って、各々の信じる独善を行い、生を謳歌する」
誇りを持って見せつける。自信こそが、力の源であり他者を操る秘法に他ならないのだと。
既に人間たちは悪魔の言葉に囚われており、心の弱い者は縋るような視線になっていた。
「我らにとっては、お前達人間は家畜であり、愛玩動物。未熟な子であり、不出来な学徒」
憐れむように、寄り添うにように。
「我らほどお前達を愛し、深く理解しようとしている者など他にはおるまい」
慈しみを持って、ならば我が味方となろう、と。
「悪魔に情がないなどと誰が言ったか……理性は情念の奴隷なり」
「中心となる自己は情念であり、理性はその目的達成の手段を調達するにすぎない。形相的な理性が質料的な感性に支配されるのだ」
我らは人のように欲に流されない。理性をもって情念を支配し、理性は情念に従わせるのだ。情念の大きさこそが、その者の信念の強さを示すのだから。
「我らにとって人の悪とは、ただの弱肉強食に過ぎない。この世には真実などなく、許されぬことなどないのだから──*1」
人間たちは疑心暗鬼となり、信じていたものを破壊され、何を信じればよいのかわからなくなっていた。悪とは、善とは何なのかも……自身がこの作戦に挑んだ最初の理由と決意さえも忘れかけて。
悪魔の言葉が毒のように心へと沁みてゆく。
権力者の決めた法や罪など贋で、従う必要性などない。まして、その権力者が悪魔と取引している『悪』ならば。
真実などなく、許されぬことなどない──それは自身の信念、意志で決めた行動ならば結果がどのような悲劇となっても受け入れなければならないとの解釈であろうが、その意味を知らなければただ犯罪を推奨しているようにも聞こえただろう。
「一つ教えを授けよう。人間の本質とは善や悪には囚われぬ、『人間性』。お前達は何にでもなれる可能性すらある」
「そう……権力者や富豪は勿論、我らの様な悪魔にでさえも」
数人の目に爛々とした光が宿り、何人かは怯えるようにしながら悪魔をみやった。また幾つかは虚勢を張るように悪魔を睨みつける者や、敬虔な信徒であったのか生きる活力を無くしたかのように抜け殻のようになったままの者もいた。
「さぁ! 我らに何を望む、人間。
そこで漸く、ラキュースの呪縛が解けた。ラキュースが叫ぶ。
「悪魔の言葉を信じては駄目!」
「っ、うるせぇ! 今更、お前ら貴族の言う事なんか信じられるか!」
「あぁ、そんな……神がいないなんて……私はこれから何を信じて生きれば……」
「悪魔の事など信じない! だが……悪魔と繋がってる王国のことも、もう信じられない。私達はこれまでなんの為に戦っていたのだ……」
「元はと言えば、八本指も貴族と繋がってるんだろうが! 今回の事もどうせ貴族が八本指に魔道具を集めろって言ったのが原因なんだろ!」
「ちっ、ちがっ!」
「なら何で悪魔の言葉を否定しなかった! いや、出来なかったんだろうなぁ! クズ貴族が!」
否定しなかったのは、言葉を口に出来なかったから。貴族が八本指に指示したことだと完全に否定出来なかったからなのだが、そんな事は相手は知る由もない。豹変した冒険者の男によって殴られ、ラキュースは吹き飛んだ。
「さぁ! 我ら未来の同士たる幼子たちよ! 聞こうではないか、お前たちの渇望を!」
喜悦を含む悪魔が立ち上がった者たちを受け入れるように腕と黒翼を広げた。
「俺は──誰よりも強くなりたい! 俺を嘲笑って来た奴らを逆に嘲笑ってやりたい! 俺を弱いと言った奴等をブチ殺してやりたい!」
努めて憤るように吐き捨てた者がいた。
「権力者になりたい! 俺が持ってないものを手に入れたい。ずっと、俺が持っていないものを自慢されて、腸が煮えくり返っていた!」
不相応な地位を望む、欲深な者がいた。
「もう嫌だ。もう、何も信じられない。何も信じない。神も悪魔も、もうどうでもいい。ただ……信じられるのは自分だけ……一人で生きられる力が欲しい」
全てを放棄した気になった不信者がいた。
「俺は女とやりまくりたい! 美しい女、可愛らしい女、人の女、全部、全部俺のもんにしたい! 手に入れたモノ全て傅かせて支配するんだ!」
渇望と妄想をはき違えた高慢な者がいた。
俺は、私は──
「あ、あなたたち……」
自身の願望を、薄汚い欲望を恥ずかしげもなく嬉々として叫ぶという異様な光景に、ラキュースは恐怖を覚えた。
「もう蹂躙されるのなんてごめんなんだ。俺は悪魔側に着く」
そう吐き捨て、幾人かの者たちがアビスデーモンの元へと歩き出し、悪魔の軍勢は彼らを受け入れたのだったが──
「──ク、ハハハ……よかろう……では、まずは精神修養から始めなくてはな──」
《マス・ホールド・スピーシーズ/集団全種族捕縛》
放たれた魔法が裏切り者たちの動きを阻害し、行動を縛る。
「な、なんだよ、これ!」
「私たちはあなた達側に付いたのに!」
「だっ、騙しやがったのか、悪魔どもが!」
その不意打ちに裏切り者たちは一様に罵り声をあげた。
「フン……相手にする事も憚られる愚かな者たちだ。支配どころか、魅了の魔法すら使ってはおらぬ。気紛れに誘惑者の真似事をしてみれば、これだけ釣れるとは……敵対する相手の言葉にのせられるなど愚の骨頂であろうに」
裏切り者たちが喚き、悪魔を罵倒する。
「しかし、よくもまぁ、恥じらいもなしに糞尿の如く薄汚い欲望を垂れ流せたものだ。嗤いを耐えるのに苦労したぞ」
悪魔もまた、地へと這いつくばったままの裏切り者たちを眺めて嘲る。
そして……王国を、人間を裏切った者たちは引きづられ、暴れる者は腕をもがれ、脚をもがれ。しかし死ぬ事は叶わぬままに、何処か遠い場所へと連れ去られて行った。
その一連の行程を観覧していた悪魔たちは、ニヤニヤと笑みを浮かべており、新しい玩具を歓迎していた。
「下級悪魔共の巣に、ようこそ。そして、よろしく、玩具諸君」
「奴らの欲望を叶える手伝いだけはしてやろう。──が、対価がまるで足りぬので、奴らの自由と意志を追加するとしよう」
大きな笑い声の渦だ。悪魔の口から出てくる大小、高低様々な。耳障りで、挑発的で、屈辱的な音の嵐。
人を踏み躙り、心を弄ぶ。これが悪魔という存在なのか。精到で狡猾。人間に勝てるような相手ではない……それに、陣営に王国への不信の楔を打たれ、裏切り者の出現まで許してしまった。
「聞けば、ここには蘇生魔法使いがいるそうだな。お前だろう?」
「安易に蘇生に頼り、死を軽くした、生命の重みを知らぬ愚か者め」
「……そうだな。お前だけは生かしておくことにしよう。お前以外を皆殺しにし、軽くなった死の重みを量で釣り合いを取れば、少しは自身の愚かさがわかるというもの」
最悪だ、と打つ手が無い現実に絶望感を表情に出してしまっていた。せめて、一人でも多く退却できるように、殿を誰かが引き受けなければならないのだが……不信感に満ちたこの状況では蒼の薔薇の仲間以外、誰も引き受ける事などないだろう。
──この悪魔を相手に、私たちだけで……殿を?
歯を食いしばるも……ラキュースは足元が崩れ落ち、目の前が暗くなるように錯覚した。そんな役、誰かに押し付けてしまいたい。何故、私や仲間たちが犠牲にならなくてはならないのか。いっそのこと、国からの命令だとして、後で蘇生すると約束すれば──
「──やれやれ……私が離脱している間に随分と悪魔に引っ掻き回されてしまったようだ……軍の柱であるはずの指揮官がこんな所まで来て、怖れに膝を突いていてどうする」
呆れを含むその声でピタリ、と空気が止まった。
「っ! そんな、あなた無事でっ──」
ラキュースは驚愕に目を見開いた。
ラキュースが声のした方へと振り向けば、悪魔の魔法を受け、死んだと思っていた男が立ち上がろうとしていた。その全身からは燻るようにブスブスと黒い煙が立ち昇り、穴の空いたローブの中心は大量の赤い血で濡れている。
「仕留めたと思ったが……さすがであるな、伝承者よ!! やれ!!」
悪魔達が警戒する対象の復帰だ。それをいち早く察知したアビスデーモンはすぐさま追撃の指示を出すと悪魔達の猛攻が始まり、男を今度こそ滅さんと動こうとした。
「逃げてっ!!」
それを目撃したラキュースは、男に向けて悲鳴をあげる。
男の振るう杖を起点として生み出される青白い光の渦。杖の先端で逆巻くように収束してゆく。
《ソウルストリーム/ソウルの奔流》
迫りくる悪魔の大群は、男によって生み出された4つの光の奔流に呑み込まれ、それに巻き込まれた跡には何も残らなかった。
「っ!」
ラキュースは驚かされてばかりだ。その迫りくる悪魔の集団を文字通り一掃する魔法の威力に。
悪魔側もその魔法を警戒したのか、それ以上に近づくことはなく、歩みは止まった。
男は首を巡らせる。周囲の場に不信感に満ちていることに気付き、彼が戦線離脱していた最中に何があったのか察した。また悪魔の口車に踊らされた哀れな者がいたのだろう、と。
そして、男が何時の間にか手にしていた、黒と金を組み合わせた豪奢な装丁の祈祷書もしくは魔導書が男の手を離れ、浮遊する。書が開かれると、そのページがひとりでにパラパラと捲られてゆき、とあるページでピタリとやむ。
男がポツリポツリと語り出す──
「──侵されていた。犯されていた。冒されていたのだ。なす術も無く邪悪に貪られていた。理不尽に、無意味に、ただ陵辱されていた。未来に繋がることなく、殺され続けていた*2」
それは何処か淡々としていて感情の読めない、静かだがよく通る声だ。
それはこの世界の人の歴史か、男の経験してきた過去のことなのか。人は身も心も邪悪に侵されて来たのだと男は独白する。
ラキュースたち冒険者が悪魔や異種族に蹂躙された現実が、他の場所でも起こったことだと教授するかのように。
「子供の明日を奪われた母親の嘆き」
この王都には子の行方がわからず、身を顧みることなく危険な戦場に立ち入ろうとする母達が大勢いた。
「子供の明日を守れなかった父親の怒り」
悔しさで、大の男が人目を憚らず涙を流し、憎しみの感情のままに慣れぬ剣を取る者が多くいた。
「穢され続けてきた世界の、無力な憎しみ」
異種族に蹂躙され続けてきた人間の奥底に染み付いた、彼ら自身の無力感と劣等感への苛立ちが溢れていた。
「だが……それでも、それは怨嗟などではないのだ」
「それは正しき怒りと憎悪」
「涙を流し血を流し、それでも歩くことを辞めない、いつしか希望へたどり着こうという、命の熾烈な叫び」
諭すように、静かに訴えかけるように。
男のその言葉は誰に向けたものだったのか。再び立ち上がる気力を、理不尽な世界への悲しみを、そして悪魔に対する怒りを呼び覚ますため、怖じ気づいてしまった彼らに対しての激励なのか。それとも、悪魔たちに嘲笑られ傷ついた彼女への慰撫だったのか。
「それは総ての怒りと憎悪を清め、我が子に未来を遺したいと願う親達の優しき祈りだ」
「お前たちは……それの、何を笑うというのか」
ラキュースはその言葉をただ静かに聞いていた。力強いその言葉にどうしようもなく勇気づけられて。言葉が心に刻まれるほどに。
正しい怒りを、未来に進むための憎悪を取り戻すために。目の前に立つ彼の背を見て、心を再び震わせるのだ。
「お前たちを絶対に許さない」
男が発したそれは、ラキュースが発した言葉と全く同じもの。ラキュースの言葉が彼女だけの想いではなかったことの証左。
悪魔たちはそれを嘲笑うことは出来なかった。
「へへッ……さぁ、懺悔の時間だぜ。悔い改めろよ、悪魔共──おら、お前らッ! 盾んなれ、盾! 間違っても近づけんじゃねーぞ! 出来ねぇなら、ここで死ね!」
活気づき始める冒険者の一団がいた。
悪魔たちに明らかな動揺が生まれ、アビスデーモンが下級悪魔に対して男の妨害を命じるも、息を吹き返したかのように存在感を再び出し始めたパッチたち、顔を隠した冒険者たちが迎え打った。
男の力ある言葉──魔法の詠唱にも似た、聞き慣れない聖句が、断罪を下す判決文のように悪魔たちには聞こえることだろう。
「──汝は、憎悪に燃える空より生まれ落ちた涙」
「──汝は、流された血を舐める炎に宿りし正しき怒り」
「──汝は、無垢なる刃」
「──汝は、『魔を断つ者』」
男が右手を前に翳すと、黒く焼け、朽ちかけた螺旋の大剣──火継ぎの大剣が宙を割って現れる。
「あれは、剣なの……?」
大剣の、その奇妙な形状にラキュースは眉を顰めた。
それも当然、捻じくれた刀身は刃を持たず、切っ先こそ鋭いものの傍目から見れば戦闘に耐えられるようには思えなかったから。
──男は大剣を手にしたまま、詠唱を続ける。詠唱は淀みなく、正確に綴られる。
冒険者たち──いいや。みすぼらしく、怪しくも見える姿形など関係がない。主の身を守護せんと奮う精神は正しく騎士の如し。彼らの守護があれば、悪魔がこの身を害する事など二度とあり得無いと男は確信しているように。
冒険者の格好をした真の騎士たちの剣戟に交じる男の詠唱が、ラキュースの現実感を無くした。いつか、何処かで読んだような物語の一遍の如く、自身が物語の世界に入り込んでしまったかのように錯覚してしまいそうになる。
ラキュースが私もこんな風に戦ってみたいと憧れるほどに──それ程までに、十年来の主従の如く息のあった戦闘が、目に映るこの光景こそが心を震わせる。
「──荒ぶる螺旋に刻まれた 神々の原罪の果ての地で」
「──血塗れて 磨り減り 朽ち果てた 聖者の路の果ての地で」
「──我等は今 聖約を果たす」
それは過去、現在、未来において最強の聖句。未来永劫変わることのない誓いであり、虐げられたヒトと共にある祈り。
「──其れはまるで御伽噺の様に 眠りをゆるりと蝕む淡き夢 夜明けと共に消ゆる儚き夢」
「──されど その玩具の様な 宝の輝きを 我等は信仰し 聖約を護る」
絶望を切り裂く希望を求めて。明日を夢見る切なる祈りが人々の心に仄かな火を灯すまで。それがいずれ、大きなうねりとなる事を信じて。
「──我は光 夜道を這う旅人に灯す 命の煌き」
「──我は闇 染まらぬ揺らがぬ迷わぬ 不変と愛」
道に迷い途方に暮れる者に方角を指し示し、不安を抱える者にはそれは正しい姿であると肯定しよう。
未来永劫と変わらず包み込む夜が、安らかな休息と人の営みの時であることを誓う。
「愛は苦く 烈しく 我を苛む」
「──其れは善」
「──其れは拒絶」
「──其れは 純潔な 醜悪な 交配の儀式 結ばれるまま融け合うままに産み落とす 堕胎される 出来損ないの世界の その切実なる命の叫びを胸に……」
良心のままにヒトを助け、時に裏切り、同族を損切る。しかし、それこそがヒトの姿。例え、生き辛い不完全な世界だろうと、産み落とされた産声は生命力に満ちているのだから。それを無駄になどさせたくない。
「祝福の華に誓って」
貴方が産まれてきたことを言祝ぐ。
──我は世界を紡ぐ者なり
大剣を振るうと、言葉に応えるようにして焼けた刀身から輝かしい炎が溢れた。
──ドクン……!
「聖者、さま……か、かっこ、いいぃぃ〜」
震える手を祈るように胸の前で組む。
その言葉には、彼女が好む妄想にはない確かな重みがあったから。偽りではない、確かな覚悟が感じられた。虚飾ではない、確かな苦悩が感じられた。
だから、今、彼女の目にはボロボロのローブの後ろ姿が重い運命を背負い、その重圧を跳ね除けようとしている気高いものに見えた。
重力のように、その背中にどうしようもなく惹きつけられるような気がして──先の見えない闇の中、最善の未来を求め、絶望の中で足掻くラキュースにとって、その姿は何よりも尊く映る。
ラキュースは夢見がちで、妄想癖があったが、例え絶望の只中にあろうと心がポッキリ折れてしまうような弱い女ではなかった。故に、彼女のその視線は縋る対象に向けたものではなく、いつか対等に立ちたいという気概すら感じさせる物。彼女は紛れもなく英雄の資質を備えていた。
故に想うのは──私もいつか、その重荷を分かつ事ができたら、ということ……
「私があなたを支えられたら……」
「ボ、ボス……?」
暫くして……何とか指揮を引き継がせたティナが漸く前線に到着した時には──ラキュースの様子は、まさしく恋を患い、覚悟が決まりきった乙女のようだったという。
□
──ガンッ!!
男が火継ぎの大剣を掲げ、敷かれた石畳へとその切っ先を突き刺す。
すると、石畳の隙間から火を噴き上がり、段々とその範囲を増してゆき──周囲がパッと明るくなったと認識した瞬|間、辺り一面、地面から巨大な火柱が幾筋も噴き出した。
噴き出した火柱によって、悪魔たちが吹き飛び、火に耐性のある筈の悪魔の肌を容赦無く焼き尽くす。
「おのれえェェ──!! 許さん! 許さんぞ!」
吹き荒れる炎の嵐の中から、身を焦がしたアビスデーモンが飛び出し、そのまま斧槍を構えて男目掛けて吶喊してきた。
《深淵閃断》
雄叫びを上げ、我武者羅に斧槍を振り回し、邪魔する者全てを断ち切らんばかりの威風。並の者ではその圧力に屈し、身を竦ませたまま切り刻まれる事だろう。
だが──
「ヒヒヒッ……行かせるわけねぇよなぁ?!」
パッチが大盾を構え、斬撃の嵐を見計らってパリィで弾くと、パッチの背後から覆面の騎士たちが飛び出し、各々の獲物を構えて斬りかかった。
鉄兜が黒いマントを棚引かせて突進しながら大剣を突き入れる。
山賊の頭巾が大斧を振りかぶり、上段から勢い良く切りつけた。
傭兵の兜が身体を駒のように回し、双剣にて連続で斬り掛かった。
「グオオオオオォォォォ!!」
然しものアビスデーモンも雄叫びを上げて、その猛攻に対して防御に回るしかない。
そして──
「光射す世界に 汝等闇黒棲まう場所無し」
最後に敵前に躍り出た男。石畳から引き抜かれ、未だ刀身から火を噴き出し続ける火継ぎの大剣を大上段から振り下ろし──大剣から溢れた炎の波がアビスデーモンに向かって奔る。
「グ、オオオォォッ……マダダ……マダ、シナヌ……!」
燃え盛る苛烈な炎がアビスデーモンに直撃し、その身体を炎上させ──
「渇かず、飢えず……無に還れ」
何時の間にか接近した男が、手のひらに生まれた炎をその悪魔の胸に叩き込んだ。
沸騰し沸き立つ熔岩のように、叩き込んだ浄火の炎が悪魔の身体からグツグツと溢れ出そうとし──
「──昇華」
溢れ出そうとする炎が臨界点を突破。爆発とともに炎が吹き荒れ、悪魔は炎の強烈な光に晒され白い影となったまま近くの家屋へと吹き飛ぶ。その場が火の灯りに満ちた。
崩壊した家屋から──アビスデーモンが起き上がって来る事は、なかった。
──さぁ 勝鬨をあげるにはまだ早い 人よ剣をとり立ち上がれ 涙を止める為に 今を生きる為に
──その心にまだ 理不尽に抗う気持ちが残っているのならば
『ウオオオオォォォォ!!』
□
「かっこよかった……本当に。その背中で、その意思で、その言葉で人に道を指し示す」
「聖者とはまさにあの人のような御方を言うのね」
「……ティナ?」
ラキュースが回想を終え、過去の記憶に浸るように目を閉じた。そうして何故かラキュースが自慢するかのように鼻を高くして、何事かをほざいた。
その一見すれば、聖者とかいう素性の明らかでない人物に心酔しているように見える危ない奴を前にして、イビルアイはティナに何とかしろと目配せする。
しかし、彼女はただ肩を竦めるだけ。
「今でも昨日のことのように思い出せるの」
「私を救ってくれた。あの背中こそ、私が目指すものだって」
「あぁ……聖者様は弟子なんて、お取りにはならないのかしら……そして、ふふ……いつかは……」
──彼女の脳裏では、重い運命を背負った男女が互いに助け合って世界の危機に立ち向かう場面が浮かんでいる。
場に奇妙な沈黙が続き──イビルアイが一つ咳払いした。
「確かにラキュースの話に聞く魔法の数々は、私の先生の魔法のそれとよく似ている。そして、信じ難いことに、そいつは私の知る大魔法らしきものすら操るようだ。……それで? その聖者様とやらは、その後どうしたんだ?」
「……」
「……」
「……ん? どうした?」
「それが……粗方、強力な悪魔をお片付けになって、ちょうど戦士長が広場に到着した事もあってか、先を急ぐと仰られてね……私も救出班が撤収したあとで彼方此方を探したのだけど……」
「……行方不明」
「……は?」
イビルアイのコメカミがピクリと、反応する。何でそんな重要な人物をそのまま逃したんだ、連絡先くらい引き出しておけよ、とツッコミが入りそうになる。
とはいえ、あれほどに特徴的な人物たちだ。ラキュースもティナも彼らの内、誰一人として探し出せないとは夢にも思わなかったのだ。唯一顔の割れていたパッチですら王都にいた足跡は影も形も無く、追うことは困難をきわめ、ついぞ辿れ無かったのだから。
恐らく、すぐに不可視可の魔法やら魔道具やらを使い、王都を離れたのだろうと考えられた。
「やっぱり、件の冒険者とはあまりに印象が違いすぎる。あの冒険者には大物のオーラがなかった。それに冒険者証が見えたけど、ただの金級。あの聖者とは到底思えない」
「そうでしょうね。だから言ったでしょ?」
そんなイビルアイの内心を知ってか知らずか、ティナは話を反らすかのように内容をすり替え、ラキュースに迎合する。忍者としてはやはり、情報戦や追跡で実質負けたと言う事を気にしていたのかもしれない。
ティナの言葉にラキュースは当然、とでもいうかのように頷いた。
「ハァ……何故お前はそんなに嬉しそうなんだ。しかし、その聖者とやらは話を聞く限りでは立派な御仁のようだ。……私の先生は話せなかったから筆談かジェスチャーばかりだったが、もっと雑で巫山戯たことばかり言う人だったからな」
「仮にその聖者が先生の血脈にあるとしても、こうも違いがあるのだな……」
そうどうしようもない人だった言いつつも、イビルアイの表情はどこか懐かしそうだった。
「やはりあの冒険者はただの他人の空似で……聖者こそが先生と何かしらの関係を持っている可能性の方が高いのか……」
イビルアイの懸念。あの冒険者と聖者は、先生との間にどのような関係を持っているのか。子孫にあたるのか、弟子筋に当たるのか。
──だが、本当にそうなのか?
先生が使っていた魔法と聖者の魔法。
先生と冒険者に共通しているという、酷似した容姿。
聖者が消えた場所にひょっこり現れた、先生に似た容姿の冒険者。
──今はまだ答えを出すことは出来ない、か……
一端、そう結論づけたものの、イビルアイの胸にはスッキリしないものがある。もしも聖者の容姿が確認できていたら、確信を持てていたのかもしれないが……残念ながら聖者はフードを目深に被っており、容姿を確認することが出来ていなかったことが悔やまれた。
「はぁ……聖者様は今どちらへいらっしゃるのかしら……きっと今も誰かを助け、導いているのでしょうね……くぅ〜! 私も世界を危機から救う旅がしてみたいわ!」
聖者様……と再び物思いにふけったかと思えば、何故か身悶えし始めたラキュース。
「鬼ボスがヤバイ奴になった……」
もしもティアがこの場にいればリーダーは元々ヤバイというツッコミが入っていたかもしれない。
「……それで? もういいか? 今度は私の話をしても」
イビルアイが苛立ち紛れに言い放つ。その声に不機嫌を悟ったのか、二人は態勢を整えるためにサッと身動ぎした。
「え、えぇ……ごめんなさい。お願い」
「ハァ……さて、どこから話そうか……そうだな。私が先生と出会ったのは────」