広大な敷地にある温かな泉。泉から登りたつ湯気が日本人のDNAに古くから刻まれている温泉好きの精神を刺激する。
ここはナザリック地下大墳墓第9階層、スパリゾートナザリック。VRMMOユグドラシルオンラインにおいて、ギルド、アインズ・ウール・ゴウンが古き良き時代に存在したと言われているスパリゾートをイメージして作った大浴場である。
此処、大浴場内は12のエリアに分かれており、男女合わせて9種17浴槽が配置されている。
最も大きいのがアマゾン河をモチーフにしたジャングル風呂、石造りで情緒感溢れる古代ローマ風の風呂、純和風で柚が浮かべられたゆず風呂。
他のメジャーな施設でも炭酸風呂、ジェットバス、低周波が流れていて入ると体が痺れる電気風呂、炭が浮かんでいる水風呂、サウナ、岩盤浴エリア、リラクゼーションルームなど完備している。
変わり種としては、見た目は美しいが体に悪そうな謎の光を放っているチェレンコフ湯、るし★ふぁーが女性陣の冷たい視線を気にもせず作った混浴の露天風呂などもあった。
──その大浴場の内、全体が純和風で造られた温泉地エリアにて。頭の上に畳んだ手拭いを乗せた白骨の美丈夫と、筋骨隆々の偉丈夫が口を半開きに、間抜けとも取れる蕩けた表情で浸かっている。
「うあ゛ぁ゛ぁ〜……ユグドラシルじゃスパリゾートなんて殆ど飾りでしかなかったけど、こうして現実になると作って本当に良かったって思うよなぁ……」
そんな、オッサン地味たダミ声をあげたのは、破滅したリアルから謎の転移を経てこの世界に降り立ったギルド、アインズ・ウール・ゴウンが至高の41人が一人。配下達からは不死の騎士とも呼ばれている男。
「えぇ……リアルではこんな湯に浸かるなんて贅沢も出来ませんでしたからね……此方に転移して来てから俺もスパリゾートにはよく来るようになりましたよ……」
それに返すのは同じくギルド、アインズ・ウール・ゴウンにおけるギルド長であり、ナザリック地下大墳墓に所属する者達からは至高の存在と崇められているモモンガ──この世界においてはアインズ・ウール・ゴウンと改名した死の支配者。
「そらぁ、リアルのスチームバスじゃ、こんなゆっくりすることなんて出来なかったしなぁ……」
「あれはただ体の洗浄の効率を突き詰めた作業でしたから……リラックスできる要素なんてどこにもありませんでしたよ……」
『はぁ……』
彼らがいたリアル──元の世界は殆ど破滅を迎えていた。地球環境は人間の生産活動によって尽くが汚染され、元来有していた筈の循環のシステムはとうの昔に破綻している。
連合企業と呼ばれる大きな権力を持った企業体が世界を支配し、国の枠組みはあれど政府は連合企業の顔色をうかがう有名無実の存在に堕ちていた。
行き過ぎた資本主義は格差を際限なく広げ、従来の社会システムは機能しなくなって久しい。
そんな生きづらくて仕方ないリアルで育った二人は、この自然溢れる世界に転移して来て以来、方や自らとその仲間達の生存領域を確保すべく、方や自由を満喫しつつ欲の赴くままに過ごして来た。
「しかし、ゲヘナな……必要なことだったんだよな」
男がやや硬質な声音で言う。思い出すのは本日執り行われたゲヘナにおける成果の確認と、作戦に参加した人員への褒美の授与の場面。
「そう思いたいですね……正直、配下達の期待に引きづられた所もなくはないですが……それでナザリックの皆がこの世界で生きていけるなら必要なことだったと俺は信じたいです」
「そうだな……しかし、アレだな。配下達の俺らを見る目はちょっと……いや、かなり補正が入ってるよな……ゲヘナを立案したのはデミウルゴスの筈なのにいつの間にかモモンガの計画の内になってたよな……」
「えぇ……こちとら小卒ですよ? 皆が思ってるような深謀遠慮なんて端からないのに……」
『はぁ……』
それは心労から来る溜息か。それとも温泉の魔力によるリラックスによるものか。
「……それと、その、少し聞きづらいんですが……ユリとのことはどうするつもりですか? 現状、彼女とも関係を持っていますよね?」
モモンガが気にしていたのはここ最近になってナザリック内で噂になっている事柄について。どうにも、かつてのギルドメンバーやまいこの残したNPCであるユリ・アルファと眼の前の男は男女の関係にあるらしい。
モモンガ自身、ナザリック内での恋愛が禁止などという固いことを言うつもりは毛頭ない。それらは当事者同士の意思によるものだし、ナザリック内の秩序を乱さない範囲であれば好きにしたらいいとも思う。
しかし、頭にあるのは何時だったか遠見の鏡で見た光景。男とクレマンティーヌとの情事。友人のセックスなんて見たい訳ではなかったが、見てしまったものは仕方ない。だが、見てしまった事は絶対に内緒だ。
──どうやら、この眼の前の友人は眷属にした女と友人の子とに、二股を掛けているようなのだ。なんて奴だ、とリアルでの常識を持っているモモンガは思う。
「……ハハ、本当……どうしたらいいんだろうな。正直、どうしたらいいのか分からない。アレも、復活させた時から俺と同じ不死人で、配下やら眷属になってるらしいから。いまさら見捨てるようなことはな……」
「そうですか……幸いと言うべきかは分かりませんが、ゲヘナでの決闘以来、彼女たちの関係はある程度落ち着いているようにも見えます。ユリの雰囲気も大分変わりましたし……」
ゲヘナ以前では仕事に忠実で、常に冷静沈着なユリには珍しく、時に刺々しかったり、陰鬱な空気を身に纏っていることがあったのだ。それが今ではアンデットであるのに仕事は勿論のこと、スキルアップや自分磨きにも精力的で、活力と自信に満ち溢れているようにも見える。
有り体に言えば、ユリは主に相応しい存在になるべく、周囲にも変化がわかる程、以前にも増して向上心の塊になっていた。
「……でも。それでも俺にとっては
「……精一杯、気をつけるよ。言ってくれて、ありがとう。……てか、モモンガ、こっち来てから随分言うようになったなぁ。前は皆からも一歩引いてたのに」
「え……あぁ!! すっ、すみません!!」
「全然良いことだと思うけど。そっちの方が俺は楽だ。友人ってのはそういうもんだろ」
「そ、そうですよね。ふふ……」
骸骨となり表情こそ分かりにくかったが、男にはその雰囲気が何処と無く嬉しそうなものに感じられ、不思議に思った。
「……ついでに俺からも聞くが、そっちはアルベドとシャルティアとの関係はどうするつもりなんだ?」
と、意趣返しとばかりに、男が意地悪げに口元を歪ませる。
その質問に内心の懊悩を見透かされた気がした。ゴホッ、ゴホッと息をしていないにも関わらず、モモンガは咽る仕草をした。
「な、何もありませんよ、特には……ちょっと俺にはそんな関係はまだ早いと言うか……俺ももう、どうしたらいいのか。それに、ほら。俺、ホネですし……男女の関係なんて……」
「ホネ、か……」
「ホネですね……」
アンデッドの体は便利な点もあるが不便な所もある。異業の身体は今の所便利に思っているが、人間的な感性の欠落であったり、半強制的な精神の沈静化、生殖能力の喪失は場合によっては不便とも言える。
それらは戦闘においてはメリットにもなり得るが、平時においてはそれが原因で苦悩することもある。
「そうかぁ……ホネじゃなぁ、やれる事もやれねぇもんな……」
「ハハハ……心配してくれるのは嬉しいのですが……俺はまだアナタみたいに割り切れませんし……」
モモンガにとって配下たちは、友人達の残していった子どもに他ならない。それだけ、モモンガの中では友人達との思い出が神聖化されており、それに附随する物、記憶や遺物、意思は穢してはならないという意識が強い。
ただ、一方で想いに応えられるのであれば応えたい、という気持ちも無くはないのだろう。一歩踏み込んでしまえば、これ迄の関係が変わってしまう事や、自身がアンデッドである事で相手にも苦悩を強いる事を怖れているように男には見えた。
「……ま、そういうのは追々か」
「はい?」
「なんでも。はぁ……にしても今日のゲヘナの成果報告は疲れた……」
「えぇ、本当に……」
静かに溜息をつくと、暫くの間沈黙が続いた。彼らはそれぞれに今日の出来事を回想しているのかもしれなかった。
□
「──以上が、作戦名ゲヘナにおける成果となります。総評としては──」
ナザリック地下大墳墓第十階層、玉座の間。その最奥にはワールドアイテムである諸王の玉座が鎮座している。その玉座にはアインズ・ウール・ゴウンことアインズが座しており、その隣には不死者の騎士こと──配下たちからは御方と呼ばれる男が立っている。
高座となった玉座より彼らが見下ろす視線の先。そこにはアインズや男たちがゲーム内で作ったNPCたちやナザリックに属するモンスターたち──何の因果か現実に受肉し、命を得た配下たちが跪いている。
「うむ。皆、ご苦労であった」
重く、威厳のある声を上げるが配下たちへと掛けられる。その苦労を労う言葉だけで、配下たる彼らには活力が漲る。
──そして、この場において報告の責任を負っているのは階層守護者であり、ゲヘナを発案、そして実際に指揮した存在であるデミウルゴス。
「はっ! この作戦において至高の御方々の偉大さをより一層全下僕たちへと示し、それと同時に愚かな人間どもには深く刻みつけることができたと愚考いたします」
ゲヘナ──デミウルゴス曰く、作戦には王国の財・物資の収奪、八本指への報復と制圧の隠蔽、王国に住む人間たちの拉致、そして『魔王ヤルダバオト』と『英雄モモン』のサーガの一節を人々の記憶と記録に刻むという目的があった。
また、本来作戦には含まれていなかったが、デミウルゴスが急遽シナリオを組んだ結果、そのサーガから派生する形で悪魔から人々を救う聖者の物語の序章もオマケとして付随することになった。
「うむ……リ・エスティリーゼ王国の一件では皆よく其々の役目を果たしてくれた」
アインズの鋭い視線が配下へと注がれる。それを受け、デミウルゴスは歓喜と感動に打ち震えながら口を開いた。
「勿体なきお言葉。当然の責務を果たせた事、心から安堵しております。……しかしながら、全て御方のご配慮と支援の上に成り立つ成功であったと内省しており、御方々へは深い感謝の念に堪えません」
デミウルゴスは深く頭を下げる。
「そう俺たちを持ち上げる必要はない。得られた成果はお前たちが齎したもの。そして、そう自ら考え努力したのはお前たちであって、俺たちではない。俺たちはただ組まれたシナリオに登場するキャラクターとしての役割を果たしただけだとも」
アインズの隣に立つ男がそう言い、居並ぶ下僕たちを労った。
「──そして、成果を成した者には相応に報いなければならない。それが支配者たる役目。俺たちにはその義務がある」
「うむ。彼の言う通りだ」
アインズが発した、男を肯定する言葉にデミウルゴスは頭をたれたまま、ただただ恭順の意を示した。
それはさながら、絶対なる支配者に心酔する臣下の如き姿。事実、彼らの中ではそれこそが正しい在り方だった。
「故に私たちは労をねぎらい、お前たちに褒美を与えよう。名を呼ばれた者は前へ──セバス、ソリュシャン」
『はっ!』
名を呼ばれた者が前へと勇み出て、誇らしげに、賜われる言葉と褒美を待った。
そして──
セバスは、リ・エスティリーゼで保護したツアレの衣服と生活の基盤を整える許可を。
ソリュシャンは、生きた人間を幾つか。無垢なる者を所望したが、それについてはアインズに却下された。
エントマは青の薔薇、イビルアイとの再戦の機会を。彼女との戦いで失われた口唇虫を得るため、イビルアイの声帯を奪ってやるという決意に溢れていた。
順々に褒美が与えられてゆき……プレイアデスの三名の名が呼ばれた。
「ユリ・アルファ、ルプスレギナ・ベータ、シズ・デルタ、前へ」
「さて、お前たちは魔王ヤルダバオトの配下としてゲヘナに参戦することで、人間たちにヤルダバオトの脅威を刻み込む一助とした。望みを言うがよい」
「はい、アインズ様。では、私は──」
「貰えるなら、──がいい、です」
ルプスレギナとシズが主に褒美を願い出る。……しかし、もう一人その場に居る筈のユリから望むものを述べる言葉はない。アインズが訝しげに尋ねた。
「……どうした? ユリ、願いを述べよ」
「恐れながら……望むものは身に余る願いしかありません。褒美につきましては御方様に個別にご相談したく存じます」
「は?」
ざわり、と玉座の間でざわめきが広がった。それはつまり。下僕たる己たちにとって過分な願いとは、至高の御方々に関わることに他ならない。
そして、玉座の間に集められた配下たちは皆知っていた。ユリが御方の寵愛を受けており、至高の御方の子という特別な存在が遠く無い未来に現れるかもしれないことを。
「うむ……? まぁ、よかろう。ならば我が友に相談の後、望む褒美を願い出るがいい」
「え、ちょ……」
「はっ! 多大なるご配慮、心から感謝いたします!」
しかし、そこらへんの事情にまで思い至らなかったアインズは願いの内容は気になったものの、そういうこともあるか、と対応を側に立つ友人へと任せた。もとより、現在のユリは友人の側仕えなのだし、と。
対する男は、何処と無く憮然とした心持ちで、どんな要求を突きつけられるのかと、内心ではヒヤヒヤしていた。
──と、一部玉座の間がざわめくこともあったが、その後は順当に配下たちへと褒美が下賜されていった。
「──これにて褒賞の儀を終える。次にアルベド、デミウルゴス。今後のナザリックの方針について、皆にわかるように説明せよ」
□
……というのが、本日あったゲヘナの報告会、並びに褒賞の授与の場であった。
モモンガは配下たちから向けられる期待による重圧に、もう一方の男は側仕えであるユリから何を要求されるかの不安に。
『はぁ……』
図らずも揃って男とモモンガは溜息を再びついた。最早、その原因が日常のストレスにあるのか、温泉のリラックス効果にあるものなのかは分からない。
「てか、ホネだと風呂入っても隙間まで洗うの大変じゃねぇ?」
「いえいえ、そんな事ありませんよ。確かに転移当初は大変でしたが、今は三吉君というスライムがいますから。あぁ……そういえばこの前なんかソリュシャンが──」
広大な空間に響くのは、遠くの打たせ湯の水飛沫に、滔々と湯船へと注がれる湯が跳ねる音。それに高い湿度のせいかやや籠もったように聞こえる二人の会話の残滓。
湯に煙る影に時折交じる笑い声。仲間達の残した温泉郷。湯の熱はこれ迄の疎遠がちになっていた旧交をも温めることだろう。
温泉とは日本人の心。
転移前の世界ではスチームバスに慣れた二人であったが、湯への欲求というものはDNAにまで刻まれているのかもしれなかった。
つまるところ、二人はこの場をナザリックの仲間とも共有したいと考え始めていたのだ。
□
「──守護者統括アルベド、並びにナザリック最高の智者デミウルゴス。今後のナザリックがどのような行動をとるべきか皆にも分かるよう方針を説明せよ」
玉座の間に威厳に満ちた声が響いた。
それに応えるのはナザリックの各階層を守護する階層守護者を統括するアルベド。そして、その隣にはインテリヤクザ然とした丸眼鏡をかけた鋭利な顔立ちの男が立っている。
デミウルゴス──ナザリック大地下墳墓第七階層守護者であり、智謀に優れた最上位悪魔だ。
「畏まりました」
そして、この声を上げた男こそ、このナザリック地下大墳墓における最高の智者。当人は至高の御方の智謀には足元にも及ばないと謙遜するが、アインズと男からしたら何でその時だけ思考に変なバイアスがかかるんだ、と悩みの種になっていた。
そのデミウルゴス曰く、ゲヘナにおいて八本指を制圧したことで王国の裏社会を掌握した。つまり、王国の影を支配することで、影響力を発揮する事が出来るという。
影から圧力をかけ表の世界を動かし、自分たちに利するように状況を操作する事も容易くなる。そして、それは悪魔たる自分が得意とする領分であり、そのための準備は既に進んでいる、とデミウルゴスは述べた。
その堂々とした振る舞いにアインズの感心が高まり、男は朗々とした演説を聞いて面白そうに笑みを浮かべた。
──うむ、素晴らしい。その明敏な智謀、そして深い見識はまさにナザリック大地下墳墓の頭脳に相応しい、と。
「さて諸君」
智謀の悪魔が腕を広げ、皆に語りかける。
「王国の裏社会を支配……統治することによってアインズ様の主たる目的である世界征服の足掛かりが得られた」
しかし……ん? と、アインズの思考に空白が生まれた。
「分からなかった愚か者は、この中にはいないね?」
「ほぅ……デミウルゴス。モモンガがそれを望んだと?」
愚か者はいないな、という威圧のある賛同を促す言葉。もう一人の至高の存在である男は過熱するそれに水を差すように、そもそもの疑問を呈した。
「お戯れを、御方様。そして、はい。アインズ様はあの時、確かに世界征服なども面白い、と。その時、私はこの世界という宝石箱を必ずや至高の御方々に献上することを誓ったのです」
しかし、デミウルゴスはその問いに苛立つ事などなく、力の籠もった言葉で応えた。
宝石箱──それはナザリック地下大墳墓がこの世界に転移してきて間際に、夜空に昇って見た世界の姿に思いも知らず出て来た言葉だった。
アインズ・ウール・ゴウン。それを体現しようとする骸の姿をした男はその言葉を心の内側で反芻し、思考を止めた。
「……あぁ、あの時の話か」
「はい、このデミウルゴス。至高の御方のお言葉は一言一句忘れる事などありません」
「そ、そうか……私は嬉しいぞ、デミウルゴス」
デミウルゴスの溢れんばかりの忠誠心に、アインズは苦笑を浮かべるしかなかった。男も同じく苦笑いを浮かべているが、デミウルゴスの言葉の本気度のせいで茶化す事も出来ないようだった。
そして最上位悪魔たる彼は、その明晰たる頭脳をもってナザリック勢力が取るべき指針と提案を示す。
曰く──我々、ナザリックは表の世界に進出し、建国を目指すべき、だと。
ナザリックの特性。構成員たる多数の異形種、亜人種、モンスター達を鑑みるに他国の傘下に下り所属することは困難を極め、仮に所属することになったとしても行動を大幅に制限されることが予測される。
故にこその、建国である。
それを耳にした配下たちは興奮気味に騒ぎ出す。多くは考えもしていなかった事であったが、一部──御方に側仕えしているユリ・アルファなどは、したり顔で何度も頷いていたりした。
何故なら彼女に至っては、既にその思考の一旦を見聞きしており、既知であったから。
だからこそ、ユリはやはり至高の御方々は何処までも先を読んでいるのだと崇敬し、思慕の念を深くした。勿論、男の予測、というより空想が当たったのは偶然でしかなかったのであるが──
□
「あ゛ぁぁ……」
「やっぱり、温泉はいいですね……」
今日も今日とて、男とモモンガはスパリゾートに来ている。湯煙に沈む2つの影。今回は配下である男性の領域守護者を誘ってである。
しかし、この場にはまだ守護者たちの姿はない。二人は守護者たちに先んじて入浴しており、彼らを待っていた。聞けば配下たちはスパリゾートを利用するのは初めてのようだ。
元来、スパリゾートは至高の存在たちが自身のために作成した場、幾ら立ち入る許可を得ていたとしても一個人で使用するのは憚られたということなのだろう。
マーレについては第6階層の守護者であり、そこには彼と姉であるアウラが住むツリーハウスもある。マーレ自身、態々、一人でスパリゾートに来るような気質でも無かった。
一方、デミウルゴスが最も温泉に入りそうではあるが、彼も本来の種族は悪魔。溶岩の流れる第7階層に住居を構えていることもあって汗などそもそもかかないし、身についた汚れるは魔法で綺麗にする合理性を重視していた。
第5階層氷河の領域守護者であるコキュートスにいたっては湯は拷問に近いだろう。その身は冷気を纏っており、本来熱は不要なもの。スパリゾートにクライオサウナがあれば身に合うのであろうが……
そしてセバスだが……夜はだいたいツアレと一緒にいるようだ。つまりは、部屋付きのバスを使っているのだろう。
「アインズ様からの回覧板には、ここに至高の御方々がいらっしゃるとのことだったが……」
「ウム……オトコドウシノ、ハダカノツキアイラシイ。サソッテイタダキ、アリガタイコトダ」
「で、でも、なんかちょっと恥ずかしいですぅ……」
「男同士なのですから。何も恥ずかしい事などありませんよ、マーレ様」
と、二人のいるスパリゾートの入口からこの場に招待した配下たちの声が聞こえて来たのだった。
一人は細見ながらも筋骨逞しい肉体、一人は老いながらも無駄のそぎ落とされた大木のような肉体。また一人は普段と何ら変わりのない姿、そして最後の一人は普通の子どもと変わらないような体。
周囲を見回して、マーレだけは他の者と異なり、恥ずかしいといった感情を顕にしていた。
「ふむ、来たようだな」
モモンガが顔を上げ、話し声の聞こえる方向──入口付近にいると思われる守護者たちの方を向いた。
判然としない湯気の向こうからこちらに歩を進めてくる人影は、直ぐに二人が見える位置まで進んで来た。
「こ、これはアインズ様、御方様。お待たせしてしまっていたようで申し訳ございません」
腰に手ぬぐいを巻き、集団の先頭にいたデミウルゴスが頭を垂れる。それに合わせて他の守護者たちも頭を下げた。
「かまわん。私達が湯を楽しむために一足先に来ていただけだ。待たせられた、という認識などないとも」
「それよりも待つことなく先に入ってしまっていてすまんな」
鷹揚に手を振りながら、モモンガが声をかける。一方の男は守護者たちを待つこと無く、先に湯に入っていたことを詫びた。
「滅相もありません。このナザリック地下大墳墓は至高の御方々のために存在する地。どうか、我らにお気を使う事などなさりませぬよう、御方々の意のままにお過ごし下さいませ」
と、返したのはセバス。
「む、そうか……まぁ、お前たちもここでゆっくりと、普段の疲れを癒してゆくといい」
「ふぅ──」
「ほぅ──」
男の口からリラックスを含むため息をつくと、つられたようにモモンガの口からも吐息が漏れた。
「はわわ」
至高の存在である御方々が、心地よさげに蕩けた表情を見せた。その光景は守護者たちをして初めて見るものであった。
守護者たちの視点では、そこに存在したのは一糸まとわぬ芸術。白の極みとでも言うべき白骨の美丈夫に、女性にとっては目の毒となるであろう肉体美の魅力を垂れ流す威丈夫の姿。
同じ男性とはいえ、守護者たちは普段、見ることの叶わないレア過ぎる姿に息を呑んだ。
女性陣がこの場にいれば、赤面するどころか、それこそ理性を失うだろう事は想像に容易い。特にアルベドとシャルティア。
──そして、そんな至高の存在たちが普段張り詰めている気を開放し、リラックスする事のできる場に下僕たる自分たちが招かれていることに守護者たちは感激した。
ナザリックの支配者たる至高の存在たちと肩を並べ、同じ湯に浸かるなど本来であれば恐れ多くて遠慮しなければならないところである。しかし、彼らの主であり、四十一いる至高の存在たちの盟主でもあるアインズからの誘いである以上、遠慮するのは逆に不敬というもの。
「じゃ、じゃあボクも失礼します……」
と、マーレが早速アインズの側に行こうとし、湯に足を入れようとしたが──
「む、マーレよ、待て。入浴の手順はわかるか? まずは体を洗ってから、な」
「あっ、えっ、ご、ごめんなさいっ!」
それは誘蛾灯に誘われるが如く。マーレは忘我の心地で湯、というよりは至高の存在の色香に引き寄せられ、マナーを失念していたようだ。
まるで親に叱られた子どものような雰囲気を漂わせたマーレは、主の指摘を受けて不安そうに主の顔色を伺った。
そんなマーレの姿に軽く笑いながらアインズは横の男に声をかける。
「マーレの体を流してきます」
「ん? そうだな……せっかくだ、俺も行こうか。こうして交流しつつ、部下たちを労うのも悪くない」
そう言って二人も立ち上がり、浸かっていた湯船から身を引き揚げたのだった。
──そしてそれから僅か数分後。至高の存在はポーズこそ異なるが同じように頭を悩ませていた。
「な、なんということだ……」
頭を抱えているモモンガ。
「えぇ。非常にまずい状況です」
淡々と答えるデミウルゴス。
「……(オロオロ)」
そして、どうしていいかわからずにうろたえるマーレ。
「まさか女湯に、るし☆ふぁーのゴーレムが配置されてるなんてな……俺らも知らなかったぞ……」
男が眉間を指で押さえながらため息をつく。
偶然なのか、それとも男性守護者たちがスパリゾートに招待された話を聞きつけたのか。アルベド、シャルティア、アウラが女湯に入場し、どうやらそのまま誰かが身体を流す事なく湯に入ってしまったらしい。
『マナー知らずに風呂に入る資格はない』
『これは誅殺である……!』
「ごっ、ゴーレム?!」
「ちょっ、アルベド……!」
「チッ……オラッ! くたばれ、ゴーレムクラフトのクズ野郎……! 死ねぇぇぇ!!」
隣の女湯からはアルベドの怒声が響き渡り、バッシャン、バッシャンと水音が盛大に鳴り響いている。
どうやらゴーレムに対して攻撃をしているようだが、男湯からは激しい戦闘が行われていることしか伺い知ることができない。
「……モモンガ」
「……えぇ。お前たち、装備を整え女湯に突入するぞ!」
『ハッ!』
せっかくの交流会が騒動となってしまい、男とモモンガはトラブルメーカーだったギルメンを思い出し、特大のため息をついたのだった。