ナザリック地下大墳墓第9階層にある、贅を凝らした空間。ここは至高の41人が一人、ナザリックの配下たちからは不死の騎士、御方様などと呼ばれている男の領域が存在する。
元々、ギルド、アインズ・ウール・ゴウンに所属していたメンバーには第9階層において、其々にルームが割り当てられており、各々が個人の趣味、キャラクターのロールプレイの一環として、好きにカスタマイズしたプライベートルームを所有していたのだ。
その部屋の主たる男も、ユグドラシルのゲーム時代には一応は不死の騎士としてのロールを踏まえ、重く、威厳を感じさせる造りで室内をカスタマイズしていた。
──そんな男のプライベートな領域といえば、一言でいえば古城の一室を彷彿とさせるゴシック調の造りであった。
一面、黒を基調とした壁に、濃い紫をアクセントとした室内は上品かつ厳かな雰囲気で満ちている。壁に据えられた巨大な書架には何だかよく分からない重厚な背表紙の本たち。中央に配置されたテーブルや椅子といったアンティーク家具。部屋の一辺には大きな暖炉が設置されており、その中では不死人の象徴たる捻れた剣を中心として煌々と揺らめく篝火が焚かれていた。
それら幾つかあるプライベートルームの内の一つ。男のいる寝室の中央奥には精緻な装飾の施されたキングサイズのベッドが存在感を示すように置かれており、その横には黒檀で作られた重厚なサイドテーブルが置かれていた。
そしてその上には黒いクリスタルの灰皿があり、その中には既に吸い終わったのだろう煙草の吸い殻が幾つかと、灰が入れられていた。
豪奢なベッドの上で大の字で寝転がる男の口元には薄暗い部屋の中ではやや目立つ赤い点の光源、火のついた煙草が咥えられている。
「……」
ふーっ、と紫煙を吐きながら、男は天井をぼぅっと見つめる。そこには黒い太陽を中心に、歴代の薪の王たちの姿絵を象った絵画──るし☆ふぁー作があった。
激しく燃える火の中に佇むグウィン。
古びた玉座に座するクールラントのルドレス。
隊列を成す深淵の監視者、ファランの不死隊。
深海の時代に絶望し神を喰らったエルドリッチ。
罪の炎により滅びた国を独り守り続ける巨人ヨーム。
そして、名も無きただの不死。
溜め息のように吐き出した、くゆる紫煙が昇り拡散して消えていった。
幾ら金がかかっているのかも分からない寝台の上で寝タバコをする男。その灰が寝台のクロスの上に落ちることも気にせず、ただただ、ぼぅっと天井の絵を眺めていた。
というのも、男は奇妙な喪失感を感じていた。それは友達や恋人との楽しい旅行から帰ってきた時のような寂しさ、唐突に一人になってしまい何をしたらよいのか分からなくなってしまった時の感覚に似ている。
今、この場には普段であれば居るべき二人の存在のうち、二人ともがいない。
二人揃えば喧しく、姦しい。しかし、そんな日常にも慣れて来ていたのだろう。周囲が静かだと、どうにも物足りなく感じてしまっていた。
当の此処にはいない存在──
クレマンティーヌはナザリックに行くのは御免だとばかりにエ・ランテルで留守番することになっていた。というよりも、男が連れて行こうと考えている内に、何処かに消えてしまっていた。どうにも逃げられてしまっていたようである。
ユリについては、ナザリックに戻って来るまでは一緒だった。ただ、其処でモモンガから注意を受けたのだ。
ナザリックの配下たちは自身の休息を度外視して、働く傾向が強い。男はナザリックに帰還した際にモモンガから聞かれた、ユリはちゃんと休んでいるのかと。思えば、ユリが側仕えになってからそれほど長く経っている訳ではなかったが、殆ど無休状態であることに、そこでようやく気づいた。
……故に、男はユリに暇を出した。無論のこと休みをやる、という意味ではあるのだが、男は少しだけ誂う意味で、説明なしに暇をやる、と伝えると彼女はポカンとした表情でハラリと涙を流し始めた。
男はギョッとして、慌てて休みをやるという意味だと訂正したが、側仕え解雇、という冗談はユリにとって非常にショックが大きいものだったようだ。その後、安堵したように微笑みを浮かべたユリには流石の男も心が痛んだとか。
──ということもあり、今は二人が近くにいないのである。
勿論のこと、まるっきり一人、という訳ではない。今は、ヘロヘロやホワイトプリム、ク・ドゥ・グラースが作成した41人いる一般メイドたちの一人が部屋の隅に控えている。
最初、男はモモンガに付き人はいらない旨を伝えていたのだが、却下されていた。曰く、貴方だけ楽をしよう、自由に過ごそうったってそうはいかない──とのことらしい。もしも男が部屋の隅にいる彼女に声をかければ、直様反応を返してくれることだろう。
因みに、今日、付き人をしてくれているのはインクリメント。茶髪オカッパの美人で、読書が好きらしい。物静かな印象があり、男がチラリとそちらに視線を向けたが彼女は目を伏せたまま微動だにせず、ただ控えているのみ。
何度か会話を試みたが、確かに反応は返ってくる。ただやはり遠慮があるのか向こうから話し掛けて来るような事はない。まぁ、この辺は慣れもあるのだろうが。──まとめてしまえば、会話の盛り上がりに欠けると言う事だ。
口に咥えた煙草から、また一欠片、灰が零れ、高級感溢れる黒のクロスを薄汚す。男がそれに気づくも、特に気にした様子もなく、パッパッと手で払い床のカーペットに散らした。
──コン、コン
その時、部屋の扉がノックされた。男は起き上がり、口から煙草を離すと、ようやく灰皿へと灰を落とす。紫煙を吐きながら入室の許可を与えた。
「失礼いたします」
扉を開けて入ってきたのは見知った顔の女性──現在、休暇中の筈のユリだった。そのユリはどうやら休暇中でも侍従服を着用しているらしい。そのワーカーホリック全開の精神に、男は心配になった。
「……」
「どうした?」
ユリが鼻をスンと鳴らし、部屋に充満する匂いに眉を顰める。
「……御方様。せめて室内で喫煙するのはおやめください。せっかくの美しい内装に匂いと汚れが染み付いてしまいます」
「そんなの誰も気にしないだろ……」
「掃除する私たちが気にします」
ユリがピシャリと言い放つ。男は弱ったように眉尻を下げ、その圧力に何も言い返すことが出来ず押し黙った。そして不承不承、灰皿に煙草を押し付けて火を消す。
「もしや寝タバコはしていませんか? でしたら、おやめください。危険です。──……あっ。シーツに灰が! っ、カーペットにも!」
もうっ、と第一位階の魔法である《清潔》を発動し、カーペットや寝台のクロスに薄く散らばった灰を消し去った。続けて《消臭》の魔法を連続で発動し部屋に満ちる悪臭を一掃する。
「……あー、すまんな」
男が居心地悪そうに謝罪すると、ユリは本当に仕方が無い御方だといわんばかりに、庇護欲に満ちた呆れ顔という複雑な表情を浮かべた。そして主を追い払うように寝台から退けると、念の為にベッドのシーツを新しい物に交換するために剥ぎ取り、腕に抱えた。
「インクリメント」
「は、はいっ」
「あなたには厳しい事を言うかもしれないけど、私は主に似つかわしく無い行動を自覚して貰うのも側仕えの役目だと思っているわ。特に御方様は不羈奔放な所があるから、しっかりなさい」
それと、例え何かしらの注意を促そうと、その事で御方様があなたを疎むようなことは無いから安心なさい、と。
男は別にそれくらいで疎んだりはしないけど、それを認めてしまうと周りがどんどん厳しくなっていくんじゃ……というか、常識がない奴扱いされてない? と心の中で思った。
「はいっ、ユリ姉様!」
対するインクリメントはキラキラした目でユリを見ている。恐らくは、主へと毅然と意見を物申す姿に驚き、そしてそれが許されているユリに尊敬の念を抱いているのだろう。
「……それでユリ、本当に何か用か? 今日のお前は休暇の筈だろうに」
「……休暇は先程終わりました。日を跨ぎましたので」
男がチラリ、とサイドテーブルの上にある懐中時計──特定の魔法を一日に複数回行使可能なマジックアイテム。地味に高額課金アイテム──に目をやると確かに何時の間にか日を跨いでいた。
「元々、ゲヘナの褒美の相談にと伺ったのですが……どうにも御方様は身の回りを含めて、やはり私が支えなければならないということが分かりましたので。現時点を持って職務に復帰したいと思います」
「それはいいが……インクリメントがいるだろ。交代の時間とかあるんじゃないのか?」
「……」
痛いところを突かれたという風に、一瞬だけ表情を歪めたが、直ぐに普段のクールな態度を取り繕う。
内実、至高の存在のお世話当番というのは皆張り切って事に当たっているので、途中で交代! となったら当番のメイドはブチ切れることになる。少なくともユリが誰ぞに言われればブチ切れる自信があった。
なので、インクリメントにもう私が仕事に復帰するから戻っていいよ、などとはユリ自身、口が裂けても言えなかった。
「……それで褒美のご相談だったのですが」
「スルーしたな」
「褒美のご相談だったのですが」
何事も無かったかのようにユリが続けた。彼女の眼には『その話は終わった』という強い意志が見て取れ、男にはユリを翻意させることが出来ないことを悟った。
「……分かったよ。で? 何が望みだ?」
男は諦めたように額に手を当てると、ユリに先を促した。ユリは一瞬だけ、インクリメントに視線を向けたが、特に何か言うことはしなかった。ユリが主の前にて跪き、願いを述べる。
「では……恐れながら申し上げますと、リングオブアインズ・ウール・ゴウンの下賜と使用許可を頂きたく思います」
「……それは……」
リングオブアインズ・ウール・ゴウンとはナザリック外から内部へと一気に転移が可能になる指輪型アイテム。
その特性上、指輪を紛失したり、奪われたりすると、それがナザリックへの侵入経路となる可能性がある。そのため、男は、モモンガが指輪を持つ配下たちに対してもナザリック外への持ち出しを禁止していると聞いていた。
「……リングオブアインズ・ウール・ゴウンはナザリックの最重要アイテムの一つ。それを所持することは私共にとって非常に重要な意味を持ちます」
曰く、指輪の保持は主からの信頼と親愛の証と捉えられると。ユリはそこで一旦言葉を切り、続ける。
「アインズ様が危惧されている事については承知しております。しかしながら、このアイテムの保持者であれば転移を使用して即座に外部からナザリックに帰還することも可能となります。また、御方様の身に不測の事態が起こった際にも迅速に駆けつけることが可能になるかと」
「……」
確かにそれは彼女たち、ナザリックの配下にとっては非常に重要な事なのだろうと男も理解する。しかし、それでも男がユリの願い出に対して首を縦に振ることは出来ない。それだけリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを所持することに危険が伴うからだ。
「ナザリック内で使用する分には保持も、許可を得るのも難しくはないだろうが……ナザリック外からの転移については階層守護者どころか、守護者統括すら許されてはいない。その意味を知らない訳じゃないだろ」
「……っ」
ユリが言葉を詰まらせ、唇を噛む。その表情には、やはり許可は出してくれないかという諦めの色が浮かんでいた。
ユリにとっては、男の身の安全が第一に考えなければならないことだ。もしも敵対する存在から襲撃されることがあり、その場に盾となるユリ自身がいられなければ、絶対に後悔することになるという焦りがあった。
現に、先日聞いた、男が過去へと転移した事情──たった一人で強大な竜に挑んだと聞いた時は尊敬や崇拝の念よりも、心配と焦燥、そして、その場にいられなかったことへの落胆が勝ったのだから。
「……モモンガには伝えておく。ただ期待はするなよ」
「……はっ」
だから、ユリは何時でも主の元へと駆けつけられるように状況を整えておきたかったのだ。ユリとて他にもするべき仕事はある。四六時中、側使えとして主の身の回りのお世話が出来る訳ではないのだから。
幾分か気落ちしたような、しかし、それを上手く隠した硬質な声音だった。部屋の隅で控えていたインクリメントがハラハラしたようにユリと男との間で視線を行き来させる。
「……インクリメント、少し部屋の外にいてくれ」
男がそう言うと、彼女はハッとしたように頭を下げ、剥がされたシーツをユリから受け取るとそそくさと部屋を出て行った。バタンという扉の締まる音がやけに大きく室内に響いたような気がした。そして部屋には男とユリの二人だけが残される。
「……ふぅ」
男は肺に溜まっていた空気を吐き出すように息を漏らした。その溜息には疲れ、緊張を弛緩させたような色が多分に含まれていた。
「御方様?」
「いやな……ユリが俺の身を案じてああ言ってくれたことはよく分かってるつもりだ。お前の考えていることはだいたい予想はつく」
「……」
「モモンガからも言われた。平行世界もしくは過去への安易な転移は避けるようにってな」
それから楽にしていいぞ、と男は言ったが、ユリは無言で傅いたままだ。それを見た男はユリが意固地になっていると判断した。ならば、と。ただ、彼女の目を見て話を続ける。
「これは俺の我が儘でしかないんだろうが……やはり俺はどうにも組織で働くというのが向いていないらしい。ユリは安全なナザリック内に居てもらいたいと思っているんだろうが……」
「……」
ユリは黙ったまま。しかし、不安気な空気を感じる。それでも男は言葉を続ける。
「一所にジッとしているのは性に合わない。だから、俺はナザリック外での活動をメインにするつもりだ。勿論、ナザリックに戻って来ないと言う事ではない。やはり、此処は帰るべき家だしな。それに……いや、それはいいか」
ふと、頭に過ぎったのは、金色の髪をショートボブにした女との約束。知らず、男の頬が苦笑するように若干緩む。
「……何でございましょうか?」
その男の様子からユリがあからさまに不機嫌な様子で口を開いた。男は咳払いして、緩みを正した。
「……ンンッ、いいや……ユリは俺の身に万が一のことが起こることを想定しているだろう? 確かにそれは否定できない事だし、その可能性は十分にあると思っている。ただ、俺はそう簡単に死ぬつもりはないからな」
「……」
ユリが無言で男を見つめる。その表情は男の真意を見極めようとしているかのようだった。男はその視線を受け、真摯に答えることを決める。
「それにな、ユリ。俺はもうリングオブアインズ・ウール・ゴウンをモモンガに渡してある」
「な、それはっ」
それはつまり、万が一の事があってもナザリックの弱点にならない為のこと。そして、モモンガが指輪を受け取っていると言う事は、ナザリック外での活動が今後中心になる事や、その危険性についても既に了承しているということに他ならない。
「俺の活動方針上、お前もずっと側使えしている訳にもいかないというのは分かっているだろう?」
「それは……」
「はっきり言うが、外で活動する俺に四六時中ついて回っていては、他の仕事が疎かになるぞ」
ユリにはプレイアデスの副リーダーとして妹たちを率いてゆく役目も、勿論ナザリック内での仕事もある。明らかなオーバーワークであった。
「で、出来ます!」
ユリとしては過重労働? むしろどんと来い。休暇なんて必要ありませんね、といった心持ちではあったが、そこに対してはモモンガが厳しい。ユリを働かせっぱなしにしては、ナザリック内の綱紀にも乱れが生じ、男が睨まれることになってしまう。
「子どもみたいなことを言うな」
ピシャリと男が言うと、ユリの表情が悲しげに歪む。
「側使えを辞めろと言うつもりは無い。ただ今はナザリックにとっても重要な時期だ。他に優先すべき仕事がある筈だ」
何しろ、ナザリックの建国を目指す、という目標を公言したばかりなのだ。建国に向けてやらなければならないことは多岐に広がっている。暇人の世話で貴重な戦力が抜けるというのはナザリックにとって大きな損失だった。
「……はい」
実際、至高の御方の身の回りのお世話に手を抜くつもりは毛頭無かったが、ユリも内心では他の仕事との両立に焦りを覚えていたのだ。
ただ、側使えとしての地位を他の誰かに明け渡すつもりなど毛頭なく、ユリとしては重い悩みの種でもあった。
「ユリ。当面、俺がナザリックの外にいる時には、側使え以外の仕事に専念するといい」
ショックを受けたように唇を引き結んだ。反面、少しだけ安堵を感じてしまい、ユリはそんな自身の不甲斐無さを嫌悪する。
「……わかりました。では真に癪ではありますが、ナザリック外での活動時には極力、彼女をお連れくださいますようお願いいたします。ぜひ、盾としてお使いください」
ユリもこれ以上、主を困らせる気はない。主に気を使わせてしまっているのは気づいていたが、どうにも感情を整理するには少しばかり時間が必要なようだった。
「……そう、落ち込むこともない。ユリが近侍筆頭だということは変わらないのだから」
「ひゃっ」
表面上に葛藤は現れてはいなかった筈だが、心情を見抜いていたのかそうでないのか、男はそう言うとユリに近づいて姫抱きにすると、ポイッとベッドへと放り投げる。
ベッドは軋むこともなく、ユリの肢体を柔らかく受け止めた。
「俺もユリが側にいないと調子が出なくなる」
「あっ……」
覆い被さり耳元で囁くと……ユリの目の奥に女の情が宿るのだった。
□
「……という話だったんだが、どう思う?」
執務室──その日、男はナザリックの盟主であり、友人でもあるモモンガにユリから告げられた褒美について相談していた。
「うーん……正直なところリングオブアインズ・ウール・ゴウンの保持者はあまり増やしたくないところですが……」
「やっぱりそうだよなぁ」
「いえ、保持する事は別にいいと思います。極論、ナザリックの仲間であれば皆が保持する権利はある。……しかし、指輪が奪われ外部に流出する危険性を考えれば、リスクは避けるべきだとも思いますが……」
「確かに……」
「俺自身、褒美としてアルベドやマーレに指輪を渡しています。ただ、やはりナザリック外への持ち出しについては今のところ厳禁としていますし、仮にユリに渡すと判断するにしても安全性は確保しておきたいというのが本音です」
「う~ん……」
モモンガが困っているのは、安全についてだ。
モモンガはアルベドやマーレにも指輪を渡している。それはナザリック大地下墳墓の運営上、重要な役割を担っているのは勿論のこと、レベル100であるという安心感が大きい。
つまりは、並大抵の敵の襲撃ではびくともしないし、自力で応戦する能力を有しているからだ。
一方のユリは……彼女はナザリック大地下墳墓のプレアデスの戦闘メイドであり、配下たちに明確な序列などないとはいえ、守護者に次ぐ重要な役割を担う存在。
彼女の忠誠は疑う余地など無く、有事の際にはナザリックを全力で守ろうとするだろう。加えて、最近ではもう一人の至高の存在である男の側使えとして、ナザリック外で活動を共にし情報収集を補助するという新たな役割も与えられてもいる。
階層守護者を除けば、かなり重要な役割を担うようになって来ているといってもいいだろう。
しかしながら……ユリは階層守護者と比較すると、どうしてもその戦闘力は低いと言わざるを得ない。
もしも、この世界に高レベルの存在がいて、その存在が襲撃して来たとなれば、ユリでは対応する事が出来ないと思われた。
「……アルベドよ、お前はどう思う?」
ならばと、モモンガは念のため、静かに側に控えていた守護者統括の意見も聞いてみようと考えた。
「はい。保持すること自体に問題は無いかと」
「む……」
アルベドの答えを聞き、モモンガが意外そうな声を上げる。その反応は、まさかアルベドが賛成側に回るとは思ってもいなかったということの表れでもあった。
「私はリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを敢えて保持することにもメリットはあると判断します」
「……ほう、それは何故だ?」
「はい。ユリはその立場の性質上、いずれナザリック外との接触が増える事になるでしょう。指輪を保持することで移動の効率化が可能なのは分かりやすいメリットです」
「うむ」
「そしてもう一点……現状、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを狙って敵対行動を取ってくる存在はいませんが、将来的にそうした存在が絶対に出て来ないとも限りません」
ナザリックの敵となるような存在がいないとは断言出来ない。まして、これから建国を目指すというのだ。人間種以外の建国を阻もうとする敵性存在が現れることは否定出来ない。最悪の場合を想定しておくことこそが重要だとアルベドは考えていた。
「つまりは、リングオブアインズ・ウール・ゴウンを保持するユリを誘蛾灯に、敵性存在を炙り出すという方策が取れない事もありません」
しかし、それはユリの身が危険に晒されることや、既に指輪の存在の噂が広まっているという前提があってのもの。その上で、ユリが指輪を保持することで、敵性存在や噂の有無を判断することが可能だと。
無論のこと、アルベドはユリが何者かに襲われた場合には迅速に救援を送ることが可能な態勢の確立、敵の制圧に捕縛、それから背後関係の調査も行うべきだという意見を口にする。
その意見を聞き、モモンガは考える。確かにアルベドの案は、ナザリック地下大墳墓の防衛という観点から見れば、一考する価値があるようにも思えた。
……しかし、それはナザリック地下大墳墓の支配者としての一部の考えであり、モモンガにとって、友人たちの遺した配下たちをリスクのある囮役にするなど、到底有り得ないことだった。
「モモンガ。分かっているとは思うが、俺はユリを囮にする気は無いぞ」
「当たり前です。俺だって、そんな事する訳が無い」
NPCは至高の41人によって生み出され、残していった大切な仲間たちの子ともいえる存在達だ。決して駒などではない。
「安堵致しました。正直なところ、ユリにはまだそういった役目は早いかと」
アルベドはユリの身を案じ、敢えて非情にも思える策を提示したのだろう。ただ、それでも保持を許すのであれば迅速な救援を行う為に持ち出しはナザリック近辺に限るべきでしょうと、そんな言葉で話を締めくくった。
結局のところ、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンをユリに渡すには時期尚早という事で二人の意見は一致し、それ以上の議論に発展することは無かった。
──しかしながら……執務室からの帰り道。指輪の代替として、男はユリにどのような褒美を与えるべきなのか、頭を抱えることになる。
□
「つまり、リングオブアインズ・ウール・ゴウンを下賜する許可はいただけ無かったということですね」
「……ああ、まぁそういうことだ。やはりあの指輪の取り扱いは厳にすべきだと。少なくとも時期尚早という結論になった」
「そうですか……残念ですが……承知いたしました」
ユリは神妙な面持ちで決定を受け入れた。内心では残念に思ってはいるのだろうが、何時までも同じ話を引きづるような女では無い事は男も分かっていた。
しかし、そのままではユリに対する褒美が無くなってしまう。そこで男はユリの反応を確かめるように続けた。
「……それで、代わりの褒美なのだがな。提案がある。ユリさえ良ければ、俺の不死人のスキルで誓約を結ぶのはどうかと考えたんだが……」
男はユリへと紋様の刻印された幅広の指輪を差し出した。刻印された紋様──それはギルド、アインズ・ウール・ゴウンが最盛期だった頃にギルドメンバー各々が掲げていた紋章の一つ。男が用いていたダークリングと黒い太陽をモチーフにしたものに似ていた。
「これは……?」
「それ自体は上位道具創造で作ったただの指輪だ。……よく見たら、これじゃあ、あまり付けたいと思えないよな」
あまりに無骨な指輪だったため、女性に渡すには少々躊躇われたらしい。
と、男がインベントリの肥やしになっていた宝石を幾つか取り出すと、道具創造の魔法でバランスの良い宝石を選んで埋め込むように加工した。深い青の宝石──指輪に刻まれたモチーフの太陽がダークブルーに輝いているようにも見える。
それは控え目でありながらも確かな存在感を示す輝きを持っていた。男は忘れていたが、その宝石はスタッフ・アインズ・ウール・ゴウンを作成する際に篩にかけられ、弾かれた代物だったりする。つまり、高位の魔法を込めることすら可能なものだ。
「……きれい」
「見た目は少しはマシになったか……? それよりも重要なのは誓約の方だな」
陶然と指輪を眺めるユリをよそに男は続けた。誓約──それはゲームにおいては、特定の派閥や勢力に所属する際に結ぶ契約の様なものであった。
それら誓約には其々にメリット──特殊な魔法や能力、アイテムを手に入れる事が出来たり、協力プレイやプレヤーキラーをしやすくなるといったメリットがあった。
だが、この世界においては、どうやら少し仕様が変わっているようなのだ。
ゲームでの誓約は不死人のスキルの一つで、既存のものを選んで結ぶものであったが、此処では誓約を作る側にもなれるようになっていた。
「これまで触れずにいたスキルだから、ユリには実験に付き合わせる形になってしまうが……」
男の作った誓約『篝火の守護者』──それは誓約者同士での互助を目的としたもの。不死や異形の存在は本来、排斥の対象となりやすい。男がナザリックの配下たちや以前召喚した不死人たちの行く末を危惧して考えていたものだった。
篝火は竈に通じる。一家の中心にある休息の徴。輪をなして火を囲む者たちに強く、緩く紐帯を齎す。
曰く、誓約の主──火継ぎの王へと忠誠を誓うことで誓約は結ばれる。
曰く、誓約を結んだ者が敵対的な存在に襲撃された時、同じ誓約を結ぶ同胞が自動的に召喚され、助けて貰うことが出来る。
曰く、被召喚者は目的を果たすことで送還される。
反面、誓約にもデメリットはある。指輪を装着していないと緊急時に自他の召喚が機能しないことや、指輪装着時には自身が召喚されることを拒否出来ないことだ。
なので、召喚されたく無い時には指輪を外しておかねばならず、その間は助けも無い。
この誓約を受け入れることで、指輪がその証となる。誓約はこの指輪を所持し続ける場合に限り永続する。また、この誓約中に他の誓約を結ぶ事は出来ない。
そう男が説明するのをユリは静かに聞いていた。
「これは彼女も……?」
「いや? 誓約のスキルを試したのは、これが初めてだな。もしかしたら今後増えるかもしれないが」
ゲームでは誓約を深めることで魔法やアイテムを入手したりする事も出来たが……誓約を作った側の男は今の所、そのようなつもりは無い。いずれはそういう仕組みも出来るのかもしれないが。なので、この世界においては相互扶助の側面が大きくなるだろう。
「なるほど……もしも御方様が危機に陥った際には私が召喚される。そういうことですね」
「……まぁ、そうなる」
男が敵性存在に襲撃を受けた際には、ユリが召喚され、ユリが危険な時には男が召喚されることになるのだろう。
──なお、男は言わなかったが、召喚は誓約者の中からランダムに選ばれる。つまり、誓約者が増えれば増えるほど、男に召喚されるチャンスは減る事になるのだが……検証も済んでない今、不確かな事は言うべきでは無いと、男は何を言う事もなかった。
「慎んで、誓約をお受けいたします」
ユリが跪き、男から指輪を拝領する。すると指輪とユリが同時に一瞬淡く輝き、その光はすぐに収まった。
「……上手くいったな」
ユリの無事な様子を見て、男も安堵した。
一方、ユリは受け取った指輪をうっとりと眺めた。深い青の宝石はユリのパーソナルカラーを考慮したものなのだろう、深海のように光を呑み込む青が美しい。
「あ、あの……御方様。不躾ながら、お願いがあるのですが……」
不意にユリが口を開き、おずおずと切り出した。上目遣い気味にチラチラと男を伺う。
「……分かった」
男はユリのお願いに困ったように笑い頷いた。何を言われるのかは男も薄々分かっていたのだろう。
再度ユリから指輪を受け取ると、ゆっくりと彼女の指へと通す。
誓約の指輪はユリの細い指にぴったりと嵌まり、ユリの美しさを一層際立たせる。
「似合っている」
そして男はそっと彼女を抱き寄せる。抵抗の素振りはない。そんな彼女の姿に愛おしさを感じながら、男は彼女の柔らかな唇に自らの唇を寄せたのだった。