──イライラする。顔の呪いがジクジクと痛み、私の精神に鑢をかけるように蝕んでいるようだ。
私がこのような顔になったのは、全てはあの憎き魔獣のせいだ。
今でも昨日のことのように思い出せる。それは私が貴族の子女の務めとして魔獣討伐に出ていた頃のこと。
当時から私は貴族子女ながら魔獣討伐に自ら参加しており、領内に現れるモンスターを掃討していた。私自身、それで領民を守る事に誇りを持っていたのだ。
掃討自体は何時もと変わらず、何事も無く順調に進んでいた。だが、ある時、魔獣は自身の逃れられない死を覚ったのか、死の間際に私に呪いをかけていったのだ。その呪いが魔獣を狩った日からずっと私を苦しめている。
──あの日から私の身の回りは変わった。呪いを受けて顔の半分がグズグズに爛れ、汚らしい膿を分泌するようになってしまってから。
当時から美人だと言われていた容姿は失われ、周囲には膿から発せられる悪臭を撒き散らす。痛みで私も周りに当たり散らすこともあって、それから暫くは腫れ物のような扱いを受けていた。次第に私に会おうとする者など誰もいなくなっていった。
……絶望だ。呪いが簡単には解けないものだと知らされた時には、これからこの顔で生きてゆくなければならないのかと、目の前が真っ暗になったことを覚えている。死さえ、頭を過ぎった。
そんな私が絶望を抱えている時に、両親でさえもが私を醜い、汚らしいと忌避した。人前に出すのが恥ずかしいと、私は部屋に閉じ込もるようになり、遂には両親は私を家の恥、汚点だと言って勘当し、家から追い出した。
それに……家の都合で決められ、ベッドの中で私に愛していると何度も囁いていた筈の婚約者も、私の顔を見て顔を顰めると醜いと吐き捨てて去っていった。
──あぁ、思い出すだけで腹が立つ。腸が煮えくり返るよう。ジクジクとした痛みがそんな私を憐れだと嘲笑っているように感じる。顔を掻き毟って、皮膚を剥いでやりたくなる。
ふと我に返ったように思う事もある……この呪いさえなければ今頃は戦場に出ることも無く、結婚して子供の一人でもいて、子育てに頭を悩ませていたのだろうか、と。そう妄想してしまうこともある。騎士として帝国内の戦地を転々とする私は本当の私なのかと、自分に疑問を持つことも。
……別に今更結婚したい訳ではないが、この呪いのせいで私の人生は滅茶苦茶だ。今では帝国女子の結婚適齢期を大きく超えてしまっている。
そうでなくとも、こんな傷物。まともな男なら敬遠するに決まっている。貞操もとうの昔に散らされており、顔も醜く不潔。世の男共が求めるような女の価値など私にはないのだから。
……私を裏切った家、両親、元婚約者のクソ野郎には既に復讐を済ませた。
痛快だった。家を追い出され、婚約者にも捨てられた私が騎士団で必死になって這い上がった。運良く皇帝の目にとまり、復讐のための助力をこぎ着け、とうとう奴らの前に現れてやった時の事と言ったら!
ゴーストやらアンデットでも見たように顔を青ざめさせていたっけ。あの顔を思い出す度に昏い笑みが出てきそうになる。
断罪の間際も、膝を、頭を地面に擦りつけて許しを願っていた。あの時の爽快感がもう二度と味わえないと思うと寂しくなる。
……私と同じ絶望を味あわせてやった時の、あの清々しさが、それまでの私を完膚無きまでにぶち壊したのだ。もう以前には戻れない。私に心休まる居場所など存在しないのだと。もう、私は本当に一人きりで進んでゆくしかないのだと思い知らされた。
だけど、それでも私の気は晴れなかった。今でも思い出す度に怒りが沸き、その胸に刃を突き立ててやりたくなる。何度も何度も何度も何度も、思い出す度に怒りが無尽蔵のように沸いてくる──
「た、隊長、報告がございます」
体調が悪いのを紛らわせるように物思いに耽っていた私に声を掛けたのは、私の隊に所属する隊員の一人だった。帝国騎士の証である鎧を身に着けた男の騎士は馬に乗っており、余程急いで走らせてきたのか馬に落ち着きがない。
私が機嫌悪そうにしていたからか、騎士が怯えたように此方を見ていた。その態度だけで腹が立ってくるが、努めて声を平坦にすることで抑えた。
──私達は地方都市へと騎士の義務である討伐遠征に来ていた。
今回の任務は名目上では繁殖した魔狼の群れの間引き。魔狼は繁殖能力が高く、数が多い。またその性質上徒党を組み、村々や家畜を襲ったりすることがある。そのため、討伐の優先度は高い。
今向かっている都市の付近には魔狼が繁殖しやすい地があるらしく、定期的な駆除依頼として騎士団に話が上がってきたようだ。……それも私の隊を指名する形で。
しかし……帝都の精鋭の騎士に、地方の魔狼の間引き任務? 地方に勤める騎士や兵士でも十分に可能な、難易度自体はそこまで高くは無い任務を態々此方に回した理由が分からなかったのだが……
勿論、この任務の不可解さが気になり、妙に勘に引っかかる不審さを覚えたことで……隊を預かる者としてこうした疑問を本部に伝えることも考えた。しかし、騎士として任務を選ぶ事など出来ず、命を受けた以上、確実に果たさなければならない。仮に疑問を呈するとしても、事前に現地の情報収集だけはしておかなくてはならないだろうと。
そう考え、隊が都市に到着する前に、部下を現地に送り情報収集を命じていたのだが──
「帝都の騎士団に話を上げてきた都市長は、情報を隠しているかもしれません」
「どういうことかしら?」
「……周辺の村に話を聞きに行かせました。被害が出ているのは確かでしたが、魔狼によるものかどうかは怪しいです。……それと、付近でギガントバジリスクの目撃情報が出ています」
「は?」
ギガントバジリスク。そのモンスターは難度83に相当し、石化の魔眼に、即死級の猛毒の体液を持つ非常に危険な魔獣だ。体長は成体で10メートルほど。巨大な体躯に鋭い爪牙、分厚い皮膚はミスリルにも匹敵するという。
また、その巨体にもかかわらず動きも俊敏で、生半可な攻撃では傷一つつけることはできないとされている。ギガントバジリスクを単独で討伐できればアダマンタイト級冒険者とも称されるほどに厄介で、私にも討伐経験のない魔獣だ。仮に討伐を目標とするとしても私の隊だけでは明らかに戦力不足だし、石化対策には専用の道具が必要になる。
「く……」
──……あぁ、顔の呪いが、爛れた皮膚が酷く疼く。ジクジク、ジクジク、鬱陶しいったらありはしない。薬が思うように効かないことにも苛立ちが募ってゆく。危険な魔獣についても、情報を隠していた都市長のことも、次から次に厄介事が押し寄せて来て只でさえ無い余裕が削られてゆく。
ふと、視線を感じ顔を上げると、部下である騎士が不安そうに私を見ていた。
「た、隊長、どうかされましたか……?」
部下に声をかけられ、意識を現実に引き戻される。
「…………なんでもないわ。都市に着き次第、都市長に面会を求めます」
部下に任務失敗の疑念を抱かせてはいけない。私は無表情の仮面を被る。呪いの疼きと苛立ちを紛らわせるように頭を横に振り、精神を取り繕った。
□
都市長と今回の任務について事前情報の擦り合わせを行うという名目で面会を求めた。そして、その際に直接、疑念を問うつもりであった。
──何故この任務が帝都に在する騎士団、それも私が指揮する隊を指名したのか、と。
そもそもが私は皇帝直属。本来は皇帝の身辺警護や、勅令の行使が主な仕事。騎士であるために騎士団との両属ではあるが、魔狼の間引き程度の任務で帝都を離れてまで現場に駆り出されるような事は滅多にない。
今回に至っては何故か皇帝の裁可があったため、どうあっても逆らうことは出来ないのだが……当の皇帝からは事前に特別な事情があるとは言われていなかった。
……それに奇妙な話だろう。如何に辺境とはいえ、兵団は存在するし、騎士も常駐している。建前上は騎士の義務である討伐遠征の一環、という事だったが……調べた限り、既に幾つかの村で家畜の数が減る等、何らかの魔獣被害が出ているようだ。
ならば尚更、帝都の騎士団に助力を乞ってまで掃討を待つ必要性が感じられない。より緊急性が高くなりそうな場合は、その地の騎士団や兵団で対処する決まりの筈。
──ギガントバジリスクのような危険な魔獣が付近に出没している事を知らなかったとは思えない。むしろ隠していたと判断した方が違和感がない。
私は隊員の話を聞いて、状況を整理する。
この地方都市にはギガントバジリスクの討伐に適した装備も可能な人材もいないはずだ。そもそも、石化対策をせずにギガントバジリスクに挑むなど自殺行為。その程度の知識は都市防衛、治安維持に関わる人間なら誰でも知っている常識である。
何故、情報を隠していた? 通常は帝都の騎士団本部に応援を要請するにしてもギガントバジリスクが出没したという情報を知らせる必要がある。その上で、騎士団上層部が討伐に必要な人員、装備を選定し、最終的に皇帝の裁可を求めることになる。
──これは明らかに仕組まれているわね。騎士団本部はギガントバジリスクの討伐ではなく、あくまで定期的な魔狼の間引き任務を私に言い渡している。騎士団本部は知らない……? 騎士団本部が後ろ盾である皇帝を騙してまで私を貶める利点なんて無いのだから。
それは、つまり……
「都市長。どういう事か説明していただけるかしら?」
「何のことだね?」
目の前の都市長と呼ばれた貴族出身の男。髭を撫でつけながら私に胡乱気な視線を寄越した。
「惚けないでいただきたいですわ。ギガントバジリスクが出没していることを報告せず、あたかも帝都騎士隊が魔獣討伐の任を失敗するように仕向けていたことはどういうことかと聞いているのです」
「これは帝国の法に則って処理してあることだ。それにギガントバジリスクが出没しているなど、君の言は信じ難い。これまでその様な情報は私まであがって来てはいないのだ。あくまで、いち騎士でしかない君にあれこれ言われる筋合いはないよ。さっさと務めに向かい給え」
「なっ」
信じられない。この期に及んで知らぬ存ぜぬを通すというのか! この男は! ……タヌキが。だけど駄目だ、ここで怒りに任せて剣を引き抜いても意味がない。努めて冷静を取り繕った。
私が目の前の髭を殺気を込めて睨みつけると、当の髭が嘲るように言葉を吐き出した。
「……しかし、魔狼討伐の任務程度で失敗を恐れるとは……四騎士とまで呼ばれる君の力量が疑われるのではないかね?」
それが本音かクソ野郎。
「栄ある四騎士とあろう者が嘆かわしい。もしも君が任務に失敗でもしたら、新たな四騎士に相応しい人材は私から上奏しておく。後任のことは安心するといい」
……なるほど、そういうことか。これで合点がいった。こいつは私が疎ましいのだ。
魔狼など、ギガントバジリスクを恐れ、縄張りを放棄して既に居なくなっていることだろう……かといって私たちは魔狼間引きの任務で地方まで来ている。
現場を確認する事無く、魔狼を間引き済みとして帝都に帰ることは出来ない。……そして現場を確認してしまえば私たちはギガントバジリスクの存在を認知せざるを得なくなる。
もしも、私たちがギガントバジリスクに気づかなかったとして帝都に帰還すれば、都市長は私たちがギガントバジリスク認知しながらも被害を恐れて逃げ出したとでも言うつもりだろう。
つまり、ギガントバジリスクの討伐は避けられない。そして、任務中にギガントバジリスク討伐に失敗し戦死でもすれば都市長からすれば万々歳。反対に逃げ帰ったとしても、四騎士としての資質を糾弾は可能。
そうなれば、私が昇進したのが気に入らない騎士連中がこれ幸いと私を追い落とそうとし、実力を示せなかった私は皇帝の不興を買って処分される……という筋書きが見える。
──クソが、嵌めやがって。皇帝め……知っていたな……!
確かに失敗したら私は四騎士としての地位を追われる。だが……ギガントバジリスクの討伐を成功させてしまえば、私の実力に四の五の文句をつけることは出来なくなる。それが皇帝の狙いか……!
これでは本部に応援を頼むことも出来ない、あくまで私達で討伐しろということか……!
「そもそも、皇帝陛下の身辺警護を行う者が下賤な身である事が可笑しいのだ。一人は貴族家に反逆し取り潰した醜女、一人は薄汚い路地裏上がり、一人は影の薄い唐変木……まともに尊い血を引く者がアノック家のニンブル殿しか居らんというのは──」
こうしてはいられない。任務が失敗出来ないとなれば早急に対策を練る必要があるわ。
□
イライラする。どいつもこいつも、自分の思惑に平気で巻き込もうとする。この呪いを受けてから良い事などあった試しがない。幸運まで吸われているのではないかと疑念が浮かんでしまう。
「討伐依頼に集まった者たちは以上です」
集まった者たちは、使えるかどうかも分からない低級の冒険者に、協調性に欠けた自己中心的なワーカー、どんな魔獣を相手にするのかもよく分かっていない無知な一般兵──中には、クアランベラトに冒険者証を盗まれたとかいう間抜けな自称金級冒険者なんてのもいるらしい。
溜め息を隠せない。有象無象ばかりだ。こんな奴らと討伐に出なければならないなんて。……しかし、ここで私が失敗すれば、責任を押し付けられるのは確定的だ。そうなれば私は皇帝の不興を買い処分され、帝都での地位を失うことになる。それは避けたいところ。
「では、これより作戦を伝える」
「──何だ。厄介な魔獣相手に帝都から人を呼んだと聞いて態々来てみたが、有象無象だらけだな。こんな連中じゃ幾ら作戦なんて立てても無駄だろう」
「……何ですって?」
誰かが私の言葉を遮るように言った。
「あぁ、あんたらか? 帝都から来た騎士ってのは」
「そうだが……あなたは?」
騎士隊の一人がその問いに答え、逆に問い返す。
「誰でもいいだろう。あんたらも帝都に帰っていいぞ。魔獣は俺らで狩っておく。そもそも、帝都から騎士隊を呼ぶ必要なんて無かったんだしな」
発言したのは鈍色のフルプレートメイルを着用し、幅広の剣を腰に下げた男。何か苛ついているのか、刺々しい物言いで嫌味を言ってきた。
「都市長の身内のようです」
背後から副長が囁いた。都市の騎士団に所属しているらしいが、どうやら、任務に飛び入りで参加する為に、態々、騎士団の鎧では無く、自前の装備を整えて討伐隊に乗り込んで来たらしい。
「……貴方、死にたいのかしら」
「は、何を言っている。こんな有象無象ばかり集めてる奴らが言えた事じゃないな。人数集めないと何も出来ない、自称精鋭のアンタらと違ってな、こちとら毎日、魔獣共とやり合ってんだ」
「あなた達がいつまでも対処出来ないから私たちが呼ばれたの間違いでしょうに」
「なんだと?」
私がそう言うと男はむっとしたように押し黙った。……何が気に食わないのか知らないけど、取り敢えず実力も分からないし、放っておきましょうか。
「私はレイナース・ロックブルズ。帝国騎士隊の隊長よ。今回のギガントバジリスク討伐では私が隊を指揮します」
「あんたみたいな女が騎士隊の隊長? しかも、その名は……フン……どんな手を使ったか知らないが上に取り入るのは上手いらしい」
「おい、お前!! さっきから黙って聞いていれば何様のつもりだ!!」
男の言葉に反応したのは、部下の騎士だ。騎士が男に掴みかかる。全く……
「なんだ。帝都騎士も程度が低いな。それもそうか、女が後でちまちま指揮するのに付き合ってるくらいだからな。女なら魔獣を狩るより家を守るもんだろ」
「あぁ!?」
騎士の怒声に、さも自分は何も間違っていないと言わんばかりの男。男が騎士の掴んだ腕を容易く振り払った。
どうにも、男の方が女より優れているという思考をしているらしく、その自信過剰な発言も合わせて、憤懣やる方ないのが騎士達だった。
「隊長、こんな奴さっさと追い出して任務に向かいましょう」
「おいおい、図星をつかれて何も言い返せなくなったのか?」
一々、突っ掛かってくる面倒な輩だ。ため息ばかりが出る。
「……貴方、自分の実力は分かっているのかしら? ギガントバジリスクは推定難度83の魔獣よ。討伐隊に参加するつもりのようだけど、油断してたら討伐隊の壊滅すら考えられる相手ですわ」
「ハッ……ギガントだかギガトンだか知らねぇが、俺はどんな敵にも臆さない。そいつらに比べれば俺の方が出来るだろうさ。俺の聖撃にかかればどんな魔獣も一撃だからな!」
「この野郎……!!」
挑発的で自信過剰としか思えない男の物言いに部下の騎士達が殺気立つ。今にも殴りかりそうな雰囲気だ。しかし、それを制する。
「貴方達、少し落ち着きなさい。こんな男でもいないよりはマシでしょう」
部下たちが私の考えている事を覚ったのか、沈黙する。
「……ふん。俺は聖騎士だ。気に食わないが、女のアンタは後で守られていればいい。せいぜい上手く使ってみせるんだな」
……聖騎士ね。西の聖王国あたりでは多くいるらしいけど、確かに帝国で聖撃のスキルを持つ者は珍しい。信仰心が強いとなることが出来るとも言われているけど、驚くほど頭の弱そうな奴ね。
「……いいでしょう。貴方の力量には期待させて貰いましょう」
こうして私は、この傲岸不遜な男を連れ、ギガントバジリスクが目撃されたという地へと向かうのだった。
□
ギガントバジリスクの目撃された場所まであと少しというところで、私は隊を止めた。皆に姿勢を低くするように指示する。
「どうした、何故隊を止めた」
「……静かに。何かいるわ」
「……何もいないぞ」
「……いえ、確かにいるわ」
肌がピリつく感覚。魔獣の気配を感じ取り、足を止める。ここはギガントバジリスクが目撃された地点より数キロも離れていない。
……いや、いた。
あたりは荒野のように見晴らしがよく、所々岩場が露出している土地だ。
そして、それは岩場の影に隠れるようにしていた。一見するとただの大きな蛇に太い手脚が生えたようにしか見えないが、その大きさが異常だった。全長10メートルほどはある。厄介なことに成体だ。巨大な体躯を丸く縮ませていても小山のようで、遠目にもその姿は威圧感があった。
奴は私達の存在に気がついていないのか、または気がついているが気にしていないのか……たまに身動ぎするばかりで身を起こす気配はない。大きいは強い。奴自身も生物として強いと言う事が分かっているのだろう。
奴の姿を目視してからというもの、心臓の鼓動が激しくなるのを感じた。緊張で喉が渇きを覚える。
ギガントバジリスクの危険度は計り知れない。しかし、私も帝国四騎士の一人。皇帝にはいざとなれば自身の身を優先するという契約があるが、四騎士の地位を失うのは惜しい。部下にも相応の姿を見せなければ示しがつかない。
「対象を確認したわね。事前の取り決め通り、一旦引いて初撃の準備を整えましょう」
出来れば持ちうる最大の火力で、一撃で仕留めたい。私は部下に合図をし、後退の指示を出したが──……しかし、愚か者という者は何処にでもいるようで、命令を無視して飛び出る者がいた。
「行け! 行け! 奴を殺れば依頼料は総取りだ!」
「なっ……! 止まりなさい、あなたたち──」
私が指示を出した瞬間、討伐隊にチームで参加した者達──その内のリーダー格が一人突出し、その後に幾人かが剣を抜いて飛び込んで行った。確か奴等はワーカーの連中だった筈だ。
「馬鹿野郎共が……!」
聖騎士を自称する男が能力向上、疾風加速と武技を発動させ追従する形で飛び出る。
ワーカー達の攻撃を受け、眠りを妨げられたギガントバジリスクが怒り、ワーカー達を威嚇した。
それでも尚、攻撃を止めようとしない彼らを魔獣は視界に入れ、睨み付ける。
「う、うわぁあぁぁっ!!」
「たっ、助けてくれぇぇ!!」
「ひぃっ、俺の腕がぁっ!!」
パキパキ、という音を立てて身体の末端から石化してゆく。脚の自由が効かなくなり、転倒すると四肢で這うような体勢になる。同時に指が石となって固まると剣を取りこぼした。彼らが転倒した際には受け身が取れずに、石となった身体の一部が砕ける者もいた。
「うおぉぉぁ……! っ、聖撃!!」
大上段から振り下ろされた剣が白い光を帯び、ギガントバジリスクの太い首に吸い込まれてゆく──
金属同士をぶつけ合ったかのような音が響き、ギガントバジリスクが絶叫した。首からは少なくない紫の血が流れており手傷を負っていることが分かる。大言壮語かと思ったが、強力なスキルを持っているのは本当だったらしい。
しかし……
やはりと言うべきか、それからの展開は一方的なものだった。ギガントバジリスクが巨体に見合わぬ俊敏な動きで身を起こし尻尾を振ると自称聖騎士とワーカー達を強かに打ち払う。
聖騎士は吹き飛ばされるだけで済んだが、石化対策もしていなかったワーカー達はその一撃でバラバラにその身を砕かれてしまう。──そして、此方を見た。
ギガントバジリスクの黄色い瞳は暗く淀み、毒牙を剥き出しにした口は大きく開かれている。その目には怒りが込められており、身を起こした巨大な体躯はまるで岩山が動いているかのようだった。
「くっ……お前たち行きますよ! なるべく背に回り込むように! 石化の視線には気をつけなさい!」
──と、幸運なことに、誰が射たのか一本の矢がバジリスクの左目に的中し、視界を潰した。その痛みでバジリスクが再び絶叫する。
「グギャアァァ──!!」
「でかした! 左の目が潰れた! 左半身に回り込みなさい!」
ギガントバジリスクの注意が逸れた隙を狙い、再度攻撃を指示。騎士達や志願兵、冒険者らがそれぞれが散開し、突撃して行った。
……が、浅い。ギガントバジリスクの堅牢な表皮に阻まれて決定打には至らないようだ。
弾き飛ばされた聖騎士の男は反撃を防御も出来ずにくらったせいで攻撃に移ることが出来ないでいる。……ワーカー共め。肉盾にすらなれないなんて、本当に使えない連中だ。
このままでは不味い……焦りを覚える。数で攻めれば何とかなるかもしれないと考えていたのだが、そう上手くはいかないらしい。殆どの者が手傷を与えるには実力が足りていなかった。
そして、その考えは当たっていたようで、一人また一人と負傷して動きの鈍くなった者が現れ始める。中には噛みつかれて猛毒を食らい動かなくなった者や、首から溢れる血に触れてしまい訳も分からず意識を失ってしまった者もいる。そして、気の緩みか右目の視界に入り続けてしまい石化する者も出始めてきた。
このままでは、全滅は避けられない。……私なら装備の力もあって石化は多少レジストできる。クソ、いざとなれば私だけでも逃げるつもりだったのに……
「撤退っ! 態勢を整える! あなた達は負傷者を連れて近くの村まで下がりなさい!」
「しっ、しかしっ」
「早くしなさい!!」
私はそう叫んだ。現在の戦況のままではギガントバジリスクの討伐は不可能だ。一度撤退し、態勢を整えて出直すしかない。……となれば、皆が撤退するまで私が殿をするしかなかった。
「此方です! デカブツ!」
左半身に回り込み、行動を阻害するように後ろ脚を狙う。
ギガントバジリスクは八本足の魔獣で、その内の一本を駄目にした所で機動力はあまり変わらないかもしれない。それでも後ろ脚が使えなくなれば動き辛くなる筈。
巨体から繰り出される前足の叩きつけ、そして強烈な噛みつきをなんとか掻い潜りながら奴を切りつける。
しかし、やはりギガントバジリスクの表皮は硬く、私の槍で傷をつけることはできても到底致命傷を与えるには至らない。傷は浅く、浅い傷からは少量の紫色の血が滲み出すのみ。
──あまり長引くと私が危ないけど……撤退の時間を稼ぐためには攻撃の手を弱める訳には……!
「クッ……!」
奴はたまに尻尾を振り回すように攻撃してくる。石化の視線にも注意しながら攻撃しなくてはならないからやり辛い。内心で悪態をつきながらも奴の注意を引くために攻撃を繰り出した。
一瞬の間に周囲の様子を探る。既に副長や部下たちが先導して冒険者や兵たちを逃したようだった。
「後は、どうやって退避するかだけど……」
後退しつつ戦うが、じわじわと体力を削られているのが自覚できた。魔獣の表情など分からないが、弱者を嬲るような悪意を感じる。段々と攻撃を回避できなくなり、此方の手数が減ってゆく。息も切れてきて、疲労のせいか体が重く感じた。このままでは本気で不味い、そう思った時──
一本の矢がギガントバジリスクの眼前に飛んでくる。その矢が地面へと突き刺さると、矢に括り付けられた筒からモウモウと黄色い煙が噴き出した。
酷い匂いだ。それに、何が含まれているのか知らないが目に染みる成分でも入っているのだろう、僅かに目に入っただけで涙が出てくる。目の前のバジリスクも残った右目を完全に閉じ、痛みに悶えるように頭や長い尾を振り回して我武者羅に暴れていた。
誰が射たのか分からないが……間違い無く、最後のチャンスだ。私はなるべく煙を避けるようにして距離を詰めると、奴の足に速度と全体重を乗せた攻撃を叩き込み、更に突き刺さった槍を力いっぱい捩じ込んだ。
聞こえてくる、ギガントバジリスクの今日何度目かの絶叫。
「隊長! 早く、退避を! こっちです!」
部下の内の誰かだろうか。その声を頼りに、反転。痛む目を眇めつつ、声が聞こえた方角に一目散に逃げ出すのだった。
□
──声に導かれるまま逃げ出した先の村で。
私は隊から離れ、一人、仮設テントで休息を取っていた。……理由は単純明快。体力の回復に努めるためだった。
「クソ……イタイ……ハァ……」
……荒い息をつく。痛み止めの薬はもう飲んだが、呪いによって爛れた顔面は、これまでにない激痛を常に私に与え続けていて、もうあまり長く外にいることさえ辛かったのだ。
原因は元々の体調不良に、薬の効果が薄い事、後は魔獣に一撃入れる際に刺激の強い黄色い煙を被ったせいもあるかもしれない。
村で綺麗な水を貰い洗浄する事で、焼けるような痛みは治まってきたが……痛みに苛立ちを感じないほどに疲れ切ってもいた。
現在は他の者達も少しでも体力を回復させるために、休息を取っている。……この呪いさえなければもっと戦えるのに、もっと上手くやれたのに──そんな屈辱や後悔にも似た感情が私を責める。そう思いながら重い溜息を吐いた……
「失礼します。隊長、今後の対応を伺いたいのですが……」
「……今、いくわ」
それから少しして、部下の一人が私を呼びに来た。テントを開けた際に出来た風が痛みを刺激したようで、大きな波となって苛む。
……どうやら、部下たちはそろそろ作戦会議を始めたいようだ。私は痛む顔面をハンカチで押さえ、会議用に建てられたテントに向かことにした。ハンカチを見ると、そこには黄色く濁った膿がベッタリとへばりついており、僅かに赤い血が混じっていた。
汚れたハンカチは処分し、再度、新しいハンカチを取り出すと半顔に当て保護する。そのまま会議用のテントに入ると、隊の騎士達は既に集まっているようだった。どうやら私が最後のようだ。
「隊長……! ご無事で何よりでした!」
「……えぇ、あなた達も。逃げる時に注意を引いてくれて助かったわ」
「え? は、はい……」
互いに顔を見合わせて、私の言葉に戸惑う部下達。……何かしら? 別に私が礼を言ってはいけない理由など無いでしょうに。
「……まぁ、良いわ。では作戦会議を始めましょう」
先の攻撃の結果は失敗に終わった。戦力も大幅に削られたが、大きな被害はワーカーが殆ど全滅。生き残った者も復帰は不可能だろう。都市長の身内だとか言う聖騎士は肋骨を折っただけで、生き残ったらしい。
それも既に治療済み。
騎士や兵、冒険者にも大小の被害が出ているが、継戦は可能な範囲にある。だが、少々不安なのは毒の影響なのか体調が優れない者が多い事だ。
ほぼ無傷で残っているのは部下である騎士数名に、冒険者が幾人。その中に一人だけ金級がいるらしいが、そいつがギガントバジリスクの左目を潰した矢を放った者のようだ。更に聞けば、コイツが冒険者証をクアランベラトに盗まれた間抜けでもあるらしい。間抜けの方が役に立つなんてね……
来る時にいた顔が、ここでは何人か見なくなっていたが、どうやらギガントバジリスクに怖気づいて依頼を放り出して逃げてしまったようだ。足手まといが大量にいるのも邪魔だが、あまりにも少ないと制圧力が落ちてしまう。悩ましい問題だ……
「やはり、戦力が足りていないわね……」
「一度、都市に戻り再度人員の募集をかけますか?」
「……いえ、それでは時間がかかり過ぎる」
ギガントバジリスクの討伐には戦力が足りていない。そもそも使える人間がいない。このままでは、二度目の攻勢に出ても返り討ちにあうだけ。かと言って、ここで引き返すという選択肢は考えられない。それでは皇帝より裁可された任務が失敗したという事実しか残らないのだから。
「煮詰まっているわね……」
部下たちが意見を出し合っているが、どうにも実効性に欠けているように感じてしまう。
この面子での話し合いでは埒が明かない。元々、部下の騎士達には戦士系が多く、接近戦を得意とする者ばかり。取れる手札を増やす為にも他の者の意見も聞いてみたい。
「……金級冒険者を此処に呼びなさい。意見を求めます」
「はっ!」
騎士の一人がテントから出ていく。そして、少しすると一人の冒険者がやって来た。その冒険者は庇のような長いつばの帽子に、軽いレザー製の防具で全身を包んでおり、戦士系ではなく射手系だというのが見て取れた。
「あなたがギガントバジリスクの左目を潰した冒険者ね」
「あぁ。それで、何で俺は呼ばれたんだ?」
眉を顰め、目を眇める。何処かで聞いたような声だった。もしかして……
「……あなた、もしかしてだけど私が撤退する際に煙幕矢を射った張本人かしら?」
「ナイスタイミングだっただろう? 隊長さん」
男がニヤリと口角を上げた。
なるほど……この男が私が逃げる時間を作ったらしい。私に撤退を促したのも部下達の内の誰かではなく、この男だったようだ。……道理で、部下たちが怪訝そうな顔をする訳だ。間抜けだと思っていたが、もしかしたら、それなりに優秀なのかもしれない。
「……そう、あなたがね。一応感謝します。あなたのお陰で何とか窮地を脱することが出来たわ」
「どういたしまして。役に立ったのなら何よりだ」
言外にアンタも大変だな、といった風に肩を竦める彼の仕草に少しだけ苛ついたが、怒る気力が勿体無いと、素直に礼を言うことにした。それに、少なくとも危険な状況だったのは確かだし、今は猫の手でも借りたい。一人でも多くの者の協力を取り付けなくてはならないのだから。
「あなたにもギガントバジリスク討伐のための作戦会議に参加して貰いたいのです。戦士職の騎士だけでは力押しになりがちですから……他の視点から意見を出してください」
「それはいいが……」
「今は限られた戦力でどうやって討伐するか話し合っているところですわ」
それから彼には戦力の再収集が見込めないこと、現在の人員で討伐しなければならない事を説明した。
「一度潰走した集団で再突撃は無茶じゃないか……」
彼はそう呟くと顔を顰めた。……彼の言うことは百も承知だけど、ここで退くわけにはいかない。それでも何かないかと聞くと、彼は口を開いた。
「力押し、は無理だしな……本当なら罠に嵌めて一方的に叩くとか、毒で弱らせるとか……隙を突いて大火力で一気に押し潰すのが常道だと思うんだが……」
毒に関しては期待は出来ないだろう。そもそもが身の内に即死級の毒を溜め込んでいる魔獣だ。毒や麻痺に対する抵抗性を持っている可能性は高い。
「罠は一考の余地があるけど、先程も言ったけど大火力で一気に押し潰すには戦力が全く足りていないわ」
「……まぁ、殆どダメージ与えられて無かったからな」
「……えぇ。首への聖撃の一撃と私の脚への一撃、後はあなたの目潰しで痛手は与えたけど、他の者の攻撃は分厚い表皮に阻まれて有効打にはならなかった」
そう。それがまた悩ましい。騎士、他の冒険者、志願兵の攻撃があまり意味をなしていないのは問題だ。ギガントバジリスクの堅い表皮は鎧のようだった。この目で見たからわかるがあれでは並大抵の攻撃では通用しないだろう。それこそスキルや魔法で攻撃でもしない限り有効打にはなり得ない。
「後言えることは……いち冒険者からこんな事言われたくないだろうが、隊の統制はしっかりして貰いたいってことだな……仲間割れで全滅なんて笑えないからな……」
「……」
「それと聖騎士の兄さんが此処にはいないが、アンタ達の仲間にはならないのか? あの一撃は次の戦闘でも必要になると思うんだが」
耳に痛いことを言う。……あの聖騎士。彼は恐らく都市長から送り込まれた監視のようなものだろう。一度敗走してしまった手前、もう一度助力してくれるかは分からない。
だが、私と部下たちの力だけではギガントバジリスクを討伐することは難しいだろう。彼がいれば取れる作戦も変わってくる。
「聖騎士の兄さんが使った聖撃のスキルは回数制限のある代物の筈だが……少し休めばもう一発くらい入れられるだろ」
冒険者が事も無げに言う。自分に関係のないスキルのことなどよく知っているものだ。
確かにアレが有れば火力を補うことは出来る。……しかし、監視として潜り込んだ彼からすれば、後は都市長に任務は失敗したと伝えるだけで事は終わる筈だ。
私たちを帝都へと送り返した後に、戦力を集めて追送し、ギガントバジリスクを仕留めてしまえば都市長の目論見は叶うことになる。
普通であれば共闘など望める筈も無いが……話はしてみるべきだろう。
「彼の様子は?」
「は、戦闘前とは打って変わって、大人しくなっています」
「あー、聖騎士ってのは単純って言うか、良くも悪くも自分の信念に従ってる奴だからな。折れると脆い。上手く話せば分かってくれるんじゃないか」
彼の言葉を聞き、そんな馬鹿な、と思う。あれ程、自分に自信を持っている奴がそうそう態度を変えるとは思えない。……とは言え、使えるか、使えないかの判断は話をしてみてからでも遅くはないだろう。