37.鍵の付いたダイアリー(復讐日記)
清々しい風が開け放たれた窓から入り、白いレースのカーテンを揺らす。窓の向こうは敷地内の庭──青々と茂る木々と、そこから鳥の鳴き声が聞こえてくる。
その穏やかな空気の中、黄金色の髪をした女──レイナースは机に向かって突っ伏し、穏やかな寝息をたてていた。窓から入ってくる風が彼女の髪を撫でる。その風は花と緑の良い香りを含んでいた。
何の変哲もない風景であるが、彼女の過去を知る者によっては情感を揺さぶる光景にもなる。騎士として男勝りに働いていたせいか、ややきつい印象を与える顔立ちであるが、穏やかな表情で寝入っていることもあり、歳よりも幼く──それどころか、あどけない少女のようにすら感じられた。
そんな彼女が組んだ腕を枕に、うたた寝している机の上には古びた本が一冊開かれている。その本の内容を伺い知ることが出来たのなら、それが日記であることが分かるだろう。
帝都に吹く爽やかな風が悪戯するように、そのページを捲ってゆく──
★月☆日
今日でもう七年目。
あの日の事をしっかり覚えていて、年数を数えている私自身にイライラする。鏡で自分の顔を見る度に、こんな私を見せつけてくる鏡を叩き割りたなる。
グズグズに膿んだ赤黒い肌に爪を立てて、気のすむまで引き裂いてやりたくなる。好きでこんな顔になった訳じゃない。絶世とまでは言わないけど、美人だと社交界での評判も高かったのに。針で刺すような痛みが私を狂わせる。苛立たせる。
それなりの家に生まれて、ずっと努力してきた。知性も武術も、美容も磨いてきた。流行にも乗り遅れないように頑張ってきた。優秀な貴族子女なのを誇りに思って。他の同年代の子が贅沢をして、頭の悪い男の視線を集めることに夢中になっている時も、ずっと。ずっと努力してきた。
だけど、呪いを受けて、全てが変わってしまった。
呪いのせいで私は私ではなくなった。努力してきた私を裏切った家と、私を追い出したその住人も、綺麗だの愛しているだの薄っぺらい言葉を囁いていた元婚約者の詐欺師にも。全てに腹が立つ。
あのクソ男に嫁いで、その家を盛り立てるために私は努力してたと考えてしまうと虫酸すら走って、想像の中のクソ男の胸に何度もナイフを突き立てる。
私の持っていた誇りが裏切り者にいいように利用されていたと思うと復讐して本当に良かったと思う。でも出来るなら、こんな想いを思い出す度に復讐が繰り返しできればいいのにとも思う。この苛立ちの捌け口にしてやりたいから。
周囲の反応も私を苛立たせる。コソコソと陰口を叩かれ、噂される。普段こそ何も気にしてない風を装っているが、聞こえてくるのは嘲り、哀れみ、怖れの声。
あぁ、腹が立つ。痛み止めの薬が効きにくくなってきてる。また新しい薬を探さないといけない。
✗✗✗✗✗
★月☆日
○復讐の対象追加
(皇室側仕え)
ヘルタ・ファン・ヤルディム
陰で醜い赤ら顔と嘲笑していた。お前の婚約者、お仲間のクリスティーナと浮気してるからな。竿姉妹って呼んでやりたい。
ヘルガ・シュルツェ・ケスラー
私の顔を見て汚らしいと呟いた。お前はニキビもあるし、膝も黒ずんでて汚い。今度会ったら指摘してやろう。
クリスティーナ・デ・フリッチュ
哀れみの視線が気に食わない。私を下に見ている。確か婚約者はそこそこ大きな商会の跡取りだったはず。コイツの婚約者に売女だとバラして破談させる。
(儀典官)
トビアス・ダーヴィト・サンドロック
普段は情けなく謙る癖に、陰では強気になって行き遅れ、魔物と嘲笑っている。クソ豚が。第三軍将軍ベリベラッドに怒鳴られて漏らしてたってたこと広めてやる。
奴らの絶望の顔が愉しみ。
どうやら昏い顔をしていたらしく、実家から唯一ついてきてくれた婆や、爺やに叱られた。表情が出ていたのは弱みになりかねない。感情を隠さないと……
✗✗✗✗
★月☆日
呪いが解けたら……
私を影で嘲笑ってきた者達を見返す。私の方が美人だし、能力的にも優れていると証明する。
すり寄ってきた者達に意趣返しをしたい。もしも求婚されることがあれば、大勢の前で盛大にお断りを突きつけたい。
✗✗
★月☆日
今日はあまり体調が良くないのか、顔の半面の引き攣りが酷く、ジクジクという痛みが強い。薬を飲み、ようやく痛みは治まったけど、体調が良くないこともあってか苛立ちが抑えられない。不注意でお気に入りのカップを割ってしまったことも苛立ちを助長させた。本当にイライラする。
こんな日は家の外にも出たくないのだけど、今日は主席宮廷魔術師殿にお願いしている解呪の調査経過を聞く日だった。
魔法省に赴き、主席宮廷魔術師であるフールーダ老の報告を聞いた。前回は過去の事例から解呪の方法を探って貰っていたが、事例ごとの解呪の方法はバラバラで、それも信憑性に乏しいものばかり。
今回、フールーダ老の話では、私の受けた呪いが、そもそもどのような類いのものなのかを話してもらった。
翁によれば呪いと言えば、衰弱や疲労、弱体化や治癒阻害など直ぐには死に直結しないものが多いらしいが、稀に死の間際に魔獣が呪いをかけることがあり、そうした呪いは得てして強力なものになるみたい。
それは自らの命を代償にしたものらしく、呪いが強力になるのは死の間際の消えかけた生命をすべて吐き出すからだと。
さらには、そうした代償のある呪いの性格は服についたシミのようにしつこく、恐ろしく陰湿で、対象の精神を狂わせ、苦しめることに心血を注いでいるとも言っていた。
……思えばこの呪いの元となった魔獣も、私との闘争に負けて死の間際にあり、私が呪いが込められた一撃を受けてしまった後、すぐ息絶えた。この呪いは一命を掛けたもの。解呪するにも同等のものが必要になるということなのかも。
あれが間違いだったとは思わない。それでも、どうして私がという想いは何時までたっても消えない。
呪いを解呪する手立ても、今の所見つかっていないみたい。あぁ、本当にままならない。イライラする。早くこんな醜い顔とサヨナラしたい。
✗✗✗✗✗✗
★月☆日
最近、街道近くに魔獣が多く出ているらしく。騎士団も連日警邏に駆り出されている。
魔獣は駆逐しなければいけない。奴らを見ると顔の呪いがうずく。奴らを殺す度にジクジクと反応するから、きっと呪いをかけた魔獣が悔しがっているに違いない。
明日は何匹狩れるか楽しみ。
風が日記のページを捲ってゆき、パサパサと音を立てる。
窓の外では鳥が木から飛び立った所だった。本日は快晴。北西からの風は鳥を空高く運ぶことだろう。
屋敷の外からガタゴトと石畳の上を馬車が通る音が聞こえてくる。その馬車はロックブルズ邸の前に止まり、何者かがノッカーを鳴らした。
一迅の風が庭の草木を撫でた。
★月☆日
魔獣の駆除も一区切りで、数日ぶりに帝都に戻ってきた。鎧は土埃まみれ、おまけに汗臭い。騎士服も数日間洗えてなかった。それはそれとして、部下の男の騎士どもは私以上に汚れていた。鼻が曲がるかと思った。サイアク。部隊に同性が欲しいとは言わないけど、もう少し何とかならないのか。
でも、今日は久しぶりの休み。魔獣をたくさん狩れたせいか気分は良かった。フールーダ老から調合して貰った薬も良く効いている。いい調子。
呪いが解けたら……
顔をさらけ出して、お洒落もして、買い物に行きたいな。そうだ、旅行も良いかもしれない。北部の海沿いの街なんてどうだろう? 避暑にはいいらしいし。今は忙しくて行けないけど、いつか行ってみたい。
★月☆日
皇城で見知らぬ帝国貴族男に声を掛けられた。
縁談の仲介の誘いだとか。お相手にお困りでしょう? だって。何様のつもりなのだか。気まぐれに話を聞いてやれば、お相手とやらは何処ぞの爺の後妻とか次男坊、三男坊の側室とかだった。
素気なく断ってやったら、貴女の年齢や容姿では、お相手を探すのは苦労すると思いますが? と不満気な眼の奥に明らかな嘲りが見えた。はぁ? だとしてもお前には頼まない。腹立つ。お前を呪ってやりたい。
○復讐の対象追加
(帝国貴族)
フレデリック・ヴェルナー・クラムロス
四騎士の力と権力に群がる羽虫の如き存在。よく知らない。情報収集する必要あり。
✗✗✗✗
★月☆日
ここ最近はずっと理想の結婚相手がどんな人なのか考えてた。
きっと昔の私なら貴族家の当主として相応しい威厳と能力のある人物と迷いなく答えていたと思う。
でも、今はそれが正しいことなのか疑問。多分、それは私が呪われて普通の女ではいられなくなったことや、もう貴族としての家ことを考えなくても良くなったから。
そもそも私も家を出た時点で、厳密にはもう貴族ではなくなっているし、実家だった家は復讐のためにもう潰したから存在しない。
今でこそ貴族並みの権利は持っているがそれは皇帝に仕える騎士としてのもの。だから、ありがちな家のしがらみで婚約者が決まることもなければ、下賤な男に表向きでもいい顔して、媚び諂う必要がなくなったのはいい事だと思う。
なら貴族とかの務めを抜きにして、そもそもが結婚したいのかと問われれば、それも正直よくわからない。でも私だって女。一度くらい結婚してみたいかもって興味は爪の先くらいは多分ある。
同年代の婦女達は大体がもう嫁いだ先の家に入っているし、子どもだっている。だから、私が陰で周囲から行き遅れだの、寡婦だの呼ばれていることも知ってる。でも、それももう慣れた。なので、最早焦りすらないし、今更急いで相手を探そうとも思っていない。
それでも無理矢理に理想の結婚相手を考えてみたら、正直なところ、それすら何も浮かばなかった。
私の知る大体の男といえば、誠実とは程遠い貴族か、気は良いが私よりも弱い騎士ばかり。たまに誠実な男もいるにはいるが、その人たちには魅力を感じられない。例えとして出すことすら出来ない。
だから私は男に幻滅してるんだな、という考えに落ち着いた。
それでも百歩譲って考えてみたら、とりあえず、私よりも強くて、プライドの高い私がそれを許せる人がいいと思った。
頭はどうかな。頭は正直悪くてもいい。操れるくらいが丁度いいと思う。それに度量も大きくなくてはいけないし、浮気性なのは許せない。性格は大事だ。
容姿は、顔に好みはあるけど、会ってみないと分からない。ブクブク太っていたり不潔なのは生理的に受け付けない。
財力は当然あった方が好まし……あったらあったで増長している気がするから、なくてもいい。私自身がそこらの貴族よりも財を成しているし。
……まとめると、女を下に見て、男が優位でないと気の済まない帝国の男には、そんな人いないってことがよく分かる。
せいせいした。それに、相手を探すのは私の呪いが解けたらの話。この顔で私の全てを受け入れてくれる人なんている訳がない。大丈夫、私は強い。一人でも生きていける。
✗✗✗✗✗✗✗
猿みたいで嫌になる
こんなの私じゃない
★月☆日
騎士団の教練の後、フールーダ老に呪いの状態を見て貰った。状態は可もなく不可もなく。良くなっていることはないが、悪くもなっていない。フールーダ老から調合して貰った薬でも効果は無かったみたい。
✗✗✗✗
★月☆日
今日は休日。家から一歩たりとも出なかった。
昔はこうじゃなかった。昔は自信に溢れていたから。自分のどんな面を見せても誇ることが出来た。これが私なんだって。今よりもずっと活動的だったし、人の目なんて気にもならなかった。もっと世界は輝いて映っていたようにも思う。
でも、今はそうじゃない。
私は他人に自分の半分も見せなくなった。これは多分、劣等感のせい。顔の半分を失ったからだけじゃない。周りに裏切られて、一緒に自尊心も失ってしまったせい。
人を信用するのが怖くなった。他人の不幸が心地よく感じるようになってしまった。
ちっとも誇れない本当の自分を誰かになんて見せたくない。こんなの私じゃないから。
私を変えたこの呪いが憎い。絶対に、絶対に呪いを解いてやる。
✗✗✗✗
階下からは、微かに誰かの話し声が聞こえる。
暫くすると、話し声はおさまり、今度は馬の嘶きが聞こえる。どうやら、外の馬車が再び動き出したようだった。その音が段々と遠ざかってゆく。
「う……ん……」
屋敷の女主が音に反応するように身動ぎしたが、起きる事は無かった。
階下から誰かが上がってくる気配がした。
★月☆日
フールーダ老から貰った薬を切らしてしまったせいで顔の痛みが酷い
以前に使っていた薬を飲んでもあまり効果は感じられない
ジクジク ジクジクと私を蝕んでゆく 悪意のある痛み ハンカチで無理矢理抑えれば ベッタリと異臭を放つ汚らしい黄色い膿がついた
仕事でも苛立つことばかりで嫌な日 なんで私がこんな惨めな思いしなきゃいけない
★月☆日
いたい イたい いたぃ いタい
もう 嫌 もうゆるして 欲しい 魔獣がり なんてしなきゃよかった あの時 マジュウなんて 狩らなければよかった
かえして わたしのかお かえして
(狂ったように痛みを訴える言葉と謝罪の言葉が乱雑に続く)
…………
……
★月☆日
精神的に不安定だった。気分の上下が酷くて気持ち悪い。怠い。頭も痛い。多分、効かないから薬を多く飲んだせい。私の体が薬を受け付けなくなっている、とは思いたくない。
フールーダ老は忙しく、翁の弟子達に薬の調合を頼んだけど、すぐには作れないらしい。
明日からは魔獣討伐の遠征があるけど、帝国四騎士の一人として、行かない訳にはいかない。なんとか体調を戻さないと……
…………
……
王国方面からの入口となる都市であり、国境に最も近い街。この都市の先には王国領のエ・ランテル、その手前にカッツェ平野の砦がある。
今日はこの国境沿いの都市で部隊を休ませる。ここまで体調は最悪。部下に体調が悪いことはバレてないと思いたい。
今日はすぐに休んで体調を少しでも回復させたい。明日からはこの都市を拠点に報告にあった魔獣を駆除をしていくことになっているのだから。
★月☆日
事前の情報では魔狼の群れが出没するという話だった。しかし、フタを開けてみればどうだ。ギガントバジリスクだと?
クソが。騎士団に要請したこの地の貴族がこの情報を知らなかったとは思えない。私達は嵌められたんだ。
何か方策を考えなければいけない。騎士団本部にこの事実を知らせることも考えたが、一応は皇帝陛下の名のもとに下された指令。今回その魔獣討伐を任じられているのは私を隊長とした部隊。
仮に本部に伝えたとしたら任務は中止になる可能性は高いが、失敗と見なされる可能性もまた高い。まして私のついている地位の四騎士とは帝国皇帝の直属。皇帝の直属が任務の失敗などしていい訳がないし、撤退したとしたら外聞が悪い。
狙いは分かっている。……陛下は何も言わないだろうが、失敗した私を面白く思うことはないだろう。要は嫌がらせか。あわよくば、大きくなり過ぎた皇帝の権勢にケチを付け、私を四騎士の座から下ろそうという。そこまで女が四騎士の地位にいるのが気に入らないのか。それとも女だから与し易いとでも思われたのか。自らでは何も出来ない無能共が。
クソが、イライラする。今回は本部の手を借りず現地だけで事を納めなければならない。現地の騎士や兵士、冒険者、ワーカー問わず手を借りることも考えなければ……
レイナースのうたた寝する部屋の扉を誰かがノックした。
「お嬢様、お茶は如何ですか? それと、魔法省と冒険者組合から手紙が届いておりますよ」
「う……ん……」
部屋に年老いた侍女が入ってくる。その両手には銀の盆にティーポット、カップ、菓子……それと2通の手紙が乗せられている。
「あらあら……」
侍女は銀の盆をテーブルに置くと、レイナースの肩にブランケットをそっと掛けた。
★月☆日
騎士も兵士も冒険者も、どいつもこいつも使えない。ここらでは魔獣の存在が噂になってるのか、尻込みしてる奴らばかり。
集まったのは相手を舐めてかかっている無知な低級の冒険者に、魔法の使えない兵士、協調性の欠けた自己中心的なワーカー。中にはクアランベラト*1に冒険者証を盗まれたという間抜けな冒険者なんかもいた。質の悪い連中しかいない。
結局、何だかんだと理由をつけられ、弱腰のままの現地の騎士の手は借りられなかった。おそらく私達の任務の成功を妨害しようとする者もいるのだろう。
ここで失敗しては解呪が遠のくかもしれない。目的はどんな手を使ってでも果たす。そのためには犠牲なんて気にしていられない。
結果は惨憺たるもの。命令を無視したワーカーが独断専行して奇襲攻撃を仕掛けたせいでギガントバジリスクが激怒。ワーカーは軒並み総崩れ、最初こそ威勢のよかった冒険者は怖気づいてそもそも使えなかった。
怒り狂ったギガントバジリスクの攻撃で戦列は乱れ、兵士や帝都から連れてきた騎士にも怪我人が出た。
使えない存在でも盾くらいにはなるだろうと連れて行ったのが間違いだった、クソが。
幸いといえるかわからないが、犠牲が大きくなりかけたため一度撤退はしたものの、手傷を与えることには成功している。
それを考慮すれば、考えようによってはグズ共も盾の仕事はしたともとれるか。再度、精鋭を率いて仕掛けられれば押し切れるはず。
冒険者証を盗まれたという間抜けが囮役を買って出たが不安しかない。他にも策は用意しているが、もし役割を果たさずに逃げだしたら地の果てまで追って八つ裂きにしてやる……!
何とかギガントバジリスクを討伐する事ができた。結果だけを見るのであれば今回のギガントバジリスクの討伐戦、冒険者やワーカーから死傷者が出るのみで、我が帝国騎士隊からは出ていない。文句の付けようもない大金星だ。
これで、私が四騎士に相応しくないと影で宣う輩の口も閉じることだろう。最初から全ては皇帝の掌の上というのが少々、癪ではあるけど……
それと、今回の討伐の功労者はあの金級冒険者だろう。
始めは冒険者証を盗まれた間抜けという印象しかなかったが、存外使える人間だったのが意外だった。特に両眼を潰した弓の精度には眼を見張るものがある。
私には直接関係ないことだけど、閃光手榴弾の情報と合わせて騎士団に売れば点数稼ぎになるかもしれない。解呪の手がかりを探すのに、多少の恩を売っておくのも悪くないでしょう。
今日はこれから任務達成の打ち上げがある。部下が言い出したもので私が出席する必要はないのだけど……成果が大きいので、ぜひ祝杯をあげたいと言われれば断り辛い。面倒だけど、一杯だけ付き合って帰ってくるつもりだ。
顔の呪いが弱まってる!!
なんで? 今まで色んな方法を試しても何も効果がなかったのに!
グズグズに崩れた肌はまだ赤みを帯びているけど、輪郭がはっきりしてる! 嫌で嫌で仕方なかった爛れた肌も、汚い膿も、煩わしい痛みもない! 昔の私の顔に近づいてる! すっごく、すっごく気分がいい!
よかった……本当に、よかった
もしかしたら、このまま治ってくれるかも
これで──
(歓喜の言葉が延々と書き連ねられている)
突然、願いが達成されそうになって、あまりの嬉しさに我を失っていた。冷静になって、何がこの原状を齎したのか振り返ってみないと。
ギガントバジリスクを倒したせい、とは考えにくいし、薬が突然効き出したとも考えにくい。
多分原因は、朝起きた時に、いつの間にか私の指に嵌められていた指輪。髑髏にも見える紋様の入った石が嵌められた、どこか不吉な印象がある。本当なら外して試してみるべきなのかもしれないけど、外した途端に顔の呪いが元に戻ってしまったら嫌だし、もう一度着け直して効果が再びあるのかもわからない。だから試すことはできない。
当然、こんな趣味の悪い指輪は私の持ち物ではない。
なら、誰のという話なのだけど……多分、あの夜一緒にいたあの男の持ち物なんだと思う。……それしか考えられない。
だけど、あの夜、男は呪いの解呪とは簡単なものでは無いと言っていた筈。呪いを逸らすという話はあくまで参考に過ぎないとも……なのに、こんな指輪を持っていて、効果を知っていたというのは……
……まぁ、それを今考えても仕方がない。
それは別として……あの夜を思い出すと顔から火が出そうになる。私も何を思って床を共にしたのか……何を考えていたのか自分でも本当にわからない。間違っても今までそんな不埒な事したことなかった。当たり前だけど。
本当に一時の気の迷いとしか思えない。多分だけど……鬱憤が溜まっていたのと、戦闘後でまだ気が昂ぶっていたのかも……それに解呪が叶うのか不安になって自棄になっていたし……最近してなかったから若干理性が暴走気味だったのもあるかもしれない。
いいえ、やはり私は何も悪くない。酒を私に潰れるまで飲ませたあの男が悪いのだわ! きっと最初からそのつもりだったに違いないもの。全て、あの男のせいよ!
……それにしても、なんてはしたない……まぁ、過ぎてしまったことは仕方ないのだけど……
あの男も何を思ってこの指輪を置いて行ったのか……起きた時には既に荷物もなくなっていたし、何処に向かったのかも分からない。帝都に着いたら冒険者ギルドに問い合わせてみるつもりだ。……いずれ会って、指輪のことも問い詰めなくてはならないと思う。
それはそうと……今朝の目覚めの気分は久しぶりに思えるほど良かった。それは多分、呪いをかけた、あの憎き魔獣が夢の中で悲鳴をあげて苦しんでいたから。ザマアミロ! 私の勝ちだ!
…………
……
★月☆日
フールーダ老に至急の遣いを出し、呪いの状態を診てもらう。
やはり呪いの効果が落ちているとのことだった。だけど、完全に呪いが消えた訳でもなく、これ以上の回復は難しいかもしれないとも言っていた。
翁も突然呪いが弱まった原因が指輪にあると予測していた。魔法で簡単に調べて貰ったが、製作者と簡単な効果──装備者の呪死耐性を高めるということしか分からなかった。興味深そうな翁にはもっとよく調べたいから提出するようにしつこく言われたが断固として拒否した。
あの方は、こと魔法やらマジックアイテムとなると見境がなくなる。帝国を支える柱だということはよく分かっているつもりだけど、そこのところいい加減にして欲しいものだ。
陛下にも偶然とはいえ、呪いの効果が弱まったことについては報告してある。陛下からは呪いを解くことはもう諦めたのかと問われたけど、まさか。呪いを完全に解くまで、私は諦めるつもりはない。
✗
…………
……
★月☆日
呪いが弱まって、人からの見る目が変わった。
呪いの痕は化粧をすれば殆ど分からないほどに薄くすることが出来た。それで好奇の視線が増えたのもそうだが、以前から影で嘲られたりすることはあったが、今度は皇城に勤める側仕え達から嫉妬されるようにもなった。
顔を隠すことをやめたわけじゃない。ただ、以前ほど神経質に隠さなくなっただけ。これまでの習慣はなかなか抜けないし、いくら呪いが弱まったとはいえ痕はまだ残っている。化粧で薄めているとは言え、ジロジロと見られるのは好きじゃない。
✗✗
★月☆日
誰がお前みたいな羽虫と交際するか。気持ち悪い。
○復讐対象の追加
(帝国騎士)
ペーター・フォン・サンドロック
何処かで聞いたことのある姓。下っ端の癖にやたら馴れ馴れしい。気持ち悪い言葉遣いで私を口説こうとしていた。舐めた口が二度ときけないように最もキツイ訓練に放り込んでやった。
冒険者ギルドにあの男の所属を問い合わせてみたが、取り敢えず帝都冒険者ギルド本部には所属していないらしい。今は他の帝国内のギルドに所属していないか調べて貰っている。
脳裏にあの男の顔が妙にチラつく。
✗✗✗
★月☆日
軟弱木っ端騎士が。チラチラと、鬱陶しい。呪いが弱まって見てくれが変わった途端にこれだ。あまりの変わり身に、私を馬鹿にしているのではないかとも思ってしまう。
冒険者ギルドに問い合わせた件だが、帝国内のギルドの何処にも所属していないらしい。他国所属の冒険者だってこと?
年のせいだろうか……私は欲求不満なのかもしれない。最近は寝る前になると、どうしてもあの夜のことを思い出してしまう……
✗✗✗✗✗
★月☆日
見つからない。イライラする。本当に情弱な組織。仮にも国を跨ぐ組織のくせに。組織に登録している冒険者くらい直ぐに探し出してみせなさい。本っ当に使えない。いっその事、完全に潰した方がいいんじゃないかしら。
あの男もだ。ちゃんと探しやすいように手がかりくらい残していけばいいものを。私がどれだけ探すのに苦労していると思っているのか。
そもそも──
(男が見つからない事への苛立ちと愚痴が延々と続く)
✗✗✗✗✗✗✗✗✗……
★月☆日
婆やに、貴女は発情期のお猿さんなのですか、と言われた。婆やとはいえ失礼すぎる。
……仕方ない。こうなったら私にも考えがある。絶対に探し出してやる。
「近頃は明るくなられました」
彼女の後ろに立つ年老いた侍女が、レイナースの髪を手櫛で優しく梳く。レイナースがむず痒そうに身動ぎした。
「ですが、何やら男の影を追いかけているとの噂もあって……婆は少し心配です」
侍女はレイナースが生まれた時から、その成長を見守ってきた。
お転婆だった幼少の砌も、貴族として民を守ると決意した時も、魔獣に呪われ失意とともに帰って来た時のことも、復讐に囚われ心を閉ざした時も……他にもたくさん。
「私たちはいつまでも貴女のお味方ですからね」
そうして、侍女は開きっぱなしになっていた日記を見つけると、中身を見ることなくそっと閉じた。
銀の盆を手に部屋を出てゆく。
後に残る部屋には、彼女の寝息がかすかに響いていた。