それからの日々、女は気分がずっと落ち込んでいた。
日がな何かを考えるようにボーっとしていることもあれば、街路で立ち竦み、唐突に悲しみに襲われることもあった。
その度に、彼女は自分自身の弱さに嫌気がさした。
置いていかれた。
見捨てられた。
自己嫌悪。
悲しみ。
喪失感。
疲れたように、ため息をつく。
力をいれようと吐いた息を吸い込んでみるも、肺に入ってくるのはスカスカの気体。
吸ったはずの息がため息として、体から出ていった。
気分が重く、体に力が入らない。
気力が沸かない。
以前までの彼女であれば、嫌なことがあれば周囲に悪意を撒き散らし発散していたかもしれない。
もしも例えば、自身がなめられていると感じ取れば逆に暴力をもって上下関係をはっきりさせるか、瞬間的に激高し、なめた相手をぶち殺していたことだろう。
なめられないように気をはって生きてきたら、そういう性格になっていた。
この悲しみが怒りへと変わらないのは、失ったものが彼女の中で大きかったせいなのだろうか。
彼をこの手で殺したいとは思わなかったが、いっそどこか知らない場所で野垂れ死んでしまえと何度も彼女は思った。
微妙な空気のまま過ぎた、次の日の朝。
起きれば男の姿と荷物はすでに無く。
ただ、意味ありげに罅割れた指輪が指に嵌められていた。
あの時、男は女に渡す物はないと言っていたが。
指に嵌められたこの指輪は、傲慢なお前にはその壊れたガラクタで十分だ、という皮肉が込められているのだろうか……
指輪を見るたびに胸が痛くなる。
それは彼女の悲しみの象徴。
一度見つけたはずの理解者は既になく。
孤独は二度と癒やされないだろう。
未練がましくも……
彼女はそれを捨てられないでいる。
□
それからは日がたつのを早く感じていた。
エ・ランテルに潜り込んでいる法国のスパイを欺くために、一応は協力者として席を置いていたズーラノーン。
高弟の一人であるカジットが何を目的にしているかは彼女からしたら興味もない。
元々は協力の見返りとして、スケリトルドラゴンを借りてエ・ランテルを脱出する目論見だったが……
正直もうどうでもよく思えてきていた。
(法国のアホ共も……)
(ズーラノーンの怪しげな理想とやらも……)
(全部くだらない)
だから、彼女は死の螺旋を発動させる準備を手っ取り早く進めるために少し手伝ってやった。
さっさと『死者の軍勢』でも『死の螺旋』でも発動させてエ・ランテルに混沌を振り撒いてやればいいとばかりに。
そこで彼女は、ちまちまと慎重に準備を進めるカジットにイライラし、叡者の額冠を装備させた少年を渡した。
全てのアイテムを使用できるというタレントを持った少年も、法国を抜ける際に嫌がらせで巫女を殺して奪った、装備者に魔法上昇を授ける叡者の額冠も、ちょうど手札が揃っていたから。
だが、叡者の額冠は装備したが最後。
魔法上昇が使えるだけの道具になって、意識も自由も全てなくなってしまうのだが──ー
そんなことは、彼女にとって心底どうでもいいことだった。
ただ、思い出すのは少年を攫う時に対峙した冒険者。
彼らのように……仲間に囲まれ、互いに信頼で結ばれている奴らを見て、女は酷く不快に感じた。
(だから男は自分を無力だと感じさせるようにプチッと殺して、性別を隠していたマジックキャスターの女も拷問してからやっぱり殺した)
それでも、冒険者たちを惨殺した後に残ったのは、爽快感などではなく、心の内にへばりつくドス黒い何かだった。
(ムカつく)
(全部ぶっ壊れてしまえばいいのに)
□
そして現在。
クレマンティーヌは、エ・ランテルの墓地で派手な鎧を纏った冒険者と対峙し、生命の危機を迎えていた。
鎧の冒険者はいかにも素人っぽかったが、強靭で彼女の攻撃がダメージに繋がることはなかった。
そして、強靭な肉体を持ってはいても、身のこなしは所詮素人と舐めてかかった挙げ句、捕まった。
彼女の脳裏にあるのは、どうしてこうなってしまったのかということ。
何がいけなかったのか。
何故こうも上手くいかない?
自暴自棄になって事を荒立てたのが悪かったのか?
あの不快な冒険者の連中を殺したのがいけなかったのか?
それとも今まで多くの人間を殺めてきた事、裏切りを重ねてきた事がいけなかったのだろうか?
まるで成した悪行が一斉に跳ね返ってきてしまったかのようだ。
罪なんて数えるのが馬鹿らしくなるくらい犯してきたのに今更罪を数えようとしてるのか、と自嘲する彼女の思考は常に加害者側にあった。
そんな彼女に対峙して──ー目の前の、胡散臭いと思っていた正義の皮を被った戦士がその正体を現す。
「エルダー、リッチ……!?」
黒地に金縁の派手な鎧を一瞬で脱ぎ去り、やたら豪奢な衣装のエルダーリッチは今、片腕で女の首を握りしめ、吊るしあげていた。
肌が粟立つ。
女はエルダーリッチといったが、それから発せられる威圧感はエルダーリッチとは及びもつかない。
それも当然。
女を吊し上げている悪魔は、エルダーリッチより上位の存在である死の支配者なのだから。
捕縛から逃れようと、癇癪を起したような無茶苦茶な連打も、両手を組んで力を込めた打ち下ろしも、効果は何もない。
ふと、悪魔の視線が女の首飾りに留まった。
「ふむ……これはマジックアイテムか?」
「……! それに触んじゃ、ねぇ……!」
エルダーリッチが首飾りを奪い、女は必死に取り返そうと暴れる。
渾身の力を込めて殴りつけても、蹴りを見舞っても。
全てが死の支配者の前では無力だった。
「返、せっ! 返せぇっ!!」
女の必死さに訝しがったのか悪魔はとある魔法を使用した。
《上位道具鑑定》
それは道具の能力を調べることのできる魔法。
「これをどこで手に入れた?」
悪魔が気にしたのは、その首飾りがどこかで見た覚えのある、ユグドラシル産のアイテムであったこと。
「……」
ギリギリと歯を食い縛り、壮絶な表情で睨みつける女。
「……まぁ、いい」
と、悪魔はアイテムがどこからもたらされたのかへの興味を失った。
「効果も大したことのない状態異常への耐性を上昇させるものだ」
出処の由来は今後調査する必要があるが、自身に警戒させるに値しないとばかりに続けた。
「これもどうせどこかの金持ちから奪った物なのだろう?」
「盗人には相応しくない装備だとは思わないか」
「それを、返せ……!」
問い掛けに答えることなどなく、鬼気迫る表情で睨みつけるクレマンティーヌ。
「……よほど、このアイテムが大事らしいな」
悪魔は腹がたっていた。
自身の知り合いであった冒険者を殺されたことを。
何より、彼自身が大切であった仲間たちを思い起こさせた者達を虫けらのように嬲り殺しにした存在に。
そして、それを成した目の前の愚かな女に。
だからこそ、悪魔は女に絶望を教えてやることにした。
慈悲などなく、大切なモノを踏み躙られる屈辱とどうしようもない現実を。
何よりそれが誇りある悪の流儀であると悪魔は仲間から学んでいた。
悪はより大きな悪の踏み台にしかならない。
悪を成したからには、自身も同じ悪に踏み躙られる覚悟を持っていなければならない。
それが嫌ならばより大きな力を持つしかないという非情を。
《上位道具破壊》
「ぁ? ……あっ、あ、あああぁぁぁ……」
赤い宝石が罅割れ、崩れた破片が塵のように風化してゆく。
心の片隅に残った小さな熱が消えてゆく。
あとには、何も残らない。
消えた。
消えてしまった。
それは男から女への贈り物。
とても嬉しかった。
誰かからの気持ちの籠もった贈り物だなんて……本当に記憶にある限り初めてで……
だが、今はもうない、二度と取り戻せない大切な思い出の品。
「……」
抵抗する気も失せた。
女は呆然とし、怒りもなかった。
むしろ全身から力が抜け、生きる気力さえ首飾りとともに消え去ってしまったかのようだ。
装備したガントレットの下、彼女の指にはまだもう一つ、彼の遺品のような物があるが……
それにはどちらかと言えば悲しい思い出が詰まっている。
どうせならそっちを壊してくれれば良かったのにと、どうでもいいことを女は考えた。
失くした物は戻らない。
(もうどうでもいいや……生きるのに疲れた……)
「ふん……心が折れたか」
「……では、絶望を抱いて死ぬがいい」
悪魔は女を優しく抱擁した。
ゆっくりと、ゆっくりと。
死の気配を少しでも長く味合わせるため。
お前は無力だ、ということを告げるため。
静かだった墓地に鈍い音が一度だけ響き、女は崩れ落ちた。