闇に揺蕩い、微睡む意識
何も見えない
体は自由に動かない
もう長くないことがわかる
ただ、ゆっくりと
落ちる
落ちてゆくのを感じる
何も見えない暗い闇の底まで
ぜんぶ
とけて、なくなりそう
全ての感情を孕んだまま
これは『未練』なのか
死の間際に思い浮かぶのは、よりによって男の姿だった
刻一刻と、逃れられぬ死を迎えようとしているのに、思い出すのは自分の幸福だった時間ばかり
こんな時まで、と馬鹿な自分を自嘲する笑みを浮かべていたかもしれない
会ってそんなに経ってない他人なのに、と
あぁ……
底の知れない深淵の闇に私という存在が溶け、流れ出てゆく
昏い闇の視界の中に、ボンヤリと青白く燃えるように光る小さな玉が浮かぶのが見えた
それにどうしようもなく惹かれて
最後の力を振り絞って、ノロノロと手を伸ばし、それを掴み取った
手の平にあるのは色に反して、あたたかい……どこかで見覚えのあるような……
想い出した
それは男の魂(ソウル)の色
結局、どこから来たのか……
何で旅をしているのかも、聞けなかった……
わたしはなにもしらない……
あいたい、なぁ……
もういちどだけ……
『……の世……召喚……い……す』
男とも女ともつかないノイズ混じりの声
光が脈動し、拡張と収縮を繰り返すと……
私は光の粒でできた霧に溶けていった
□
『……の世界……召喚・れ……した』
目を開ける──ー
……夢を、見ているのかもしれない。
人は死の間際に夢を見られるのだろうか。
確かに彼女は悪魔から致命の一撃を受け、死へと向かっていた。
しかし……今の女は亡霊のように……白く、影のように揺らめく幻影となり大地に佇んでいた。
そこは──ーユグドラシルの大樹に存在する無数に分かたれた枝葉の一つの世界。
そして、力ある異形の存在と世界を蝕む大敵が星の命を巡り争う戦場。
それはあまりにも強大な存在だった。
見上げなければ全容すら掴めぬほどの巨体。
ただそこにあるだけで全てを威圧する存在感。
山のような巨体には棘のように剣がいくつも刺さっていた。
剣の意匠は古い時代を思わせる物から、精緻な飾りが刻まれた美術的価値の高そうな物まで様々。
その一本一本が歴史であり、今まで、幾度となく立ち向かった勇者達を蹴散らし、生き延びてきたことを伺わせた。
顔のない、巨体の主は息をするかのように光の奔流──ー生命の輝きを際限なく吸い込んでゆく。
それは世界の、星の命を、生命の源を吸い、貪り、蝕む存在。
生きとし生ける者達全てにとっての最大の障害。
女の意識の片隅でワールドエネミーという言葉が浮かんだ。
ちっぽけな人間などでは相対することさえ不可能であることは明白であり……
(ひぁ、っ……)
喉の奥が引き攣れた。
クレマンティーヌは恐怖で身が竦みあがり、ないはずの心臓がギリギリと痛む。
身動き一つ、息を吸って吐くという簡単な動作さえ圧力に負け、満足に行えなかった。
(何なんだ……何なんだよぉ、ここは……!)
いきなり見知らぬ場所に立っていたかと思えば、目の前には敵う訳のないバケモノ。
混乱していたが、悪態をつく気力さえもなかった。
これは数々の悪行を犯した罰なのだろうかと分かりやすい絶望感に心が微塵に砕けそうになった。
人間の根源に訴えかけるような恐怖に、知らずカチカチと歯が鳴るのを抑えられなかった。
(に、逃げなきゃ……!)
大敵の発する魂さえも消し飛ばしてしまいそうな圧力に腰が砕け、逃げよう、という意思さえ挫かんとする威容。
呆然と、へたり込んだまま動くことの出来ない女の横を抜けていく影があった。
フルプレートアーマーを身に纏った騎士の姿。
そして……辺りに広がった白い霧の奥からどこからともなく続々と集結してくる異形──ーいや、もしも神を超越的な力の保持者とするのであれば、それらの威圧感は神とも見紛う者達。
騎士が腰に据えた剣を抜き放ち、悠然と構える。
(あんなバケモノに挑もうっての……? いくら力に自信があるからって、あんなのに勝てるわけが……)
女の知らない言語で異形の神達が詠い、戦闘が始まる。
爆ぜ、剥き出しになった傷だらけの大地。
夕日よりも尚色濃く、紅蓮に燃える空。
視界を白く塗り潰す怖ろしい破滅の光。
もしや、それらは神のみが使用出来るという、伝説の第十一位階魔法か。
一撃で国が滅ぶような禁忌がいくつも放たれた。
全てが直撃し──ーだが、それでも尚、大敵の存在は揺るがなかった。
お返しとばかりに、大敵の音の無い咆哮が空間を捻じ曲げ、嵐となって襲いかかる。
それは女にとって、まさに神話の物語の一編のようで。
そこには、神々すら容易く脱落してゆく苛烈なる戦場があった。
(何なんだよあれ……イカれてやがる……)
女の視線の先。
目を引いたのは先程の騎士の姿。
騎士は大敵の一撃を絢爛な大盾を砕かれながらも防ぐと、強い火の魔力が込められた直剣で幾度も斬撃を見舞う。
背後から飛び交う魔法の嵐を潜り抜け、当たれば即死と思われる大敵の反撃の尽くを躱し、確実にダメージを積み重ねてゆく。
勇猛と言われればそうなのだろう。
だが、クレマンティーヌには騎士が狂っているようにしか思えなかった。
そうでなければ、あんな風に戦場を駆けることなど出来るはずがなかったから。
そして……狂っていなければ大敵に挑むことすら出来ないことを理解した。
それは正に頂上、神々の戦争という言葉が相応しいものだった。
もしも人間のような矮小な存在が戦場に混ざれば、肉片も残らず消し飛ばされるか、大地の小さな染みになるのみ。
(バケモンしかいねぇのかよ……)
故に、女が出来たのは離れた場所から神々の戦いを見守ることだけ。
何度も日が昇り、沈むのを繰り返した。
異形の神々が不眠不休で戦い続ける中、女はただ戦場の行く末を見守っていた。
どうやら、幻影のようになった体は睡眠や空腹とは無縁らしい。
だから、見ていられた。
この世の出来事とは思えないバケモノたちの闘争を。
そして……いつまでも続くかと思われた戦闘の果てに──ー大敵の咆哮で空間が歪み、視界は足場のない闇へと変貌した。
足場がなく宙に浮遊するという未知の恐怖と不安に、女がただ押し潰されそうな精神を必死に凍らせるので精一杯だった中。
大敵から放たれた破滅の一撃が異形の神々の多くを消し去った。
果たして……
一柱墜ち、二柱墜ち──ー
最後まで生き残ったのは騎士とどこか見覚えのある装いのエルダーリッチ……いや、発している威圧感は正に死を支配する死神とでも呼ぶべき存在。
最早、あとは無い。
頼るべき戦友たちのほとんどは既になく。
ここで敗れれば世界の命運はどうなるのかと心胆を寒からしめる、綱渡りのような戦闘が続く。
神々が墜ちるのが先か、大敵の体力が尽きるのが先か。
そして……
とうとう大敵が力尽き、ゆっくりと身を倒すと、最後の一撃とばかりに昏い波動が全方位に走り二柱と女を飲み込んだ。
女が咄嗟に伏せた目を恐る恐ると開く。
そこには死の支配者の姿は既になく、苦しんでいるのか膝を突いた騎士の姿があるのみ。
(え……?)
そして、目を見張り、混乱した。
(ど、どうして……)
ヘルムを脱いだ騎士は、クレマンティーヌの知る男の容貌であったから。
(どうしてアンタがそこにいるの……?)
男は膝をついたまま微動だにせず、女にはその後ろ姿が何かに絶望し、嘆いているかのように見えた。
どこからともなく、霧がたちこめてくる。
(お、おいっ、まて、まって!)
白い霧に包まれるように、男は見えなくなり、場面は唐突に切り替わる。
□
霧が晴れ、気がつけば古びた石の回廊に立ち尽くしている。
建てられてから、ろくに修繕もされていないのか、積み上げられた石壁は崩れ、荒れ果てていた。
ここは牢だ、と気が付くまでさほど時はかからなかった。
何しろ、太い鋼鉄の杭が嵌め込まれた部屋がいくつも存在していたから。
その中の一つ。
朽ち果て、入れる者のない空の牢ばかりが並ぶ中、何者かの存在感を発する場所がある。
汚らしいボロボロの平民服を身につけ、台座に腰掛けたまま微動だにしない人影。
牢に近づき、その存在を少しでも間近に見ようとし、息を呑んだ。
(おい……これ……どういうことなんだよっ……!)
そこにいたのは容貌こそ変わり果てていたが、間違いなく女の知る男だった。
混乱し、訳のわからない事実に吐きそうになった。
その顔の輪郭も。
髪の色も。
鋭い男の目つきも彼女の記憶にあるものと同じだった。
しかし、その容貌は見る影もないほどやつれており、肌もカサカサに渇ききり、四肢もミイラのように萎びていた。
死者が埋葬されずに、死体がそのままそこに放置されているとしか思えなかった。
しかし、それを果たして生者とは言えるかわからないが、男は微かに呼吸しており生きていた。
(ねぇ……どういうことなのか教えてよ……)
聞きたいことはいくつもあった。
その姿は何なのか。
あんたは何者なのか。
ここはいったいどこなのか。
何故ここにいるのか。
私はどうしてこんな体になっているのか……
数え挙げればきりがない。
しかし、男からの返答はなく、女は思考を巡らせるしかなかった。
もしや、男はあの大敵との戦いで、倒れ伏す間際に放たれた一撃を受けたせいなのではないかと。
そうだ、きっとそうに違いない。
最後に放たれた昏い波動。
あれは男をバケモノへと変貌させ、不死を強制するものだったのではないか。
だから彼は死人のような姿になっても、生き続けている……
もしかしたら、人によっては不死となったことを喜ぶもしれない。
例えば永遠の命、永遠の若さなどは、強欲な権力者などが喉から手が出るほど欲しているものだが……
しかし、これでは……男にとって不死とは、祝福などではなく呪いと同義であったのではないか。
女は、男がその身分の証たる銀色に輝くフルプレートを外された上、粗末な服を着せられ牢へと入れられていた理由を察し、この所業をなした者達を憎悪した。
つまりは、大敵を討伐するというあまりにも大きな偉業を成した彼を恐れ、その上、不死という祝福/呪いを羨まれた末の投獄なのだろう、と。
……
牢にあるのは永遠に続くのではと錯覚しそうになる静寂。
牢に窓はなく、天井付近に明かり取りの穴がポッカリと空いているのみ。
牢の番たる看守の気配もなく、水や食料を供給されている様子も当然ない。
ただあるのは大敵から呪いを受けてか、人外と呼べる存在に変わり果てた男のみ。
女はそんな男をただ見つめ、思い出したように何度も声をかける。
「……」
しかし、男は女の言葉など聞こえていないようで、反応することはない。
多分、私の声は聞こえないんだと思いつつも、無視されたようで彼女は酷く悲しかった。
男の転機はすぐ側にまで来ていた。
何者かが天井の明かり取りから鍵を持った死体を投げ入れ、男はその鍵で牢屋から脱出することが出来たのだから。
それから何度か女は男に声をかけてみたものの、やはり聞こえていないようで反応はない。
仕方なく女は黙って男の後を付いて行くことにした。
男の行動も気になるし、今の自分に何ができるかも、何故こんな状況に放り出されたのかも何もかもがわからない。
そして何より、男の側を離れてはいけない──ーもしかしたらこれは男の過去を見ているのかもしれないと思ったから。
□
どこからともなく、古い伝承が聞こえてくる……
それはまるで、何も知らぬ子どもへと物語を聞かせるかのようだった。
それは男の生まれた地の歴史か古い伝承か。
『古い時代。世界はまだ分かたれず、霧に覆われ灰色の岩と大樹と、朽ちぬ古竜ばかりがあった』
『だが、いつかはじめての火がおこり明かりと闇と、熱と冷たさと、生と死と、あらゆる差異をもたらした』
『そして、幾匹かの、闇から生まれた者たちが火に惹かれ、火のそばから、王のソウルを見出した』
『最初の死者、ニト』
『イザリスの魔女と、混沌の娘たち』
『太陽の光の王グウィンと、彼の騎士たち』
『そして、誰も知らぬ影の小人』
『それらは王の力を得、古竜に戦いを挑んだ』
『グウィンの雷が、岩のウロコを貫き魔女の火炎は嵐となり死の瘴気がニトによって解き放たれた』
『そしてウロコのない白竜、シースの裏切りにより、遂に古竜は敗れた』
『火の時代の始まりだ』
『だが、やがて火は消え、暗闇だけが残る』
『今や、火はまさに消えかけ、人の世には届かず、夜ばかりが続き人の中に、闇の印、ダークサインが現れはじめていた……』
……それが意味するものを彼女はまだ理解出来ずにいる。
□
クレマンティーヌと男は共に苦難の旅をした。
宛もなく、ただ牢から男を出してくれた者の遺言で不死の使命──ー2つの鐘を鳴らすという願いを遂げるため。
最初、女は嘆いた──ー男の力は大敵との戦闘の時と比べ、見る影もなく衰えていたのだから。
何しろ、そこらの雑兵にすら殺られる始末。
これでは私でも勝ててしまう、と。
何度も目を覆いたくなった。
だが、不思議なことに彼が死ぬと、男と女の二人は気づけば篝火へと戻っているのだ。
彼が話していた思い出深いだろう篝火へと。
しかし、そんな女の嘆きなど徐々にではあるが意味がなくなっていった。
なぜなら、その旅を通して男は力を取り戻してゆき、むしろより強靭な体を作り上げていったのだから。
女と男は数多の魔境を旅した。
歴史を感じさせる朽ち果てた古城を。
不潔な、毒に濡れ穢れた地底を。
赤熱し、流動する大地に覆われた古代都市を。
光の差さぬ、闇が支配する大墓地を。
海へと沈んだ亡霊達の呪われた都を。
王と騎士が去り、斜陽を迎えた神族の国を。
それらを尽く踏破した。
道中、たくさん知らなかったものを見た。
多くの人の支え、別れがあった。
強大な力を持つ者たちの存在を知った。
それはまるで巡礼の旅にも似ており、男は強大な者達を下す度に力を取り込み、新たに技を身につけ練磨し、かつての力量以上に高めてゆく。
男は数多の困難に出会い、そして乗り越えた。
無論のこと、旅は順風満帆などではなかった。
男は最初、弱く。何度、バケモノや悪魔に叩き潰され、ドラゴンの火に焼かれ、神の尖兵に切り刻まれたか。
何度、心無い人に騙され、狂気に侵された友を目の当たりにし、心に傷を負ったか。
幾度も、男の心は折れそうになり、女はただそれを見ているしかないことに歯痒く思った。
抱き締めてあげたくても、幻影となった身では素通りしてしまう。
慰めてあげたくても、声すら届かない。
助けてあげたくても、敵に干渉すら出来なかったから。
だが、それでも。
何度も生き死にを繰り返し、何度も心折れそうになりながらも男は歩みを止めることはなかった。
女はそんな男の歩みを側で見続けた。
傷つく度に心を磨り減らしてゆく様を。
時に直面する辛すぎる障壁に心折れそうになる瞬間を。
とうとう頭が可笑しくなって、女型のバケモノやバカデカイ乳を視姦し始めたのを見た時には、その時ばかりは本気でどついてやりたくなったが……
何も出来なかった彼女はただ見続けた。
男の行く末を。
旅は試したのだ──ー男の不屈の意志と女の目を逸らさぬ勇気を。
鐘を鳴らし、旅の折返し地点で──ー二匹の蛇は嘯いた。そこで、二人は世界の仕組みを、男の救いようのない運命を知ることになった。
だが、それでも男は迷いながらも歩みは止めなかった。
その時、男の胸の内にあったのは果たして絶望か、諦観であったのか、またはそれ以外のものだったのかは女にはわからない。
ただ、女は無力な自身を、クソッタレな結末を用意した世界を罵倒し、どうしようもなく呪うしかなかった。
□
原初の炉へと続く灰色の道。
王のソウルを王の器へと捧げた男の歩みには、もはや迷いはなかった。
不死となった彼が選び取った運命とは、火継ぎを終わらせ闇の王となるのではなく、薪の王となること。
つまりは、火の消えかけた世界を再び照らすため、神族の世の礎として火を継ぎ、次代の薪となる定めを負う。
男が火を継ぐこと。
一方で、それは旅の終わりを意味しており、またクレマンティーヌの夢の終末が近づいていることを意味していた。
そう、この夢は神族の王の陰謀により薪の王となった不死の男の物語だった。
だが、決して男は神族の王の言いなりであったわけではない。
火の継承は、彼自身で考え、悩み選び取ったものなのだ。
そして、女はこの火継ぎの旅と苦悩こそが彼の原点でもあると知った。
だから彼はアチラでも一人、何かを求めるように旅を続けていたのだと。
(くそっ……アンタがそんなことする必要なんて、どこにもないのに……)
女の音無き慟哭が風に邪魔され、掻き消されてゆく。
(クソ蛇が言ってた……火の時代は終わるべくして終わるって)
この旅は、何かの偶然がクレマンティーヌへと見せた一抹の夢にすぎない。
例え、男の過去を知りたいと、自身が望んだことであったとしても。
女は何故こんなにも救いのない結末を私に見せようとするのかと、嘆いた。
奇跡か悪魔の仕業なのか。まさか世界に意思があるわけでもあるまいし、これも何処ぞの自称神のクソッタレやら悪魔の悪戯なのかもしれないと彼女は信じ始めている。
だとしたら、何て最低最悪な奴だとも。
現に、火継ぎの仕組みを作った神族の王は、彼女からしたらクソッタレと同義だった。
世を照らす?
人から闇を払う?
それはお前が神族の時代の終焉を、闇の王と成りうる人間を恐れていたからじゃないか、と。
(あんた馬鹿だよ……)
もし……彼を救えるのなら救いたい、他の誰でもない私こそが──ー
それが男の旅を見続けてきた、今の彼女の願いだった。
(いつか終わる時代を無理矢理、延命する意味なんて……)
(あんたは、闇の時代を迎えて、最初の闇の王になれるのに……)
男に女の声が届くことはなく、女は男が犠牲になるのがただただ嫌だった。
そして、火は継がれる。
神から不死の男へと。
男は火に焼かれ、世界を照らすだろう。
その身の全て、魂までもが灰となりかけ……
世に再び闇が近づき、新たな薪の王が彼の前に姿を現すまで、ずっと、ずっと。
世界が発展と安寧の中、多くの神族や人、その他の種族達が幸福に暮らしているのに。
彼だけは火で焼かれ続け、身を苛む痛みを抱き。ただ一人、ポツリと原初の炉で孤独に耐え……
そして……いつか男を燃やす火が陰り、新たに火を継ぐものが彼の前に立つ頃。
陰る火を次代の薪の王へと継ぎ終えると……
彼の身体も、魂までもが燃え尽き、とうとう灰となる運命なのだ。
その報われない終末に、女の目から、雫が溢れた。
そして、もう一つ、女の瞳にあるのは諦観の念。
(この夢が終わったら私は死ぬけど、いつかあなたは私に会ってくれるよね)
女は確かにエ・ランテルの地で男と出会っていたから。
どうしようもなく愚かだった彼女自身に。
ふと、燻る火を纏う男と本当に久しぶりに目が合った気がした。
(……!)
とうとう、終末が近づいてきた。男の姿が灰のように崩れ、だんだんと見えなくなってゆく。
目が合ったのは気のせいだったかもしれない。
ただ、クレマンティーヌは最後に目を合わせてくれたように思えて嬉しかった。
恋しい、黒い炎の輪の浮かぶ瞳を。
夢が覚めてゆくように、またはより深い眠りに誘うように視界が白い霧に覆われてゆく。
(ありがとう。私に会ったらたくさん話してね、馬鹿な私にお仕置きして、たくさん愛してね……)
それは永遠の離別のような気がしてならなかった。
(もしそうなったら、私はたくさん愛して貰えたんだって思いながら逝けるから)
まるで異なる世界との接続が断ち切られるような。
(私が孤独じゃなかったことの証明になるから)
故に彼女は生まれて初めて真摯に祈った。
例えこの場面が男の過去であり、夢の中であったとしても。
小さな人間の願いが届く訳がないとしても。
どうか、あの人が孤独になりませんように
かつて篝火を囲んだ仲間達に会えますように
理解者に恵まれて、旅路に迷いませんように
……
……あ、あああぁー! 死にたくねぇな!
いやだ……
もう一度会いたい……
会って好きだって伝えたい
一緒にいたい
今度は本当に旅して、愛して欲しい
最初で最後の、お願いだよ……
出来るなら、あの人と死にたかった……
女の意識が途切れる間際、男との唯一の繋がりであった罅割れた指輪がガントレットの中で砕けた。
『元の世……戻……ます』
あるのは後悔。
目が覚めたら彼女は今度こそ死を迎えるのだろう。
それが死の間際に見た、幸福とは言い難い、長い長いクレマンティーヌの夢だった。
□
?
苦しい……
体が鉛のように重い……
「ん? おぉ、起きたか。体調は……最悪みたいだな」
懐かしくもある声が聞こえ、目の前には望んだ男の姿。
「……ぇ、ぁ? あ、あぁ……」
パクパクと、声にならない聲。
目を見開き、流れ星のような一筋の涙が流れ落ちた。
次々と、溢れ出る涙を堪えきれない。
女は重く、自由にならない体をひきづり、男に縋り付いた。
「お、おい、どうした……?」
「怪我は全部治したはずだが……まだどっか痛えのか……?」
慌て、女を心配そうに見る男に、女は首を振った後──ー
男の胸へと顔を埋め、逃さないようにしっかりと抱きしめた。
「お? お、おー、よしよし。死んじまって、怖かったなぁ」
どこか困惑したように笑みを作り、女の髪を優しく撫で、なだめる男がいた。
□
彼は私を生き返らせた。
それも強度を下げることもなく。
そんな常識を当たり前のように裏切る。
如何なる手段かはわからないが……
しかしなるほど、正に神の如き御技としか言いようがない。
聞けば、やはり彼はプレイヤーではあるようだが、神とか呼ばれ崇められるべき存在ではないと言う。
確かに……下世話な話だが、私の知る彼はドスケベだし……
端的に言って、こんなの一般的に崇められる神様の像とは違うくない? 笑
と、まぁ……神様と呼ばれても可笑しくはない力を持つ存在はいても、普通の、信仰の対象となる神様はやはり偶像にすぎないのではないかと改めて思った。
彼は既に二度、人類を、世界を救っている。
一度目は大敵の討伐。
二度目は世界を照らす火となること。
三度目は……無いことを祈ろう……
だが、彼ももはや懲りているのではないだろうか。
私を生き返らせた彼は、救えるのは手の届く範囲だけだと言う。
やろうと思えば自分を犠牲にして、世界すら救うのに。
だから、決めた。
私は彼の腕の中にいたい。
少なくとも、それで私は救われるから。
そして、私は彼を支えよう。
もう、彼がたった一人孤独に、自らを犠牲にすることのないように私が見張らなければ。
……なるほど、私にも信仰の芽はあったのか。
ただ信仰の意義を見失い、捧げるべき神がいなかっただけ……
一つだけ考えたことがある。
古の法国の民がこの地に降臨したプレイヤーを神と崇めた訳を。
多分、信仰の原点には感謝があるのだ。
絶望の中に現れた希望の光。
闇の中、一際強い存在感を示す光は、人間が未来へと歩むための道標となったことだろう。
そして、人々は抱えきれないほどの感謝の気持ちを崇めることでプレイヤーに報いた。
それが六大神信仰の原点。
私も彼に感謝しているから。
そして、今の私は彼を信じている。
彼を仰ぎ、信じられる。
孤独が癒やされて分かった。
この大きなありがとうという気持ちを、どのようにして伝えればいいのか考えるようになったから。
それをどのように選択するのかは人によって違うのかもしれない。
例えば、生活を助け仕えることにしたり、身を守る騎士となったり、はたまた抱く感謝の念を多くの人に知ってもらいたいと、輪を広げたりしたかもしれない。
でも、時代を経て、六大神信仰は……弱い人間自身を支える柱という『機能』になった。
いつしか感謝の言葉は忘れられ、自身の願いへと変わり、神の存在が侵さざる聖なるものとなって、祈りは尊敬から崇拝となった。
だから人間はいつまでも神の存在に縋り、心の奥底では叶わぬと分かりながらも乞い願う。
それが偶像の正体。
もう一度言う。
私は彼に感謝している。
だから彼こそが私の秘めた信仰になる。
空っぽなどではない。
私にとっての、本物の信仰。
彼自身は神などではないと言うが。
神の正体がプレイヤーならば、プレイヤーたる彼だって神と呼ばれても可笑しくはないのだ。
そう、私が決めた。
もう一度だけ。
私は彼に感謝している/愛している。
それが私の選択。
一旦気付いてしまえば、今更ながら、そのことに酷く安堵した。
彼に会えて孤独は埋まり、強固な精神の柱を持てたことを実感している。
そして……外っ面ばかりで、張りぼての信仰を持つアイツらを許せるくらいに優越感を感じ、憐れに思った。
何しろ実像を持つ神を崇められるのは、現代では私だけの特権だったからだ。