主人公・橘芙蓉が千手仏間に引取られ、瓦間を失ったばかりの柱間・扉間・板間と共に暮らすことになります。また、仏間が芙蓉を引取った理由は、水蓮という女性との関係があり・・・
原作の場面を一部引用して話を進めております。
戦国時代。国と国、組織と組織、個人と個人。その対立と憎しみを背負い、駒となって戦う。そして自らも愛と憎しみを抱え、対立する忍を敵として、終わりの見えない、血で血を洗う戦いを続ける。それが、この時代の「忍」であった。
「瓦間・・・」
いくつもの棺が土葬されるなか、兄弟三人と父が小さな棺を見送る。
「忍が嘆くな!忍は戦って死んでいく為に生まれてくるものだ。」
我が子の棺を見つめながら父は、自分の言葉を自分に言い聞かせているかのようだった。涙こそ浮かべないがそれ以上言葉が続かない。だがすぐに我に返り、強い眼差しで言葉を続ける。
「遺体の一部が帰ってきただけでもありがたいと思え!今回の敵は、うちは一族と羽衣一族だったからな…。特に奴らは子供とて容赦などしない。」
父の僅かな変化に気づかずに、泥をかぶっていくその棺を見つめながら長男が言葉を続ける。
「瓦間はまだ七つだった!こんな…こんな争いがいつまで続くのですか⁈」
「敵という敵を亡き者にするまでだ。戦いの無い世界は簡単な道程ではできぬ!」
「子供を犠牲にしてまで…?」
ガンッ!
父は長男を殴り、その手が震えるのを気づかれないように言う。
「瓦間を侮辱することは許さぬ!奴は子供としてではなく、一人前の忍として死んだのだ!」
殴られてもなお、長男は父を睨みつける。
「何が愛の千手一族だ!何が一人前の忍だ!大人が寄ってたかって子供を死に追いやってんじゃねーか!こっちだって、相手に同じことしてるしな!」
その言葉に父は黙って背を向ける。
「それが相手への敬意だ。たとえそれが赤子とて武器を持てば敵とみなす。」
ふいに強い風が吹き抜け、次の言葉を遮ったが、それでも父はすぐに言葉を続けた。
「そして、子を一人前にしてやることこそ、親の愛だ!」
長男は父を更に強く睨みつけた。
そんな愛など、到底受け入れられるわけがない。受け入れて、たまるか。
死んだ弟の棺がついに、全て土を被った。再び風が吹き、土煙を舞上げる。それはまるで、土に埋められたくないと弟が叫ぶ声のようだった。
「こんな忍の世界はぜってー間違ってる‼」
長男は俯き、強く目を閉じてそう叫んだ。
父は子に今の全ての感情を隠さなければと思いながら、その言葉に怒りを抑えることができなかった。
“こんな忍の世界なんて、私は絶対認めない”
遠い昔に聞いたあの女の声が、後ろから聞こえた気がした。
「お前のような奴をガキというのだ!」
目の前の息子に、その女の姿が重なる。
再び父は長男に拳をあげようとしたが、とっさに次男が二人の間に入って止めた。
「父上、兄者も今日は気分が沈んでるんだ…もう許してあげてよ…」
さっきまで吹いていた強い風が、凪いでゆく。
「…少し頭を冷やせ。柱間!」
「・・・。」
仏間は一人、重い足取りで家に戻り玄関の前で深い溜息を吐いた。
「仏間さま、おかえりなさいませ。…お疲れ様でございました。…お子様方は?」
庭で洗濯物を取り込んでいた女中が、申し訳そうに声をかけてきた。仏間の妻は三年前に病で亡くなっている。
「椿か…。子供らは暫く帰ってこんだろう。瓦間の死が相当堪えた様だったからな…。」
「そうですか…無理もありません。数多の死を目にしてきたとはいえ、戦で身内を亡くすのは初めてでいらっしゃいますもの…」
椿はそっと涙をぬぐった。
「椿、お前も、夫と娘を戦で亡くしているのだったな…娘はいくつだったのだ?」
「五つです。村全体、忍び以外の人間が無差別に殺された戦いでしたので…。忍の修行中とはいえ、まだ幼すぎでした。私と夫が守れていれば…あの子は…」
「すまぬ。お前にまで辛いことを思い出させてしまったな。」
「いいえ。私は大丈夫です…。今は仏間さまのほうがよっぽどお辛いでしょう。」
そう言って椿はまた涙を拭った。そして、ハっと何かを思い出し顔を上げ焦ったように言う。
「あの…こんな日にお伝えするのは、その、申し訳ないのですが…」
椿の様子を見ていた仏間は、良くない要件だとすぐに察し真剣な顔をした。
「構わぬ。申せ。」
椿は洗濯物を抱えたまま小走りで仏間に近づき、俯いたまま口早に用件を伝える。
「水蓮さんが昨年、亡くなられたようです。それで最後に残っていた一番下の娘が、父の…兆さんの姉に引き取られているそうです。それで、その子がもうすぐ他国の大名へ売られるようです…」
「水蓮が・・・・そうか。」
椿がはいと答える前に、仏間は玄関の扉を開けゆっくりと家の中へ入っていってしまった。
椿は仏間の背中をただ黙って見ていることしか出来なかった。
仏間は自分の部屋に入ると着替えもせず座り込み、畳に目を落とす。夕方に差し掛かる前の黄色い光が障子から差し込み、仏間のかたちの明るい影を作る。
「なんという日なのだ。」
仏間の頭の中は、仏間と繋がりを作ってきた様々な人物の顔が浮かび、交錯する。
今日は冷たい土の下に埋葬された愛する息子の顔しか思い出したくはない。なのに、なぜあの女のことまで思い出し、心を乱されなくてはならないのか。
いつどんな過酷な情報が入っても来るかも分からない日常には慣れている筈なのに、今はこんなにも心を乱されている。
仏間は自分自身を嫌悪した。
しかし同時に、そんな自分を嫌悪したところで失った息子は戻っては来ないし、あの女にも二度と会えはしない。過去には戻れないのだ。
今できることは何か。乱される感情と同時に、仏間は冷静に考え始めていた。
◆
数日後、仏間はひとり、領地の外れにある大きな屋敷の前に居た。
仏間が長を務める千手一族の領地内には、一般市民も多く住み、農業・商業・工業・武器の製造、学校、病院など、千手一族を支える形で中規模なコミュニティが出来上がっていた。また、千手一族もそれらの市民を守るという関係性で支え合って暮らしていた。
その市民の中には、外との交易や商売で財を無し、金銭面で千手一族を支え特別な加護を受けている者もいる。仏間が立っているこの屋敷の主人も、その一人である。
使用人が大きな扉を開け、仏間が玄関に入ると、そこに主人である中年の女が立っていた。
「あらあら。仏間様みずから、しかもお供も連れずにお越し下さるなんて、申し訳ないですわ~。こちらからお伺いしましたものを。ささ、どうぞ中に入って下さいな。…さっ、仏間様をお通ししな。」
女は眉間にしわを寄せて迷惑そうな笑顔を作り面倒臭そうにして、先にそそくさと中へ入って行ってしまった。
使用人の男は慌てる様子もなく、無言で仏間を屋敷の奥へと案内した。
「芙蓉、この方が仏間様だよ!さっ、しっかりご挨拶をし!」
舶来品の家具や調度品で派手に飾られた部屋の床に、少女がちょこんと正座していた。
女の言葉と同時に慌てて立ち上がる。
「こ、こんにちは。はじめまして。橘 芙蓉と申します。よろしくお願いいたします。」
少女は大きな声で言うと、緊張で体をこわばらせながら仏間の顔と床と、交互に視線をそらしながら挨拶をした。
「なんだいこの子は。おどおどするんじゃないよ!なんでいつも行儀良くできないんだい!こんなんじゃ大名様に気に入ってもらえやしないよ!もう!私に恥をかかす気かい!」
「ご、ごめんなさい。伯母様…」
少女は涙目になり俯いた。仏間はその様子を見て、伯母と少女の関係性は想像していた範囲内だったが、少女のほうは想定外に弱弱しく、少しばかり驚いた。
・・・これがあの女の娘か?いや、やはりあの男の娘だな・・・
仏間は少女のことを改めてじっくりと見て、そう思った。
少女の髪は明るい栗色でくせ毛なのか毛先が遊んでいる。大きな二重の瞳は深い琥珀色。痩せた肌は真っ白で、一見病弱そうにも見えなくもない。
あの男の容姿を即座に思いだせるほど似ている。あの女と似ているといったら、俯いた時の長いまつ毛と血色のいい小さな唇だろうか。
「主人、この子がどんな子かもう分かった。今日はこの子を譲って貰えるか、その話をしに来たのだ。二人で話せるか。」
「あら?そうですの?水蓮の子だから、容姿が良ければそれで良いってことかしら?」
女は意地悪そうにそう笑って見せた。仏間は無言で女の顔を見つめ返す。
「そ、そんな怖い顔で睨まなくたっていいじゃありませんの~。私は水蓮の義姉であり、芙蓉の伯母ですのよ。お譲りするにも、きちんと仏間様のお気持ちを確かめなくちゃなりませんの。さっ、芙蓉、もう下がっていいわよ。」
女主人は仏間の睨みに少し焦った様子で、少女を部屋から出した。
少女は部屋を出る時、仏間の前で一礼をし、目を合わせずに静かに出ていった。
仏間は趣味の悪いゴテゴテとした椅子に腰かけ、居心地の悪さを感じながら、女主人と二人で話しを始めた。
「で、芙蓉をお譲りして、こちらにはどれくらいメリットがあるのかしら?」
「条件は先日、使いの者に持って来させた筈だが。」
「もちろん読みましたわよ~。姪っ子が千手一族の長の妻になれば、確かに私共もこの先ここで商売していくのは安泰ですわね。でも、忍の一族の長の妻と、大名の妻。どっちが将来より安泰かしら?」
女は茶を一度口にして、仏間の言葉を待たずにまた言葉を続けた。
「それに何より、ご子息が将来、千手一族の長になれる保証なんてどこにありますの?なれなかった場合、私が損するだけじゃありません?それとも…ご自分の妻にでもするおつもりだったりして。オホホホホ!」
仏間は少し黙ってから、静かに話し始めた。
「あの大名は、うちは一族と強固な繋がりがある。現在(いま)、千手とうちはの大きな二つの勢力の対立で戦っているのは知っておるだろう。もし、うちは勢力がこの大戦に勝つならば、千手勢力から貰った嫁の立場はどうなるだろうな?嫁は殺され、それと繋がりのある商人らも切られるだろう。うちはの奴らは容赦の無い奴らだ。いっぽう、我ら千手勢力が勝てば、うちはを使っていた大名が没落するのは火を見るより明らかだ。…まさか主人、そんなことも知らずに、あの大名に嫁がせようとしておるのか。」
仏間の話を聞きながら、女は次第に顔色が悪くなり、話を聞き終わると血相を変えてこう言った。
「そ、そんなことくらい知ってますわよ!で、でも、我々商人のお金が忍の世界を支えているのも事実ですのよ!お金を優先して、何が悪いっていうのかしら!…ま、まぁ、そちらからもそれなりのお金と、これからの加護を保証して下さるそうですから、それも悪くありませんわねえ!」
「主人。ところで、話は変わるが、おぬしらが陰で武器の横流しをしておるという情報があってな。今、そのことについて調査を進めているところだ。今日はそのことについても話を聞くつもりでわし自ら来たのだが、どうなのだ?」
立場は完全に仏間のほうが上になっていた。
女はうなだれたかと思ったら、すぐに顔をあげ、態度を変えた。
「いつ芙蓉をお渡しすればよろしいかしら?こちらはいつでも結構ですわ!それにお金は結構です。私たちが商売できるのも、千手の皆様にお守り頂いているからこそですものね!それをこれからも加護して戴けるのですから、それだけで十分ですわ!」
仏間は一年弱とはいえ、こんな伯母に育てられた少女のことが少し心配になった。
◆
「大人はほんとに勝手だよな…。許嫁なんて時代遅れだろ。ブスだったら最悪だ。」
「僕も結婚相手くらい、自分で決めたいけどなぁ…」
「俺は別にいいぞ!妹ができるようなものぞ!」
次男の扉間、四男の板間、そして長男の柱間が森の中の広場で話している。
三人は昨夜、父仏間から両親を亡くした七歳の少女を引取り、彼ら三人の許嫁にすると聞かされた。その少女の両親と仏間は古い友人だという。
「妹なんかじゃない。その芙蓉って女が十八歳になったら、俺たちの誰と結婚するか決める。それまでは女中として一緒に住む。まぁ、普通に考えて結婚するのは長男の兄者だろうが。」
「ひとつ屋根の下、一緒に暮らしていくんだ。家族同然だろ!それに結婚の事は先の事なんだし、そんなに気にせんでも…お前たち、優しくしてやらなきゃだめだぞ!」
そう言う柱間も、内心では父の勝手な決断に反発を感じていた。
しかし、その少女の境遇を聞き、哀れに思った。少女もまたこの戦国の世に生まれた子供の一人なのだ。そして、偶然にも一ヶ月前に亡くなった弟と同じ年ということもあり、妹同然の存在だと感じた。守るべき存在ができることが、純粋に嬉しかった。
「兄者はこれ以上、大人の勝手な都合に耐えられるのかよ。確かにその女にも同情するが、それとこれとは別問題だ。いつものように孤児院に入れればいいだけだろ。なぜ俺たちの許嫁にする必要がある?俺はごめんだからな。それに…瓦間が死んでまだ一ヶ月しか経ってないんだぞ…どうかしてる。」
扉間が草むらに乱暴に石を投げた。石の当たったタンポポの綿毛が舞い、風に流されてゆく。
森の木々が作る丸く青い空には、のんびりと雲が流れている。ヒバリのつがいが囀りながらその空を横切った。それをぼんやりと見上げながら、板間が洩らした。
「瓦間はどう思っているかなぁ…まぁ僕は家事をやらなくて良いのはのは助かるけど。」
柱間は弟二人を静かに見つめながら、先日、河原で出会った少年のことを思い出していた。
河原で水切りをしていたあの少年も忍のようだった。彼はどんなものを背負って生きているのだろうか。忍として、大人と共に戦の時代をどう生きているのだろうか。
さっきまで丸い空に浮かんでいた雲は消え、真っ青な空になっていた。
◆
芙蓉は左手を椿に手を引かれ、右手には荷物とも呼べないほどの少ない手荷物を持ち、初めて見る風景に目を奪われながら歩いていた。
「こら。よそ見しないでちゃんと前を向いて歩きなさい。人にぶつかってしまいますよ。」
「はい…ごめんなさい。あの、あれは何をしているのですか?あの建物は…?」
芙蓉はこれからの不安よりも、今は好奇心が先行していた。見るものすべてが新しく、何でも知りたい衝動に駆られる。
「まだあなたが知る必要は無いものよ。あなたが町を歩くことはもう当分無いのですから。」
その言葉に芙蓉は、また家の中に閉じ込められて暮らすのだろうことを察した。
目の前の新しい世界をできるだけ目にすまいと、俯き気味に歩き出した。
どれくらいの時間だろうか。それほど長い時間では無いはずだが、幼い芙蓉にはそれは半日ほどもの長さに感じた。何度か道端で休憩を取りながら、太陽が南中になり強い日差しが良く晴れた景色を色濃く映し出す時間に、そこへ到着した。
高い石垣の坂を上った所にその家は建っており、大きな木の柱がいくつもある平屋づくりの屋敷だった。重厚な門をくぐると玄関があり、広い庭がある。奥まったところに白い敷石と縁側が見えた。庭の生垣や草の緑は濃いが、春だというのに花は一つも見当たらない。
「ただいま戻りました。」
椿が玄関の扉を開け、芙蓉を先に中へ入れ、握っている手を離した。芙蓉は不安げに、斜め後ろの椿の顔を見上げる。
椿の視線の先に、家の奥から仏間がゆっくりと現れた。
「ご苦労だったな。問題は無かったか。」
「はい。何も。」
仏間は、芙蓉の顔から足の先までを見て言う。
「あがりなさい。」
「…はい。」
芙蓉は仏間の強面で固い表情に怖れを感じつつ、緊張しながら履物を脱ぎ揃え、小上がりに上がった。そして椿がそっと芙蓉の背中を押す。
「さ、行って。まずは仏間さまのお部屋でお話を聞きますよ。」
椿は仏間の後に付いて部屋へ向かった。近くで見ると仏間はとても背が高く、広い背中をしている。後ろ姿だけでも迫力があった。伯母の家で何度か忍の男性を見かけたことはあるが、こんな大柄だっただろうかと思い出す。
そうするうちに仏間の部屋に着いた。芙蓉の後ろに居た椿がさっと仏間の前に出てしゃがみ、重々しい襖を開ける。仏間が中に入って座布団の上に腰を下ろした。それを見届け、芙蓉もゆっくりと部屋に入った。
部屋の障子窓からは日差しが少し差し込んでいるが、中はヒンヤリとしている。
「座りなさい」
芙蓉が恐る恐る畳の上に正座しようとするのと同時に、椿は襖を閉めてどこかへ行ってしまった。芙蓉はますます不安になり、襖の向こうを見つめる。
「今日からお前は、この家の女中として暮らすことは分っておるな。…わしには、三人の息子がおる。上から一二歳、一一歳、九歳だ。」
すると、先ほどとは逆の方向の廊下から何人かの足音が近づいてくる。
それが仏間の息子ちの足音だと芙蓉にもすぐに分った。
「うむ…ちょうど来たようだな。入れ。」
「失礼します」
黒いおかっぱ頭の仏間によく似た少年が勢いよく襖を開け、その音に芙蓉はドキリとした。
その少年の隣りに二人、銀髪で切れ長の赤目をした少年、そして背の低い銀と黒の短髪の大人しそうな少年が立っている。その後ろには椿がおり、三人に中に入るように促した。三人は中に入るとすぐに脚を組んで座った。
三人揃ってこちらをじっと見ている。
芙蓉もそれぞれの顔を何度か見たが、恥ずかしくて俯いた。
「わしの手前から長男の柱間。次男の扉間。四男の板間だ。皆、忍だ。」
「よろしくな!」
ニコニコと元気よく挨拶をしてくれたのは、長男の柱間だった。
その表情に芙蓉は少しほっとして、ハイとはにかんで答えた。続いて四男の板間がよろしくと小さな声で会釈をしてくれた。優しそうなひとたちで良かった…。
芙蓉は次男の扉間を見て、自分からよろしくお願いしますと微笑んだ。扉間は少しだけ口を開けぼーっとしたまま芙蓉を見つめていたが、はっと我に返って厳しい表情を作り、芙蓉の言葉を無視して父に向かって言った。
「父上、もう下がっていいですか。」
「まだ話は終わっておらん。一緒に聞け。」
「そうだぞ扉間!自己紹介とかまだだし!」
「名前以外に自己紹介する必要あるの?僕たちこの子の名前、もう知ってるじゃん…」
板間が不思議そうに柱間に言うが、仏間がゴホンと咳払いをして会話を遮る。
「芙蓉。お前は女中として働くだけではない。将来、お前が十八歳になった時に、この三人のどれかの妻になるのだ。つまり、許嫁だ。」
「え!許嫁のこと、こいつ今知ったの?父上、どういうこと?」
芙蓉が仏間の言葉に驚くより前に、扉間が驚いて身を乗り出した。
「ここに来るまで言う必要が無かったというだけだ。」
「うっそ…許嫁の件、オーケーだから家に来たんだと思ってたぞ…芙蓉、大丈夫か?」
柱間も驚いて身を乗り出して芙蓉の表情をうかがう。
「…だ、大丈夫です。私はこちらに引き取って頂いただけでもありがたく思っております。よろしくお願いします。」
そう言って芙蓉は深く頭を下げた。
幼い芙蓉には結婚がどういうことなのかの現実味は無く、いつものように、大人に言われることに、ただ従うしかない。
母が逝ってしまって以来、本能的に、生き抜くために大人に黙って従うことを覚えた。
芙蓉は子供ながらに、幼い自分の非力さは痛いほど理解していた。
そんな芙蓉に許嫁になることを拒否する理由は無い。
「この三人はいずれ千手一族を率いてゆく者になろう。その妻に相応しくなるため、これからお前にはしっかりと勉強をしてもらう。女中の仕事もその一つだが、わしと椿が教養を教える。時期が来れば学校にも行かせる。全てにおいて完璧に励むのだぞ。よいな。」
「はい。解りました。…仏間様。」
ほんの少し無言の時間が過ぎ、仏間は兄弟たちに声をかけた。
「お前たち、芙蓉はいずれお前たちどれかの妻になる。だが、それまでは他人だ。解ったな。」
「「・・・はい・・・」」
芙蓉は自分の部屋を与えられた。
同じ女中の椿と同室なのかと思っていたが、そうではなかった。部屋は正方形のこじんまりとした部屋だったが、真新しい畳の井草の匂いが心地よく、床の間や遠い棚まであり、まるで客間のようだ。だが勉強するために用意されたのか、部屋に対しては大きな机の上に、灯りと、筆記用具が一式揃っていた。ただ、外の風景は見えない。しかし障子が貼られた格子窓から陽の光が透けて入ってくるため部屋の中は明るかった。
芙蓉は荷物を畳の上に置き、へなりと座った。緊張の糸が解け、いけないと思いつつ、横たわる。胎児のようにぎゅっと身を丸め、そっと目をつぶると、母が亡くなったあの日を自然と思い出していた。
蛍の舞い始める頃だった。
「今日はまだ蛍あんまり飛んで無かったね。明日はもっと増えるかな?」
「うん…きっと明日はもっと飛んでるよ。」
「ね!お母さま、明日も絶対一緒に見に行こうね!」
「うん…晴れると、良いわね。」
芙蓉は母と同じ布団の中で、ぎゅっと母の手を握った。母が眠りについてしまうのが怖くて、友達の話や絵本の話、記憶には無いが父の話など、思いつくままに延々と話を続けていた。うん、うん、と優しく頷く母を見ながら、安心と寂しさ、病気の母を眠らせてあげなくてはならないのにという罪悪感が入り混じり、自分でもどうしていいのか分らなくなっていく。
・・・だって、でも、もしかして、お母さまがこのままずっと眠ってしまうなんて嫌だもん。怖いもん・・・
「お母さま、お願い…ずっと、ずっと私と一緒にいて。早く元気になって!一人にしないで」
いつの間にか眠ってしまった母の横顔を見ながら、芙蓉は小さな声で、だが懸命に訴えた。
しかし翌朝、母は目を覚まさなかった。
昨日まで、おんぶしてくれたのに…今日も蛍一緒に見に行こうって、約束したのに…。
母には親兄弟はいなかった。母と父の間には、芙蓉とは十歳~十五歳年の離れた姉が四人いるが、その全員が他国の大名や豪商のもとへ嫁ぎ、戦乱のこの時代その安否や行方は分からず生き別れとなっており、幼い芙蓉に母の死を知らせるすべはなかった。
葬儀や埋葬は母の友人や付き合いのある人々がなんとかしてくれた。
そして、母の埋葬が行われる日、父の姉が久しぶりに芙蓉の前に現れた。
「芙蓉。あんたは今日から私のところに来るのよ。」
伯母は、母に対して生前から冷たい態度を取っていたことは幼い芙蓉にも解っていた。芙蓉もそんな伯母を怖れていた。しかし母は、自分に何かあったら伯母を頼るようにいつも芙蓉に言っていた。
「伯母さんはね、お父さまのお姉さんなの。冷たく見えるけど、心の中では絶対に芙蓉のことを大切に思ってくれているから。」
なぜ母がそんなことを言うのか、母の見舞いにも来ない伯母になぜ頼れというのか、芙蓉には全く分からず、不安しかなかった。
「あの…私…ヒナさんと一緒に住むの…だから、行かない。」
母が亡くなった日、母の死を芙蓉以外で最初に確認したのがヒナという女性だった。ヒナは芙蓉の母・水蓮とは仕事先の茶屋の同僚で、戦争で夫と子供を亡くしていた。水蓮とは親友として仲が良かった。母とは貧しいながら助け合い、芙蓉のことも自分の娘のように可愛がってくれており、母の死の当日、真っ先に一緒に暮らそうと申し出てくれたのだ。
「ああそうそう、そのヒナって人にも用事があんのよ。どこにいるかしら?呼んできて。」
芙蓉は急いでヒナを呼んで連れてきた。
「あなたが芙蓉ちゃんの伯母さんですか…。芙蓉ちゃんは私が引取りますのでご心配なさらないでください。ご迷惑はおかけしませんので。」
「いいえ~。芙蓉は私が引取るの。水蓮ともそういう約束になってるのよ。そうそう、これ、水蓮からあなたに手紙。自分が死んだら渡してくれって。きっとその手紙にもそう書いてあるはずだから早く読んで頂戴。自分で言えばいいのに面倒なことするわよね~。」
ヒナは手紙を急いで開けた。そこには確かに水蓮の文字で、芙蓉は伯母に任せるので心配しないでくれと書いてあった。そして、いま付き合っている男性と幸せになってほしいと書いてあった。ヒナの涙が手紙に落ちて字が滲んでゆく。
「ね?分ったでしょ?そういうことだから~。」
「私…ヒナさんと一緒がいい!」
「そ、そうよ!あなたのような金の亡者で家族を売るような人に、芙蓉ちゃんを渡すわけにいかないわ!芙蓉ちゃん、行こう!」
伯母はアハハと大きな声で笑ったあと、怒りに満ちた顔で芙蓉を睨みつけた。
「あんたの母親はね、橘一族の子孫を増やしていくことを、自分で、選んだの。私の弟に一番愛されてるなんて勘違いしちゃって。馬鹿だよねえ。私は女の体じゃなく、この才能と金で橘一族を存続させてんだよ。才能も無い女どもに馬鹿にされる覚えはないね!」
そう言って、芙蓉に封筒を投げつけた。
芙蓉は急いでそれを拾い、中身を確かめた。それは母からの遺言が入っていた。
…これからは、おばさまにお世話になりなさい。良い子にするのですよ。…ずっと一緒にいられなくてごめんなさい…
長く色々と書いてあったが、芙蓉はその最後の文章をやっと読めたところで、伯母がその手紙を奪い取った。
「やめて!返して!」
「分かっただろ!あんたは今日から私のモノなんだ。言うことをききな!」
伯母はそう言って無理やり芙蓉の手を引っ張った。
「やめなさいよ!芙蓉ちゃんは絶対あんたなんかに渡さない!待ちな…」
ヒナが伯母に掴みかかった瞬間、男の忍が二人、ヒナを取り押さえた。
「心配しなくていいよ。芙蓉を殺したりなんかしやしないよ!私の大切な姪っ子だからね。大切にするさ。ただ、これ以上私らに関わるなら、あんたがどうなるかは知らないがねぇ。」
「やめて!ヒナさんに乱暴しないで!わたし、わたし、伯母さまと一緒に行くから!」
泣きながら叫ぶ芙蓉の手を引っ張って、伯母は馬車の中に芙蓉を押し込み、それを確認すると馬車は足早に出発した。
「芙蓉ちゃーん!!」
ヒナの悲痛な声が響き、二人の忍びがその口を押え、ヒナをどこかへ連れ去ってしまった。
・・・ヒナさん、元気かな・・・
「起きなさい。お行儀が悪い子ね!いくら疲れているからってお昼寝なんて許しませんよ!さ、晩御飯の支度をするから服を着替えて。」
夢を見ていたのか、想い出なのか、ぼんやりとした曖昧な意識の中を漂っていると、椿からたたき起こされて叱られた。先ほどまでの意識は一瞬で消え、現実に戻る。
目の前に出された服に急いで着替え、椿と共に台所へ向かう。今から仕える主のための夕食を作るのだ。そして夕食の後は片付けと掃除、風呂を沸かし、寝る前には仏間からの勉強が待っている。
◆
「うおぉー!想像以上だったな!超可愛いぞ!なぁ板間?」
「そうかな。僕にはよく分らないけど…でもブスじゃなよいね。ね?扉間兄者。」
「お前ら、ガキ相手に可愛いとか気持ち悪いな。俺はガキに興味無い。」
「僕らもまだガキじゃない?」
「いや、兄者なんて五歳も年下の、七歳の女のこと可愛いとか、気持ち悪いだろ。」
「そーかぁ?可愛いぞ?俺のタイプだ!五歳差なんて、お互い大人になったら誤差みたいな感じだろーし。」
「やめろ、気持ち悪い…てか忍が誤差とか言うなよ。」
「でも大人は十歳差とかで結婚してる人、多いよね。」
「うん、多いぞ。まぁ…女が少ないからな…。扉間は古いって言うけど女を確保するために許嫁いる奴、忍じゃ珍しくもねぇーしな。」
「ふん!馬鹿らしい。金で買ってきた物みたいじゃないか。そんな物に俺は興味無い。」
晩春の夕暮れはまだまだ冷える。縁側に座っていた三人はぶるっと震えて立ち上がる。
その時、板間がニヤリとして柱間に耳打ちした。
「でも扉間兄者、さっきあの子に見惚れてたよ?」
ニシシシと柱間も笑った。もちろん、柱間も扉間が芙蓉に見惚れていたことくらい気づいていた。板間は普段おっとりしているが、ちゃんと立派な忍だと兄として嬉しくなる。
「見惚れてなんかねーよ!!馬鹿!!」
扉間が二人を掴んで思いっきり睨みつけた。二人は楽しそうに逃げ回る。まだうっすらと向こうの空が明るいが、空には十六夜の月が浮かんでいた。
それはまるで、夜空が微笑んでいる様にも見えた。
◆
柱間は急いでいた。一秒でも早く!一メートルでも前に!…
「待ってろ、…ぜってー助けてやるからな!…死ぬな!」
樹齢千年を超える大木が無残に切り倒され、行く手を阻む。立っている大木の枝は天まで伸び、生い茂る葉で太陽の光は遮られている。ジメジメとした地面は苔むしていて、気を緩めればすぐに足元をすくわれてしまいそうだった。その上、倒れた大木の間には所々に大きな岩が転がっている。
板間はその岩の後ろで一人、上がった息を必死に鎮めようとしていた。
なんとか一人で切り抜けなければ、瓦間と同じ運命になる。
冷静になろうとしても、それに反して心臓の鼓動は早くなり、息も上がってくる。
「兄…者…⁈」
気づくと、五人のうちわ一族の忍に囲まれていた。
どの忍も写輪眼を開眼した大人の忍である。
「お前にも兄が居るのか。…俺の兄は、千手に殺された。」
柱間は先ほどまで感じられていた板間の場所に、やっとの思いで辿り着いた。
しかし、柱間の目には信じたくない、現実の光景が飛び込んできた。
「板間ぁ―っ!!」
動かなくなった弟を抱きしめ、柱間は泣き叫んだ。
あと一分、あと一秒早かったら、板間は助かっていたかもしれない。
戦いが終わったその森は、無数の死体が横たわり、柱間の泣き声だけがこだましていた。
◆
柱間は緩やかに横たわる川の流れを見つめていた。
空は鉛色で、普段透き通っているその川の水も曇天を写して濁っているように見える。
「よう…久しぶりだな…えっと…」
「…柱間だ。」
「なんだよ。今回はいきなり落ち込んでんじゃねーか…何があった?」
「逆になんだよ…俺は元気ぞ…!」
「…うそつけ。なんだったら話してみろよ…」
「…別に、何も…」
「いいから…言えって…」
「ホント、なんでもねぇーって…!」
「いや、引っ張りすぎ…聞いてやるっつってんだから、早く言えって…」
「なんでも…ねぇんだぞ…?」
号泣した顔で柱間が少年のほうを振り向いた。
「あーもー!さっさと話せぇぇ!!」
「・・・弟が、死んだ。」
「・・・・!」
柱間は再び川のほうを向き、涙をぬぐった。
「ここへ来るのは…川を見てると心のモヤモヤも流れていくような気がするからだ…」
そう言うと、柱間はへへっと笑い、少年の方を再び振り返って言った。
「マダラだっけか…お前もそうだったりしてな…」
マダラは同じ忍の子供である柱間の背中に、いつかの自分を、見たように感じていた。
「…お前、兄弟とかいるのか?」
「俺は…五人兄弟…」
マダラは河原の石を拾って、手の中でもてあそびながら答えた。
「だった…。」
「・・・・!」
「俺たちは忍だ。いつ死ぬかも分からねぇ。ただ、お互い、死なない方法があるとすりゃぁ…敵同士、腹の中を見せ合って隠し事をせず、兄弟の杯を交わすしかねぇ」
マダラは手に持っていた石を握り直し、身構え、続けた。
「けどそりゃ無理だ…人の腹の中の奥…腑までは見ることはできねーからよ」
そう言って川に向かって水切りをして見せた。
「本当は、煮えくり返ってるかも分からねぇ…。」
マダラはそう言って水面を飛び跳ねるように進んでゆく石を、力強く見つめた。柱間もその石の軌道を見つめながらマダラに尋ねた。
「‥‥腑を‥‥見せ合うことはできねーだろうか?」
「分からねぇ…だがいつも俺はここでその方法が在るか無いかを、願掛けしてる」
マダラの投げた石は対岸にコンと音を立て、届いた。
「今回は、それがやっと在る方に決まったみてーだぜ。」
マダラと柱間は届いた石を一緒に見つめた。
「お前だけじゃねぇ…俺も…届いた。」
マダラのその言葉を聞いて、柱間は静かに立ち上がった。
戦乱のこの時代を変えようと、同じ考えをもつ馬鹿な子供が…柱間以外に居た。
柱間は驚いたというよりも、マダラは神の啓示だとしか思えなかった。
「…腑を見なくても分かるんだけどよ…お前…」
「何?」
「髪型といい、服といい、ダッセーな!」
そう言ってマダラは大笑いし、柱間は全てが同じ考えではないのだなと少し落ち込んだ。
◆
鍋がくつくつと美味しそうな音を立てている。芙蓉はその様子を見るのが大好きだった。心がほどけていくような幸せな感情になれる音…。
「芙―蓉―!今日の晩飯はなんぞ?」
柱間がひょいと芙蓉の顔の横から身を乗り出し、鍋を覗き込む。芙蓉は驚き、心臓がドキドキと音を立てるのを感じながら答える。
「柱間さまおかえりなさいませ…今夜は肉じゃがでございます。」
「もー腹が減って我慢できんぞ~。今日も良く修行したからなぁ!芙蓉は今日はどんな勉強をしたんだ?」
「もうすぐ出来ますので、少々お待ちくださいね…。えっと今日は、仏間さまから書と剣と、計算を教えて頂きました。あと椿さんからは裁縫を…。」
「そんなにしたのか?すげーな。ていうか、剣までやるのか?それ必要なのか??剣なら俺が教えてやるのに。」
うふふと芙蓉は微笑んだ。その可愛らしい微笑みに柱間はドキッとした。
「家事をするにも体力が必要でしょう?剣は護身だけではなく体力作りにもなりますから。
それに体を動かすのは楽しいです。」
「言ってることは分るけど、重い物は俺が持ってやる!芙蓉は無理しちゃダメだぞ。それに…楽しいっていっても、父上の剣の稽古は芙蓉には厳しすぎやしねーか?」
「ありがとうございます。柱間さま…お優しいんですね。」
そう言って芙蓉は柱間の顔を正視してニッコリと笑った。柱間も頬を赤く染めてアハハと笑って見せた。
「最近、兄者明るくなったな。まぁ良いけど…」
二人の様子を居間から見ている扉間はホッとしながらも、まだ芙蓉の笑顔を自分だけが見られていないことに心が少し痛んだ気がした。
そこへ仏間が突然声をかけてきた。
「扉間。柱間のことで話がある。」
楽しそうに台所で話している二人を振り返りながら、気づかれないように父の後に続き別の部屋へ向かった。
◆
季節はすっかり秋を迎えていた。稲穂はこうべを垂れ、収穫の時期を待っている。赤トンボが舞い、ヒグラシの声は遠ざかってゆく。
二人の少年は今日も、忍の技を競い、拳を合わせ、夢について語り合っていた。
「でも具体的にどうやったら変えられるかだぞ。先のビジョンが見えてないと…」
柱間がマダラに問いかける。ゴクゴクと喉を鳴らして水を思いっきり飲み干したマダラがそれに答える。
「まずはこの考えを捨てねぇことと、自分に力をつけることだろが。弱い奴がいくら吠えても何も変わらねぇ!」
「そうだな…とにかく色々な術マスターして強くなれば、大人も俺たちの言葉を無視できなくなる。」
「苦手な術や弱点を克服するこったな。まぁ俺はもうその辺の大人より強えーけどよぉ。」
「‥‥本当に止まるんだ、小便。」
「だから俺の後ろに立つんじゃねぇー!小便したばっかの川に投げ込むぞゴラァ!!」
「あ、弱点みっけ。」
二人は会うたびに仲良くなっていった。そして互いに心身ともに成長していった。
「くそーぜってーお前の弱点もみつけてやる!あ、そのダセー髪型、すでに弱点じゃん。お前、女にモテないだろ?」
嫌味な笑みを浮かべるマダラに対して、柱間はフフッと不敵な笑みを浮かべて反論する。
「俺、イイナズケ、いっからさ!」
「はぁ?お前に許嫁?ぜってーブス!ブスに決まってる。」
「それがさぁ~超絶可愛いんだよなぁ…天使。もう天使だぞ!あれ!」
「信じられるか!…まぁどうでもいいけどよ。」
「似顔絵描いてやるぞ。顔は小さくて、髪の毛は長くて、目が大きくて、まつ毛が超長くて、いつもニコニコしてて~それでそれで…」
柱間はマダラの関心が逸れたことを気にせず地面に小枝で似顔絵を描き始めた。マダラは最初それを無視したが、つい気になって覗き込んでみる。
「ぶぶっ!やっぱ超ブスじゃねーかよ!笑わせるな。ぎゃはははは。」
柱間の絵があまりに下手すぎて、芙蓉の容姿がマダラに伝わることは無かった。
「この可愛さが伝えられないとは悔しいぞ。俺の弱点は絵心の無さかもな…」
必要以上に落ち込みうな垂れる柱間に、マダラが言い放つ。
「お前の弱点は、その落ち込み癖だ!」
秋の日暮れはつるべ落としである。すでに辺りは真っ暗になっていた。最近良く出かける柱間だけではなく、今日は扉間まで帰りが遅い。何かあったのだろうか。
板間の死は芙蓉にとって深い悲しみとなり、今も消えない。沢山会話をしたわけではないが、芙蓉と一番年が近いこともあり、親しみはあった。優しいおっとりとした笑顔を今でもずぐに思いだすことが出来る。長男と次男の緩衝材といった感じで、いつも優しく仲裁していた。その子供が戦争で亡くなる現実を目の当たりにし、芙蓉は自分がどのような世界に来たのかを知らしめられたのだった。
・・・もう誰も死んでほしくない・・・
芙蓉は二人が心配になり、玄関を出て外の門まで出てみた。門の外へ出ることは仏間から固く禁じられている。でも少しなら…
ギィィ・・・
そっと門を手で押して外を覗いてみた。門の外を見るのはこの家にやって来たあの日以来だが、すでに辺りは真っ暗で、坂道を照らす灯が僅かに揺れている様子しかしか見えない。
「そこで何をしておるのだ!」
凄い剣幕で仏間が後ろからやって来た。芙蓉は恐怖で声も出ず、微動だにできずに、ただ仏間が近づいてくるのを見つめるしかない。
「決して外へでてはならぬと言ったはずだ。何をしておる。」
芙蓉の倍はあろうかと思われるほど、仏間が大きな恐ろしい怪物に見えた。
「あ、あ、あの… お二人が、お二人のことが心配で…。申し訳…ありま…せん…。」
仏間の顔がずんっと近づいてきて、芙蓉は思わず両手で頭を押さえ、目をつぶり叫びそうになった。仏間は芙蓉の頭上から腕を門へ伸ばし、門を少し開いてその隙間から外を覗いた。芙蓉は恐る恐る両手を下ろして、仏間の顔を見上げる。だが、暗くて仏間の表情はよく分らない。
「心配いらぬ。あの二人は強い。特に最近、柱間の成長は目を見張るものがある…もうすぐ帰って来るであろう。さあ、家の中へ入りなさい。」
仏間は穏やかな口調でそう芙蓉を諭し、芙蓉の背中を押して先に行かせた。
「はい…。」
芙蓉は小さな声で答え、俯きながら歩き出した。芙蓉は父親がどんな存在か知らない。だがきっと今の仏間のような姿が、父親というものなのだろうと思った。
一方、仏間は芙蓉が柱間と扉間のことを心配してくれたことを嬉しく思うと同時に、言葉では芙蓉にああは言ったものの、心配な気持は拭えなかった。たとえ柱間と扉間でも、手練れのうちわ一族に囲まれたら…考え出したらきりがない。ただ信じて待つしかない。
間もなくして先に扉間が帰宅した。
扉間は帰るなり仏間の部屋へ直行する。芙蓉は、扉間は遅くなったことを詫びるのだろう、あまり叱られないといいがと心配しながら、台所で椿と無言で夕食の支度を再開する。
そして柱間も、間もなくして帰宅した。
「ただいまー。」
芙蓉は台所からおかえりなさいと声をかける。玄関に迎えに出たいのだが、扉間と仏間が先に行くかもしれないと思い我慢をする。すると柱間が台所にひょっこり顔を出した。
「ただいまっ。遅くなっちまったぞ…父上、怒ってる?」
へへっと苦笑いをして芙蓉に尋ねる。
「だ、大丈夫だと思います…」
すると仏間と扉間が二人そろって居間に入ってきた。最初に口を開いたのは扉間だった。
「兄者、遅すぎるぞ。なにをやっていたんだ。」
「遅くなるのなら出かける前に言え。そうでなければ何としても早く帰って来い。」
仏間と扉間が、何事も無かったかのように食卓に着く。柱間は拍子抜けしたが、まぁいいやと自分の部屋に着替えに向かう。芙蓉はその様子を少し不思議に思ったが、とにかく扉間も柱間も無事に帰宅して良かったと、ほっと小さな胸をなでおろした。
◆
「マダラ…俺、すっごい術を考えてきたぞ!一緒にマスターしようぞ!」
「へー…どんなだ?」
この日も二人は会っていた。
会うたびに二人は仲良くなってゆく。ただ、お互いの姓だけは明かせない。
「名付けて、体術奥義超火遁幻術斬り大手裏剣二段落しの術!!!」
「…いや、全然イメージ出来ねーよ。」
「詳しく説明すると…」
「うるさい!今日は直角崖上りを競う!」
柱間はまたいつものように、必要以上に落ち込んでうな垂れた。
「あーもー!だからいちいち落ち込むなっつーの!やっぱそれがお前の弱点だな!」
「アハハハ~お先~~~!!」
柱間はマダラよりも先に崖を直角に走り始めた。
「あっ!てめぇ、落ち込むフリしやがったな!」
そう言うとマダラも崖を走り始めた。マダラが追いつきそうになったところで、柱間が一足先に崖の頂上に登り着く。
ぜいぜい…はあはあ…二人の息が最高潮に上がっている。
「…俺の勝ち…。」
「そりゃそだろ…先にスタートしたんだからよ!」
二人の目の前に深くて広い森が広がり、ここからはその森全てを見渡すことが出来た。森の向こうの高い山々まではっきりと見てとれる。
「…ここだと森が一望できるな。」
「オウ…遠くまで良く見える。」
マダラは柱間のほうを向いてニヤッと不敵な笑みを浮かべて続けた。
「目の良さならお前に負けねぇ自信がある。勝負すっか?」
「急になんぞ?やけに目にプライドもってんな。」
「そりゃそだろ!なにせ俺は写…」
そう言いかけて、マダラは言葉を飲み込み、黙り込んだ。
「どした?」
「いや・・・そーでもねーな。やっぱ。」
「何だぞ?お前にしては珍しく素直だな。」
マダラは目を伏せ、俯いて言う。
「…だったら兄弟は死んでねぇ。見守ることもできなかったくせに…何が…何が…」
瞳を開け、じっと地面を睨みつけている。どうやら兄弟の死を思い出している様子だった。
「もう兄弟はいねーのか?」
「いや、一人だけ弟が残ってる…」
地面を強く掴み、強い意志のこもった瞳でマダラは言葉を続ける。
「その弟だけは何があろうと俺が絶対に守る。」
柱間はマダラの真剣な横顔を見つめた。柱間もまた、マダラと全く同じ気持ちだった。
だからこそ、二人がいつも語り合っている夢は、必ず実現させなければならないのだ。
なんとしてでも…
「ここに俺たちの集落を作ろう!!そこは子供が殺し合わなくていいようにする!!」
柱間が森に響き渡るほどの大きな声でそう叫んだ。そして続ける。
「子供がちゃんと強く大きくなるための学校を作る!個人の能力に合わせて任務が選べる!依頼レベルをちゃんと振り分けられる上役を作る!子供を激しい戦地へ送らなくていい集落だ!!」
マダラがじわりと笑顔に戻って柱間に言う。
「フッ…そんな馬鹿なこと言ってんの、お前くらいだぞ…」
「お前はどうなんだよ⁈」
「ああ、その集落作ったら今度こそ弟を…一望できるここからしっかり見守ってやる!」
柱間とマダラは互いに顔を合わせ、満面の笑顔を見せ合った。
それは、屈託の無い子供の笑顔だった。
柱間とマダラが見渡すこの森は、のちに木ノ葉隠れの里となる場所だった。
柱間はこの時、覚悟を決めた。
先を見るために、耐え忍ぶ覚悟を。
パシャ!パシィ!
「二人とも届いたな。」
「その石、水切りするには良い石だ…次に会うまでお前に預けとく!」
二人は互いに水切りした石を受け取り、そう言って別れた。
・・・今日は早く家に着ける・・・
柱間はムスッとした扉間と、芙蓉の笑顔を思い出しながら心の中で呟いた。ふと家の方向を見ると、目の前に扉間が居た。
「どうした!扉間。」
「兄者…話がある。」
柱間は嫌な予感が頭をよぎったが、黙って扉間のあとに着いて仏間の待つ部屋に向かった。
「お前が会っている少年がいるな…」
「…なんでそれを…」
柱間は仏間の言葉に驚きを隠せない。なぜ分ったんだ?焦る柱間に扉間が言う。
「父上の命で兄者をずっと尾けてた…感知なら俺のほうが上だ。最近やたらと出かけるから何かあると思って…」
「あの少年をわしが調べた。うちは一族の者だ。」
柱間はマダラがうちは一族だと、うすうす気が付いていた。だがそれを父に知られたことで、体に冷たいものが走った。
「我ら一族の大人の手練れ達もやられている。生まれながらに忍びの才能をもつ少年のようだ。」
・・・やっぱそうだったのか・・・
「大して驚かないところを見ると…お前たちすでにお互いの一族の名を知っているんじゃないだろうな?」
「…いや、知らなかった。おそらくあいつも…」
仏間は声を荒げずに、しかし、怒りを込めて柱間に言う。
「…これがどういうことか解っているな。千手の者たちにはまだ言っていない…スパイ呼ばわりされたくなければ、次にあの少年に会った後、奴を尾行しろ。」
柱間はどこかで想像していたことが、現実になってゆくのを感じた。だがこれ以上は…
「うちは一族の情報を持って帰れ。これは任務だ。気づかれた時は…殺せ。」
柱間は父の口から語られた現実が、自分の中の現実になるのが怖い。震えた声で父に問う。
「ほ…本当に、うちは一族なのか?」
「そうだ…お前が千手だとバレていれば…こちらの情報を盗むために気を許したフリをする。信用するな。」
「い、いや…あいつはそんな…」
柱間の動揺した様子を見て仏間は苛立ちを抑えきれず、大きな声で柱間の言葉を遮る。
「腹では何を考えておるのか分ったものではない!!もし騙されれば、千手の皆を危機に陥れることになる。」
柱間は口ごもったまま、その言葉を飲み込み、落ち着いたフリをして父の瞳を見つめた。
「念のためわしと扉間も付く…分かったな!」
夜風が冷たい。いつの間にか秋も深まっていた。鈴虫が命を燃やし懸命に鳴いている。
思えば、マダラと会うようになって、あっという間に時間が過ぎていたように感じる。
楽しい時間は、なぜにこれほど早く過ぎ去ってしまうものだろうか。その時間がずっと続くと、いや、続けていかなければならないと思っていたのに…。
柱間はマダラから受け取った水切りの石を見つめた。
・・・あいつも今頃・・・
「柱間さま、どうされたのですか?風邪を引いてしまいますよ。」
柱間は急いで石を服の中に隠し、振り返る。
「芙蓉…お前こそ温かくしろよ。」
いつもと違う柱間の様子に、芙蓉は不安そうに見つめた。
「何か…あったのですか?」
「いや!別に!なんでもないぞ。もう部屋に戻るところだったんだ。」
「そうですか…。あの…元気、出して下さいね?」
「お、俺は元気ぞ!アハハハ…。」
芙蓉は少し困ったように微笑んで、ゆっくり柱間に近づき、柱間の右手をそっと握った。
「絶対、大丈夫です。柱間さまなら。」
柱間は驚いた。芙蓉にもマダラとのことは全く話してはいない。まして忍の任務や戦のことは決して芙蓉に伝わらないよう家族の中で決まりがある。それなのに、芙蓉は全部てを知っていて、それを知ったうえで自分を励ましてくれているのかと、一瞬錯覚した。
「・・・・。」
「あっ、申し訳ありません。勝手にお手を握ってしまって…あの、昔、母が私にこうしてくれた記憶があって。芙蓉なら、絶対大丈夫だよって…たぶん。ごめんなさい…もうあんまり覚えていないですけど…」
黙り込む柱間の様子に、芙蓉はいけない事をしてしまったと思い焦って手を放した。
「いや!すっげー嬉しかったぞ!すっげー元気でた!ありがとな!」
柱間もその芙蓉の様子を見て焦ってそう言った。二人は少し気まずくなって俯いた。
「芙蓉も勉強はそこそこにして、早く寝るんだぞ。じゃあまた明日!」
柱間は大股で歩いて自分の部屋に向かった。その後ろ姿を見送りながら、芙蓉は柱間の為に祈った。柱間に何があったかは分からない。でも、きっと柱間なら大丈夫だと。
◆
川はこの日もいつものように、ゆるやかに流れ、心地よい川のせせらぎが聞こえる。
マダラのほうから先に、対岸に居る柱間に話しかける。
「さっそくだがよ…まずは挨拶がわりに水切りからいくか。」
「おう…」
二人はおもむろに、交換していた水切りの石を懐から取り出し同時に水切りをした。
バッシャ!二人の石が同時に川面に着き、飛び跳ねる。
パシィ!全く同時に二人は互いが投げた石を受け取った。
「「!」」
二人は石を見て、ハッとする。
「柱間ぁ…悪ぃ…今日はダメだ…急に用事思い出してよ。」
・・・マダラの側にも俺の正体が知られているのか!・・・
「そ、そうか…では俺も今日は帰るとするぞ…」
“ニゲロ”
“罠アリ去レ”
二人が互いに受け取った石には、偶然にも同じことが書かれていた。
ジャッ!
河原の石が同時に鳴ると同時に二人は背を向け、弾みをつけて飛び、走り出した。
「このスピード、逃げる気か!柱間め…教えたな!行くぞ扉間!!」
「はい!」
木の影から柱間とマダラの様子を監視していた仏間と扉間が、マダラを逃がすまいと川に飛び出す。
バシャ!!
川面に足を着けたのは仏間と扉間だけではなかった。
「考えることは同じようですね…千手仏間!」
「それと、扉間だったか。」
柱間とマダラが立ち止まり振り返ると、そこには川の上で対峙する互いの父と弟、四人の姿があった。
「…のようだのう、うちはタジマ!」
「それから、イズナだな。」
偶然にも、うちは側も同じ考えだったようだ。仏間と扉間が対峙しているのは、マダラの父親・タジマと弟のイズナだった。
まったく同じ状況…
仏間はタジマに、扉間はイズナに飛びかかった。
扉間もイズナも、自分の背と変わらない大きさの刀を振りかざす。
千手仏間とうちはタジマはほぼ同じ力だということが、互いに幾たびの戦いで解っていた。
忍は何があろうと戦場で心を乱さない訓練をされる。一瞬の心の乱れが好きを生じ、生死を分ける。
「「やめろ―っ!」」
柱間とマダラが同時に叫んだのと同時に、扉間とイズナの刀が交わる。
ギシィィン!
二人は互いに押されないように力を込める。刀がギリギリと音を立てて震えている。
大人ふたりは解っている。
もし目の前で我が子が殺されれば、ほんの僅かだが己の心に乱れが生じるであろうことを。つまり…どちらかが先手をとることで勝負が決まる。
バッ!
扉間とイズナがいったん刀を離し構えを整え、再び川の上で対峙した。
・・・ガツッ!!・・・バシャッ!!
扉間の頭上にはタジマが放った短刀が、イズナの頭上には仏間の放ったクナイが飛んできたのを、柱間とマダラが水切りの石を投げて防いだ。その短刀とクナイは川に落ち沈んでゆく。二つの水切りの石も一緒に川の中に姿を消した。
「「⁉」」
扉間とイズナ、そして大人ふたりにも何が起こったのか分からない。
バシャァン!!
柱間とマダラが互いの弟の前に飛び出し、対峙した。
「弟を…傷つけようとする奴は誰だろうと許さねぇ!」
マダラが叫ぶ。
柱間とマダラ…マダラのほうが強く柱間を睨みつけている。
そして、全て諦めたように視線を落として、言った。
「俺たちの言ってた…バカみてーな絵空事には…しょせん…届かねーのかもな。」
扉間とイズナを襲った二つの武器と、それを防いだ二つの水切り石は、ついに川底に沈んでしまった。
「…マダラ…お前…⁉」
「少しの間だったが楽しかったぜ…柱間。」
川のせせらぎの音が沈黙を作る。
「三対三か。…どうだ、いけるかマダラ。」
「いや、柱間は俺より強い。このままやればこっちがやられる。」
「え⁈兄さんより…強い子供が?」
「…そうか…それほどとはな…。」
マダラは柱間たち三人にすっと背を向ける。
「じゃあな…引くぞ。」
柱間は胸から喉に熱いものがこみ上げ、喉がつかえそうになりながら、すがるようにマダラに向かって言う。
「マダラ、お前…!ホントは諦めちゃいねーよな…⁈お前はやっと俺と同じ…」
その言葉を遮ってマダラが言う。
「お前は千手…できれば違って欲しかった。俺の兄弟は千手に殺された…」
その言葉を聞いて、柱間の頭に死んだ瓦間と板間の顔が浮かぶ。
「…だからさ、お互い、腑なんて見せる必要もねーだろ。」
柱間はマダラに近づこうと一歩前に出ようとする。それを制するようにマダラが更に続けた。
「…次からは戦場で会うことになるだろうぜ。千手柱間…。俺は…うちはマダラだ!」
そう言って振り返ったマダラの瞳は、先ほどとは違っていた。
「見て!父様!兄さんの目!」
マダラの瞳を見て、嬉しそうにイズナがタジマに向かって言った。
「フフッ…千手の情報は手に入らなかったが…代わりに良いものをこちらは手に入れられたようだ…。」
仏間も、マダラの瞳を見てマダラが今、写輪眼を開眼したことに驚いた。
そして柱間はその時、写輪眼の開眼が何を意味するのか…分かったような気がした。
川は静かに流れ続ける。さっきまで聞こえなかった鳥のさえずりが聞こえる。
そこにはもう、千手の者も、うちはの者の姿も無かった。
それは最初から何もなかったように、何も変わらない美しい風景であった。