女学校を辞め、里本部の食堂で働き始めた芙蓉。
その行動に樹と柱間、扉間の反応は・・・?
着々と近づく柱間との結婚と、マダラとの再会。
そんな中、芙蓉は扉間を許す為にある行動にでます。
里で大切な人たちに囲まれ暮らすのか、愛するマダラに着いて行くのか・・・
芙蓉の心は揺れ動きます。しかし、ついに決心します。
今日から三月。この日はずいぶん暖かな日だった。
芙蓉は、柱間と二人で柱間が建設した柳の遊歩道を散歩している。
芽吹いたばかりの柳の若葉の黄緑色が眩しい。
隣の柱間を見上げると、柱間も芙蓉の方を見た。目が合い、互いに笑顔になる。優しい柱間が美しい柳の風景の中で更に優しく見える。
この道を歩いたのは、昨年の夏だっただろうか…もう二度と柱間と歩くことは無いと思っていた。
「披露宴の衣装は芙蓉の気に入るように、好きに選んでいいんだぞ。」
柱間は結婚が決まりすぐにでも挙式をしたがったが、芙蓉は新緑の美しい五月に挙式と披露宴がやりたいと柱間を説得した。しかし、芙蓉はまさか、自分がマダラと里を出て行く五月一日になってしまうとは思わなかった。
「はい。でも、本当にこじんまりとしたいので、衣装もそんなに拘りは無くて。披露宴も同じ衣装でいいかなって…」
「芙蓉。それはないぞ。里の皆にサプライズで発表するのだから、こうドーンとインパクトのある豪華な衣装でないと!お前の美しさが最高に際立つような、すっごいやつだ!」
「あはは…いえいえ。質素倹約のほうが里の皆さんにも好印象だと思いますよ。」
芙蓉は一度柱間と婚約破棄しマダラと同棲していたせいで、女学校では更に中傷され、嫉妬されていた。女学校以外でも同じことを思っている人も居るだろうということを理由にし、芙蓉は結婚の発表は挙式後にしてほしいと柱間に頼み認められていたが、それより少しでも花嫁に逃げられる柱間の傷を浅くしたいという思いがあった。
芙蓉は柱間を騙している罪悪感で再び胸が苦しくなり、足元に目線を落とした。
するとそこにはカタクリの花が咲いていた。
・・・カタクリ。確か花言葉は「初恋」と「寂しさに耐える」だったっけ・・・
芙蓉の初恋の相手は柱間だろう。そして、寂しさに耐えながら待っている相手はマダラである。
しかし、いま芙蓉の目の間に居るのは、自分を愛で包んでくれる柱間という現実。
自分が望みさえすれば、その現実がこの先も続くのかもしれない。
芙蓉は自分にとって本当に大切なものは何なのか、分らなくなっていた。
「どうした?そんな顔をして。何か心配な事でもあるのか?」
いつの間にか自分がとても悲しい顔をしていたことに気が付き、焦って顔を上げる。
「だ、大丈夫です。もうすぐ女学校を辞めるのがちょっと寂しいなって思って…」
「そうだな…だが、お前に女学校は合っていなかったのではないか?俺は今でもお前にはアカデミーの教師をしてもらった方が良かったと思っておる。母校とはいえ嫌な想いをして大変だったな。樹からも常々話は聞いていたのだが…申し訳なかった。」
「そんな。私は夢だった教師の仕事が出来ただけでも本当に幸せでした。ありがとうございます。」
そう言いつつも、芙蓉はうちはの領地で子供たち相手に教えていた時のことを、一番楽しかった教師経験として思い出していた。
女学校では残念ながら、あの子たちのような無邪気な笑顔にはあまり出会えなかった。それだけが心残りだった。
◆
女学校最後の日。
芙蓉の最後の授業が終わっても生徒たちから惜しむ声は無く、いつもと変わらない風景のままだった。
・・・私が伝えたかったことは、この子たちには伝わらなかったのかもしれない・・・
芙蓉は残っていた荷物を纏め、教員室を出た。
するとそこに四人の生徒が花と風呂敷を持って芙蓉を待っていた。
「芙蓉先生!」
一斉に芙蓉に駆け寄って来る。
芙蓉が驚いて固まっていると、花束を持つ生徒が芙蓉にそれを手渡した。
「芙蓉先生。今までありがとうございました。私たち、先生の料理倶楽部に入って本当に良かったです。」
「先生の教えてくれる料理、家でも凄く好評なんですよ。もっと沢山色んな料理教えてほしかったのに…。これ、四人で作ったいなり寿司。食べて下さい。」
「先生のお話、いつも為になりました。私も親に決められた道だとしても、夢を持って生きていく希望が持てたんです!」
「私たちはこの学校で先生の一番のファンですから!そして先生は一生の恩師です。本当にありがとうございました。」
四人は芙蓉が放課後に始めた料理倶楽部に入ってくれた生徒だった。自分を好ましく思ってない生徒しかいない中、入部してくれただけでも嬉しかったのに…。
「・・・皆さん、そんなふうに思ってくれていたんですね。私、凄く嬉しい・・・ありがとう。本当にありがとう・・・」
芙蓉は大粒の涙を流して花束といなり寿司の入った風呂敷を抱きしめた。
四人も芙蓉に抱き着き、皆で泣いた。
芙蓉が校門を出ていくまで、四人は校舎の窓からずっと手を振って見送ってくれていた。
・・・ありがとう。本当に、ありがとう・・・
教師は生徒に何かを教えるだけではなく、生徒からも学び成長させられるものだと、芙蓉はこの時知った。
・・・この思いをいつかまた、教師の仕事に活かせる日が来ますように・・・
◆
「芙蓉、そこまでして働かなくても良くない?挙式の準備もあるんだからさ、家でゆっくりしてなよぉ。」
木ノ葉の里本部の中の食堂で味噌汁を作っている芙蓉に、樹は困った顔で言った。
「ありがとう樹ちゃん。でもお昼だけだから大丈夫だよ。家でじっとしているよりも、里のため、柱間さまのため、そして樹ちゃんために少しでも役に立ちたいんだぁ。」
芙蓉は柱間への罪を少 しでも償えるように、そして木ノ葉の里に少しでも役に立というという想いで、木ノ葉の里本部の食堂で働き始めていた。
そして樹も、芙蓉の侍女になる話が無くなり再び里本部の秘書室で働き始めていた。
侍女が居ないのは問題という話になったが、代わりに扉間がこれまで通り柱間の屋敷に同居することで侍女無しが上役会議で認められたのだった。
芙蓉の扉間への恨みは、もう殆ど消えていた。
自分の命を奪おうとしたことは許せないが、そのおかげでマダラに出逢えたのは紛れもない事実である。
そして、心からマダラを愛したことで人を愛する苦しみも知り、少しだけ扉間が理解できた気がしていた。
「芙蓉!今日のメニューはなんぞ?」
柱間がニコニコしながら大手を振って歩いて来る。
「火影様。そこにちゃんと書いてあるんだから読めばいいでしょ。芙蓉だって忙しんだし。」
「そう言うお前は芙蓉と楽しそうに話しておるではないか。」
「私はいいんです。ねぇー芙蓉?」
「あはは。大丈夫だよ樹ちゃん。私一人で作っているわけじゃないし。」
「芙蓉が来てくれるようになってから皆が喜んでおるのが分るぞ。飯が更に美味くなったうえに、目の保養までできるんだからな!でもまぁ、芙蓉の手料理を俺以外に食べられるのもちょっと複雑だが。」
「えー。火影様もそんなこと想うんだ。意外。ただの超博愛者だと思ってた。」
「そりゃあ…芙蓉は俺の嫁だからな…っ。」
柱間が小声で恥ずかしそうに樹に言った。
「もうすぐ出来ますから、もうちょっと待っててくださいね。」
芙蓉は手際よくほうれん草の胡麻和えが入った小鉢を並べ、奥にいる三人の中年女性にその他の料理を確認しに行った。
「良かった。芙蓉、学校辞めたらどうなるかと思ったけど元気そうですね。」
「うむ。芙蓉自らここで働きたいと言い出した時は驚いたが、家庭以外でも必要とされる存在であることは励みになるしな。良かったぞ。」
「火影の妻の手料理かぁ。超ありがたいですよね。値上げしたらどうですか?」
「ワハハハ。さすが樹!良い事言うのう!」
食堂の営業時間が始まり、続々と忍たちが入って来る。
芙蓉は勘定所に立ち、忍たちから金を受け取る。釣銭を渡す時そっと相手の掌の下に触れて小銭が落ちないようにして渡している様子を、柱間が明らかに落込んだ様子で肩を落として見ている。その様子を横で見ていた樹が柱間に言い放つ。
「火影室に食事を運んでもらえるのに、わざわざ毎日ここに来るのって、芙蓉がナンパされたりセクハラされないか心配だからでしょ?」
「・・・っ、そ、んな、ことはないぞ!里の忍たちは皆・・・紳士だからな。」
「わっかりやすーい。あ!今あの人、芙蓉の手、超触ってた!!」
「芙蓉―っ!勘定は俺がやるぞっ!」
柱間は立ち上がって叫んだ。
「はぁあ?」
樹は隣で呆れた。実は自分も柱間と同じ目的で毎日食堂に通っているのだが…
食堂に居る忍たちが目を丸くして、食事の箸を止めて柱間に注目している。
柱間は芙蓉の所へ行き、勘定所に立つ。
「いらっしゃいませ。任務、ご苦労であったな!」
「あの人、本当に馬鹿かもしんない・・・」
樹はこんな天然男と芙蓉が結婚することに不安がよぎる。
「は、柱間さま!やめて下さい。急にどうしたんですか?」
芙蓉も勘定を待つ忍たちも戸惑い固まっている。
「芙蓉、俺にも手伝わせてくれ。お前は休んでいなさい。」
「バーーーーーカっ!!」
食堂の入り口からその様子を見ていた扉間が腕を組み、呆れた顔で叫んだ。
「おお、扉間!丁度いい、お前も手伝え!」
「いつもどんぶり勘定の兄者に勘定役が出来るか!ていうか火影の立場をもっとよく考えろ!皆の者、済まないな…芙蓉、勘定を続けてくれ。」
「あ、は、はいっ。」
「…やっぱり柱間のツッコミ役は扉間しかいないな。うん。」
樹はほうれん草の胡麻和えを突きながら、苦笑して観ていた。
芙蓉が勘定を続け、柱間と樹がそれを見ながら食事をしていると、さっき出て行った扉間が何かを手に持って芙蓉の所へ近づいて行く。
「「?」」
柱間と樹が箸を持ったまま顔を見合わせる。
「ん。これを使え。手で金を受け取るよりも衛生的だし、小銭を落す心配もないだろ。」
扉間は木製のトレーを芙蓉に手渡した。
「なるほど!気が付きませんでした。ありがとうございます!扉間さま。」
芙蓉は嬉しそうに笑い、それを両手で優しく受け取った。
「…ふつうこれくらい気づくだろ…フン。」
扉間は少し照れくさそうに目線を逸らし、ポケットに手を入れた。そして小銭を取り出し、そのトレーの上に載せた。
「一人分な。」
「あ、はいっ!ありがとうございます。」
その様子を見ていた柱間と樹は、感心して見惚れていた。
特に樹は、なぜそんな単純なことに気づけなかったのかと自分が情けなくなり、凹んだ。
そのうち扉間は盆に料理を取り、気づけば柱間と芙蓉のテーブルに歩いて来て座っている。
「流石ですねぇ。扉間様。扉間様が火影やったほうがいいじゃないんですか?」
「扉間!あの手があったとは全然気づかんかったぞ!なるほどな!」
「お前たちは気付かなかったのか?馬鹿だな…。ということで毎日ここに来て見張る必要も無くなったわけだし、兄者は火影室で仕事しながら飯食えよ。」
「えーいやそれはだなぁ…そうだとしても、やはり芙蓉の顔を見ながら飯をだな…」
「黙れ。」
柱間がいつものようにずぅ~んと落ち込む。樹は無視して食事を続けた。
◆
桃の花が咲き、もう風には冷たさは無い。いよいよ桜の季節が目の前に迫ってきた。
芙蓉と、柱間、扉間、樹たちの関係は日に日に良くなるように感じられた。
柱間は芙蓉との愛の契りを果たし、もうすぐ正式に夫婦となることが嬉しかった。そして里も順調に成長し、他の忍族が里システムを真似しようと木ノ葉の里へ視察に訪れ、他里の基礎も出来上がりつつあることを喜ばしく思っていた。
扉間は芙蓉への罪悪感は消ることはないが、芙蓉がマダラではなく柱間の妻になり、自分も傍に居られることを内心とても嬉しく思っていた。そして馬鹿な兄の火影を支える参謀・相談役の仕事もまさに天職であり、忙しくもやりがいを感じていた。
樹は芙蓉と愛し合ったあの日、本気で芙蓉を連れて里を出ようと計画する気になった。だが芙蓉本人の言葉通り、芙蓉を見ていると以前に増して柱間を大切にし、愛していることが伝わってきた。芙蓉は火影になった柱間と結婚し、自分は一生親友以上の親友として傍に居る方が良いと悟っていた。
一方の芙蓉は・・・
庭の沈丁花の香りが、部屋の中まで漂ってくる。
大きな鏡の中に、純白の花嫁衣裳を纏った芙蓉が居る。
そこに柱間も一緒に写り込み、芙蓉の両肩に手を置く。
「・・・美しいのう。良い衣装じゃないか。よく似合っておる。」
「・・・ありがとうございます。」
衣装は左合わせの襟には銀糸で刺繍が施されており、襟は首の根元まで見えるほど襟抜きされている。手先に行くほど広がる袖口は、薄い絹が幾重も重なっており、そこにも銀糸の刺繍がある。スカートの裾はストンと下に落ち、後ろの裾が長くドレープを描いている。
「ほーんと!完全にお姫様だねこれは。似合いすぎ!この衣装にして良かったじゃん。」
樹が隣りでしゃがんで芙蓉を見上げている。
「樹ちゃんも一緒に選んでくれて、ありがとうね。」
沈丁花の香りが風に乗り、一層強く香ってくる。
芙蓉はその香りと自分の花嫁姿に、今にも泣きだしてしまいそうだった。
「あと一ヵ月ちょっとかぁ…早いねぇ。芙蓉がお嫁に行っちゃうなんて悲しいよ。しかも柱間様って相当馬鹿だからすっごく心配…はぁ。」
「コラ!俺は火影だぞ。馬鹿では火影にはなれん。よって俺は馬鹿ではない。」
「そういう所ですよ、そーゆートコ!自覚ないんだ…」
「樹ちゃん、言い過ぎだよ。柱間さまだって一応火影なんだから。」
「芙蓉、あんたが一番失礼じゃん。天然同士、大丈夫かねぇ…」
「樹、おぬしも居るし、扉間も居るから大丈夫だ。アハハハハ!」
・・・良かった。樹ちゃん、柱間さま、ありがとう。・・・
もう少しで泣きそうになった芙蓉は、樹と柱間のやり取りで笑うことが出来た。
しかし、芙蓉の迷いは更に迷宮に入り込んでいた。
大好きな人たちと共に暮らす平和で温かい生活。木ノ葉の里の役に立つ喜び・・・それを捨てたくはない。
芙蓉は、マダラと里を出て先の分らぬ人生を歩むことに迷いを感じ始めていた。
・・・いったい自分は、マダラと柱間、どちらを選ぶべきなの?・・・
柱間を選び、この生活を続けることは言わずもかな幸せだろう。
しかし、マダラはどうだろう。両親も兄弟も失い、同胞からも見放された。
芙蓉以外に誰がマダラを愛し、支え、傍に居ることが出来るだろうか。
・・・もしマダラさまが里に戻って来てくれるなら、私は柱間さまもマダラさまも選ばない。
例え二人の愛を失ったとしても、マダラさまと柱間さまが再び手を取り合ってくれるなら、私は迷わず愛を手放すのに・・・
芙蓉の中での願望と決意は固まるばかりだが、一向に結論は出せないでいた。
◆
ついに、桜が開花した。
里でも人々の話題の中心は桜の満開予想だった。今年の花見はどうしようとか、どこの桜が綺麗だとか、皆楽しそうである。
「あの、扉間さま・・・ちょっとよろしいですか?」
芙蓉が珍しく扉間に声をかけた。扉間は読んでいた本を閉じる。
「構わん。なんだ。」
「お願いがあって・・・ダメならいいんですけど・・・あの・・・」
「なんだ。ダメだと思うなら言うな。」
「・・・ですよね。すみません。」
芙蓉はおずおずと部屋から出ようとした。
「あーもう!いいから言え!気になるだろ!」
扉間は相変わらず素直になれず、つい芙蓉に皮肉を言ってしまう。
「・・・剣術の、稽古を付けてほしいんです。・・・昔みたいに。」
「は?嫁入り前の女が何言ってんだよ。怪我でもしたらどうすんだ。兄者も怒るぞ。」
「大丈夫です。花嫁衣裳は首元と顔くらいしか肌でないので。」
そう言って芙蓉は、自分の顔と首の後ろを指さした。
「そういう問題じゃない。断る。」
「前みたいに真剣勝負じゃなくていいんです。型だけでいいんです。だめですか?」
「型だけなら・・・。だが、なぜそこまで俺と今、剣術がしたいんだ?」
「決着をつけたいんです・・・過去に。」
「・・・・。」
扉間は芙蓉を見つめたまま言葉が出ない。芙蓉のその言葉には、実に色々意味が込められているのは明らかであり、重たいものだった。
芙蓉も真顔でじっと扉間の瞳を見つめている。
「分った。じゃあ、型だけだ。」
「ありがとうございます。」
庭には雪柳が滝のように美しく咲き誇っている。芙蓉の木も、ようやく若葉を茂らせ始めている。
最近は昼間はぐっと気温が上がり汗ばむ陽気が続いており、この日も、とても暖かい昼下がりだった。
二人は久しぶりに剣術着に袖を通し、庭に出た。
「序の参の型でいくぞ。いいな。」
「はい。よろしくお願いします。」
二人は刀先を突き合せる。三秒数えて打ち合いの型を始める。あくまで定型の打ち合いであり、勝敗が決まる戦いではない。
二人は無言で型を続ける。
芙蓉の瞳はまるで真剣勝負のように真剣である。
あの日と全く同じ瞳だった。
だが扉間は心を乱すことなく、その瞳からすぐに目を逸らし型を続ける。
芙蓉の額に汗が光る。暖かな日和と、見た目以上にきつい型のせいだった。
扉間は汗ひとつかかず、表情一つ変えない。
いよいよ最後の動作だ。ここからは強く打ち合う型である。
カンカンカンカン!
刀が何度か交わり、交わったまま静止する。
「私は貴方を許します。だから、扉間さまも私のこと、許してください。」
「俺がお前を許すだと?・・・勘違いも甚だしいな。」
「?」
「俺にはお前を許さなければならない事など、最初から何もない。」
かつて扉間は、芙蓉への愛情に蓋をしてそれを認めようとしなかった。
しかし蓋の中で恋心は膨らみ、最後は自爆した。芙蓉に責任など無かった。
扉間は、芙蓉が生きていることが分かった時から、ずっとそのことに気が付いていた。
それからこれまで、扉間なりに自分の行いに悔い、悩み、苦しんでいた。
だが今ようやく、そのことを自然と認めることが出来た。
そして言葉にして芙蓉に伝えることが出来た。
「・・・ありがとうございます。扉間さま。」
芙蓉は、ほっとしたように笑顔で言った。
扉間は無言でその笑顔を見つめていた。
「扉間さま流石ですね。汗ひとつかいてない。でも暑いでしょう?冷たいお水を持ってきますね。」
芙蓉は自分の顔の汗を術着の袖で拭うと、台所へ向かった。
・・・これからは、素直に芙蓉と笑い合えるだろうか・・・
扉間は手に持った刀を見つめ、心の中で呟いた。
◆
桜…咲いてしまえば、満開になるまでにそう時間はかからなかった。
まだ明るい夕暮れの空にはもう月が現れている。
沈みかけた夕陽を浴びた桜は眩しく光り、陰の部分は青白く光ってる。
芙蓉はその桜の下に一人で立ち、森の向こうに浮かぶ月を見上げていた。
花冷えの風が吹き抜けると、一斉に桜の花びらが宙に舞い、芙蓉の顔や髪の毛をかすめてゆく。
芙蓉の心は決まっていた。
「マダラさまに着いて行く。」
里の人々と触れ合い、柱間、樹、扉間と共に生きる温かい生活、里の為に役立つ喜び。どれも芙蓉には手放したくないものになっていた。
しかし、手放したくないものが増えれば増えるほど、それと同じものをもたないマダラの事を考えると胸が苦しく、時には胸が強く痛み、うずくまってしまうほど苦しくて堪らなくなった。
そこにはマダラへの同情もあったかもしれない。
しかし何よりも、芙蓉にとってマダラの居ない人生など考えられなかった。
いくら楽しくても、穏やかでも、安心できても、マダラが居なければきっと全てが虚しくなる日が来る。芙蓉はそう感じていた。
そして今のマダラを理解し、隣で支えらるのはやはり、自分しかいない。
一方で、自分が一緒に居ることでマダラがいつかまた、里に戻ってくる気持になってくれるかもしれないという淡い期待も完全に消し去ることは出来なかった。
芙蓉は目を閉じる。
いまだ止まぬ冷たい風に、芙蓉の髪が靡き、桜の花びらが芙蓉を包み込むように舞い上がる。そして夕陽の方を向き、目を開けた。
芙蓉の琥珀色の瞳が、黄金に輝いている。その瞳には強い決意が宿っていた。
太陽が山の稜線に沈むのを確認すると芙蓉は歩き出した。
芙蓉は一歩一歩、踏みしめるように歩いた。
「思い残すことは残しておこう。いつかまた皆に会える日まで。」
芙蓉はまっすぐ前を向き、いつのまにか走り出す。そして柱間の居る屋敷に戻って行った。
◆
山の新緑は一層濃くなり生命力が溢れ出ている。春の終わりを惜しむように、最後の馬酔木の花が揺れている。
この日、芙蓉は食堂の仕事を休んでマダラの家に来ていた。最終的な片付けと、里を出るための荷物を纏めるためだった。必要最低限の荷物を鞄に入れていく。
「これも・・・」
先日樹と一緒に行った温泉旅行で買った石鹸を鞄にそっと入れた。
「ふふ…樹ちゃん、売店で美男子さんって間違われてたっけ。楽しかったなぁ・・・」
楽しかった想い出と共に辛い気持ちをぐっと胸の奥で抑えた。泣かないと決めていた。
マダラの家は服や食器、布団や生活雑貨などは全て収納に入っており、花瓶や座布団、掛け軸などはすべて処分した。部屋にはテーブルと椅子しかない。
・・・思えば、ここに二人で引っ越して来た時が一番幸せだったかもしれない・・・
ついそんな事を考えてしまう。頭を振ってその思いをかき消した。
立ち上がり、纏めた荷物を玄関近くの引き戸の中に締まった。
マダラとの再会の日まで、あと四日。
芙蓉は汗ばんだ掌を握り締める。
無事に、マダラと再会することはできるのだろうか。