※この作品はR-18です。

罪の向こう、愛の絆   作:千野 伊織

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今回(22)主な登場人物は、千手扉間、千手柱間、うずまきミト、O.C:千手樹です。

死んだはずのマダラによって芙蓉は全てを奪われ・・・

そんな芙蓉に一生懸命になる柱間に対して、ついに妻・ミトは・・・

芙蓉は全てを失い、この先、全てを取り戻すことができるのか?
この先、扉間と芙蓉の関係はどうなるのか?

それは扉間の罪の贖いの始まりなのか、それとも二人の愛の始まりなのか・・・?



(22)芙蓉が失くしたもの

「芙蓉!!芙蓉!!!目を開けろ!!」

 

誰かが自分の名前を呼んでいる。

聞き覚えの無い声だ。

 

・・・うるさい。そんなに大声で呼ばないで・・・

 

芙蓉はゆっくりと目を開けようとした。

 

「痛っ・・・!」

強烈な頭痛がして再び目を閉じる。

「芙蓉。大丈夫か!どこが痛むんだ!」

「・・・頭が、頭が痛い・・・」

扉間は床に手を突き、芙蓉の頭と顔を一周見回しながら手で触った。怪我は無いようだ。

そっと芙蓉の頭を持ち上げ、後頭部を手で確かめる。後頭部にも怪我は無い。外傷の痛みではないようだ。

「大丈夫だ。安心しろ、直ぐに治してやる。」

そう優しく言うと、扉間は芙蓉をそっと抱きかかえた。

芙蓉の重さと温かさを確認すると安堵で膝が崩れそうになったが、深呼吸をして気持ちを正す。そして里へ飛んだ。

 

 

「芙蓉先生―っ!!!」

カガミが目の前に現れた二人に駆け寄る。

「芙蓉は激しい頭痛がしているようだ。直ぐに病院に向かう。」

そう言うと再び二人はカガミの前から姿を消した。

カガミはその場に膝から崩れ落ち、両手で顔を覆った。

「良かった・・・良かった・・・芙蓉先生・・・っ!!」

大粒の涙が掌をすり抜け、カガミの膝を濡らしてゆく。

 

「ふ、芙蓉っ!!!」

柱間の目の前に芙蓉を抱えた扉間が現れ、周囲の忍たちも驚く。

「兄者!病院だ!一緒に来い!」

柱間は扉間に駆け寄り、柱間の肩に手を置く。芙蓉は扉間の腕の中で目を閉じで苦しそうにしている。その顔を見たと同時に、病院に居た。

扉間は寝台に芙蓉をゆっくりと寝かせる。

「酷い頭痛がしているようだ。外傷はない。診ててくれ。看護班を呼んでくる。」

そう言って扉間は足早に部屋を出て行った。

「芙蓉。頭のどこが痛い?」

「・・・目の、奥が・・・目が開けられない・・・」

「少し触るぞ・・・眼球に異常は感じ無いな。すまない、辛いと思うが少しだけ目を開けてみてくれぬか?」

芙蓉は恐る恐る目を開けてみた。先ほどまでの痛みは感じないが、目の奥がズキズキと痛む。

次第にぼんやりとしていた視界が鮮明になり、目の前に見たことのない男の顔が現れる。

「大丈夫か?無理しなくていいぞ。・・・うむ。やはり眼球にも異常は無いな。神経の問題かもしれぬな。」

自分の顔に知らない男の顔が接近し、まじまじと診察している。

その視線と痛みに耐えきれず、芙蓉は再び目を閉じた。

 

それから柱間の医療忍術と医療班の治療が始まった。

自分を必死に治療する長い黒髪の男(ひと)、そして自分を助けてくれ、今も近くで心配そうに見つめる銀髪の赤い目の男(ひと)・・・

ありがたい。だが、二人が誰なのか分らない。

なぜ自分の名前を知っていて、なぜこんなに心配してくれるのか・・・分らない。

そもそも、なぜ自分がこんな状況になっているかも思い出せない。

銀髪の男が助けてくれる前の記憶が、全く無いのだ。

覚えているのは自分の名前だけだった。

 

◆

 

「芙蓉・・・具合はどうだ?…あ、俺は扉間だ。兄者、いや柱間は火影の仕事に戻った。」

目を覚ますと枕元には扉間が居た。

芙蓉が救出された日から五日目の朝だった。

 

芙蓉は救出された翌日、目を覚ますと激しく取り乱し、病室を出ようとして暴れた。

頭痛が治り思考が正常に戻った時、芙蓉は自分の名前以外記憶が無く、自分が何者なのかも分らないことに混乱し、恐怖に怯えた。息をしていることすら辛く不安で、もう死にたいと泣き叫んだ。

柱間と扉間は芙蓉を懸命に、そして冷静に宥め続けた。次の日も、その次の日も、芙蓉が目を覚ますたびに柱間と扉間、交代で宥め続けた。

 

しかしこの日、芙蓉は目を覚ましても落ち着いていた。

その様子に扉間は安堵し、芙蓉が起こしてくれと言うので背中を支え寝台に座らせた。

「…昨夜も、付いていて下さったのですか…申し訳ありません。」

「飛雷神、いや術で、家と本部と行ったり来たりしてたがな…」

「…本当に、ご迷惑おかけして申し訳ありません…」

芙蓉は落ち着いた表情で扉間の顔をじっと見たあと、軽く頭を下げて詫びた。

「謝らなくていい。お前の恐怖も不安も無理もない。だが少し落ち着いたようで良かった…」

扉間はそう言って少し微笑んだ。

「あの…ところで…貴方と私はどんな関係なのですか?」

「か、関係⁉・・・えっと・・・・・元・許嫁だ。今は一緒に二人で暮らしているが・・・」

「元・婚約者ですか?じゃあ今は?」

「・・・それは・・・・・・・」

扉間は少し俯き、沈黙した。

「言えないような関係なのですか?…私、私っていったい何者なのっ⁉」

芙蓉は再び泣きそうな顔になり手で口を押えた。

「いや、違う!俺が思っている関係と、お前が思っている関係が違っているかもしれないと思って・・・すまない。俺は、いまも婚約者だと思っている。」

「・・・。あの、私には家族は居ますか?」

「二歳の時に父親を、六歳の頃に母親を亡くして我が千手家に引取られた。かなり年の離れた姉が四人居るようだが、他国へ嫁に行き消息は不明だ。」

それを聞くと、芙蓉は悲しそうな顔をして俯いた。だが再び質問を続ける。

「あの長い髪の男性は貴方のお兄様ですよね。柱間様でしたっけ…火影ってなんですか?」

「奴は俺の二歳上の兄だ。火影というのはここ、木ノ葉の里の長のことだ。柱間はこの里の創設者だ。」

「とても偉い人なんですね…」

「フッ。そうは見えないだろ?」

そう言って、扉間が少し笑って見せた。

「あ、はい…あ、いいえ!そんなことは…」

芙蓉も少しだけ笑った。

その様子を見て、扉間はまたほんの少しだけ安心が増した気がした。

「焦ることは無い。ゆっくり思い出せばいい。お前の居場所はちゃんとあるし、お前を覚えて慕っている者がこの里に沢山居る。大丈夫だ・・・」

「私を、慕っている人・・・?」

「ああ。お前はうちは私塾という所で教師をしている。そこの塾生たちとその一族、他にもな。お前は勉強だけではなく、多くの者に夢を持つ大切さと、学ぶことの大切さを教えているんだ。」

「そ、そうなんですね・・・信じられない。私が・・・そんな。」

「お前には親友も居るぞ。ハァ…もうすぐ病室に飛び込んでくる頃だが…ほら来た。」

タタタタタタ・・・ガラッ!

「ちょっと!病院内は走らないで下さい!」看護師の声と同時に病室の扉が開いた。

「芙蓉っ!!!」

樹はその瞳に芙蓉の姿が映った瞬間駆け寄った。扉間の存在など全く目に入っていないようで、扉間は突進してくる樹をさっと避ける。そして樹は芙蓉を思いきり抱きしめた。

「・・・??」

「ハァ…芙蓉、こいつがその、お前の親友だ。樹、まだ面会謝絶のはずだが?」

「芙蓉!本当に良かった…無事で…おかえり。」

「・・・た、ただいま?・・・樹さん。」

「無視かよっ」

「ふ、芙蓉・・・私のことも覚えて無いの?」

樹は柱間から芙蓉が記憶喪失になっていることを聞かされていたが、信じられなかった。だが、芙蓉の反応にそれが事実だと知り、ショックで芙蓉から身体を離した。

「樹!今はそれを言うな。芙蓉本人が一番辛いのだ。だから面会謝絶にしておいたのに…」

「そ、そうだよね!ごめんね、芙蓉。一番辛いのは芙蓉なのに、私ったら・・・」

「いいえ。樹さん、私こそ親友の貴方のことまで忘れて、ごめんなさい・・・」

芙蓉は心配そうに、俯き涙ぐんでいる樹の顔を覗き込んだ。

「樹さんの瞳、青くてとっても綺麗。それにその金髪も…こんな美人さんが私なんかの親友だなんて私、凄く嬉しいです。」

そう言って微笑んで見せた。

「なんか、じゃない!なんかって言っちゃダメ!自分を卑下しないで…芙蓉はとっても素晴らしい人なんだよ?私の一番大好きな人なんだよ…」

芙蓉は自分を叱ってくれたことに、なぜだがとても嬉しくなった。

「はい。分りました。ありがとう、樹さん。」

そう言って樹の手を両手で握った。樹の目からは大粒の涙が流れ落ちた。それを焦って芙蓉が服の袖で拭いながら、泣かないでと慰める。

「オイ…お前が慰められてどうするんだ…。今日はそこまでだ…また来てくれ。」

樹は後ろ髪を引かれながら病室を後にした。

「芙蓉。疲れただろう。また少し休め。」

そう言われ芙蓉は再び寝台に横になると、扉間が布団をかけた。

「あの…私、いつ家に帰れますか?」

「念のためもう二、三日は入院したほうが良いだろう。早く家に帰りたいのか?」

「どんなお家なのかも覚えてないのに、変ですよね…でも無機質なこの場所に居ると、空っぽな自分がますます気になってしまって…」

「いや理解できる。身体に異常は無いし兄者に相談してみよう…ほら、休め。」

扉間は布団を芙蓉の首の上まで上げて優しくそう言うと、芙蓉は目を閉じた。

 

◆

 

ガシッ。

「いい加減にして下さい。」

出かけようと玄関に向かう柱間の腕を、後ろからミトが掴んだ。

「な、なんぞ?」

先ほど居間で自分を見送ってくれたはずのミトに引き留められ、柱間は戸惑う。

「貴方は火影です。もっと自分の立場をわきまえて下さい・・・」

ミトは眉間を寄せ、柱間を見据えて言った。

 

もう限界だった。

ミトはマダラの里襲撃事件の際、柱間の元許嫁・芙蓉の存在を知った。

政略結婚と割り切って結婚したものの、柱間が愛した女の存在とその二人の過去を知り、ひどく嫉妬した。だが、いまや芙蓉は罪人扱いされて扉間と暮らしており、今ではミトは芙蓉を愚かで哀れな女だと見下し、柱間との子供を妊娠したこともあり、いつの間にか芙蓉のことなど気にも留めなくなっていた。

しかし今回ワダチの事件が起こり、柱間は火影自ら芙蓉の捜索に躍起になり、そしてここ数日堂々と芙蓉の元へ通っているのだ。

妻である自分と、生まれて一ヶ月も経たない娘が居るにも関わらず、だ。

「すまぬ…ミトには不安な思いをさせているな。だが今日で終わりぞ。直ぐに帰って来る。」

柱間はミトをそっと抱きしめ、静かに言った。

・・・ずるい・・・

実は、ミトは結婚するまで恋というものをしたことが無かった。

しかし柱間と出逢い、柱間の偉大さと優しさに惹かれ、初めて恋をした。それ以来ミトは柱間の抱擁には、いつも怒りを収めてしまわざるを得ないのだ。

「わ、私はよいのです…ただ、火影である貴方が、下々から悪く言われてしまってはこの先支障が出ます…それを心配しているのです。」

「そうだな…気を付けようぞ。心配、ありがとう。」

「いえ・・・」

「早く帰る。今日こそ三人で晩飯を食い、一緒に寝ようぞ!」

「は、はいっ・・・」

ミトは嬉しさで声が上ずり、顔がほころぶ。

「ミトは笑っている方が美人ぞ!ワハハハハ。」

そう笑って後ろ手を振りながら柱間は出かけて行った。

ミトは顔を赤く染め、その後ろ姿を見送った。

◆

「色々と、本当にお世話になりました。ありがとうございます…火影様。」

カーテンが開かれ、明るい午前中の光が差し込む病室。

芙蓉が柱間に向かって深々と頭を下げると、肩から長い髪がさらりと滑り流れた。

「いやいや。気にせんで良い。それより退院おめでとう!思ったよりも早く元気になって良かったぞ。…記憶が無いことは辛いだろうが、焦らず、無理に思い出そうとしないことだ。穏やかに過ごすうちに、きっと何か思い出せるはずぞ。心配はいらぬ。お前にはお前を愛するこの扉間と、お前を慕う多くの仲間が付いておる。な!扉間よ?」

柱間は芙蓉の両肩を握って頭を上げさせると、芙蓉の頭越しに、芙蓉の後ろに居る扉間にも同意を求めた。

「は⁉・・・あ、ああ。そうだな・・・」

「扉間。今更芙蓉を愛していることを誤魔化そうとしても無駄ぞ。ワハハハ!」

「に、二回も同じことを口に出して言うなっ!!」

芙蓉は少し不安そうな顔をして扉間の方を振り返った。

その顔を見て、扉間は芙蓉が自分に対して申し訳なさを感じていることを察した。

・・・兄者の大馬鹿者め!・・・

 

空高くに、刷毛で履いたような高層雲が浮かんでいる。

道端のススキが秋風で一斉に揺れ、銀色に輝いた。

その風で一緒に靡く髪を抑えて立ち止まり、芙蓉はそのススキをじっと眺めた。

「寒く無いか?無理せず、俺の術で家に帰ろう。」

病院から帰宅する際、どうしても外を歩きたいという芙蓉の望みで、いま人気の少ない細い畔道を二人で歩いている。

「扉間さま、私は貴方のことを・・・」

芙蓉は少し目を細め、巻いているストールを首の上まで上げる。その右肩を扉間が抱き寄せ、ストールを更にしっかりと芙蓉に巻き付ける。

「芙蓉・・・確かに俺はお前を愛している。だがお前に俺を愛する義務はない。気に、しないでくれ・・・。」

「・・・でも・・・」

「もう帰ろう。」

再び大きな風が二人の所へ届くと同時に、二人はそこから姿を消した。

 

パラパラパラパラ・・・

家に到着し自室へ通された。芙蓉は机の上に積まれていた数学の教科書をおもむろに手に取り、そっとめくってみた。

そこには自分の字であろう文字で、教え方についてのメモがぎっしりと書きこまれている。

寂しそうに目を細め、芙蓉はその文字をゆっくりと指でなぞった。そして、その文字を小さな声で口に出して読んでみる。

「因数分解とは、簡単に言うなれば、足し算や引き算の形の式を、掛け算や割り算の形に書き換えることです…」

違和感は無かった。記憶はなくとも身体は覚えているものなのか、自分は本当に教師なのだろう。だが、そうだとすれば今頃、突然担任が居なくなった教え子たちはどうしているだろうか。少なからずも勉強に支障が出ているに違いない。そう考えると芙蓉は胸が苦しくなり、教科書を閉じて胸に抱きしめた。

物の少ない部屋には、確かに誰かが毎日生活しているようだが、どれも自分の物だと実感できる物は見当たらない。

しかし、教科書の類だけは、芙蓉に客観的にそれが自分の物であり、自分がとにかく誰かに迷惑をかけている状況を痛烈に実感させるのだった。

 

…コンコンコン。

いつまでも二階から降りてこない芙蓉を心配して、扉間が芙蓉の部屋の扉を叩いた。

芙蓉は急いで扉を開け、隙間から顔を出した。

「芙蓉…大丈夫か?」

「あっ、はい…えっと…どの服を着れば良いか分らなくて…すみません。」

芙蓉は申し訳なさそうに俯いた。

「良ければ…俺が見てやろうか?」

「は、はい。ぜひお願いします。」

芙蓉は扉を大きく引いて扉間を部屋に招き入れた。

ほぼ毎日入っていた部屋なのに、記憶を無くした芙蓉の様子に、扉間は他人の部屋に入るかのような緊張を感じた。

「悪いが少々服を触るぞ。」

扉間は観音開きの衣装棚を開け、ハンガーに掛かった服を手でかき分けながら順番に見ていく。一番手前に芙蓉が良く着る服があったのだが、扉間は敢えて、自分が一番好きな服を手に取り、芙蓉に差し出した。

「これなんか、良く着ているぞ…」

「…私って、いつも家の中でこんな華美な服を着ているんですか?」

その服は鮮やかな桃色、大きく開いた胸襟にビーズの刺繍が入っている五分袖で、腰を帯で縛って着る丈、裾にもビースの刺繍が施されている。

芙蓉はそれを見て、家着にしては派手で上等過ぎる気がして少し気まずい顔をした。

「別に問題ないだろ。家事をするのに困るわけでもない。よく似合っているしな。」

そう言って芙蓉の手から服を取り、芙蓉の身体に当てて合わせて見せた。

「そ、そうですか?でも私ってどんな性格なのか、ますます心配になってきました…」

「そこまで言わんでもいいだろうが…」

「え?」

「いや…この服の気分じゃないなら他のを着れば良いだろ。心配するな。記憶が無くなっていてもお前の性格は変わってない。何か分らないことがあれば呼んでくれ。」

そいう言うと扉間は服を衣装棚に戻して部屋を出て行ってしまった。

芙蓉は何も言えずにその後ろ姿を黙って見送った。

 

「その服を着たのか。」

「はい…こういう明るい服を着ると、なんだか元気が出てくる気がしますし!」

明らかに扉間に気を使った様子の芙蓉を見て、扉間は目線を逸らして頭を掻いた。

その服は、今年の芙蓉の誕生日に扉間が贈ったものだった。

家の中でこの服を着ている芙蓉を見たいという気持ちで贈ったのだが、記憶を失う前の芙蓉は今の状況と同じく、普段着で着るには勿体ないとなかなか着ようとしなかった。この服を着た姿を見るのは実に芙蓉の誕生日以来である。やはりその服は芙蓉によく似合っており、芙蓉の美しさを引き立て周りの空間までもが明るくなるようだった。

「…あ、やっぱり本当に着るのは、良く、なかったですかね…」

気まずさと恥ずかしさで芙蓉を直視できない扉間の様子を見て、芙蓉が不安そうに言った。

「そ、そんなことはない!よく似合っている。俺は、その服が好きだぞ…」

芙蓉はその言葉を聞き、良かったと呟いて微笑んだ。そして一歩歩み寄り、扉間に言う。

「・・・あの扉間様・・・私について・・・全て教えて頂けませんか?」

「まだ早すぎる。無理に思い出そうとすれば逆効果だ。記憶喪失になった原因は俺と兄者にも分らない。記憶を思い出そうとすることよりも先に、なぜ記憶喪失になってしまったのか、その原因を探る方が先だ。だが、それもお前にとっては辛い出来事を思い出し、更に傷つくことになるかもしれないんだぞ。」

扉間は芙蓉に近づいて、芙蓉の両腕をしっかりと握り、俯く芙蓉の顔を見つめて言った。

「私は…私はどんな現実でも受け入れます。お願いします。」

芙蓉は顔を上げ、扉間の瞳に訴えかけるような強い眼差しを向けて言った。

「それに、現実が真実とは限らない。本当の真実はお前の中にしかないんだ。他者の言うことに惑わされ、傷つき、お前の心の中にある真実が閉ざされてしまっては意味が無いんだ。」

 

「・・・私は・・・そんなに弱くはありません・・・・」

 

「・・・ふ、芙蓉?」

「・・・あっ、私、何言ってるんだろう・・・」

思いもよらない芙蓉の発言に扉間は驚き、そして、芙蓉自身も驚いた。

「そうだ!お前は弱くなんかない!…ほら、ひとつ思い出せたじゃないか!」

扉間は芙蓉を抱き寄せ少し持ち上げると、その場で一回転しながらそう言った。溢れ出す嬉しさを隠せない様子である。そんな扉間の様子に、芙蓉も嬉しくなった。

「そうだな。お前は強い。きっとどんなことでも受け止めて、プラスに変えていけるだろう。ならば少しずつ話していこうか。いいか、少しずつだぞ?」

扉間が芙蓉の両肩に手を乗せ、芙蓉の額に自分の額を合わせるように近づけて念を押す。

「はいっ!ありがとうございます…よろしくお願いします!」

 

◆

 

窓の外では霜が降りた大地が夜の月の光を受けて輝き、静けさが広がっている。

芙蓉が記憶を失くしてからもうすぐひと月が経つ。

十月後半になり、夕方にはかなり冷え込むようになっていた。

そして家の中の窓は、鍋から上がった蒸気で霜を付けている。

 

「芙蓉、その桃色の服、本当によく似合ってるよね。芙蓉は美人で可愛いんだからどんどん明るい服を着るべきなんだよ!ねぇ、扉間様?」

台所で芙蓉の隣りで樹がヒメマスの天麩羅を裏返しながら、食卓に座る扉間に言った。

「…ああ。そうだな。」

・・・樹、珍しくお前と同感だな・・・

「樹ちゃん、ありがとう。これを着てると、明るい気持になれるの…」

芙蓉はまな板の上でネギを切る手を止め、樹の方を向いて恥ずかしそうに微笑んだ。樹はその表情を見て愛おしさがこみ上げ抱きしめたくなるが、今は揚げ物をしているため、ぐっと堪えた。

扉間も芙蓉の様子を見て思わず微笑み、それを隠すように湯呑を口に持っていった。

「つーか、樹。焦がすなよ!俺が釣ってきた大物だぞ。」

「ハイハイ解ってますよー。私と芙蓉の分は、絶対焦がしませんからっ。」

「お前っ・・・焦がしたら、今度こそ査定マイナスだからな!これは任務だ!」

「フフフ。お二人とも本当に仲がよろしいんですね。」

「「違―――うっ!!」」

樹と扉間は同時に大声で否定した。

「あら…そうなんですか?確か、喧嘩するほど仲が良いって言う筈ですけど。フフフ。」

そう言って笑う芙蓉を見て、この場で本心を芙蓉に言うことが出来ない二人は俯いた。

 

パチパチパチ・・・

 

ヒメマスの天麩羅が揚がる油の音だけが残り、気まずい空気が流れる。

「樹ちゃん、もう揚げ頃だよ。良い色だね…美味しそう。」

そう言って、気まずい空気に気づいているのかどうか、芙蓉が樹の顔と天麩羅鍋の中を見ながら微笑んでいる。

樹はウンと返事をして急いで皿に天麩羅を揚げた。芙蓉も味噌汁を椀に注いで切ったばかりのネギを入れ、先に盆の上に置いてあるホウレン草の胡麻和えと、ヒメマスの刺身の隣りに置く。天麩羅を皿に盛り終えた樹は、横目で芙蓉の顔色を窺った。芙蓉は僅かに微笑みを湛えた顔で、料理を始めた一時間前と特に変わった様子は無かった。

 

 

「今日もお料理作るの手伝ってくれてありがとう、樹ちゃん。」

「ううん。私も芙蓉と一緒に料理作れるの楽しいし!」

食事を終え、芙蓉の部屋の暖かい絨毯の上で、樹は芙蓉と二人向き合って座っている。二人はたわいもない話で笑いあった。芙蓉の記憶喪失は変わらずだが、元々親友の若い二人は一緒に居るだけで話に花が咲く。

しかし、そこに芙蓉が突然深刻な顔をして切り出した。

「・・・樹ちゃん、私に遠慮せずに本当のこと教えて欲しいの。・・・樹ちゃんは扉間様のこと、好きなの?」

「そんなわけ無いじゃん!!・・・だって、私が愛しているのは・・・・」

「・・・?」

 

・・・芙蓉なんだよ。芙蓉だって、知ってるじゃん・・・

 

だが、女である自分が芙蓉を好きだと言ったら、記憶を無くしている芙蓉は動揺するだろう。

気持ち悪いとさえ思うかもしれない。樹には言えるはずも無かった。

「ご、ごめんね!変な事を聞いちゃって。もしかして、樹ちゃんは扉間様のことが好きで、扉間様も実は樹ちゃんが好きで…もしそうだったら私、二人に本当に申し訳なくて…心配で気になってたの…ごめんね…」

「違うよ!!扉間様が愛しているのは芙蓉だよ⁉私たちが喧嘩するのは、私が日頃、上司の扉間様に仕事でこき使われているから、プライベートで仕返したくて突っかかっているだけ。…ごめんね、変な誤解させちゃってさ!」

樹は芙蓉の両手をしっかりと握って、芙蓉の顔を覗くようにしてそう言った。

「本当に・・・?」

「うん!本当!!それに、私には他に愛している人が居るもん。」

「そうなんだね・・・解った。ありがとう、樹ちゃん。」

芙蓉は少し困ったような顔で樹に微笑んだ。樹もその笑顔を見て、少し困ったように微笑み返す。

だが、その芙蓉の微笑みは、自分との想い出だけではなく、樹の芙蓉への愛まで忘れてしまっている紛れもない現実として、樹の心を切り裂いた。

だが、それでも芙蓉の前では笑顔で居なくてはならない。

親友の自分が諦めてどうするんだ…芙蓉の記憶は必ず戻る。そう信じて笑い続けていこうと、樹は心に流れる血に誓った。

 

 

「樹ちゃん、本当に一人で大丈夫でしょうか?」

「ハハッ。あいつはああ見えて上忍だ。そこいらの男よりよっぽど強い。心配要らない。玄関は冷えるから早く居間に戻ろう。」

そう言って芙蓉の肩に手を回す扉間の顔を見上げて、芙蓉が言う。

「あの・・・扉間様。扉間様は樹ちゃんのこと、女性として好きですか?」

「樹を女として見た事は一度たりとも無い。俺が愛しているのはお前だけだ。」

扉間は真っ直ぐ芙蓉の目を見つめて言った。

その言葉に濁りは一切無く、まるで今夜の晩秋の空気の様に澄み切っていた。夜空の果てに光る星の様に、扉間の瞳も光っている。

「・・・ごめんなさい・・・失礼なことを訊いてしまって。」

芙蓉はその瞳に吸い込まれそうになり、思わず顔を逸らして謝った。

「いや、構わない。何でも訊いてくれていい。」

二人は居間に向かって歩き出した。しかし、直ぐに芙蓉が足を止めた。

「あの・・・私に、朝起きて寝るまで、以前と全く同じ生活をさせてみてくれませんか?外出もさせて下さい。きっと何か思い出せる気がするんです。お願いします。」

 

芙蓉はこの三週間余り、扉間から少しずつ自分についての情報を聞いているが、「そんなに弱くない」という性格を思い出せたこと以外、何も思い出せないでいた。

険しい芙蓉の表情からは一刻も早く記憶を取り戻したいという焦りが見てとれる。

扉間も芙蓉が言うように、以前と全く同じ生活を繰り返してみれば何かを思い出すのではないかと思っていた。

だが、里を歩けば芙蓉を良く思わない者たちに芙蓉が傷つけられるのではないかと躊躇していたのだった。

しかし芙蓉本人が望んでいるのであれば、以前の生活を送らせてやりたい。強い芙蓉を信じてみるべきなのか…。

 

黙り込む扉間を見て、芙蓉はますます不安そうな顔になり、目は潤んでいる。

自分に以前の生活をさせることに躊躇う扉間に、芙蓉は自分がどんな人物で、いったい何が起こっていたのか、ますます不安で堪らなくなる。

とにかく、何でもいいから思い出したい。

「お願いします!早く、何でもいいから、思い出したいのです!」

「以前も言ったように現実が真実とは限らない。確かに他者から見たお前の姿も一つの真実だろう。だが、あくまで本当の真実はお前の心の中にしかない。そこをきちんと分け、冷静に受け止められるならば、お前の望む通りにしてみよう。どうだ?」

 

芙蓉は二度同じことを言う扉間が言わんとすることの意味が分った。

きっと自分は慕われている一方、一部の人間からは嫌われているのだろうと。

 

それによって自分が傷つくことを扉間は心配しているのだ。

「はい・・・私頑張ります!」

芙蓉は涙を拭って顔を上げ、強い意志を宿した瞳で扉間を見た。

「…そうか…分った。だが頑張るな。辛い時は直ぐに止める。いいな?」

扉間も芙蓉の瞳を見て、決心した。

芙蓉ならきっと大丈夫、そして何かあれば必ず自分が守ると心の中で呟いた。

 

 

 

 

 

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