柱間と扉間に火の国の大名たちとの懇談会の出席要請が来ました。
しかしその条件が・・・
扉間は渋々、いや、本当は期待して芙蓉に同伴を頼みます。
記憶を失くした芙蓉と扉間の身体と心が通じ合った日から約半年が経った今、
二人の関係は・・・扉間の気持ちは・・・?
そして懇談会当日。
ついに芙蓉の記憶喪失に変化が起こります。
新しい年を迎えてから数ヵ月経つ。
どうやら菜種梅雨に入ったようで小雨の日が続いている。
霞立つ山からは鹿の求愛の声がこだまして来る。
しっとりと濡れた桜の蕾も随分と大きくなってきた。
「妻同伴か。ミトを連れて行くことに何か問題でもあるのか?」
書庫の棚に本を返却している扉間と後から入ってきた柱間が、来週に予定されている火の国の大名との懇談会について話している。柱間は“配偶者、または子息同伴で出席されたし”との要請が来たことを扉間に伝えたのだが…
「違う!お前のことだ、扉間。お前は芙蓉と出席したらどうだ?」
「俺と芙蓉は…夫婦では…ない。」
「何を言う!芙蓉とはもう夫婦のようなものではないか!里の皆がそう思っておるぞ。」
「周りがどう思おうと、俺たちは夫婦ではない。」
「だが、芙蓉はお前の求婚を待っておるのかもしれぬぞぉ⁉」
「それは・・・。とにかく、兄者には関係無い。」
扉間は柱間の言葉に動揺している所を見せまいと、無表情で本を次々と棚に入れてゆく。
その横顔を見ながら、柱間は腕組みをしハァと大袈裟に溜息をついた。
「それは困ったのう…お前だけが同伴者無く一人で参加するとなると、大名たちからの見合いの話を山のように受ける羽目になるだろうのぉ。大名直々の見合い話を無下に断るわけにはいかんし。芙蓉とて、お前が見合いに明け暮れるのを見ていて好い気持ちはしないだろうのぅ…いや、これは困ったの!!」
そう言う柱間はニヤニヤと笑って体を左右に揺らしている。
扉間は手を止め、柱間をキッと睨みつけた。その視線を気にもせず、柱間が言う。
「ここは芙蓉に『協力』して貰うのが、得策だと思うぞ?ハハハハッ!」
「・・・ハァ。とりあえず、芙蓉に話してみてやる。」
「うんうん!それが良いぞ!!楽しみだのう!ガハハハハ!」
「うるさい!」
◆
午前の仕事を終え、扉間は参謀室の机の上で芙蓉の手作り弁当を広げていた。箸を揃えて手を合わせると、小さくいただきますと呟き昼食を始める。
昆布じめを口に運び、窓の外の春霖(しゅんりん)で煙る里の風景に目をやると、ふと、五ヶ月ほど前の早朝を思い出した。
芙蓉を抱くことが出来るのは芙蓉が記憶を取り戻すまであり得ない、いや、あってはならない事だと思っていた。
記憶を失くした芙蓉は本当の芙蓉ではない、あの時芙蓉が選んだことは芙蓉の本意ではないと言い切るつもりはなかったが、やはり、記憶が戻った時に後悔するような選択を芙蓉にさせてはならないと思っていた。
しかしあれ以来、芙蓉は扉間に対して「愛している」と言葉にするようになっていた。
嬉しい反面、芙蓉の記憶が戻った時気持ちがどう変わるのか、そして芙蓉が扉間を愛してしまったことを後悔するのではないかと思うと、相変わらず今でも心が痛むのである。
そしてこの五ヶ月間、残念ながら芙蓉の記憶喪失の原因は全くもって不明のままである。そのうえ殆ど記憶を取り戻せずに居ることも、扉間には、思ひ苦しかった。
芙蓉自身は笑顔で居るが、今でも心の中で苦しい想いをしているに違いない。
そしてまた、弁当に目を落とす。
『 夫婦のようなものではないか! 』
先ほどの能天気な柱間の言葉が頭にこだまする。そして目の前には、今朝この弁当を手渡してくれた時の芙蓉の笑顔が浮んだ。
・・・確かに。並みの夫婦よりは、夫婦らしい、かもな・・・
目の前の弁当は、菜の花の辛し和えや鮮やかな卵焼き、ヒメマスの西京焼き、旬の苺など、豪華かつ栄養のバランス抜群の内容だ。
まさに、芙蓉の愛情を具現化したようなものである。
そして何より、これだ。
『扉間様お疲れ様です。間もなく桜の季節。錦谷の紅葉が懐かしいですね。』
弁当の包みの中には毎日、芙蓉が書いた短い手紙が入っているのだ。
思わず扉間の顔が緩み、口角が上がる。そして、嬉しさとむず痒さで僅かに身震いした。
コンコンコン。
「・・・・・入れ!」
扉間は急いで弁当に蓋をし、手紙を机の中にしまう。
「あっ。お食事ちゅう申し訳ありませぇーん。」
「失礼いたします。」
「樹、お前は申し訳無いなんて微塵も思ってないだろ…ったく。何だ!」
樹とカガミが揃って参謀室に入ってきた。
「来週の懇談会、芙蓉と一緒に行くんですよね?」
扉間は肘掛に載せた肘がズルっと落ちそうになった。
・・・兄者の奴めぇ。もう教えたのか・・・・
「ま、まだ一緒に行くとは決まっておらん。」
「ワダチの件は未だ何も分っていませんが異常も全くありません。しかし芙蓉先生と扉間様がご一緒に里を出るとなれば、ワダチ本人が何か仕掛けてくるかもしれません。俺も一緒に行かせて下さい。」
「そういうことです!で、私も一緒に行きます!」
「ハァ…あのな、まだ決まっておらんと言っているだろ。護衛は決まってから俺が決める。」
「でも~、芙蓉の護衛は、私とカガミが一番適任だと思うんですけどぉ?」
「わかった、わかった!考慮する。用件が済んだら早く出て行け。」
「扉間様どうかよろしくお願いします。芙蓉先生は私塾でようやく授業が出来るようになって本当に嬉しそうです。もう辛い目に遭わせたくありません。だから・・・」
「カガミ。芙蓉があれ程早く私塾で授業が出来るようになったのも、全て貴様のお陰だ。感謝している。芙蓉もまた貴様に信頼を寄せている。そうだな、貴様には芙蓉を同伴する際には護衛を頼むぞ。」
「…あれ?私は?」
「では、失礼いたします。お食事中失礼いたしました。」
カガミはそう言って頭を下げると早々に部屋を出て行った。
樹は自分の顔を指さしたまま、部屋を出て行くカガミの背中をただ見送った。そして指さしたまま、扉間の方を向き、再び目で訊ねる。
「お前は必要ない。」
「エ―――っ!なんでですかぁ!」
「魂胆丸見えなんだよ。いいから早く出て行け!」
「…わ、私だって芙蓉のこと守りたいんですっ!それに、一番の敵は身近に居るって言うし!…ていうか、扉間様は早く芙蓉のお弁当食べたいだけでしょ?バレバレですけど!」
扉間は一度下を向き、大きく息を吸って、机に手を付いてすくっと立ち上がる。
「ああーそうだ!!早く食いたいんだよ!これを楽しみに午前中仕事頑張ったからな!それにもう俺たちは夫婦同然なんだ。お前の心配はとっくに杞憂だ!分かったか!」
「・・・・・そ、そう、なん、です、ね・・・」
樹は扉間の剣幕に驚くというよりも、初めて扉間が開き直り、芙蓉との仲に惚気たことに激しく動揺した。
確かに最近、芙蓉は扉間のことを嬉しそうに話す様子から、芙蓉が扉間のことが好きなことは解っていた。いや、愛していることも解っていた。
だが、扉間から惚気られるとは、青天の霹靂のようなものだ。
面白キャラとしては相応しいかもしれないが、ここまで直接的なのは全く笑えない。
「し、失礼します…」
樹は動揺したまま急いで部屋を出て行った。
樹が出て行った途端、扉間の顔がどっと熱くなる。ドスンと椅子に腰を下ろし、暫く茫然とした後、おもむろに弁当の蓋を開け食事を再開した。
卵焼きが、心なしかいつもよりも美味しい気がした。
◆
扉間は年明けに創刊したばかりの『木ノ葉経済夕刊』を広げている。
芙蓉はこの日、私塾が休みだったため、のんびりと台所で夕食の用意をしている。
扉間は新聞と芙蓉の後ろ姿、交互に目を遣り、話しかけるタイミングを計っていた。
「…芙蓉、来週、四月一日と二日は空いているか?」
「ええ。土日で私塾も休みですし、扉間さまもお出掛けになるし、特に予定はありませんけれど。何か?」
芙蓉は灰汁抜きをしておいた蕨を手に、にこやかな顔で扉間に振り返る。
「それなんだが・・・お前も、一緒に来てくれないか?」
「え?あ、はい。私はいいですけど、他の方にご迷惑なのでは…火影様や上役の方もご一緒なんでしょう?」
「…それが…妻または婚約者が居る者は同伴してくれと、火の国側から要請があってだな…それで、その…俺は一人で行きたいところなんだが、兄者がどうしても芙蓉と一緒に来いと言っていて…嫌ならいいんだぞ!一緒に来れば妻か婚約者と紹介しなければならんし。」
芙蓉は手を洗ってタオルで拭くと、食卓に着いている扉間の方へ歩み寄った。
「ご一緒します。だって、私が記憶を失くしたばかりの頃、私たちの関係を扉間さまに尋ねた時、『婚約者だと思ってる』って仰ってくれたじゃないですか。今でもそう思って下さっているなら、私もご一緒したいです。」
真っ直ぐ扉間を見つめ、そう言う芙蓉の顔は少しはにかんでいる様にも見える。
「・・・本当は、俺も、お前が一緒に来てくれると・・・嬉しい。」
扉間は新聞を食卓の上に置き、俯き気味でそう呟くように言った。
「あらあら、扉間さま、顔が真っ赤ですよ。うふふふ。」
「う、うるさい!!…来るならちゃんと準備しとけよ。」
「うふふ。はい。」
「ゴホン。」
扉間は咳払いを一つして、再び新聞に目を落とす。
・・・とうことは、芙蓉も俺のことを婚約者だと思っているのか?
ならいずれは、結婚…いや駄目だ。芙蓉の記憶が戻らない限り結婚は・・・
新聞の内容など頭に入るはずも無く、扉間は新聞で顔を隠し心の動揺も隠していた。
◆
扉間は久しぶりに、実家である柱間の屋敷に来ていた。
ミトが昨年、柱間との長女を出産してからというもの、屋敷の中がどんどん変わってゆく。
無くなった物、登場した物、そしてなにより空気も匂いも以前とは全く違う。
どこか落ち着かなかった。
「仕方ないとはいえ、火影の妻が欠席とはな…どうしたものか…」
「ワハハハ!だが好い話のネタは出来たぞ!いぁ~嬉しいのう!」
「はぁ…確かにそうだな。火影に二人目の子が産まれるとなれば、いやおうなしに話題の中心になるだろう。」
最近ミトが体調を崩していたため診察を受けたところ、昨日、妊娠初期であることが判明した。ミト本人は行きたいと言い張ったが、大事をとって里の外で行われる懇談会には欠席させることにしたのだった。
「ということで、“夫婦接待”はお前に任せたぞ扉間!ワハハハハ。」
「だから、夫婦ではないと言っている!いい加減うるさいぞ!」
「だが、皆の者には何て紹介するのだ?ん?」
「・・・婚約者だ。」
「婚約者!そうかぁ。ではいつ結婚するか早く決めんとなぁ!結婚について質問攻めに遭うのは明らかぞ?」
「うっ・・・それは・・・」
「まさか扉間、お前まだ芙蓉に求婚しておらぬのか⁉」
「と、当然だ!芙蓉は記憶を失くしているんだぞ。そんな芙蓉に求婚など…できん…」
「いやいや。記憶を無くす前から長い間、一緒に仲良く暮らしておるではないか。まさか…同じ屋根の下に居て、何もなかったのか?」
扉間は耐えきれなくなり、席を立ちって柱間に背を向けた。扉間の気持ちなど知る由もない小鳥のつがいが、窓の外でピチュピチュと仲良く囀り合っている。
「だ、黙れ!芙蓉は記憶を無くす前、誰とも結婚する気は無いと言っていたのだ。だから…」
「…確かに今の芙蓉に求婚し、芙蓉がそれを受けて、その後記憶が戻った時に芙蓉が戸惑う可能性は大いにある。だが、お前が自分の気持ちを押し殺して生きていくのも違うのではないか?」
それに対し扉間が柱間の方を振り返り、椅子の背を掴んで言う。
「俺は、もう二度と芙蓉を傷つけたくはないんだ!それに、芙蓉の望みにすべて応えながら傍に居るのが俺の幸せだ…」
「うむ…そうか。だが芙蓉の気持ちとて、一生変わらないとも言えぬのではないか?お前と暮らし、喜びも悲しみも共にすることで、結婚したいと思うようになるかもしれぬ。その時は芙蓉をいつでも受け入れると伝える意味で、求婚してみても良いと思うだがのう…やはり少々強引かのう?…ハハハハ…」
扉間としては、芙蓉に対して愛情表現をし続けているつもりである。
結婚。
その言葉だけがタブーになっているのだ。
「俺は…俺なりに芙蓉に気持ちを伝えているつもりだ。芙蓉も、その…俺のことを、愛していると言ってくれる。って、あーっ!なんで兄者にそんな事を言わんといかんのだっ!!」
扉間が顔を真っ赤にして頭を掻きむしる。
「良いではないか!俺は嬉しいぞ!やっとお前が芙蓉に対する気持ちを素直に言葉にするようになってくれて。長かったのう…いや、本当に嬉しいっ!…」
そう言うと柱間は涙ぐみ、袖で目をゴシゴシと拭った。だが目が真っ赤になり、更に目が潤んでしまっている。
「ちょっ、泣くな!大袈裟すぎるわっ!」
「何を言うておる…兄として弟の成長ほど嬉しいものは無いっ!」
「お前は母親かっ⁉」
「敵の忍からも一族からも、そしてネット民からも『卑劣様』と揶揄される冷血無慈悲なお前が、ついに愛の言葉を口にするとはっ!!…ううっ泣けるぅ~!」
「それ、喜んでるのか、貶してるのか分らん…って、ネット民ってなんだよ⁉」
「それになんといっても、芙蓉はお前を愛している…本当に良かったな。扉間。」
そう言うと、柱間は扉間の顔を見ながら滝のように涙を流す。
「あーもうっ!うざいからいちいち泣くなぁっ!!」
再び柱間が袖で涙を拭うと、カラッとした笑顔になり、ガハハハハと笑って見せた。
「泣いたり笑ったり、忙しい奴だな…ったく。」
そう言いながら扉間は窓辺に立ち、里の風景を見渡す。そして言葉を続ける。
「…だから…結婚なんてカタチにこだわるつもりはない。俺は芙蓉に対して償いきれない罪がある。そんな俺を受け入れてくれ、愛して貰えるだけで充分だ。それ以上は望まん。だからこれからも求婚する気は無い。」
柱間は少しだけ苦笑しながら、硬い表情で窓の外を見つめている扉間を見て言う。
「まぁ、そんなに硬く考えるなよ。結婚てのはタイミングだ。きっとお前たちならそのタイミングもすぐに来ようぞ。」
「・・・・。」
「それか、卑劣様らしく、いっそのこと既成事実を作ってしまうのもアリではないか⁉今からなら俺の二人目と同い年の従兄妹に間に合うぞ~っ?ウシシシ。」
「ったく、下品なやつだな。ていうか、それは卑劣というより、ただのゲスだろが!」
「お前こそ、相変わらずむっつりスケベだのぅ!ガハハハハ!」
・・・うん。今すぐこいつを火影の座から引きずり降ろしてやりたい・・・
◆
会場では火の国の大名と、木ノ葉の里の上忍や上役たちが同伴者を伴い、グラスを片手に歓談している。会場はかなり広いはずだが、大名の護衛や忍たちの部下も居る為、かなりの人で埋め尽くされて狭く感じるほどだ。
その中でも人だかりが出来ているのはやはり、火影である柱間の周りであった。
妻のミトが欠席とあり、大名たちの妻や娘たち女性陣がここぞとばかりに柱間に話しかけている。女好きの柱間もまんざらでもない様子で相手をしている。
扉間は一瞬、その様子を睨みつけた後、グラスを飲み干した。
飲み干すと同時に、後ろから挨拶をしてきた大名の息子たち三人と話を始める。
火影の右腕、里のナンバー2であるがゆえ、懇談会が始まってから一時間、ずっと国や里についての交渉事ばかり話っぱなしである。
扉間の隣には、芙蓉が居る。
予想通り、芙蓉目当てに話しかけてくる大名側の人間も何人か現れた。
芙蓉が女学校の頃からその美
貌と知性は大名の間に知れ渡っており、柱間と扉間の許嫁であった事を知っている大名も多い。
かつてはそれを知っていても強引に求婚して来る大名たちも多かった。そのため、扉間との婚約に嫌味を言う者、芙蓉に求婚して断られた恨み節を言ってくる者までいた。
しかし、芙蓉は、扉間のフォローを受けながら、記憶が無いにも関わらず、笑顔で扉間のことを讃えながら上手に対応していた。そして、扉間が政治や経済の難しい話をしている時でも、隣で頷きながら一生懸命、共に考えながら話を聞いていた。
そして、十五分ほどで大名の息子たちとの会話が終わった。
「扉間さま…私、ちょっとお手洗いへ…」
「大丈夫か?…少し顔色が悪いな。食事会が始まるまであと三十分弱ある。それまで外で休んでいろ。」
そう言うと、少し離れた所に立っているカガミに向かって軽く手を挙げ、呼び寄せた。
「芙蓉を食事会まで、外で休ませてやってくれ。」
「解りました。芙蓉先生、外に休憩できる場所がありますからそちらに行きましょう。」
「扉間さま、申し訳ありません…」
「気にするな。無理しなくていいから休んで来い。」
「芙蓉先生、食事会も長いのですから、しっかり休みましょう。」
「解りました…本当にごめんなさい。」
芙蓉は苦しい表情が顔に出ないよう堪えながら、カガミに支えられて会場を出て行った。
少し湿気を帯びているが、夜風は冷たい。
庭園の桜の木が灯りに照らされ、八分咲きほど咲いているのが判る。
芙蓉は赤い絨毯が敷かれている休憩所の長椅子にカガミと並んで座った。
カガミは、用意していたストールを芙蓉の肩に掛け、温かい緑茶をそっと差し出す。芙蓉はありがとうと言って茶を受け取り、ゆっくりとすすると、大きな溜息を吐いた。
「カガミ君…ありがとう。ごめんね。心配かけちゃって…ダメね。これしきでグッタリしてちゃ。あはは…」
「いや、あれは疲れるよ。先生は充分頑張ってるじゃん。凄いよ…」
・・・記憶に無い事で嫌味や恨みごと言われても笑顔で対応し、扉間様の会話だってあんなに真剣に聞いて、それでちゃんと意見も言って・・・
カガミは心の中でそう言いながら、芙蓉の青ざめた顔を見つめる。
「ううん。だって他の女性の皆さんに比べたら私なんて全然…それに、扉間さまは偉大な方なのに、私はそれに見合ったお役に立ててないわ。これじゃ婚約者失格ね…」
「比べることじゃないよ。先生は先生だろ?それに、扉間様が選んだのは他でもなく、芙蓉先生なわけなんだし、私なんかっていう言い方は良くないと思う。」
「そうだね…私なんかって言っちゃダメって、樹ちゃんにも言われたんだった。あはは…」
そう言うと芙蓉は困った様な笑顔を見せた。
落込みながら無理やり笑う芙蓉の様子に、カガミはたまらなく切なくなる。
そして、先ほどまで扉間の婚約者として笑顔を振りまいていた芙蓉を見ているのは、もっと切なかった。
ついに芙蓉は扉間のものになってしまう。
芙蓉が目の前で辛そうにしているのに、自分にはもう何もできないのか…。
カガミは目線を自分の膝に落した。
二人の間に暫く沈黙が流れた。
「…いつも助けてくれてありがとうね。カガミ君には本当に感謝してるの。私が辛い時には、いつもカガミ君が傍に居て助けてくれる。だからね、こうしてカガミ君と一緒に居ると安心できるのよ?」
カガミは咄嗟に顔を上げ、芙蓉の顔を見つめた。
芙蓉は先ほどまでの苦し紛れの笑顔ではなく、カガミに向かって心のこもった笑顔を向けている。
カガミは芙蓉を抱きしめたい衝動に駆られるが、なんとかそれを抑えた。しかし…
「…芙蓉先生!ほんとに、扉間様と結婚しちゃうのかよ…」
思わず、カガミの口から言葉が洩れてしまった。
芙蓉は笑顔のまま、少し目を伏せ瞬きをした。長いまつ毛の影が頬に映っている。
「…扉間さまが求婚してくれたら、かな…」
・・・え⁉まだ求婚されてないのかよ!・・・
「…でも…昔もう誰とも結婚する気は無いって言ってたじゃん…」
「そ、そうなの⁉私、そんな事を言ってたの?…どうして…」
カガミはしまったと左手で自分の口を押えて茫然とした。
芙蓉が記憶を失くしていることを忘れ、言うべきではない事を、つい言ってしまった。
「…た、たぶん、誰と結婚して良いか分らなくなってたんじゃない?先生、マダラからも、火影様からも、扉間様からも、他にも沢山の男からしつこく言い寄られてたからさぁ!」
「そうなの⁉私が?・・・信じられない。でも私、マダラと結婚したのよね。何故かしら・・・記憶を失くす前の私はいったい誰のことが好きだったの?・・・」
・・・ヤバイ。迷宮に誘いこんでしまった!どうしよう・・・
「ごめん、先生・・・俺、余計な事言っちまった・・・。でも俺が知る限りは、記憶を無くす前の先生は、扉間様のことが好き、みたいだったぜ・・・」
カガミはそう言いながら自らの言葉に傷つく。
芙蓉が扉間を好きでいた事は間違いでは無い。
そして、自分は当然、生徒としてしか見てもらえていなかったからだった。
「うん・・・やっぱり私もそう思う。だって、扉間さまとずっと一緒に居て、好きにならないほうが不思議だもの!でしょう?」
そう言って首をかしげて子供っぽく笑う芙蓉の笑顔に、完全に自分は恋愛対象外だと断言されたような気持になり、カガミは胸が張り裂けそうだった。
「…芙蓉。具合はどうだ?」
すると、扉間が歩きながら、二人の背後から声を掛けてきた。
「あ、扉間さま!会場を離れて大丈夫なんですか?」
「カガミが居るとはいえ、お前のこと放っておけないだろ…それに、俺だってずーっと喋りっぱなしは疲れる。」
「うふふ。ありがとうございます。カガミ君が介抱してくれたので、随分善くなりましたよ。慣れない服と靴でちょっと疲れただけですし。大丈夫です。」
すると扉間は二人の座る長椅子に歩み寄り、椅子を跨いで、芙蓉の隣りに腰かける。
「…お茶を持ってきます。」
扉間が腰かけると同時にカガミは盆を持ち長椅子から立ち上がり、扉間へのお茶を取りに行った。その背中に向かって芙蓉がありがとうと声を掛ける。
扉間は腕を組み、ただ黙って正面を見ている。
「…大丈夫、ですか?」
芙蓉が扉間の様子を心配して顔を覗き込む。
すると扉間は顔を反対側に背けた。
「…ここは、里よりも桜が咲くのが早いな…」
「里はまだ五分咲きくらいですものね。朝、明るくなって桜を見るのが楽しみですわ。」
自分で話を振ったものの扉間は言葉が続かず、黙り込む。
「あの…扉間さま。私、扉間さまの婚約者だなんて恥ずかしいです…だって、扉間さまは偉大な方なのに、私、やっぱり釣り合っていない気がして…」
扉間は急いで組んでいた手を解き、膝に手を置き、俯く芙蓉の顔を覗き込む。
「そんなことは無い!あれだけ完璧な対応をしてくれて本当に感謝している!」
「良かった…。でも駄目な所があったらすぐに指摘して下さいね。この後の食事会も頑張りますから!」
「それに、俺には・・・・・・・」
「・・・はい?」
「お待たせしました。」
カガミが扉間の横にお茶を置く。
「ゴ、ゴホン!すまんな。カガミ。」
ズズズッ。
「アっっつぅ!!」
「だ、大丈夫ですか⁉熱いお茶をそんな勢いよく飲むから…!」
カガミは分かりやすく動揺しまくっている扉間を、後ろから冷ややかな目で眺めていた。
・・・どうせ、さっき芙蓉先生が扉間様のこと言ってたの聞いてたんだろ?
確かに扉間様は良い人だけど…俺もあと少しで、やっと十六だ。
十年もしないうちに、絶対に扉間様みたくなれる自信はある。
ああ、早く、十八になりたい・・・
◆
食事会は歓談会場とは別の大広間で行われた。円卓がいくつも並び、大名側と木ノ葉の里側が共に同じ着席した。
芙蓉は扉間の婚約者ということで、火影である柱間、大名代表者と同じ円卓に座った。
流石に多くの大名たちを取りまとめる代表者とあって、芙蓉について変な詮索をしたり無粋なことは全く口にしなかった。国政や防衛の話の合間に、時折、芙蓉の教師の仕事や、一般女性から見て里の生活はどうかなど、当たり障りのない話題を振られるのみで、終始和やかな会話だった。
そして、食事会は閉会した。
芙蓉はなんとか乗り切りホッとしていたが、それ以上に、芙蓉の隣に座る扉間は大きく胸を撫で下ろしホッとした。食事会終了時の会場の大きな拍手が、まるで、この二時間弱の時間を耐え抜いた自分への喝采ではないかと錯覚するほどだった。
扉間は柱間の補佐、いや、柱間の失言、失態を監視し、自らも大名との会話に交じり対等な形勢を崩さないよう慎重に発言した。そして常に芙蓉のことも気遣い、心配していた為、食事には殆ど手を付けられなかった。
「芙蓉。お前のお陰で大名側は上機嫌だったぞ。ありがとう。」
扉間と芙蓉は、今夜宿泊する客室に戻ってきた。
扉間は藤の椅子に腰かけると、扉間の上着をハンガーに掛けている芙蓉の背中に向かって礼を言った。
「いいえ、私はニコニコしているしか無くて…扉間さまこそ、本当にお疲れ様でした!」
「いや。それが一番重要だ。お前の笑顔に、あの知的な会話…本当に完璧だった。」
そう言うと、扉間は額の上で腕を組み、フゥーっと大きく息を吐いて後ろに背伸びをした。
「…ありがとうございます。そう言って貰えると凄く嬉しいです。でも、扉間さまは随分お疲れの様ですね。大丈夫ですか?早くお休みになる用意を…」
「いや。この後、非公式の飲み会に付き合わねばならん。兄者が何をやらかすかわからんからな。ご婦人に無礼な事でもしたものなら火影の品格が問われる。」
芙蓉はフフッと笑った後、扉間の後ろに歩み寄り、黙って肩を揉み始めた。
「ハァ…このまま風呂に入って寝たいなぁ…」
芙蓉の力では硬い筋肉で覆われた扉間の肩をほぐすことは出来ないのだが、その手の温かさと動きで心地良くなり扉間は目を閉じて、思わず本音を洩らした。
「私…扉間さまのこと、ちゃんと支えられているでしょうか?私はいつも、扉間さまや樹ちゃん、カガミ君たちに支えられて助けられてばかりです…」
扉間は芙蓉の顔を見上げた。
芙蓉の頭上には電球が温かく光っており、その光を背負って優雅に結い上げられた亜麻色の髪がキラキラと光っている。
その様子が扉間には、天から降り立ってきた天女の様に見えた。
そして自分の肩を揉んでいる芙蓉の左手を掴んだ。
『 はい。これからもお支えして行くつもりです。 』
ずっと前、記憶を失くす前の芙蓉に扉間の想いが届いた日の、二人の会話を思い出す。
・・・あの時、記憶を失くす前、芙蓉は俺の傍に居て支えていくと言ってくれた。
そして記憶を失くした今でも、俺のことを・・・
扉間は芙蓉の手を引き、自分の膝の上に座らせた。
「お前が傍に居てくれるだけで、俺はこの先もずっと立っていられる…頑張れる。」
「扉間…さま…」
二人は、見つめ合う。
ドンドンドン!
扉を叩く音がした。
「おーい扉間~芙蓉~!飲みに行くぞ~!おーい!!」
扉間がガクっと首を垂れる。それを見て芙蓉も苦笑する。
「うっさい!そんな大きな音と声で呼ばんでも聞こえるわっ!ちょっと待っとけ!…すまん。行ってくる。先に寝ていろ。」
扉間は芙蓉を膝から降ろし、仕方なく立ち上がって扉へ向かい、扉を開ける。
「これからが懇談会の本番ぞ!気合入れて飲むぞっ!なっ!芙蓉?」
開けたとたんに柱間が顔を覗かせ、扉間越しに芙蓉に向かって陽気に手を振る。
「行くのは俺だけだ。さ、行くぞ。」
「はぁ⁉芙蓉が一緒じゃないと意味が無いぞ。盛り上がらぬぞ!久しぶりに芙蓉と酒が飲みたいぞっ!」
「最後のが本音だろーが!芙蓉は記憶が無いにも関わらず、ここまで頑張ってくれたんだ。もう休ませてやれ。いいな!」
それを聞いて柱間がずぅーんと首を垂れて、あからさまに落ち込む。
「…そ、そうだのう…その通りだ。芙蓉に無理をさせてはならんのう…でも…寂しいのう…」
「あ、あの!私もお邪魔でなければ、ご一緒します。」
「馬鹿!芙蓉に気を遣わせてどうする!芙蓉、いいんだ。このエロ馬鹿の戯言など気にしなくていい。ゆっくり休むんだぞ。何かあればカガミを呼べ。」
バタン!
扉間は柱間を無理やり押し出して扉を閉め、出て行ってしまった。
甘い時間から一転、突然部屋に独り残され、芙蓉は茫然としていた。
ふと我に返り、扉間と二人で座っていた藤の椅子の向かい側の椅子に腰かけ、さっき目の前の椅子に在った扉間と自分の姿を思い浮かべてみる。
・・・あれ?何か、何か思い出せそうな気がするんだけど…でも、扉間さまとの想い出じゃない・・・
芙蓉は頭を抱え、俯いて床を睨む。
はっきりした過去の記憶ではなく、かつて感じただろう感情だけを想い出す。
いつ、誰と、どんな風に、こんな感情になったのか?
しかし、それが扉間との間でのことでは無いのは確かだった。
・・・もしかして、マダラっていう人と・・・
その予感に、不安と、恐怖、そして罪悪感を感じ芙蓉は強く目を閉じる。
ガタガタガタ・・・
春の強い風が窓ガラスを鳴らした。芙蓉は自分の身体も震えていることに気付く。
震えながら身を起こし、恐る恐る窓を見た。
カーテンが開けられたままの窓ガラスには、苦しそうな表情の自分が映っている。
『現実が真実とは限らない。確かに他者から見たお前の姿も一つの真実だろう。だが、あくまで本当の真実はお前の心の中にしかない。』
いつかの扉間の言葉が頭に浮かぶ。
これまで幾度となく思い出してきた言葉だ。
時に支えになり、時にこうして芙蓉を苦しめている言葉である。
・・・今の私は幸せ。それは、真実を知らないから?
真実を知れば、この幸せが壊れてしまうのかもしれない…。
それなら一生、真実なんて知らなくていい!
今が唯一の真実のままでいい…そうよね?・・・
芙蓉は窓に映る自分にそう言い聞かせた。