話は戦場で扉間がイズナを倒す場面から始まります。
芙蓉は、病床に伏せる仏間から母(水蓮)のことを聞かされます。
そして18歳の成人を迎えた芙蓉。
ついに結婚相手を柱間か扉間か決めなくてはなりません。
芙蓉の柱間・扉間への気持ちは?どちらを選ぶのか?
そして、芙蓉への想いに苦悩する扉間はというと・・・
※わずかですが扉間と芙蓉の濡れ場描写があります。
平和に見える日常は、いまだ戦乱の中の綱渡りの日々でしかなかった。
この日もまた、柱間と扉間は戦場に居た。
そしてその戦いの相手は、うちは一族だった。
「木遁・木竜の術!!!」
「火遁・豪火滅失!!!」
柱間とマダラ、二人が初めて戦場で戦った日に交えた刀のぶつかる甲高い音は、今は、音速をも超える術と術のぶつかり合いに変わっていた。
マダラは友となった柱間のことを、あの日以来、完全に消すことに決めていた。
柱間もそんなマダラに応えるように戦った。戦わなければならなかった…守るために。
来る日も、来る日も…戦い続け、気が付けばお互いに『最強の忍』と呼ばれるまでに成長した。そして二人は一族の長となっていた。
柱間が、マダラが、成し遂げたがった夢からは一番遠い所に居た。
「飛雷神斬り!!!」
「!?」
柱間とマダラの戦いの傍で戦っていた扉間とイズナ。
勝負を決したのは、扉間だった。
「イズナ!!」
ゴフッ…吐血し倒れそうになるイズナをマダラが急いで支えに入る。
それを見ていた柱間が、上がる息を抑えながら、マダラに言った。
「マダラ…お前は俺には勝てない…もう…終わりにしよう。」
柱間はまだ、夢を捨てきれないでいた。
マダラと目が合う。
「忍最強のうちはと千手が組めば…国も我々と見合う他の一族をみつけられなくなる…そうすれば、いずれ戦いも浄化されていく…」
イズナの傷はかなり深かった。マダラは自分の服にイズナの血が染みてくるのを感じた。
マダラの目の前の焼け野原には、選択のカードが散らばり、早急にその選択を迫っている。
「…さぁ…」
柱間がマダラに静かに手を差し出した。
迷っている時間は無い。弟の、命が危ない。
柱間の差し出した手をマダラは見て、無意識に一歩、足が前に出そうになる。
「…ダメだ兄さん…奴らに騙されるな…」
弟の言葉に、ハッと我に返ったマダラは弟のほうを見た。
イズナは必死に目でマダラに訴えている。
マダラは弟を連れてその場から煙のように消えてしまった。
柱間は二人が居た場所を、黙って見つめるしかなかった。
◆
夏の初めの夕暮れ。庭の芙蓉の花が白から薄紫に色を変え、妖艶な姿に変わってゆく。
芙蓉はその様子をなんとなく怖ろしく感じながら、氷水の中で布巾を固く絞る。
その布巾を、床に横たわる仏間の額にそっと置いた。
仏間は横たわったまま、枕元の柱間に訊く。
「…最近、千手へ亡命して来るうちはが居るそうだな。」
芙蓉は戦の話になったので急いでその場を後にする。柱間は芙蓉を目で追ってから言う。
「ああ。明らかに戦況はあちらが劣勢だ。今は休戦状態だが、この間にも、あちらの戦力は下がっていくだろう。」
「ついに…そこまでやったか。柱間、最後まで気を抜くでないぞ。」
「ああ…でも父上も早く元気になってくれよ。父上には芙蓉を狙う奴らを追い払ってもらねばな。」
そう言って陽気にワハハと笑う。
「なんだ、まだ他国から芙蓉をよこせと言ってくる奴らがおるのか…それはもう、お前の役目だ。芙蓉ももうすぐ十八だからな…」
「毎日遣いやら手紙やら沢山くるぞ。こちらは戦で忙しいのに、参ったものだ。」
芙蓉が通う女学校には花嫁候補を探そうと他国からも大名や豪商など名士が毎日訪れる。芙蓉は柱間と扉間の許嫁だが、それを知らずに求婚してくる者、知っていて脅しで奪い取ろうとする者がここ最近増えていた。
「お前は芙蓉を愛しておるか。」
「は?ワハハハハ。なんぞいきなり。勿論だとも!愛しておるぞ。」
「扉間はどうなのだ?ここ数年、急に芙蓉に対して当たりがきつくなっておるが…」
「…どうだろうな。俺にも、芙蓉を拒絶しているように見えるが…本心は…」
「お前が芙蓉と結婚しろ。大切にしてやりなさい。」
「…そ、それは、芙蓉が選ぶという約束ではなかったか?ま、まぁ俺を選んでもらえれば、もちろん一生大切にするぞ。約束する。」
「そうか…」
そう言って仏間は目を閉じて眠りに入った。
フッと軽く微笑み、父の寝顔を確認すると、柱間は立ち上がった。
台所へ行くと芙蓉が粥の準備をしていた。プツプツと音を立て食べ頃を知らせている。
「父上は寝てしまったから、まだ暫く食事は出さなくともいいだろう。」
「そうですか。では暫く経ってからにしましょうね。」
芙蓉は同時に進めていた柱間たちの夕食の準備に手を付ける。
「今から芙蓉の花を取って来るから、粥を運ぶ時に一緒に持って行ってやってくれ。」
「それはいいですね。あ、蕾のものをお願いしますね。」
「芙蓉…お前の母と父の事、父上にもう一度聞いてみてはどうだ?」
「いいんです。もう。私、あれから考えたんです。人には言いたくない事もあります。もしかしたら仏間さまにとって、私の両親の事がそうなのかもしれない…。だからもう無理に訊こうとは思いません。それに、いま仏間さまは大変な状態ですし、それどころではありませんわ。あ、でも私、諦めてはいません。自分で調べますから。」
そう柱間に微笑みかけながら、手早く山菜を刻んでいく。まな板の隣には鮎も並んでいる。
「そっか。俺も調べるのを手伝うぞ!」
「あ、ありがとうございます!嬉しいです!」
芙蓉は盆の上に柱間が取ってきた蕾の芙蓉の花枝、粥、山菜の入った味噌汁、漬物を載せて仏間の部屋に静かに入った。
「…失礼します。仏間さま、お食事をお持ちいたしました。召し上がられますか。」
仏間の枕元に膝を寄せ、芙蓉は仏間の顔をうかがう。うむ、と返事をした仏間の背中を支えながらゆっくりと起こす。
「…ああ、芙蓉の花か。まだ蕾だな。」
「あの花はすぐに咲いてすぐに萎んでしまいますから、蕾のほうが長く楽しめると思いまして。柱間さまが取ってきて下さったのですよ。」
芙蓉は花の入った花瓶を手に持ち、仏間に近づけて見せた。
仏間は優しく蕾を触った。まるで若い女の肌のように柔らかく、滑らかだ。
「…芙蓉。お前の母の事を話そう。」
「え?よ、よろしいのですか?で、でも、今は仏間さまのお身体に障ってはいけませんし…」
「時は残酷だ。だが、美しい。」
「・・・?」
「お前の母はな、いつも人を笑わす冗談ばかり言っていて、男勝りで、自分の信念を曲げない、だが思い遣りのある、とても優しい女だった…。」
それを聞いて、芙蓉は仏間が母に対して愛情をもっていたのだと思い遣った。
「…そして忍のことが嫌いだった。この忍のいる世界が、嫌いだった。」
「・・・!」
「お前の存在は水蓮が死んだ時に知った。お前が他国に売られてゆくことは、水蓮が一番悲しむことだと思った。だが、結局、あいつの嫌う忍の家で育て、許嫁にまでしてしまった…あいつは今頃、悲しんでいるだろうか…」
仏間が遠くを見つめながら訥々と話す横顔を、芙蓉はじっと見つめていた。
「悲しんでなどいないと思います。今の私を見て、きっと喜んでくれています。だって、仏間さまのお陰で私は今、こんなにも幸せに暮らしているのですから!」
「…幸せ、か…それならば良かった。」
今夜は夏の夜にしては涼しく、蛙の声も少ない静かな夜である。
「お前の父も、水蓮と同じ橘一族で、名を密という。お前の伯母の腹違いの弟だ。水蓮とお前を残して先に死んでしまったのだから、わしはあいつのことが許せぬがな…」
「ど、どうして、仏間さまと母は、結婚しなかったのですか?」
芙蓉は想像からつい、先走った質問をしてしまった。
「ははは…感が良いのも水蓮に似ておるな、お前は。正直な所、わしにも解らぬのだ。確かにわしらは愛し合っていた。婚約までしていた…ただ、あいつは、わしのことを守ろうと思って身を引いたのだと、思う。」
芙蓉は、母の人柄が目に浮かぶようだった。
きっと仏間とは本当にお似合いの二人だっただろう。
「…ところで許嫁の件だが、お前が柱間と扉間、どちらも選べぬ場合は、解消して構わぬ。」
「え⁈それでは、これまで育てて頂いた御恩が…」
「なに。結婚だけが恩返しでも、支えることでもあるまい。大切なのはずっと繋がっていることだ…どんな形でも。わしはそれすら切ってしまったがな…。」
「…仏間さま…」
芙蓉の目からそれまで堪えていた涙が溢れ、流れ落ちた。仏間はそんな芙蓉の頭を優しく撫でた。
幼少の頃よりもずっと黒さが増した艶やかな髪が肩から滑り落ちる。
「お前は水蓮によく似ておる。顔も、背格好も、そして性格もな。」
芙蓉は顔を上げて、仏間の顔を見て再び大粒の涙を流した。
手に持っている芙蓉の蕾が、芙蓉の涙に打たれて揺れた。
◆
芙蓉は十八歳の誕生日を迎えた。
だが、そこに仏間の姿は無かった。二十日ほど前に、戦が原因の病で亡くなった。
「芙蓉!誕生日おめでとう!今日は盛大な宴をするぞ!」
「兄者、まだ父上の喪も明けていないんだぞ。やめろ。」
「そ、そうです…お気持ちはありがたいですけど、やめましょう。」
「何を言うておる。芙蓉が十八になるのを誰より楽しみにしておったのは、父上ぞ。その誕生日を質素になどしたら、それこそ父上は怒ると思うがのう。」
「私も柱間さまに賛成です。仏間さまだって芙蓉さんの晴れ姿を楽しみにしてたんですから。」
そうと椿は自分の後ろに置いていた桐箱三人の前に出し、開けて見せた。
「ほら!」
『うわあ~!』
思わず三人が身を乗り出し、桐箱の中に入っている晴れ着に見とれた。
鮮やかな濃い桃色の地に、白や薄紫、桃色の大輪の芙蓉の花が染色されていた。一緒に入っている帯は金糸で織られ蝶が舞っている。
「これを仏間さまに着て見せないでどうするんです?仏間さま、怒りますよ~?」
ウフフと椿は笑った。
「…仏間さま、私の為に、こんな素敵な晴れ着を用意して下さっていたなんて…」
「父上、やっぱりやるなぁ!やはり父上には敵わぬな!ガハハハハ」
「フン。最後までキザなことを…」
「ほらほら、芙蓉さん泣かないで。目が腫れてしまったら化粧が映えなくなるわよ。」
芙蓉は椿に着付けをしてもらいながら、仏間と一緒に過ごした日々を思い出した。
・・・仏間さま。私、仏間さまのこと、本当のお父さまみたいに思っていたんですよ?・・・
化粧と着付けが終わり、縁側を通って扉間と柱間が待つ仏間の部屋へ向かう。
自然と庭の芙蓉の木が目に入ってきた。着物に描かれた芙蓉の花同様、どの花も競うように咲き誇っている。芙蓉は再び胸が熱くなって、ぐっと泣くのを堪えた。
「うおおおおおお!綺麗だのう!!!」
「うるさい!声がデカすぎる。大げさだな…」
扉間もそう言いつつ、思わず頬が緩む。
「どうでしょう?仏間さま…」
芙蓉は仏間の位牌の前に立ってみせた。
後ろで椿が鼻をすする。柱間と扉間もその姿を優しく見つめる。
「よーし、出かけるぞ!!」
「え?どちらへ?」
「これまで毎日毎日、俺たちのために美味しい飯を作ってくれておるからの。今日は芙蓉に料亭で美味いものをたらふくご馳走するぞ!」
「嬉しい!ありがとうございます!」
「皆で外食するなんて、芙蓉の入学式以来だな…」
扉間は、芙蓉が入学したばかりの頃、一緒に庭で剣術の稽古をした日のことを思い出し、僅かに胸が痛んだ。
「…なぁ扉間?芙蓉って酒飲んだらどうなるだろうな?ウシシシ…」
「お前、いかがわしいことしか考えてないだろ。」
柱間と扉間の二人を先頭に、四人が並んで町を歩く。
最近は戦況もだいぶ落ち着き、それまでの戦の間に千手の集落に避難・移住してきた人々の流入で人が溢れ、建物や商店なども増え皮肉にも町は賑わっていた。
「うん…この光景だけ見れば、平和な世に見えなくもないのう。」
「兄者は本当に呑気だな。難民や移住民による犯罪も増えているんだぞ。警備も自治体制も、早急に整えなければならん。」
「…それには、うちはと休戦協定を結んで新しい集落を作ることが一番なのだがな。」
「まだそんな絵空事を言っているのか。うちははもう崩壊寸前だ。このまま降伏させる。」
「あ、あの…そのお話は…」
椿が申し訳なさそうに二人の間に割って入る。
「あ、ああ。そうだったな。でも…俺はそろそろ芙蓉には忍と戦の事を知って貰っても良い頃だと思うのだが。なぁ扉間?」
「…俺は、うちはを降伏させ、戦に決着がついてからでも遅くないと思う。」
「扉間。俺は出来れば協定を結び、平和的に解決したいと思っておる。」
「まだ言うか。いい加減に…」
「お二人とも!もう今日はそれくらいにして下さいっ。」
椿が小声で二人をたしなめた。芙蓉はこれまでの会話をなるべく聞こえないように、賑やかな町の様子をキョロキョロと眺めていた。今なら椿にも怒られないし…
見る方向、見る方向の人たち全員と目が合う。見られて、る…?
「町に入ってからずっと大勢に見られているな。悪意の有るものから無いものまで、色んな視線を感じる。」
「そりゃそうだ!こんな美人がこんな美しい姿で歩いておるのだから、当然だ!見ないほうが不思議ぞ!ガハハハハ」
「笑っている場合か。一瞬でも気を緩めるなよ。フン。」
・・・確かに芙蓉さんの美しさに見惚れる人も多いけれど、千手の長とそのナンバー2がその美女を連れて歩いているのだから、そりゃ目立つでしょーよ・・・
椿はいつかのデジャビュを見たような気がした。
「では、芙蓉の十八歳、成人の誕生日に乾―――杯!おめでとう!!」
「カンパーイ。」「乾杯!」「ありがとうございます。」
大人の三人が、酒が並々と注がれた大ぶりの盃をぐーっと一気に飲み干す。
芙蓉はその様子を観てただ感心していた。
「さ、芙蓉も飲んでみろ。美味いぞ!」
「芙蓉さん、ゆっくり、最初はちょっとだけ。口を付けるだけでいいのよ。」
「身体に合わないかもしれないしな。倒れられても困る。」
「は、はい…」
芙蓉は緊張気味にそっと小さな盃に口を付ける。その様子が何とも艶めかしく、美しい。
「・・・・。」
「どうだ⁉美味いだろ?」
「…ええ…甘くて、後からきりっと辛みが来て、最後はすーっと、ハッカみたいな後味ですね…美味しいです。」
「さすが芙蓉!味レポまで完璧だあ!」
「あ、味レポ?…まぁ子供にはまだ分らんだろ。調子に乗って一気に飲むなよ。」
芙蓉はぽっと顔を赤らめて、ふんわりとした心地よい気持になる。
柱間、扉間、椿との話がいつもより愉快に聞こえて、よく笑った。
目にも美しい料理の数々は、どれも今まで食べた物で一番美味しい気がして食が進んだ。
「くっ、苦しい…」
「だ、大丈夫か芙蓉⁉もう酔ったか!」
「いえ、食べ過ぎて、帯が、苦しくて…」
「クッ。フフフフ、あははははっ!馬鹿だなぁ!」
扉間が大笑している姿を、芙蓉は初めて見た。その様子を見て、芙蓉も一緒に大笑いした。
「あらあら。じゃあちょっと向こうで帯を緩めましょうね。」
芙蓉と椿が手洗に立った。
「芙蓉、可愛いな。いや、美しい。なあ、扉間。」
「ずいぶん…成長したよな。」
「胸が、か?ガハハハハ」
「黙れ!お前と一緒にするな。…家に来た時はオドオドした、痩せっぽちのガキだったのが、今は頭も切れるし剣術もなかなかだ。立派になった。」
「ははは。今日は流石に素直だな。って、お前、いつ芙蓉と剣術したんだ?」
「うるさい。兄者には関係ない。」
そう言う扉間を見て苦笑すると、柱間は盃に残った酒をぐびっと飲み干してから真剣な顔をした。
「俺は今日、芙蓉に求婚するぞ。」
それを聞き、扉間は目を少し見開き黙ってゆっくりと兄の方を向いた。
「お前は、しないのか?」
その問いに、扉間は黙って盃の酒を飲み干す。そして再び盃に酒を注ぎながら答えた。
「しない。なんで俺が…芙蓉に求婚するんだ。結婚するのは、兄者だろが。」
「前も言っただろ。決めるのは芙蓉だ。」
「ああ、それは何度も聞いた。だからと言ってなぜ俺まで求婚する必要がある?」
「お前も、芙蓉のことを愛しているだろ。」
そう言われ、扉間は口に盃を近づけた手を止めた。
「愛してなどいない。それに、芙蓉は間違いなく、兄者を選ぶ。解るだろ。」
「それでも、ちゃんと気持ちを伝えるべきだろ?いい加減素直になれよ!」
その言葉に扉間はカチンときて立ち上がった。
「しつこいぞ!お前に何が解る。勝手に二人で恋愛ごっこでもやっていろ。帰る。」
「お、おい!扉間!!待て!今日くらい…」
扉間は無視して店を出て、早足でズンズンと歩きだす。
間もなく賑やかな町が、その姿を見えなくした。
「あら。扉間さまはどちらへ?」
「気分が悪くなったから先に家に帰るだと。あいつ酒に弱くなったかな。アハハ。」
「大丈夫でしょうか?お一人で…」
「ガハハハ。酔っていても扉間は千手ナンバー2の忍ぞ。大丈夫だ!」
数多の過酷な戦いを生き抜いてきた扉間が、酒酔いで一人で帰宅することを心配されるとは、なんとも面白い。柱間は今の芙蓉の言葉を扉間に聞かせてやりたいと思った。
その夜は満月だった。
月明りで星は見えず、その代わりに地上の木々や建物が明るく照らし出されている。
酒を飲んだせいだろうか、風呂上がりのせいなのか、いつもより蒸し暑く感じる。
芙蓉と柱間は二人で縁側に居た。二人の間で小さな灯りが揺れている。
「今日は本当に楽しかったです。柱間さま、本当に、本当にありがとうございました。私、今日の事、一生忘れません。」
満面の笑顔で柱間に礼を言う。橙色の灯りに照らされた笑顔は、より一層温かい。
「うん。楽しかったな。やはり、家族はいいものだ。芙蓉も酒の味を覚えたしな!」
・・・家族。その言葉に芙蓉は心がじんわりと温かくなった。ふと目を細め灯りを見つめる。
「ちょっと灯りを消しても良いか?」
「え?あ、はい…」
柱間がスッと手をかざすと、炎は小さくなって、静かに消えた。
暗闇に目が慣れるまで沈黙が続く。
「今日は月明りが明るいのですぐに目が慣れますね。柱間さまの顔が良く見えますよ。」
「あ、ああ!……それだと困るんだが…」
「え?なにか仰いました?」
柱間は、芙蓉が膝の上に重ねていた両手を優しく握って、深呼吸をした。
「芙蓉。」
「はい?」
「俺と結婚してくれ。」
「・・・!」
驚いた芙蓉の表情が月明りに照らされ、柱間にも見てとれた。
芙蓉は言葉が出ない。何度も瞬きをして柱間の顔を見るしかなかった。
すると、柱間は胸元からキラリと光るものを取り出し、芙蓉の左手薬指に通した。
「す、少し小さかったかのう。アハハハハ…すまん…」
指輪は左薬指の第二関節で止まっている。柱間はずうーんと首をうな垂れて落ち込む。
「あ、いえ、あ、はい…あの、柱間さま…私…」
「そうだ!ちょっと待っててくれ。」
柱間は急に立ち上がり、自分の部屋のほうへ消えた。
ついに柱間から求婚を受けた。
・・・でも、なぜ迷っているんだろう。柱間さまのことは、好き。愛している。
それなのに素直に喜んで受けられないのは、なぜ?
“まだ”結婚したくないだけ?それとも“まだ”子供で居たいだけ?・・・
芙蓉は左指の指輪を強く握りながら混乱していた。
「すまん、すまん。…ちょっと貸してくれ。」
柱間が戻ってきて、芙蓉に渡した指輪を受け取った。
…シャリン。柱間は銀の細い鎖に指輪を通して、それを芙蓉の首にかけた。
「暫くこれで着けてくれ。また新しい指輪を用意するぞ。」
「あ、はい…ありがとうございます…あの…」
「返事はまた今度でいいぞ。他にも求婚したい奴が居るだろうからな!ワハハハ!」
大きく笑ったかと思ったら、ふいに芙蓉を抱き寄せた。
「愛している。芙蓉。」
「・・・・・。」
芙蓉もそっと、柱間の背中に手を回した。
ヒュン!ヒュン!ヒュン!
天中に達した月の下、扉間は真剣を振っていた。
動くたび、剣先がキラリと光る。扉間の銀髪も月明りを受け更に銀色に輝いている。
はぁ、はぁ、はぁ・・・
まだ酒が残っているせいなのか、いつもよりも早く息が上がる。汗が地面に落ちる。
扉間が切っているもの。
それは切っても切っても、目の前から消えない、芙蓉の顔だった。
初めてだった。酒の助けもあってか、あんなにも芙蓉と笑い合って話したのは。
その時の明るく美しい笑顔が目の奥に焼き付いて離れないのだ。
・・・もっと、もっと、自分だけにその笑顔を向けて欲しい・・・
「違う!俺は…芙蓉のことなど、もう…」
地面に手を着く。
ポタリ。ポタリ。…ポタッ。
汗なのか、涙なのかもう分らない。
『俺は今日、芙蓉に求婚するぞ。』柱間の声が蘇る。
今頃、芙蓉は喜んで兄の求婚を受け入れているのだろうか…。
扉間は、居ても立ってもいられなくなる気持ちを抑えて、再び剣を振り始めた。
月が西の空に傾いていた。
翌朝。日が高くなってから扉間は帰宅した。
「あれ?扉間さま!昨夜先にお帰りになっていたのではなかったのですか⁈」
玄関で鉢合わせした椿が、洗濯物の山の間から顔を出す。
「・・・・。」
扉間は無視して自分の部屋へ向かう。すると廊下で芙蓉が拭き掃除をしていた。
今一番会いたくない相手だ。
「あ、扉間さま。おはようございます。昨日はありがとうございました。本当に楽しかったです。あの、二日酔いとか大丈夫…ですか?」
芙蓉は扉間が今帰っていたことも知らずに挨拶をする。
「ああ。」
そう言って通り過ぎようとしたとき、芙蓉の胸元に光る首飾りに気づいた。首飾りには金色の指輪が通されている。
・・・兄者か。でもなんで指輪を首からかけているんだ?・・・
その視線に気づき、芙蓉は指輪を触って見せながら言った。
「あ、こ、これですか?…昨日、柱間さまから頂いた誕生日祝いのお品です。サイズが小さくて指に入らなかったので、こうして着けています…」
そう言って恥ずかしそうで気まずそうな顔をする。
「フフッ…兄者らしいな。」
思わず笑ってしまった。
あ、そうだ。自分はまだ祝いの品を渡していない。いや、渡す必要などないではないか。
「フフッ。そうですね。でも女学校にも着けて行けないですし、金色で恥ずかしいので丁度良かったかもしれません。…って、あ。今言った事は秘密でお願いしますね。うふふ。」
・・・秘密。二人だけの?・・・
「ふ、芙蓉。俺はお前の欲しいものをやる。何が欲しい?」
気づけばそんなことを芙蓉に訊いていた。
「え?いえいえ、結構です。扉間さまがいつも元気でいて下さるだけで充分です。」
「いいから!何かないのか!」
芙蓉は扉間の大声に驚く。そして、うーんとしばらく考え込む。
「この指輪は左手用で頂いたのですが、右手用の指輪を買って頂けないでしょうか?」
そう言って右手の甲を扉間に見せる。
・・・兄者と同じ、指輪を。か…。・・・
「だ、ダメですよね。やっぱり。同じ指輪だなんて…」
「いや。いいぞ。俺は兄者のようなアホなことはせん。一緒に買いに行くぞ。お前の指にピッタリ合うものを買う。いいな!」
「え?あ、はい!ありがとうございます!嬉しいです!」
その翌日。
空は澄み渡り、雲一つない快晴だった。処暑を迎えたとはいえ午後はまだまだ暑さが厳しい。
「用意できたか。行くぞ。」
「はい!よろしく願いします。」
芙蓉は合襟の半袖の白いブラウスに、ひざ丈のふんわりとした翡翠色のスカートを履いており、腰は黄色い半巾の帯で巻かれている。
扉間は、まさに乙女といった清楚な服装をした芙蓉を見て、胸が高鳴る。
芙蓉は扉間の少し後ろを歩きながら空を見上げて言った。
「今日は珍しく雲が無いですね。空がいつもより広く見えて、なんだか得した気分です。」
扉間も常に天候は気にして入るが、そんな事は考えたこともなかった。斬新な考えだ。
「お前はこんなことで得をした気分になれるのか。安いものだな。」
「あはは。そうですね。だからこうして扉間さまとお買物に行けるなんて、夢みたいなんですよ。ありがとうございます…」
「…いちいち礼を言うな。買って貰ってから言え。」
「はい。」
そう言って芙蓉は嬉しそうに微笑んだ。胸元には柱間から貰った指輪が揺れている。
町は一昨日の夜とは違い、女や子供が多く、新鮮な野菜や魚、花など色彩鮮やかだ。
「芙蓉さん!こんにちは。あれ?今日は柱間様とじゃないんだね…」
「あら芙蓉さん。今日は…扉間様と一緒?珍しいね。柱間様は風邪でも引いたのかい?」
「芙蓉ちゃん!あ~今日は柱間様じゃないの。柱間様に良い酒入ったって伝えといてや。」
「あ、と、と、扉間様…こんにちは。…今日は柱間様じゃないんですね…」
・・・・・・・・
「悪いか!!」
扉間は四人目でついに、キレた。
「ひ、ひ~すみませ~ん!」
声をかけてきた店主は引っ込み、通行人も驚いて思わず除け反る。
「と、扉間さま⁉」
芙蓉は柱間と一緒によく食材や日用品の買物をしにこの辺りの市場に来ている。市場の店主や店員とはもう殆ど皆顔見知りで、既に柱間とは夫婦のように見られているようだった。
扉間はムスッとしたまま、早歩きで歩き出す。芙蓉は急いで後を追いかけた。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。扉間様。中へどうぞ。お席でゆっくり商品を見てください。扉間様と芙蓉様のために、急遽新しい商品もご用意しました。」
店に着いてようやくまともな接客を受けて、扉間はホッとする。
二人は店内の接客用の席に座った。出迎えてくれた上品な若い男が店主のようだ。二人の目の前に沢山の指輪が並んだ大きなビロードの平箱が置かれた。
「うわぁ…凄い。とっても綺麗…」
芙蓉は小さな子供のように目を輝かせる。扉間はその様子を見て既に満足な気持になる。
「芙蓉様はお美しいですし、指も長くて綺麗でいらっしゃいますからどんな指輪でも似合われると思いますよ。扉間様、いかがでしょう?気になる物はございますか?」
店主は芙蓉ではなく、扉間にそう訊いた。やはり指輪は男が選んで女へ贈るものらしい。
「そうだな…これなんてどうだ。」
扉間が指さしたのは、銀色の地金に植物の蔓のような模様が彫られたものだった。
「さすが扉間様。お目が高いですね。これは野薔薇が彫られています。薔薇は愛の象徴と言われております。白金なので変色しにくいですしおススメですよ。」
・・・あ、愛⁉・・・心の中で扉間は焦った。
・・・さすがにそれは直接的すぎるだろ・・・
「あの、私も一目見てそれが良いなって思ったんですけど…」
芙蓉の言葉に驚いて思わず険しい顔で芙蓉の顔をじっと見る。
「あ、だめですか…?えっと他で良いのはありますかね…」
困った顔をしている扉間を見て、芙蓉は急いで髪を耳に掛け直し、並んだ指輪を目で探る。
「ではせっかくなので、試着だけでもしてみてはいかがですか?サイズの微調整なら直ぐにできますので。」
店主がすかさずフォローした。
「…それ着けてみろ。芙蓉。」
芙蓉が自分で右手の薬指にその指輪をはめる。扉間はそれを見ながらサイズが合うのか、芙蓉に似合うのか、それより、それを本当に買うのかドキドキしながら見つめる。
「ピッタリですね。お似合いですよ。どうぞ鏡を。」
芙蓉が鏡よりも先に、扉間に右手を見せる。
「ど、どうですか?似合いますか?」
とても似合っていた。きっとどの指輪を着けても芙蓉なら似合っているだろうが。
「ああ。サイズは合っているのか?」
「ええ。ピッタリです。」
それからほかの指輪も試してみたが、やはり扉間は最初に気に入ったあの指輪を選んだ。芙蓉も同じく、それが一番気に入っていた物のようでとても喜んだ。
「扉間さま。本当にこんな高価な品を買って戴いて良かったのですか?なんだか申し訳無い気が…」
「女はそんなことを気にするな。」
「ありがとうございます。ずっと大切にしますね!」
芙蓉はそう言って嬉しそうに指輪が入った紙袋を扉間に見せる。
しかし扉間は恥ずかしくなり顔を背けた。いまの自分の顔は、誰にも見られたくない恥ずかしい顔をしていそうで心配だった。
それから芙蓉と雑談や仏間との思い出話など、色々な話をしながら歩いた。その時間はとても楽しく、芙蓉の自然な笑顔は間違いなく自分だけに向けられていた。
なぜ、もっと早くこうして芙蓉と話をしてこなかったのだろう。扉間はひどく後悔した。
ポツ。ポツ。ポツ。ザーーーーー
しまった。話に夢中で夕立の雲が近づいていることにも気づかなかった。
ゴロゴロゴロ…遠雷も聞こえる。
「芙蓉。掴まれ。」
扉間は返事も待たずに芙蓉を抱えて、飛雷神の術で家に戻った。
着いた場所は扉間の部屋の中央だった。
腕の中の芙蓉は既に濡れてしまっていて、髪から雫が滴った。それでも腕で紙袋が濡れないようにしっかり抱えていた。
扉間はその様子を見て、たまらなく、芙蓉のことが愛おしくなった。
「すみません…紙袋、だいぶ濡れちゃいました。せっかく綺麗に包んで頂いたのに。」
そう言って扉間を申し訳なさそうに見上げる。
気づけば、芙蓉の唇に口づけをしていた。
芙蓉は突然のことに固まっている。
扉間は夢中で口づけをした。
自然と畳に芙蓉を下ろし、四つん這いに覆いかぶさっていた。
芙蓉が不安そうな顔をして扉間の顔を見つめる。軽く開いた口と潤んだ瞳が、扉間を誘っているように見えた。紙袋が離れた胸元は汗と雨で濡れていて、うっすら下着が透けている。
もうこのまま止められる自信が無い。
もう一度口づけをしようとした時、芙蓉が叫んだ。
「い、やっ!」
芙蓉が顔を横に背けるが、扉間は顎を掴んで無理やり口づけし、芙蓉の口を塞いだ。
右手が芙蓉のスカートの中に伸びる。滑らかな太ももをなぞり、尻を掴んだ。柔らかい尻に扉間の指が心地よく埋もれる。
「ん!ん!!」
芙蓉が抗おうとする。唇を離して芙蓉を見る。
「はぁ、はぁ…止めてください。お願いです…」
涙目になって扉間に懇願する。息を切らしたその様子が更に扉間の興奮を掻き立てる。
今度は胸に手を伸ばし襟元を無理やり開き、手を入れて乳房をまさぐる。乳房は見た目以上に柔らかくハリもある。
もう止められない。芙蓉のすべてが欲しい。
「俺の女になれ。」
「・・・・・。」
「柱間のことが…好きなのか?」
「・・・・・。」
「俺のことは…?」
「・・・・・・。」
芙蓉は最後の問いにも何も言わず、固く目を閉じて顔を背ける。
扉間はその様子を見て急に気が抜け、体を離した。
・・・いったい俺は何をやっているんだ・・・
激しい後悔が襲う。
芙蓉は起き上がり畳に落ちた指輪の入った紙袋を拾い上げ、再び抱きしめた。
「私…柱間さまのことも、扉間さまのことも、大好きです。でも…今は…誰とも結婚したいと思えないんです!」
扉間はムカムカとするものが胸にこみ上げてくるのを感じる。
・・・こいつはなんて自分勝手なんだ・・・
「自分勝手なのは良く解っています。でも、でも…こんな気持ちで結婚なんてできません!」
怒りの脈が速まり、大きくなる。
「俺の気持ちが解るか?最初からお前は柱間のものだったじゃないか!俺は、お前のことをずっと諦めながら生きてきたんだぞ!」
その時、廊下から柱間の足音がして、部屋の扉が開いた。
「おい!どうしたんだ!」
柱間は芙蓉の乱れた服と髪の毛を見ると、反射的に扉間を殴った。
「何をしたんだ。」
柱間のすさまじい怒りが扉間に伝わる。今は兄でも弟でもない。男と男だ。
「答えろ!!!」
「何でもないんです!誤解です!あの、突然雨が降ってきて、それで、扉間さまが術で連れて帰ってきて下さったんです。けど、その時、私が扉間さまの上に落ちてしまって、それで、怒られてたところだったんです。本当です…」
芙蓉の言葉は最後のほうは震えていた。
こんなに怒りを露にした柱間は見たことが無い。とても怖かった。
「…扉間、本当か。」
「本当です!扉間さまを責めないで!!喧嘩、しないで…」
柱間は泣きだす芙蓉を見て、扉間の胸ぐらから手を離した。
「そうか…悪かったな。芙蓉、お前濡れているじゃないか。早く着替えたほうがいいな。」
「は、はい」
芙蓉は急いで部屋を出て行った。
「…これがお前のやり方か?」
怒りを隠さない柱間は、扉間を強く見据えて言う。
「…そうだ。だったらなんだ。」
柱間は再び扉間を殴ろうと手をあげたが、扉間が腕でそれを防いだ。
「安心しろ。抱いてない。未遂だ。」
扉間はニヤリと笑って見せた。柱間は扉間の腕を払いのけ、思いきり殴った。
「芙蓉を傷つけるな。たとえ弟でも芙蓉を傷つける奴は許さん。」
「フン…そんなに入れ込むなんて無様だな。」
「その言葉、そのまま返す。」
そう言って柱間は部屋を出て行った。
チャリン…
芙蓉は銀の鎖に扉間から買って貰った指輪を通し、柱間から貰った指輪と重ね、再び首に着けた。
しかし、自分のせいで柱間と扉間の仲に亀裂が入るのではないかと不安でならなかった。
思えば、扉間が自分を疎んじてくれたままのほうが良かったのかもしれない…
芙蓉は自分の心の中にあった小さな闇を見つけた。
板間が死んでから、家の中ではいつのまにか自分の結婚相手は長男の柱間だという空気が強くなっていった。その空気に染められ、自分自身もそう思って、扉間のことは異性として見ないようにしていた。家族として仲良くなりたい気持ちはあったが、どうか自分を好きになら無いで欲しいと、心のどこかで常に願っていたのだ。
やはり、仏間の遺言通り、二人のどちらとも結婚しない方がいいのだろうか。