15歳の冬にマダラの下僕になった六花(=芙蓉)。
17歳の誕生日の少し前、8月の十五夜の夜のマダラと六花二人のお話です。
※関連話:【六花の森(1)お前の名は】【続・六花の森(1)序章~マダラの輪廻眼 】【続・六花の森(2)~うちはオビトの開眼 】
「残念ですね。今日はせっかくの十五夜なのに」
六花は、畳の上に胡坐をかいて座るマダラの右膝近くに、徳利と猪口が載せられた盆をそっと置いた。しかしマダラは夜空を見上げたままで居る。
夜空には雲が立ち込め、小さな雨粒が止めどなく降り注いでいる。しかし今夜は十五夜(満月)で雨雲の厚みも薄いため、空には鈍く不気味な明るさがある。
そして、八月の雨の夜は蒸し暑い。
「今日みたいな十五夜をなんて言うか知ってるか?」
「い、いえ…知りません…」
マダラの右斜め後ろで畳に膝を突いている六花は、こもった小さな声で答えると俯いた。その膝は僅かに震えており、早く畳から離れたがっている。その理由は、マダラは夜中に酒盛りをするのは独りきりだと決まっていると言うのもあるのだが、それよりも大きな理由は六花自身の内にあった。
兎に角、近頃、マダラと二人きりになるのが怖くて堪らないのだ。
六花は、こんな時に限って左肩に居ないゼツを睨んでいると、マダラが六花へ振り返った。
「お前も付き合え」
その手には徳利が握られている。六花は顔を上げ大きく目を見開いて、暗闇に浮かび上がるマダラの端正な輪郭を見たが、再び俯いた。
「で、でも私はまだ十六ですし…それに」
「いいから、自分の猪口早く持って来い」
「…分かりました…」
六花はゆっくり立ち上がると、唇を噛みながら小走りで台所へ向かった。
しかし、このままアジトの自室へ戻ってしまいたかった(ここは地下アジトと地下通路で繋がっている一軒家)。だが下僕として、マダラの命令に逆らうことなど出来ない。早く猪口を持って来なければならない。
今、こんな居たたまれない想いを抱え込んでいる状況にしたのは、ゼツのあの言葉である。それが本当に恨めしい。その想いに、握り締めた拳をぐっと胸に押し付けると、最近膨らみを増した乳房が両腕に押され、ハッとその両手を解いた。今はこの乳房さえもが恨めしく思えてくる。
そんな事を考えていたら、気付けば猪口を持ち、マダラの後ろに立って居た。
「俺の後ろに立つなといつも言ってるだろ!」
「は、はいっ!申し訳ございません!」
六花はマダラの怒鳴り声に、猪口を握り締めて胸に当てたまま畳に土下座をし、頭を畳にこすりつけた。しかし、マダラの怒鳴り声と己の行動によって六花は冷静を取り戻すことが出来た。
・・・そうだ。私が本当に怖れているのはそれじゃない。最も怖れているのは・・・
「…早く。こっちに来て酒を注げ」
「はい!」
六花は急いで頭を上げて立ち上がるとマダラの右隣りに膝を突き、盆の上に自分の猪口を置いた代わりに徳利を手に取った。そしてマダラは六花に向けて猪口を差し出した。
「ん」
「…どのくらいまでお注ぎすれば宜しいでしょうか?」
「ストップって言う」
「分かりました。あの、燭台の灯りを点けても宜しいでしょうか?」
「ああ」
六花はいったん徳利を盆に戻すと、部屋の隅に置いてある燭台に灯りをつけた。小さなロウソクの灯りだというのに、部屋の中はまるで燃えているかのように明るくなった。
そして再びマダラの元に戻って猪口を手に取り、マダラの手にしている猪口へと酒を注ぎ始めた。
・・・カタカタカタ・・・
「手ぇ震えすぎだろ」
「すみません!緊張してしまって…溢さないように」
「それじゃ逆に溢れるだろうに…って、ストップ!」
「はい!」
六花が手を止めると、マダラは黙ってその酒をぐいっと飲み干した。それはあっという間の出来事で、六花が次の行動に迷っていると、マダラは盆の上に置かれていた六花の猪口を手に取って差し出して来た。
「ほら、お前の番だ」
「そんな!マダラさまにお酒を注いで頂くなんて、畏れ多くて…出来ません…」
「さっきのな、今日みたいな十五夜の話。何ていうか想像で良いから言ってみろ」
「あ、はい…。ええっと…雨の十五夜、満月、名月…雨…涙…露…雫…」
「ゆっくり考えろ」
マダラ徳利を持つと、自ら己の猪口に酒を注いだ。その横顔は明らかに嬉しそうな顔だった。その表情を見ると、六花もつられて笑顔になり、燭台の灯りでますます見えなくなってしまった月を見上げ、腕を組んで考え始めた。
優しい雨音のなか、無言の時間が過ぎてゆく。
六花は思考に詰まり、ふと目を閉じた。すると、自然と目頭が熱くなってきた。
マダラと出逢ってからの日々が瞼の裏に浮かんでくる。
それは、辛く厳しい修行の日々だった。
何度、涙で枕を濡らしたか分からない。
それでも、「絶対に大丈夫」、なぜかそう思えた。
それは、涙のあとには必ず、小さくも強い喜びが必ず訪れ、笑顔になれたからだった。
「えみ、まち・・・笑み待ち月です」
「笑み待ち月か…。ハズレだが、なかなか良い答えだな」
「ありがとうございます…」
「なんだ、泣いてやがるのか。情けない奴だな」
「あっ、い、いえ…。あの!えっと、正解は何なのですか」
「正解か。正解はなぁ…」
マダラは六花の膝の上で握り締められている猪口に徳利を傾けると、丁寧に、ゆっくりと酒を注ぎ始めた。その流れは自然で、六花は断る暇もなく、ただその様子を見つめるしかない。
そしてマダラは注ぎ終わると、二ッと口角を上げ六花の顔を見た。その顔は、日頃のマダラからはおおよそ想像も出来ない、遠い世界の人物の表情に見えた気がして、六花の心臓はドクンと大きく音を立てた。そして、まだ酒を飲んだわけでもないのに身体がカッと熱くなり、息が止まるような感覚がした。
「雨名月だ」
「あめ…めいげつ…。素敵…」
「ほら、飲んでみろ。最初は口を付ける程度で良い」
六花は恐る恐る、ゆっくりと猪口に口を付け、スッと酒をすすって口に含んだ。
冷たい酒は舌の上に載ると不思議に熱く感じ、次に刺激、そして最後に鼻に抜けるような豊潤な甘さを感じた。
「・・・美味しい・・・」
「フッ。そりゃ良かった。数日早いが十七の誕生祝いだ」
「マダラさま・・・・・・ありがとうございます・・・」
「・・・。・・・おい。見ろよ」
「あっ!」
六花はマダラに続いて空を見上げた。
すると、小雨を降らせる雲の隙間から満月が顔を覗かせていた。
・・・スッ・・・
マダラが燭台の方へと掌を向けると蝋燭の火が静かに消え、二人の目の前は真っ暗になった。暫くすると眼が慣れ、二人の目の前に青白い明るさが戻って来た。その月明りは畳の上に二人の影を作っている。マダラは再び空を見上げた。
「泣き笑いだな」
「ええ」
暫く月を見上げていた二人は、気付けば互いに顔を見合わせていた。その視線は、互いの顔の輪郭と瞳の奥をなぞっている。
「…申し訳、ありません…」
六花は我に戻るとマダラの顔をみつめていることに気が咎め、サッと顔を逸らして謝った。
するとマダラは俯く六花の顎先を掴み、顔を上げさせた。六花は誰に教えられたわけでもなく、自ずと目を閉じた。
六花は目を開けた。
目の前のマダラは、既に眠っている。
最近のマダラというと、一日の大半を椅子に腰掛けたまたま、この世界と夢の世界とを行き来して過ごしている。
六花はマダラの身体を拭き終わると、服を着せ、それからマダラの背中を見た。六花の視線は、マダラ背中から天へ伸びているそれを伝って上へと向かう。
そして視線が止まった先には、月ではなく、悍ましい魔像の顔があった。
今のマダラはこの魔像に繋がる事で生き長らえているのだが、魔像の顔を見ていると、むしろマダラの命はこの魔像に吸い取られているのではなかろうかと思えてくる。
六花は暫く魔像を見つめた後、俯いて眠るマダラの顔を覗き込んだ。
「マダラさま…きっと夢の中で、今夜の雨名月を見上げているのね。隣には…誰が居るのかしら…」
六花はマダラの肩に毛布を掛けたあと、布巾の入った桶を持ってゆっくりと立ち上がると部屋の出口に向かって歩き始めた。しかし、直ぐに足を止めマダラへ振り返った。
「初めてがあれば、最後もある…解っているけど…」
あの日、あの夜、あの後の二人を思い出し、六花の身体は反射的に疼き唾を飲み下した。
六花は大きく深呼吸をしながら大きく顔を背けると、再び歩き始める。
・・・でも終わりは新しい始まり。マダラさまは必ず戻って来てくれるから・・・
おしまい