ちょっと知人と会ってくる――と、もはや親に断る必要すらない。深夜の徘徊は、もう幾度となく繰り返されてきた。街の治安は良いとは言えないが、慣れというものもあるだろう。夜勤の友人で昼間寝てるから――そんな方便を、真に受けているのかもしれない。
ともかく。
終電も過ぎた一時半――スマホをいじりながら時間を潰していた美里は、布団からむくりと起き上がった。そして部屋から出ると、パジャマのまま脱衣所へ。これから出掛けるために着替えようとしている――というのは、半分だけしか正しくない。
寝間着に手を掛けたらそのまま下着まで。身に纏っていたものをすべて洗濯かごへと放り込んでいく。
ここで裸になる分には、言い訳の必要もない。寝る前にシャワーでも浴びるつもりだった、で済むことだ。
しかし――
それから、浴室に向かうことはない。
だからといって、外行きの服を着直すこともない。
あらゆるものを脱ぎきったまま――確かな足取りで、廊下へと踏み出す。
さらにはそのまま玄関へ。
そこでつま先に靴を通しながら――正気の沙汰ではないな、と美里は思う。
しかし、これまで幾度となく繰り返してきた。
そして、一度も見つかったことはない。
ならば。
今夜もきっと、大丈夫なのだろう。
重い扉をそっと開くが、その肌には鍵をしまうポケットなどない。
戸締まりが不用心かな――そのことを、彼女は少しだけ心配した。
***
美里は元々、社交的な性格ではない。
彼氏とは何度か付き合ってみたが、どうにも長続きしなかった。
友達も何人かいたはずなのだが、長らく連絡を取り合っていない。
その一人を除いて。
彼は――ダメな男だった。
男として非常に頼りなく、声も器量も恋人としての及第点に達しない。
だというのに、一方的にベタ惚れされて……彼氏ができる度に身を引くが、別れれば再び言い寄ってくる。
美里から見て、彼は到底モテるタイプではない。
ゆえに、きっとこれからも、こんなやり取りが続いていくのだろう、と思っていた。
しかし――
彼女ができた、と報告を受けたのは、何人目の彼氏と付き合っていた頃だろう。
美里はその後も、やはり別れた。
しかし、彼の交際は順調に進んでいたらしい。ついには結婚へと至り――それを機に、彼からの連絡はピタリと途絶えた。
その段になって、美里は気づく。
自分は一人だ――と。
もちろん、実家に帰れば両親はいる。だが、年齢を考えると、遠くない将来に先立たれるのは避けられない。
定職にも就いておらず、収入源は不規則な短期バイト。しかし、身体も弱く、自活できるほどのシフトを入れることは難しい。
この先、自分はさらに衰えていくことだろう。そうなったとき――自分はどうなってしまうのか。明るい未来が見えず、やはりあんな男でも捕まえておくべきだったのかもしれない、と後悔することもある。
だが――
どうやっても、彼との夫婦生活は想像すらできないのだった。
“元気? 嫁さんとはうまくやってる?”
そんなチャットメッセージを、美里は唐突に送りつける。
返事は期待できない。だが、予想に反して返事はすぐにやってきた。
しかし……二つ三つと社交辞令を交わした後に、彼は唐突に打ち切ろうとする。
『あまり、こういうやり取りは良くないと思う』
どうやら結婚と同時に、妻の地元である都心へと転居したらしい。いまは、そちらの支社に勤めているという。
だが、連休の際にはこちらへ帰ってきているようなので、だったら久々に顔くらい見せたら? と振ってみたところ、これである。
既婚である以上、二人きりで会うべきではない――彼の弁はそれだけに留まらない。
決して元カノなどではないにせよ、ずっと熱愛を送っていた異性である。そんな相手と、こうして密談じみたことをしていること自体、後ろめたいものがあるようだ。
とはいえ、彼が連絡を断ちたがるのは今に始まったことではない。美里に彼氏ができる度――もうこうして話すのも最後になるのだろうな、などと一方的に告げられていた。実際のところは、こうして未だにつながっているのだけれど。
だから、またいつものことか、と美里は少しだけ安心した。
そのうち、気が向いたら声を掛けてくれるだろう、と。
しかし――
それから音沙汰のないまま数年が過ぎていた。
***
春の大型連休を前にしたある日の夜、ふと美里は彼のことを思い出す。
バイト先のリーダーは上手くいかないとチームメンバーに怒鳴り散らす癇癪持ちであり……それに耐えられず、またしても辞めてしまった。
愚痴りたい。
が、愚痴る相手もいない。
かつての彼ならば、いつでも話を聞いてもらえただろう。
しかし、あの別れ際では、自分からは話しかけづらい。
彼の興味を惹く題材――雑談の類では、早々に切り上げられてしまうだろう。
ゆえに、彼が切に求めていたことを。
彼女ができるまで、口癖のように望んでいたことを。
“セックスしない?”
付き合えないなら、せめて一度だけでも――そんな常識ハズレな彼の求愛を、美里は久々に思い出す。多分、本気ではなかったのだろうけれど。断られる前提のダメ元で。挨拶のように、彼は美里の
それは他の女と交際が始まったところで急に変わるものではないらしい。彼にも恋人ができたというので、冗談まじりに誘ってみたところ……本気で悩まれたこともあった。お互い別の相手がいるというのに、ヤるはずがないだろう、と呆れたものである。
だからこそ。
きっと今でも真剣に悩んでくれるに違いない。そこから何らかの糸口が見えれば――そのその思惑通り、キッカケの片鱗を美里は掴む。
『どこで?』
こういうときは、二つ返事で断るものでしょ、と彼女は改めて呆れていた。とはいえ、それが男という生き物なのかもしれない。どこまで乗ってくるかはわからないが……ともかく美里は対話を続ける。
“ホテル?”
あの男とホテルに入って? セックスを……? やはり、そんなところは想像できない。それは、自分の思考を絶することなのだろう。
だから、断ってくれたときには内心ホッとしてしまった。
『ホテルに入った時点で、何もしてなくてもアウトだろ』
ごもっともである。
ゆえに……
“やっぱり?”
美里からそう返したところで、会話は途絶えた。
それと同時に、諦めが早すぎるだろう、などと無茶なことを思ったりもする。
当時は土下座する勢いで懇願していたのに……
状況は違うとはいえ、もう少し粘ってくれても良いのではないか。
だとしても。
ホテル以外のどこでヤる?
家には親がいるから上げられるはずがない。
彼の家は嫁がいるから論外だ。
案外できる場所はないものだな、とひとりため息をつきながら、美里はふらりと外に出る。コンビニで何か飲めば、気分も切り替わるかもしれない、と。
やたらと度数の高いチューハイを飲みながら、美里はだらだらと夜道を歩く。
こんな生活、いつまで続いていくのだろうか。
いや、親の収入に支えてもらっているうちはまだマシかもしれない。
それすらなくなれば……家賃さえも払えなくなる。
このまま帰ったところで、気分良く眠ることなどできはしない。ちょうど自宅裏手の公園の横に通りがかったとき、暇潰しに立ち寄ってみることにした。
ベンチにでも座って一息つこうと思っていたところ……
「……っ!?」
ここの敷地はやたらと広く、三方を道路で囲まれていて、見通しは良い――と思っていた。
だからこそ、誰もいないつもりで入ってきたというのに。唯一開けていない一辺――暗く湿った植え込みの向こう側は壁になっており、民家と公共の場を仕切っている。
そんな、怪しげな物陰に中年男性が一人。美里からの視線を浴びて、彼はそそくさと去っていった。立ち小便でもやらかすつもりだったのかもしれない。
怖いもの見たさで、彼女はその男がいた場所に近づいてみる。が……どうやら未然に防げたらしい。誰かが何かを致した痕跡は見当たらなかった。
そこから園内を見渡してみると……たしかに広々とはしているが、ところどころに樹木が植えられており、外の家々は窺えない。実際、美里自身も先程の男に気づかなかったくらいだ。
夜の公園なんて滅多に来ないから――新たな発見を前にして、彼女はとんでもないことを思いつく。
ここなら……セックスできるかも……?
さーっと身体が冷えてゆき、脈打つ鼓動だけが感じられる。
悪い酒酔いの勢いもあり……美里はシャツに手を掛けていた。
ゆっくりと、ゆっくりと、お腹を、胸を。ブラを露わにしてみたけれど、夜の住宅街はしんと静まり返っている。
だったら……
ブラさえ外してトップレスに。だんだん面白くなってきて、パンツまでも下ろしてしまった。
右は、植木。左も植木。正面は大きな広場だけれど、暗さに紛れて気づかれないはず。
折角だから……抜いだズボンのポケットからスマホを取り出し――
ピロリン♪
何も考えずにフラッシュを焚いてしまったことで美里は焦る。急速に我へと返り、そそくさと服を着直した。
そして、早足で今度こそ帰宅していく。飲みかけの缶チューハイは、公園に忘れてきた。
***
当然、左手で顔は隠してある。
とはいえ、見る人が見れば、自分であることはバレかねない。
そんな写真を――美里は彼に送りつける。
“ホテルがダメなら、外でやろうぜ!”
自分ならできる――そんな挑発と、誘惑を込めて。
思いがけない特殊なシチュエーションに、彼はこれを無視できない。
『マジでか』
“マジやで”
あまり
“まさか、お外で脱ぐなんて恥ずかしい~ん、とか言わんでしょーね?”
よく考えてみれば、裸になる必要もないのだが。
それでも、乗ってくるのが彼である。
『言うわけないだろ。こっちだってできるわ!』
そのやり取りは、まるで独身時代に戻ったかのようだった。
***
そして、取り付けた約束の日――美里はそっと玄関から外を覗く。
“全裸で家を出てやるから、そっちも家の前で全裸待機してろよ!”
それで同意は得られたはずなのだが……そこは、アパートの無人の踊り場。
あれだけノリノリで打ち合わせしておきながら……さらには、数十分前には最寄り駅に着いたと報告を受けている。いまさらドタキャンは考えにくい。
だが、あの男はバカだから……家の前、の意味を取り違えている可能性もある。
これまで美里は、ひとりで何度も練習を重ねてきた。
写真を撮ったのは最初だけだが……今では素っ裸で公園一周できるくらいの度胸はついている。
ならば……
コンクリートの床へと降り立つと、家の者を起こさぬよう、美里はそっと扉を閉める。
美里の住まいは地上一階。上の階の人さえ起き出さなければ、ここも密室同然といえる。トントンと数段下りればそこは小さな駐輪スペース、及び、住民用の集合郵便受け。その前までやって来たとき――彼女は思わず絶句した。
あの男……ナニ考えてんの……!
ここで待っていてくれれば、一応遮蔽物に囲まれている。住人と遭遇してしまえば回避できないものの、近所の通行人の目からは隠れることができる。
だというのに……わざわざ通りの真ん中で……!
素っ裸のクセに、その局部にだけはしっかりとキャップが被されている。どんだけヤる気なんだ、と美里もさすがに引いていた。
しかし、彼女自身も後戻りはできない。事後に着るつもりだったワンピースは、ベランダの柵の隙間に仕込んでいる。そこまでゆかねば、帰宅すらままならない。
彼からすれば、彼女とのセックスはこれまでの人生で待ち望んできた夢であり、万が一にも逃せない重大イベントである。ゆえに、捨て身の本気で挑んでしまった。その結果、玄関の扉の前でも、アパートの入り口の前でもなく――その敷地の前という結論。幸い、今のところは誰も通っていないが、傍には十字路も交わっている。その陰から誰がやってくるかもわからない。
男友達のアホさ加減を目の当たりにして――これはさっさと回収して、公園内まで引っ張っていった方が良さそうだ、と決め込む。ここで中途半端にまごつくことが最も危ない。小走りで彼へと駆け寄り――とりあえず、力いっぱいの抱擁という形で無言の挨拶。
美里にとって、その身体は、男のものだった。
女の肌を、恋人でもない男と重ね合わせている。
乳房を押し潰し、下の毛と下の毛で、ゴム質に包まれた肉塊を挟み込んで。
これに、自分の
しかし……これでは残念ながら厳しいかもしれない。
「っ!」
目蓋を閉じた顔が近づいてきたので、美里はとっさに顎を引く。
突然のことだったので、つい反射的に。
しかし、それが彼の心に思った以上に影を落とした。
「え……」
これからセックスしようというのに、キスもできない……?
本当にセックスするつもりはあるのだろうか……?
「あ、ごめん。いきなりだったから」
と軽く謝るも、彼は美里を放したまま棒立ちになっている。
ったく、面倒くさいこと!
「わかったってば! ほらっ、ちょっとだけなら今すぐにでも……!」
公園でさえ危ういのに、道端ともなればその比ではない。
だから、本当にちょっとだけ。
美里は彼に背を向け、意思表明のつもりで足の間の女の秘所を男に差し出す。
さり気なく自分でもそこに手を入れ、軽く触れてみたが……どうやら先程の愛撫で、
男は喜々として女の尻を掴むと、ぬるり、ぬるりとその先端で具合を確かめる。
「
「おうよ!」
これまで、この男とのセックスなど考えられなかった。
裸で向き合い、性器が触れ合ってもそれは変わらない。
だから、こうして、深く混じり合ったとき――
「んふぁぅっ!?」
声など出して良いはずがない。
これは、完全に油断していた。
だが、こうして男に犯されることなど何年ぶりだろう。
懐かしい侵食に、美里の膝が震えだした。
愛がなくても……
グリグリと
いつしか、パンパンと肌が柏手を鳴らし始める。
これ以上は……マズイ……っ!
「……とぉ、ここまでっ」
勢いよくドンとお尻で突き飛ばせば、掴まれていた腰の手もするりと抜ける。
美里とて、もう拒むつもりはない。
むしろその逆。深みを目指すために、少しは安心できる場所へ。
だから、自ら彼の手を取り、
「続きは公園でね。ここはヤバイっしょ」
「あ、うん……そーだな」
彼女の手に信頼を重ねて、ふたりは僅か数十秒の道のりを駆け抜けた。
向かう途中、他の誰かとすれ違えば大変なことになっていただろう。
束の間の性交中であろうとも、全裸疾走中であろうとも。
だから、これはある種の幸運。
女は胸を揺らし、男は股間を揺らし、
小さな門構えから公園の敷地へと飛び込む。
そして、いつもの暗い木陰へと辿り着いた。
事が終われば危険も終わる。だが、それ以上に、先程断ち切った期待を、
「じゃ、お待ちかねの続きね」
「ん……ぉぅ」
それはまるでゲームに興じるような気軽さで。
背後を任せることによって、彼の姿が見えないこともあるのだろう。
ただただ、女の
「んんっ、ふぅぅぅぅ❤」
二度目ということもあり、先程のような声は耐えられた。
しかし、
再び最初からやり直すように、先ずは小刻みな動きから。
だが、今度は少し勝手が異なる。
女の側が、壁面にもたれかかって支えてくれているのなら――
「んっ、ふぅんっ!?」
重さの掛け方が、さっきより強い気がする。
それは、掴んでいるのが腰ではなく、そのもう少し上――胸の先に充てがわれているから。
「ふっ、ん、んっ、ふぅ……」
手の平だけでは支えきれずに肘までも。いつしか美里はべったりと塀に押し付けられていた。
尻を叩く音と、自分の呼吸、どちらが大きく奏でているだろうか。だが、愛撫の激しさが増せば増すほど、共に賑やかになってくるのだろう。
「はふっ、ふっ、ん、んぁっ、んぅぅぅ……っ」
これはもう吐息とはいえない。明らかな甘さが混ざり始め、聞く人が聞けば、その行いは勘付かれてしまうだろう。
だとしても――
「あっ、あ、はっ、あ……❤」
自分の手で愛でるのとはやはり違う。意図しない場所に、意図しない強さで、グリグリゴリゴリと異物が擦りつけられる。
その上、胸まで絞られては……
こんな公園の片隅ではあるけれど。
でも……こうして……セックスをしているのだから……!
「~~~~~っ❤❤❤」
ガクンと崩れた身体を、彼には支えることができない。
土の上にへたり込んだ彼女に向かって……男はとんでもないことを言い出した。
「もう少しで……
思いやりの欠片もねーな、と悪態をつきたくもなるが、自分だけ満足しているのもやや気不味い。
「しゃーねーなぁ。手早くねー」
「ん……すまんっ」
不格好に突き上げられたお尻を掴み、男は腰を振り続ける。
「んっ、んんっ、ふぅっ、ふぁっ……」
緊張して疲労した
これで、ようやく労いの言葉もかけてもらえるのだろう。
だが、先ずはその危険物を抜いて欲しい。
***
これで、ふたりの関係が変わったということはない。
美里は相変わらず彼に対して恋愛感情など抱けないし、彼もまた、遠い地で夫婦円満に過ごしているという。
ただ、話したいときに気軽に話しかけられるようにはなった。相変わらず、彼から話しかけてくることはないのだが……歳の近い聞き手がいてくれるのはやはり心強い。
そして、何よりも。
あの男の弱みという弱みを握り尽くしてやった……!
美里は、そんな優越感を噛みしめる。
伝家の宝刀は無闇に抜くものではない。鞘に収められているからこそ真価を発揮する。
これがある限り、自分が彼に見捨てられることはない。いざというときは、力になってくれるだろう。
そのためにも。
刃が錆びぬよう、適宜研いでおく必要はある。
彼女は決してセックスが嫌いなわけではない。が、これといって好きなわけでもない。
だから、せいぜい年に二度。地元に帰ってくるときに抱かせてやればいい。
それで充分、目的は果たされる。
もうじき盆休みの時期だ。最近は特に嫌なこともないが、美里は彼にメッセージを送る。ある種の、時候の挨拶として。
“そろそろ帰ってくるんでしょ? またいつものセックスでもしとく?”