そんなアカウントを、俺は母さんの夫と偽って運営していた。
換気扇の隙間から白っぽいタイルの風呂場を俯瞰した、どこかピントの合いきらない映像――その中で母さんは体を洗い終えると、シャワーを出っぱなしにして、バスチェアに座ってオナニーをはじめた。
股間に添えた手の指先だけで自分を慰める。閉じようとしているのか、それを堪えているのか、膝がしらが小刻みに震えている。
快感に身悶えし、次第に背中を丸めていく。シャワーの音にまぎれて、押し殺したような「んっ……!」という喘ぎ声。
外を気にするように時々ドアを見ては、またうなだれてオナニーを続ける。黒いショートヘアの襟足が割れて、ほっそり白いうなじがカメラに映っていた。
やがて母さんはバスチェアに尻をのせたまま、ピンと爪先立ちをするように踵を持ち上げ、細く長い絶頂に身を震わせた。
すこしのあいだ余韻に浸るようにぼーっとしてから、シャワーを浴びて風呂を出た。
マジメな母さんからは想像もできないような、それでいて実に母さんらしい、まるでいけないことをしているようなオナニーに、俺は興奮していた。
はじめて見た母さんの女の姿は、盗撮映像だった。
きっかけは、小学校からの友人が、ふと漏らした言葉だった。
「前から思ってたけど、おまえの母ちゃん、美人で良いよなー。風呂上りとか下着見れるんだろ? ずりー」
母さんは少しもだらしない部分のない人で、風呂上りには必ず脱衣所でパジャマを着てから出てくるのだった。朝も寝室で着替えをすませてしまう。
しかし美人と言われるのは、身内ながら理解できる。それは顔かたちのつくりというよりは、しゃんとした姿勢や態度が、かっこいい美しさとして母さんを包んでいる。
「お父さんがいないんだから、私がしっかりしないとね」というのが、母さんの信条だった。
意識したことのない母さんの「女性」をうらやむ友人の言葉に、俺はその女らしい部分を見てみたいと思うようになった。
それとなく母さんの着替えに出くわそうとしたり、風呂に入った後を狙って脱衣所の洗面台で歯を磨きながら耳をそばだてたりしていたが、盗撮をするようになるのに、そう時間はかからなかった。
あれこれと工夫をして、はじめて母さんの着替えの動画を撮ったとき、俺はわけのわからない興奮を覚えた。通販で買っている、実用性重視の、シンプルなショーツとブラジャー。ワインレッドの下着。それでも俺は、どんな美人の下着モデルよりも似合っていると思った。
繰り返すうち、こんなに苦労しているのだから、誰かに見せびらかしたいという気持ちが湧いた。
SNSサイトに鍵アカウントをつくり、「母子」ではなく「夫婦」と関係を偽って、顔や声を加工処理した画像や映像をアップした。夫婦生活の一貫で、妻を晒す夫。そういうのを、時々見かけていたから、真似をしたのだった。
少しずつフォロワーが増えて、「いいね」や、母さんの裸に興奮したというコメントが届くたび、俺は不思議な優越感を覚えていた。
母さんをどれだけ性的な目で見ようとも、その白い肌に触れられるのは、見ることができるのは俺だけなのだ。
フォロワー三十人ほどに対して、いいねは半分くらいで、コメントは二つ三つ。増えもせず減りもせず半年が過ぎた、夏の終わりに、当然DMが届いた。
<お母さんのもっとエロい姿、見たくないか、タケルくん>
差出人のアカウント名はEOという、何週間か前にフレンド許可を出した人だった。
彼はもっと魅力的な母さんの姿を見たいから、その協力は惜しまないというもので、簡単な指示を送って来た。
近々、母さんの帰宅が遅い日がある。その日、もし酔って帰ってきたら、隙を見てあらかじめ届けておいた荷物を鞄に忍ばせておけ。あとはその日か、あるいは翌日、風呂場を盗撮しろ。
断れなかった理由は、身バレしている以上、バラされる危険があったからで、断らなかった理由は、「もっとエロい」姿に興味があったからだった。
俺自身が見たかった……というのもある。自分の投稿した物をたどると、同じような下着姿や裸体ばかりが並んでいるというマンネリもあった。
もっといいねが欲しかった。コメントがついて欲しかった。
そういう、ちょっとした欲目だ。
「そうだ健、今日お母さん、保護者会があるのよ。遅くなるかも知れないから、ご飯先に食べておいてね。冷蔵庫にあるから」
間もなくEOの予言した通りになった。
十一時を回って帰宅した母さんの鞄に、レジ袋に入ったピンクローターを忍ばせた。それは当日の夕方、学校から帰宅すると郵便受けに入っていたものだった。
EOの言った通り、翌日の入浴中に母さんはオナニーをした。
俺は何度もその映像を見返して、もっともエロい絶頂前後の数十秒を切り取り、個人を特定されそうな情報をぼかしてアップした。
これまでにない、いいねとコメント。EOからは<また連絡する>というDMが届いた。
「健、あのさ……」
俺の名前を口にしてから、母さんは悩ましげな視線を、窓の朝陽に向けた。
俺はドキドキしながら、母さんの言葉を待った。盗撮という負い目はもちろん、もう一つ母さんの口から出てくることを恐れることがあった。
はじめてオナニーを盗撮してから何日かした休日、母さんは「知り合いと食事」と言ってランチに出かけた。夕方に「お母さんだけ良い物食べて、悪い気がするから」と、デパートの唐揚げをお土産に帰ってきた。
その日の夜、EOから再びDMが届いた。
<お母さんに見つかるように、AVを隠してくれ。AVはこちらで用意する>
またしても、そんな謎のDMで、AVも前回と同じように郵便受けに直接入っていた。何気なくパッケージを見て、俺は生唾を飲んだ。
いわゆる熟女物である。それもおばさん臭い感じではなくて、美熟女という具合のもの。髪の短い痩せ型の女優で、きりっとした表情が、どことなく母さんに似ていた。
どうせだからと一通り見てから、俺はそのパッケージを雑誌に挟んで、自室のドアのそばに置いた。
よくそうして雑誌を放置して、ドアを開けた拍子に崩れて、母さんに叱られていた。翌日は掃除があったのに、母さんはそのことについては何も言わず、雑誌は元の通り妙にきちんと積みあがっていた。
もしもアレのことを訊ねられたら、どう答えるべきだろう。自分で買ったというのは恥ずかしい。どうやって買ったかとか、答えようがない。友達に預かったことにしよう。
そう決意して、サラダを食べたまま心ここにあらずというふうにフォークで下唇をぷにゅっと潰した母さんに水を向ける。
「なに?」
「え? あ、だから……」
何事に対してもすっきりとしている母さんにしては珍しいうろたえ。誤魔化すように視線を明後日の方向へ向ける。「近いうち、また食事に行くかもしれないから。そのときは、よろしく」
「あ……うん。わかったけど……」
その近いうちは、金曜日だった。
出しなに母さんは、ベージュ色のシルエットのジャケットにしわを作って、見送る俺を振り返った。それから、いかにも申し訳なさそうに、
「今日ちょっと、仕事のあと食事の約束があるの。ごめんね。一応、冷蔵庫に作り置きがあるから。もし温めるのが面倒だったら、何か買って食べておいて」
母さんは「行ってきます」のかわりに「ごめんね」と言って、扉を閉めた。
お酒のにおいをさせて帰ってきた。
楽しい酒だったのか、母さんはなんだかにこにことしている。そういう柔らかな表情を振りまく母さんは珍しい。たとえば俺を褒めるときなんかにふわりと微笑むような、そんな慎ましやかな人だった。
「ただいまぁ。今日はごめんね」
いの一番にそんなことを言う。
「ううん。お酒?」
「あら、臭い?」
「ううん、においはするけど」
それと血色が良くなって、肌にほんのりピンク色が浮かんでいる。
母さんは台所へ行くと水をごくごくと飲んだ。そしてリビングのソファに沈み込むと、胸元をくつろげた。隙間からブラジャーがのぞいて、思わず視線をそらした。
「か、母さん。しわになるし、着替えてから休んだ方がいいよ。それに風邪ひくし」
きょとんとした間があって、母さんは「そうよねぇ」と嬉しそうにした。
「ごめんね。ちょっと疲れてて。健はもうお風呂入ったわね。お母さん、すこし休んでから入るわ」
と、寝室へ向かうついでとばかりに、いきなり俺を抱きしめた。
「心配してくれてありがとね」
お酒のにおいに混じって、母さんの汗の匂いがした。一日頑張って働いたにおいだと思えば、不思議と心があたたかくなるようだ。
今さらのように、母さんに申し訳ない気がして、SNSアカウントを破棄してしまおうかと思ってアクセスすると、EOからのメッセージが届いていた。
<すまないがIDとパスワードを教えてもらえないか>
<どうしてですか。それに、このアカウントはもう消そうかって思ってるんですけど>
<君のお母さんの写真が、手元にあるんだ。まあ、大した物じゃないが>
母さんの写真。
それを、EOが持っている。
心臓を鷲掴みにされたような、いやな気がした。
<どうして>
<色々とあってね。君の振りをして、夫のふりをしてアップロードするから、教えてくれないか。ちゃんと顔なんかは見えないようにしてある>
<それをこっちに送ってもらえば>
<それはしない。まあ、教えたくないなら、しょうがない。この話は終わりだ。もう君にも連絡を取らない。このアカウントのことをバラしたりもしない>
こいつと手を切り、母さんを晒しものにしない。それがたぶん、一番正しいことだ。
だけれども、気がかりがひとつあった。いや……それはもう、確信に近い。母さんが飲んでいた相手は、このEOではないかということだ。酔った母さんの写真を、こいつは撮ったのかもしれない。
どんな写真を撮ったのだろう。どんな写真を、母さんは許したのだろう。
それが気になって、不安で、見たくて、怖くて……。
IDとパスワードを送ると、じきに新しい投稿がされた。
『仕事帰り、妻と二人で飲みに行ってきました。こういうのは久しぶり』
添えられた写真は、母さんの胸元を映している。上部に下唇が見切れていて、すらりとした顎と首から、シャツからのぞいた鎖骨。胸もブラジャーも見えてはいない。
ほっと胸を撫でおろしながら、俺は妙な不安を覚えた。
エロくはない。そのはずなのに、やけにエロいのだ。
薄暗い照明のせいか、その中でぽうっと明るい母さんの胸元。
ほんのりと色づいた肌に、しっとりと汗ばんだような艶。
何の変哲もない写真のはうずなのに、母さんの肌からは、まるで性を意識するような、そう意識されていることをわかっているような……つまりは、色気が漂っている。
そういった顔を微塵も見せない母さんだ。
そうだと思えば、見切れた唇も、まるで照れ笑いをするように見えた。
俺の感想を後押しするように、『おお、これはそそりますね』『その後お楽しみでしたか。いつかハメ撮りも見てみたいです』と、そんなコメントが並び、いいねも続々とついた。肌をさらすわけでも、オナニーをしているわけでもないのに……。
漠然とした不安と興奮とが、俺の中に渦巻いた。
それからだんだんと、母さんは夕食を外ですませることや、休日に出かけることが増えた。
しかし変わったのはそれだけで、母さんの凛とした佇まいや、家事と仕事の両立がおろそかになることはなかった。ただどうしようもなく、二人での食事は減ったし、総菜を買ってくることも増えた。
まるでその埋め合わせをするように、母さんはお土産を持って帰ることや、ボディタッチが増えた。
ソファに並んでテレビを見るとき、腕の触れるほどそばに座るようになったし、二学期の中間テストの成績が良かったときは、何年かぶりにくしゃくしゃと頭を撫でられた。
「えらいわ。その調子でね」
そう言って微笑む母さんは、ほんのわずかにやわらかな印象があった。。
決して遊び呆けるでも、俺をないがしろにするでもなく、子供が大きくなって自立した分だけ、家の外での付き合いが増えた。そんな感じだった。
けれども、俺は知っている。
その付き合いはすべて、EOとの食事やデートにあてられていることを。
母さんが休日に出かけると、必ずと言っていいほど彼の投稿があった。一ヵ月もしないうちに、ラブホテルのシャワーを浴びる母さんの映像がアップロードされた。
そしてそれと同時にパスワードと登録アドレスが変更され、アカウントを乗っ取られた。
慌てて別アカウントを作ってEOにコンタクトを取ったが、母さんを晒すアカウントへのフォロー申請が通っただけで返信はなかった。
俺はただの群衆に成り下がってしまった。何をすることもできず、存在しないはずのの夫に母さんが開発されていくのを眺めることしかできなくなった。
『たっぷり楽しみました』
素っ裸の母さんがベッドにうつ伏せで寝ている。
『SMに挑戦中』
目隠しをして椅子に縛られた母さんが、男の手に愛撫されて身をよじっている。「あ……だめ……」と、ねだるような声をあげる。
『夜の散歩。興奮しました』
下着を脱いでいく写真。二人で夜の街を歩く映像。男の手が母さんの尻に触れると「もうっ」と、甘えた嫌がり方をする。
ふとコメント数やいいね、RTの数が異様に高いことに気がついた。
どうしてかと思えば、アカウントの鍵は開けられて、公開されてしまっている。なんの制限もなく、母さんの痴態は世界中へ広がってしまっていた。
『24時間で200RTいったら、全編公開します』
俺が母さんの夫のアカウントを見ていると、そんなコメントと共に動画が投稿された。
「昨日は残業って言ってたのに……」
動画を再生する。どこかのホテル、ベッドの上。モザイクから透けて見える母さんの顔が、カメラの揺れに合わせて動いている。
「や、あ……ほんとに、撮ってるの?」
カメラを避けるように横を向いて手で隠す。男の手がそれをこじ開けて、カメラが明後日の方を向く。ピストンの衣擦れと、母さんの色っぽい吐息に、キスをする水音がまじる。
場面が飛ぶ。すがるものを探して動く母さんの手が、ぎゅっと頭のそばのシーツをつかむ。まともな言葉は発しない。男の責めに合わせて、呻きと喘ぎを繰り返す。カメラを気にする余裕もなくなっている。
「あ、ア、アー、アあっ……!」と、上りつめていく声が、ぶつりと途切れた。
俺が動画を見ている間にも、止まることなくRT数もいいねもコメントも、その数が増えていた。止まることのないカウンターのように、一つずつ数字を重ねていく。
そのたびに、俺は母さんが遠くなっていくように感じた。
俺が……俺だけが触れられて、俺のそばにあった清廉な母さんの肉体が、母さんの夫という存在しない男の手によって女を取り戻していく。俺の物ではなくなっていく。。
どうしようもない絶望感が目から溢れてくるのに、痛いほど勃起していた。