目覚めは静かなものだった。
耳に届く無機質な部屋に響き渡るノイズが、窓の外から聞こえる小さな喧騒と混じり合って体を叩き起こしてくる。それでもと頑なに閉じる瞼に、カーテンの隙間を縫うような漏れ日が瞼をノックしていた。常日頃から目覚まし時計によって起こされる毎日を送っていた身なれど、今日に関しては珍しく朝の知らせを前に、静かに瞼を開けていた。
体にまとわり付く妙な倦怠感は、未だに疲労が拭えていないがゆえか、どうにも動く気にもなれずに暫くぼォーっと天井を眺めていた。
「朝、か……」
口から零れ落ちる実感の伴った声音に、意識が徐々に覚醒しだしていることを自覚した。
体を動かそうにも、どうにも一ミクロンも反応を示さない体に疑問を浮かべながら、首だけをくるりと時計へと向けた。
窓辺から差し込む光がまだ暗さが交じっているのを見て思ったが、やはりというべきか時刻はまだ朝の五時にすら到達していなかった。
怠い、体がベッドと同化でもしているのではないかと思うほどに、怠い。いっそのことこのままベッドに同化なんてしてみたいところだが、そうはいかない。
本当に悲しいことに――。
ふぅ、と一息吐きながら天井を見上げたとき、ふと、視界の隅に映ったシミに視線が固まった。
ジーッと目を凝らしてみてみれば、至るところにシミとなってこちらを見下ろしていた。
シミなんてそれこそ何度も無意識的に見ているものだと言うのに、視界に写ってしまうとどうしても気になり出すものだ。暇な日が出来たら、気分やら考えやらを地に落ち着かせ、気持ちをリセットするためにも掃除をしてみるのもありだろう。
さてと瞼を何度か瞬かせて、本日二度目のため息を零しながら、未だ寝ぼけた頭で昨日のことを思い出していた。
どことなくむず痒さが体を這うようで気持ち悪い。まさかSOPMODの前で涙を流す日が来ようとは、人生とはほとほと分からない事ばかりだ。大人になれば涙を流す方法など忘れてしまうだなんてどっかで聞いたが、噂というのはやはりあてになるものではない。今もなお体を迸る擽ったさに身をよじりたい。いっそのこと雑巾の如く絞り出せたら気が済むんじゃなかろうか。余計なものまで絞り出せそうだ。
それに……、あの時、SOPMODから伝わった胸の暖かさは、久しく感じ得なかったものだった。思われることの感情を忘れていたこの体にとって、根強く残ったその灯りは、瞼の裏に焼きついて離れない。
瞼を閉じた。小さく息を吐いた。空気を取り込んだ。胸には確かにその時の暖かさが残っていた。零れ落ちる吐息が、熱を帯びていたような気がするのはきっと気のせいでもないだろう。
「仕事か……」
さて、今日の業務はなんだったか……。気付けばAR小隊の面々が仕事を減らしてくれるというありがたくも、寂しさの募る置物に成り代わってしまったがために、手持ち無沙汰感があるが、ナインが言うには別の指揮部に移動だなんて情報を仕入れているらしいので、是非ともそちらに移動した際は苦しいほどの仕事が舞い込んでくることを所望する。わりと真面目に。
別にワーカーホリックってわけじゃぁない。ただ、暇を持て余してしまうと訪れる現象のようなものだ。そもそも俺が仕事に熱を入れるのだって何も考えずに済むからであって、ってまぁ、そんなことはどうでもいい。
流石にこのまま横になっていても寝るなんてことは、今の体内環境を考えるにないだろうが、万が一ってのもある。早々に起き上がってシャワーでも浴びて一足早い朝食にかこつけてもいいだろう。そうとなれば善は急げだ。半身に力を入れて起き上がろうとして、ピクリと違和感に気づいた。
「っ……」
おいおいやめてくれよと、頭が警報を発する。
今まで見ていなかった景色に目を向けるように、視線を下に向けて写ったものに、心臓がきゅっと縮まった。布団という布一枚に膨らみがあった。そして、自分の体に感じる熱に違和感を覚えたのはその時だった。
この体にまとわり付く倦怠感を、俺は覚えている。そしてこの酷似した景色を、視界に映るソレを俺は何度か目にしたことがある。記憶をたどらなくてもすぐ近くにいるであろうソレを、俺は逸る心臓の音を抑えるように、ゆっくりと息を吐き出して目を瞑った。
――やはりお前もくるのか、と。
布団を捲ろうと伸びる手が震えていた。
そうして、布団の端を手に掴み、やっとのことで布団を捲った。
「何故、そこにいる……
震える声音が、眠り姫を揺らした。
小さく呻くように動き出した銀髪が、するりと肌色の海を撫でた。自分の服が半ば捲れ上がっていることに気づいたのもまたこの時だった。
いったいいつ部屋に忍び込んだと、わざわざ聞くつもりもない。聞く必要がない。コイツは、そういうやつなのだから――。
「んぅ……、あぁ~指揮官だぁ~、おはよう……」
「っ……」
我が身を見下ろしてみれば、はだけた服の隙間から覗く痕が、彼女が行った行動を如実に表していた。
この体にまとわりつく様な倦怠感は、昨日だけのものではないことは明白なことだった。
そして、こちらを見上げてくるその瞳もまた、間違いなく現実のものであった。
全てが現実。全てが異常。全てが普通。
昨日、ナインが言っていたように、俺は逃げた。逃げたという意識がある。だからこそ、困惑する。そこまでしても、彼女らは追ってくるのかと。酷いことをしたという意識もある。答えも返さぬままに逃げてきたのだから、そう思うのも当然だ。それでもこうして追ってきている理由が、たった一つの想いから発生しているその事実に――。
「もう、離さないから……」
俺の体を抱くその細っこい両腕は少女の見た目に反して力強く、彼女の腕から伝わるその想いに体が悲鳴を上げていた。
思わず内側からこみ上げてくる吐き気にも似た訳のわからない衝動のままに叫びかけて、寸でのところで留まったのは幸か不幸か、彼女を突き放すことも叶わずに、俺はその頭を撫でていた。
「んっ……」
心地よさげに喉を鳴らすその姿に、何を思うでもなく。俺はそっと息を吐いていった。
「
「えぇ~、やだ……」
「このあと仕事なのを知っているだろう」
「でも~、
「それでもだ。少なくとも昨日動き回ってたおかげでどうにも体が気持ち悪くて仕方ないんだよ」
「ん~、落ちちゃうじゃん……」
尚も離れぬ引っ付き虫の頭を押し込もうが、全く歯牙にもかけぬG11の力強さに立ち上がることさえままならず、さてはてどうしたものかとベッドの上で押し問答を繰り広げて早数十分は経とうとした頃、彼女の方から自ずと離れていった。
やっと聞き入れてくれたのかと内心安堵のため息を吐いた時だった。
彼女の視線が、寝室の扉へと向かっていたことが気になってそちらを見た。
「どうした、
「チッ……」
おもむろに彼女は嫌悪を丸出しに舌打ちをした。
そこには誰もいないはずなのに、何もない扉の方へ視線を向けている。なんど見たって変わらぬ扉がそこにあるはずなのに、いったい何を見ているのか、再度
「指揮官、おはようございます!」
ノックの小気味よい音と共に聞こえるその声に、ドキリと心臓が跳ねた。
次いで聞こえる扉が開く音に慌てて待ってくれと声を出したのは、果たして英断だったのか、傍らにいる
「指揮官……?」
「あぁ――」
どうする!? 咄嗟に抑えたはいいが、これでは却って彼女に不信感を抱かれても可笑しくない。いくら咄嗟のこととは言え、対応をまずったか。幸い、M4はこちらの行動に対しては、一応断りがあればそれ以上の深追いはしてこない……はずだ。だからこそ、今の所の問題は
そもそも、どうして皆こう無遠慮に部屋に入り込んでくるのさ。いや、よくよく考えてみれば当番の日は起こしに来ても構わないだの言ってたのは俺だったか? もうどちらにせよ後の祭りである。
必死にアレコレと言い訳を天井から部屋の隅々まで探すうちに、ふと、ニヤリと僅かに口端を上げる
ヒクつく思いに苛まれながら、静かに首を振ってみれば尚更眩しいほどの笑顔が返ってくる。
詰んだ。と思うまもなく、その仄かにあどけなさすら感じるピンク色の唇が開かれていくのを見た。まるで現実感を感じさせないほどにゆっくりと……。
「しきかーん、どうしたの? 誰か来た?」
俺よりもいの一番に気付いたというのに、彼女は扉の向こうにも聞こえるほどの声音でもって言ってのけた。
そして、わざとらしくへへへと笑ってみせるのであった。
そのすぐ後のことだった。扉を抑えていた俺を撥ね退け、いとも容易く扉は開かれた。次いで見える黒髪が視界の中で揺れる。
「指揮官ッ――!!」
勢いよく入ってきたM4は、真っ先に
「指揮官、すみません……。緊急事態と判断して無理やり押し入りました。お怪我はないですか?」
「あ、あぁ……」
良かった……。本当に心底何もなくて良かったと彼女は言う。
労わるように、肩に手を添えながらその反対の手が頬へと伸びてくる。あと数センチという距離になって、きゅっと握られるその手が震え始めた。
再び
「なんだー。M4だったんだねー」
どこまでも呑気な声音で、その身あまり興味なさげにベッドの上で布団に包まりながら彼女は、M4を一瞥して俺へと視線を寄せた。
「ねぇ、指揮官……」
「なんだ?」
「昔みたいに、一緒に遊ぼうよ」
「なに……?」
「かくれんぼしたり、追いかけっこしたりさ」
その表情は、とても今の状況に似つかわしくないほどに優しげな表情だった。
きっと、こんな状況でもなければ見惚れていたかもしれないほどだ。
「でも、昔みたいに遊ぶにはさ……、やっぱり邪魔だよ」
「
瞬きの後に見た表情に、背筋が凍った。
全ての感情を置き去りにしたような表情で、彼女は俺ではなく隣にいるM4へと視線向けて――。
「M4が、邪魔なんだよね……」
そう、言った。
大丈夫大丈夫まだ舞える