仕事の途中、紙ナプキンの在庫を取りに奥に入った安室透こと降谷零は、もう上がった筈の吉野景光が休憩室で仮眠を取っているのに気付いた。
何となく、眉が顰められて目元にうっすらと隈が浮いているのが見えて、それが痛々しいと思って、今日自分が羽織って来た薄い上着を掛けてやった。
一〇分後、様子を覗きにきた降谷は、思わず立ち尽くしてしまった。
眠っているだろう吉野は、先程よりずっと穏やかな、寧ろ幸せそうに微笑んで眠っている。――自分の上着の袖を、子供のように握り締め、頬を摺り寄せて。
その姿に、何度も見てきた諸伏景光の寝顔が重なって、思わず彼の顎のラインを指でなぞってみていた。
髭の無い、つるりとした顎のラインは警察学校までの彼のものと同じで。
その次の瞬間、ひくりと吉野の身体が反応した。
寝ぼけた猫が、大好きな飼い主に気付いてその手に擦り寄るように。
「あ……、、? ……、……っ!?」
がばっと体を起こした吉野と、彼のフェイスラインをなぞったままの姿勢で凍る降谷の視線が絡み合う。
そして、一気に耳まで真っ赤になった吉野は、そのままポアロから飛び出して行ってしまった。
そのまま見送って、でも降谷は気が付いた。
目が開いた瞬間、普段琥珀色の吉野の瞳が、小瓶の中の水銀のような色に光っていた事。
その時、『ゼロ』と口が動いていた事に。
店を飛び出し、走って走って、公園まで走って来て、そこにあるベンチで諸伏景光は崩れ落ちた。
つい、転寝して、夢を見て。
薄暗い所で、一人で座っていたら、布を持った
夢だからと、ぼんやり温もりに身を委ねていたら、零にそっと頬を撫でられて。
ただそれだけの事で、泣き出したくなるほど心が軽くなって、幸せで。
だから、本当に
自身の失態から始まってしまった肉体関係は、かれこれ四年も前――彼にとっては――の話で、以来そう言う意味では品行方正極まりない生活を送って来たと言うのに。
「あはは、俺、あいつの事好き過ぎるじゃないか。『死人』の癖に、何考えてんだか」
自嘲の笑いは口から零れ、目尻に涙が滲むのが判る。
俯き、顔を両手で覆う。
諸伏景光と言う人間は、ここの時間で三年前、潜入した黒の組織のコードネーム持ちになって諜報活動中に身元がばれて、同じく潜入中の同僚、そして幼馴染みである降谷零を庇い情報を遮蔽する為に自決した。
元々潜入に際して戸籍も何もかも上層部がどうこうしている筈だから、特別失踪扱いでとうに死亡が確定している筈。普通失踪なら、潜入して活動した時間を加味して、あと一、二年掛かるだろうか。
今の名前は、多分、『染井吉野』が正しいのだろう。一度死んで、二百年未来で蘇生され、地獄のような場所で再び殺され、人間ではない者として覚醒して――まさか、生まれ故郷の有名な神社に祀られていた『
人としての名前を捨てるつもりで審神者――実質は全く違うが、職分としてそう名乗る事にしている――になった。ただ、巻き添えにした挙句、人間から片足踏み外させてしまった警察学校の仲間達には、未だに申し訳ない気持ちが消えない。
自分との関わりさえなければ、知り合いもいない場所に連れて来られる事も、目や手足に深刻な傷を負ってしまう事も、無間地獄のような戦いに関わる事も無かった――三人は、所謂審神者の素質の待ち合わせが無い人間との事で、二百年後に連れて来られる予定の無かった人間だったと、本丸を立ててから担当の百舌鳥から聞いた――。
萩原が、松田が、伊達が『諸伏景光』の名前で呼ぶから、彼らに応えている。それだけの筈なのに。
『ヒロ』
時折、夢の中で子供の頃だったり、学生の頃だったり、潜入調査中だったりする
多分、人でなくなった事の後悔と、無くしたものへの郷愁が齎しているのだろう。
顔から手を放し、立ち上がろうとして、自分のものではない薄手の上着にやっと気が付いた。
「これ……あ」
上着の残り香に、頬に熱が上がるのが判る。先程の夢が、何が原因で見てしまったものだったのか悟ってしまった。
「しまった。……そうか、気、使わせたんだ。どうしよう、これから返しに行かないと……」
肩に羽織っていた上着を畳み、どうしようかと頭を抱え直そうとしたその時だった。
「あれ? 吉野さん、こんなところで何してるの?」
「え?」
不意の声に振り返ると、学校帰りだろう江戸川コナンがスケボー――違法改造済みのエンジン付きと言うとんでもだ――を抱えて立っていた。
この時代の最大の事件であり、これから最低でも三年以内に起きる筈の『黒尽くめの組織』の壊滅。そのキーパーソンであり、一連の事件のトリガーでもある少年、それがこの江戸川コナン――その正体は薬物によって縮んだ工藤新一である。
事態の混乱を避ける上で、こちらが彼の正体を把握している事は口外厳禁となっている。
「コナンくん、今帰りかい?」
「そうだよ! 吉野さんはこんなところでどうしたの?」
口調は疑問系だが、言葉の端々に警戒を感じる。
どうやら
この、頭は良いがある意味視野の狭い少年に、『歴史改変』等と言う概念を教える事は更なる事態の悪化を齎すと、代紋本丸は睨んでいる。
「……いや、仕事上がった後、転寝しててうっかり安室さんの上着羽織ったまま出て来ちゃって。
寝ぼけた勢いで店から帰っちゃったから、何と言うか戻り辛くて」
そう言って上着を見せると、少年は目をぱちくりさせる。
そして、吉野景光はある事に気付いて、思い付いたと言うように手を打った。
「そうだ、これから帰るならこの上着持って帰って安室さんに渡しておいてくれないか」
「え? 吉野さんが返せば」
「俺、これから用事があるから」
腕の中に畳んだ薄物の上着を押し込まれ、その事に抗議しようとしたコナンは再び目をぱちくりさせた。
ほんの瞬き一回の間に、吉野景光は姿を消していたのだから。
ほんの一瞬の差だったが、少年を巻き込まずに済んだ事にほっとする。
夕焼けだった筈の空が、血のような赤と墨色でマーブル模様になっている。――異界化の典型的な光景だ。
こう言う状況で警戒すべきは、歴史遡行軍よりも。
「ハアイ、ドラゴンマン、ご機嫌いかが」
公園の真ん中に、何処にでも居そうな金髪の青年がいる。見た目は小金持ち、親の脛齧って大学で遊んでいるようなタイプ。
だが、男の身体から漂う瘴気に、諸伏景光は警戒態勢になった。
男の身体から、人間以外の気配がする。最低でも一、恐らくは三。
「サマナー? もしかして、ファントムソサエティ? ……いや、そこの構成員希望者か」
「まあね。ファントムソサエティのお偉いさんが、『ドラゴン狩りに成功したら、一躍幹部待遇で迎え入れてやる』って言うんだ。紐付きでもない、単体の人間に化けた悪魔一体倒すだけって、何だかなって思わなくもないけど、曲がりなりにも国際組織だし?」
けらけら笑いつつ、男はパッドPCを取り出しその画面を撫でる。画面に魔法陣が描かれ、そして頭部だけの姿で羽で飛び回るものと、牙を剥き出しにしたミニバイクより大きな犬、そしてボロボロの姿をした警官らしい――二、三〇年前位のデザインの制服だ――動く死体が現れた。
恐らくは勤務中に殉職しただろう、骨も覗く哀れな遺体の姿に、ぎりっと諸伏の歯が鳴った。
「さあいけ! チョンチョン! ガルム! ゾンビコップ! そこの人間モドキを引き裂け!」
「アナライズも使わず、俺が誰かも知らず、か。こんなのを勧誘しないといけないなんて、ファントムソサエティも落ちぶれたものだ。……いや、篩の代わりにされてるんだとしたら、これはこれで不愉快だ。――竜胆!」
諸伏の声に応え、隈取りに四肢に紫色の龍鱗紋が入った管狐が、ライフルケースを咥えて現れる。
それを受け取り、中からFNP90の独特な銃身を掴み出す。
そして、片手でそのまま突撃して来た
えっと驚く男の目の前で、あっさりと
そのゾンビに向かって、諸伏はライフルバックの中に入れてあったピンポン玉くらいの
「な!? なに、うわっ!?」
慌てて、次の悪魔を召喚しようとした男の手からパッドが飛ばされ、三発の銃弾で画面が砕かれた。
その事に慌てて身をひるがえそうとして、ジャキッと言うノッキングの音と、こつんと頭部に押し当てられた鉄の感覚に今まで状況を舐め切っていた男は蒼褪めた。
諸伏にしてみれば、自分の事を何も判っていなかったこの若い男に頭痛が尽きない状態だ。
神格覚醒した事を差し引いてもこちらは元警官、この三年間は人外相手の制圧戦を何度も熟して来たのだ。駆け出しサマナーが操る低級悪魔如きでどうこう出来ると思われた事は、そこはかとなく不愉快だった。
現に、神格覚醒で跳ね上がった運動神経以外使わなかったのに、瞬殺出来た事実がそこに転がっているのだから。
「な、いやその、ごめん、冗談だよ、あはは、俺みたいな駆け出しが、あんた倒せる訳ないじゃん」
そう言って、冗談で済ませようとする男に、諸伏はあからさまに溜息を吐いて聞かせた。
「ああ、うん、そうだな、お前程度に俺をどうこう出来るなんて『
でも、お前、可哀そうにな」
「え?」
「あそこも立派な犯罪結社だ、自分達の名前を出した挙句に失敗したお前を生かしておくなんて思っているのか? だとしたら、お前おめでたいな?」
「え……いやだって、俺は」
「せめて、俺がファントムソサエティの名前を示した時に肯定しなきゃ良かったんだがな。そうすれば、せめて殺されないで済んだだろうに」
「ひ、ひいいいいぃ!」
悲鳴と共に逃げ出した男を、諸伏はそのまま放置する事にした。
正直、保護を考えないでもないが、恐らく余罪は叩けばぞろぞろ出るだろうあの若者は、恐らく罪の意識もなく、殺人も普通に行っている筈だ。
残念だが、彼の行った犯罪は悪魔使役と称される行為で、現行の刑法を適応させられただろうか。
「可哀想だけど、二〇〇〇年代には神霊法がないからな。警察で保護出来ないんだ、悪いな。
しかし『ドラゴンマン』、か。
まあ、それなりに葛の葉に請われて動いてたから、あちらさんにも気付かれたって事かな。……銃携帯の許可、取った方が良いかなあ」
ライフルケースを管狐に預け、諸伏は歩き出す。
異界化が解けた時、万が一にも江戸川コナンと対面する事が無いように。
『緊急連絡網』
東錦
「すみません、一つ質問して良いですか」
小松乙女
「何々、何かあった?」
江戸彼岸
「あいつポアロじゃあ大人しくしてたと思うんだが」
大島
「又うなされてたか?」
東錦
「いえ、以前彼から地方代議士のキモオタ入った屑三男に粘着された挙げ句に、監禁された話を聞きまして」
小松乙女
「……」
江戸彼岸
「……」
大島
「……おお、それで?」
東錦
「で、その屑キモオタ馬鹿息子、今どうなってるのかと」
小松乙女
「……」
江戸彼岸
「……」
大島
「……あいつか。聞きたいのか?」
東錦
「是非」
小松乙女
「……確か死んだよね、アイツ」
江戸彼岸
「聞きたいか? 俺は屑に似合いの結末だと思ったが」
大島
「警官としては、問題ありとは思うんだがな」
東錦
「どう言うことですか?」
小松乙女
「うん、そいつ、海外で殺されたらしいんだ、人間達磨状態で」
江戸彼岸
「何処の何てマフィアかまでは聞いてない。変に突付いて、こっちに目を付けられちゃ面倒って、調べてきたダチが言ってたし」
大島
「手足落とされて、壺の中で失血死するまで放置されていたらしいな。
恐らく、日本国内と同じノリで悪さして、バッサリ処断されたんだろうよ」
東錦
「……そうですか……」
小松乙女
「ま、あの変態、死んでからも吉野に付きまとってたみたいだけどね!(;゚∇゚)」
江戸彼岸
「拉致して三日間、てめえの飲食とトイレと睡眠以外アイツの全身舐め回すように見てたって話だし。
ポルターガイスト現象起こされた時は、思わず伯方の塩一キロ叩き付けたけどな」
大島「監視カメラ越しでも判ったらしくて、助け出した時には身体以上に精神に来てたからな。
まあ、アイツの職場、そう言うのに詳しい人間まみれだから早々にお帰りいただいたわけで」
小松乙女
「あれ? 安室くんや?」
江戸彼岸
「怒りのあまり、スマホ潰したかね」
大島
「仕方がない、戻ってくるまで落ちよう」
『愚痴部屋』
小松乙女
「もう、諸伏の奴、何話してんだか‼」
江戸彼岸
「時雨から聞いたところじゃ、赤井秀一の妹からの追求逃れだと。で、つい話を盛ったと」
大島
「盛ったも何も、結婚迫ったキモオタって話し、交番勤務中にあったぞ。俺、諸伏と同じ交番だったし」
小松乙女
「え」
江戸彼岸
「ゴリラなんで知らねえの」
大島
「そりゃお前、降谷には黙っててくれって諸伏にすがられたんだよ、俺も同期の首席に殺人はさせられんかったし、上役も降谷の事知ってたから協力してくれたし」
小松乙女
「あー、アウト判定出るくらい不味かったんだー (>_<)」
大島
「顎髭生やしてんのにあの反応は何なんだって、号泣してたからなあ」
江戸彼岸
「つっても、アイツ基本髭似合わんし」
小松乙女
「やめたげようよ、ブーメランだしじんぺーちゃん」
江戸彼岸
「よし、そこ動くな萩原、これから殴る!」
小松乙女
「きゃーっ」
大島
「お前ら、ほどほどにな」
その日、急な『私立探偵の仕事』で休んだ安室透の穴埋めでバイトを延長させていた吉野景光は、だが入って来た客の顔にびくっと肩を跳ね上げさせた。
そこに立っていたのは、木場恭介と言う一見二十代の青年だ。その後ろには、見覚えのある――当然だ、『
どう見ても修羅場中と言う、目の下に巨大な隈を飼っている状態の木場は、ずかずかとカウンターに入ると、そこにいた吉野の腕をがっしり掴んだ。
「き、木場、さん?」
「仕事です」
「え!?」
「人手が足りないので、仮雇用と言う形で来てください。
「え、えっと?」
「話しは、車内で致しますから。取り敢えず一緒に来てください、ほら早く!」
ぐいぐいと引っ張っていく木場と、踏ん張る余地もなく引っ張って行かれる吉野の姿を、梓は呆然と見送る事しかなかった。
そして、人手として残された人間が困ったように笑い掛ける。
「すみません、僕は長船光忠。こちらは親類の長船長光。一応、飲食店勤務歴はありますから、何でも言って下さい」
「はじめまして。急なことで驚かれたとおもいますが、どうかよろしく」
「あ、はい、じゃあ、こちらにどうぞ」
取り敢えず、夕方のお客が増える時間の前に人手が来てくれて良かった。
そう思いつつ、梓は店の奥に青年達を招き入れた。
さて、拉致られた方の吉野景光、もとい諸伏景光の方は、途中で着替えと称して買い渡されたスーツ一式を着込み、茫然と警視庁前に立っていた。
てきぱきと入庁証を渡され、尚且つ逃亡予防とばかりにがっしりと襟髪を掴んだ状態――一八〇センチオーバーの景光を、一七〇センチ半ばの木場が引っ張るので、自然前のめりになっている――でずかずか歩いて行くのに、必死に合わせて歩く姿に周囲の視線が突き刺さる。
その視線に、一部驚愕やら憎悪、疑心暗鬼が混じってる事に遠い目になりつつ、景光は引っ張られるまま歩く。
木場は交通課と刑事部を回って、何やら書類を受け取っていた。
喫茶店ポアロで何度か会う警官刑事達には、それこそスーツ姿をガン見されたが、事情を知っているらしい大島――伊達航だけにはそ知らぬふりをされた。
刑事部の方の人間と話している木場を待つ間に、馴染んだ声が掛けられた。
「よ、吉野さん!? どうして本庁に?」
「あー、高木さん」
声を掛けて来た高木渉に、交通課から受け取った書類を抱えた状態で景光は眉を下げてみせた。
高木の方は、一応状況――時間制限なしで好き勝手に仕事を抱え込もうとする景光に対する、社蓄対策としての仕事の斡旋――を聞いているが、周囲への説明として質問を投げたのだ。話し合いから逃げた為に、ある種の情報弱者と化した景光は、困ったようにこう告げ、肩を落とした。
「辞めた勤め先から、人手不足だから仮雇用って形で手伝えって」
「あー……、書類仕事より実務が出来る人間が要ると言う事ですか」
「……みたいです」
高木からすると、聞いた通りと言った感じだが、本人は些か堪えているように見える。
そして、話しつつ周囲に視線を巡らせた高木は、何人か刑事課の人間ではない厳つい男達を目にした。
公安の風見祐也は、元同僚――景光は元警視庁公安所属の潜入捜査官だったと教えられた――なので、彼が疑心暗鬼を背負っているのは仕方がないのだろう。
だが、他の連中の驚愕と憎悪、恐怖と嫌悪は一体何処から来るのか。――この辺の察知力は、審神者の訓練として集中力を磨く過程の、副産物として手に入れたものだ。
その、他所の部署だろう人間で、一際大きく驚愕と憎悪を背負った男が近付いて来た。
「やれやれ、一体何処の人間だ? 何で喫茶店のバイトがこんなところで突っ立ってんだよ、邪魔くさいなあ」
男に見覚えがあるのか、一瞬だけ景光の眉が動くのを高木は見出し、そして。
「彼は内閣調査室の臨時職員ですが、それが何か?」
不意の声に、高木のみならず周囲の刑事警官全員が止まった。
まるで
「何しに来た? 仕事に決まってんだろうが、お前さんみたいに仕事時間の三分の一を煙草で潰してるような暇ねえんだよ、うちは。後、こっちが抱えてる人材に何あや付けてやがる? 月夜の晩ばかりじゃねえぞ? とっとと帰って手前の机にある筈の、雀の涙程度の仕事片付けやがれ。
じゃねえと、三日後には手前が四年前何処の何方から幾らお小遣い貰って服務規程違反したか、ネットに流すぞ?」
ドスの利いた木場の言葉に、思わず全員後ろに下がる。
「な、なにを」
「信じるも信じないもあんたの勝手。
だが、地方公務員如きが、内閣府の一部門を舐めてんじゃねえよ? こっちは国内外の対テロオシント、ヒューミント扱ってんだ、お前が小遣い貰った相手が何処の何方様か、知らないとでも思ったか?」
最後の方は、ネクタイ掴んで引き寄せた男にのみ聞こえるように言って、そのまま足払いを掛けて床に転がした。
そして、その男を更に蹴り上げようとした木場の脚を、咄嗟に景光が蹴りを入れて止めた。
バシッと、強烈な音を立てて二人の脚が絡むのを、周囲は固唾を呑んで見詰めた。
「……木場さん、仕事なんでしょう。時間が勿体無いのでは?」
すうっと、琥珀色の瞳を細め、『喫茶店の気の良い兄ちゃん』の顔を脱ぎ捨てた景光がそう問えば、木場恭介もあっさりと足を引っ込めた。
「そうですね、粗大ゴミ相手に大人気ありませんでした」
さらりと公務員である男を『
「会議室を二時間押さえています。とっとと内容を詰めて資料を戻します、良いですね、吉野君」
「はい」
そうして、何事も無かったように歩いて行く二人を見詰めていた刑事達は、思わず知らず詰めていた息を吐き、それぞれ自分の持ち場へと戻る。
へたり込んだ男はと言うと、恐らく公安部の人間だろうガタイの良い面子数人に引き摺られて行った。
すぐ傍で一切合切を見る羽目になった高木はと言えば、目の前で繰り広げられた武道上級者同士の殺気の飛ばし合いに、何とかへたり込ますに立っているのがやっとで、二人の背中が見えなくなっても未だ動く事が出来なかった。
そう、威嚇ではあったが絡んで来た男に明確な殺気を飛ばした木場の一撃を、止める為に同じだけ殺気を込めて景光は蹴りを放っていたのだ。
そうして動けない高木の横へ、そっと大島航が寄って行く。
「凄い騒ぎでしたね」(無事か?)
「ああ、大島君。うん、凄かったよ。吉野さんがあんなだったなんて知らなかったし」(怖かったです)
「あいつ、元刑事志望だったけど、色々あって内調絡みの仕事やってる会社に入る事になっちまったんですよ。会社でも結構有能な人材に数えられてたらしくて、あいつ内調の下請けみたいになってたらしくて」(席に戻って、書類作る振りして休め)
口で話しつつ、視線とハンドサインで軽く会話して、高木渉は何とか捜査一課に戻って行った。
その視界の端で、大急ぎで何処かに電話を掛けているらしい、『公安の風見さん』の姿があったが。
大半は枯れてるので、スコッチの身体を撫で回し反応を楽しむ事が大半だったが、ごく稀に彼に薬物を飲ませ、配下の人間に犯させようとする外道がいた。
その日も、戻ってくるなりシャワールームに閉じ籠り、必死に身体を洗いつつ、水を飲んでは吐くと言う、苦行を行っていた。
「スコッチ、入りますよ」
声を掛けるが返答がなく、昏倒している事を恐れて扉を開くと、水に打たれつつ床に座り込み、己自身を握って半ば放心状態の彼がいた。
シャワールームに、吐瀉物と精液の独特な臭いが漂っている。
水を止め、未だ宙を見ている彼の前に屈み込み、僕はもう一度声を掛ける。
「スコッチ?」
「ばあ、ぼん」
やっと僕の事を認識して、彼は必死に立ち上がろうとする。『
「わりぃ、はは、チョーッと、今回は趣味の悪いじいさんで、うん、でも仕事やり易かっただろ、うん、じいさんの意向で何か見世物になったし、それに」
ヒロ、僕のヒロ。
冷え切った身体を抱き止め、その耳元に囁き掛ける。
「大丈夫、今ライはいない、無理をするな、景光」
「……あ」
本名を呼ばれて、緊張の糸が切れて崩れ落ちた彼を受け止める。
おざなりに付いている小さなバスタブに温めのお湯を張り、そこに彼を座らせる。
浅いので、大した量は貯められないが、横長いので身体を浸すことは出来る。
最近陽の光を浴びる事が格段に減って、肌の白さに拍車が掛かっている。その上で薬物の所為で不自然に赤くなった唇に、俺は自分の口を押し当てた。
こんなに自分をすり減らしながら、国の為、仲間の為、――俺の為に戦っていたヒロを、安全な場所に居る奴等が馬鹿にして、見下して、挙げ句に『組織』に売り飛ばすなんて、
――あの頃の俺は考えた事もなかったんだ。
夜明け前に目が覚めた。
『組織』の仕事――ベルモットの護衛と言う名のお付きをやっていた所為で、昨日一日確認出来なかった公安の方のスマホに、風見からのメールが幾つか来ていた。
その中に、吉野くんが内閣調査室の人間に連れられ警視庁に来ていた事、その際、前回の調査で取り零していた
そして、『葛葉保障』が内調の所謂下請けを行っている事を報告してきていた。
「やっぱり、ヒロなんだろう? 吉野くん」
そう呟き、降谷零は己自身を抱き締めていた。