呼び出された先で、ウォッカとノーネームの構成員達に銃を向けられ、降谷零こと『バーボン』は軽く片眉を上げて見せた。
「何です、これは」
「やっと尻尾を出しやがったな、バーボン。この裏切り者が」
奥でふんぞり返る長い銀髪の幹部の言葉に、他のネームド達もこちらへと胡乱な目を向ける。
幹部達の反応に、ついに来たかと『バーボン』の仮面の下で舌打ちする。
「いきなりですね。僕が何をしたと?」
「誤魔化すんじゃないよ、あんたスコッチの奴を匿ってやがるじゃないのさ!」
喚いたのはキャンティで、他の面子も頷くのを見て肩を竦める。
「もしかして、僕が潜り込んでいる喫茶店の店員の吉野景光の事ですか? あれはスコッチではありませんよ? 刑事でもないし、こちらに関わるような人間でもない」
「惚けんな‼」
「こっちはネタ挙がってんだよ!」
一番威勢よく叫んだ、三十絡みらしい下っ端だろう女構成員が、ここぞとばかりに写真の束を
そこには、嘗てのようにアサルトライフルを構える景光の姿が写っており、何ヵ所かで発砲したらしい姿が――中には連続写真も――含まれていた。
私服らしいセーターとジーンズだったり、スーツ姿だったりと、色んな姿だが鋭い視線でライフルを構える姿を真ん中に捕らえた三〇枚ほどの写真をしげしげと見詰め、そして心の底から馬鹿だろうと言う表情を浮かべて『バーボン』は幹部達を見回した。
「良くもまあ、こんな加工写真で人を裏切り者呼ばわりしてくれますねえ?」
「え?」
「加工写真だと?」
いきり立つ者と戸惑う者に別れるなか、『バーボン』は写真の束を振って見せつつ鼻を鳴らした。
「不自然だと思わなかったんですか? スコッチらしい人間ははっきり写ってるのに、背景に写っている建造物や車は歪んでいたり、彼以外の部分は白飛びしてたり。
こんな不自然極まりない写真、いじったとしか思えませんよ」
「バカなこと言わないで‼
これはアタシが、一眼レフで撮ってそのまま焼いたんだ、何もいじれる訳ないじゃん!」
喚く女に、「では、」と、『バーボン』は命じた。
「そのネガとやらを見せて貰っても?」
「……そうね。言われてみれば、こんな心霊写真真っ青な代物で、三年前に死んだノックが生きてると叫ばれても」
キールが同意を示すと、最初は写っている人物にいきり立っていた連中も写真そのものの異様さが目に入ったようで、先程の勢いが嘘のように静かになった。
ジンは鼻を鳴らしただけだが、ウォッカの方は写真の確かに無駄に歪んで写る背景やオーブのような光の粒、露出過多では済まない光の入り方をしている写真にやっとおかしいと思ったようだ。
銃を向けていた下っ端達も、異変を感じて銃を下げてしまった。
微妙に引いている幹部達に、改めて肩を竦める『バーボン』に向かって、別室に置いていただろうネガの束を持って女が戻って来た。
「ほら! これがネガよ!」
「はいはい」
自信満々に差し出すネガの一枚を取り出し、明かりに透かした『バーボン』は薄く笑ってキールに手にしていたネガを渡した。
「ねえ、キール? 僕はこの真っ白に露光してしまったネガで、何が取れたのか彼女にとことん問い質したいと思うんですが、どうでしょう?
こんなもので幹部を陥れようなんて、良い度胸しているでしょう?」
「!? これは……」
キールが唸る横で、同じようにネガを見た他の幹部《ネームド》達も眉を潜めた。
女の方は、幹部達の反応に慌ててネガを確かめ、絵が飛んでしまっているフィルムに真っ青になった。
「そ、そんな、ジン、アタシは本当にスコッチを見たんだよ! それも一回や二回じゃない!
一昨日なんざあいつ、自分に突っ込んでくる真っ赤な車に向かって対戦車ライフルぶっ放してたんだ、本当だよ!」
「だったらお前が証明すれば良い」
必死に訴える下っ端に向かって、この場での最高幹部はニヤリと笑って言い放つ。
冷ややかな視線を向ける幹部達に気付かない様子の女は、必死な顔で銀髪の幹部を見た。
「スコッチを狩ってこい、ニコラ。
死んだ筈の亡霊の正体を暴いて、その死体を持って来い。そうすればお前は名前持ちだ」
「っはい‼」
野に放たれた猟犬宜しく、一目散に走っていく女の背中に一瞥もくれる事なく、ジンは『バーボン』に向かってにたりと笑った。
「少し猶予が出来たな、バーボン?」
「可哀想なことをしますね、ジン」
それに対して、ほとほと付き合いきれないとばかりに
「何だと?」
「もしも、万分の一の確率として吉野景光が真実『スコッチ』だったら、彼女如きじゃ太刀打ち出来ませんよ? 腐ってもネーム持ちだったんですよ、彼。
そして、ねえジン、貴方『葛の葉』って知ってますか?」
「……何だ?」
ジンとウォッカ、キールを始めとした外国籍持ちの幹部はピンと来ない様子だったが、純日本人である幹部の何人かに動揺が走った。
そんな幹部達を横目に見ながら、『バーボン』は言葉を紡ぐ。
「日本の政財界のお歴々が贔屓にしている、古くから続いている警備保障組織でしてね。日本警察も、関わるのに上にお伺いを立てなきゃならないような特殊組織らしいですよ。
吉野景光はそこの職員なんですよ、退職しても再就職を望まれるくらい凄腕の、ね。だから」
その場から出ていく寸前、『バーボン』は嘲笑と憐れみを綯い交ぜにしてこう言い放った。
「結局、彼女にどうこう出来るレベルの相手ではありませんから、彼女が可哀想ですよ」
数日後、手足に銃痕を作り、身体の五分の一を焼く火傷を負って錯乱状態で逃げてきた女構成員の姿があった。
「怪物、人間の振りした蜥蜴のお化けが」
そう叫び、汗と涙と唾と鼻水でグシャグシャの状態で女はウォッカに取り縋り、奇声を上げて震えていた。その姿に、バーボンに噛付いた女の強情さはなかった。
ジンはその女の頭を、気味の悪いものを観る目で吹き飛ばした。
『ポアロ』に、その客がやって来たのは、十二月に入って程なくだった。
週末の昼下がりの事だ。カランと、大きくドアベルが鳴ったと思うと、ヘルメットを脱ぎつつ一人のライダース姿の男が入って来た。
「いらっしゃいませ」
「寒かったー、梓ちゃーん、コーヒー」
そう言いつつ、江戸川コナンの座ったカウンター席から三つ横に座った若い男は、皮のライダースの襟元からカラフルな柄の、アロハらしい襟が見えていた。
ヘルメットを空いた椅子に乗せた――ゲームキャラクターらしいシールが貼られていた――その男性は、吊り目を細めて笑うところが少し吉野景光に似ているとコナンは思った。
「そういや、トールちゃん今日来る?」
「あら、安室さんなら今日は出勤してますよ? 今は買い出しに行ってくれていて」
(トールちゃん!?)
思わずコーヒーを吹きそうになったコナンの向こう側で、カランとドアベルが鳴って安室透が帰って来た。
「梓さん、買い出ししてきましたって、九条君」
「やっほートール君、こないだ貸して貰った冠婚葬祭のマナーブック、助かったよー。急な話だったからほんと困っちゃって」
「これを機会に、一冊買っておけばいいでしょうに」
「なはは、部屋でロストする確率高いからダメ―。それに、当分お見合いはお断りするからいいわー」
手をひらひらさせてへらへら笑う男に、安室は大仰に嘆息してみせる。
安室のその様子に、俄然興味を持ったコナンは、横に座る男に――組織の関係者である可能性も込めて――興味を持った。
「お兄さん、安室さんの知り合いなの?」
「うん? 坊主誰?」
きょとんと、真正面から聞き返され、コナンは思わず目を丸く見開いた。
「え? あの」
「ごめんな、今俺友達と話してるから、後からな?」
へらへらと手を振り、男は何事も無かったように安室に向き直る。
一瞬ムッとしつつ、こっそりヘルメットに盗聴器を張り付けながら、コナンは二人の会話に耳を傾ける。
「そういや、もう一人のバイトさん、今日は来ないの?」
「吉野君は、今日は午前のシフトだったんだ」
「あら残念。大学の先輩に似てるらしいから、会うの楽しみだったんだけど」
「そうかい?」
「そうだよ、みっちゃん先輩に似てるって、皆から聞いたからさ、トールちゃんに会いに行ったら会えるかと思ったのに、これで三連続空振りだよー? 俺割と引き良い筈なのに」
「みっちゃん先輩って誰?」
話題に食い込もうとしたコナンの額を、ピシッと、青年は指で弾いた。
「坊主、普段からそんな行儀の悪い事してんのか?
プライバシーの侵害って知ってる? 何処の誰とも知らない人間の話に無神経に踏み込んでて、そいつが悪ーい人だった場合」
コナンの眉間に、銃の形に握った右手の、人差し指を押し当て悪い顔で笑う。
「ズドンって事もあるんだけど、判ってる? お兄さん、そんな事になった人間いーっぱい知ってるからね」
「っ!」
(こいつやっぱり!)
警戒心Maxになったコナンの様子に、嘆息交じりに安室が九条と呼んだ青年の頭を小突いた。
「九条君、子供相手に意地悪言っちゃ駄目ですよ。
コナン君、彼は監察医をやってるんですよ」
「え? 監察医!?」
驚くコナンに、これは悪戯成功とばかりに笑って、男はライダースの胸ポケットから出した名刺を差し出した。
「監察医務院所属の九条貴利矢と言います。
ま、まだまだ駆け出しなんだけどね。トール君とは、学生時代に図書館で探してた本が被ったのが縁だよー。
で、君、毛利探偵事務所で居候やってる坊主だろ? お噂はかねがね。
でも坊主、俺が言ったの嘘じゃねえよ? 実際に、全くの無関係なのにうっかり事件現場に居合わせた所為で殺された、何て被害者一杯いるんだからな?
俺はそう言うホトケさんに、何度も会うの。坊主は五、六回死んでも懲りそうにないから、何時か解剖室で会いそうでやだなあ」
真面目に名乗り、ふざけた口調で安室との馴れ初めを語った九条と言う男は、最後にこれは些か怒った口調で言った。
むうっと、頬を膨らませつつ、だが
監察医と言う身分が本当なら、この男は探偵としての安室透の友人と言うより公安の降谷零の友人である方が確率が高いかもしれない。
コナンが考え込んでいる内に、コーヒーを飲み終えた九条と言う男は、代金を支払いヘルメットを持って店を出ようとした。
「九条のお兄さん、もう帰っちゃうの?
僕、安室さんの昔の話、聞きたいなあ!」
「え? やだよ」
「え?」
「本人居るんだから、本人に聞けば良いじゃん。
それにな、坊主。
職務上、こう言う犯罪行為する人間に話す事ありませんのよ。俺、君にどんな風に思われてるか知らないけど、民間人に盗聴される覚えねーわ」
そう言うと、九条はヘルメットに付けられた盗聴器をピッと剥がし、コナンに投げ返した。
その盗聴器を受け止め、困ったような笑みを浮かべ安室が頭を下げる。
「すまないね、好奇心の強すぎる子でね」
「今回は、トールちゃんの顔立てるけどさ、次やられたら親御さんに捩じ込むよ、俺。じゃあごちそーさま」
ひらりと手を振り、九条は店を出てオンロード仕様のバイクで走って行った。
これまで一度もなかった塩対応に、言葉もないコナンを横目に、安室透こと降谷零はそっとバックヤードへと入った。
九条貴利矢からの『符丁』は三つ。
一つは『マナーブック』。情報が詰まっていると言う事で、フリーメールボックス。
次に『ロスト』。失うと言う事で、『安室透宛の失せ物探しの依頼メール』を開く。
最後は『見合い』。これは単純な
HTML形式のメールをテキストで開けば、そこに数字がざらっと並んでいる。
その数字をパッドPCに入れているデコーダーに掛けて、やっと目的のデータが置かれているアドレスに繋ぐ事が出来た。
ここまでやっているのは、勿論データ盗難を避ける為で、大学時代に降谷零《じぶん》と諸伏景光《ヒロ》と、九条の三人で考えた方法である。
『もしもーし。確認取れました?』
「ああ。悪かったな、お前も忙しい上に、畑違いなのに」
『いやあ、東都に米花町がある以上は諦めろって、先輩から言われてますからねえ』
「警察官としては、
『そりゃそうっすね、最近また見つかったそうっすもんね、ダニ。それにしても、調べてて俺もびっくりしましたよ。大学病院に勤めてる知り合いにも見て貰いましたけど、この適合率で別人だったら遺伝子検査何て意味ないって』
「そうだな」
電話の向こうで、幼馴染みより鋭い、一重の吊り目を細めているだろう後輩を思い浮かべ降谷零は頷いた。
『遺伝子鑑定の観点において、吉野景光は諸伏景光と同一人物で間違いありません。
書類その他は俺の方でもバックアップ作ってます。必要になったら声掛けて下さい』
「ああ。頼む」
十二月の中旬、諸伏高明は長野県警から一路東都へ向かっていた。
警視庁へ、殉職刑事の遺品に紛れていたと言う自分宛の荷物を受け取りに行ったのだ。
一度目は、向こうの都合で空振りになったが、二度目は無事受け取れた。
途中、怪盗キッドの騒ぎに巻き込まれたが、彼にはそれは特に問題無かった。
……まあ、若さが眩しい話もあったし、又白眉の少年とも会えた。
ただ、その晩。
枕元に弟の遺品を置いて眠った高明は、只の夢とは思えない夢を見た。
何処かの屋上の暗闇の中、自らの胸に拳銃を突き付けている
胸ポケットには、受け取ったものと同じだろうスマートフォン。それ諸とも死のうとしていると悟り、駆け寄ろうとして……透明な壁に遮られた。
そして、銃声が響き、スマートフォンは床に落ちた。
目を見開くしかない己の目の前で、弟は更に惨い姿を晒していた。
何時の間にか屋上から、何処か寒々しい日本家屋の中に移動しており、弟は何時の間にか白い着物になり、手足を戒められ立ち上がる事もままならない姿で二〇本以上の日本刀に前後から刺し貫かれ、全身から血を溢れさせているのだ。
涙を流す弟の口が微かに動き、掠れた声が聴こえた。
「ゼ、ロ……にぃ、さ」
堪らず、透明な壁を殴り、高明は弟の名前を叫んでいた。
理性では、夢である事も無駄なのも判っていた。
それでも叫ばずに、そして願わずにいられなかったのだ。
「父さん、母さん、ご先祖様、誰でもいい、弟を助けて下さい」と。
弟の流した血で出来上がった血の海に、波紋が浮いたのは何度そう唱えた後だったか。
波紋が大きくなり、その中心に現れたものに息が詰まるかと思った。
九つ首に一つ尾の龍の背に、顔を隠した何者かが立っていた。
狩衣に描かれていた九つ首の龍神の姿は、戸隠神社で最も古くから祀られている、戸隠山の地主神。
そして、弟が七つを過ぎるまで近付けてはいけないと言われた神様。
透明な壁のこちら側で、諸伏高明は息を呑む。
血の海から現れた九頭龍は、弟を一飲みにした。
あっと思った自分の目の前で、九頭龍は姿を変える。
九つの首一つ一つが、弟の身体に突き立っていただろう日本刀を咥え、そして九つの首が繋がっているだろう辺りに立っていた青年の姿は、目を閉じた弟に代わっていた。
判ってしまった。
弟は、龍神に成り代わってしまったのだと。
暫くして目覚めた弟は、己の身に起きた事を正しく理解したのだろう。
両手で顔を覆い、低い笑い声と、嗚咽が漏れた。
「は……はは、俺、化け物になっちまった。
ゼロ、兄さん、俺、俺は……」
暫くすると、異形である事を示す竜体は消えたが、それでも蹲った弟が顔を上げる事はなかった。
やがて、総ては炎に包まれ、その向こう側に弟の姿が消えた。
そして自分も又、壁のこちら側で何も出来ずに立ち尽くすしかなかったのだ。
翌朝、長野に帰る前に、諸伏高明はある事を毛利小五郎探偵に依頼すべく、彼の事務所に向かった。
それは、弟の遺品を送って寄越しただろう、弟の親友である『ゼロ』君を探して貰う為だった。
正直、見付からない事は覚悟していた。
弟からの手紙や電話で、彼がとても優秀である事は判っている。ならば、弟と同じかより権限の強い部署に配属された事は、想像に固くなかった。
何より、潜入捜査官である弟の遺品を回収出来たと言う事は、彼も又潜入捜査官として同じ組織に潜っていると思って良い筈だ。
遠い昔、長距離移動と事件に巻き込まれた結果対人恐怖症を患った為に調子を崩した弟の手を握り、自分の元まで送ってくれた明るく淡い色合いの髪と、日に焼けた肌の少年を思い浮かべ、そして大学生時代にあった中学生になった弟と一緒に笑っていた彼を思った。
無駄と思いつつ、それでも高明は、――彼に礼を言いたかったのだ。
だが、『事実は小説より奇なり』とは言え、まさか毛利探偵事務所で探して貰う筈の本人と正面衝突しそうになるとは、流石の諸伏高明も思わなかった。
尤も、彼は『安室透』と名乗り、毛利探偵に弟子入りしている私立探偵だと名乗った。
どうやら、任務の関連だろうと当りを付けて、高明は初対面として頭を下げた。
取り敢えず、毛利探偵に予定通り『降谷零』と言う人間を探してくれるよう依頼した。
毛利氏に対しては、数年前から行方不明になった『弟』の、消息を知っているらしい人間なのだと伝えた。……諸伏高明は、嘘は言っていない。
「コウメイ警部、その人って?」
「弟の友達でしてね。どうも、弟と一緒の時期に仕事を辞めたようで、彼も消息が判らないんですよ。
彼が見付かれば、弟の事ももっと情報が入るんじゃないかと思いましてね」
白眉の少年に高明がそう答えると、奥にある給湯室で彼が気配を固くするのが知れた。
だが、その時に毛利探偵のご息女がこんな事を言い出した。
「コウメイ警部って、吉野さんによく似てますね」
「吉野さん?」
高明が聞き返すと、毛利蘭はにこやかに頷いた。
「この下の、『ポアロ』って言う喫茶店で働いてる人で、
ねえ、安室さん、吉野さんと警部さん、そっくりですよね?」
「え!? あ、そう、ですね」
『安室透』は、何かを言い淀むように語尾を濁した。
だが、何時の間にか下の喫茶店に行く事になり、少年とご息女、そして高明と『安室』の四人で、階下の喫茶店へと向かう事になってしまい、そのまま降りて行く事になった。
そして。
店舗前を掃き掃除の為に出て来た青年を見て、諸伏高明は言葉を失う。
青年の方も、手にしていた箒と塵取りを落とした。
最後に見た写真と変わらない面差しの、だが、あからさまに大病をしたのが判る体付きの青年に高明は言葉もなく。
目を見開き、ぱしぱしと忙しなく瞬き、でもきゅっと瞳孔が小さくなるのは、後ろめたい事があった時に自分を前にした時の、幼い頃からの
「……っ!」
「! 待ちなさい、
猫が逃げるように、駆け出した青年を高明は追った。
驚く少年と少女を置き去りにして、とにかく走ることにした。
三〇分は走っただろうか。表通りから逸れた袋小路の突き当たりで、諸伏高明は青年を捕まえた。
否、座り込み己を抱き締めているのを見出だした。
「景光」
乱れる息を何とか整え、高明は踞る青年に声を掛けた。
びくりと反応した背中に、もう一度声を掛ける。
「顔を見せてくれないか、景光」
「……俺は、貴方の弟ではありません。俺はそんな名前じゃない」
引きつれた声と共に、肩越しに見えた目は琥珀色で、表情の抜け落ちたような顔は、確かに高明には覚えの無いものだった。
だが、もう一人の声に、その仮面にも見えた表情は容易く砕けた。
「じゃあ、
「バア、ボン?」
事務所で会った時の、穏やかさと人好きのする空気と表情をかなぐり捨てた『安室透』は、毒蛇の如き気迫と表情で青年《おとうと》に問い掛けた。
「答えなさい、スコッチ。
『葛の葉』は、お前を利用して何をするつもりです。
お前と、殉職した筈の警官三人を利用して、『葛の葉』は何を企んでいる!」
肩越しにこちらを見ていた視線を戻し、弟は踞ったまま笑い出した。
それは、昨夜の夢の中で聞いた、嗚咽混じりの低い声だった。
「違いますよ、降谷零さん。前提が間違っている。
『葛の葉』が、俺を利用している訳じゃない。
俺が『葛の葉』を、利用しているんですよ」
「どう言う意味です、スコッチ」
答えは、全く別のところから来た。
「彼は、人間じゃあ無いんですよ。二百年後の戦争の為に誘拐されて、二度殺されて人間じゃないものにされて、挙げ句に鎮護国家の為と称してこの世界に送り込まされたんですよ、貴殿方を人質にね!」
「え?」
「何!」
三人が振り返った先に、一人の男が居た。
二十代半ばとおぼしい、スーツ姿のその男は、へらへらと笑いつつ言葉を連ねる。
「彼のあの顔は、とある化け物の器にされた『諸伏景光』と言う人間のものなんですよ。
記憶も人格も、『時の政府』が扱うのに都合の良いって理由で、化物を縛ってコントロールし易くするために利用してるんです」
へらへらと喋り続ける男に、暫く凍り付いていた
「……貴様、時空管理局管理課の人間だった筈。
何時、歴史修正主義者に寝返ったのか」
「えー、違いますよ。私は元々歴史修正主義者ですう。
今日来たのはもちろん、そこのお二人を勧誘する為ですよ?」
そう言って、男はへらへらと言う笑顔を『にたり』と歪めた。
思わず身構えた高明と
「お二方、『諸伏景光』を助けたくはありませんか?
ここにいるまがい物ではなく、正真正銘、赤井秀一の目の前で自殺した潜入捜査官の方ですよ?」
『まがい物』と言われ、高明の視界の端で
それに向かって、気を良くしたらしい男は言葉を続ける。
「我々としても都合が良いんですよ、化け物が人間に介入しなくなりますから戦況が落ち着きますからねえ。
どうです? そんなあなた達を騙している化け物じゃなくて、貴方達を守るために健気に死んだ『諸伏景光』を」
「一つ、お伺いさせて頂きましょう。私と彼を勧誘して、貴方方は何をしようと言うのです?」
高明の問いに、男は笑顔を崩さないままこう言った。
「何、他の同志は貴方方を『組織』に寝返らせたり、貴方方に警察関係者を殺害させたりとか、色々無茶考えてますがねえ。
私は、貴方方に『諸伏』君を連れて退場して貰うだけで充分だと思いますからね。
三年前に『バーボン』がいなくなれば、一緒に『ゼロ』の降谷零も消える。『所轄のコウメイ』が消えれば、長野の事件も幾つか停滞するでしょう。
そして何より、『諸伏景光』を媒介にして九つ首の化け物が顕現する事が無くなる、日本中に大結界を巡らし、歴史遡行軍の活動を阻害するなんていう化け物をこの世に生み出す事が無くなる。
我々にとっては、これこそ一番の懸念事項だ」
「結界だって?」
今まで黙って、男の長広舌を聞いていた安室透《ふるやれい》が聞き返す。
男は、忌々しいと舌打ちしつつ言葉を続ける。
「ええ、二二〇〇年代の政府は、自分達の身の安全の為に二〇〇〇年代から自分達の時代までの二〇〇年間を護る為に、化け物に命じて霊的結界を作ろうとしてるんですよ。歴史遡行軍が自分達の前に現れないよう、安全地帯を造る為にね。
いやはや、死んだ人間を時間を越えて掻っ攫って、生き返らせた挙句に自分達の愚策の穴埋めに使った挙句に生まれた化け物を、今度は自分達の安全確保の為だけに使うんですよ。
可哀そうなのは、殉職したからと連れて来られた三人ですよねえ「黙れ!」っと、おやおや、まだ人間の振りをするんだ」
振り返り、琥珀色と灰青色の瞳を吊り上げる青年に、男は殊更揶揄るように言った。
「本当の事でしょうが?
『諸伏景光』を喰い散らして九つ首の化け物が現れなきゃ、萩原研二も松田陣平も事件に誘導される形で殺されて、二百年後の世界に誘拐されたりしなかった、伊達航に至っては、死んでなかったのに誘拐されて死んだ事にされたんですよ?
お前の所為だよ、化け物。お前が純粋に化け物としてそこに居れば、『諸伏景光』の記憶と人格なんて持ってなければ、あの三人はわざわざ殺されなかった、今だって生きてたんだ。お前さんを押さえ込む態の良い軛として、あの三人は連れてかれたんだから。
『諸伏景光』の顔をした九つ首の化け物、降谷零の同期を殺したのはお前だよ」
男の言葉に、青年は左胸の辺りを掴んで項垂れた。肩が、小さく震えるのが見える。
そこは、高明が夢の中で見た、弟が自らを撃ち抜いた場所で。
「……黙って聞いていれば、随分な事を言いますね、貴方。どうして彼が、諸伏景光本人では無いと仰るんです?」
スニーカー故に足音はほとんどしなかったが、何時の間にか高明の横をすり抜けた安室透《ふるやれい》は、俯いていた吉野景光の後頭部を捕らえた。
そして、そのまま抱き寄せ自身の肩口に顔を埋めさせると、先程の毒蛇もかくやの笑顔で男を見た。
「第一、貴方言ってる事に矛盾があるんですよ。
吉野君、否
彼が本当に化け物で、『諸伏景光』の振りをしているだけだと言うなら、貴方はどうして怪物《かれ》が何時までも大人しく、人間の言う事を聞いていると言う事に不自然さを感じないんですか?
だとすれば、貴方は随分とまあ、日本の
「な、」
『日本の神様と言う存在は、確かにご利益も齎してくれるが、同時に荒れ狂い大いなる災害も齎す存在ですよ? 古事記や日本書紀をご存じない?」
思いっ切り話にならないと肩を竦める降谷の横で、諸伏高明も一歩前に出る。
「それから、先程から気になっていたのですが、貴方の仰る九つ首の化け物とは、まさか戸隠山の九頭龍大神の事ではありませんよね?」
高明の言葉に、男がギクッと言う顔を一瞬だけ浮かべた。
高明にはそれで十分だった。
「何を修正するのか、何が目的で私達に関わろうとしたのか、そんな事はもうどうでもいい。
ただ、曲がりなりにも親族に戸隠山の神職がいる人間として、貴方の物言いは実に不愉快だったし、五年振りに会った弟を、知らない人間から延々と扱き下ろされて耐えられるほど、私も人間が出来ておりません。
全く、『怒りて容を変えず、喜びて節を失わず』とはいきませんね」
そう言うと、諸伏高明は降谷が譲るのを幸いと、かれこれ一〇年振りに自分と変わらぬ背丈になった弟を抱き締めこう言った。
「例え、彼自身が否定しようと、彼は私の唯一人の弟です。
何処の何方とも知れない人間の言葉よりも、私は自分の勘を信じますよ」
「僕もですよ。こいつとは一五年以上の付き合いですよ? むしろ、化け物を乗っ取って還ってきたと思ってますが何か?」
つり上がった瞳を細めた諸伏高明と、にっこりと傍目には笑った顔で、その実怒り狂った降谷零《バーボン》とに睨まれ、歴史修正主義者の男はへらへら笑いをかなぐり捨て喚いた。
「っチィ、化け物の身内は結局化け物かよ! こうなったら」
「何するつもりか、お聞きしても構いませんかねえ?」
「お前ら自身、『穢刀剣』て言うモノホンの化け物使役してる癖に、よくもまあモノホンの神様ディスれるもんだ」
「結局あれらを、道具としか見なしていないし、あれらも道具としての意識が強いから、こいつらの扱いに不満がないからだろう。
そう言う意味では、火力を求めて刀剣達に変に神格を持たせた結果、祟りや神隠しを横行させた政府よりましだと思うがな」
最初の声は、三人の背後の頭上から、残り二つの声は、男の更に後ろから。
スーツ姿の小松研二、桜田陣平、大島渉の三人が、それぞれ人の悪い笑顔を浮かべてそこにいた。
袋小路を作る壁の上から、ひらりと飛び降りた小松が諸伏兄弟を背に庇い、桜田と大島も何時でも対応出来るよう身構える。
その様子に、自棄になった男は呪符を引き出した。文言で起動するそれを使おうとする前に。
「『切り捨て』ろ、愛染国俊!」
「おう!」
ぱっと、小松が投げた短刀が桜吹雪と共に赤毛の少年の姿に代わり、大振りな禍々しい紙切れを切り捨てた。
同じく、大島と桜田の投げた日本刀が桜吹雪と共に青年の姿を取り、男を地面へとねじ伏せた。
「があ!!」
「大人しくしろ」
「はいはい、大人しく確保されてよねー」
鉢巻もりりしい青年と、黒髪に赤い瞳、赤い甲冑を着込んだ青年が押さえ込んだ男に、大島が手錠を掛ける。
「畜生! いい気になりやがって!」
「うっせえなあ、あの札使ったら、最初に死ぬのお前さんだぜ?」
喚く歴史修正主義者に、桜田が至極面倒くさそうに言い放つ。
「え?」
「ああ、やっぱり判ってなかったか。お前さんが使おうとした召喚札は、穢刀剣の一軍を呼び出す代価に、お前さんの命を消費する事になってたんだ。
色々政府を扱き下ろしていたようだが、お前の上司もどっこいだろう? 口封じを兼ねてるんだからよ」
「そう言う符を作るあたり、ろくでもないよね、流石テロリスト」
肩を竦め合う爆処コンビを横目に、「信じない!」っと、喚き散らす男を、刀剣から姿を現した青年が引き据える。おかしな行動をさせないよう、短刀を首筋に押し付け、赤毛の少年が威嚇する。
「じゃあ、俺が先に行って『百舌鳥』殿に引き渡しておくよ」
「頼むよ、伊達」
へらっと笑ってそう言った小松の後頭部を、反射的に桜田が張り倒す。
驚く諸伏高明と降谷零の目の前で、大島と青年達と男の足元に魔法陣が現れそのまま人影諸共消えた。
「おい、小松!」
「いいじゃん、ちょっと手順吹っ飛んだけど、どうせだから答え合わせしちゃおうよって、痛い!」
「あつっ!」
小松研二は右目を、桜田陣平は右手を押さえて呻く。そして同時に、二人の外見が変わる。
小松は、少しだけ髪が伸び、桜田は少しだけ丸みを帯びていた顔立ちが精悍になり、二人揃ってほっそりとしていた体格が少しずつ厚みを増やし、手足が伸びた。
目を見開き二人を凝視していた降谷は、己の横からの「うわ!?」と言う声に振り返って。更に目を見開いた。
諸伏高明の腕の中にいた吉野景光の姿が消えて、成人男性物のパーカーを纏った、何やら小さなものに代わっていて、高明はそれを落とすまいと慌てていた。
ずらしたフードの下から現れた幼子の顔に、高明も降谷も言葉を失った。
「ひ、ろ?」
「ひろみつ?」
「だあ、また霊力枯渇起こして、こいつは!」
「今日『タンク』やってんの大島じゃねえか、結局帰るしかねえな」
眠りこける子供の姿に、声を押さえて唸る『小松』と、大きく溜息を吐く『桜木』を高明は見詰める。
「貴方方は、一体。そしてこの子は」
「その辺の説明も致しますので、ご同行頂けますか、諸伏高明警部、降谷零警視」
『小松』の言葉に、立ち尽くす二人にやけくそ交じりに『桜田』が名乗る。
「状況説明と、協力要請の為ご同行願います。
俺は『桜田陣平』こと江戸彼岸、本名松田陣平」
「俺は『小松研二』こと小松乙女、本名萩原研二。代紋本丸へようこそ」
二人の言葉に応えるように、彼らの足元にも魔法陣が現れた。