冬休みが終わって、あっと言う間に一月が終わった。
そんなある日、工藤新一こと江戸川コナンは、何時も通り小学校から戻って来て、居候先である『毛利探偵事務所』の一階にある喫茶店に入って、その瞬間に帰ろうとした。
だが、それは救いを求めるような声に阻止された。
「あ、いらっしゃい、コナン君、今日は半熟ケーキなんだけど、食べて行かないか?」
そう言って、必死にコナンを引き留めに掛かっているのは、ここのバイトである吉野景光だ。
普段は、小春日和の窓際で転寝している猫のような風情の彼が、ここまで焦ってコナンを引き留めている理由。
それは、カウンター越しにハブとマングース宜しく睨み合っている、安室透と沖矢昴がいる為である。
いや、以前から安室が沖矢の事を嫌っているのは、コナンも良く良く知っているのだが――まあ、中身は元ネームドでノックばれして逃亡したFBI赤井秀一で、以前から安室ことバーボンこと降谷零は、赤井の事を親の仇の如く嫌っている。
だが、ここ最近、以前にもまして二人が険悪になったと、コナンも感じてはいた。
少年探偵団から聞いた話によると、自分と毛利親子が関西に行っている間にとあるイベントで鉢合わせて以来、沖矢の方が安室に当たりが強くなったらしいのだ。
何だか、吉野さんの知り合いだと言う女の人の事で物凄くぎすぎすしたらしいのだが、この話をした時灰原が、チベスナ顔で「あの人の事は気にしなくて良いわよ」と言ったのが却って気になったが。
で、その話を聞いて、改めて二人を観察してみてコナンは気が付いた。
二人が睨み合う時、必ずその間に吉野景光がいる事に。
以前は、沖矢と話す吉野を安室が引き剥がし、そのまま噛み付く彼を沖矢がいなしていた。
だが、ここのところ、吉野に沖矢が話し掛け、それを安室が遮るのに向かって沖矢が嫌味を投げて、それに安室がブチ切れるのを吉野が宥め、それを更に沖矢がツッコミと、何か無限ループ染みた状態になっている。
流石に、榎本梓やマスターがいると沖矢も自重するようなのだが、二人だけの日の、客足の途絶える時間帯を狙って来る――因みにシフトに関しては、梓や少年探偵団に聞き出しているようだ。
そして、実はこの事態の切っ掛けを造った自覚が、コナン――工藤新一には、ある。
毛利親子と共に関西に行く前に、たまたま情報交換で沖矢――赤井と話した際に、ぽろっと吉野景光が全生活史健忘、所謂記憶喪失者であると話したのだ。……そして、安室が『幼馴染み』と言っていた事も。
今日は、吉野が淹れたコーヒーを誉めたついでに工藤邸に彼を誘った沖矢に、安室が横から否を突き付け、睨み合いになったらしい。
「今日は、この後出掛ける予定があるから、お断りしたんだけど、二人ともこっちの話を聞いてくれなくて」
「用事って、どこに行くの、吉野さん」
出して貰ったコーヒーに手を伸ばしつつ、コナンは聞き返す。
うっすらと苦笑し、吉野は「仕事だよ」と答えた。
「
「そうなんだ?」
聞き返すと、苦笑のまま吉野は頷いた。
「実務が出来ても書類は苦手って人が多いし、OA機器を触るのが嫌って人の、手書きの書類を打ち直してデータ化したりとかね」
「え? スキャンしたんじゃ駄目なの?」
「癖字で判読出来なかったり、書式通りじゃなくて思い付いたまま書き込んだりとかで、書類になってない事も多いから、それを打ち直すのがまた大変なんだよ」
そう笑った吉野に、こちらを向いた安室が諌めるようにこう言った。
「吉野君、判っていると思うけど、向こうさんが用意した以上の仕事はしないように。
木場さんだったっけ、上司の方、君が何度も職場で倒れるから相当気を使ってるって、大島君達も言っていたし」
「判ってます。だから今の職場には、お目付け役居ますし」
「そんな無茶な仕事をなさっているんですか?」
沖矢がそう問い掛け、安室が殺気立ったその時だった。
カランっと、ドアベルが鳴った。
「ここだよ、コーヒーとハムサンドの美味い店。元の職場の若い衆に人気なんだ」
「だからって、おっさん二人で入る店じゃねえと思うがなあ、強」
入って来たのは、トレンチコート姿の四〇代半ばの男と、その男そっくりなモッズコート姿の三〇代頭くらいの男二人だ。
四〇代の方は、安室と吉野に片手を挙げて笑ったが、三〇代の方は沖矢を見てすうっと目を細めた。
そして店員二人は、若い方の男に揃って目を丸くした。
「よう、安室君、吉野君、ハムサンドとコーヒー、二人分貰えるか?」
「新條さん? あ、はい、ただいま」
あたふたとコーヒーの準備を始める吉野と、ハムサンドを作り始める安室を横目に、よく似た二人組は出入り口に近いボックスシートに座った。
「それにしても、又お前無茶したな、カズ」
「大した事してねえよ。落とし物拾いに行っただけだ」
へらりと笑う一見年下に、新條強は額を押さえた。
「落とし物って、俺松本さんから聞いたぞ、自決しようとした連続殺人犯を逮捕する為にバイクで炎上して崩落寸前の建物に突っ込んで、全身火傷負ったって」
「おう、そん代わり犯人を生かして逮捕したぞ」
ブフッ! ガチャガチャン、カシャンッ
「オーイ、大丈夫か?」
「す、すみません、大丈夫です」
男の言葉に、コナンはコーヒーを吹き、安室と吉野は思わず食器を突き崩しそうになるのを辛うじて抑えた。
「カズ、お前なあ」
「犯罪捜査官として、
自己満足で死なれて堪るかよ、そいつが殺したのは殺されて当然の犯罪者だけじゃなくて、見せしめとして全く関係なかった身内の老人子供も多数いたんだ、償うまで死なせて堪るか」
唸るような声に、思わず安室と吉野の背が伸びた。沖矢はちらりと二人の方を見たが、そのまま顔を戻す。
ソファーに凭れ掛かって腕と足を組む男に、コナンは好奇心を芽生えさせた。
「おじさん達、何処から来たの? 安室さんと吉野さんは知ってるみたいだけど」
「うん? 何処の子だい?」
無邪気さを装って声を掛けたコナンを、新條は心掛けて優しく返答したが、若い方は眉を顰めてコナンを見るだけで、一切声を掛けようとはしなかった。
「僕は江戸川コナン、この上の毛利探偵事務所にお世話になっているんだ!」
「ふうん? そう言えばここ、毛利くんの自宅の下だな」
「強、知り合いか?」
「後輩だよ、元刑事の探偵って奴さ。……まあ以前はともかく、最近の活動は彼らしくないとは思うよ」
新條の言葉に、コナンこと工藤新一はドキッとする。それを隠して、子供らしく振る舞おうと笑顔を維持する。
「おじさん達も警察官なの?」
「ああ、最もおじさんは事務職で、こいつは海外で働いてるけど。おじさんは新條と言うんだ、よろしくな?」
「オーイ強、守秘義務はどうした」
「大した事は話さないし、こんな歳の子に判らない事を話す気はないよ」
と、あっさりと話さない宣言をされて、 新一は内心舌打ちする。
そうしているうちに、コーヒーとハムサンドのセットを安室が二人とへ運んできた。
並べられているところに、にかっと笑って新條は安室を掌で差しこう言った。
「そう言えばカズ、覚えてるか?一八年、いや一九年か、それくらい前に誘拐された友達を助けようとして、走ってた坊主。
あの時の子だよ。安室透君。今は私立探偵やりつつ、此処で接客業やってるんだそうだ」
「はあ⁉ うわマジか、一気に老けた気になった。でっかくなったな、お前」
そう言った男は、ちらっと吉野の方を見ると、新條そっくりににかりと笑った。
「覚えてるか、滝和也だ。友達も元気そうで何よりだ」
「あ、はい、ご無沙汰しています」
「ははは、気にすんな、こっちは現住所
「で、顔会わせる度に火傷だ怪我だで包帯まみれなのにかち合って、号泣するお袋を宥める俺の身になってくれ」
「こればっかりは仕事だから」
笑いつつコーヒーを飲み、サンドイッチに手を延ばす滝に、嘆息しつつ新條も食べ始める。
「吉野さん、お勘定」
「あ、はい」
そう言って立ち上がり、レジに向かった沖矢昴に、唸るような声がした。
「
「……何のことでしょう?」
努めて平静な声を出した沖矢に、くつりと笑い声が漏れる。向かい側に座る新條が思わず引くほどに。
「
『ポアロ』を出る沖矢は、だから滝と名乗った男がどんな目で自分を見ているか知る事は無かった。――知っていたら、きっともっと早く彼は行動を取れた、かもしれなかったが。
従兄弟の殺気を逸らそうと、新條は話し掛ける。
「そう言えば、今回は何日くらい居られるんだ? 取り敢えず今週末の祖父ちゃん祖母ちゃんの七回忌には出るんだろう?」
「そりゃあ、親不孝な親父お袋の名代だからな、それが目的で帰って来たんだから。ただ、副業の方の用事があるから、下手打つと二月一杯こっちに居なきゃならんかもしれないから、滝の本家の鍵を叔父さんから借りてる。流石に、三週間も宿泊施設につぎ込むのはなあ」
「副業、ですか?」
思わず聞き返した安室に、ひらっと手を振って滝は笑う。
「職場の関係で、とある研究団体に籍を置いてるんだ。そっちから応援要請受けてるから、取り敢えず明日はそこの日本支部に顔出さなきゃなんねえんだ」
「お忙しいんですね」
「それなりだな。判ってない奴は、人に情報整理押し付けてのんべんだらりしてくれやがるからなあ。あははは」
朗らかに笑っている筈なのに、何故かコナンには、地獄の釜の淵に立つ鬼の笑い声のようにどえらく低く聞こえた。
お冷やのおかわりを持ってきた吉野を指し示すと、新條はこう話した。
「後彼、吉野景光君な。俺が今出向してる部署の、応援に来てくれてる。
優秀なんだが、根を詰めるのが玉に傷でな」
「ふうん、どのレベルだ?」
「叔父さんが、実家の関係者に無理難題吹っ掛けられた時の三分の一、かね?」
「……ちょっと待て、叔父さんの無茶振りされた時の三分の一だぁ? あの歳の若いのにそれって、普通に死ねるぞ!? それもあんな、」
「見た目より地力はあるし、本当に優秀なんだよ。親父や爺さんの伝手を使ってやりたい程度には、な」
新條の言葉に、滝は大きく嘆息しつつ乗り出していた身体を背凭れに戻した。
そしてちらっと、二人の会話に途惑う店員二人を見てにっと笑った。
「ふうん、お前がそこまで言うってのも凄いな。兄貴の手を借りるのも、断腸の極みって感じで本当にギリギリで頼むお前さんが、お偉いさんの親父さんや爺さんのコネを持ち出そうとするなんざ」
「自分の後始末を、身内に持ち込むのが嫌なんだよ。
彼らの事は……寧ろ、後手に回り過ぎたから、な」
語尾を濁した新條に、察するものがあったのだろう。
グッと残ったコーヒーを飲み干すと、自分の分の食事代を新條に渡し、滝は立ち上がった。
「おっさんが一人で入るにゃちと敷居が高いが、確かに美味かったよ。こっち居る間は贔屓にしようかね?」
「ああ、美味いだろ。今日は来てないようだが、看板娘と二枚看板で相当人気だそうだから時間帯によっては入れないそうだがね」
「成る程ねえ。じゃあ、強、週末にな」
「ああ、頼むから変な事件に引っ掛かってくれるなよ?」
店から出る寸前、本当に困ったようにくしゃくしゃっとした笑顔で滝和也はこう言った。
「それが俺の一存でどうこう出来るなら、この歳になってまで叔父さんに迷惑掛けてねえよ」
「……それもそうか」
そう言って出て行った男を見送った後、今まで口を挟めなかったコナンが新條に話し掛けた。
「あの人、おじさんの甥っ子か何か? その割には距離が近い感じだったけど」
「ぶはっ」
子供の言葉に盛大に吹き出し、新條は目元を拭ってこう言った。
「ああ、あいつは従兄弟、俺のお袋の弟さんの息子、あれでも四六歳だよ、あいつ」
「……え?」
「俺の一つ下な? 火傷の治療で皮膚が引き攣ってるから、皺が目立たなくなって若く見えてるけど、もう少しして皮膚が落ち着いたら年齢通りになると思うよ」
「え!?」
驚いているコナンの横から、これはかなり心配そうに安室が声を掛ける。
「火傷って、どのくらいのレベルだったんですか?」
「水被って突っ込んで、本革製のライダースーツがぺりぺりに砕けて、日本製ヘルメットの表面が解けてたレベルだったそうだ。……あいつ、懲りないからなあ」
コナンも安室も、離れて聞いていた吉野すらも真っ青になるような状況である。
何しろ、崩落と同時に飛び出したバイクは停止と同時にタイヤがバーストしたし、耐火布で包まれた犯人は気絶していたから大した傷は無かったが抱えていた滝の方はほぼ火達磨で、指示を受けていた周囲の消防士が用意していた、大量の水が無ければそのまま人体発火宜しく燃え尽きたかもしれなかったらしい。……ライダースーツ下に着込んでいた耐火スーツも、当の昔に意味が無くなっていたと聞いている。
「まあ、今度の法事でうちのお袋とその妹に号泣されるのは目に見えてるから、俺は助けてやらない予定だ」
そう笑って、新條強は『喫茶店ポアロ』を後にした。
「NineHeadDragon? 九つ首の龍?」
そう訊き返した滝和也に、何となくヒラメを思わせる男は大きく首を縦に振った。
「そうです、僕はギリシャ神話のヒュドラと同じものだと思っていますよ」
「それが、お前さん曰く『ケテル級』ってか? と言うかいきなりだな」
『財団』日本支部の喫茶室の一つで、自分を呼び出した研究者とやらに対面した滝は、早速会った事を後悔していた。
自分が聞きたいのは、その九つ首の龍が現状どんな状態にあり、それによってどんな事態が予測されるかであって、【それ】を確保する事で男の研究が進むと言う戯れ言を三回も聞きたい訳じゃない。
取り敢えず、自分にこの脳内お花畑を押し付けてきた上層部にどう落とし前をつけてやろう。
目の前の男に気付かれないよう、小さく嘆息したその時だ。
「そう、ヒュドラ、否『母なるハイドラ』ですよ。素晴らしい。しかも未だ未成熟だ、これからですよ」
「お前、今何て言った!」
思わず声を張り上げた滝に、所謂白人に括られる筈の平べったい顔をした男は、でろっと長い舌で口の端を舐めて嗤った。
「だから、この極東に隠れているヒュドラの未成熟体を探してくれって言ってるんですよ、
僕の偉大な研究の為に!」
「~~……っ、最初に聞いていた話と違うな。俺は日本支部が手間取る、某組織との交渉を代行すると聞いていたんだが」
「それもやって貰うよ? そう言う立場だろう? 精々役に立ってよ、下級生命体」
そう言って、へらへらと嗤いつつ出て行く男を極力睨まないようにしつつ、滝は懐から手帳を取り出した。
乱数表宜しく、数字とアルファベットで埋め尽くされたページを開く。と、まるで待っていたようにざわりと文字列が動く。
『タキ、大丈夫?』
浮かび上がった言葉に、扉がしっかり閉じられているのを見届けてから声を出す。
「財団も何雇ってやがんだ、彼奴インスマスの人間じゃねえか」
『インスマス? 確か第二次世界大戦前に、軍が焼き払った町だろ?』
並んだ文字に、滝は軽く額を押さえつつこう告げた。
「町自体はな。でも、町が無くなる前に逃げ出した奴等の中に、先祖帰りを起こす奴がいてもおかしくない。現に、ボストン周辺の港町には、インスマスから移ってきたらしい金持ちとやらが残ってるからな。
そう言う奴等が、今ダゴン教団を造ってる筈だ。まあ、世界中に潜伏してるらしいけどな」
『……詳しいね、タキ』
「現在進行形で行方不明の両親が、ソイツらと良くイザコザ起こしてたから」
げっそりしつつ、滝は乱数表にこう告げる。
「フレッド、申し訳ないがあの研究者について再調査するよう、ミュラーに連絡してくれ。後、奴の研究に関するレポートも寄越せって」
『判った、今すぐ行くよ』
その一文の後、文字列は只の乱数に戻った。
手帳を戻すと、滝は勢いをつけて立ち上がる。そして何事もなかったように、日本支部の人間と挨拶しつつ外へと出て行った。
あの男の言いなりになるつもりはない。だが、ハイドラと見做された存在の事はきちんと把握し、最悪『葛の葉』と話を付けねばならないだろうと思っている。
何が嬉しくて、『神格』と積極的に関わりたいと思うものか。
胸の内でそう吐き捨て、滝和也は愛車に跨り『財団』日本支部の敷地を後にした。
『特殊案件調査班』で書類を裁いていた吉野景光に、大島航から『今日は帰れない』と連絡が入った。
何事かと思っていると、小松研二、桜田陣平の二人から高木渉が行方不明になったと言う連絡が来た。
「高木君が?」
『今、刑事部はてんやわんやだよ』
携帯を掛けてきたのは小松で、桜田の方は大島についているらしい。
その後、何処かの工事現場で拘束され首にロープ、側に爆弾と言う確実に殺害目的で監禁されている、高木の状況を映し出すタブレットが送り付けられ、刑事部は更に酷い事になっていた。
『この二月の気温で、スーツ姿って不味いと思う。急がなきゃ低体温症で死んじまいそうだ』
部署が違うので、中に入って映像を観る訳には行かないが、周囲の喧騒から情報を拾って話す小松に、だが横から桜田が言葉を足す。
『否、何か、彼奴が居るの、関東より北かもしれない』
「どう言う事だ、桜田」
『今日、関東地方は午後から曇りだが、東北より北は晴れだ。
映像には日差しが映り込んでる、だからだ』
「それ、刑事部に」
『大丈夫、今俺が佐藤刑事に言った。って、大島?!』
混乱が続いているらしい刑事部の様子に、吉野は気忙しげに警視庁の方を観る。
高木渉こと『衣笠』は、イレギュラーから染井吉野の『弟子』にする事になった相手だが、眷属であり同時に警察学校時代の同期である大島こと伊達航が可愛がり、その行く末を案じつつも楽しみにしていた相手である。
少々情報管理に難有り――江戸川少年に漏らし過ぎだと思う――だが、あのコミュニケーション能力は凄いと吉野も思っている。色々鍛えれば、公安でやっていけるだろうと踏んでいた。
「吉野君、一緒に資料返しに警視庁へ行くかい?」
そう言ったのは、デスクでキーボードを打っていた新條強だ。
はっと振り向いた吉野に、捲り上げていた袖を戻しつつ、新條は笑い掛ける。
「通りすがりに話を聞くぐらい、誰でもやる事だろう?」
「……ありがとうございます」
頭を下げ、急いで書類を纏める。
暫く、『組織』の方の任務で帰れないと、泣きながら連絡して来た幼馴染みには申し訳ないと思いつつ、自分の目で状況を見るべく吉野、いや諸伏景光は立ち上がった。
資料室からの帰り道に、騒ぎに気付いたからと言う体裁で刑事部の前を通り掛かった新條と吉野は、刑事達に紛れている江戸川コナンの姿に思わず近付くのを止めた。
こう言っては何だが、現代と未来の『葛の葉』から『ダイ○ンより質の悪い、事件吸引機』、或いは『隠れる気のない事件フラグ』、木場恭介に至っては『監禁したい、切実に。こいついなかったら、起きなかった事件があるんじゃないか』と言うお言葉を貰っている。
まあ、同時に事件は解決しているが、あの子の一番の問題は、事件をショー化して関係者各位へのケアを一切やらないと言う事だ。
尤も、あの『組織』を潰すまで、彼の『夢』は終わらないのかもしれない。
「頼むから、警部や管理官の立場が小学生に情報漏らすなよ」
元の同僚達の
尤も、端の方にいる暇そうな連中がぼそぼそと嗤っているのを、吉野は聞き取っていたが。
「おい、新條のおっさんだ」
「何だあの人、辞めたんじゃねえの?」
「わっけ判んない事件ばっかり集めてるから、生活安全課でも持て余したって」
「辞めてねえよ?」
「「「うわあ!?」」」
何時の間にか、若い警官達の後ろに回り込んだ新條が声を掛けると、一応背広組の警官達は慌ててその場を立ち去った。
そのみっともない後ろ姿に苦笑しつつ、新條は吉野の腕を突付いてこう言った。
「大島君に付いてやると良い。あれで結構、打たれ弱い部分があるだろう、彼は。
「新條さん?」
「これでも、指導した後輩の事は判るつもりだよ」
そう言って、新條は先に作業部屋へと帰っていった。
その背中に一礼して、刑事部屋の隅で書類を広げている大島の元に向かった。
高木渉を拉致し、殺害を試みた犯人が、一年前に自殺したナタリー・来間の関係者であると判明し、又タイムリミット寸前に佐藤刑事の決死の行動によって彼は救出された。
警視庁はそこでめでたしめでたしとなって――否、もちろん書類送検とかあれこれあるのだが――いるが、そんな中、警視庁の人気の無い廊下の端で、ボソボソと話し合う声がする。
「ちぇ、死ななかったな、彼奴」
「ま、伊達に『死神探偵』と狎れ合ってる訳じゃねえってか」
「あーあ、佐藤さんをこっちに引き込むチャンスだったのに」
「あの爺さんももっとはっきり殺意示しゃ良いのに」
「ケケケ、素人だし、仕方がないって」
「まあ、病院にいるなら、医療事故の振りして死なせりゃあ」
クツクツと低く笑う男達に、より低い声が掛けられる。
「成る程、お前達が笛木氏に嘘っぱちを吹き込み、高木を殺させようとした訳か」
振り返り、三人は蒼褪めた。
事故死した筈の『伊達航』が、憤怒の形相でそこに立っていたからだ。
その後ろには、爆処の制服姿の長髪とサングラスの二人組も立っている。
「嘆かわしいねえ、同僚殺すって話を嬉々としてするかい?」
「察するところ、理想も志も無さそうだから、歴史修正主義者に飼われてんだろ、みっともねえ」
「「それでも警官かよ」」
口を揃えて言った二人に、三人は何の事だとすっとぼけようとした。
だが、三人から見えない角から延びた腕が小型レコーダーを見せ、カチッとスイッチを入れた。男達は知らないが、それは警察庁に出入りしている吉野景光の手だ。
『ちぇ、死ななかったな、……』
『ま、伊達に【死神探偵】と狎れ合ってる……』
『あーあ、佐藤さんをこっちに……』
『あの爺さんももっとはっきり殺意……』
『ケケケ、素人だし、……』
『まあ、病院にいるなら、医療事故の振りして……』
自分達の会話を録音されていた事に、更に引き攣る男達に地獄の獄卒宜しく伊達は言い放つ。
「選べ、警察官の裏切り者として捕まるか、日本人の裏切り者として時空管理局に捕まるか。俺は、どちらでも構わない」
男達はどちらも選ばない、否選べなかった。
踵を返して逃げ出そうとした三人は、その次の瞬間、刃物のオブジェと化してしまったからだ。
「クソ、薺、結界だ!」
『はい‼』
「
こんのすけに『萩原』が人払いの結界を張らせる横で、『松田』ももしもに備えて後ろに下がる。
三人の人間だったものが、ぐちゃりと音を立てて床に落ち、そのまま砂になっていく。
そして現れた穢刀剣、乙種の太刀一本と打刀一本、丙種の短刀三本、脇差一本に、『伊達』は『主上』に伺いを立てる。
「構わないか?」
「……お前の権利だと思う。『許す』」
「!
第四白刃隊、顕現し直ちに掃討せよ!」
「「「「「「御意‼」」」」」」
桜吹雪と共に六人の刀剣男士が現れ、歌仙兼定・極を筆頭に、穢刀剣へと飛び込んで行った。
収容された病院で、うとうととしていた高木は、暗がりの中立つ人影に気付いて目を開いた。
「伊達、さん?」
「ああ」
そこにいたのはデニムの上下を愛用する『大島渉』ではなく、フライトジャケットを着込んだかつての教育係の姿があった。
過度のストレスと、長時間低温に曝されたが為の低体温症でボロボロの後輩の頭を撫でてやりつつ、伊達航はポツリと声を掛けた。
「済まなかったな。今回の事は、俺の所為だ」
「……伊達さん?」
「俺が、もっと早くナタリーとの事を進めておけば、名前でお前が勘違いされる事もなかった。……たらればになるが、ナタリーを、彼女の両親も死なせずに済んだかも知れなかったかもな」
そう言う伊達は、再会して以来、見た事がないほど暗い目をしていた。
だから、高木渉は現状出せる全力で離れようとする伊達の手を掴んだ。
「高木?」
「確かに、今回僕は勘違いで殺され掛けました、でも、伊達さんに託されたものを、渡しそびれていた僕も悪かった! 事故の後、すぐナタリーさんに僕が会いに行っていたら、彼女の自殺を止められたかも知れなかった! だから、だから伊達さん、自分を責めないで、下さい……寧ろ僕を、責めてくださいよ……」
そう言ってボロボロと泣き出した後輩の頭をもう一度撫でると、一筋涙を溢して伊達は笑った。
「お前が生きていてくれて、本当に良かった」
その気配は、まるで蜘蛛が糸を掛けるように、じわじわと迫っていた。
ばっと、振り返った吉野景光の姿に、コーヒーを飲もうとした江戸川コナンは怪訝な顔になった。
平日夕方の、お客さんが増える前の空白の時間帯は、ビックリするほど静かだったのだが。
「吉野さん、どうしたの?」
「……あ、ごめん、誰かに見られてる気になったんだけど、気の所為だった」
そう言いつつ、カウンターに戻った吉野を、榎本梓が気遣う。
「大丈夫ですか、吉野さん。なんだか顔色悪いですよ?」
「大丈夫です、ちょっと視線を感じただけですから。『ポアロ』の窓は大きいから、見られた気になったみたいで」
そう笑った吉野は、だが言葉とは裏腹に小さく右手が震えていた。
その様子に、コナンは軽く眉を顰めた。
(吉野さん、こんなに視線に過敏だったっけ?)
少なくとも、六月に『ポアロ』に入ってからはや七ヶ月。その間見ていた限りになるが、吉野がここまで過敏に視線に反応した事は無かったと思う。
敢えて言うなら、彼に声を掛けられ、頭を撫でられる事はあった、一応。探偵団の子供達もだ。灰原は、当人が避けている事もあって撫でられた事は無いが。
でも、それ以外の人間には、例えば同僚である梓や、常連客である毛利蘭や鈴木園子、世良真澄にだって会話はしても必要以上に近付こうとはしない。
安室透くらいしか、彼の手を引く事も身体に触れる事も無いのだ。
以前
だが、それにしても、今彼は一体何に反応したのだろうか?