※この作品はR-18です。

九頭龍は桜の代紋を背負っている   作:怪傑忍者猫

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護国の桜

 諸伏景光は、泥の中から身を起こすようにして意識を浮上させた。

 頭に突き刺さるような、澱んだ潮の臭いがする。

 開いた筈の瞳は闇しか映さず、身動きと共にじゃらりと金属音。

 口には、金属をシリコンで包んでいるらしい拘束具(ギャグ)を噛まされ、唸り声しか出せない。

 そして、直ぐ傍に何かの気配と……。

 

   ジャキリ。

 

 鋏が、布を切る音に、ビクッと背筋が震える。

 鋏は忙しなく音を立て、身体から服の布地が取り払われて行く。

 

 あ、これ、は。

 

 藻掻こうとした裸の腹に、べたりと湿気た大きな掌が押し当てられた。覚えのあるそれに身体が跳ねると、ゲフともグプともつかない音がした。

 

『傷だらけなのは残念だが、孕めるなら問題ないか』

 

 !?

 今、こいつは何と言った⁉

 

『吾らの神を孕む為、一杯セックスしような』

[僕の赤ちゃん孕む為、一杯セックスしようね!]

 

 げふげふと、空気漏れのような笑い声と共にべたべたと撫で回され、囁かれた言葉に頭の中が白くなる。

 どころか、べとりと何か塗れたものが胸の肌に吸い付き、そのままべとべとと何かぬるつくものを塗り付けられる。それが、相手に胸を舐め上げられたのだと気付いて、景光はくぐもった悲鳴と共に身を捩った。

 じゃらじゃらと鳴る鎖にお構い無く、見えない相手は景光の胸とその飾りを、未だ筋肉が戻り切らない腹部を、日に晒されない為に白い腕を、べとりべとりと舐めて行く。

 鎖骨から首筋に掛けてを、その形を確かめるように何度も舐め回されるのに、嫌悪感で引き付けそうになる。

 と、腹に当てられていた手が、殊更べたべたと触って来る。

 

『ああ、白い腹だあ。ここにたっぷり精液を流し込むから、たくさん孕んでくれよお? 若きハイドラよ』

[ああ、すべすべのお腹だね、ここにたあっぷりお兄さんのザーメン注いであげるから、沢山孕んでね、カワイ子ちゃん]

 

 濁声の英語に、あの日あの時の男の声が重なって聞こえる。

 べちゃべちゃと、人間の舌にしては長く平べったいものが、足の指の間を舐め回す事に背筋に悪寒が走る。

 べろりと、足首から脛の裏に向かって、生温い舌が舐め上げる。と、その舌の動きに違和感を覚えれば、グフっと笑い声。

 

『うんうん、東洋人の肌はやはりきめ細かい。邪魔な毛は、脱毛クリームを塗って落としたからなあ、舌触りが良い』

[流石小学生だねえ、お肌すべすべ。毛もないから何時までも舐めてられるよ!]

 

 そのままべろべろと内股を舐め回す舌が、股間まで達した時。陰部にある筈のものまで脱毛された事を悟って、景光は必死にその舌から身を守る為に両足を閉じようとした。だが、拘束具の為に膝を合わせる事も出来ず、超人覚醒と神族覚醒とで上がっている筈の筋力は、何故か鎖を千切る事が出来ない。

 

『グフ、今更。お前が男を知っているのは判っているからな? お前は条件さえ揃えば、孕める事は判っている。只人では孕めなくても、ダゴンの神官に成り上がった俺の精なら、きっと孕むだろうよ』

[君が、あの色黒に色目使われてるのは知ってるよー、でも君を孕ませるのは僕だからねー。子供チン○じゃ味わえない快楽を覚えて、沢山孕んでね?」

 

 濁声と、神経に触る甲高い男の声が、景光の頭の中でぐるぐると回る。

 竦み上がっている景光自身を、ねちゃねちゃと嬲るように舌が舐め回し、引き攣れて固く閉じている後孔を、舌で抉じ開けようとするように舐《ねぶ》り回す。

 ここまでが、景光の理性の限界だった。

 

 

 嫌だ。

 

 怖い。

 

 止めろ。

 

 離せ。

 

 こわい

 

 やめて

 

 はなして

 

 いや

 

 

 

 いやぁ、

 

 

 

 

 たすけて

 

 おにいちゃん

 

 

 

 たすけて

 

 

 

 

 

 

 ……ぜろ

 

 

   ゼロォ‼

 

 

 

「ヒロぉ‼」

 

 何か大きな音が連続でして、自分の上にのし掛かっていた何かが消えた。

 そして、ブチブチっと音をたてて頭から何かが取り払われ、自分を覗き込むアクアマリンが視界に入った。

 ああ。

 

「ぜ、ろ?」

「ヒロ、遅くなってごめん!」

 

 柔らかい布の感触と、抱き締めて来る腕と、鼻先を掠める金色の髪に、全身から力が抜ける。

 涙が止まらない。

 

「ゼロ、ゼロ、

   ……こわ、かった」

「!」

 

 身体に回された、腕の力が強くなるのが判る。

 その腕に、温もりに凡て任せて、気が遠くなった。

 

**

 

 目の前の光景を、どう表現すれば良いのか。

 桜田陣平(まつだじんぺい)は額を押さえている年上二人と、絶句している自称大学院生と小学生二人とを横目に、何とも言えず溜め息を漏らした。

 相棒であり、仲間で同期である小松研二(はぎわらけんじ)の方は、何でこうなったと遠い目になった。

 裏手の換気でもないだろうが開いていた窓から潜り込めば、丁度表の方で揉め始めたようであっさりと二階に上がる事が出来た。

 途中、巡回中らしい教団の男を何人か不意打ちで気絶させて縛り上げて転がし、そして二階層ぶち抜いた吹き抜けで巨大な鳥籠を見付け、そこで小学生二人を発見した。

 籠を下ろして子供達を確保したところで、表から強硬突入を果たした面子も合流して、さらに上に行く面子と、他のカルトの人間を押さえるのとに別れ、大島航(だてわたる)と刀剣男士四人はもう一度下の階に降りた。

 で、残った面子――本当は沖矢と小学生は外に出させる予定だったのだが――が上に向かおうとしたその瞬間、吉野景光(もろふしひろみつ)の悲鳴が聞こえ――正確には感応によるものなので、聞こえる人間と聞こえない人間がいる。小学生二人と警部とは聞こえなかったようだが、沖矢昴(あかいしゅういち)は聞こえたようだ。又、滝捜査官は『音』として捉えた訳では無いものの、救いを求める何かを感じ取ったらしい――、上の階へと向かった。

 そして踏み込んだ部屋には、オドロオドロしい祭壇と仰々しい魔方陣の上に設置されたキングサイズのベッドがあった。

 そして、そこには全裸でどす黒い鎖と、目隠しとギャグで抵抗出来ないように拘束された吉野景光と、その彼の身体の上で三〇センチはありそうな長い舌で彼を舐り回し、人間のものには見えない黒く異様にボコボコとした逸物を擦り上げる魚人面の男の姿があった。

 そのまるっきりフィクション染みた光景に、頭が真っ白になり一瞬の間が開いたのは否めない。

 だが、気を取り直し、中に踏み込もうとしたその時だった。

 

  『攻撃力強化(タルカジャ)!』

  『暴れまくり!』

  『暴れまくり!!』

 

 安室透(ふるやれい)の声が聴こえたと思ったら、何の予兆も無く天井が爆散した。

 その事に絶句する間もあればこそ、その瓦礫と共に落ちて来る陸奥守吉行と、着地態勢を作って落ちて来る同期の姿を、彼らは唖然と見るしかなかった。そして。

 

「ヒロから離れろ、インスマス野郎!!」

 

 着地と同時に床を蹴って、魚人面の後頭部に綺麗なライダーキックを入れた安室の姿に、思わず口笛を吹いた滝捜査官がいた。――インパクトの瞬間、グチッとかグキョッとか、ちょっとまずい音がしていたのに気付いたのは、多分桜田一人では無かったと思う。

 吉野(もろふし)の上で全裸で頑張っていた変態を蹴り飛ばし、安室は拘束具を引き千切るとベッドのシーツで放心状態の吉野を包み抱き締めた。――ゴリラだゴリラだと思って来たが、九頭龍の力を封じ込むような呪具を、素手で引き千切るとは思わなかった。いや、確かに攻撃力強化は使ってたけど、それとこれは別じゃないのか? ツッコミが追い付かないとはこの事か。

 「ヒロ」と声を掛けつつ、吉野を抱き締めている安室を、沖矢昴と江戸川コナンは目を剥いて見詰めている。――そんな二人に、「失礼だ」とお嬢ちゃんの方が諫めていたが。

 

『じんぺーちゃん、あれ立派な呪いの品(カースドアイテム)だよねえ? あれ使われたら、うちの沌も動けないし、引き千切れない筈なんだけど』

『降谷に常識求めるなってこったろ? ゴリラだぞ?』

『そっかあ、降谷だったよね、忘れてた‼』

 

 感応術でそんな泣き言を喚きつつ、小松はどうやら覚悟する前に巻き込まれ、落下するしかなかったらしい陸奥守の元へ走る。

 安室の方は、半ば意識が飛んでいるらしい吉野を抱えてベッドから降りた。そして、そのまま瓦礫が散乱する魔法陣を越えてこちらに向かおうと数歩進んだ、その時だ。

 ゴンッともドンっともつかない音と共に、最奥にあった扉が開き、そこから言い訳が利かないくらい見事な半魚人の群れが押し寄せた。その数、ざっと数えて七〇人余り。

 どう見ても、特撮クリーチャーな半魚人(ふかきもの)の集団に、小学生二人と彼らを抱えた沖矢昴は凍り付く。

 そんな三人を、新條強、滝和也の二人が後ろに下がらせる。

 

「ほら、こっち!」

「だから子供連れてるんだから、外に出とけって言っただろうが!」

 

 取り敢えず、従兄弟二人は銃を抜いて前に出ると、半魚人達の脚を狙って発砲した。

 何体かは足を止めるが、後ろから来る勢いでそのままつんのめり、殺到するのを止めきれない。

 

「ダアッ! この、持って来て正解か‼」

「~~っ、大島、こっち来てくれ!」

 

 桜田は、背負って来ていた散弾銃を持ち出し、迫って来る半魚人の群れに自作の電撃散弾をぶっ放す。着弾と同時に大きな音と共に走る電撃によって、巻き込まれた数体が吹っ飛ぶものの物量で押し返そうとする半魚人達に舌打ちする。

 小松の方はインカムに叫びつつ、着地に失敗して足を痛めた陸奥に肩を貸し、そのまま後ろへと移動する。最悪、壁役として【鬼】の沌と【猫又】のニャーを封魔筒から出す事も考えるものの、新條刑事はともかくその従兄弟とおまけ三人を考えると、出す事に抵抗を感じる。

 その騒ぎの中。

 人一人――痩せているとは言え、ほぼ同じ体格の男性一人、しかも半ば意識が無い状態だ――抱えて、蹴り技で魚人の群れをあしらっていた安室が、バーボンの顔で盛大に舌打ちした。

 

「ええい、仕方が無い。スコッチ、後で謝るから!」

 

 えっと、振り返った沖矢と、その肩の上で呆然と事態を見てた江戸川コナンの目の前で、安室透《バーボン》は吉野景光を縦抱きに抱え直して、深く口付けた。

 

「「「「「ゑ?」」」」」

「あ? ああ!?」

「あーーー! ちょっと、安室君!?」

 

 事態が見えない五人と、安室ならぬバーボンが何をしようとしているのかを悟った二人が声を上げる。

 そして、そんなギャラリーの目の前で、安室透《ふるやれい》の周囲に三人の人影が現れる。

 それぞれ有翼日輪、月輪を頂く朱鷺、狼の仮面を被っていた三人の安室透が、一斉に仮面を付け替える。それぞれ、日光菩薩、月光菩薩、妙見菩薩を現す梵字と日輪、月輪、九曜星を描いた仮面を被り直し、そして。

 

  『劫火紅蓮乱舞(マハラギダイン)!!』

  『氷結銀雪乱舞(マハブフダイン)!!』

  『衝撃神風乱舞(マハザンダイン)!!』

「合体魔法、『降三世(トライロー)』!」

「ギャアアア、魔反鏡!」

「多分足りねえ、もう一つ魔反鏡!」

 

 寄りにも寄っての広範囲最強魔法による合体魔法に、大慌てで小松と桜田は念の為に持って来ていた対魔法攻撃防御障壁を展開させる。

 そして、それは二人の予想通りの火力で、犇めいていた半魚人の群れを塵に返し、ついでに展開していた障壁が一枚、硝子のような甲高い音と共に砕け散った。

 

「うわお、予想通り」

「まさか、ペルソナのランクアップに、九頭龍(あいつ)を使うとは思わなかった」

 

 半魚人共ごと、祭壇もベッドも、ついでに魔方陣迄燃え尽きた、キロ単位のC4爆弾が炸裂した時よりも凄まじく何も無くなったフロア内を見つつ、かつての同期二人は肩を落とす。

 勿論、滝と新條は額を押さえて深く溜息を吐き、沖矢と小学生二人は、見てしまった光景に魂が抜けそうになっていた。

 余りにな光景に、気が抜けていた事は否めなかった。

 だから。

 

「いかん、主、婿殿、下じゃあ!!」

 

 陸奥守吉行の警告は、一瞬遅れた。

 

**

 

 床に叩き付けられた衝撃で、吉野景光(もろふしひろみつ)の意識は現実に戻った。

 身体の半分を黒く染めた、魚人面の大男に最愛の幼馴染みがネックハンギングツリー状態で揺すぶられている光景に、一瞬状況が掴めなかった吉野だったが。

 

『ギャハハハ、殺す、殺シテやる! ハイドラを孕マセるのハ俺だ、オ前には渡さナイぞ!』

 

 ひび割れてはいるが、自分の上に圧し掛かり、舐め回していた存在と同じ声であると理解して吉野の全身は竦み上がる。が、同時に男の指が喉に食い込んでいる安室透(ふるやれい)が窒息の為赤黒くなっているのに気付いた。だが、思うように体が動かない。

 無論、周囲の面子が救い出そうと銃を向けるが、それに向かって男――オリバー・ウィリアムズは、肉盾宜しく安室の身体を掲げて見せる。顔の上半分が黒く染まっているのが、まるで塗装の剥げたラバー人形のようにも見えた。

 

『だひゃひゃ、撃てルモのなら撃てよ、こイツヲ盾にさせて貰ウがな。お前達は呪を【音】ニシないと無効なノは判っテイるからな、悔シカったラドうにかしてみロ。うん?』

「こいつ!」

「糞、流石に踏ん張れないから、あの野郎を振り払えないのか」

 

 高笑いをする化け物に、小松と桜田は舌打ちする。

 ペルソナのスキル発動のアクションを取る代わりに、発声で起動させていた元同期《ふるや》は、向こうに喉輪を押さえられた事と足が浮いた事で抵抗しきれない様子だった。

 

「あいつ、ショゴスを寄生させてあの爆炎を凌いだのか!」

「っ、こうなったら」

 

 ダゴン信者の妄執にやはり大きく舌打ちした滝の横で、新條は手にしていたものとは別の銃とスピードローダーを取り出し、未だ床に蹲ったままの吉野景光へと滑らせた。

 カンっと、手に当たった銃とそれについて来たものを見て、景光の目が見開かれる。

 銃身に小さく刻まれた、『SAKURA M360J』の刻印に手が震える。そして。

 

「諸伏警部補、発砲を許可する、人質の保護を優先せよ!」

 

 響き渡った一喝に、吉野の身体が動き出す。――それは、警察学校で何十回となく繰り返した所作だった。

 残弾確認、安全装置解除、そして膝立ちの態勢で銃を構え、吉野、いや諸伏景光は己に身体の半分を曝して笑う、魚人面の男の左肩と左膝を狙って四連射、そのままシリンダーを開いて空薬莢を落とし、スピードローダーで次弾を装填し構え直した。

 その所要時間、ほぼ二〇秒。

 悲鳴と共に体勢を崩したウィリアムズの顎を、喉輪が緩み尚且つ片足が床に着いた事でバネを取り戻した安室透の、掌底による強烈なアッパーカットが捕らえた。

 どうやら、ウィリアムズは心臓や眉間と言った、致死率の高い部位への攻撃を想定してショゴスでカバーリングしていたらしいが、景光の銃も、安室の鉄拳も、彼の想定外の部位を貫いた。

 流石にあれこれドーピングして人間離れしたとはいえ、脳を揺すぶられては気絶するしかなかった様子で、オリバー・ウィリアムズは伸びてしまった。

 それに向かって、滝の「確保!」の声が掛かり、慌てて桜田と小松が投げ渡された手錠と共に走った。

 そして、未だ射撃姿勢のまま動けずにいる吉野景光(もろふしひろみつ)に、上司として新條強は声を掛ける。

 

「被疑者確保だ、良くやった」

「あ」

 

 そのまま、背中から倒れ伏しそうになるのを、駆け戻った安室透(ふるやれい)が支えた。

 安室は、幼馴染みの手の中から取り上げられる、『SAKURA』と刻印された銃をじっと見た。

 丁度、自分達が警察学校を出る頃に採用された拳銃だった。

 自分(ふるや)は触れる事の無い銃だが、多分諸伏景光は警視庁時代に何度か使った事があったのだろう。扱う手に、初めて使う銃のような迷いは一切見られなかった。

 

「話には聞いていたが、やはり上手いな」

「新條さん?」

「録画して、射撃実習の教本にしたいくらいだった」

 

 緊張から解放されて、くたりと意識を飛ばした景光の伸びた前髪をそっと払って、新條は小さく呟いた。その声には、悔しさと静かな怒りが滲んでいた。

 そして、そんな大人達の様子を、江戸川コナンと灰原哀は沖矢昴の肩の上から見るともなく見ていた。

 立て続けての非現実的な光景は、彼ら『現実主義』の小学生(こうこうせい)のキャパシティを当の昔に超えていたのだ。

 

**

 

 ビルの外には、何台か覆面パトカーが止まっていて、そこにはコナンも何度か目にした眼鏡の公安警察官と、二十代後半くらいに見えるスーツ姿の男性がいた。

 コナンの知らない青年に、新條が頭を下げる。

 

「木場さん、ありがとうございます」

「いえ、内調としてもカルトである『ダゴン教団』に関しては軽視出来ませんでしたし、実際に誘拐事件を起こされては、ねえ」

 

 ちらっと、コナンと沖矢を見て、『木場』と呼ばれた男は言葉を濁した。

 無論、完全部外者である二人――灰原の方は、当の昔に別の覆面パトカーで病院へと送られている――に情報を流す事を良しとしなかったからだ。

 大島航と刀剣男士達によって拘束されたダゴン教団の信徒が、荷物宜しく縛り上げられたまま護送車両に転がされる。

 と、その向こう側で安室透に風見裕也は近付き、その腕の中で目を閉じている人物に困惑の表情を浮かべた。

 と、その人物はゆるりと目を開き、風見の姿を目にするとふわっと笑い、掠れた声を出した。

 

「かざ……み、先、輩?」

「っ、諸伏!?」

 

 一瞬だけ意識が浮上したものの、また眠りに落ちた腕の中の宝物を殊更丁寧に抱え直し、降谷零はあくまでも安室透として言葉を紡ぐ。

 

「すみません、救急車か何かいいですか? 薬物を使われている恐れもありますし、医者に運びたいので」

「! ではこちらへ、私が車を回しましょう」

 

 風見の言葉に、同意を投げたのは安室本人ではなく、後ろの立った滝和也だった。

 

「それは助かった。救急車じゃあ大仰になって人目に付く、それは却って彼の神経に触るだろうから、個人の車で動いた方が良い。俺達は先に警察庁とやらに行って後処理やっとくから、安室君、お前さんはヒロ坊の事が落ち着いてから来い。

 なあに、今回の事は日本警察って言うより、『財団』と内閣調査室で話を付ける事になる。こっちの不祥事に内調職員を巻き込んだ結果、カルト教団を炙り出す騒ぎになった、公安にはその処理の手伝いを頼む形になるだろうよ。風見さんとやら、お前さんの上司にはそう言う形で話を通してくれ。多分、そこが落としどころだろうよ」

「は、はい」

「滝さん」

「気にすんな、一日二日じゃ終わりそうにないし、何より色々片付けておかなきゃだから、お前さんは取り敢えずそいつについてってやんな。どう考えても、昔のトラウマなぞりまくりだっただろう?」

 

 滝の言葉にペコリと頭を下げると、降谷零は諸伏景光を抱えたまま車中の人となった。

 

 だから、この後警視庁の方でどんな騒ぎがあったのか、彼は人伝に聞いた内容しか知りようがなかったのだ。

 

**

 

 吉野景光こと、諸伏景光を病院に運んだのは日付が替わる寸前で、診察と検査を終え病室で休ませてやれたのは所謂暁時と言う時間帯だった。

 その間、フラッシュバックに近い状態に陥った景光は医師や看護師に怯え、付き添う降谷零の手を握って離そうとしなかったが、病室で眠る頃には落ち着きを取り戻していた。

 

「降谷さん、彼は……」

「諸伏だ。内調、いや葛の葉に保護され、あちらで働いていたそうだ。

 ただ、若干記憶障害があったらしい」

「記憶障害ですか?」

 

 聞き返す部下に、降谷は事実と虚偽を取り混ぜ語る。

 勿論、『諸伏景光』を警官に戻す為の、これも工作だ。

 

「諸伏は、情報隠滅と潜入捜査官として他の仲間、つまり俺を組織から隠蔽する為に自決した。その事もあってだろう、俺や公安警察だった記憶を無意識に遮断していたようだ。

 尤も、職務上の同僚は忘れたものの、『幼馴染み』は忘れ切れなかったらしいし、警察学校で身体に沁み込ませた事は消えなかったようだ。

 新條警部が誉めていたよ、射撃の教本にしたいくらい綺麗な射撃だと」

「そうでしたか」

 

 そう言う風見は、そっと眼鏡を外し目許を拭っていた。

 彼にとって、諸伏景光は生まれて初めて指導した後輩で、他の同僚から羨ましがられるくらい真面目で尚且つ自分を慕ってくれた存在だった。

 最初は感情の起伏が驚くほど乏しく、自分の下に就いたのがそれほど不服かと腹が立ったが、暫くして幼少期の事件が原因で感情や表情を出すのが不得手なのだと告白された。

 これ迄は事情を知っている親友がずっとフォローしていてくれたが、優秀な彼はずっと大変な業務に就く事になった、そうである以上は自力で頑張る意味でも先輩に話さなければと思ったと、頬を引き攣らせつつ笑ったのを風見は昨日の事のように覚えている。

 一年後、『家庭の事情で警官を辞める事になった』と聞いた時、本当に悲しげに目を伏せられたのを見てどうしようもない事情なのだと納得し、「頑張れ」と告げて別れた。

 数年後、辞めた筈の諸伏が潜入捜査官として殉職したと聞いて、悲しみと怒りと、任務半ばで死なねばならなかった後輩の無念を思って密かに泣いたのを、彼は生涯誰にも語らない予定だ。

 

「あ、すみません、遅くなりましたがあのビルの所有者についての調書ですが」

「ああ、後で新條警部を経由して、内調に提出しておこう。大した意味はないかもしれないが、何もしていないと思われるよりは、な」

「はっ」

 

 上司に書類と記録媒体を渡し、一瞬だけ後輩の安らかな寝顔を見詰めると、風見裕也は病室を後にした。

 

**

 

 それから程なく、病室を訪れる者がいた。

 ふっと、何かが周囲を囲む気配がして、それとポフンと言う音と共に管狐《こんのすけ》の雫が現れ、降谷の肩に飛び乗った。

 

「雫?」

『ご無事で何よりでした、婿様!』

 

 安全の為、治療こそしたものの怪我をした雫は本丸に返しておいたのだ。

 その雫が現れた事で、降谷は肩から力を抜いたが。

 

「おーい、降谷、諸伏寝てる?」

「おい!?」

 

 遮光カーテンの向こうからの声に、思わず降谷は声を潜めたが、声の主はからからと笑った。

 

「大丈夫、その為に今薺に遮音結界を張らせたんだ。

 話して置きたい事があるんだ、降谷。その為に、俺抜けて来たんだ」

 

 そう言いつつ、二人部屋の空いたベッド側の椅子を引いて、降谷の背後に背中合わせに座ったらしい萩原研二は、何かを思い出すように話始める。

 

「俺達が、現在二二〇〇年と言う未来世界で、歴史修正主義者と戦いつつ、警察としても活動してるってのは話したよな」

「ああ」

「その活動が上手く回るようになる前って、すっげえ大変だったよ。主に、諸伏がさ」

「え?」

 

 ふうっと、煙を吐く気配がする。

 

「PTSDだよ。潜入捜査官として、犯罪組織に潜り込んで幹部になる為に殺人、させられてたんだろ? しかも、そんな場所にお前一人残してきた、任務を押し付けてしまったって、あいつその事で何度もフラッシュバック起こしてて、俺達が事態を知った時には衝動的にリストカットしそうになるくらい、思い詰めててさあ」

「それは、」

「……最初は、そんな事言って無かったさ、最初状況を話した時は、情報漏れで自分の事が組織に割れた、だから巻き込まない為に自決した。こんな形でしか最後のフォローが出来なかった、そんな事言ってたんだ。

 多分、潜入捜査中より静かな場所で、ゆっくり眠れるようになった所為でお前の心配するようになったんで、比較的安全地帯に居る自分を責めるようになったんじゃないかってのが、向こうの精神科医の言葉な」

 

 精神科医の言葉とやらに、そこはかとなく悪意を感じつつ降谷は同期の言葉に耳を傾ける。

 

「で、あんまり自分を責めるから、俺達はお前の生涯って奴を調べた。

 潜入先の犯罪組織を壊滅させて、警察官に復帰して、その後警察庁警備部警備企画課から色んな部署に派遣されてそこで沢山後進を育てて、定年退職する頃には、それこそ沢山の人間に慕われてた。

 だから、諸伏に資料見せつつ話したんだ。お前が願ったとおり、降谷は任務を完遂した、お前のやった事は確かに降谷の負担を増やしたが、それをバネにして降谷はやり遂げたぞって。

 あいつ、泣いて泣いて、やっと笑って、それからPTSDが収まったんだ」

「そうか……」

「で、その際にな、あいつに話さなかった事があるんだ」

「え?」

 

 肩越しに振り返るが、遮光カーテンの向こうは流石に見えない。

 

「お前の享年って奴さ。

 お前は戸籍上、退官後七年目に亡くなってる。正確には、普通失踪によるあれだよ。

 最後に目撃されたのは、長野の戸隠山の近辺で、未だ雪の残る戸隠山に軽装で登るから、てっきり参拝かと思われたのに神社の方でお前を見た人間が居ないってんで、登山道に迷いこんでそのまま遭難したんじゃないかって話になったそうだ。

 尤も、登山道をくまなく捜索したものの、お前の遺体どころか痕跡すら見つからなかったそうだけどさ」

「そう……なのか?」

「ところがな、それから一〇〇年後、二一〇〇年代の戸隠神社で撮られた写真にな、お前が写ってた」

「え?」

「俺と松田と、伊達で確認した。浅黄色の袴を着たどう見ても二十歳半ばの若い姿のお前が、九頭龍社前を掃き掃除している写真だった。観光客が撮った写真、だそうだ。

 それ知ってさ、俺思ったのよ。降谷は、諸伏が九頭龍になったのを何かの拍子に知って、神域まで自力で乗り込んで来たんだなって。

 だって、俺達が調べた時には二〇〇〇年代への特命任務なんて話は一切無かったから、俺達はまたこうしてお前と顔合わせる事が出来るなんて、欠片も思ってなかったもんよ」

 

 そう言って、もう一度萩原は煙草の煙を吐いたようだ。

 

「でも、こうやって今、俺達は特命と言う形で元の時代に戻って来た。

 でな、思ったのよ。

 あ、任務終了までにお前こっちに引き込もうって」

「ハギ?」

「だって、言って良い? 記録上お前、退官するまで独身だったんだよ? お前の血を引いた人間は、表立って存在してないの。それなのに、縁も所縁も無い筈の未来の戸隠神社で、お前に瓜二つの人間が神職として働いてるんだよ。

 そうなると、退官したお前が失踪した後子供を作ったか、お前本人が九頭龍に関わる何かになったかのどっちかしかないと思ったんだ。

 だからさ。降谷、お前本気で諸伏の婿になる気、無い?」

「……俺が嫁に貰うって形じゃ駄目なのか?」

「戸隠山の地主神だからね、『嫁に行く』って言うのは、ちょっと差しさわりがあると言うか、お前が天津神クラスの存在に成り上がらないと、ちと難しいと思うよ? 人が『神』の配偶者になるって、色々面倒なのよ。皇族が、民間人に降嫁するのだって面倒じゃん。入り婿の方が敷居が低いのよ、神様的には。

 寧ろ、人間のまま婿に入って、神様として色々無理難題を吹っ掛けられるあいつを守って、ついでにあいつに人間としての感性を捨てさせないで欲しいんだよね。

 眷属だと、結局諸伏を主とする存在だから、あいつを護る事は出来ても、諫めたり叱ったりとかをし切れないんだよ。配偶者なら、あいつより上位に回る事も可能だろうからさ」

「ハギ」

「言ったじゃん、俺達は諸伏に人間を捨てさせたくないって。

 俺も、じんぺーちゃんも、伊達も、神様の眷属何て柄にもないものになっちゃったけど、それだって結局諸伏だったからだよ? あいつだったから、受け入れたんだよ。

 あんな場所に、同期の仲間が、それも化け物呼ばわりされてズタボロに嬲られて、尚且つ俺らを殺されたくなかったら言いなりになれって言われたんだよ?

 その挙げ句に今度は神様として祭り上げて、人並みの幸せは認めない癖に、九頭龍の血筋を残せって女を宛がおうとするんだぜ、『時の政府』様って奴は」

 

 苦いものが混ざる話を聞きつつ、降谷は眠ったまま未だ自分の手を握り続ける幼馴染みを見た。

 

「後さ、これは二〇〇〇年代の葛の葉の当主、内調のお偉いでもある木場さんが言ってくれた言葉。

『今の積み重ねが歴史なのだから、今最善を尽くさなければ意味など無い。未来の都合で見殺しにされる命があるなら、それも歴史修正でしかないだろう。そんな事認めてどうする』ってさ。

 だから、俺は友人の幸せって奴を追求しようって思ったんだ」

 

 カタンっと、立ち上がるのが判った。

 

「そろそろ戻るわ。吉野が離さないから、安室くんはもう少し来られないって言っとくからさ」

「ハギ」

「何?」

「お前の幸せって奴は、追求しないのか?」

 

 何気なく思い付いて問うた言葉に、最初にいなくなった同期は肩を震わせた。

 

「んー、眷属って、結局人間から逸脱しちゃうから、人生も無駄に長くなっちゃうのよ。今はどうせ仕事忙しいし、じんぺーちゃんや伊達や、お前さんとでわちゃわちゃやってるのが楽しいんだわ。

 じんぺーちゃんや伊達も同じ意見じゃね? 任務の関係で消息不明になっちゃった諸伏や、外じゃ偽名で呼び合わなきゃだけど、お前とも飲み食い出来るしね。

 でも、そうだね、諸伏とお前さんが落ち着いて、今の特命が終わったらゆるゆると考える予定。

 幸せになりたくない訳じゃないよ、本気で忙しいのと仲間でつるんでる今が楽しいってだけ」

「……そうか」

「そうだよ」

 

 そう言うと、今度こそ萩原研二は出て行った。

 周囲を囲っていた何か――所謂結界が消えるのを感じ、降谷零は溜息を吐いた。

 気忙しげに擦り寄って来る管狐を撫でてやりつつ、深く眠る最愛の相手《かたわれ》を見る。

 自分の手を握って、安心し切った面差しで眠る顔は、かつては当然のものとして見ていた。

 

  そう言えば、何時からこの顔を見なくなっただろう。

  潜入捜査の最中、同衾していた時にもこんな顔でヒロは眠っていたと思う。

  でも、ああ、『本丸』では、見た覚えが無い。

 

 そう考えた途端、自分のやる事が決まった気がした。

 

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