※この作品はR-18です。

九頭龍は桜の代紋を背負っている   作:怪傑忍者猫

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風向きが変わる時

 諸伏景光が覚醒したのは、兄高明の来訪から三〇分後。

 彼がそろそろ、職場に行くため暇乞いしようとしたその時だった。

 ふっと眼を開き、降谷零の姿と兄とを見出し数回瞬きする内に、はっと兄が自分の側に居る筈がないと飛び起きてそのまま貧血宜しくふらつき、兄と幼馴染みにベッドに押し戻された。

 

「ヒロ、大丈夫か?」

「無理をしてはいけません、フラッシュバックを起こしていたそうですから」

「え、あ」

 

 頬を撫でる兄の手に、何がどうしてと困惑している景光に、それこそ苦笑して諸伏高明は左手を見せた。

 

「夕べ、泣き叫ぶお前の声を聞いて、大慌てで仕事を片付けて来たんですよ。ああ、桜田くんが用意してくれた、ちょっとしたずるも活用しましたが」

 

 手の甲に残る、九頭龍との仮契約の痕に景光はあからさまにしまったと言う顔になる。

 兄の方は、撫でていた手で拳を作り、弟の額をコンと叩いた。

 

「言っておきますが、私の方から破棄はしませんよ、愚弟。

 お前の友人がこれを奨めたのは、正真正銘、今日のような事態の為でしょう?」

「あうぅ」

「俺もだよ、ヒロ。これのお陰で、お前がいる位置が判ったんだ」

 

 眉をハの字にする景光に、零の方も言葉を重ねる。

 そして弟の額から頭部をわさっと撫でて、高明はもう一度暇乞いを口にする。

 

「では、これで私は失礼します。

 景光、又改めて様子を見に来ますからね」

「はぃ」

「遠くからありがとうございます」

 

 ベッドの上で小さくなる弟と、改まって背筋を伸ばす弟の親友に頭を下げると、諸伏高明は再びマスクとサングラスを身に付けた。

 兄が帰っていくのを見送り、諸伏景光は物問いたげに幼馴染みを見た。そして、彼の中の『三人』の気配が変わっているのに気が付いた。

 

「え?」

「どうした、ヒロ」

「いや、なんかゼロのペルソナが」

 

 辿々しく問われ、あっと言う顔になって零は頭を掻いた。

 

「そうだ。取り敢えずヒロ、ごめん。緊急事態だったから」

「え?」

「だからこうやって」

 

 言うなり、零はベッドに乗り上がり、景光の唇を奪うと、そのまま吐息も奪う勢いで舌を絡めた。

 

「~~!?」

 

 ぷはっと、呼吸ごと口腔内の水分を吸い取られる形になった景光は、酸素不足と羞恥で頬を赤らめる。

 そんな状態の相手に、零はしれっと一言。

 

「半魚人の集団を手っ取り早く片付けるのに、ちょっと火力が足りないってなって。それで、申し訳無いけど、九頭龍の力をブースターに使わせて貰ったんだ」

「ゼ、ゼロ⁉」

 

 目を白黒させる景光を、グッと抱き締めた零の気配が変わる。

 

『【バーボン(ジェフティ)】、いや【バーボン(ソーマ)】の発案だったんです、僕達を一括ランクアップさせる為の』

『僕一人が悪いように言わないで下さいな、【安室透(マカミ)】。いえ、今は【安室透(スドリスティ)】でしたっけ』

『そんなつもりはない、俺も【主人格(ゼロ)】も同意した結果だ』

『【降谷零(ウトゥ)】、いえ【降谷零(スーリヤ)】は何も言わなかった癖に』

 

 知識の神系のペルソナである、【バーボン】が拗ねているらしい。

 只、抱き付き方が記憶にある【バーボン】と違う気がして、景光はもぞっと身動いだ。

 

『どうかしました? スコッチ』

「いや、何かバーボンらしくない、抱き付き方だなあって」

『ああ、今貴方を抱き締めてるのは、僕じゃなくて【透(スドリスティ)】ですよ』

「は?」

『この状態で、僕が身体の主導を取れるのはまれですから』

 

 何と言うか、腕で篭を作って逃がさないと言う態勢の【バーボン】と違って、子供が縋るような印象の抱き着き方をされて、景光は困惑を隠せない。

 【安室透】の方は、やや照れた様子で答えるが、離れるつもりはないらしい。

 

「と言うか、そんなに頻回に抱き着いていたのか、【バーボン】」

 

 「覚えがない」と、唸る様な主人格(ゼロ)のぼやきに、聞かれた方はしれっと笑うだけらしい。

 ただ、色々と話す前に、零の持つ携帯が震えた。

 

「うん? 風見から?」

「電話?」

「いや、メール……え?」

 

 届いたメールをスクロールするうちに、零は眉を顰め、そして【降谷零(スーリヤ)】がごくっと唾を飲んだ。

 

『これが本当なら、捜査が一気に進む事になる』

「取り敢えず、警察庁に行って、書類を見てみないと、でも一体」

「ゼロ?」

 

 声を掛けられ、はっとなった零は不安半分、疑問半分と言う顔で己を見る景光に向き直る。

 

「すまない、ヒロ。俺は一度、警察庁(サッチョウ)の方へ顔を出して来る」

「何かあったのか?」

 

 聞き返す景光を抱き寄せ、周囲に聞こえないよう小声で告げる。

 

「風見からの連絡、今迄好き勝手やってた赤井とその仲間が拘束されて、後滝さんから情報貰った。この情報、『組織』の取引先と財源になってる企業が相当数載ってるらしい」

「ゼロ、それは」

「その確認もあって、今から行って来る」

「待って、それなら俺も。竜胆、着替えを」

 

 離れる零を追って、景光もベッドを降りようとする。

 呼ばれた管狐が運んで来た、ガーメントバッグからすっかり馴染んだスーツを出すのを、慌てて零が止めようとする。

 

「ヒロ!?」

「今回の騒ぎの報告書とか、始末書とか、俺も作らないと。小松達や陸奥達が此処に居ないって事は、皆詰めてるって事だろう?」

 

 そう言って、術着を脱いで――下着類は、夜中のうちに病院内のコンビニで買って着せた――着替え始める景光を、零は止めようとした。

 が、それを止めたのは管狐の竜胆だ。

 

「いえ、降谷様、寧ろ降谷様が『特殊案件調査班』迄送って下さる方が安全かと。

 主様も頑固な方故、止められても止まる方ではありませんから」

 

 竜胆の言葉に零は眉を顰め、景光の方は不服そうに唇を尖らせた。

 だが、確かに強情な幼馴染みが、自分の知らないところで無理を繰り返していた事を思い出し、零は竜胆の案を受け入れる事にした。

 

**

 

 警察庁まで一緒に移動――RX-7から降りる時、景光は平然としていたが管狐の方は何故か伸びていたが――し、『特殊案件調査班』のあるフロアで別れた。

 通称降谷班こと、『黒の組織』対策班が詰めている部屋は、常に無いほど慌ただしく人が出入りし、電話が鳴り響き盛大にキーボードが喚いていた。

 上司が戻って来た事に気付き、風見祐也は慌てて件の書類を手に駆け寄った。

 

「降谷さん、これです!」

 

 差し出された書類は、A4版で目視でもざっと五〇枚以上あると知れた。が、その五分の二は英文で、残りは日本語訳されたものと気付く。

 取り敢えず、翻訳された分を斜め読みして、そこに並ぶ幾つかの世界企業の名前に眩暈を感じた。

 幾つか『探り屋』として引っ掛かってはいたものの確証が掴めなかった企業や、臭いは感じたものの権力と後ろ盾故に引き下がざるを得なかった有力者など、氏名と所属とがはっきり書き込まれている書類を、降谷零は戦慄と共に読み込み改めて息を呑んだ。

 

「これだけの情報を、一体どうやってあの人は」

「……降谷さん、これは、本来FBI側に渡る予定の情報だったものです」

 

 ひくっと、こめかみが引き攣るのを感じつつ、部下を見る。

 風見の方は、ハンカチで額を拭いつつ、二時間前の騒ぎを思い出す。

 

「ロビーで、アメリカ人三人が騒いでおりまして、その際に新條警部とその、タキ捜査官を勘違いしていたようで、その、その際に色々と聞き苦しい事をアメリカ人側が」

 

 何でも女性捜査官――無許可で高校に教師として潜り込んだり、ベルモット相手に私怨に溺れて失敗していた例の女性らしい――が、周囲に日本人ばかりで意味が判らないだろうとばかりに喚き散らし、遅れてその場に来た滝捜査官の堪忍袋の緒を引き千切る事になったらしい。

 元々、日本警察側に一切通達せず不法行為――当人たち曰く捜査活動――を繰り返していたあの連中は、驚いた事に仲間である筈の在日アメリカ大使館駐留のFBIチームにも、一切連絡なしに動いて自分達の不法行動のツケを押し付けていたらしい。

 結果的に、モグラのように隠れていた連中を探していた大使館駐在チームに捕まり、現在取り調べられているそうだ。

 で、そうやって自身の人生とほぼ同じくらいFBIに奉職している先輩捜査官を扱き下ろす部下を放置した同期に愛想を尽かせた形で、滝は用意していた情報をたまたま騒ぎを聞きつけ、様子を見ていた風見に渡したのだと。

 尤も、英文だけではなく態々日本語訳したものを添えていた当たり、いい加減前から赤井達のチームを見限っていたのではと降谷は思った。

 降谷と同じく、騒ぎを聞き付けた黒田兵衛管理官――裏の理事官もやって来て、書類を見て目を見開いた。

 

「これは……」

「現在、二階下のフロアにある『特殊案件調査班』にて書類作成中の、FBI捜査官が持ち込んだものです。何でも、カルト教団による誘拐事件があり、そのカルト関連で内調と関わったとか何とか」

「何者だ、その捜査官は」

 

 上司の更に上の存在からの問いに、風見警部補はピシッと背を伸ばした。

 

「は、滝和也、FBI在籍二六年と聞いております」

 

 ぴたっと黒田が止まる。

 

「滝、だと⁉」

 

 黒田兵衛も、かつて警察機構を真っ二つにした『松本派』と『新條派』の対立はよく覚えている口である。

 そして、数の上では弱い筈の『新條派』が『松本派』に潰されなかった理由が、経理と調停の達人だったとある警視が、中立から『新條派』に移った為である。

 その警視の名字が『滝』であり、昨日七回忌を迎えた滝和也と新條強の祖父であった。

 

「降谷、書類について問い合わせるように。……恐らく、この内容に間違いはないだろう。だが、どう言う経緯で集められたものか、お前も疑問だろう、『探り屋(バーボン)』。今、作製した当人が居るんだろう」

「っ、はい」

 

 上司の言葉に、降谷は一礼してその場を辞した。

 

**

 

 丁度その頃、『特殊案件調査班』と手描きの看板を出している一室では。

 

「だからどうして大人しく出来ないかな、お前さんはよお!」

 

 と、言う小松研二(はぎわらけんじ)の叫びが上がっていた。

 勿論、叫ばれている吉野景光(もろふしひろみつ)は、何を言われているのか判らないとばかりに、きょとんっと同居人で友人で協力者で、部下でかつての同期を見ている。

 怒鳴った小松を始め、部屋に詰めている大半が怒ったり焦ったり苦虫を噛んだような顔をしている中、額を押さえていた新條強警部が景光を見る。

 

「何をしに来たか、は一応聞いてあげよう。但し吉野君、病院から許可は取ったのかい?」

「許可も何も、気を失っていただけですし、特に体調に異常は」

「こら、てことは医者の診察すっぽかして来やがったな、降谷の坊主は何してやがった? ……いや、お前さんに過保護なあいつが付いていてここに来たって事は、こっちに坊主が来なきゃならなくなったから、お前を放置出来なくて連れて来て俺達に預けたって事だろうな」

 

 滝和也特別捜査官にそう言われて、特に刀剣男士五人がはっと言う顔になる。

 

「そうか、誰も居のおなるよりは、と」

「確かに、病院にご迷惑を掛けるよりはましだよね」

「……他の面子では、吉野さんを押さえられんか」

「変なところで、潜入捜査官としてのスキルと九頭龍のスキルを重ねて来るからなあ、吉野さん」

「しかも、その辺り後悔も反省もないと来た」

「……えーっと、五人とも、どうしたの?」

 

 頭突き合わせて話し合う五人を、不思議そうに見ている景光の頭を、桜田陣平(まつだじんぺい)が結構大きな音を立てて小突く。

 同じく、頭を押さえていた大島航(だてわたる)はと言うと、仕方が無いと言いたげに自分の使っていたデスクとパソコンを空けた。

 手持無沙汰にさせておけば、何を始めるか判らない、それが最近の景光の傾向だからだ。

 

「ほら、取り敢えずパソコン。お前の主観での、事件の事書き出せ」

「大丈夫か? あの変態の事、書き起こせるか?」

「え?」

 

 問われた事を一瞬掴み損ねて、景光は桜田の方を見る。

 

「いや、良いから、書けるところまでで良いから、取り敢えず書き出し宜しく」

「ああ」

「おい、小松!」

「書けなきゃ、自分の状況自覚できるでしょ、吉野の奴も」

 

 荒療治ってほどじゃないけどとぼやきつつ、自分の分に手を付ける小松の横で、仕方がないかと桜田も作業に戻る。

 『特殊案件調査班』に降谷零がやって来たのは、そんなタイミングだった。

 

「お忙しいと思いますが、滝和也FBI特別捜査官にお訊きしたいことがあります」

 

 灰色のスーツ姿でそう切り出した降谷に向かって、ちょうど書類を仕上げた様子の滝はにかっと笑い掛けた。

 

「おう、良いタイミングだな。

 察するところ、眼鏡の兄さんに渡した情報の出所だろ?」

「はい」

 

 二人の会話に、思わず全員が注目する。

 

「一つだけ、これははっきり言っとく。

 あの情報はある意味キメラ、若しくはパッチワークの産物。日本だけ、アメリカだけから情報を集めたんじゃあ、あの情報は集められない」

「情報のキメラ? パッチワーク? ……」

 

 暫く考え、はっと言う顔で降谷零はとある組織を口にする。

 

「国際警察機構(ICPO)、ですか?」

「そう、俺が持ってきたのは、ICPOが収集してきた事件の情報の中に断片的に紛れてたあの酔いどれ烏の情報を掻き集め、矛盾点や重複してるもの、時間経過で変わった事とかを消していった結果だ」

「……」

「と言っても、実際に集めて纏めたのは俺じゃない。ICPOに、名の知られた事務の名人がいる、その人が何れ必要かもしれないと集めたもんだ。俺はその中から、今一番必要だろう財源関係の情報を抜いて一纏めにしただけだ」

 

 ぎしっと椅子を軋ませ、滝は歯を見せて笑う。

 

「さて、その情報でお前さん達はどう動く? 上手く活用するか、俺の同期のように溝に捨ててくれるか」

「っ、」

「こーら、年下の、明確に苦労してる人間をいびってんじゃねえよ、松本さんに言い付けるぞ」

 

 ゴンっと、ファイルの角で新條が従兄弟を叩く。

 景光と元同期三人とは、立ち尽くす降谷零をじっと見る事しか出来なかった。

 彼らは、『黒ずくめの組織』関連の騒動に関わる事は出来ない。

 その組織を継続させ、近代史を崩壊させようとする歴史修正主義者と戦い歴史を護るのが、彼らの任務である。

 組織の壊滅作戦が行われる時、その時には恐らくその為に集まる警察関係者を襲撃するべく、大規模に歴史遡行軍が動く事が予見されている。

 そうである以上、彼とは別の場所で、自分達の戦いを繰り広げねばならない筈だからだ。

 

**

 

 降谷零が『代門本丸』の『奥』に戻ったのは、それから一週間後。

 黄昏時も過ぎ、宵待月が上ろうかと言う刻限だった。

 

「ウワ、降谷!?」

「大丈夫か、お前」

 

 明日の予定と仲間内の連絡などを確認していた爆処の二人が、ふらりと帰って来た同期を迎え入れる。

 

「大丈夫、伊達とヒロは?」

「伊達は、衣笠のとこに今日は泊まり。諸伏は自室だよ」

 

 松田がそう言うと、「そうか」と言って一瞬目を閉じ、何かを決めたように顔を上げる。

 

「ハギ」

「おう」

「松田」

「……どうした」

「俺はヒロが好きだ、あいつが男であろうと、半分以上人間じゃなくなったってあいつやお前らが言っても」

「……うん」

「と言うか、お前らや陸奥さん達はともかく、ヒロの事を利用しようって奴が居るのも、あいつを愛してる訳でもないのにあいつの配偶者になろうって輩が居るのが、我慢出来ない」

 

 その発言に、二人はあっと思わず顔を見合わせる。

 確か、今日『特殊案件調査班』に内調の木場恭介が来ていた筈。

 

((あの人、嗾(けしか)けやがったんだ))

 

 見た目は二〇代だが、実年齢四〇代が信じられないくらい辛辣でえぐい作戦も躊躇なく行使する古狸もびっくりな『葛の葉』の現当主が、恐らく『本丸』の問題刀剣共の事を暴露したのだろう。

 

「それに、これから大一番があるのに、蟠りも心の閊(つか)えも持ってちゃ駄目だと、俺も思う。

 だから、今から俺、ヒロの部屋に行ってくる。

 正直、神様の入り婿とか判らない。でも、諸伏景光を、例え神様であろうと蔑ろにされるのは我慢出来ない」

 

 一旦言葉を切り、降谷はこう付け足した。

 

「それが、ヒロ自身である『九頭龍大神』だったとしても、だ」

 

 その言葉に、松田陣平は訳が判らず目を丸くしたが、萩原研二は意味を悟って顔を上げた。

 

「降谷、そこの階段上がって、廊下の突き当りが諸伏、いや『九頭龍大神』の御座所だ。

 しっかり話付けて、天の岩屋戸に籠ってるお日様引き摺り出して来いよ」

「ああ!」

 

 そのまま、リビングの端にある螺旋階段を上がる同期の主席を見送りつつ、松田は首を捻る。

 

「おい、今のどう言う意味だよ」

「……ジンペーちゃん、戸隠山の名前の由来って知ってる?」

「馬鹿にすんな、奥社の主祭神である天手力雄命が引き開けた天の岩屋戸と、九頭龍大神が修行僧に山を修行場として明け渡すのに当たって籠った宝窟に建てた、岩屋戸のダブルミーニングだろう?」

「そうだね。で、諸伏のフルネームは?」

「諸伏景光だろうよ。……うん?」

「判った?」

 

 苦笑交じりの相棒の言葉に、松田は黙って頭を掻くしかなかった。

 

**

 

 屋敷の大きさと、実際の空間は大きく差異がある。

 それは、『九頭龍大神の神域』であるが故だ。

 廊下は右に二つ、左に一つ扉があり、左側には水場らしいガラス戸もある。そしてその突き当りに、一見すれば普通の扉がある。

 その扉は押すと、すっと開いた。

 そして、飛び込んだ光景に降谷零は目を細めた。

 そこは、ざっと小学校の教室くらいの広さはある、洞窟の中だった。

 夢で見たよりは広く見える、蝋燭三本の薄い明りに照らされたその空間の中央に畳が三枚ほど敷かれ、そこに布に埋もれるようにして諸伏景光が眠っていた。

 零が一歩踏み込むと、弾かれたように景光は跳ね起きた。

 殺気を飛ばそうとして、そこに居るのが幼馴染みであると気付くと、困惑を隠さず眉を潜めた。

 

「ゼロ? どうして此処に」

「ヒロ、話がある。側に行って良いか?」

「え? あ、うん」

 

 寝巻きにしているらしい、白い単衣姿の幼馴染みの前にどかりと腰を降ろすと、零は再会した頃よりは肉付きが良くなったものの、未だに痩せている幼馴染みに向き直り、開口一番こう告げた。

 

「ヒロ、三月に入ったら、各国の警察や諜報組織を交えた正式な合同捜査本部を立ち上げる事になる。

 『黒尽くめの組織』を潰す為、各組織の足並みを揃えるところまで来たんだ」

「! そうか、おめでとう、ゼロ。ついにそこまで来たんだ」

 

 中途で、ノックばれと言う形でリタイアこそしたが、景光も組織壊滅の為に潜入していた身だ。

 任務が最終段階に入ったと言う話は、最早関わる事は出来なくなったとはいえ、景光にとっても喜ばしいものだった。

 だが、その話をしつつ、零は何処となく思い詰めた顔をしていて、それが不安で景光は幼馴染みの目を見ようとした。それに向かって、すっと目を閉じ、零はこう告げた。

 

「ヒロ、俺はここに報告と一緒に、九頭龍大神に二つの事を願う為に来た」

「え?」

「一つは、作戦に関わる日本警察の警官達への加護だ。戸隠山の九頭龍社は心願成就の御神徳が高いと聞く、確実に危険を伴う任務だ、叶う事なら参加する警官達の無事を願いたい。勿論、近く戸隠神社にも足を運び、神職の人にきちんと御祈祷をして貰う予定だ」

 

 幼馴染みの言葉に、景光は言葉を返そうとして、止まった。

 何故そんな事を彼が言うのか、良く判らないと思う一方、それだけ覚悟しているのかと思う自分がいる。……彼もまた、自分を『人ではない者』として見ている。そう思おうとした時だった。

 

「今一つは、俺が、降谷零が全力であの組織と向かい合えるように、俺の幼馴染みを返して欲しいと言う事だ」

「……え?」

 

 問い返そうとして、景光は手を取られ、零の腕の中に抱き込まれた。

 

「ぜろ?」

「本当は神様とか、未来世界とか、歴史とか、どうでもいい。

 俺の幼馴染みを、俺の親友を、俺が愛している人間を、返して欲しいんだ。俺のヒロを、俺が愛している諸伏景光を返してくれ、俺と言う存在がこの世にある間だけでもいい、それが叶うなら、俺は俺の命に代えてもあの組織を壊滅させて、未来世界の望むとおりの歴史を作って見せる、だから!」

「ゼロ!?」

 

 必死に、喚き散らそうとする幼馴染を止める。

 

「ゼロ、駄目だ、俺は半端者だけど神様なんだ、そんな存在の前でそんな事口にしちゃ駄目だ!」

「知ってる。付喪神に付け焼き刃的に神格を付与した刀剣男士ですら、一族郎党に及ぶ祟りを為したって、ハギ達から聞いてる。でも、俺の願いを叶えられるのは九頭龍大神だけだ‼」

 

 叫んで、抱き締める。

 

「神様にされて、神様として振る舞うことを強制されてる幼馴染みを、諸伏景光を返してくれ。俺はもう、二度とこいつを一人にしない、したくない‼ 俺が俺である以上は、ヒロと一緒にいたいんだ‼」

 

 どくりと、心臓が波打つのを感じて景光は目を閉じた。

 

「ゼロ、自分が何を言っているのか、判っているのか?」

「判ってる」

「神様って、人間が思っているよりズルくて勝手な存在なんだぞ?」

「神話なら、色々読んでるよ」

 

 幼馴染みを諦めさせようと、景光は必死に事実を突きつける。

 

「俺は、二回死んだ人間だ、三分の二はもう人間じゃない、九頭龍と同化して離れる事も出来ない。お前が望むような事は、無理だ」

「違うだろう」

 

 ぐいっと抱き寄せ、額を打ち付けるようにして零が唸る。

 

「まだ三分の一も人間なんじゃないか! それに、なあヒロ、神様は幸せになっちゃ駄目なのか? ……俺は幸せになっては駄目か⁉」

「それとこれは」

「そうじゃない、俺が幸せになるのに、ヒロが必要なんだ‼ ……それとも、ヒロは、俺と一緒にいるのは嫌か? あの時、お前を一人で死なせた俺を、お前は憎んでるか? 怨んでいるか?」

「そんな訳、俺が何でゼロを、」

「だって、この間やっと気が付いたんだ。ここで一緒に眠っているお前が、潜入中に人殺しをした後一人で眠ってた時と同じように、小さく丸まって寝てた事に。

 俺が側にいたのに、お前、全然気を許してくれてなかった」

 

 零の言葉に、声もなく景光はショックを受けた。

 彼自身も自覚無く行っていた事だった。

 何れ自分は彼の前から消えるのだと、置き去りにしてしまうのだと思う余りに彼に抱き締められるに任せ、自分から手を伸ばす事をしなくなっていた。小さくなって、彼の熱を受けるに任せていた。

 それを、自殺してでも護りたかった相手に拒絶と取られたと理解した途端、九頭龍の中で小さくなっていた諸伏景光は恐慌状態に陥った。

 

「違う、違うゼロ、だって、俺がこちらに居られるのは時間制限があって、俺はもう当の昔に死んだ人間で、ゼロの人生に干渉しちゃいけない人間で、居なくなる人間が、ゼロを煩わせちゃ駄目だって、だから、俺、おれは」

「ヒロ!」

 

 小さくなって頭を抱える思い人を、零は敷布代わりの布の海に押し倒す。

 狼狽えたように揺れる朱金の左目と、涙で融け落ちそうになっている灰青の右目を覗き込み、零はもう一度問い掛ける。

 

「難しく考えなくていい、なあ、ヒロ。

 俺と一緒に居るのは嫌か? 触られるのは嫌か?」

 

 緩く首が左右に揺れる。

 

「俺の声を聞くのが嫌か? 話をするのは苦痛か?」

 

 今度は激しく左右に降られる。

 

「死んだ事になっているから、俺と一緒にいられない、そう思っているんだな?」

 

 戸惑い混じりに頷くのに向かって、溜め息が降って来る。

 

「そんな事に引っ掛かってたのか、お前は。

 戸籍上、お前は死んでない。葛の葉が押さえてて、お前は普通に生きてる事になってるよ。

 それに、木場さんって人に言われたよ、二〇〇〇年代の九頭龍とも同化している以上、二二〇〇年代に帰って此方とリンクが切れるような事が有れば、折角造った結界が崩壊するから、九頭龍にはこの時代との接点を維持して貰わねば困るって」

「……え?」

「だから、これまでと一緒、この『本丸』から、今まで通りに二〇〇〇年代にも二二〇〇年代にも行けば良い、否、九頭龍の結界を維持する為には、こっちにも居なきゃ駄目だって話だよ。『葛の葉』の人間が言ってたんだ、時空の狭間に『本丸』があり、九頭龍の霊力があるから可能な事だから、って」

 

 言われた言葉を反芻するうちに、景光の瞳から涙が溢れ出す。

 

「俺、居て良いんだ?」

「そうだよ」

「ゼロの前から、消えなくて、良い?」

「そうだ。だからヒロ、一緒に居よう。ハギも、松田も、伊達も、お兄さんも、皆と一緒に生きよう?

 お前一人が苦しむ必要なんかないんだ。お前、何れは三人の事も自分から離して、一人でこの岩屋の中に一人で籠ってしまうつもりだったんだろう?」

 

 目を閉じ、小さく頷いた思い人を抱き込み零は横になった。

 

**

 

 ちらちらと揺れる灯火の薄暗い明りの中、そっと二人は互いにキスを振らせる。

 相手がそこに居るのを確かめる為に、互いの衣類を開き、互いの素肌に赤く印を落としていく。

 

「しまった、汗」

「良い、ゼロ、良い匂いがする」

 

 警察庁から真っ直ぐここに入って来た事を思い出し、身体を離そうとした零に景光が縋り付き、首筋に顔を埋めて来た。

 これまでにない反応に気を良くして、すぐ傍に見える耳朶を軽く甘噛みして、目を合わせるとそのまま舌を絡ませるように口付ける。

 本当に寝間着として、薄い白の単衣一枚だけを纏っていた景光を脱がせ、漸く目立たなくなった刀傷の上に唇を落としていく。

 ただそれだけの事に、景光はむずかる様に声を漏らす。

 そして、あの魚人面《インスマス》野郎によって子供のようにされた陰部で、本当に薄っすらと生え始めた箇所の下で緩く立ち上がった彼自身をそっと握り込み、ゆっくり刺激を与える。

 甘く喘ぎつつ己の名を呼ぶ思い人に、気を良くした零は相手が吐き出したもので濡れた指で後孔を撫でる。

 待ちかねたと言いたげに、指をしゃぶるそこに新たな指を増やしつつ、胸の二つの飾りに舌を這わせ、吸い上げ、軽く歯を立てて喘がせる。その零の頭を抱き込み、景光は高い声を上げる。

 あの、意味もなく全身を舐め回す男達とは違う、性感帯を掘り起こし、その悦楽で己を溶かしてしまおうとする――長年の思い人に景光は、恐らく今迄で初めて凡てを委ねていた。

 形も硬さも、すっかり覚えてしまっている逸物で前立腺を捏ね回され、際奥の結腸を突き破らん勢いで突き上げられ、その総てを快楽として受け入れた景光は涙と共に己を犯す男を呼ぶ。

 単語になっているのは、もうそれだけだったから。

 

「ああ、ぜろ、そこぉお!」

「ヒロ、また出るっ」

「んんっ、ぜろ、あぅ! ふぅ、ああああ!」

 

 少しでも離れるのは嫌とばかりに、縋り舌を絡めるようにしてキスを繰り返す。

 しかし、正常位はともかく、後背位も騎乗位も普段なら恥ずかしがる座位も全て受け入れるのに、流石に零は違和感を覚え、喘いでいる景光の身体を見た。真っ白な下腹部に浮いた、赤い文様のような痣が目に付いた。

 ハートマークのようなその文様に、何だと思った零の脳裏で、【バーボン】が唸るのが聞こえた。

 

『あの半魚人、僕のスコッチに何仕込んで!』

(どう言う事だ?)

『淫紋ですよ! あの半魚人の奴、性欲でスコッチを狂わせて、自分のものにするつもりだったんですよ! これは、ぶっちゃければ半永久的に作用し続けるセックスドラッグみたいなものですよ、廃人一直線ですよ!』

『……糞、あいつ滝捜査官を介して、奴が資金やら設備やら横領した【財団】に引き渡したんだったな』

 

 唸っている【バーボン】に【降谷零】も一緒に唸る。だが、それに向かって【安室透】が言い放つ。

 

『【バーボン】、貴方なら、これを書き換えて吉野君に負担にならない程度にする事、出来るんじゃないですか?』

『出来なくもないけど、こんなもの無くても元々スコッチは僕のものですよ。大体、あの糞魚人にしてやられたまんま何て、腹が立ちますしねえ』

(どうするんだ?)

『潰しますよ、当たり前でしょう? スコッチが壊れても良いんですか?』

 

 そんな事をぼやきつつ、下腹部のハート型の何となく卑猥なそれを片手で覆い、【ソーマ】としての力で焼き潰す。それが淫紋で負荷を掛けられていた神経に障ったのか、景光は喘ぎながら手から逃げようとする。

 それを引き戻し、首筋に幾つ目かも判らないキスを落とした。

 それだけで、ひくひくと感じ入っている身体を抱き込むと、対面坐位でキスをした。

 

「あ、あぅ、うあぁ、ぜろぉ」

「大丈夫、ヒロ、何も怖いことしないよ」

 

 啜り泣きながら、それでも零の手にされるがままになっている景光は、やがて精液とは違う、透明な体液を零しつつ布の中に沈み込んだ。

 それが、所謂『潮吹き』だと知っている零は、何時の間にか用意されていたタオルで軽く恋人の身体を拭うと、そのままその身体を抱き込み布の中に寝転がった。

 その寝顔が、この間の検査入院の時のような、潜入捜査の頃に同衾したような、何より学生時代に二人で暮らしていた頃のように穏やかで安心し切った顔である事を確かめ、零は抱き寄せたまま目を閉じた。

 

**

 

 夢を、見た。

 

 それは、何時か見た夢に似ていて異なる夢だった。

 大きく枝を広げる桜の巨木の下、幼い諸伏景光が眠っている。小学校の三、四年くらいだろうか?

 平安時代の童子のような、水干姿で幹に凭れて眠っている彼の首には、翡翠色の鎖と黒く薄汚れた注連縄が絡みついている。

 良く見ると、鎖は桜から伸びているもので、汚れた注連縄は何処とも知れない暗がりから伸びていた。

 

「これ……」

『鎖は九頭龍との繋がりでしょうけど、この注連縄は何かな?』

 

 そう言ったのは、何時の間にか隣に立っていた【安室透(スドリスティ)】だ。仮面を手に持ったままそうぼやく彼の後ろから、不機嫌そうに答えたのは同じく仮面を手に持つ【降谷零《スーリヤ》】だ。

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『恐らく、未来世界、【時の政府】とやらの執着や粘着の象徴じゃないか?』

「何だよ、それ」

 

 むかつきつつ、寝ている景光の横に行くと、その注連縄の所為で首が締まっているのだろう、心なしか苦しそうに見える。

 

『何をするんです?』

 

 問い掛けるのは【バーボン(ソーマ)】だ。判ってる癖に、わざわざ聞く【バーボン】に答えず、景光の首に絡む注連縄に手を掛ける。

 じりっと手に痛みが走る。見た目ボロボロで汚い注連縄は、見た目に反して針金でも芯に入っているのか中々千切れそうになかった。……自分の手が、眠っている景光と同じくらいの子供だから、と言う事は無い筈だ。

 

『ああ、無理しないで』

『俺達に声を掛けろ』

『ほら、切りますよ』

 

 三人が手を掛け、それぞれの方向に引っ張ると、先程までの固さが嘘のように注連縄は千切れた。

 首が楽になったのだろう、うっすらと笑って眠っている景光の横に座って、ふと長く伸びている鎖に気付いた。

 何となく、それを左手首に巻くと、こてんっと景光の頭が肩に乗った。

 もしや鎖で引っ張ってしまったかと思ったが、鎖には十分余裕があるので、単に横に人がいるから――いや、自分がいるから凭れ掛かって来たんだろうと判断して、そっとその旋毛に唇を落とした。

 

 

 そんな俺達を、三人の男(おれ)は其々の表情で微笑み見詰めていた。

 

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