夏休みの三分の一が終わったとある日。
喫茶店ポアロに、毛利蘭、鈴木園子と共に、跳ねっ毛に勝ち気そうな少女がやって来た時、安室透こと降谷零は吉野景光と一緒に賄いを食べ、食後の一服の最中だった。
「お邪魔します」
「こんにちわ、瀬良さんこっち」
「こんにち……あー!」
初対面の少女に大声と共に指差され、吉野はそれこそ驚いた猫のように目を大きく見開いた。
行儀の悪い女子高生に、内心盛大に舌打ちした降谷は、だが同時に視界の端から吉野の顔を外さないようにした。
彼女、瀬良真澄は降谷の予想通りこう言った。
「スコッチ! あんた兄貴の友達のスコッチだろ!」
「……は?」
少女の言葉に、片手で口許を覆いつつ考え込んでいた吉野は、困ったように降谷の方を見て、ポツリと言った。
「えーっと、古い刑事ドラマかな?」
「は?」
思わず聞き返したら、言った当人は眉を下げてこう言った。
「いや、こんな日本人丸出しの人間捕まえてスコッチなんて、何かのドラマか何かかなって思って、そしたら昔同級生がヘビロテで見てた、昔の刑事ドラマ思い出して」
確かに、熱血刑事ドラマの金字塔の中、『スコッチ』と言う渾名の刑事が居たと思う降谷の横で、真澄の方はそうじゃないと声を上げる。
「四年前、駅で兄貴に会った時、僕にベースでドレミ教えてくれたでしょ!」
「四年前?」
少女の言葉に、吉野の瞳が揺れた。
そして少し屈んで彼女と視線を会わせ、彼はポツリと言った。薄い色合いの瞳が、より美しい琥珀色に光る。
……『彼』の灰青色の瞳と、吉野景光の瞳は、確かに懸け離れていて。
「よく見てくれ、俺の顔、本当に見たことあるかい?」
「え?」
途惑う少女に向かって、吉野は淡々と言葉を連ねる。
その顔は、……標的をスコープ越しに見ている時の『スコッチ』に酷似していて、降谷の心臓が大きく跳ねた。
「君には悪いが、俺は公共機関を使うようになったのはここ半年で、それまでは仕事の関係で車での移動ばかりで、駅に立ち入った事は無い。
四年前は、仕事で目まぐるしく日本中を移動してたから、正直何処に何時居たかを説明するのは難しいけど、俺は君に会った事は無いよ」
「でも、だって、」
反論を試みようとしている少女は、だがだんだん自信が無くなって来たのか、視線を下に向けてしまった。
そんな彼女の頭に、そっと吉野は手を乗せ、撫でてやる。その顔は、先程迄の狙撃手ではなく、何時もの吉野景光だった。
「お兄さんに、何かあったのかな?」
「え?」
「だって、四年前に一度会ったきりの人間を、早々覚え続ける事は出来ないよ。何かの要素があって、それに付随するから覚えてるって事が多いんだ。
さっき、君は俺に向かって言っただろう?
『兄貴の友達』って。
だから、お兄さんに何かあったから、お兄さんに関わる人間を探してて、印象の重なる人間に声を掛けたと思ったんだ。どう?」
「あ……」
言われて、納得したと言いたげに真澄は顔を上げる。
少女が落ち着いたのを見計らい、降谷は女子高生三人にお冷を運んだ。注文を受けてハムサンドとコールドドリンクを運ぶと、お冷のお替りを持って来た吉野に向かって園子がこう聞いた。
「でも、さっき世良さんに向かって違うって言った時、吉野さん凄く怖い顔してたけど、どうしたの?」
「え? 俺、怖い顔してた?」
女子高生達に一斉に頷かれ、困ったように吉野は降谷を見た。
「そうだね、ちょっとピリピリしてて怖かったかな」
「えー……あー……参ったなあ、吹っ切ったつもりだったんだけど」
「どう言う事だい?」
「あー……実は、四年前から三年前、俺仕事立て詰めて、なるたけ一か所に居ないようにしていた時期があって」
頬を掻きながらの言葉に、思わず引っ掛かる。
「へえ……うん?」
「仕事先の人に、その、いきなり『会った事があったよね』って手を掴まれて。いや、初対面だったんだけど」
「「「え??」」」
「何か会う度に言ってる事がおかしくなるって言うか、会って一週間目には俺その人と結婚の約束してる事になってて、どころか何か小学生からの許嫁とか言い出されちゃって」
「えっと、随分積極的な女性なんですね?」
毛利蘭は、何とかまだ常識内の話しに収めようとしたが、遠い目になった吉野はぽつりと一言。
「男だったんだ」
「「「「ゑ?」」」」
「俺より十歳年上、関西の地方旧家の出で代議士やってる人間の三男坊で、親に甘やかされ尽くしたキモオタ入った馬鹿坊ちゃんだった。
当然ながら会った事も無い相手で、そもそも俺の仕事先のお飾り幹部って立場の人間だったんだ」
吉野の言葉に、園子と蘭は心底ぞっとしたと言う顔になり、真澄はピンとこない様子で首を傾げ、降谷零は余りの事に言葉を失い、持っていたお盆を握り潰していた。
吉野の方はと言うと、ここまで話したからには一緒と思ったか、死んだ目で話し続ける。
「こちらの都合はお構いなし、体中べたべた触って来るし、上司も同僚も誰彼構わず『間男だ!』って騒いで迷惑かけてくれるし。
あんまりなんで職場が勤務変更してくれたんだけど、そしたら変更された勤務先に乗り込んで騒いでくれて。それを五回くらい繰り返したら、静かになったんで諦めたかなと思ったら一月後に拉致られて」
「「「「「ええええええ」」」」」
「逃げられないように全裸でマンションのペントハウスに監禁されて、しかも水も食料も無い状態で放置してくれて。挙句に監禁3日目で顔出したと思ったら、何かヤクザかどっか相手に金積んだとか言って、知られたら親の首が確実に飛ぶ違法薬物使って強姦しようとしてくれて」
「それからどうなったんですか!」
「梓さん!?」
何時の間にか増えていた、先輩バイトに降谷が驚く横で、深々と嘆息しつつ吉野はこう締め括った。
「拉致られた丁度その日に、高校大学の友人と飲みに行く約束してて、幹事引き受けた俺が来ないって言うんで、そいつ等が探してくれたんです。ぼかしてはいたけど、職場のトラブルで付き纏われてるって話はそいつらにしてたんで。
会社の方も手を貸したんで、幸い強姦も薬物も未遂で助かったんだけど、ちょっと人のいない部屋に一人でいるのが苦手になって、暫く友人の家に転がり込みました……って」
「吉野くん、それでそのキモオタクズ野郎は今どうなってんのかな? うん? まさか何事もなく自由を謳歌してるとか……無いよね?」
「安室さん、肩痛いです」
「あ、ごめんっ」
思わず詰め寄ってきた降谷に肩を握られ、吉野が声を上げる。
「でも、そんな事やった奴、放置しちゃ危ないですよ、吉野さん」
「そうよ、ちゃんと警察に突き出さないと」
「犯罪者じゃん、放置しちゃ駄目だよ!」
それに対して、吉野は答えて曰く、「判らないんだ」と一言。
「「「「「え?」」」」」
「そいつがやった事とか、迷惑かけた俺の依頼人とか、何処のヤクザに関わったかとか、どうも色々友人達が色々調べて相手の親にそのデータのコピー送り付けて、息子どうにかしないと即刻マスコミにばら撒くって脅したらしいんですよ。
で、その結果そのキモオタ馬鹿息子、親に厄介払いとして海外に放り出されたらしくて、どうなったか俺は知らないんです。友人達は何か知ってるらしいんですが、誰も教えてくれなくて」
語られる内容に、女性陣が凍り付く。
その時カランとドアベルが鳴って、すっかり顔見知りになった大学生達が六人、どやどやっと入って来たので、話はそこまでになってしまった。
ただ、向こうで女子高生三人が、
「「「権力とお金のあるキモオタ怖い」」」
と、話し合っているのが聞こえ、全力で同意しつつ逮捕したいと思う。
機会があれば、その友人とやらに会いたい、そして詳細を聞き出したいと、降谷は思った。
セーフハウスに戻ると、バスルームから水音がしている。
先に戻ったライかスコッチがシャワーを浴びているのかと、気にせずリビングに入ろうとして、水音に紛れて嗚咽とも唸り声ともつかない声が混じっているのに気付き、慌ててバスルームを覗く。
「う……あ、もう、……くそっ」
「スコッチ!?」
バスルームにいたのは、シャワーで全身ずぶ濡れの状態で、だが潜入用の礼服を纏ったままスラックスとラインを出さない為に穿いていたTバックを下ろし、覚束無い手付きで自身の後孔をいじっている
確か今回、自分達三人は別々の任務を言い渡された。
自分は、とあるホストクラブでの情報収集、ライは暗殺、そしてスコッチに命じられたのは、地下カジノの下見だった筈。
「何やってるんですあなた、貴方にそんな趣味あるなんて、これまで聴いたこともありませんよ」
「馬鹿、違う、ぐっ」
「え、あ、まさか」
「カジノ、客に、絡まれ、て、尻の中に、なんか、入れられて、だせ、な」
カジノ客に紛れていた変態に絡まれ、孔に何かを入れられたのを、ここに戻って必死に取り出そうとしていたらしい。
だが、向きが悪いのか巧く摘まめない上に、関係ないもの――例えば、前立腺、とか――を刺激してしまい、彼はどんどん追い詰められているようだ。
すっかり赤く染まった目元と、シャワーで濡れて肌に張り付いている衣服と、乱れている息とに思わず唾を呑む。
もやもやするものを頭を振って追い出し、精密作業用のゴム手袋を嵌めた手を見せながら近付いた。
「僕が取り出します、じっとして」
「あ、待て、そんな」
「動かないで下さい」
もがく身体を押さえ込み、孔口に指を這わせる。それだけで跳ね上がる身体を、無理やり暴いて指先に触れたものについ舌打ちが出た。
引き出せたのは、潰れたゼラチンカプセルの残骸。
胎内の水分でとうの昔にふやけて、中に詰められていた薬品は裂けて腸に吸収されて。
「あ、あ、うあぁ」
指の動きだけで、スコッチは快楽を感じているようだ。だが、その快楽から逃げようと、必死にタイルに爪を立て、立ち上がろうとしている。
ああ、
「スコッチ、駄目だ、ほらこっちに来て」
「っ、あ、やめ、あ、バーボン、うわぁっ」
シャワーを止めて、背後から抱き込むようにして彼自身を握り込み耳許で囁いた、それだけで
刃物のような灰青の瞳が、快楽に潤んで怯えてるのを見た時、何かが音を立てて外れたのが判った。
理性じゃない。警官としての責務? そんなものじゃない。
唇を奪う。これまでふざけたり、芝居で重ねたような軽いものではなく、吐息も何もかもを奪うつもりで彼の口腔を犯す。
薬の効果か、もう
「……ぅあ、ぜぉ? あ、……ぁ、」
「好きだよ、ヒロ。愛してる」
耳もとで囁き、引き抜いた指の代わりに、自身の逸物を押し当てた。
キャパ超えし、此方に衝き挙げられるのに合わせて、スコッチは甘く泣きたどたどしくねだってくる。
「ゼ、ロ。あ、ん、もっと、あ、あ、ぁ、」
彼の胎内に、全てを注いでしまった時に理解した。
あの時外してしまったのは、『常識』。
彼を同僚でも、同期でも、親友でも、家族でも無い、生涯番う
朝日の下、顔を覆う。
思い出してしまった。
彼の死後、幼馴染みと、親友と、同期と、同僚と、そして同士とレッテルを付けてごまかしてきた事。
諸伏景光と言う人間を愛していると言う事。
目の当たりにした筈の彼の死をひっくり返し、その生存の可能性を
飛び起きた。
潜入中、向こうでの足場固めの一環でやった任務でババ引いて、自称『紳士』の変態にねじ込まれたセックスドラッグ。
セーフハウスに辿り着いた辺りから記憶がなかったのに、たった今判ってしまった。
余りの事に息が止まりそうで、耳から心臓が飛び出すんじゃないかと言うほど己の鼓動がうるさい。
寝間着の合わせを寛げると、最初に目に飛び込むのは瘴気塗れの刀剣十数振りで滅多刺しにされ、斬り付けられた傷痕。
諸伏景光が、『染井吉野』にならねばならなくなった一因の一つだ。
左胸を撃ち、肺と大動脈を損傷する形で自殺した諸伏景光の肉体は、組織の始末人の振りをした二二一一年の政府関係者によって持ち去られた。
二二〇五年から始まった、歴史修正主義者との戦争の為、時の政府は大量の審神者が必要だった。
審神者一人によって、一個師団に相当する兵力が生まれる。刀剣男子と言う『兵器』を、ある意味無制限――資材と審神者の霊力次第だが――増産させることが出来るのだ。
しかし、同時に審神者になる為には、刀剣男士を顕現し維持出来るだけの霊力が絶対必要だった。だが、それは万民に平等に与えられるものではない。
生まれ持った資質か、さもなければ臨死体験による後付け。
そして時の政府の過激派は、造兵の為過去の死亡者――特に国への忠誠心が高いだろう、殉職公務員を死亡確定直後に拉致し、蘇生し審神者として徴兵したのだ。
そう言う形で蘇生された諸伏は、過激派、否ブラック陣営にとって桁外れの存在だった。
当人も知らなかったが、諸伏の家には廃仏毀釈によって戸隠神社から還俗した宗僧が何人も家系に入っており、元々高かった霊力に臨死体験と言うブーストを掛ける形になった結果、浄化力の高さまで備わってしまった。
その事に目を着けたとある高官が、自身の三男――昨日、誤魔化す為にでっち上げたストーカーのモデルだ――が作ったブラック本丸の浄化と、霊力タンクとして諸伏を投げ込んだのは余りにも典型的な案件だった。
問題は、そのブラック高官の息子の本丸が、既に手遅れだった事。
ブラック本丸と呼ばれる事態のテンプレを極めたその本丸で、最近折れて雑用の為再顕現されたばかりだった初期刀五振りと同じく打刀の鳴狐、同派の愛染国俊を守る為に辛うじて正気を保っていた蛍丸、そしてその時唯一生き残っていた粟田口派短刀であった信濃藤四郎以外の所謂レア度の高い刀剣達は皆、祟り神に落ちてしまった。
諸伏が連れてこられたその日に審神者を斬り殺し、その穢れ歪んだ刀身で、拘束され逃げられないようにされていた諸伏を滅多刺しにしたのだ。
某天下五剣と赤く染まった鶴に、最初に刺し貫かれそうになった時、オレンジ色の着物と白い尾のような房が特徴的な陸奥守吉行が飛び出し、諸伏を庇おうとした。が、顕現されてまた一桁の練度の打刀に、特が付いた程度とは言え落神と化した二振りにはかなわず、諸共に貫かれてしまった。そしてそれを合図に、諸伏を落神十五振りが刺し貫き、斬り付けた。
その穢れに対する自己防衛の所為か、それとも付喪神とは言え神格を持つものの血を浴びた事が呼び水となったのか、諸伏景光は『目覚めて』しまった。
戸隠山に眠る、そして日本と言う国の各地に名を残す九頭一尾の龍神。
所謂天神地祇の名に押され、一部では神々や高僧に封じられたと言われたその神は、しかし戸隠山の地主神として二二〇〇年代でも変わらず祀られ続けている存在で、そして諸伏家はこの時代には忘れ去られていたが、『
祖先神である九頭龍大神として覚醒した諸伏景光によって、祟り場と化した本丸は焼き払われ、水底に沈められた。
切り傷に紛れた、左胸の丸い傷――己の命を絶った、銃創をそっと撫でる。
この任務が終われば、もう二度と降谷零に会う事は無い。
万が一の場合でも、『警察庁公安の降谷零と彼であると思われる存在』は審神者として徴用しない、これを条件に諸伏は審神者になり、また政府役人兼業を了承したのだから。
「……ゼロぉ」
名乗りたい、名乗れない。
補佐役についてくれた同期三人からは、仮死状態だった事にして戸籍を取り返せと何度も言われた。
それでも、無理だと思った。
だって自分は、既に三分の二以上『人間』ではなくなってしまっているのだから。