※この作品はR-18です。

九頭龍は桜の代紋を背負っている   作:怪傑忍者猫

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過去からの声

 夏の日差しの下、喫茶店ポアロに一人の客がやって来た。

 糸目に眼鏡、薄い色合いの頭髪を持つこの男、自称大学院生の二七歳、沖矢昴と言う。

 彼を見て、安室透こと降谷零はキャラ設定かなぐり捨てて殴り掛かりそうになったが、その前に吉野景光が沖矢の前に立った。

 

「いらっしゃいませ、お一人ですか?」

「はい、ですからカウンターで結構ですよ」

「ではこちらへどうぞ」

 

 沖矢を座らせ、お冷やを出そうとした吉野に、そのコップを取り上げ降谷は笑う。

 

「もう休憩時間でしょう? 後は僕がやっておきますから、吉野くんは休憩に入ってください」

「でも、お客さんが」

「大丈夫、手が足らなくなれば呼びますから」

「……判りました、忙しくなったら呼んでくださいね」

 

 一礼して奥に下がった吉野を見送ると、彼に向けていた安室透の顔から公安警察としての降谷零の顔で、済ました顔でお冷やを口にする沖矢を睨んだ。

 幸い、今客は沖矢一人で、店員も休憩に入らせた吉野と降谷だけだ。

 

「……何しに来た、FBI」

「何って、コーヒーを飲みにですが?」

 

 へらっと答えられ、額に血管が浮くのが判る。

 

「今迄、然程来た事もなかっただろうに、……コナンくんの差し金か?」

「……ブレンドとハムサンド、いただけますか」

 

 あからさまな話題変換に、図星と取って小さく舌打ちする。

 他の客が来た時のごまかしもかねて、渋々コーヒーとサンドを作る降谷に向かって、変声器を止めて沖矢は赤井秀一として話し掛ける。

 

「生きていたのか、彼は」

「貴様に答える義理はない」

「呼吸も鼓動も停まって、組織の処分屋に持って行かれたと思ったが、あれは日本側の工作員だったのか? ……だとすると、君の態度が可笑しいな。君にも知らせずに彼を助けたと?」

 

 イライラが募った降谷が怒鳴り付けようとした、その時だった。

 

   ガタンッ! ガタガタッ

「!? 吉野君!?」

 

 物音に驚き、降谷がバックヤードの休憩室に向かい、腰を浮かせた沖矢《あかい》も後に続いた。

 休憩室に踏み込むと、吉野景光が呆然と床に座り込み、ぶつぶつと何かを繰り返し呟いているのに行き当たった。

 

「い……な、い、探さなきゃ、誰かに……れたら、まず、い」

 

 そう小さな声で呟き、無意識なのか左胸を右手で押さえている。いや、引き裂かんばかりにシャツを掴んでいる。

 慌てて傍に来た降谷が肩を掴んで揺するが、何処か遠くを見ている灰青の瞳は一切焦点を結ばず、意識を戻す様子がない。

 

「吉野君、しっかりしたまえ、吉野君!」

「けいた……壊して……情報、消して……まもら……な、きゃ……ぇ、ぉ」

「失礼!」

 

 軽い呼吸不全の兆候を見せ始めた青年に、降谷を押しのけ沖矢がその背中を背骨に支障が出ないよう加減しつつも強く叩いた。

 一瞬、衝撃で息が詰まったものの、激しく咳込んだ後瞬きをした吉野景光は、茫然と沖矢を見た。

 ぱちぱちと瞬き、困惑を浮かべた琥珀色の瞳が物問いたげに沖矢を見詰めた後、降谷の方へと顔を向けた。

 

「あの、安室さん、何が」

「ごめん、何か倒れたような音がしたから、様子を覗きに来たら、何だか君が魘されてたみたいだから」

「え? あ、そんな事が」

 

 判らないと言う顔で座り直した吉野は、自身が左胸のシャツを掴んでいた事に気付いて慌てて手を放す。

 そんな吉野の様子を観察していた沖矢(あかい)は、声を戻して声を掛ける。その瞬間、殺気交じりの視線が降谷から飛んだが。

 

「軽くですが、呼吸困難の兆候も出ていました。何か、持病でもお持ちですか?」

「え? ……あー、多分、前の仕事を辞める事になった怪我の所為、かも。一年入院してましたから、ちょっと後遺症が残ってる、かな?」

 

 頬に手を当てつつ、そう答えた吉野を沖矢昴は冷静に見詰める。

 

「もう少し休むと良いよ、人手が必要になったら呼ぶから」

「はい、お騒がせしてすみませんでした」

 

 吉野にそう笑い掛けると、降谷はがっしりと沖矢の後頭部を掴み、そのまま休憩室を後にした。

 放り出すように沖矢を店内に引き戻した降谷は、いらいらと冷めてしまった湯を沸かし直す。

 その降谷に向かって、沖矢(あかい)はこう言い放つ。

 

「だいぶ痩せてしまっているが、彼はスコッチだろう。かなり薄くなっているが、手にトリガーだこも残っているし、何よりさっきの譫言《うわごと》」

   ピッ!

「黙れ」

 

 サンドイッチを切ろうとしていたキッチンナイフを沖矢の鼻先に突き付け、『探り屋バーボン』の顔で降谷は睨み付ける。

 

「吉野景光がスコッチじゃないかだって? そんな事、僕が一番疑っていますよ。でも、『吉野景光』と言う人間が存在していた痕跡は見つかっている。戸籍も、学歴も、就職歴も存在している。唯一無いのは彼の交友関係です」

 

 憎々しげにそう言い放ち、降谷はざっくりとサンドイッチを切り分けた。

 

「僕は仕事の合間に、それを調べている真っただ中ですよ。

 自称大学院生の糞ニートが、偉そうに言わないで下さいな」

 

 そして沖矢の前にハムサンドとコーヒーを叩き付けるようにして出すと、そのまま降谷は背中を向けて洗い物を始めた。

 その背中を暫く見つけ、沖矢は静かにハムサンドを食べ始めた。

 

 

 午後五時、榎本梓と交代でバイトを終えた吉野景光――諸伏景光は、夕刻故にごった返すスーパーに足を向けていた。

 スマホに、同期から細々としたもの――職場で使う文具や乾電池等の購入を頼むメールが入っていた事もあって、普段は入らない大手スーパーに入ったのだ。

 メールに書かれていたものを、篭の中に入れていくうちに景光は背後の気配に気付いた。

 よくよく知っている気配と、彼について来ている小さな気配。ライこと赤井秀一と、元高校生探偵、今は毛利探偵事務所の居候の江戸川コナン。

 恐らく、普通なら気付かれないくらい――訓練不足故の稚拙さをサイズでフォローしている小学生はともかく、大雑把だろうが一応訓練校を出た赤井は捜査官として尾行をしている――の精度なのだろうが、景光には丸解りだ。

 ……以前なら、気付かなかったが今の彼には、その気になれば二人の呼吸と心拍数も判る。この、聞こえ過ぎる『耳』と鋭過ぎる『勘』の為に発狂しそうになるのを押さえ込む為、一月掛けて制御する事を覚えた。

 眷属となった事で、運命共同体になってしまった同期達を守る意味でも、彼は己の能力を完全に把握し、制御する事を覚えねばならなかったのだ。

 支払いを済ませ、スーパーから出たところで景光の方にトンっと何かの気配が乗った。隠形のままこんのすけの『竜胆』が乗ったのだ。

 

『吉野様、遡行軍です』

「! 場所は?」

『現地点より、東二二〇メートル、児童公園の奥です、転移完了まで後一分十五秒!』

「っち、『ポアロ』の近くじゃないか! 第一部隊は……俺が直接呼んだ方が早い、か!

 竜胆、走って角曲がったら認識阻害結界張って、彼らを巻いて現場に向かう」

『はい!』

 

 いきなり踵を返し、走り出した景光の事を凸凹追跡者も追い掛ける。だが、角を一つ曲がった途端。

 

「あ、あれ?」

「消えた?」

 

 曲がった後は、一本道の筈の路地に人影は見えず、江戸川コナンこと工藤新一は慌てて阿笠博士謹製の眼鏡をいじる。だが、沖矢昴こと赤井秀一は、暫く目を凝らしていたと思うと、

 

「こっちだ坊や!」

 

と言って、真っ直ぐ路地を走り出した。

 

「あ、じゃない沖矢さん!?」

「彼は真っ直ぐここを走った、間違いない」

「え、どうして判ったの!?」

 

 愛用の改造スケボーに乗りながらコナンが問えば、沖矢は一言こう返した。曰く、

 

「潜入捜査官の勘だ」

 

と。

 

 

 諸伏景光が公園に駆け込んだ時、既に歴史遡行軍の穢刀剣の乙種六振りは顕現を終え、人の姿を求めて出口に向かっているところだった。

 彼らを出すまいと、景光は手荷物を竜胆に預け、パンッと鋭く柏手を打った。

 

「来い、陸奥守吉行!」

 

 次の瞬間、景光の手の中に一振りに日本刀が桜の花弁と共に出現する。

 そのまま襲い掛かろうとした敵短刀二振りを、鞘を払った刀で撫でるように切り捨て、薙刀と太刀、打刀二振りとを睨む。

 その四振りの背後、頭上十メートルの常緑樹の梢に、空間転移用の簡易アンカーが設置されているのに気付き、景光は小さく舌打ちした。あんなところ、木の葉の多い今の時期なら、誰も気付かないだろう。しかも、精々一センチ程度のガラス玉だ、光でも弾かない限り冬になっても気付くかどうか。

 そのアンカーが光り、再び遡行軍の一隊が転移して来ようとしているのに気付き、景光は大きく息を吸った。

 

「信州戸隠山が地主神、九頭龍が現身として『染井吉野』が命じる。

 我が従者たるものよ、我が手に握る白刃よ、我が声に応え、我が前に顕現せよ。

 我と我の統べし土地に災い成すもの、穢成すものを、須らく打ち払え!!」

 

 腹の底からの声に応えるように、景光の周囲に桜吹雪が渦巻き、それは六人の人型と化す。

 山姥切国広、前田藤四郎、物吉貞宗、御手杵、鳴狐、ソハヤノツルキ、背中に九頭龍を背負った刀剣男士の器を持った従者達全員が、一斉に白刃を抜いた。

 

「皆は遡行軍を、俺はアンカーを潰す!」

「「「「「「おう!」」」」」」

 

 新たに転移して来た乙種の槍と、丙種の短刀三振りと脇差二振りを加え、十振りになった敵へと六振りが切り込む隙に、少し後ろに下がった景光は刀を足元に突き刺し、右手を中空のアンカーへと向けた。その手に、一見すると骨董品のS&W《スミスアンドウェッソン》アーミーモデル三二口径銃が現れる。

 邪魔しようと飛び掛かって来た短刀の頭部を、すれ違いざまにヘッドショットで潰し、左手で掴んだ刀で死角から飛び込んで来た脇差の首を落とし、景光は銃を構え直す。

 その隙に更に増えた敵刀剣に眉を顰めつつ、だが一瞬の集中でトリガーを引いた。

 瞬後、パンっと、軽い音とともにガラス玉は砕けた。

 

『反応消失、これで遡行軍の援軍は停まります』

「よし」

 

 管狐の声に頷き、景光も手にした刀を振るい銃を撃って、己に襲い掛かる短刀と脇差を相手取る。

 最後の大太刀を物吉と山姥切の二刀開眼で切り捨てると、公園はやっと静かになった。

 

「皆、ご苦労だった」

 

 そう言う景光の顔色は白くなっていて、部下の半数が蒼褪めた。が、古参の鳴狐と山姥切は慌てずこう答えた。

 

「主、鳴狐達はこのまま帰参する」

「書類はこちらで作って大島殿に回しておく、だから後は頼むぞ、総代殿」

「判っちゅう、任された」

 

 景光の手の中から刀と銃が消え、癖っ毛に海軍服を羽織った青年が現れる。『染井吉野《ひろみつ》』の初期刀である陸奥守吉行が、刀剣状態から人型に顕現したのだ。

 陸奥守がその肩を支えるのを待っていたように、ぐらりと景光の身体が揺れる。

 

「主っ」

「案ずるな、疲れが出たんだろう」

「最近、遡行軍が頻発しているから、主にも負担が掛かっているんだ」

「主の事は、儂がゲートまで運ぶ、皆ははよぅ本丸にもんてくれ」

「陸奥守殿、主殿もご一緒に……あ、」

 

 お供の狐はある事を思い出して、自分の申し出が意味がない事を思い出す。

 転移門の安全装置(セーフティ)の関係で、一度の移動出来る人数は決まっている。本丸からなら、二、三人用救護者を同時に離脱という操作が利くが、出先からはそれは出来ないのだ。

 しかも、今回は補佐役達が本丸にいない為操作は出来ず、その上転移門そのものではなく、景光が直接召喚する形で時空を超えた為、一度に通れるのは六人のみなのだ。――因みに、質量と言うより霊力的なものなので、例え顕現を解いていても意味はない。任務先などで未顕現(=霊力が通っていない)依り代を持ち帰るのとは事情が違うのだ。

 しゅんとなったお供の頭を撫でてやりつつ、鳴狐は山姥切に目を向ける。その視線に頷き、山姥切国広は部隊の撤収命令を出した。

 

 

「ねえ、昴さん、やっぱりいないよ?」

「いや、おかしいですねえ、この辺りにきっといる筈で」

 

 吉野景光を見失った二人は、元の通りへと道を戻っていた。

 その途中、見覚えのある青年を見付け、コナンはすいっという感じにスケートボードで近付いた。

 

「陸奥さん!」

「うん? おお、この間の。ケンが無茶な依頼をしてしもうたが、どがな様子かぇ?」

「うーん、やっぱり手掛かりが無いからみんな困ってる。もしかすると、ギブアップするかもしんない」

「かまんよ、ケンの奴も見付かると思ってた訳じゃのうて、ヒロを宥める口げ(こうじつ)に使ったがだ。近いうちに礼を言いに行くけん」

 

 陸奥と呼ばれた、ワイシャツにスラックス姿で小さな子供を背負った男は、少し屈んでコナンに視線を合わせた。

 

「もしかして、ヒロ?」

「ああ、また家から出て来てしもうたから、これから連れていぬるところじゃ。

 普段は我慢しちゅうけど、思い出すと会いたくなるようでな」

 

 コナンにそう言うと、陸奥は彼に手を振り、沖矢に一礼して歩いて行った。

 その、一見ごく普通の男を、沖矢は冷や汗と共に見送った。

 

 

 命のやり取りを続けた潜入捜査官の勘か、はたまた不思議の国イギリスの血故かは判断着かなかったが。

 

 

 警察庁公安から持ち出された某組織に対するノックリストと、それ絡みの東都水族館での観覧車崩落事件。

 『史実』では、転がり出たホイールは一つ。

 

「でも、どう見ても両方出す予定ですヨネー」

「ウッセエぞ萩原、手ぇ動かしやがれ」

 

 萩原研二と松田陣平の二人は、多重に張った結界の中で『正史では爆発物が無かった方』の観覧車から、爆弾を撤去している真っ最中だ。

 彼らの指揮下にある第二、第三部隊は、今回転軸から爆発物を回収している状況だ。

 辺りはすっかり夜の帳に包まれているが、九頭龍の眷属となった二人には大した障害はない。特に萩原の方は、右目が『竜眼』に置き換わっている事もあり、いざとなれば高性能拡大鏡代わりになる。

 

「要するに、これが歴修の工作なんだろうけどね」

「どうせやるなら、徹底的ってことだろうよ、胸くそ悪い」

 

 今、向こう側の大観覧車の上で、同期の首席様は因縁を作った相手――切っ掛けが自分だと知って、諸伏は白目になっていたが――と盛大に殴り合っている。

 ついでに言うと、その殴り合いがタイマー代わりでもある。先程眼鏡の小学生が非常階段を駆け上がった。そろそろ時間だ。

 

「よし、終了!」

「回収オッケイ、清光、そっちは!」

『こっちも終了、もう帰還ポイントへ移動始めてるよ!』

『小松殿、彼岸殿もお早く』

 

 部下達と交信しつつ、爆発物とその起爆装置その他を袋に詰め、踵を返す前に二人は遥か頭上を振り仰ぐ。

 

「ここで死なない筈だけど」

「生きろよ、降谷」

 

 そう呟き、二人はその場を後にした。

 ……が、合流した先で、二人はパニック状態の部下達から爆弾を投げ込まれる。

 

「何だと!?」

「吉野がライフル持って、観覧車の方に行っただぁ!?」

 

 顎を外しそうになっている二人に向かって、後詰として控えていた江戸彼岸《まつだ》専任のこんのすけ、時雨が慌てて答える。

 

『戦闘ヘリを照らし出す為に投げ付けられる筈の爆弾が、予定通りに爆発しない可能性が報告されて、それで吉野様が飛び出して行かれて』

「どうする、補佐殿、主を迎えに行くか?」

 

 面子の中で年長者になる、真っ白な羽織を纏った鶴丸国永の問いにしばらく顔を見合わせた二人は、同時に頭を掻きむしり、そしてそれぞれ指示を飛ばす。

 

「今俺達が向こうに行っても、騒ぎが大きくなるだけだろう。俺達は撤収だ。取り敢えず、時雨、何時でも吉野を強制転移出来るよう、竜胆と繋いでおけ」

「第一部隊は? ああ、何時でも動けるように待ってるのね? じゃあ、俺達は一度本丸に戻って、この周囲の巡回だ。疲労度の高い奴は控えと交代、もう少しで収束だ、気を抜くなよ」

「彼岸殿!?」

「良いのですか、小松殿」

 

 各部隊の新参隊員が声を上げるのに、二人は「構わない」と言い切った。

 

「あいつは、元々射撃ぴか一で、オリンピック候補って話も出てた奴だ、あいつが外す事なんざまずねえよ」

「そもそも、染井吉野は降谷零を守る事を目的で、この特命を受けたんだ。止めったって止まらないさ。おてぎーじゃないけど、あいつの銃弾は、『針の穴を通すがごとく』よ?」

 

 一部不満がある者もいたが、第二、第三部隊は二人と共に現場を離脱した。

 

 

 ぶん投げたキャリーバッグ一杯の爆弾は、だが降谷零の予想とコンマ数秒ずれて炸裂した。

 その一瞬前、消音器越しの銃声がした事も。

 慌てて振り仰いだ降谷は、直後に炸裂した花火の下、フレームの最上部に立っている第三者に気付いた。

 

 ライフルと、目深に被ったパーカーのフード。すらりと立ったその姿は、記憶のままで。

 

「……ヒロ?」

 

 人影は何も答えず、そのまま姿を消した。

 思わず後を追おうとして、だがホイールが外れ、転がり出した事に対応すべく走り出さねばならなかった。

 

 

 所謂黒の組織の悪足掻きで、大観覧車が破壊され、ホイールの一つが転がり出してしまった。

 そのまま、大勢の人が居るスタジアムへと転がるホイールを阻止しようと、キュラソーと呼ばれていた女は必死に走っていた。

 彼女の腹には、破壊された観覧車の破片――鉄柱片が食い込み、振動で少しづつ彼女の命を抉っていた。それでも、あそこにいる筈の子供達の為に女は走った。

 だが、クレーン車に取り付こうとした彼女を、何者かが引き留めようとした。咄嗟に振り払おうとして、女は顔を凍り付かせた。

 そこで女の手を掴んでいるのは、女《じぶん》と瓜二つの女だったからだ。

 

「私?」

「観覧車は、私が止めます。大島様」

「判っている、頼むぞ、蘇芳」

 

 呆然としている女を大柄でやや強面の男に託すと、もう一人の女はするりとクレーン車の運転台に乗り込み、そのまま猛スピードで観覧車へと突進させた。

 走っていくクレーン車を見送った後、男――大島こと伊達航は物言いたげな女にこう告げて、そっと目の上に手を置いた。

 

「大丈夫、子供達は必ず助かる。あそこに居る人達は無事だ、だからあんたはもう一度あの子達に会う為に眠るんだ。

 得体の知れない組織の女じゃなく、きちんと地に足をつけて暮らしている普通の女として、あの子達に会うんだ」

 

 ふうっと、彼女の身体からこわばりが消えたのを感じて大島は肩から力を抜いた。

 眠りに落ちた女を抱え、騒ぎの方をもう一度だけ見て、大島は踵を返した。

 事件が解決するのも、物的被害はともかく人的被害は最低限に抑えられる事も『正史』に記録されている。『キュラソー』がそこで死ぬ事も。

 だが、少年達が助け懐いた女性が誰だったかの記録はない。ならば、『キュラソー』ではない女性が生き延びても良いのではないか。

 四人はそう決め、『葛の葉』に掛け合った。幸い、葛の葉の現当主はこちらに好意的で、全面協力を得る事が出来た。

 唯一不可と言われたのは、『キュラソー』から組織の情報を得て、降谷零《同期》に流す事だったが、これは仕方がないと諦める事にした。

 やがて、不穏な音を立てて転がり続けていた観覧車は、クレーン車の破壊と共に停止した。

 とんっと、肩に相棒が乗ったのに気付き、労ってやる。

 

「ごくろうさん、蘇芳。怪我はなかったか?」

『怪我はありません、ただちょっと怖かったです。でもちゃんと器は残してきましたから、これで大丈夫ですよ』

「ありがとうな」

 

 漸く緊急車両が集まり始めたそこから、二人と一匹は姿を消した。

 

 

 

 

 

 夢を、見た。

 

 延ばした指の先すら見えない、不安に駆られるほどの暗がりの中、ぼんやりと光っているのが見えて。

 そちらに向かって向かって、歩いてた自分はそれを見出だした。

 天を覆い尽くさんばかりの巨大な桜の樹。九つの大枝を持つその木の幹に、三年前に死んだ同期で親友で幼馴染みで、剥ぎ取られた半身(番)だった相手が居た。

 翡翠色の鎖と、真っ黒に汚れた細い注連縄で縛り上げられ、そしてボロボロの大小二七本もの刃物を身体中に突き立てられ――彼の身に立てられた刃物の長いものは、彼を貫いて桜の幹に達しているだろう――白い顔で目を閉じている。

 

「……ひ、ろ」

 

 喉が張り付いた気がする。

 誰が、誰がこんな事を、彼が何をしたと言うんだ、御国の為にあんな組織に身を潜め、あげくに自殺と言う形で命を落とした幼馴染み(ヒロ)を、誰がこんな形で辱しめている‼

 怒りで眩暈を覚えつつ、せめて樹から下ろしてやろうと近付いて、気が付いた。

 彼の磔られた桜の根本に、大きく出来上がった血溜まり。その血溜まりに浸されるようにして、三人の人間が倒れている。

 彼らの顔は、良く良く知っているものだった。

 

 七年前、爆弾テロで亡くなった萩原研二。

 三年前、萩原の敵に寄って爆殺された松田陣平。

 二年前、事故死した伊達航。

 

 彼らは、桜から延びた翡翠色の細い鎖が首に巻き付き、そして。

 萩原は右目を失い、ぽっかりと空いた眼窩に桜の花弁が詰まっていた。

 松田の右手はぐちゃぐちゃに潰され、血塗れのその手を包むように、桜の花弁にまみれていた。

 伊達の左足、膝の辺りが血塗れで、そして彼の膝も桜の花弁に包まれていた。

 その光景に、ふと思ってしまった。

 

 あの桜は、景光(ヒロ)自身なのではないか、と。

 友人達の傷を癒そうと、花弁で包んだのは幼馴染みの意思じゃないのかと。

 

 そう考えると、あの黒い注連縄が嫌に浮いて見える。

 あれを外せば、ヒロは安らかになるのではないか。

 そう思って、巨木に近付いて、注連縄を外そうとしたその時。

 

「ぜ、ろ」

「来る、な……来ないでくれっ」

 

 悲鳴のようなヒロの声と同時に突風が起きて、それを凌いでいるうちに友人達ごと桜は消えた。

 

「ヒロ、どうして」

『どうして逃げる、諸伏』

『スコッチ、……僕から逃げるなんて、許さない』

『理由を聞かせてほしいよ、唯川洸、いや今は吉野景光と呼ぶべきなのかな』

 

 気付けば、背後に三人の自分が立っていた。

 目が覚める一瞬、三人の姿がぶれて、なにか別の姿に見えたのは気の所為だったのだろうか

 

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