※この作品はR-18です。

龍は真朱の黎明に鳳凰と舞う   作:雷電五郎(旧)

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序章


Preludio -前奏曲-

天正十年(一五八二年) 五月三十一日

 

 

むせかえるような湿度の合間に夜陰を震わせる蛙の声は、涼しげな高音で響き渡り耳の奥へと心地よく滑りこんでくる。

 

 

幾重にも共音する鳴き声とともに絶え間なく鼓膜を打つ川音は、痩躯を隙間なく包む具足と衣服のため、熱の滞る皮膚を内側から冷やすのに似た涼味を与えてくれるのだが、終始まとわりつく湿った熱気のせいで背のくぼみを伝い落ちる汗は一向に引く気配はなかった。

 

とはいっても、石井山山頂に程近い場所に構えた本陣は、青く生い茂る樹林の影のおかけで涼やかな空気を保ち、ひやりとした微風が淡い霧に巻かれた大気の中を時折吹き抜けてゆく。涼やかな夜気が漂う山中は、夕刻まで降り注ぎ続けた酷暑を癒し、拭っても拭っても吹き出す汗に濡れる体をひどく宥めた。湿度の高さからは逃れようもないが、平地における寝苦しさを考えれば、自身のいる頂き付近は過ごしやすい環境であることには間違いない。

夜闇に覆われて眺めることのできない山麓は、本来ならば肥沃な平野が横たわり、足守川の豊富な水量に守られた雄大な水田地帯が広がっており、苛烈な太陽の光に焦がされた土を優しく慰め、喘ぐような熱気に湿る空気を柔らかく冷やしてくれるはずであった。

 

だがしかし、流れる川のせせらぎとは別に、間断なく鼓膜を打つ水の弾ける音が、ともすれば緩みそうになる心の緊迫を不意に呼び戻す。行く先を見失いうねってはけ口を求める水流が、千成り瓢箪の馬印を掲げた本陣の目と鼻の先にたゆたっていた。日中、それら無残な光景を前にして押し黙る自軍の陣営は、各々の旗印を繁茂する緑の中になびかせ、静かに「時」の訪れを待ち続けている。

羽柴秀吉は床几にゆったりと腰を降ろし、上機嫌に鼻歌を奏で、自身の居座る本陣を始点とし、連なるように奇妙な湾曲を描いて灯るいくつもの篝火を目で数えた。ほんの僅か、自身の足元と言って差し支えない距離を覗きこめば、大地を切り取ったかのごとく広がる暗黒が揺れ動き、海辺に打ち寄せる波と同じく、質量を持ったその闇は幾度も波立ち地面を濡らして泥に変えてゆく。

黒い水面を囲う赤い炎の連なりは、暗黒の中へ陽炎のように白い城壁をぼんやりと浮かび上がらせ、悲壮感に満ちた情景を殊更はかなく演出した。淡く夜陰に照らし出される城壁は深い夜闇と同じ色をたたえた水に没し、今にも崩れ落ちてしまいそうな建造物を更に鞭打つみたく、ひしめく人影が厳しく包囲している。

刻一刻とせまる滅びの瞬間を待ち続ける眼前の城は、屋根と僅かな城壁を残してほとんどが水中に没しており、水上に残された箇所も数日内には泥水の中に消えてゆくことになるだろう。昼に見る光景は圧倒的な威風をもって相対する敵を驚愕に陥れ、夜この時、静寂が強まる程に絶望という名の諦観が微動だにしない敵陣営を焦燥へと駆り立てる。

 

秀吉の目の前に存在する濃い暗闇は一つの湖だった。湖の中枢となる場所に城が建っているという異常さは大軍を率いてやって来た敵方を圧倒したに違いなく、清水宗治を城主とする備中高松城を、今正に暗黒へと飲みこもうとしている泥水の滞留を、秀吉の頭脳が作り出したことは、味方の諸将をすら仰天させたことだろう。水上から突出した残り少ない空間には、城主と城兵達がいつ訪れるともしれない溺死の恐怖にさらされ息を潜めているはずだった。だが、城内に蔓延しているであろう悲壮と絶望とを想像することはできても、確たる信念に揺るぐことのない胸に死にゆく者への憐憫は、むしろない。

 

眼下に沈むこの高松城は、毛利家と毛利と同盟を組む周辺諸国が秀吉の率いる軍勢と戦うにあたっての、中国地方における最前線基地であり、本拠地への侵略を防ぐ第一の防衛線でもある。秀吉の調略によって備前、美作を統治していた宇喜多家は寝返り、続く播磨は毛利方の城であった三木城が陥落したことによって全域を平定されることとなった。また、因幡における鳥取城は苛烈な兵糧攻めにさらされて落城し、但馬を含んだ五か国が既に秀吉率いる織田軍の支配下に置かれている。毛利方にしてみれば、これ以上の領土侵攻をくい止めるには、高松城において攻め寄せる軍勢を押しとどめることが最善の策だと考え、そして、無論それが可能であると信じていたに違いなかった。ぬかるんだ土地に建つため攻め落とすことが困難とされる高松城を盾として前面に置き、秀吉軍を野戦に引きずり出して長期戦に持ちこめば、無駄に兵力を消耗し兵糧を失うことを余儀なくされる。城攻めとは元来そうしたもので、籠城する側は城を攻める側より優位であることが多く、毛利方とてそれを狙いとしていたはずだろう。

しかし、主要となる城を次々に落とされ、小大名や地方豪士達の寝返りが相次ぎ始めたため、中国地方において最大の勢力を誇っていた毛利方にも徐々に焦りの色が見え始めていた。この上、本拠地に近しい防衛線である高松城が陥落したとなれば、最早地理的優位に立つこともできず、兵力差による力押しを図ろうにも、目の前に広がる人工湖がそれを阻む。

現在、毛利輝元を総大将とした毛利軍は籠城もかなわず、まして、野戦を望むこともできず、同胞を抱いたまま水没してゆく高松城の様を、何の手立てもなく眺めることしかできない状態であった。

元より、秀吉は無駄に争うことより、早々に戦を終結させること強く望んでいる。だが、いまだ兵力において優位に立つ毛利方は講和の申し入れを一向に聞き入れようとせず、話し合いの席に着こうともしない。ならば、彼らが盾と自負する高松城を落とし、本拠地を脅かされる前に妥協することが得策だと知らしめることによって、毛利方の戦意を挫く他なかった。しかも、単に勝利し、相手の士気を殺ぐだけでは意味がない。決して太刀打ちできないという完膚なきまでの敗北感を敵に与えねばならないのだ。

三月に播磨の姫路城を出発し、兼ねてより誼みを通じていた備前、美作を領国とする宇喜多家の軍勢と合流した後、宇喜多の主城である岡山城に入った秀吉は、まず高松城城主の清水宗治に対して投降を促したが、再三にわたる説得にも宗治は頑として応じなかった。宗治に投降の意志はないということが明確になった以上進軍は止むを得ず、備中との国境線上に添って配された七つの城のうち宮路山城、冠山城の二つを難なく攻め落とし、残る加茂城、日幡城、松島城、庭瀬城もまた、調略を用いて落城させた。そして、最後の砦となった高松城に一度は攻勢をかけたものの、城の周囲は広大な沼地に囲まれた自然の要害を成し、正攻法で戦いを挑めば自軍に手痛い損害を負うことになると知って、秀吉は一度の攻撃で力攻めでは高松城を落とすことはかなわないと見抜き、損失を負う前に兵を引いた。元々秀吉自身、城を攻めるに際して力押しという短絡的な手法を好まないので、端から正面きって野戦を仕掛けるつもりは毛頭ない。自軍の被害を最小限にとどめ、尚且つ、敵方に甚大な打撃を与え得る方法を試行錯誤するのは、秀吉の得意とする分野でもあった。

秀吉は高松城を後方より見下ろすことのできる龍王山の頂きに一度本陣を据え、城周辺の地形をつぶさに調査させ測量させた。結果、城の建つ場所は周囲と比べて土地が低くなっており、すり鉢状のくぼみの中心に建造物が集中していることが判明し、沼地であることと、近くに水量豊富な川があることを鑑みて、壮大な水攻めを実行に移す計画を立てたのだった。

堰堤を築いてから、城の窪地へ水を流し入れて堰止める。単純な発想であり、理にかなってもいたが、行動に移すとなれば話は別だ。しかし、秀吉は思い着いたが吉日とばかりに、早速前代未聞の大工事に着手した。

自軍の兵卒だけでは人手が足りないので、地元の農民達に賃金を与えて労働に加わってもらい、昼夜を問わず堤の工事を続けた末に、たった十二日という恐るべき迅速さで築堤を終えた。折しも、梅雨の時期、川の水量だけでは城を沈没させるに至らないが、連日降り続けた豪雨が後押しし、堰堤を築いてから幾日と経たず高松城は屋根と天守を残して水没した。

 

城が水に没してから到着した毛利の援軍四万は、人工の湖に取り残された城を眺め見るだけで当然手出しはできない。人工湖を控えた堰堤を背後にして、敵陣営と睨み合うように前線へ兵を配し、秀吉自身は人工湖の側面にある石井山に本陣を移動し、戦況を逐一観察していた。湖を取り囲むように配置した自軍の陣は、高松城の惨憺たる様に狼狽する毛利方の動向を悠々と窺っていればよかった。何しろ、時間をかける程に城は沈み、城主、城兵もろとも泡となって消え去ることになる。毛利方にとっては一刻も早い決断を余儀なくされる、切迫した状況であると言っても過言ではなかった。

毛利家先代、故毛利元就は、安芸、石見に勢力を持つ吉川家と、安芸、備後に勢力を持ち、瀬戸内海に水軍を擁する小早川家に我が子を養子として送りこみ、実質両家の実権を息子達に握らせ、謀略によって安芸一国の支配権を掌握した。現在、早逝した隆元を除くと毛利家の家督を継いだ隆元の息子、毛利輝元、同じく吉川家当主となった吉川元春、そして、小早川家当主となった小早川隆景の三人が中国地方十か国を支配下に置いていると言える。父の跡目を継ぎ本家を名乗る輝元は年若いということもあり、実権は元春、隆景兄弟に依るところが大きい。

三人の中でも隆景は軍略のみならず外交の手腕にも長けており、三男坊ながら一族の連携を強める要として最も重要な立場にもある。好戦的で血の気の多い次男、元春の手綱を握り、まだ頼りない甥の輝元を当主として盛り立て支えており、慎ましやかながらも聡明な隆景ならば高松城の有り様を見て、無駄に争い機会を逸するよりも、早々に講和を受け入れ、使者を送ってくるだろう。

毛利の支配が他国と些少異なっている点は各国の領主に明確な上下関係をつけず、あくまでも平等な立場を維持した上での連合軍を、毛利家が代表として束ねているという所であろう。昔から続いてきた体制は、隆元が安芸国の守護代に任ぜられ、安芸国の領主としての立場を確立した以後も現在まで営々と引き継がれている。一見、工作すれば内部崩壊を起こしやすい仕組みと言えるが、各国が独立国と酷似した形で自由と権利を約束された立場であることと、彼らの軍事力が他国に勝る点、そして、何より中国地方に住まう人々の義を重んじる気質によって裏切りを引き起こしにくい環境となっていた。無論、血縁である元春、隆景兄弟の結束は一層堅く、調略によって敵方の内部に分裂を引き起こすことは非常に難しい。

だが、彼らは律義が故に高松城で孤立し、死を待つしかない清水宗治を見捨てることができないというのもまた事実だ。宗治を救うのであれば一戦を交える時間すら皆無に等しい。一刻も早く講和を申し入れ、宗治の命乞いをせねば城は水に沈み城主とともに死に絶える。秀吉とて、すべてを視野に入れた上で水攻めを行ったのだ。無益な流血を避けるためであり、是が非でも講和にこぎつけるために、時間をかけようとも敵の気勢をことごとく粉砕する圧倒的な勝利の図を作り上げなければならなかった。

その決意と信念は、自身の功績をより誇張させる虚栄心から生じるものでは決してない。講和という決着は毛利と毛利に従う人々を救うために必要不可欠な結末だった。もしも、高松城を奪われて尚、毛利方が降伏を拒絶すれば、いかに秀吉であっても最早彼らを救う手立てはない。あくまでも毛利の連合軍が攻勢を崩さない場合、彼らの未来に待ち受けるのは草木すらも残さぬ凄絶な殲滅作戦だけだ。後の禍根となり得る血や種は徹底的に焼き滅ぼされ、容赦なく擦り潰される。秀吉が揺るぎない忠誠を誓う主君が、抗う敵に対しては掃討をもって臨むことを決めている以上、降伏を拒めば彼らが生き残る望みは万に一つもない。

農民を出自とする秀吉は生来、敵味方であろうと血が流されることを好まず、殲滅や掃討といった助命の余地がない皆殺しの作戦には消極的だった。敵方の血筋や血縁を残しておけば、戦を引き起こす要因となる可能性が高く、平定した地が再び戦禍の脅威にさらされることのないよう、後の禍根を断ち切るには、皆まで滅ぼす手段は確かに有効であろう。だが、理屈を頭で理解してはいても、秀吉は殺めずに済むものならば生かすことよって従わせる方法を選びたかった。

秀吉の思惑通り、高松城が水没してから数日後、安国寺恵瓊を使者として毛利方から講和の申し入れとともに宗治の助命を求める旨が伝えられたが、宗治の命を救うことはこの場合不可能だ。毛利が主の軍門に下ったことを明確に知らしめすためには、見せしめとして宗治の首が必要だからだ。他の国でいまだに抵抗する大名達に、中国地方の覇者である毛利が降った、という大事を判然と示すには、毛利方を代表する敵将の死は避けられない。いわば人身御供と言って差し支えないその役柄は、図らずも、毛利領において最後に落とされた城となった高松城城主、宗治に務め上げてもらわねばならなかった。

その点においては秀吉も譲れず、私情の面では宗治を助けてやりたいが、彼一人の命を救うことよって倍以上の人間が戦で死んでゆくかもしれないことを考慮した時、大を生かす小を殺す選択をせざるを得なかった。

十か国中、五か国を割譲するという破格の条件を提示してきた毛利方の心情としては、なんとしても宗治の命を助けたいのだろう。ここで宗治を見捨てれば、信義を重んじる家風として名高い毛利家の威厳は地に落ちる。また、我が身を生かすため宗治に腹を切ることを求めるのは義に反すると考え、若き城主を救うことを最善として毛利が五か国を譲渡するという好条件を提示してきたのだと判断できた。

だがしかし、秀吉は提示された条件では飲めないと恵瓊に伝えて毛利の陣へ帰らせた。恵瓊は秀吉の意図するところを悟ったのだろう、舟を用いて高松城に渡り宗治とも度々会談を重ねた。幾度かの話し合いの末、六月四日に宗治が自らの意志で切腹することを決め、双方が最も収まりのつく形でとうとう毛利との講和がまとまろうとしていた。

 

今日は五月三十一日だ。宗治の切腹までまだ四日ある。

 

秀吉は心中でひっそりと、長い四日じゃなと呟いた。溜息とともに双肩を落とすと僅かに痩躯を動かしただけで、胸元に揺れていた首飾りの金具がしゃらんと鳴った。金でできた枠にはめこまれた円形のべっこうは鍍金され、表面に羽柴家の家紋でもある五三の桐が蒔絵された首飾りは、激しく動き回っても決して取れることがないよう、鎖も金で作られており、より頑丈に補強するため鎖の一つ一つが太く厚く作られている。おかげで些少身じろいだだけでも金具が噛み合って派手に鳴ったが、金属の高音は鈴の音色にも似て不愉快なものではなかった。

桐の家紋とともに下賜された首飾りは、主の手ずから自分の首に下げられた時より肌身離さず身につけている。大名となるに相応しい血筋や家名を持たなかった自分に、家紋を授け、名を与えてくれた主君の心遣いを一時も忘れたくはなかったのだ。首飾りが高らかに鳴る度に主の意地悪く笑う整った顔を思い出し、苦笑とほんの微かな気恥ずかしさで胸奥がほの温かくなる。自分は主のために生きているのだと実感することが何よりも嬉しかった。

腕を組んで目をつぶると、秀吉の動きに合わせて再び首飾りが鳴る。高い音が響く度に心はこそばゆい愛しさに軽く踊った。しかし、自身が自然、浮足立つのは何も首飾りのせいばかりではない。

「秀吉様」

背後から出し抜けに呼ばれて秀吉はつい、わっと声を上げ小さい体を引きつらせた。途端、床几から転げ落ちそうになり、慌てて両腕で空中を掻いて体勢を整え、蛙が泳ぐ姿とよく似た間抜けな風体で静止したまま首だけで後ろを顧みる。奇妙な姿なので格好などつくはずもなく、はは……と自分の有り様に思わず苦笑いしてしまった。

振り返った場所には一人の青年が立っている。息苦しさを感じる暑さの中にあって、氷を思わせる冴え冴えとした無表情に不遜とも感じられる怜悧を滲ませた青年は、秀吉から数歩離れた場所で立ち止まり、神経質な程に丁寧な所作で屈んで膝をつき頭を垂れた。ほのかに赤みを帯びて見える茶色の髪と、下がり藤の家紋を染め抜いた派手な陣羽織、手にした大きな鉄扇と冠に酷似した意匠の兜を身につけた青年の見慣れた姿に向き直り、秀吉は

「おお、三成」

と声高に彼の名前を口にする。

名を呼ばれると青年、三成は、更に深く頭を下げてから鷹揚に顔を上げて涼しげな双眼で秀吉の顔をじっと凝視した。

秀吉は床几に座り直して三成に手招きする。すると彼は屈んだ姿勢を保ったまま膝を進め、床几に腰かけた秀吉の傍らに控えて会釈した。

彼のこの念の入った礼節は、相手が秀吉である場合のみ発揮される慇懃でもある。

 

主から近江の北に位置する長浜の領地を与えられた当時、急速に出世をして城持ち大名となったものの、武家を出身としないため譜代の家臣を持たない秀吉は、今後羽柴家に忠誠を尽くす重臣となるべき人材を育てるため、親戚などから子供を預かって手元で教育することに専念していた時期があった。この青年、石田三成も、長浜の時代から秀吉が育成してきた子飼いの将の一人であり、個性豊かな子供達の中でも際立って目立つ存在であった。容姿の端麗さも人目を惹く理由の一つだったが、三成が突出する面というのはやはり彼の性格であろう。人一倍大人びた性分であるせいか、子供の頃から感情の起伏が乏しく、年の近い子供と親しく交わることに消極的だった。年を重ねると今度はそれに辛辣な物言いが加わり、内外問わず敵を作りやすい質に拍車がかかった。そんな三成も秀吉だけには至極柔順で、口にせずとも彼が自分に無上の忠誠を捧げていることは肌で感じている。

生来、武勇によって功績を上げる型の臣ではない三成は、今回の高松城攻めにおいても秀吉が率いる本軍で、兵糧や物資の管理を担当する役方として参陣していた。同じく、長浜時代から三成と競い合ってきた加藤清正は元服してすぐに初陣を飾り、勇猛でありながら堅実さを兼ね備えた武将として着実に才能の芽を伸ばしている。銀髪の青年は今回の作戦でも、杉原家次とともに一軍を率いて本陣とは別の場所に陣を構えていた。どうやら三成としては、清正に一歩先を行かれたことが、口には出さないものの不満らしく、事あるごとに同輩の動向を気にかけているようだった。

秀吉はちらりと横目で三成を一瞥してから、清正が陣を構える山の方にも目線を向ける。主君にとって一番の臣でありたいと願う三成の誇りが、清正に対する焦燥や嫉妬を生むのだろう。そういった苛立ちを無意識のうちに抱くあたりがまだ心身ともに若い。いかにも涼しげな面構えを保ちながらも心中穏やかではないのだろう、三成のことを考えると彼には悪いが微苦笑が口の端に滲んだ。

「落ち着かぬ御様子とお見受け致しますが」

おもむろに一度咳払いをしてから三成が口を開く。

「分かるか」

たははと頭を掻いて素直に応じると、青年はうっすらと眉間に皺を刻んで小さく頷いた。

秀吉は築堤に着工してから数日経った頃に主の居城、安土へ援軍を請う書簡を送っていた。中国征伐は毛利の本体である数万の軍勢を引きずり出した時点で最終段階に入っていると言ってもよい。講和をするにせよ、掃討を行うにせよ、最終的な判断と決着は主の手に委ねるべき重大事項であって、秀吉の独断では話もまとまらない。応援が不可欠な程不利な状況ではなかったが、表向き援軍要請という形式をとったのは主が身動きを取りやすくするためでもある。逼迫した状態だから援軍を送ってもらいたい願えば、主も止むを得ずに軍を率いる、という体裁を保つことができるからだ。

各地に遠征している他の軍団長達は、秀吉のように目立って芳しい戦績を上げている訳ではない。彼らの中でも秀吉の手柄は際立って大きく、城をまた一つ落としたと主に報告するだけでも、激しい妬みや嫉みを買っているということを、少なからず知っていた。

今回、中国地方での最終決戦ともいえるこの戦線の結末を飾るために、主への出馬を請うたことも、邪推を好む卑劣な輩にしてみれば媚びとしか映らないだろう。だが、それで良いのだ。自分が他人から罵倒され陰口を叩かれるだけならばまだしも我慢できる。耐えられないのは、堪えられないのは、どうせ秀吉を贔屓して援軍を送るのだと、寵臣のへつらいには愚かな程柔順だと主が嘲笑され、貶められることなのだ。

人の嫉妬は根深く、蔦のように絡みついて悪意を撒き散らす。自分はどのように辛辣な扱いを受けても構わなかったが、悪意の矛先が崇拝してると言っても過言ではない主に向くことだけは我慢がならない。だからこそ、わざと泣きつく体で援軍を願った。毛利は自分の手に余ると援助を請うた。主は書簡にこめられた秀吉の本心を見抜き、援軍要請に応えてくれるという絶対的な信頼があったからこそ。

 

主が書簡に目を通した時の第一声は「仕様のない奴」だったと、手紙を運んだ使いの者から聞かされていた。口では仕様がないと呆れながら、主の端麗な面は喜々として笑みを象っていたと。

援軍要請の書簡をもたらした使者は、ねぎらいの言葉とともに響膳を与えられたという。その間、主の指示でいち早く安土城を発した早馬が秀吉にもたらした返事は「六月には京を発つ」というものだった。秀吉の使者に対する破格の慰労と返事の内容から、自分の考えを主が読み抜いていることが知れて嬉しくなった。秀吉の意図を分かった上で「仕様のない」といかにも書簡に記してあることを鵜呑みにしたような物言いをする主の演出も心憎いばかりだが、更に自分を馬鹿馬鹿しい程喜ばせたのは、一足遅れて帰参した秀吉の使者が書簡とは別に主から預かってきたものだった。

使者が献じたのは小さく折り畳まれた懐紙に入った糸だった。ただの糸ではない。いまだ、より合わせていない状態の片糸である。

 

それを見た瞬間に悟った。

 

片糸は和歌では「あう」という言葉にかかる枕詞である。いつかの夜、主から教わった枕詞は今でも自分達の本音を告げる暗号として、用いているものだった。

 

あう。

会う。

会える。

 

ようやく、会える。

 

一言も添えずに片糸だけを送り届けてきた主の意図は簡単に理解できた。何故ならば、自身もまた主に会えると密かに楽しみにしていたからだ。

 

久しぶりに味わう感覚だった。

 

体中の血が燃え上がり、肌という肌が紅潮してゆくかのように熱くなって、羞恥とどうしようもない喜悦が痩躯の根底から噴き上がり、頭の中が真っ白になってしまう。

使者から受け取った糸を握った自分の手はきっと微かに震えていたに違いなかった。不謹慎とは思いつつ、抑止しがたい歓喜に顔が緩むのを使者に気取られないよう、ご苦労であったと平素の口調で言うのにはひどく苦労したことをよく覚えている。

まったく、困った御人じゃ……と溢れんばかりの愛しみをこめて声なく呟き、秀吉は緩む口元を慌てて片手で押さえた。気づいて三成が訝しげに秀吉を見たので、顎髭を撫でるふりをして誤魔化す。

浮かれる胸中をたやすく三成に見抜かれてしまう程に、主のやってくる日が待ち遠しくて堪らない自分がいる。懐へと収めてある片糸に、鎖帷子の上から触れて目をやんわりと閉じると、眼裏に主の薄く笑った顔が浮かび上がり、目の下が熱くなるのが分かった。思わず眉をしかめた秀吉には構うことなく、暫時沈黙を続けていた青年が深い吐息に肩を落としたことを悟って三成を目だけで見た。

「なにゆえでございますか」

「何がじゃ?」

唐突な問いに今度は秀吉が怪訝な面持ちになって青年を凝視した。三成はふうと再度息をついてから眉間に深く皺を刻む。

「なにゆえ、右大臣様に御出馬を願われたのですか」

いつもは淡々として感情を窺わせない青年の声音に、確かな鋭さと苛立ちが含まれていることを知って小さく笑いながら、秀吉は、なるほどと心中で溜息交じりに笑う。

右大臣というのは朝廷の最高機関である太政官の職の一つで、貢献を認められ主が近年授かった官位だった。数年前に嫡男、信忠に家督を譲った主は秀吉が中国遠征に発った年に右大臣の官職を賜り、一大名という立場を脱して更に上位の権力を獲得した。

織田家当主という立場ならば「殿」「御屋形様」という敬称でも良いが、実質織田家の頂点から退き官位を賜った現在では「上様」または「右府様」「右大臣様」などの敬称で呼ばれることが常であり、秀吉自身も例外ではない。ただし、「上様」という敬称は武士の総大将となる征夷大将軍に任ぜられた者がそう呼ばれるのが通常だが、室町幕府最後の将軍、足利義昭が主によって京から追放されて以来、征夷大将軍の座は空席に等しい。そのため、今や将軍と同等以上の権勢を誇る主が「上様」などと呼ばれることが多くなり、それがそのまま定着してしまったのだった。

三成は秀吉が主に援軍を請うたことに納得がいかないらしい。こうも単刀直入に問いただしに来るところを見ると余程気に食わないようだが、秀吉は青年の不満を気安く笑い飛ばした。

元々決めていたことだ。毛利との戦が終結を迎える時は、義務の面でも私情の面でも主を招こうと秀吉はずっと考えていた。中国地方を制すれば天下統一への道程が格段に縮まることは間違いない。織田家の司令官達が相対している各地方の勢力のどこにも、現在の毛利に匹敵する軍事力を持ち得る者は存在しなかった。主に抵抗する最も巨大な軍勢を屈服させることは、各地で反織田を掲げる大名達にとって衝撃的な出来事となるだろう。それは名実ともに織田家が日本最大の権力を有し、分散した国々を総じてまとめあげ、その頂点に君臨する資格があると見なされることと同義だ。

故に、天下への道を切り開く中国征伐は途方もなく重要な任務であり、その戦の終焉に主もまた立ち会うことを望む気がしていた。何を置いても主君のことを一番に考える自分にとっては、功を上げることも主のためでしかない。このまま自身の独断で毛利と講和を締結させ、結果だけを報告してすべての手柄を己のものにしようなどと、露程も考えたことはないし、他の人間がしたとしても自分はそのような卑しい行いは決してしない。

主の望みは自分の望みだ。互いが抱く同じ望みをかなえずして今自分がここにいることの意味などない。

「不満げじゃな、三成」

「そのようなことは」

半ば揶揄するように笑って言うと、三成が少し慌てて首を左右に振る。無表情なようでいて存外感情の移ろいがあからさまな青年の態度に微苦笑し、秀吉は、なぁにと陽気に言を継いだ。

「高松城の様子をお見せしたいと思ってな。上様のこと、きっと喜んで下さるわ」

無論これも本音である。主に出馬を求めた複数ある理由のうちの一つだった。

「右大臣様がいらっしゃれば、毛利を根絶やしにしろとおっしゃるのでは」

「させん」

言下に青年の言葉を否定する強さで返して秀吉は笑みを消す。

当然三成に指摘されずとも、主が来るということは毛利が死ぬか生きるかの命運を決定づけられる重大事項ではある。しかし、自分は毛利と毛利にくみする人々を救いたい。彼らを救いたいと願うのは、実は彼らのためですらない。

 

主のためだ。

 

自身が決して覆ることのない忠誠を誓う唯一無二の主君、織田信長その人に、世の悪意と疑念が及ばぬよう、主とは逆に最大限敵を生かすことを重視した戦術を用いて戦う。それが己の役割であり、主がその役割を自分に託していることを秀吉は了知していた。

「あの方が恨み憎しみを買わんように立ち回るのがわしの役目よ。清水宗治の首と露に落ちしこの高松城二つにて、必ず毛利との講和を成さしめるんさ。恩情を与えれば、律義で通る中国者は必ず上様に従う」

「あの右大臣様が恩情をお見せになられるとは到底思えませんが」

「三成」

平常から淡泊な自身の部下が、いつになく執拗に食い下がってくることに内心辟易して、秀吉は駄々をこねる子供を宥めるのに似た軽い口調で彼の名を呼んだ。即座に、はいと返された声は冷淡な調子にも聞こえたが、先刻までの刺々しさが消えたことを悟って思わず胸の内でとどめた苦笑いを面に滲ませる。

「お前は知らんかもしれんが、上様は元々お優しい方じゃよ」

青年には分からないよう目深にかぶった兜で苦笑を隠しながら、陽気な口調で返して目だけで彼の様子を窺う。三成は何も答えなかったが、恐らく自分の言葉に胡乱げな表情をしているだろうことは想像に易かった。

秀吉は高松城に目線を戻して、緩みそうになる口元を堪え微苦笑する。相変わらず分かりやすいわなと、沈黙にこめられた三成の不満を理解してふっと軽く吐息した。

「お優しいが故に、鬼になることができるお方だ」

穏やかに二の句を継ぐと、三成の掌中にあった鉄扇が微かにきしむ。

主とて無駄な殺生を望んでいる訳ではない。だが、国という国が相争い、凌ぎを削ってきた乱世に人々は皆疲弊しきっている。長く続き今なお燃え尽きることのない戦火を消し去るには、最早風や水では用を成さず、炎を尚強く煽るだけでしかない。業火を掻き消すことができるのは、更なる勢いで燃え上がる烈火のごとき志しなのだ。

一度戦が起これば、日々田畑を耕して生きる人々は略奪と暴力にさらされ、くわで馴らした大地は血と骸で荒廃し、澄んだ川の水は赤く染まって異臭を放つ。兵糧として膨大な量の食料を召し上げられるばかりでなく、戦による出費を穴埋めするために課せられる重税によって、民は飢餓と貧困に陥り、たった一つの戦で国はたちまちのうちに荒廃してゆく。また、領土を奪取したとしても、戦後処理は一朝一夕という訳にはいかない。荒れた地を開墾し、再び人々が行き交う町や村を取り戻すには、戦にかける労力、時間、金銭に倍する力が必要となる。

主の峻烈さは常に民の安寧を願う心に基づいているということを、秀吉は痛い程に知っていた。綺麗事だけでは国を治めることはできない。より多くの人間を生かすために、時には己の手を汚さなくてはならないのが統治者の宿命と言えよう。そこに迷妄や後悔があったとしても、太刀を振るわねばならないのが頂きに立つ者に与えられた義務なのだ。

信長は正しく美しい事柄ばかりがこの世の道理を生かすものではないということを知っていた。そして、悪逆と罵られようとも自ら刃を振るうことに決して躊躇はしない潔さと覚悟を既に固めている。一度決意すれば主は己の信念を決して曲げはしない。だからこそ、自分は敢えて主とは逆の方法で戦うことを選んだ。

一度滅ぼせと命を下せば、容易にその言葉を覆すことはできない。いかに嘆願されたとしても、部下の諌言で命令を二転三転させるような主君では誰からも信用されず、威厳を保つことも難しいだろう。信長は自らが発する言葉の持つ重みを熟知している。一度口にすれば覆せないことを分かっている。故に決して覆さない。滅ぼせと命じられたのならば、それは秀吉にとっても絶対命令なのだ。

 

だが、例外があった。

 

主に敵を許す機会を提供することである。どのような形でもいい。誰もが、これ程凄まじく素晴らしい事物ならば信長が許すのも頷けると納得するようなものを主に披露することこそが、毛利を滅亡から救うための最良策だった。

今回の場合、誰もが納得する事柄というのは今現在の高松城の状態だ。主は高松城の様子を見て喜ぶに違いなかった。ここまですれば毛利も刃向かってはこないと認め、講和を受け入れ許しを与える。

 

本心では常に許す機会を欲している主の懊悩を少しでも和らげたいと願う自分の思いは、三成に通じるはずもなかった。三成は以前から信長を毛嫌いしている。主の人となりを嫌っているというよりは、秀吉に対する忠義の厚さが嫉妬めいた反発を生むのかもしれない。何しろ、秀吉自身、自覚があった。ことあるごとに信長のことを口に出してしまう自分の熱心さは時折部下達を呆れさせてしまっているということに。

我ながら、どうしようもないわなと内心ぼやいたものの、仕方がないと自身に言い訳して口をへの字に曲げる。またも目の下がほのかに熱くなった。

「分かり兼ねます」

鬼や魔王と評されることの多い信長を優しいと言った自分の言葉をきっぱりと拒んだ三成に、うんと穏やかに笑って応じる。秀吉は組んだ足に肘を据えて、立てた腕に頬を預けると楽しげに鼻歌を奏で

「そうじゃろうな」

いかにも軽々しく答えて、ふふと小さく笑った。

「じゃが、わしには分かる」

押し黙った三成には構わず更に言葉を続ける。青年はしばし項垂れていたが、深々と頭を下げてから退いた。首を傾けて背後を一瞥すると、少し離れた場所で床几に腰を降ろした三成の不満そうな顔が見えて喉の奥で苦く笑った。

分からないという言葉に、当たり前だと言わんばかりの返答をされたのでは弁の立つ三成といえども反論の余地はない。青年には些少酷だったかもしれないと、微かな罪悪感に淡く眉をひそめた秀吉は照らし出される高松城を熟視して双眸を細める。

 

他に答えようがない。主と自分が互いを本能的に理解し、互いを直感的に熟知する、この不可思議な感覚は人に説明できるものではなかった。

 

同じ明日を見つめ、同じ未来を望む。そのために、必要な美徳と悪徳を知り、互いの役割に徹して、互いを助け支え愛する、忠誠や義務ではくくることのできない深い結びつきを、どんな言葉で表現すれば事足りるだろうか。依存でもなく、偏執でもなく、盲愛でもなく、互いが出会ってこそ初めて完成する、揺るぎない絆の息づかいをどうやって。

さながら比翼の鳥。互いの存在なしには空を飛ぶこともままならない。どちらかが欠ければ、残された片割れは死んだも同然だ。互いの存在が傍らにあってこそ、ようやく、まことの生を得ることができる。

他の誰にも代わりはできない。この世でただ一人、そのただ一人だけが、自分の心に触れることができる。そして、自分もまた、その人の心に触れることができる、ただ一人。

 

この戦いが終結すれば当面は戦後処理に時間を割くことになり、秀吉の多忙な職務にも多少の余裕が出てくるはずだ。毛利の勢力を制圧すれば、長く続いた戦が一応の終結を見る。

 

主の元へ、帰ることができる。

 

秀吉は首飾りに軽く触れて双眸を緩やかに閉ざした。

 

中国征伐の総司令官を任ぜられ、播磨へ出立する準備を整えていた折りに、信長から手紙が届き、数日の休養を与えるので、駿河まで出向き物見遊山の供をせよと命じられた。甲斐から駿河、遠江を通って富士の山を見に足を向けた主と自分は、その夜から長くなるであろう別れを惜しみ、日を空けることもなく溺れるように体を重ねた。昔から決まっていた。長く離れることになる時は、いつも何かを確かめるように体を繋ぐ。

決して途切れない、決して消え去りはしない、離れても近くにいても、鎖のように結ばった自分達の絆は濃く深くなる一方で、一瞬も薄れることなどなかった。主も自分も、長く離れたところで互いが互いの心の、体の感触を忘れるはずはないと分かっているのだ。しかし、揺るがない契りに心から安堵しているとはいっても、感情だけでは物理的な距離を埋めることはできない。

時折、報告のため任務の合間に主の元へ戻り顔を合わせれば、会えずにいた時間がいかに彩りのないものであったのかを痛切に思い知らされる。

 

長いようでいて短い休暇だった。常に主の側にいられたことが随分と久しぶりで、仕官したての若かりし頃を思い出し、多少浮かれてしまったことをよく覚えている。夜になれば離れる時間、遠くなる距離を何かで補おうとするみたく互いの体温にすがりついた。時を忘れて、夜を徹する程に、深く濃く、ゆるゆると水底へ沈むように。

 

空が白むのを涙で霞む視界の端に見た。時折おぼろげに覚醒する意識の狭間で、中天に昇ろうとする太陽の眩しさをかいま見た気がした。微睡みの最中で自身の腰を強く捕縛する堅い腕と、痩せた背を包む頑強な巨躯の感触にうっとりするような安堵を覚え、起き上がろうと一度は力んだ四肢を知らず知らず脱力させていた。瞼を薄く開くとぼやける視界に主の大きなてのひらが見えて、畳の上に投げ出されたその手に自身の手を重ねて指を絡めた。指先に力を入れると、腰を抱く腕が僅かに離れていた距離さえも煩わしいとでも言いだけに、秀吉の体を強く引き寄せ、更に堅く強く抱擁した。

 

離さない。

 

まるで、叫ぶのに似た激しい力に息苦しさも忘れて、自らも声なく答えた。

 

離れない、と。

 

肌に確かな感触として残された主の腕の力は、遠く離れて長い今ですら鮮明に覚えている。実感する度に胸が詰まるような、どうしようもないやるせなさを与えるそれに、秀吉は苦く面を歪めて夜空を仰いだ。

 

会いたい。

 

まだ、朝日の気配をかけらも感じない夜の帳の中で、焦げつくような待ち遠しさに焼かれながら思う。

ただ、会いたいと。

 

 

 

 

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天正十年(一五八二年) 六月二日

 

京にあっては珍しく空気の澄み渡った夜だった。

 

山に四方を囲われた京の町は流れこむ海風が遮られるため気温が下がりにくく、盆地であることも加わり容赦なく太陽光にさらされる土地柄、夏場はひどく暑くなる。特に気温の上昇する日中は川遊びや水泳など、皆が涼を求めて水辺に集まった。

昼より気温は下がるといっても湿度そのものが消え去る訳ではない。夜になっても寝ている最中、夜着を脱ぎ捨ててしまいたくなる程蒸し暑い日が続いていた。時折吹き抜ける風さえも生暖かく、寝台に滞る己の体温ですら汗ばんだ皮膚には鬱陶しい。安らかに眠るにはあまりにも不快にすぎる夜に涼しげな虫の声さえ煩わしく感じられ、微かに眉根を寄せると苛立ちのせいか身内に籠もる熱が殊更に増したようで、不愉快な気分を助長するだけのことでしかない。

平常ならば京の夏とはそういうもので、昨夜は自身もまた寝苦しさにさいなまれ、今朝目覚めた時には寝汗で夜着が湿っていたぐらいだ。しかし、今、肌を撫ぜる夜気は日中とうって変わって不気味な程にひやりと心地よい。

 

織田信長は渡り廊下の欄干に半身を預け、深く溜息をついて腕を組んだ。

今宵に限って空気は浮いた汗が引いてゆく冷たさを含み、逃れがたい蒸し暑さは微塵も感じられない。異様に冴えた大気にむしろ落ち着かなくなり、深更にもかかわらず眠りは妨げられた。

 

自身の居城である安土城とは違い、人の気配を間近に感じるせいか、睡眠を阻害される程ではないとはいえ多少の居心地の悪さを感じている。それも仕方のない話であろう。何しろ、ここ、本能寺には自身以外にも供回りの者が数百人宿泊している。安土城の寝所では、夜ともなれば張り詰めたような静寂に満ち、人の気配は霧散したみたく消え去ってしまうが、広大な敷地を有しているとはいえ寺ではそうもいかない。

四方を掘と土塀に囲まれた本能寺は、二棟の母屋の他に厩舎やいくつかの殿舎を擁し、さながら平城のごとき様相を呈しており、母屋と殿舎は長い渡り廊下で結ばれ、別棟に移動するのは非常に楽な造りであった。しかし、あくまでも寺院であって、比べるべくもなく、広大な敷地を有する城とは違い、他人との距離感が近しく、大勢の人間が放つ気配をいつもより騒がしく感じるのだろう。

 

だが、そればかりが理由ではない。

 

寺を囲む土塀の、ちょうど角に当たる部分二か所には物見櫓が設けられ、本能寺の東側を流れる西洞院川を挟んで通りにも近い目立つ場所に配されている。物見櫓に詰める兵士には、南北に一つづつある門からの人の出入りを事細かに見張るよう指示してあった。いかに京の治安がよくなったとはいえ、用心するに越したことはないと自分を責めた「彼」のむくれっ面を思い出して、信長は思わず口元に微苦笑を滲ませる。

櫓には見張り兵の他に「彼」が配備した、特に脚の早い足軽達が幾人か常駐し、信長の危機あらばひた走り、二条御所や周辺寺院に潜ませた二千人の兵士に喚起し出動させる手筈になっている。本能寺の近辺に伏し置かれた大軍は、いつ何時襲ってくるやも分からない緊急事態に緊迫して眠ることすら忘れ、また、翌日に迫った出陣に高揚しているに違いなかった。彼らの張り詰めた呼吸と、獣のように息を潜めて朝を待つ鋭い沈黙が、知らず知らず、信長に戦場の緊張感を思い出させ心を波立たせる。居心地が悪いというより、慣れ親しんだ鉄火場の空気に、自身の本能が、夜着ではなく鎧を身につけよと急き立てているのを頭のどこかで感じるのだ。悪い癖だと分かってはいたが、若い頃より人生の大半を戦の中で過ごした信長にとって、噴き出す瞬間を待ち続ける怒涛のとどろきは、全身に刻まれた傷とともに体に染みついた感覚でもあった。

 

明日向かうことなる備中への経路は当初、丹波の亀山城を通過して三草山を越える予定であったが、昨夜不意に日程を変え、鴨川に沿って丹波口から山崎を通過し摂津、河内へ入って堺港から海路をたどることにした。隠しおいた兵の存在や日程の変更を伝えておいてある者は極少数にとどまり、備中への進軍を先行させた家臣の一人、明智光秀にすら連絡していない事柄だった。

海路をたどるという提案はやはり「彼」の献じたもので、明日の出立時は潜んでいた兵二千と合わせて堺港を目指すことになる。丹波口、山崎などの要諦には各々千を越える兵が潜み、信長の移動ともに合流して最終的には二万に近い軍隊が形成されることになる。家臣の大半が、自分は本能寺に近習、小姓数十人程度と投宿していると思いこんでいるはずなので、明朝突如として出現した軍勢に誰もが度肝を抜かれることだろう。

彼らしい派手な作戦であり、いかにも自分の好みとする壮大な驚かせ方だ。楽しみでもある。

だが、それらは落ち着かない気分に陥る理由ではなかった。

 

身じろぎもせずに涼しく冴えた暗黒を凝視し、僅かに眉間へ皺を刻んで再度大きく溜息をついた信長は、口内で舌打ちして鋭利な双眼を苦くすがめる。酷暑にさらされている方がまだましだと思った。暑さのせいで自分が平素の沈着を忘れていることに気がつかずに済むからだ。周囲に快い大気が満ち思考が澄み渡る程に、胸中を無闇に浮足立たせる感情が自分をいてもたってもいられなくさせる。

予定が乱れることがなければ数日後には備中高松城へ到着しているだろう。海路をたどる選択をしたのも、陸路を行くより早くに備中へたどり着くことを考えての決断だった。数日後なのだといくら自身に言い聞かせてみても、その予定が一日であろうと一刻であろうと短くなってくれることを望まずにはいられなかった。

 

中国征伐の担当官から援軍を求める内容の書簡が届いたのは五月の半ば頃だ。書簡が届いた時には分かっていた。中国地方の攻略は最終段階に入ったのだと。

今や西国にとどまらず、最大の国力を誇るといっても良い毛利家は、力で攻めれば更に激しく抵抗し、決して信長の軍門に下ることはないだろう。元来、毛利家先代の当主、毛利元就とは信長の父親である信秀の代から長く懇意にしており、元就の死に際して追悼の書簡を送ったこともある。本家、吉川、小早川の家督をそれぞれ継いだ元就の子供らとも決して険悪な関係ではなかったのだ。勢力の強大さと自身が被る損害を考慮に入れれば、毛利と戦をしないに越したことはない。また、戦に至るまでもなく話し合いの場を設ければ、ある程度の妥協や譲歩で毛利が支配権を持つ中国十か国ごと自身の配下に置くことが可能であったかもしれなかったのだ。

忌ま忌ましいことだと深い怒りをこめ口内で吐き捨てると、信長は鋭さを拭いきれない端麗な面に尚更冷酷な無表情を浮かべた。

すべての元凶となったのは、室町幕府最後の将軍となった足利義昭の存在である。

傀儡としておとなしく操られていればよかったものを、下らない自尊心のために信長に刃向かい京都を追放された愚かな男だ。しかし、追い落とされた身の上ならば慎ましやかに余生を歩むべきであろうに、義昭の浅ましいまでの生への執着と征夷大将軍という名誉への拘泥は、無用の争いを扇動し、人々に多くの血を流させ、あらゆる意味で信長に苦杯をなさめせた。

義昭には兄の義輝がいたため、初めのうち男は足利将軍家の家督を相続する権利を持たず、慣例に従い仏門に入って暮らしていたが、松永久秀らによって義輝が暗殺されると幕臣の協力を得て大和を脱出し、還俗して次期将軍を自ら名乗った。義昭は己を奉じて京へ上る大名を探し各地をさすらった末に、越前朝倉家で居候同然の暮らしを長く続けていたが、腰の重い朝倉に業を煮やし、当時いまだ小国とはいえにわかに名を上げはじめた信長の元に、自分を将軍に推してもらいたいと願い転がりこんできたのだ。

既に権力を失ったとはいえ、将軍家の人間を担ぎ上げることは上洛する確たる理由となり、義昭を将軍職に就ければ、その貢献者として朝廷に対し発言権を持つこともできる。信長は自身の利害を計算した上で義昭を拾い上げて最大限利用するつもりでいた。だが、足利将軍家の人間だからといって、他の大名達と同じく崇敬し服従するつもりなど毛頭ない。名ばかりとはいえ、いまだ侍の頭領として最高の権威を保持する存在は将軍であると疑わない大名も多く、あからさまに蔑ろには扱えないが、主導権を握るのはあくまでも信長であり、義昭はいわば天下を統一する大事業の一端を支える小石の一つにしか過ぎなかった。

将軍職に推してやった当時こそ恩義を感じていたのか、年下の信長を「父」などとと呼ばい、副将軍や管領職の地位を与えるといって擦りよってきた義昭も、次第に生来の傲慢さと強い自尊心を剥き出しにし、過度な贅沢を求め、権力をかさに着るようになった。その上、上洛以降、義昭にほとんど見向きもしなくなった信長に対し、自分をもっと敬え尊べと要求する有り様であった。信長にとってしてみても、豪奢な生活と将軍という地位にあぐらをかき、我がまま放題に振る舞う上辺だけの頭領は、煩わしく邪魔な存在でしかない。それに加え、今更幕府の再興にこだわる義昭と、天下を統一するため新しい権力の在り方を模索する信長とでは、根差す思想が一致するはずもなかった。

将軍権力の乱用を規制するため、「殿中御掟」という九箇条の掟書を義昭に叩きつけた自分の牽制に不満を爆発させた義昭は、諸公に書状を発して織田家討伐の命を下し、当時いまだに足場の不完全であった信長に大打撃を与えることとなった。武田、朝倉、浅井、三好など、隣国と周辺の大名達は、これぞ好機とばかりに義昭の討伐令に食いついたのだ。信長の躍進ぶりに危機感と焦燥を募らせていた大名達にとって、将軍から発せられた討伐令は信長をつぶす絶好の機会を与えられたようなものであっただろう。破竹の勢いで力を拡大してゆく信長の存在を、今のうちに抹殺し掃討しておきたいと考えていた大名は少なくないはずだ。

かくして、信長に敵対する周辺諸国の大名達によって包囲網が形成され窮地に陥ったが、中でも最大の強敵と考えていた武田信玄が病死したおかげで、なし崩し的に包囲網は崩れ去り、当面の危機を脱することができた。しかし、義昭は性懲りもなく以後も幾度か信長討伐を掲げて挙兵したため、腹に据え兼ねとうとう男を京の町から追放した。追放された後も義昭はあちらこちらを放浪し、ついには毛利領備後へ転がりこんでしつこく信長討伐の下知を諸大名に発し続けた。追われたとはいっても将軍という地位を維持していた義昭を邪険に扱うことはできず、保護せざるを得なかった毛利家もまた発せられた討伐令を拒むことはできず、反織田を掲げる他なくなった。結果的に長く築いてきた毛利家との友好関係は瓦解するはめに陥った。たかが義昭ごときのために。

 

信長は眉間に深々と皺を刻んで巨躯を鷹揚に傾ける。

天皇の仲介もあったため、自分に背いた義昭を一度は許した。だが、今思えば殺しておくべきだったとはらわたが焦げつくような激怒とともに強く後悔して止まない。下らない自尊のために戦況を複雑化させ、庇護してくれる人間を次々に乗り換えながら、今尚のうのうと生き延びている義昭の厚顔無恥が、信長には唾棄すべき醜悪にしか感じられなかった。毛利方との戦いが終結したあかつきには、捜し出して引っ捕らえ今度こそ息の根を止める。今後、男が再びなんらかの行動を起こしたせいで、本来ならば起こるべきではなかった戦の火種となるのならば、義昭を生かしておく訳にはいかなかった。

奥歯を強く噛み締めると一瞬体温が上がり、焦げるような暑さを覚えたが、喉の奥で低く唸って溜息とともに怒りを吐き出し霧散させる。首を巡らせると、境内に配された篝火の薪が爆ぜる乾いた音が湿った空気の中に響き、信長は点々と赤い光の灯る夜陰を眦の吊り上がった黒鉄の双眼で瞥見した。

 

様々な思惑や計画とはまったく異なる私情の疼きが、高松城へ一刻も早く赴きたいと望んでいる。それは統治者としての義務としてではなく、信長という一人の男が求めて止まない自儘なのだと自分でも分かっていた。信長は首の後ろを乱雑に掻いて、自身に呆れながら三度目の溜息をつく。

 

羽柴秀吉。

 

今やまぎれもなく織田家の筆頭家老に名を連ねる優秀な重臣の一人であり、現在中国征伐を担当する司令官でもある。そして、自分の身を案じて手勢から兵士を割いてまで本能寺によこしたのも彼だった。

外交、調略のみならず、城攻めなど戦においても遺憾なく輝かしい才覚を振るう秀吉が、武家を出自としない、貧農の生まれであると誰が思うだろうか。武士ではない武士、だからこそ既成概念にはとらわれず、合理性によって知恵と視野を展開することができる彼の優秀さを、信長はよく用いるだけでなく寵愛してもいた。数多いる家臣の中でも最も彼を愛でていると自身、自覚がある。無論、愛されるだけの功績を上げているのだから、渋々とはいえ他の家臣達とて納得せざるを得ないだろう。

しかし、それはあくまでも職務においての寵でしかなかった。使える道具を愛するように、事務的であらねばならないのだ。自分が主君であり、彼がその臣である限り、職務に私情は挟まない。自分にとっても彼にとっても、職務において主従であり続けることは暗黙の了解として、厳然と心にくびきを課す自重でもあった。仕事の上ではゆき過ぎた愛情を一片たりともかいま見せることはない。彼が自身の元に支えてきた今までとて、微塵も愛おしさを匂わせることなく、そのように振る舞ってきた。この上までも彼を妬むというのであれば、それは嫉妬心を抱く者の性分に問題があるのだろう。

だが、私事においてはそんな遠慮も自戒も必要はない。主従という枠から解放される空間に二人でいれば、理性も自重もたやすく投げうって、好きなように彼へ触れて暴いて愛することができる。私事での愛するとは正に言葉の通りの愛だった。例えば、肉体を、心を、触れられるもののすべてを、手にすることのできるすべてを、溶かす程の苛烈さで欲し求めている。

側に置いておきたい。手の届く位置に、目の届く場所に、とどめて縛りつけて息もつかせぬ強さで触れていたい。決して誰にも渡せない、渡さない。自分以外の誰も、彼の主になることを認めなどしない。これは自分のものだと、自分だけのものだと、誰も触れるな、愛するなと叫びたくなる、子供のような激しい利己を、自分が下らないと否定することもなく当然のこととして受け入れている。堅固な理知をもって抑止しなければ、自分の強すぎる愛情で彼を壊してしまうかもしれないと恐れることすらあった。

不便なものだとも感じる。秀吉の心身だけを愛でるのであれば、常に側に置いておくことに躊躇はしなかっただろう。しかし、自分は彼の才能や強運をその心身と同じく愛している。だからこそ、主従であり続ける苦悩をすら、噛み殺すことができるのだ。

鬼、魔王などと呼ばれ人々に恐れられる自分が、一方で呼吸すらままならない愛情に身悶えているなどと誰が想像できるだろうか。随分と昔に腹はくくったのだ。今更、世のそしりを受けたところで、自分の心は少しも痛みなどしない。痛みを感じる必要もなかった。秀吉の存在が自分の手にある限り、彼が自分を鬼と言わない限り、あらゆる正義を否定し、あらゆる道理に背いてみせる。

 

牙を持ち敵を引き裂くことが自分の役割ならば、彼の役割は翼をもって人々を庇護することだ。自分の持ち得ぬその翼で、傷つけずともよい人々を自分の牙から守ってほしい。それができるのは他の誰でもなく秀吉しかいない。

 

出会ったことがあらかじめ定められた筋書きであるかのように必然だった。出会ってしまえば最後、決して離れられなどしないと分かっていた。何のために彼が自分の唯一であるのか、自分が彼の唯一であるのか、初めて秀吉の手を取った日から数十年の時を経て、ようやくのように理解しかけている。

 

二人必要なのだ。

天下には二人、役割を異にする王が要る。

王たる王と、王を王たらしめる王の二人が。

 

牙を持つ王と翼を持つ王がいなければ、世を治めることはできない。

悪徳を滅ぼす牙と、美徳を守る翼がなければ。

 

渡り廊下の欄干に再び半身をもたせかけた信長は、鋭利な双眼を緩めて瞼を閉ざす。閉ざした瞼の裏側で彼の笑顔を思い浮かべると、自身が秀吉に与えた首飾りの金具が軽やかに鳴り響く音が耳の奥で微かに聞こえた。彼のすばしっこい動きに合わせて揺れる黄金の金具は高い音色を奏で、鈴によく似たその音は彼が側にいることを示すものであった。今は自ら想起せねば、軽快な鈴の音を聞くことはできない。

矛盾しているのだろう。傍らにいることが一番望ましいと知っていながら、彼を最も困難な中国地方の討伐に向かわせた。長く離れることを善しとしたのではない。各々が果たさなければならない役割があることを互いに熟知していたからこそ選んだ決断だった。放棄することはできない。互いが互いの運命に火を灯すために生まれてきたのだとしたら、相応しい役目を与えられながら無闇に側にいることばかりを求めてはいけない。

彼の翼が砕け散ることを望んでいないのならば行かせるべきだった。相応しい役目を果たさせるために、行かせることが最良だった。そして、自分もまた相応しい役目を果たすために残らねばならなかった。

 

元より、毛利攻略を担当するに最適な人物は、随分と前から秀吉しかいないと考えていた。義理固く律義で辛抱強い中国者の性質を考慮に入れると、毛利家は敵に回すより味方として友好を結んでおくことが最善であろう。裏切りや謀反をことのほか悪徳とする彼らの美意識は味方であればある程信頼がおけるからだ。しかし、今まで平らげてきた敵国に対して徹底的な粛正を断行してきた自分の口からは、初期の段階から講和や和平などという柔軟策を指示することは難しい。端から毛利に対しては講和が最上策とすれば、自分が毛利一族を恐れていると取られ侮られるからだ。侮られれば戦線にも少なからず影響が出る。織田の軍勢は毛利を恐れている、強気に出れば逃げ帰るという誤認識を与え兼ねない。そうなれば、戦の後であっても講和という条件を提示した際に足元を見られるだろう。

毛利を根絶やしにせず、味方に引き入れるためには、戦場において圧倒的な強さを誇示するとともに、抗う意志をねじ伏せる完全なる敗北感を与えなければならない。極力傷つけず、土地を荒らさず、生かすことによって国を奪る、そんな不可能ともいえる奇跡を起こせるのは自身の家臣の中でも秀吉をおいて他にはない。

げんに中国征伐を一任した彼の活躍ぶりは目覚ましいものがあった。播磨の三木城と因幡の鳥取城を兵糧攻めにしたという話は聞き及んでいたが、彼の戦術は通常誰しもが考えつくような兵糧攻めとは規模も着想も違っていた。まず、城を取り囲むように柵を築き、城から外へ、外から城への補給や連絡を完全に遮断する。しかも、国一帯の食料をすべて買い占め、城から見える場所に楽市楽座を作り上げわざと陽気な賑わいを響かせて、城兵達の士気をことごとく低下させてゆく。時間を要する手法ではあるが、秀吉はこのような方法で難攻と言われた二つの城をほとんど無血で陥落させた。

現在、攻略に着手している高松城のことも小耳に挟んでいる。今度は水攻めを用いているらしいが、どうやらこちらも規模や着想は信長ですら想像のつかない豪壮なものであるらしかった。

自身が真実望むことを彼はいつの時も理解し、素知らぬふりで行動に移す。秀吉からの援軍要請とて、信長には真に意味するところが分かっていた。

 

最早自分が全軍を率いて備中へ向かったとしても、毛利を許すだけの材料は整えてある。もろともに殺さずに済む。殺せと命ずる必要性はもうない。

 

申し合わせた訳ではなかったが、書簡にこめられた真意を知り、自然苦笑が面に滲んだ。秀吉の使者に一瞥くれて、仕様のない奴と口にした自分の顔はさぞや上機嫌なものであっただろう。書簡を運んだ使者を引き留めたのは労をねぎらう意味もあったが、彼がどのように過ごしているのか少しで情報を得たかったというのが本音だ。遅くなってはなるまいと、使者を慰労する間に早馬で「六月には京を発つ」と返事を送った。彼の使者には十分な休養を取らせた後、秀吉に直接渡せと申しつけて片糸を持たせた。彼ならば糸を見た瞬間に理解するという自信があった。奢りでも馴れでもなく、確信としてそう感じるのだ。ひどく感覚的な意思の疎通を互いが無意識の内にやってのけていることを昔から知っていた。今もまた見えない糸で繋がり合っているように、途切れることなく、消え失せることなく、互いの心を誰よりも近くで感じている。

 

片糸にこめられた言葉は「あう」だった。いつかの夜、気まぐれに教えた和歌の枕詞を彼が気に入り、今でも自分達の本音を告げる暗号として、用いているものだった。

 

あう。

会う。

会える。

 

もうじき、会いに行く。

 

糸を受け取って動揺する彼の姿は容易に想像がついて、ついおかしくなる。信長はくっと喉元で短く笑ったが、すぐに笑みを消して相好を些に苦くひそめた。

彼が中国征伐に赴いて約六年が経過していた。遠征中も戦況報告や年始の挨拶のため、安土城へ時折帰ってくるとはいえ頻繁にではない。秀吉のころころよく変わる表情や快活な声音、困った時に見せるしかめ面や、慌てふためいた時の大仰な仕草を思い出すと懐かしく感じられ、同時に早く会いたいと思う気持ちが膨らんでゆく。記憶の中ではなく、会って間近で彼の挙止動作や声音を確かめたかった。忘れるはずがないという自信はあっても、実際自分の手に秀吉がいないという現実は埋めることのかなわない物足りなさで飢渇を助長する。

本心をさらけ出すのであれば、今すぐにでも一人馬を駆って高松城まで行ってしまいたかった。だが、職務である以上、正二位右大臣、織田信長という立場にある以上そうはできない。

信長は一向に眠くならない自身の体躯に半ば憮然として、数度目の溜息を深く重くついた。

せめてもの慰めに思考を転換し、彼が陥落させた城の話を思い出す。三木城、鳥取城の陥落に信長は立ち会っておらず、城の様を実際目にした訳ではない。話を耳にしただけでどのような様であったかは想像を働かせるしかなく、詳しく話を聞く度に自分の目で彼の驚くべき戦略を見てみたかったと惜しまれた。今回、高松城に関しては更なる驚愕の手法をとったらしいと彼の使者から聞き及んではいたが、秀吉に口止めされていたのか使者も歯切れ悪く城の細かな様子を語らない。ふっと口内で吐息に苦笑をまぎれさせた信長は、たわけめと心中で彼の企みに愛しげな呟きを漏らした。彼の思惑通り、早く高松城をこの目で見てみたいと思った。楽しみだと率直にそう感じる。彼が成した前代未聞の城攻めを自身の目で確かめることもまた。

 

いや、むしろ。

 

何の気兼ねもなく、彼に会える。

手放して長いこの手に、再び彼の体温が戻ってくる。

 

一時も離さずに傍らへとどめておきたいと願いながらも、それができずに苛立たしい程の長い時間、彼を自身の手から飛び立たせたままにした。

自分の真実を知り、自分とは異なる戦い方を選んだ彼の優しさやいたわりを、あたかも側にいるかのような身近さで感じながら、腕を伸ばしても届く位置にはない痩躯の熱を飢え渇く激しさで求めている。渇きが癒える瞬間を、飢えが満たされる刹那を、何よりも待ち遠しく焦がれている。

 

中国地方を平定すれば次には九州征伐に着手することになる。が、中国地方の戦後処理や諸々の事務処理にかかる時間を考慮すれば、すぐに九州へ侵攻することは難しい。また、焦る必要性もなかった。現在、九州では三強と呼ばれる、大友家、龍造寺家、島津家と、三家の大名が九州統一の覇権を相争い混戦の様相を呈しており、諸国に結束らしい結束はまったくない。しかも、三強のうち大友家、龍造寺家の二つは織田に随従する意思を明確にしている。残された島津家を抑えれば、九州の制圧にはさほど時を必要とはしないはずだ。尚且つ、毛利家との講和が成立すれば、織田家に帰属した毛利や小早川、吉川に九州攻めの先鋒を預けることができるので、織田家譜代の家臣や軍勢を大量に戦線へと送る必要はない。

西国での戦いが終われば、ちりじりに乱れていた国が一つのものとしてじょじょに収束してゆくことになるだろう。毛利との戦いが終結すれば、自分は手放したものを取り戻すことができるのだ。欠けてはならないものを、自分の半身とも言うべき存在を。

 

同じ明日を見つめ、同じ未来を望む。そのために、必要な美徳と悪徳を知り、互いの役割に徹して、互いを助け支え愛する、忠誠や義務ではくくることのできない深い結びつきを、どんな言葉で表現すれば事足りるだろうか。依存でもなく、偏執でもなく、盲愛でもなく、互いが出会ってこそ初めて完成する、揺るぎない絆の息づかいをどうやって。

さながら比目の魚。互いの存在なしには物を見ることもままならない。どちらかが欠ければ、残された片割れは死んだも同然だ。互いの存在が傍らにあってこそ、ようやく、まことの生を得ることができる。

他の誰にも代わりはできない。この世でただ一人、そのただ一人だけが、自分の心に触れることができる。そして、自分もまた、彼の心に触れることができる、ただ一人。

 

中国征伐のため播磨へ出立する準備を整えていた彼に、数日の休暇を与えて、甲斐から駿河、遠江を通って富士の山を見に遊山の足を向ける旅に供として同行させた。昼は観光や鷹狩りを楽しみ、夜になればしばしの別れを惜しむかのように彼と体を重ねる。昔からそうだった。秀吉を遠方の戦線に送る時は、手放す時間を埋めるように、彼の存在が傍らにない時間を消し去るように彼を抱いた。

決して途切れない、決して消え去りはしない、離れても近くにいても、鎖のように結ばった自分達の絆は濃く深くなる一方で、一瞬も薄れることなどなかった。自分も彼も、長く離れたところで互いが互いの心の、体の感触を忘れるはずはないと分かっているのだ。しかし、揺るがない契りに心から安堵しているとはいっても、感情だけでは物理的な距離を埋めることはできない。任務を終えて帰着した彼と顔をつき合わせれば、会えずにいた時間がいかに彩りのないものであったのかを痛切に思い知らされる。

 

信長にとっては約一カ月近い長い休暇だったが、秀吉が同行したのは最後の七日程度だっただろう。それでも、これから離れる時間と距離を思えばまったく物足りない日数だ。

限られた供回りのみを連れた旅程だったため、夜を迎えると自身の寝所に必ず彼を呼び寄せ、何者にも妨げられることなく愛を繋いだ。時を忘れて互いの温もりに溺れて、眠らずに夜明けの眩しさを見つめる朝を迎え、激しく強く、炎に炎を添え白熱へと溶け落ちるように。

 

東の最果てから昇りゆく朝日の白光を、薄い肩越しに眺めていた。抱き締めて離さずにいた彼の痩躯の温かさを貪るように、くたりと眠りこける四肢を自身の胸へ更に引きこんで、起こさない程度の軽さで背や肩に口づけた。背中から抱擁した細作りな体は、幾度か身じろいで時折腕の中で小さく震えていた。早朝の冴えた空気にさらされ、肩口から些に冷えきっていることに気づいて、自身がまとっていた小袖をかけてやったことをよく覚えている。

自身もまた数度微睡みに落ちて、目を覚ました時には既に太陽は昇り、中天に差しかかろうとしていた。にわかに、腕の中で彼の四肢が力み上体が微かに浮いたが、すぐさま信長の胸に戻り脱力して畳の上に横たわった。くっと声なく笑って華奢な首に鼻先を寄せると、自身の着物に薫き染めた香の匂いが彼の肌から微かに立ちのぼり、誘われるように項へ唇を落としていた。朗らかな色をした柔軟な髪が日差しに透けて、目端できらきらと光っていたような気がする。望む限り許される怠惰を満喫する自分自身に胸中で苦笑し、彼の腰を抱く腕にほんの僅か力をこめた。すると、緩やかに伸びた彼の腕が、投げ出していたもう片方の手に絡みつき、開いた信長の手へ小さな手が重ねられた。何かもが自分よりも小さい彼の、やはり小さく細い指が自分の太い指に強く絡み、応じるように痩身を尚のこと引き寄せていた。

 

離れない。

 

まるで、そう誓うかのように、痺れ痛くなる程強い指先の力に答えて声なく叫んだ。

 

離さない、と。

 

不意にじんと痛みを訴える自身の指先に、信長は己の骨張った手を見つめて目を細めた。居残る細い指の感触が甘く痛みを訴える度に、もどかしさが苛立ちを煽って止まない。痛みを発する箇所を守るように、たぐりよせるようにして軽く指を握り締め、信長は険しく歪んだ面に苦痛を滲ませて夜空を仰いだ。

 

会いたい。

 

月と星が瞬く暗闇を忌ま忌ましげに見上げて、こみ上げる待ち遠しさに腹が焼けるような感覚にさいなまれながら求める。

ただ、会いたいと。

 

待ち望んでいるのはいつの時も、触れることのできる距離に求めた温もりが存在するという他愛ない現実だった。あまりにもささやかな、日の本を統べる偉業を達成せしめんとして天翔ける者の願望としては、非常に小さな望みなのだろう。

感情の介入を必要としない覇業は目的を達するため、あらゆる手段を思考し講じることに専念すればよい。いわば、事務的に処理することが可能な問題であって、根本となる望みは非常に明確だ。天下統一、その一言で願望の内容を説明するに事足りる。

だが、一個人として切望するものと決して口には出せない本心は、割り切ってしまうにも抑えこんでしまうにも躊躇と後悔がつきまとう。心臓よりも奥深い場所にあるという心が求めて止まない願いであるからこそ、かなえられない程に離れている時間を息苦しく感じていた。

 

側にいろと、側にいさせてほしいと、互いがそれを願っていると知っていても、言葉にしてはならない要求だとも分かっていて口を噤むことしかできない。

立場が邪魔をする。不自由であることが妨げになる。不平等であることが隔たりを作る。主従という関係が越えることのできない一線を画す。

心の距離はないに等しいはずが、体を遠ざける距離のせいで繋がる想いまでも遠ざかってしまうような錯覚に陥った。成す術もなく現状にあまんじて己に忍耐を強いれば強いる程、より一層会いたくなる。

 

会いたいと、強く激しく、そう思ってしまう。

 

今、彼は。

今、主は。

何を思い、何を感じているのだろうか。

彼が、主が、見ているものを、聞いているものを分かち合いたい、すぐ側で。

 

星と月が閃く暗黒を無為に見上げて、疼く胸奥の隅で呟いた。

 

夜明けはまだ。

まだ、遠い。

 




2007年から2008年にかけて前編、後編、番外編に分けて本にした作品を2009年に加筆修正をかけて一冊にまとめた小説です。もう10年経ったしいいかなと思いましたので、この度Webに再録することにしました。
読んで頂ければ嬉しいです。
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