※この作品はR-18です。

龍は真朱の黎明に鳳凰と舞う   作:雷電五郎(旧)

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五 章


Gloria -栄光-

天正五年(一五七七年)  九月

 

硯箱は溢れた墨で汚れ、たっぷりと黒い液体を含んだ筆先から散った小さな飛沫は、文机ばかりでなく袖や胸元にも点々と染みを作っていた。

普段ならば筆を持つ時は着物が汚れることのないよう注意を怠りはしないが、仕事に熱中する際の神経は目の前にある事柄にのみ注がれ、周囲に対する目が散漫になってしまう性分は昔からどうにも改善される見込みがない。取り揃えねばならない事物を記した紙の末端は、広げた文机から落ちて畳の上へと延々続き、記載された項目の多さを如実に物語る。しかし、記載された項目の大半には既に縦棒が上書きされており、残された箇所も数刻のうちには縦棒が引かれることになる予定だった。

ここ数年、戦以外のことでこれ程までに多忙を極めたことはない。だが、生来労働に苦を覚えない自分にとって、忙しさはむしろ活力になるものでもあった。気楽に仕事へと打ちこむことができるのは、戦場と違い人を殺傷するために忙しく駆けずり回っている訳ではないということも理由の一つではある。自身が考え実行した策略によって人死にが起こる状況ではないので、純粋に己の職務へと没頭できることが楽しいのだ。とはいえ、今現在の忙殺されんばかりの状況は、十一月の末にも播磨へ大軍を率いて赴き、中国地方平定の任にあたる己自身の身支度に他ならない。結局は戦なのだ。それを思い出すと些少嘆息が漏れる。武力をもって戦うことが億劫というのではなく、戦が起こることによって大勢の人間が死に瀕するという現実が、拭い切れない憂鬱を生んで止まなかった。

だが、他の地方平定を担当している司令官達と比較しても、難度、重要度、ともに群を抜いて凄絶な任務となる中国征伐の総司令官を自身が命じられたことは素直に喜びでもあり、快い緊張を感じ得る大仕事でもある。

羽柴秀吉は額に薄く滲んだ汗を手の甲で拭い、ふうと小さく息をついて長く放置しておいたせいで冷めてしまった茶を一気に呷った。心地よく喉を潤す茶の温度は、活発に動き回って体温の上がった体にはちょうどよく染み入る冷めたさになっており、障子戸の隙間から絶え間なく吹きこむ涼風とともに、汗が浮き出る皮膚を内部から緩やかに癒してくれる。秀吉は、はーっ! と盛大に溜息をついてから、文机に対峙していた上体を勢いよく後方へ倒し、一休み一休みと一人ごちて組んだ両手に後頭部を預けた。

元亀元年四月、越前、朝倉義景の領国へ侵攻した秀吉の主君、織田信長は、義景の本拠地である一乗谷を目前にして義弟、浅井長政の離反に合い挟撃されるという窮地に陥った。迅速なる退却を求められた場面において、死にも等しい殿軍の役目を自ら買って出た秀吉は、金ヶ崎城に立て籠もり押し寄せる朝倉の軍勢を凌いで、生き残るのは絶望的と目された死線をくぐり抜けついには京へと帰り着いた。金ヶ崎の戦い以後、織田家から離反した浅井は旧恩ある朝倉と合流し、長政と信長の妹であるお市の婚姻によって成立していた織田と浅井の同盟に終止符を打つこととなった。浅井との縁が尽きたということは即ち、京への上洛を易々と可能にしていた近江路が断たれたということに他ならない。先に京へと帰着していた信長は生き残った家臣、兵士卒とともに五月には京を発ち、近江、千草を越え、伊勢を経由して自らの居城、岐阜城へと帰陣した。千草を越える道すがら、信長は鉄砲で狙撃されるなどの災難にも見舞われたが、命に関わる怪我や傷を負わずに済んだことは不幸中の幸いといえよう。

岐阜に帰着した翌六月には軍備を整え、浅井朝倉の連合軍を撃破するため近江侵攻を開始し、長比、刈安砦を陥落させつつ同月二十一日には長政の居城、小谷城下に程近い虎後御山に布陣し、小谷城の支城である横山城を攻囲した。この時の陣立てには秀吉も従軍しており、横山城を落とすのに一役買っていた。

織田の軍勢は総勢二万を超える大規模なもので、数的には浅井軍を圧倒していたものの、一つ大きな問題があった。

小谷城は小高い丘の陵線上に南北へと城郭の両翼を広げる難攻不落の堅城である。真っ向から戦を仕掛けたとしても到底落ちるような城ではない。そもそも城攻めには敵対勢力が有する軍勢より倍近くの人員を必要とし、その点においても主の軍勢は城を攻めるに数が足りなかった。しかし、信長には元より小谷城を正面から攻め落とす気などなかったのだろう。大軍を率いて小谷の城下を焼き払い、次々と砦を落として支城を囲んだのは、浅井の軍を物量がものをいう野戦へ引きずり出すためであった。

徳川の軍五千と合流した主の軍は、姉川を挟んで浅井朝倉軍と対峙し、史上稀にみる大合戦が繰り広げられることとなった。緒戦は敵軍が優勢を占めたが、徳川軍が相対していた朝倉軍の総大将であるはずの義景が、大将として出陣していなかったことも加わり、次第に徳川軍が朝倉軍を押し返し始めて乱戦の様相を呈し、浅井軍の猛攻を受けて崩れかかっていた織田軍もまた、陣形左翼の戦況が好転したことによって攻勢に転じ、ついに浅井軍を潰走させた。内容としては辛勝というべき戦ではあったが、当時、浅井朝倉だけではなく、足利義昭の陰謀により各地へと発令された「織田討滅」の指示は石山本願寺に挙兵を促し、伊勢長島でも一向一揆が勃発、六角氏の残党や比叡山までもが兵を挙げ、これによって信長は四面楚歌に陥った。だからこそ、姉川での勝利は敵対する勢力、そして、信長を討てと書を発した義昭にしてみても予想外の出来事であっただろう。

姉川での戦線が決した後に開城した横山城に入った秀吉は、浅井の動行を監視するという重要な役割を主から与えられ、手に入れた城を守るかたわら間断なく動き回って、水に落とした染料が広がりゆくような緩慢さ、かつ、確実さで北近江の豪族を徐々に調略していった。

姉川の戦いの後に主は京へと上り、自らを窮地に追いこんだ張本人である義昭に対面して戦勝報告を成してから岐阜に帰陣しているあたりが信長らしい牽制の仕方といえる。主は義昭に脅しをかけたのだ。いかに小賢しく自分を陥れようとしても、必ずそれを撃破し最後には貴様を処断してやるという無言の圧力に相違ない。

八月になってから大阪本願寺へ出陣し、本願寺勢力と激突した後に大津北郊で浅井朝倉軍と衝突、敗走する敵軍を追って比叡山に至ったが、天皇から下された和解勧告のため一度は和睦を余儀なくされてしまった。だが、翌年には長島一揆を掃討し、浅井朝倉軍に味方してこれを匿ったことを咎め、比叡山延暦寺を焼き討ちにするという一見暴挙とも取られ兼ねない不敵な行動に出た。比叡山焼き討ちに際しては、僧は無論のこと、女子供であろうとも斬って捨てろという厳命が下されており、諸将とともに参戦していた秀吉はひどく憂鬱な思いに駆られたことをよく覚えている。

生来信じる神を持たない秀吉にとってしてみれば、寺を焼き捨てたからといって死後まで責め苦を受けるなどという教えは妄想にしか過ぎない。自分にとって神と呼べるのは織田信長という自身の主君であり、信長に対する忠義以外に神や仏に傾倒する気は毛頭なく、宗教に対しても人間が必要とする精神的な支えや依り所という客観的な定義の他に抱く感情はこれといってない。秀吉が何よりも憂慮したのは、誰彼構わず斬り捨てろという命令を下した信長の胸中だったのだ。先の長島一向一揆鎮圧においても皆殺しは断行され、降伏を願い出ても容赦なく斬り殺されてゆく敵勢の姿に秀吉が嘔吐を催したのは一度や二度ではない。

しかし、分かってもいる。この苛烈さと一切の私情を打ち捨てた冷酷さこそが、信長の覚悟であり決意であると。

禍根を残せば戦は長引く。戦が長引けば、土地は荒れて農民達は耕す田畑を失い、戦の度に住む家を焼かれ食料を奪われる。荒廃した土地に残された人々は略奪に走るか、あるいは手早く稼ぐために他国の軍に足軽として参戦することになるだろう。終わらないのだ。このような連鎖をいつまでも続けていては、戦争はこの国から消え去りはしない。古い体質を一掃し、血と死が平然とはびこる大地を真っ新に平らげてゆかなければ、誰もが望む太平の世など決して訪れはしないのだ。例え幾多の屍を積み上げ、血で河を染め上げたとしても、見据えるべき未来があり、実現すべき明日がある。鬼とそしられ、天魔と恐れられても、進むべき道を決したのであれば己の志しを己自身の手で挫く愚行に甘んじる訳にはいかない。

 

秀吉はうっすらと眠気を訴える躯幹を脱力させて、茫然と天井を見上げていた双眸を細める。眉宇を淡く濁してゆっくりと閉じた瞼裏に、大虐殺を断行した後にまみえた信長の顔がよぎった。

長島において一向一揆を掃討した主は、岐阜への帰り際、秀吉のいる横山城へ立ち寄った。主は別段何を命じるでもなく、自分をかたわらに座らせたまま黙って苦手なはずの酒を、肴も用意させずに何杯も飲み干していた。すぐさま空になる杯に酒を注ぎながら熟視した信長の横顔は静かすぎる程に無表情で、胸に突き刺さる痛みを堪えて自身もまた口を噤んだまま空になる度に酒を注ぎ続けた。

じきに酒は底を尽きて、秀吉が新しい酒を持って来させようと腰を浮かせた刹那、痛みを感じる強さで腕をつかまれ力任せに引き寄せられた。卒然加えられた強烈な力に傾いた体を主の胸板が支え、殿と呼んだ時には信長に抱きすくめられていた。秀吉は驚かなかった。息苦しい程強く自分を掻き抱く堅い両腕の感触は、過去に一度だけ経験したことのあるもので、拒むつもりも、ましてや、下手な慰めを口にする気もない。

ゆっくりと顔を上げて信長を見つめた。何も言わず自分を引き寄せて抱き締めた主の顔には一切の感情がなく、鋼の色をした両目の奥にだけ色濃い苦悩が滲んでいた。思わず両腕を伸ばして主の肩にしがみついていた。いや、違う。しがみついたのではなく、あの時、自分が信長を抱き締めたのだと思う。

 

主が実弟、信行を暗殺した時もそうだった。

計り知れぬ深い悲嘆であっても、救いようのない苦い懊悩であっても、主は涙を流す弱さを持たない。誰もが癒すことのできない悲しみと苦しみを癒すことができるのは自分だけなのだと知ったその日から、主の代わりに涙するのはひたすらに己の役目なのだと、自分にしかできないことなのだと痛切に理解していた。

信長の巨躯からは血の臭いと死体が発する腐臭がこびりついて消えず、戦が続く限り主は延々と、この荒んだ臭いの中で生きていかなければならないのだと思い知る度、眼窩に熱い塩水がこみ上げて止まらなかった。それは自身も同じことであったが、とおの昔に信長へ捧げた心身と命を、今更自身の安寧のために費やしたいとは思わない。何よりも、主が生きていることが自分にとっての幸福でもあるのだ。だからこそ、この時代に生きる何者よりも苛酷な定めを選んで走り出した愛すべき主の翼でありたいと望んだ。時に高くはばたくための力を与え、時に傷つく体を雨水から守り、全身全霊をかけて鞭打たれるばかりのその心を守りたいと願った。

顎の突端から間断なく流れ落ちる自分の涙に双眼をすがめた信長の、陰っていた面差しが微かに解れたのを見、秀吉はひどくほっとして無意識のうちに笑っていた。涙は止まらなかったが、喉から小さく、はは……と微かな笑い声がこぼれておかしな気分になった。手の甲で頬を乱暴に拭った自分の瞼に口づけを落とした主は、やはり無言のまま固い床にゆるりと秀吉の体を沈め、翌朝までの短い時間、むしろ抱き合って眠るような穏やかさでこの身を暴いて横山城を後にした。

 

秀吉は柔らかく眠気を訴える疲労した体を叱咤し、よっという掛け声とともに身を起こして、今度は文机に片頬を乗せ鼻孔をくすぐる墨の匂いに鼻をひくつかせる。

 

天台宗延暦寺の歴史は古く、開祖最澄が苦難の末に朝廷から開宗を認可された延暦二五年より十六年の時を経て、ようやく大乗教の戒壇、即ち延暦寺は設立された。最澄が心血を注いだ延暦寺の理想は、時代の移ろいとともに世俗の権力と結びつきを深め仏教の枠を逸脱した、幕府、朝廷とは異なる巨大な勢力へと様変わりしていった。その原因の一つとして挙げられるのが鎌倉時代に登場した僧兵という武力集団の存在であろう。比叡山の権力が強大になってゆくにつれ、運びこまれる年貢や寄進物は増え、山麓にある坂本港はそれらの供物を保管する倉庫としての役割を成して比叡山の懐を満たした。そればかりではなく、僧兵の武力を金銭などと引き換えに他国の大名との争いへ投入させるといった傭兵まがいの行いも著しく、しまいには寄付された金銭などを用いて僧侶達が高利貸を営み、住民達を借金で苦しめるという傍若無人な振る舞いが公然と容認されていた。また、妻帯を許されないはずの僧侶が妻を持ち、昼日中から読経もせず女達といかがわしい戯れに興じるという救いようのない堕落ぶりは、規律に殊更潔癖な信長に激しい怒りと強い不快感を与えた。主が延暦寺の焼き討ちを決意したのは、何も浅井朝倉の軍を匿ったというだけのとがではなく、仏教を逸脱した比叡山の在り方を憎悪するのに近しい激怒をもって嫌悪したからに他ならない。

かくて焼き討ちは行われたが、秀吉はどさくさにまぎれて、寺へ連れこまれただけの女や子供が逃げてゆくのを見て見ぬをふりをした。命令を遵守するのであれば、せめて捕縛し主の前へ引っ立てることが正当なのだろうが、捕らえた者達の命乞いをしても信長は決して許さないし認めない。自身の言葉を覆さないのが主なのだ。命じられたことの隙間を縫ってある種の命令違反を侵さねば、これらの類いの人々の命を助けることができないということは、恐らく、秀吉が最も熟知していただろう。何故逃したのかと詰問されても、煙に巻かれ視野が利かなかったと言い訳すれば主は叱責し、許しはしないが咎めはしないと分かっていた。

げんに、そういった信長の性分をいくらか把握していた尾張時代からの宿将の幾人かは、秀吉と同じように女子供を見逃し、仏像や宝物を持ち出して逃げる僧の命乞いに目をつぶった。

自身の考えた通り信長もやはり言及しなかった。だが、捕虜として女子供達を捕らえて主の前へ引き立てた光秀などの新参衆は、彼らの命を助けて欲しいと懇願したが聞き入れられず、捕虜を皆までに斬り捨てよと厳命され、結局は捕らえた者を一人残らず処断するはめになった。

鎌倉時代から独自の権力を有してきた比叡山が焼き払われ、焼き払った信長のいわば神をも恐れぬ行動に、人々は「天魔」「鬼」と噂して主を恐れたが、それは浅井朝倉の軍にしてみても、比叡山を焚きつけた義昭にしても同様であったことだろう。延暦寺焼き討ちの翌々年、勢いに衰えの見え始めた織田包囲網はじょじょに結束を乱し、信長はとうとう浅井朝倉連合軍を滅ぼして絶対絶命とも思われた危機的状況の一端を切り崩した。

延暦寺の焼き討ちにより、仏教に信仰の厚い甲斐の武田が憤激して打倒織田に奮起したことは想定外ではあったが、絶望的な戦況をどうにか切り抜けた主が次に取り掛かったのは、手中にした近江領内で水路と陸路の要衝、水陸二つの道を支配することの可能な琵琶湖畔へ築城し、京へ程近い地に拠点を移すことだった。

浅井長政の本拠地小谷城攻略において、得意の調略を用い難攻不落の城を切り崩した功績を評価され、そのまま浅井の所領であった北近江の地を与えられた秀吉は、一介の小人からとうとう一国一城の主となり、新進の大名として名を知らしめすことになった。勢いこんで一度は与えられた小谷城に入ったものの、小谷は山城であるため、国の中枢として栄えるには地理的にも不便な箇所ばかりが目についた。堅城という利点はあれど、自分自身が行ったように調略による内部崩壊さえ引き起こせば、いかに難攻といっても陥落するのは時間の問題だ。これからの時代を見据えるのであれば、城は単に戦を補助する攻撃的性質ばかりを重視すればよいというものではない。山城は籠城戦には最適だが、城下に町を築いて商人を呼びこみ経済的な潤沢を得るのであれば、人々が行き交う交通の要衝に城を築くことが最も好ましいだろう。

秀吉は早速信長の許しを請うて、琵琶湖畔に位置する今浜に城を建てることにした。今浜という地名も主の名から一字を頂いて長浜と改め、自身にとって初の居城となる長浜城の建設に没頭した。城を作ると同時に城下町の整備を行い、天正二年に長浜築城が竣工した頃には、小谷城下から移住してきた町民や職人達の賑わいによって城下町は活気づいていた。

山城とは無論のこと、今まで常識とされてきた城郭の建築様式とも異なり、天守台の眼下には軍船、輸送船などを擁する港を臨み、本丸や御馬屋、家臣団の住居などは湾内に建てられ、湾の入り組んだ地形は広大な城郭と敷地を囲むように自然の堀を形成する。更に、町には積極的に鍛冶屋を呼びこみ、鉄砲などの銃火器を専門に作る職人達の育成と技術の精錬に努めた。

天正四年には同じく琵琶湖畔の安土で信長の新居となる安土城の築城が始まり、嫡男信忠に家督を譲った主は二月下旬、岐阜から安土へ居を移した。といっても、城そのものは未完成であるため、京の妙覚寺や本能寺に投宿したり、南近江の地を与えられた光秀や北近江の地を預かる秀吉の城を訪れることも度々あった。

家督を自らの息子に譲った主は織田家の頭領という立場から正式に離れたことになるが、朝廷から権大納言、右近衛大将の位を与えられ、安土に移住してからは右大将を兼任したまま正三位内大臣の位を受けた。この時点で信長をに対する敬称は「殿」や「御屋形様」といったものから、官名であったり、または、征夷大将軍に近しい存在として「上様」と呼ぶ者が増えたため、秀吉自身も例外なく主への敬称を改めざるを得なかった。今とて主を上様と呼ぶことに若干の寂しさは拭い切れない。

実質、軍を動かす権限は信長が有しているとはいっても、隠居した主は自分やその他の家臣にとって、直属の上司という立場から離れたことになる。若い頃から信長を殿と慕ってきた秀吉には、信忠を同じように殿と呼ぶことに些少の抵抗があった。信忠を嫌っている訳ではない。むしろ、家督を継いだ信忠は他の息子達とは違い、秀吉を信頼し、よく可愛がってくれているので不満などあろうはずもなかった。しかし、自身が心に頂く主は、依然として織田信長その人しかいない。

 

ここ数日、軍備を整えるために駆けずり回っていたせいもあって体には疲労が蓄積していた。文机に預けた上体は程よく弛緩し、先刻と同じように淡く眠りが押し寄せてくるのが分かる。秀吉は小さく欠伸を漏らし、うつらうつらと傾く頭に耐え兼ねて机に突っ伏した。

天正三年、設楽原において武田を滅ぼした信長は、畿内における敵対勢力の大半を片づけたことにより西国への派兵を決意した。そして、その西国への進攻を一手に任せられたのが他ならぬ秀吉だった。

いまだ天守は未完成とはいえ、城下町の整備と主が日中常駐する屋敷などは既に完成している安土城には、城へ続く大通りに面した数々の装束屋敷が建てられており、各方面の戦線で司令官を務める武将達が帰着した際の仮住まいとして使うことを許されている。加賀の戦線を担当する柴田勝家を始め、徳川家康、織田信忠とともに秀吉の装束屋敷も建てられていたが、自分のそれは、古くから織田家に仕えてきた古参の武将達を差し置いて、広い敷地とおよそ仮住まいとも思えない豪壮な屋敷を与えられており、秀吉は主の慎ましい贔屓の仕方が少しだけおかしかった。相応の武功は挙げているという自覚はあるが、北近江という安土に近しい所領を持つ自分が、同じく南近江を所領とする光秀には与えられなかった装束屋敷を与えられたことは意外といえば意外でもある。この時点で主は中国方面を担当する司令官を自分に任せることを決めていたのかもしれないが、僅かな危惧も過った。

ここ最近、信長は何かにつけ光秀を叱責罵倒し、手を上げることも少なくないと耳にしている。光秀の装束屋敷が作られなかった理由が、主の個人的な悪感情によるものだとしたら、二人の間に何かしらの確執が生じていることは議論の余地もない。だが、今の今まで自分を使うことに勝るとも劣らず光秀を用いてきた主の唐突とも思える態度の変化には正直思い当たる節がある。

信長と光秀はある種、水と油だ。信長は自身の口からいちいち理を説明せずとも物の道理を素早く解する鋭敏な感覚の持ち主で、生来人の本性を見抜くことにかけては正に天性ともいうべき観察眼を有している。故に、嘘や言い訳がまったく通用せず、くだくだしく道理を説明されることを非常に嫌う。逆に光秀は理を好み、相手に道理を納得させるため、懇切丁寧にそれを説明する堅実さを持ち、道理に合わないと判断すれば命じられても首を縦に振らない自尊と頑固さを捨て切れていない部分がなきしもあらずだった。常々光秀の理屈っぽさにはうんざりしていた信長の鬱憤が、ここへきて限度を越えたのであれば、今現在の男の扱いに主の私情が挟まっていないとは言い切れない部分もある。

うとうととぼやける思考の隅で、上様も激しいご気性の方じゃしなぁ……とこぼし、秀吉は小さく溜息をついた。

現在、中国征伐の第一手として播磨への出兵を命じられた秀吉は準備を整えるため安土城下の装束屋敷に身を置いていた。秀吉自身に仕える直臣とは別に、大多数の兵士は元々信長から借り受けるもので、正式には主の持つ軍の指揮を秀吉が代わりに執るというのが織田家独特の軍事体系だ。そのため、軍勢を預かるにも軍備を揃えるにも安土にいる方が手っ取り早かった。出兵は十一月の末になる。今から準備をするには早すぎるといえば早すぎた。だが、秀吉自身が明日には安土を発ち、駿河へ向かわねばならないため、用事は先に済ませておく必要がある。

はよ行かにゃあ……と心中で呟き、秀吉は睡魔の誘惑に負けて瞼をゆるりと閉ざした。

その途端

「秀吉様」

と障子戸越しに声をかけられ肩を跳ね上げる。慌てて、おうと少し上ずった調子で応じて、入れと短く命じた。失礼致しますと答えると同時に、そっと開かれた障子戸から、頭を深く垂れた青年の姿が覗く。

「三成か」

青年の見慣れた姿とたたずまいに、満面を笑みで崩した秀吉は彼の名を呼んだ。

青年の名は石田三成といい、自身が長浜で育て上げた小姓衆のうちの一人でもあった。一昨年に元服し、名を石田佐吉から石田三成と改めた青年は、現在秀吉の取り次ぎ、いわゆる奏者としての任を与えられ、若いながらもよく職務をこなしていた。武将としての才覚よりも、内政や事務、あるいは経済に通じる才能を持つ青年は、自身の見立て通り、奏者の役割を十二分にまっとうしている。同じ小姓衆の中でもいち早く秀吉の補佐役という大任を与えられた三成に対して少なからずやっかみはあったが、青年は嫉妬などする暇があるならば己を磨けといわんばかりに歯牙にもかけない。また、そういった不遜な態度が反感を買いやすく、小姓衆の中でも気性の荒い福島正則とは近頃少々折り合いが悪かった。

秀吉は内心、損な性分だわと苦笑を漏らし、顔を上げた青年の、氷のように冴えた双眼を熟視する。

「どうした? また、お虎と市松が喧嘩でもおっぱじめたか?」

はははと笑いながら尋ねると、三成が僅かに口元を緩める。

お虎というのは加藤清正、市松は福島正則のことで、二人とも三成と同じく小姓達の一人であったが既に元服しており、子供の頃から彼らを息子同然に育てて来た秀吉はついつい今でも彼らを幼名で呼んでしまうことがあった。清正と正則はともに武力に長け、将来は良い武将として成長してくれるだろうと見込んでいるが、いつもは仲の良い二人も、相撲などの勝負事になると勝ちを譲らない負けん気の強さを発揮して、どっちが勝った負けたで喧嘩に至ることが度々ある。昔から秀吉の所に駆けこんできて、二人の喧嘩を止めて欲しいと頼みにくるのは三成の役目のようなものだった。

にこにこと笑みを見せる秀吉につられて、無表情な青年の顔が表情にこそ出さなかったものの些少緩まった。が、即座に、いえと首を左右に振った三成は

「それが……」

そう、珍しくも歯切れ悪く言いよどんで長い眉を微かにひそめる。

「なんじゃ、はっきりせんなあ。ええからええから、はよ言うてみい」

青年の様子に秀吉は片眉を跳ね上げて先を促してやった。三成はしばし口を噤んでいたが、意を決したように秀吉を見据えた。

「日向守がおいでになりました」

一瞬耳を疑ったというのは大袈裟な表現ではない。秀吉は内心、不意を食ったが辛うじていつもの語調を保ったまま、ほう? と首を傾げた。

日向守というのは明智光秀に与えられた官称である。即ち「日向守」という人物は光秀を指している。自身もまた筑前守なる官称を主から与えられており、現在では諸将から「筑前」「筑州」と呼ばれる身の上になっていた。予期し得なかった来訪者の名に思わず顔を訝しげにひそめた秀吉は

「光秀殿が?」

と声高に問い返して首を捻った。

「なんも聞いとらんが……」

思わず口内で呟いて眉をしかめる。自分が安土にいるということはどこかで耳に入る話だろうが、光秀とは特に会おうとも約束はしておらず、また、会いにくるという連絡は一切受けていない。現在、主から丹波の平定を任ぜられている光秀は相応に多忙であるはずなので、意味もなく安土にやってくることは考えられなかった。

「通りがかったので、久方ぶりに秀吉様のお顔を拝見したいと申しておりますが」

怪訝な面持ちを深めて黙りこくる秀吉の心中を察したのか三成が付け加えた。

益々分からない。

現在、信長は安土にはいなかった。むしろ、主が不在であることは光秀の方がよく知っているはずなのだ。信長とともに武田の残党を殲滅するため甲斐に向かう軍に参列していた光秀は、先日甲斐から帰陣したばかりである。信長が甲斐から駿河に向かったことを知らないはずがなかった。大体通りがかったなどという理由づけは、光秀程の切れ者から出てくる説明としては程度が低いというべきだろう、何かひどく違和感を覚えて秀吉は、ふーむ……と唸る。

「上様は今、安土におられんちゅうのに何用でご城下にいらしたんじゃろ」

一番の疑問を口にしてから、訊いとらんか? と三成に尋ねると青年は、いえ、特にはと答えて眉間の皺を増やした。

「お断りしたのですが、是非にもと申されてお帰りにならぬのです」

心底迷惑そうに整った顔を歪めた青年の露骨さに微苦笑しつつ、そうかと応じた秀吉は渋面をぱっと解す。主との不仲が噂されていることも気になってはいるので、いっそ本人と直接話をしてみれば何かしら情報が得られる可能性もある。ここで自分がしのごの悩んでいても確たる答えは見いだせないので、それこそ時間の無駄だろう。

「ほんじゃ、座敷に通しといてくれや。そんなに時間は割けんが、折角いらして下さったのに追い返すのも気が引けるしのう」

秀吉は素早く思考を切り替えて青年にそう指示すると、ふと視線を落とした自身の着物の胸元が墨で汚れていることに始めて気づいて、黒い染みを見つめながら、あちゃー……と落胆の声を上げた。

「お会いになるのですか」

鋭く問い返した三成が微かに渋面を作る。

「ま、ちょっとだけな」

片目を閉ざして笑みで返した自分に対し、ふうと溜息をついた青年が一層苦く面をしかめた。

「ご報告せずに追い返すべきでした」

ふいとそっぽを向いて心底忌ま忌ましげに言い捨てた三成の目が宙空を鋭く睥睨する。

青年が腹を立てているのは光秀の突然の来訪に対してであろう。軍備を整える慌ただしさに加え、明日にも安土を発たねばならない秀吉が、多忙の最中で少なからず疲れていることを三成は鋭く察している。そのような折りに主を煩わせるにも等しい真似をする光秀の無遠慮さに、青年は憤慨しているのだろう。自身が信長に無上の忠誠を誓っているのと同じ、三成もまた揺るぎない真摯さで秀吉を主君として慕ってくれている。しかし、そんな青年の決定的な短所は、秀吉一人に重きをおくあまり他者に極端な程敬意を払わないという、ともすれば不協和音を招きやすい偏った性分であった。

秀吉自身、光秀には特に悪感情はなく、逆に生真面目な同輩が断りもなく訪れたということを多少意外に思ったぐらいである。

どうにも引っ掛かった。

人付き合いに関して、光秀は突然思い立ったように気安く人の家を訪問したり声をかけてくるといった性格では決してない。秀吉に用があるのであれば、前もって書簡などを送り、会いたいという旨を伝えた上で会える日時を打診してくるような堅苦しい男である。それが何故唐突に、主君不在の安土へやって来たのか。

青年との問答では光秀の真意を読み取ることはできない。じかに本人と会わねば確たる情報は得られないので、さほど時間はかけられないが男と会うことに決めたのだった。

「三成」

秀吉は苦笑いとともに青年の名を諌めるようにやんわりと呼んだ。

「わしも久しぶりに光秀殿と話がしたいと思っとったとこじゃからな。生憎着替えにゃならんから、お待たせする間にお前の茶を振る舞ってくれや」

墨が跳ねた箇所を三成に見せて指示すると、青年はぐっと唇を噛んでから

「……承知致しました」

いかにも渋々といった仏頂面のまま頭を下げる。元来表情が豊かとはいいがたい三成だが、不快な感情は隠す素振りもしないので顕著に面へと出やすい。叩頭してから立ち上がった青年の背中には光秀への苛立ちがありありと見てとれ、顔を確かめずとも彼が苦虫を噛み潰したような表情をしていることは熟慮の余地もなく理解できた。文机に頬杖をついて、くすくすと喉元で軽やかに笑った秀吉は、三成の背に

「そんな顔して客人の前に出るんか?」

と半ば揶揄を、残りの半分は戒めとして質問を投げかけてやる。青年は立ち止まったが秀吉の方を顧みることはせず

「生まれついてのしかみ面故、何卒お許し下さい」

そう顔を僅かに傾け無感情な声音で応じてから会釈して去っていった。青年の頑固さに声を上げて苦笑いした秀吉は、面に微苦笑を浮かべたまま吐息して

「しゃーないやっちゃのう」

などと一人ごちた。

 

 

 

 (・)  (・)  (・)  (・)  (・) (・)  (・)  (・)  (・)  (・)

 

 

 

 

 

天正元年、甲斐の虎と恐れられた天才的軍略家、武田信玄は病により没した。

奇しくも、信玄の病死によって依然切迫した状況に瀕していた織田包囲網は完全に崩れ去り、信長は同年、長く主を苦しめてきた足利義昭をとうとう京から追放した。義昭が京都から去ったことにより室町幕府は事実上滅亡したが、主は新しい幕府を起こす気配もなく、現在は朝廷が主なる権力を掌握し、幕府という武家の政治機関が存在しない状態が続いていた。官位は受けたが信長は朝廷の要望に応じて将軍職に就任する気は毛頭ないようだった。天皇を敬いつつも、いまだ絶大な権威を誇る朝廷の存在に思う所があるらしい。

あらゆる策謀を駆使して各地の戦線を奔走し、敵対勢力を撃破して自ら危機を退けてきたとはいえ、長年主の脅威であった信玄の死は僥倖という他ない。後継である武田勝頼は決して非才ではないが、父親の偉大さが彼自身への世間的評価を引き下げていることは否めない。また、勝頼は秀才の域を出ない将であり、その才を信長と比較するべくもなかった。

美濃攻略当時、いかに経済が潤い高い国力を有する尾張といえど、他方面で展開される戦線を維持するには人手にも財政にも余力はなかった。信長は斎藤氏との交戦に集中するため、養女とした娘を武田勝頼の妻として送り、婚姻の縁によって信玄との戦いをひたすらに回避してきた。そんな主にとって信玄の死は一つの契機だ。敵対すれば最大にして最悪の敵になると恐れてきた武田家の大黒柱はついに砕けた。武田を滅ぼすのであれば今をおいてはない。

天正二年、東美濃に侵攻し明智城を攻め落とした武田勝頼の軍は勢いに乗り、翌年、徳川家康の所領、三河へ攻め入り長篠城を包囲した。家康の援軍要請に応え、信長は大軍を発し設楽原において史上初、戦に鉄砲を用いて武田の騎馬隊を打ち破り、勝頼の軍勢を敗走させた。そして、全軍を上げて逃走する勝頼を追撃しついにはその首級を上げた。大将を失った武田の軍は信濃や甲斐に逃げ帰ったが、この好機を見逃す手はない。

今年の七月中頃、主は信忠に命じて甲斐侵攻を開始した。信長自身も一足遅れて軍を率い甲斐に向かったが、主君を失った武田軍は脆く、まともに戦うことなく武将の降伏が相次いで、信長が信濃に到着した時には戦らしい戦の大半が終結していた。主は信濃に留まり領地分配の事後処理を行った後、甲斐へ赴いた。そして、甲斐からそのまま家康に招かれて駿河に足を向け、今頃は富士遊山に興じている頃であろう。

その信長から書状が届いたのはつい先日のことだった。恐らく甲斐においてしたためられた書状だろう、内容としては甲斐から駿河へ回り、尾張を通って安土へ帰陣する旨と、余暇を与えるので早々駿河に来て今回の旅程に秀吉も付き合えというものだった。

新しい小袖に着替えた秀吉は、廊下を歩きながら珍しく肉筆で記された信長の手紙の内容を思い返す。肉筆というだけでも自分にとっては嬉しいことだった。大抵の場合、書簡の類いは右筆という秘書官がしたためるもので、本人がじかに筆を取ることは稀だ。書を綴ることが好きな性分ならばともかく、信長にはそういった趣味はない。特に信長の書簡は九割方が右筆の筆に依るものなので、直筆の書は極めて珍しいと言っても過言ではなかった。

そればかりではない。

手紙には花押も書き添えられ、間違いなく信長本人の筆であることを示していた。多忙となり膨大な数の書状をやりとりする信長は、既に花押を廃して公文書には「天下布武」と記された判を用いている。だが、秀吉が受け取った書状には判ではなく花押が記載されていた。

久しぶりに目にした主の、一見乱雑にも見えるが線のはっきりした読みやすい字と文を、自分は暗記する程何度も読み返して、それが単に命令を記しただけの紙切れでないことを噛み締めるように思い知った。書状を受け取った時、手紙にこめられた主の本音を知って一日中にまにまと顔を緩めていた自身のみっともない姿を思い出し、秀吉は人差し指で頬を掻いて半眼になる。今でさえ思い出すだに顔が緩んでしまい、おもむろに縁側で足を止めてみっともなく崩れる表情を叱咤した。

ふと顔を上げると高い空の透き通った青が眩しく双眸に飛びこみ、快い天気の爽やかさに目を細めて口元をほころばせる。

主が敢えて肉筆で文章を記し、使わなくなったはずの花押を使ったのは、自分に宛てた手紙が私的な意図を多分に含んだ公的な命令だと示唆するためだ。秀吉もまた書にこめられた主の真意を瞬時に悟った。

これは単なる休暇ではない。長期の間、中国地方の戦線に釘付けになる自分に対するいたわりでも、まして気配りでもない。

 

離れる時間と距離を埋める術などないと知りながら、それを必死で探り知ろうとする儀式に近しいものだ。互いの体温が、心の輪郭が、薄れてしまわないように、消えてしまわないように、刻みつけて確かめるために費やす儚い一時。距離も時間も、強く結ばり合って解けることのない主と自分の絆を壊すことなどできはしないと分かっていても、側にいられないという空白の刹那を厭う臆病な自分達には、手を離すことに腹をくくる瞬間が必要だった。他の何もいらないと思える程に、他の誰に愛されなくともいいと焦がれる程に、互いだけを欲し求める白熱の時間が。

 

秀吉が出世するにつれ、墨俣、横山城、長浜と住まいは移り、職務は忙しさを増してゆく。昔のようにずっと信長のかたわらにいて、主の後を追いかけているだけではいられなくなった。

手の届く場所に互いがいない。声にも温もりにも微かな息遣いにすら触れられなくて、会いたいと望む想いばかりが膨らんでゆく。そんな感情を事務的に処理することもできず、耐え切れなくて堪え切れなくて、無理にでも自分の気持ちに素知らぬふりをするしかなかった。だからこそ、遠く離れて任務に当たる前には必ず二人きりで会う。そして、平常の自制も自戒もかなぐり捨てて、ただ目の前にある温度の確かさに溺れ沈んでゆく。

にわかにぶるりと肩が震えた。秀吉は震えを訴える自身の肩を片手に握り、止めていた足を半ば強引に動かす。

 

早く駿河に行きたい。早く信長に会いたい。早く、この身が髪の一筋でさえ主のものだということを確かめて欲しい。

 

せめて軍備を終えるまでは目を向けないよう心掛けていた気持ちが胸の底から一挙に噴き上がった。痩躯の芯にほんのりと熱が灯り、秀吉は熱くなってゆく目の下を誤魔化すみたく顔をしかめる。板を蹴って小走りに廊下を急ぐと、明智光秀が待つ部屋の前で立ち止まり、両のてのひらで自身の頬を軽く叩いた。ぱんっという小気味の良い音ともに走る抜ける痛みに、迫り上がった熱度は辛うじてなりを潜めた。秀吉は口元になんとか普段と同じ笑みを浮かべて、障子戸を豪快に開け放つと

「光秀殿、お久しゅう!」

と大声で言って片手を上げる。部屋の真ん中で静かに正座をしていた光秀は、秀吉の快活な挨拶に何故かほっとしたような笑みを浮かべて足を崩さず丁寧に会釈した。

「ご無沙汰しております」

落ち着き払った声音に十分察することができるだけの親しみがこめられており、秀吉には些少光秀の好意がこそばゆくも感じられた。滑りこむみたく、光秀の眼前に腰を落ち着けた自分の笑顔に目をやり、男もまた端麗な面にぎこちなく笑みを浮かべた。

「この度は播磨へのご出立、祝着にございます」

「いやいや、なんの。それがしなどには身に余る栄誉ですわ。上様から申しつかった時より胃が痛うて好物の割粥も喉を通らなんだ始末にござります」

あっはっはっと豪快に笑い声を上げた秀吉につられたのか、珍しく光秀も声を出して笑った。

「安土にはどのような用向きで?」

笑いにまぎれてさりげなく疑問をぶつけると、光秀は目線を逸らして

「これといっては」

とすんなり答えたが、先刻までの笑みが途端に陰る。僅かに俯いた男の所作を、長い黒髪を追うように流れ落ちた。さらりと額を移動した前髪の合間に傷のようなものが見え隠れしていることに気づき、秀吉は眉をひそめる。

「光秀殿、額を……いかがなされました?」

自身の額を指さしながら尋ねると、光秀の顔に差した暗い色合いが深みを増したのが判然と見てとれた。

「ああ、これは……」

言おうとしつつも中々二の句を口にしない男の態度に、秀吉は心中で、いかんなとこぼす。どうやら触れてはいけない話題に触れてしまったようだと察して自身の無神経を悔いた。これ以上、男の額に刻まれた傷跡について言及することは避けた方がよいだろう。秀吉は機敏に思考を切り替え、閉口してしまった光秀の顔を覗きこんで、にこっと笑った。

「さては安土城の石段に足元をすくわれましたか」

光秀殿は存外そそっかしいご様子ですなぁと語尾を継いで、からからと笑い声を発する。

安土城は山の頂き付近に建築されているため、城門や天主閣へ続く石段は急勾配の山道に作られており、油断していると足を取られることがある。時折、戦況報告に帰ってくる部将の何人かが、石段の慣れない急な角度に転倒してしまうらしく、信長も「間抜けめ」などと苦笑している程だ。

光秀が石段に蹴つまずいて転ぶような男でないことは了知していたが、自身が口にした質問を冗談でうやむやにしてしまわなければ、男の沈黙は解消されないと判断してわざと口にしたことだった。秀吉の予測通り、男ははっとしたように顔を上げ、言われたことの内容を理解して、あ、ああとぎくしゃくとした動作ではあったが、ようやく笑みを見せて頷く。

「ええ、まったく、お恥ずかしく」

髪の上から額を押さえて苦笑いを滲ませた光秀の面に、安堵めいた穏やかさが広がったのを秀吉は見逃さなかった。

自身が感じていた違和感が気のせいでないことを理解して胸中に苦いものが広がってゆく。何かあったに違いない。誰かと何かが、秀吉には言いあぐねる相手と、傷を負う程の悶着が起こったのだ。ひどく嫌な予感がして、秀吉は笑みにとどめたままの顔を微かに引きつらせる。脳裏に信長の顔がよぎり、近頃主が光秀に辛く当たっているという噂を思い返して、まさかとは思うが……と声なく呻いた。

「秀吉殿とこうしてお会いするのは、本当に久方ぶりのことですね」

話が逸れて安心したためか、今度は光秀がしみじみとした様子で言って微笑む。秀吉もまた即座に膝を打って、確かに! と陽気に応じた。

「同じ近江の地におりますで、つい、いつでもお会いできるじゃろっちゅう気持ちになってまうんでしょうなあ、声をおかけするのも失念しとりゃーした」

はははと笑って申し訳なさそうに眉を八の字にしかめて頭を掻いた秀吉の顔を熟視しながら、男が黙って穏やかな表情で頷いた。

実際光秀とは特に親しく交誼があるという訳ではない。用がなければ互いの城へ訪れることもなく、安土城でたまに鉢合わせて立ち話をする程度にとどまる。あるいは、光秀の方が秀吉に対して腑に落ちない思いを抱いている可能性があるくらいだ。

というのも、思い当たる理由が自身にはあった。今年五月に加賀の平定を担当する柴田勝家から援軍の要請を受けた主は、秀吉に対して加賀の戦線に赴き上杉謙信の軍勢と対峙せよと命じたが、自分は加賀の陣中において勝家に反発し、命令に背いて勝手に長浜へと帰ってしまった。誰もが重大な軍規違反のため、秀吉は信長の怒りを買い殺されると思ったことだろう。げんに勝家からは秀吉を厳しく処断してほしいという旨の書状が主の元へ届いていたようだ。

だが、勝手に軍を引いて自身の所領に帰ってしまうという、あまりにも致命的な違反を犯しておきながら、秀吉はそれをたやすく赦免され、尚且つ中国地方平定の重任を賜った。今まで己の部下に対しても、他にするのと変わりなく厳格に接してきた信長の処置としては異例中の異例である。

 

しかし、これこそが主命であったのだ。

 

武田信玄は素破、徳川家康は忍役といったように、呼び名は違えど氏素姓を隠して各地に散り、諜報に務める忍びを信長も用いていた。忍びを輩出する地としては伊賀、甲賀などがよく知られているが、主は伊賀攻めにおいて伊賀の国という国を焼き払った過去があったので、誰しもが忍び達から嫌厭され、恨まれていると考えていたが実際はそうではない。忍びとは即ち隠密、隠密とは即ち存在していながら存在しない者でなければならない。家康にくみしている服部半蔵は忍びでありながら、あまりにも名が知れ渡り過ぎており、既に隠密の役割を成してはいない。主は名の知れた忍びなど、飼い主の名札を下げた犬と変わりがないと考えていた。

伊賀攻めで国中を焼き払ったのは、他国に忍びを用いられては困るという理由もあったが、忍びの里として知名度の高い伊賀の地を焼き払うことにより、忍びは伊賀から消え去ったという体裁を装うための作戦でもあった。伊賀出身の豪族である和田惟政が主に献策し、隠密本来の職務に従事させるべく、彼らの情報と消息を炎とともに消し去ったのだ。げんに、信長は伊賀出身の忍びを幾人も用いており、「ひき猿」「饗談」と呼んで彼らを手足のように使いこなしていた。

それ故、主は安土にいながらあらゆる他国の情報を掌握しており、勝家から援軍の要請を受けた時には上杉謙信の体調が思わしくないという情報を忍びから得ていたため、こちらが無理に攻め立てさえしなければ謙信は追撃せず、手取川で己の軍をとどめるだろうと信長は判断した。

他にも根拠はある。

この頃、謙信は関東の地を掌中にしていたが、北条家の抵抗はいまだに続いていた。越後を離れて近江や京までやってくるとすれば、これを好機とばかりに謙信不在の間、北条が関東に攻め入り最悪、越後まで侵攻してくる恐れが高い。自国を脅威にさらしてまで加賀から攻めのぼってくるような先走った行いを謙信がするとは考えられなかった。更には、やはり忍びからの情報により、信貴山で松永久秀が不穏な動きを見せているという報も入ったため、安土を空にしてまで加賀に援軍を送ることは愚の骨頂と言う他ない。

だが、勝家は尾張時代から信長に仕える宿老であり、主から援軍を得られなければ大いに反感を抱いて後々の禍根になり兼ねない。そこで信長は秀吉に対し、援軍に行けとは命じたが、更に、戦陣には加わらずすぐさま安土に取って返せとも命じた。困ったのは秀吉の方で、思わず主に「戻れと申されましても、どのようにすりゃあ……」などと弱音を吐いてしまった程だ。元々勝家は成り上がり者の秀吉を毛嫌いしているので、援軍に赴いたとしても粗末な扱いを受けることは否めない。確かに秀吉とて勝家の指揮下で戦に加わるには多少の不安があり、出来れば加賀へ行くことは避けたかった。しかし、援軍に赴いて即座に帰還するという状況は、たやすく作り出せるものでもない。

主は当惑した顔で唸る自分を眺めて、くっと短く笑うと「そこよ」と秀吉の胸襟を読み抜いて口角を歪めた。安土に帰ることが主命と告げることは、怪しげな動きをしている松永久秀にこちらが警戒していることを知られる可能性があるため、機密を重んじるのであれば好ましい選択肢とは言えない。主は一言「怒りを買え」と秀吉に命じた。勝家を怒らせろというのである。

信長は更にこうも言った。

「うぬは播磨へ赴く身なれば、加賀に留め置くは無意味に過ぎぬ」と。

主はその時既に秀吉を中国平定の司令官として播磨への派兵を命じるつもりであったらしい。そのためにも早々に加賀から引き上げてしまえということであろう。

かくして、秀吉は信長の命に従い一芝居打った。無断で長浜に帰還し、主から謹慎処分を受けたがすぐに許された。信長もまた芝居を打ったのだ。秀吉の軍規違反を厳しく叱責せねば、他の将が身勝手な振る舞いをしても赦免されると勘違いをする。だから罰するふりをした。

この一件で、秀吉が異例の処遇を受けたことを皆が快く思っている訳ではない。ことに勝家ははらわたが煮えくり返る思いであるだろう。また、昨今主から疎まれるに近しい扱いを受けている光秀にとっても、信長が以前と微塵も変わることなく秀吉を寵していることは得心がゆくとはいいがたい状態であるはずだ。功績の点では秀吉と光秀にはさほど大差はないといえる。両者の明暗を分けているとすれば、それは信長の寵愛の度合いである。

光秀には秀吉の何が信長の心を捕らえ、自分の何が主の機嫌を損ねているのか、甚だ理解に苦しんでいることだろう。例えば、光秀が加賀の一件で秀吉と同じ行動に出ていれば、信長は決して許しはしなかった。内密に指示されていると知らないこともあるだろうが、秀吉だからこそ信長に殺されずに済んだのだと思っている者は少なくはない。恐らく光秀も同様であろう。

 

押し黙って俯いてしまった光秀を凝視し、秀吉は眉宇を微かに濁した。

己自身では気がついていないかもしれないが、男は秀吉に助けを求めているのかもしれなかった。再び主に気に入られ重用されるためにはどうすればよいのか、打開策を得るために信長から絶対的な信頼を置かれている自分を頼ってきたのだろう。かつて、自分よりも新参でありながらいち早く城を与えられて織田家の中でも華々しく活躍していた頃の、威風堂々としていた光秀の姿が今はひどく頼りなく小さく見えて、秀吉は言葉をかけあぐねていた。とはいえ、光秀が主に対する忠誠に疑念を抱くようになってしまっては困る。どうにか、男の矜持を傷つけることなく激励する術はないかと頭を巡らせていた秀吉は、唇にやんわりと苦笑を乗せて、光秀殿とひどく穏やかな声音で男の名を呼んだ。そして、男が顔を上げて自分を見たのを確認してから鷹揚な口調で

「正直申しますとな」

と吐息交じりに言葉を切る。

「それがし、光秀殿を羨ましゅう思っとりました」

「私をですか?」

心底意外といわんばかりに目を見開いた光秀に頷いてみせた秀吉は腕を組んだ。

「上様の寵を得て殊更に働きを愛で置かれ、一方ならぬ、お引き立てをお受けになり、身分、容色ともに遜色ござらぬ。某が持ち得ぬものをすべてお持ちでいらっしゃる。光秀殿が上様より城を賜った時は、そりゃあもう、羨ましゅうて羨ましゅうて堪りませなんだわ」

 

陰湿な気配をかけらも感じさせない快活な調子でさらりと本音を吐露すると、光秀は面食らって閉口してしまう。ふふと悪戯っぽく小さな笑みを浮かべ、秀吉は、じゃがと強い語調で言を継いだ。

「それがしも光秀殿の素晴らしさに決して劣らぬ心意気を持っておりまする」

「それは?」

言下に男は食い入るよう自分を凝視する。光秀の言動には、少しでも現状を打開する何かを得られるのであれば得たいという必死さが滲み出ていた。秀吉はそんな男の真剣さを解すみたく、にっと顔を崩して

「常に顔を上げ前を見て歩いとるっちゅうことです」

と答え、あっはっはっと声を上げて笑った。光秀は半ば落胆した様子で長い眉を八の字にしかめる。理屈を重んじる男にとって、今の自分の言葉は具体的な解決策と程遠いものであったのだろう。再び押し黙ってしまった光秀の肩を宥める優しさで軽く叩き、秀吉は男の顔を覗きこんだ。

「光秀殿。丹波平定の重職、悩ましきこともさぞや多かろうとは思われまする。じゃが、俯いてばかりおると目の前に壁があっても避けきれませぬよ。何事も顔を上げ、前のみを見据えて取り掛かられるがよろしかろう」

「おっしゃる通り」

おっしゃる通りですと自身に言い聞かせるように光秀が再度呟いた。

「我々が信ずるべきは上様ただお一人。衷心より献身を忘らるることなく、一心不乱に忠義を貫いてご奉公することの他に存念はござらぬ。光秀殿とて然様にありましょう」

「無論です」

間髪入れずに答えた光秀ににこりと笑って見せて、なればと言を継いだ秀吉は自身の胸をどんと叩いた。

「憂いあらば、いつでもこの筑前をお訪ね下され。晴らせる憂さならば、綺麗さっぱり晴らしてまうに限りますからな」

途端に男が両肩を落として深く項垂れ、今にも泣き出しそうな程に顔を歪めてぐっと唇を噛み締める。

察しの良い光秀にならば自分が何を言いたいのか理解できたことだろう。残酷かもしれないが、いかに主から辛辣な扱いを受けたとしても忠誠心に疑いを持ってはいけないと秀吉はやんわり釘を刺したのだ。男の実直な性分は迷いや憂いに飲まれると、かえって深刻な思考に陥ってしまい放置しておけば悪い方向へ崩れ落ちてしまい兼ねない。単に愚痴を聞いてやるだけでは、男の憂鬱や憤懣を助長するだけのことでしかないのだ。光秀のように理性で自身を律することのできる男には、何よりも主への忠義を再認識させることの方が悩みを解消するには効果的だろう。だが、あまりに思い詰めては心身に悪影響を及ぼすので、自分に相談するという逃げ道を作っておいてやることも忘れない。

秀吉は再度無言で男の肩を軽く叩いた。主君の好みだけは、いかに光秀の才覚をもってしても変えることはかなわない。男にとっては自分が何故辛く当たられるのか、理解に苦しむ日々であったことだろう。いたわるように男の肩を撫でると

「申し訳ない……」

光秀は広々とした肩を落としたまま、そう掠れた声で吐き出して全身を震わせた。一度深く息を吸い、心中に滞っていたものを吐き出すようにして緩やかに息をついた男は、肩に置かれていた秀吉の手を取り、堅く握り返す。秀吉も笑みを崩さぬまま、握手を交わすみたく光秀の手を握り返した。

にわかに男の面差しに微笑がよぎる。ようやく顔を上げた光秀の些少晴れ晴れとした表情を指さし、秀吉は、おっと声を上げて大きな双眸を更に大きく見開いて笑った。

「その顔その顔」

自分が弾んだ語調で言うと

「はい?」

と声高に尋ね返して男は訝しげに眉をしかめた。秀吉は手を引いて再び腕を組むと、柔和な微笑みをたたえたまま光秀を熟視し

「やっと良いお顔になられましたな」

自身もまた心からほっとして、落ち着いた調子でそう言った。光秀は一瞬、驚いたように目を丸くしたが、すぐに片手で口元を押さえて眉間に深々と皺を刻む。そんな男の頬の上が微かに赤くなっていることを知って、秀吉は、ふふと小さく笑った。

半ば強引に自身の照れを誤魔化すみたく

「秀吉殿」

と光秀がやや強い語調で呼んだので、はいはいとからかうのに似た軽さで応じてやった。

「これより駿河におわす上様の元に参られるとか」

すっかり平常と同じ冷静な態度を取り戻した男が、暗い影の消え去った面で真っすぐ自分を見つめる。ああと声を上げて秀吉は、はいと深く頷いた。

「播磨へ下るは十一月の終わりになりましょう。上様がそれまでは暇を与えると申されまして、万事整い次第駿河に参り富士遊山に同行せよと。明日には発ちますで、光秀殿と入れ違いにならんでよかったですわ」

苦笑すると男も、そうですねと相槌を打って微苦笑を口元に浮かべた。

「では、お帰りになられた際は一献酌み交わしましょう」

「お? 珍しい申し出をされますな」

即座に揶揄じみた言葉を返すと今度は光秀が、はははと声を上げて笑う。男は下戸という訳ではなかったが、酒を頻繁に嗜む質ではない。その光秀からともに酒を飲もうと誘われることは珍しいことではあった。秀吉が不思議そうに首を傾けると男は、いえと言って申し訳なさそうに苦笑いを見せた。

「金ヶ崎の折りに交わした約束を、遅ればせながら果たそうと思いまして」

「ああ、そういえば」

大仰な所作で手を打った秀吉は金ヶ崎で自身が殿軍を買って出た時のことを思い出す。主の軍とともに撤退した光秀は、去り際に兵や鉄砲を僅かばかり残してくれたが、その時に「生きて戻られましたら是非祝杯でもあげましょう」と約束していったのだった。どうにか生きて京へ帰り着いたが、以後は各地の戦線に赴いて互いに奔走していたため、こうしてゆっくりと茶を飲む時間も取れなかった。

「あれからお互い、各地を駆けずり回りましたからなぁ」

秀吉が目を細めてしみじみ言うと光秀も頷いて淡く笑った。

「そうですね。ついつい言い出せずにおりましたが」

申し訳ないと言を継いだ男の生真面目さが妙におかしくなって、秀吉は、つい声を上げて笑ってしまった。つられたのか、男も、ふふと声を漏らして笑う。互いが互いの笑いにつられて、何とはなしにおかしさがこみ上げる。暫時、なにとはなしに二人して笑い合い腹筋が少し痛くなった。

おもむろに男は腰を浮かせて会釈し

「長らくお手間を取らせてしまいました。そろそろお暇致します」

とよどみなく言ってから無駄のない所作で立ち上がった。慌てて自身も立ち上がり男の背を追う。目端で窺い見た光秀の横顔は随分と晴れやかに澄み、秀吉も男の鬱憤が少なからず解消されたであろうことに安心して口元をほころばせた。

「また、いつでもいらして下され」

広い背中を無遠慮にばしばしと叩いて障子戸を開くと光秀が顔を傾けて

「……はい」

そう、ひどく穏和な表情で微笑んで頷いた。廊下に出て一度は体躯を反転させた光秀だったが、卒然立ち止まって秀吉に向き直ると、物いいたげに口を開いて後、思い直したのか閉口してしまう。秀吉は怪訝に思って男に声をかけようとしたが、それよりも早くに

「秀吉殿」

と名を呼ばれた。

「なんすか?」

自分を凝視する男に小首を傾げる。光秀は名残惜しいとでもいうように、眉宇を些に濁して熱心に秀吉を凝視した。

「貴方にはいつも……」

言いかけて光秀は、いえと首を振り、自らの言葉を喉の奥底へと打ち捨てる。

「なんでも」

にこりと面を崩し、迷いを振り払うように、御免と頭を下げた男が踵を返して廊下を歩き去ってゆく。光秀の背中に手を振って見送りながらも、染みのように一抹の不安が胸に滲んでゆくのを感じて秀吉は眉をひそめた。男の憂いは解消したはずなのだ。それなのに何故沸き上がった危惧がいつまでも消え去らずに居残り続けているのか。

秀吉は苦く顔を歪めて喉元で呻く。何の根拠もなかった。しかし、確信に近しい鮮やかさで不穏な予感が胸に浮き上がる。

 

光秀とは最早二度と真っ当な形ではまみえることはできない。

 

そんな気がしてならなかった。

 

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