※この作品はR-18です。

龍は真朱の黎明に鳳凰と舞う   作:雷電五郎(旧)

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六 章


Ad libitum -自由に-

天正五年(一五七七年) 十月

 

遠目にも判然と分かる青い山の稜線は、美しく緩やかな傾斜を描いて山麓へと伸び、やがて地に溶けこむようにしてすんなりと消えゆく。白煙をくゆらす山頂は想像を絶する高熱を保っているはずだろうが、頂きより僅かに下方からは純白の雪に覆われ、空とも海とも異なる青いその姿態を殊更鮮烈に瞳孔へと焼きつけた。

雄大でありながら静けさを漂わせる落ち着いた麗しさは他のどのような山にも見られない。正に富士の山は日本一と言うに相応しい風格を備えている。はるか遠方で連なる山々の頂上から微かに突出した富士をかいま見たことはあったが、間近で眺め見る日の本一の山は感嘆を覚えるに十分な威風をみなぎらせていた。人の及びもつかない悠久の時を臨み、大地に横たわってきたものの圧倒的な迫力が、静謐をたたえた巨体から満ち溢れている。

 

織田信長は馬上から静かに富士を見つめて満足げに双眼をすがめた。両隣には同じく馬にまたがった徳川家康と、そして、自身の腹心の部下ともいうべき羽柴秀吉がいる。家康は沈黙したまま山を凝見する自分を時折一瞥するだけで、薄く笑みの滲む面を一片も崩さず富士を眺めていたが、秀吉はといえば、先刻から、うひゃーっなどといった歓声を上げて目の前にある勇壮な山の姿に興奮した様子でいる。自分に士官する以前、駿河にいたことのある彼には富士などさして珍しいものではないはずだ。秀吉のはしゃぎようは、むしろ、昔よく眺めていた富士を懐かしんでのことかもしれなかった。

富士を間近で見るのはこれが数回目である自身よりも楽しそうにしている彼の姿に、つい、ふっと軽く失笑すると、気づいた秀吉が乗り出していた上体を姿勢正しく落ち着けてわざとらしく咳払いをしたが、目の下に広がった微かな紅潮を目端にとらえて、くくくとからかうように喉元で笑ってやった。横目でちらりと自分を一瞥した彼の視線に非難めいた強さがあることを鋭く読み取り、信長はふんと鼻で笑ってそれを一蹴する。家康は自分と彼の挙動が、言葉を用いない会話に等しいということが分からないのだろう、温厚な性情を連想させるふくよな顔貌に些少怪訝な雰囲気を漂わせていた。

数日前に甲斐を発ち、駿河に入って江尻城へ向かう道の中途で一度は富士の山を見物したが、山を眺望した距離が近かったこともあり、山頂まで全貌を一望することはかなわなかった。翌日、白糸の滝を見物してから興園寺城で一泊した後、田中城へと向かう途中、秀吉が一足先に城に到着しているとの連絡を受けたため、逆に出迎えにくるよう彼に伝令を発して、富士がよく見える草原で一刻程度待ち、急いで馬を走らせてきた彼と合流して今に至る。

信長に同行しているのは供回り衆で特によく用いる数人のみだが、草原より離れたはるか後方の平地で忙しく昼食の準備に駆け回る大勢の近習達は皆、家康が厳選して連れてきた接待役である。護衛役には具足をまとった武将数人と足軽が控え、彼らはすぐ背後にいて微動だにもせずに自分達の一挙止一投足を見守っていた。秀吉に至っては身軽さを重視してか、ほとんど身一つで駿河へやってきたようだが、不用心ともいうべき大らかさと明け透けさは単に危機管理に無頓着という訳ではなく、信長が統治する国々と国を結ぶ街道の治安が以前よりも随分と向上したことにより、厳重な護衛を必要としなくなったことが理由であろう。

信濃において武田の郎党を制圧した信長は領地配分などの戦後処理を行った後、甲斐へ入り甲府から駿河を経由して、わざと遠い道程を選び安土に帰陣することを決めた。それというのも、安土へ帰還すれば職務が多忙極まるという点においても寛ぐことはできなかったが、今後自身の天下統一の構想に際しては大きな壁となるであろう朝廷とのせめぎ合いに、膨大な時間を費やさなくてはならなくなるため、まとまった余暇を得られる機会は今しかない。

長年脅威の存在として甲斐に構えていた武田が滅び、次なる一手として西国への遠征を視野に入れている現状において、信長が真の意味で休息を得られる時間はさほどもない。更に激化してゆくであろう戦況は何も戦ばかりのことではなく、いまだ絶大な権力を握る旧勢力との政治的闘争にも言えることだった。自身が安土に留まる理由は即ち、朝廷との主導権の奪い合いという戦に勝つためでもある。日本という国の王として、全権力を掌握するために行うこの戦は、今まで自身が経験してきたそれよりもはるかに根が深く、淀みきった水のように汚い、卑劣で狡猾な謀を駆使する陰惨な戦いとなるだろう。

休養を欲したのは心身を休めるための時間を必要とした訳ではない。否、心を満たすという点においては休息であるのかもしれなかった。十一月末には播磨へと出兵する羽柴秀吉、彼と一刻でも長くともに過ごす時間を欲したからこその余暇だった。安土へ帰れば自身も彼も、己の立場、職務から離れることができず、自制心を振り解いて許されるだけの自由もない。他愛ない理由に過ぎなかった。ただ側にいるために、長く離れることを受け入れるために、ほんの短い時間であっても主従という足枷から解き放たれる一瞬を望んだ。

秀吉を呼び寄せようと思い立ったのは、甲斐での戦が予測していたよりも手早く片付いたせいもある。思い立つと即座に行動へと移す質の自分は、考えるよりも早く駿河まで来るようにと甲斐で彼宛て書簡をしたため、早馬を安土へと発していた。何故安土かといえば、彼のことなので派兵に関する準備を既に始めているだろうと見越してのことだ。じきに秀吉から、軍備が整い次第すぐにでもお供致しますという返事が届き、彼がやって来るまでの数日を焦がれるように待ち望んでいたことを苦笑いとともに思い出す。

彼に送った書簡は通常と違い、右筆の手ではなく自身が筆を取り、公文書を示す「天下布武」の判を用いずに花押を記した。それも昔、若かりし頃に使用していた己の名を用いた花押を。

偽造を防ぐという機密面においても、判を作るまでに花押を幾度となく変えてきた信長の、多種多様なそれらをすべて記憶している者など今や皆無に等しいだろうが、秀吉だけは覚えているだろうという確信があった。自分が彼の仕草や表情を何一つ忘れずにいるのと同じように、彼もまた瑣末な癖すら自分のことであるのならば必ず覚えているだろうという確信が。証拠も何もない。ただそう感じ、それが当然だと納得している、互いの胸中を探る必要性のない、心の在り方を隅から隅まで熟知しているという自信を伴った感覚が、自分と彼の間には常に息づいているからこそ。時に言葉すらも煩わしくなる程に、同調とよく似た感情の微細な震えを、誰も触れ得ぬ心の奥底で絶えず感じている。

書の内容は至って簡素なものだ。早く来い。早く、自分の元に来い。ただそれだけのことを記した手紙は、すべての役割と地位を取り除いた、信長という一人の男が、今、最も望み願う事を書き綴ったものだった。中国制圧という困難な大事業が幾年の時を費やすのか自分にも秀吉にも確たる予測はできない。分かることといえば、今まで彼を送りこんできた戦線などとは比較にならない膨大な時間を要するということだけで、その長い長い時間、自分は秀吉を己の手が届かない場所へ飛び立たせ、触れることも声を聞くこともままならない苦痛を噛み殺さなければならないという苦々しい現実だった。

手を離す前に、彼の痩躯の内も外もまごうことなく自分のものだと確かめたいと願っている。遠く隔てる距離が無意味であるように、自分以外には誰にも触れることのできない心の深淵にまで口づけ交わりたいと望む。秀吉の存在を求める自分の本能は、理性をまったくの役立たずにさせ、厳格であることをたやすく捨てさせて止まない。問題なのは、それでもいいと思えてしまう抑えがたい熱情の苛烈さであろう。

信長は自嘲気味に喉の奥で笑うと、すっかり静かになってしまった秀吉に視線を移して富士を熟視する穏やかな横顔に目を細める。長期を見込んだ遠征に際して、当然戦場では身なりを整える暇も道具もなく、風呂に入ることもままならない日々が想定される。故に、秀吉は髪を整え髭を綺麗に剃り落としていたが、昔からさして寸法の変わらない小柄な体格もあいまって、士官当時の面影が色濃く残る顔貌は年の割に幼く見え、一軍の司令官を任ぜられた男の顔とは到底思えない。色素の薄い髪や、髪と同じ色の大きな双眸が彼の面に居残るいとけなさを助長し、髭がなくなると殊更男臭さが抜け落ちて可愛らしいとすら感じてしまう。秀吉自身もそれを分かっているせいか、髭にはこだわりがあるようだが遠征ともなれば剃り落とす他やるかたない。青年時の面差しなど極僅かに留める程度の自分や家康と並ぶと、今の秀吉はひどく若く見え、この三者が轡を並べて富士を眺める姿ははたから見ている近習達にとってしてみればなんとも滑稽に映るかもしれない。

 

風に乗って微かに鼻孔をくすぐる味噌の匂いに、さほど自覚していなかった空腹感が一気に迫り上がってきた。突然、隣から派手に腹の虫の鳴く音が聞こえ、顔を傾けると腹を押さえた秀吉が気まずそうに俯いて耳朶を赤く染めていた。自分が喉で低く笑うと家康もまた、ゆったりと大きな体を揺らして小さく笑う。

揶揄しやすい隙を作った彼の小さくすぼまってしまった風体に両目をすがめた信長は、胸にふつふつと悪戯を促す欲求が込み上げてくるのを抑止もせず、片手に持っていた鞭で彼の顎をすくいとり俯いた顔を上向かせた。

「童がごとき姿よな」

髭がなくなり、実際の年齢よりも幾分若く見える秀吉の顔貌を確認するみたく眺め回し、片側の眉を吊り上げて口角を歪めると、秀吉が即座に自分を見上げて眉根を寄せる。

「この童めに一軍をお任せ下さる上様の采配、奇想天外なることにかけては国士無双にございますな」

むっとしながらも無理に笑顔を作って応戦してくる秀吉の肩を鞭で軽く叩いた信長は、家康に一瞥くれて、はっと短く笑った。ふっふっふっと巨体を重く揺らして笑った家康が

「童殿のお手並み、三河よりとくと拝見させて頂きましょうぞ」

と自分の戯れに乗って秀吉に会釈する。途端、馬上で身を乗り出し、真ん中にいた信長を避けて家康を見やった彼が、眉を八の字にひそめて顔を苦く歪めた。

「家康殿まで、そのようなことを~!」

肩を尖らせて憤る秀吉の髻を素早くつかみ取り、自身の方へ顔の向きを変えさせる。いたたっと声を上げて頭を押さえた彼の鼻先に顔を寄せ

「吠えるでないわ」

はっと溜息交じりに諌め、わざと憮然とした表情を作ると秀吉が上目使いに自分をちらりと一瞥し悄然と肩を垂れたのを見て信長は

「童め」

そう口角を吊り上げて語尾を続けた。髻を離してやると、上様ぁっ! と咎めるみたく秀吉が困り顔で喚く。

「もう、ここいらでご勘弁下されませ」

肉の薄い肩をがっくりと落とした彼の心底から頼みに、信長は喉の奥で声なく笑った。家康もまた、失敬失敬と片手を上げて軽く詫びながらも、その口元から笑みは消えていない。

「腹の虫をやかましゅう騒がせおって。富士で腹は満ちぬと見える」

秀吉を瞥見して口端を歪めると、うっと彼が呻いて、すんません……などと低い声で詫びた。信長は縮こまった彼の姿に満足して、はっはっはっと声を上げて豪快に笑い、張っていた手綱の片方を横向きに開いて馬腹を片脚で圧迫する。

「参るか」

短く言ったと同時に自身の騎乗している葦毛馬が向きを変えて馬首を反転させた。いち早く、はっと秀吉が応じ、一拍遅れて、家康が頭を下げ、二人ともに馬首を反転させる。信長は後方の二人を見ることなく、手綱を緩めて両脚で馬腹を強く圧迫し馬を緩やかに走らせた。背後に控えていた護衛の脇を素早く擦り抜けた信長に追いついた家康に無表情のまま一瞥くれる。あくまでも柔和な笑みを崩さない太々しさの下で、男が自分に何事か言いたげであることはすぐに察しがついた。

長年交誼のある家康とは、ある種の意思の疎通はすんなりと行うことができる。だが、男の意図を汲むことができるというのは、自分と秀吉が互いの胸中を磨き抜いた鏡のごとく知り尽くし、嘘偽りで一片たりとも曇ることのない真実だけを写し取ることとはまったく逆のものだ。家康がいかにも無害といった面構えで人に接するその裏で、若かりし頃よりも肥えた腹の底に、執念にも近しい執拗さで煮えたぎる野心を抱えこんでいることに、信長は以前から勘づいていた。旧知の男と成す腹の探り合いは、真実を隠匿し曖昧にする化かし合いをいかに円満に成立させるかという芝居でしかなく、どちらかが下手を打てば、たちまちにこの芝居は失敗し、失敗した方が舞台から引きずり降ろされるはめになる。虎視眈々と互いが互いを舞台上から引きずり落とす機会を狙い、慎重に先を読んで罠を回避し、僅かな隙をあげつらって罠を仕掛ける、そういった類いの駆け引きを互いがしているのだと自覚していることによる事務的な相互理解でしかなかった。

秀吉はあくまで信長の後ろに馬をつけており、横に並ぶことはせずにいるため会話の内容は恐らく彼には聞こえない。聞こえないことを分かっていて馬を横につけたということは、男が何事か自分に訴えたいことがある証拠であろう。

信長が推察した通り、家康が低い声音で

「秀吉殿が参られるとは、いささか驚きましたな」

そう、目線だけを背後の秀吉にくれて、面の笑みを微塵も崩さずに厭味のない口調で言ってのけた。実際、男の胸中は気が気ではないのだろう。何故唐突に、今や信長第一の寵臣であり有能な軍司令官でもある秀吉を駿河に呼び寄せたのか、男にとってはさぞや困惑する出来事であったはずだ。何しろ、信長自身が秀吉を招いた理由を家康に話していないのだから当然の懸念ではあった。

「不満か」

ふっと短く笑って返すと男は、とんでもないと上体を大仰に反らせて否定した。ですがと言を継いだ家康が、人の良さそうな丸い顔に苦笑を滲ませて顎を撫でる。しかし、男の両目には顔貌と同じ温厚はかけらも窺えない。

「信長様が秀吉殿をお側に召される時は、何かしら大事ある時と思うておりました故」

「大事なくば、あやつを我がかたわらにはべらすことならぬ、などという法度を作った覚えはないが」

片側の眉を跳ね上げ、些少不機嫌そうな表情を作って口角を歪めると家康が、法度とは、また大事にございますなと、参ったとでもいうように額を叩いて笑ったが、男の太い首に汗が一筋流れ落ちたのを目端にとらえた。表情には出さない面の皮の厚さはさすがと言えたが、家康が心中動揺していることは手に取るように分かり、信長はひどくおかしくなって喉の奥で声なく笑い続ける。

男がしきりと危惧するのも無理のない話ではあった。いくつもの戦において共同戦線を張ってきた織田家と徳川家は、長きに渡る同盟を破綻させることなく継続させ、友好関係を保ち続けてきた。信長が家康に援軍を依頼することもあれば、逆もまたしかり、ともに赴いた戦陣で自分が秀吉をここぞという大事に用いてきたのを生々しく目撃している男にとってしてみれば、何の断りもなく彼を呼び寄せた信長の意図は少なからず不安を煽るものだろう。例えば、武田、今川が滅び、織田の後背に存在していた憂いが消えた今、徳川との同盟を破棄し不意を衝いて三河、遠江を一気に攻め落とすのではないかと、家康は危惧しているに違いなかった。

しかし、信長は男の考えを愚かしいとは思わない。何故なら、家康に利用価値がなくなったと判断すれば、自分は男が不安に思っていることを実行していたはずだからだ。もし、三河や遠江を掌中にするのであれば、確かに秀吉を己の指揮下に加えて一戦を交えていたであろう。

家康率いる三河の兵士は、今川家の支配下にあった当時、戦の際には必ず最前線に配置され、常に最も激しい戦いにさらされてきた。そのため、精神、肉体ともに百戦錬磨というに相応しい揺るぎない強さを兼ね備え、苦楽をともにした主君に対する忠誠心にも厚い。彼らの主である家康は、一見戦を好まない穏和な性分にも見えるが、その実、忍びを用いた暗躍や陰謀に長じ、長い間武田信玄に苦しめられてきた経験から学んだこともあって、軍略の重要性を骨身に染みる程熟知している。激突するとなれば信長とて総力を挙げてかからねば倒せる相手ではない。となれば、対徳川の布陣を思案するに、まず自分の頭に浮かぶ部下の名前はやはり秀吉でなのある。

現在も同盟関係を続ける背景には、今、家康と戦い貴重な戦力を浪費するよりも、残る他国を制圧した後に策謀を駆使して男を追い落とし、主戦力を削り取ってから戦を仕掛ける方が受ける被害を最小限に押さえることができるからだ。家康とて自身の立場を理解しているはずだった。以前から西の統一は自分が成すので、東は男に任せると公言して憚らない信長の真の考えを家康は鋭く汲んでいるはずだ。政治の中心となる西を統一するとは即ち、天下の覇権は信長が掌握するという宣言でもあり、未開の地も多く残される東の大地を家康に預けるということは「天下を諦めろ」という明確な意思表示でもある。笑顔で自身の言葉に頷く家康のはらわたは、怒りと屈辱に煮えくり返っていたに相違ない。

信長は胸中で、悪しき腹よと楽しげに呟き、鋭利な双眼をすうっと細める。秀吉を褥でいじめぬく時とはまったく異なる、弱みを見せた獲物を更に嬲り死に至らしめる猛獣の嗜虐心が、不愉快な苛立ちとともに胸で燻り出していた。

「然様なことを申すはなにゆえか?」

眉間へ薄く皺を刻んで家康を睥睨してやると、信長の心にもない言葉と表情に男の頬が微かに引きつり笑みが強ばった。

「別儀もございませぬ。ですが、わざわざ安土より筑前殿を招かれた信長様のご存念をお聞きしたいと思うたまでにございます」

さすがに真顔になって答えた家康は、唐突にございましたからなと言を継ぎ苦笑いで相好を崩す。男の態度に心の中で冷たく失笑した信長は、にいっと口元を吊り上げ、いかにも愉快といった風情で家康を瞥見した。

「信長が三河遠江を掠奪せんと欲しておるのではないか、とでも思うたか」

笑みを交えてからかうように一撃くれてやる。男は両目を一瞬見開き、瞳に色濃い怯懦を滲ませたが、ゆったりとした動作で首を左右に振ってやんわりと笑顔を作った。

「そのようなことは」

ご冗談が過ぎまするなと語尾を続けて困ったように苦笑した家康は、ゆったりとした所作で額の汗を拭い去った。男の額へ大量に浮き上がった汗は、馬を操る運動によって生じたものでは決してない。

今回の領地配分で家康には武田領のうち駿河一国を分け与えている。徳川の所領はこれで三河、遠江、駿河の三国となり、織田家にくみする大名の中でもずば抜けて広大な土地を得たと同時に強い国力を有するに至ったことは否めない。駿河を与えた代わりに、本来の領地である三河や遠江のいずれかを自分が取り上げてしまうかもしれないと家康が勘ぐるのも無理はなかった。今がその時でないというだけで、信長もまた、いずれはそのようにすることを考えている。大多数の兵士を動員することのできる国力は敵として男と対峙することになった時、信長を苦しめるだけのものでしかないからだ。

図星を衝かれ辛うじて無表情を保っていた家康の顔からじょじょに血の気が引いていった。

「なれば最早黙りおれ。別儀もないわ」

興冷めして信長が面倒そうに言い捨てると、ははっ、申し訳ございませぬと家康が頭を下げた。男には分からないよう鼻で笑い、信長は馬腹を力強く蹴って馬を疾駆させる。家康と秀吉が一定の距離を保って自分を追いかけてきていることは、振り向いて確認せずとも分かっていた。

「気まぐれよ」

溜息交じりに独白して信長は不意に面から表情を消した。

否、気まぐれなどという言葉で片づけることは到底できない、自身のやるせない程衝動的な願望のために、彼を。

冴えて無感情に曇る胸奥に疼くような痛みを伴って発熱が起こる。

 

彼は今日から数日間自身の側に必ず存在し、この短い余暇の間、誰に咎められることなく触れることのできる距離にいる。傍らにいれば、今すぐにでも引き寄せて両腕に捕縛し、身にまとった衣服を剥ぎ取って彼の体温が自身の手にあるという現実を確かめたくなる激情を、強固な理性が辛うじて押さえこんでいた。秀吉が側にいられるのは今だけだと自身に言い聞かせる程に、きしむ自制心に亀裂が入ってゆくのが分かる。一刻も惜しい、触れずにいる一刹那の時すらも忌ま忌ましいと苛立ちが募りゆく度に、音を立ててひび割れる理性の脆さに歯がみする。

馬が蹴散らした枯れ草が舞い上がり、自身の色合いのない面をかすめて過ぎ去ってゆく。鳴り響く鐙の音を煩わしく感じながら、信長は奥歯を強く噛み合わせ、眉間に淡く皺を浮き上がらせた。

 

 

 

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揺らめく手燭の灯火が薄暗い廊下を迷いなく進んで行くのを、夢に浸るような朧げな気分で見つめていた。

秀吉は微熱を催して汗の滲む体躯に些少の目眩を覚えながらも懸命に足を動かし、暗闇に灯る一点の光を追いかけてゆく。ほんの僅かであっても口にした酒は自分の体内を忙しく駆け巡り、躯幹を熱くさせて床板を踏み締める足が雲を踏むかのような覚束ない感覚を与えた。時折左右に無駄な歩みを交えつつも、ゆらゆらと赤く燃える小さな炎を見つめる両目は意識とともに明確に冴えていて、ひどく奇妙な状態だと自身苦笑いがこぼれる。

昨日、信長の一行と合流した秀吉は田中城に一泊した後、現在主とともに家康の居城である遠江の浜松城へと招かれていた。田中城から浜松城までは馬を走らせれば二日で到着する距離だったため、おかげで信長と一緒に富士の山をたっぷりと堪能することができた。織田家に士官する以前、駿河で別の主を得て働いていたことのある秀吉にとって、富士はさほど物珍しいものではなく、外を見回せばいずれかの方向に必ず存在していた、あって当然のものでもあった。しかし、駿河から離れて後は富士から遠ざかってしまい、毎日のように眺めていた山が昨日はひどく懐かしく思えて、信長が隣にいたにも関わらずついついはしゃいでしまった。自分の高揚を誘ったのはそればかりではなく、今や天下統一に肉迫している己の主と、日本一高く美しい富士の山を眺め見ることは華々しい未来への期待を膨らませ、嬉しくもあったのだ。だが、そんな自分の大人気ない姿が主の悪戯心をくすぐらないはずがなかった。案の定、はしゃぐ自分を見て揶揄を仕掛けた信長の底意地悪く笑う顔を思い出し、秀吉は半眼になってむすっと相好をしかめたが、目の下が一際熱くなってゆくのを感じて喉元で呻く。綺麗さっぱり髭のなくなった自身の顎を指先で撫でて、童なぁ……と口内で小さくぼやいた秀吉は、両肩を落として溜息をついた。

浜松城に到着すると早速酒宴が開かれ、海に面した遠江らしく新鮮な魚介類を用いた料理や酒肴が信長や自身の前にずらりと並べられた。琵琶湖も魚や貝類は豊富に採れるが、栄養を多く含んだ海水で育つ魚介類は回遊していることも加わり、臭みがなく油が乗っていて非常に美味い。だが、腐るのも早いため海の近くにある都市でしか食べることができないものでもあるので、美濃、近江と内陸部の国へ居を移してから久しく海魚を口にしていない主と自分にとってはこの上ない御馳走である。清い水に恵まれた土地柄であるため酒も美味く、濁り酒でありながら正に水のごとくすんなりと喉を通る爽やかな味わいは、秀吉に自身が下戸であることを忘れさせる程だった。

家康の持て成しは派手さに欠けるが、接待された側の人間を確実に満足させるよう端々に趣向を凝らしてある。恐らく、接待する相手により料理の内容も変え、通過する城の道順も細やかに選び抜くだろうと想像できた。気配りが行き届いているというよりは、抜け目のない家康の性分を如実に物語っている持て成しの仕方に、狸じゃなと心中で呟いて喉の奥でくすくすと小さく笑ってしまう。

主は常々家康を油断がならない男と考えていたが、秀吉もまた、まったくの同意見であった。野心という後ろ暗い欲求をひたに押し隠し、織田家のよき同盟相手という立場に徹する家康の巧妙さは、常人から見れば義理堅く情に厚いと感じられるが、他者の胸襟を読み抜くことに長けた主や自分には、時期が熟すのを待ち続けて地に身を伏せている獣に思えて仕方がない。天下という獲物を仕留めて食らうために、獰猛な本来の姿を潜めて耐え忍ぶ狡猾さが家康にはある。その昔、今川義元が田楽桶狭間で信長の急襲を受けて討ち取られた時も、嫡男今川氏真に義元の仇を取るべきだと進言したが受け入れられず、その後あっさりと今川家に見切りをつけ、信玄と組んで遠江を奪取した男だ。義を重んじる男が、他国と共謀して主家の統治する領土を掠めとるような真似をするはずがない。

隙を見せればあからさまにではないにしろ、家康はあらゆる術を使って牙を剥くだろう。信長は他国の制圧を完了した後には、家康との対決も視野にいれているのかもしれなかった。主とて家康に出し抜かれるつもりはないだろう、対徳川の構想を着実に練り上げているのかもしれない。同盟国ではなく従属国として、立場の違いを厳然と認識させるためにも、両者の間に少なからず争いが起こることはたやすく想定できる。

眼前を足音も立てずに歩いていく近侍の背中に黙々とつき従い、暗い廊下を歩いてゆくと渡り廊下に至って、にわかに視野が開け蒼白の光に瞳を焼かれて咄嗟に双眸をすがめた。頬に触れる冷風に火照る肌から温度が引いてゆくのを感じながら、秀吉はゆっくりと瞼を開いて顔を上げる。見上げると澄み渡る深い紺青の夜空には満天の星が瞬き、そのささやかな輝きを飲みこんでしまうように、満月の銀光が大きく暈を作って闇を照らし出していた。白銀の真円から滴り落ちる目映い光は、思わず立ち止まった秀吉の足元に淡い影法師を映し出す。はぁー……と夜空を仰いだまま感嘆の吐息をついた自分に気づいて、近侍が立ち止まり、柱の脇に身を寄せて秀吉が歩き出すのを静かに待った。美しい満月を眺めるには渡り廊下の屋根が邪魔になり、欄干から身を乗り出して夜空を見つめた秀吉は、淡く微笑んで熱のない光の洪水に身をさらす。

渡り廊下を渡った先には離れがあり、酒宴を先に退席した信長がそこで月を眺めながら一人酒を飲んでいる最中であろう。宴は数刻続いたが、場に満ちる酒気が強まり酒肴の大半が尽きた頃、信長はそろそろ眠ると言って先に席を立った。自分は後から合流したことで家康に余計な手間を取らせたことを詫びねばならなかったため、主が離れに引き上げてから一刻程度、宴席の場に残ったが、じきに信長の近侍がやってきて離れに来るようにと言伝されたばかりであった。

心音が微かに早まる。自分の寝所は離れとは違う部屋に用意されていたが、今夜自分がその褥に横たわることはない。ぞくりと背筋に走り落ちる痺れに、酒のせいではなく身内が熱を訴えていた。主に下賜された首飾りがしゃらんと鳴り響き、速度を増す心音に拍車をかける。

しかし、不意に脳裏へと蘇る明智光秀の鬱屈した表情に、秀吉は赤みの差した顔を些に苦くしかめて唇を噛み締める。

家康との会話の中で信濃において起こった主と光秀の悶着を耳にし、苦い思いが胸によぎった。武田の郎党を殲滅する信長の軍に光秀もまた同行していたのだが、陣をおいた諏訪の寺で、光秀が何かしら言葉を発した途端、主は激怒して男の髪を鷲掴みにし欄干に打ちつけたという。その場に居合わせた家康も驚いたらしいが、理由も分からず部外者が口を挟むことは許されない。止めに入ることもできず、光秀殿には気の毒なことをと語った家康の困惑顔に嘘はないだろう。

あの額の傷は……と心中でこぼし、欄干を握る指先に力をこめる。安土で軍備を整えることに奔走していた際に、思いがけず光秀の訪問を受けた秀吉は、男が額に傷を負っていたことを思い出し、悪い予感が当たってしまったことに項垂れる。

光秀の様子を目の当たりにしたせいもあるが、ひどく胸騒ぎがしてならなかった。だが、自分が主に光秀の処遇を改めるよう頼めば火に油を注ぐことは目に見えている。何故奴を擁護するのかと問い詰められれば、こういう経緯があって心配になったと、安土における男との座談の内容を白状せねばならなくなるからだ。光秀がよりにもよって秀吉に相談をしたと知れば、信長の男に対する評価は更に引き下がることになるだろう。何故ならば、主が最も寵愛し重用する秀吉に胸の内を打ち明けるということは、暗に信長へとりなしてくれるよう、自分に頼みこんだと取られても仕方がないからだ。また至って単純に、煩わしく思っている男が、秀吉に近しく接しているということが信長に私的な怒りを与えもする。

口を噤むしかないのだ。自分が光秀を庇えば、他の人間が男を庇うよりも信長の怒りを煽るだけのことでしかない。現状、自分にできることは光秀の動向に注意を向けることだけだ。

大事に至らねばよいが……と内心嘆息をついて、秀吉は月をじっと見上げる。

主君に辛く当たられれば反感は無論のこと、将来への不安を覚え、最悪の場合、思い詰めたあまり謀反に走らないとも限らない。光秀程の男に限ってあり得ないとは思いたいが、確実にそのようなことは起こり得ないと断言できる保証はどこにもなかった。

悄然と肩を落とした秀吉の耳に、羽柴様と控えめな声が触れ、気づいて柱のかたわらに立っていた近侍に顔を向けた。

「すまんすまん!」

苦笑いを口端ににじませながら頭を掻いて待機していた近侍に駆け寄ると、気を取り直して再び離れに向かい歩き出した。

 

渡り廊下を通過し、暗い廊下をしばし歩いてゆくと、近侍は結灯台が両脇に配された襖の前で足を止める。そして、膝をつき秀吉へ手燭を丁重に差し出した。

「羽柴様以外、何人も踏み入るなとの御意にございます故、これにて」

ともすれば聞き逃してしまいそうな小声で告げられ、秀吉は手燭を受け取り無言で頷いた。

誰も部屋に近づくなという命令は間違いなく離れにいる信長が下したものだろう。主がそのように命じた理由はとおに分かっている。恐らく明け方まで、あるいはそれ以上の時間を、自分と二人きりで過ごすために、二人だけしか存在しない空間を望んだ主が欲しているものは、秀吉もまた求めているものだ。

 

震えが四肢の端々へと広がってゆく。喜びなのか脅えなのか自分でも判別がつかなかった。駿河へ来るまでの間、押さえつけていた気持ちが激しい勢いで胸に噴き上がり、言葉では表せない感情の嵐に自分自身が翻弄される。逆巻く苛烈さを持ちながら、ないまぜになった感情の一つ一つはとても貴く優しい温度をたたえ、ふとした刹那に涙が溢れてしまいそうな、深く静かな歓喜に重なり織り合わされて秀吉の身内へ浸透してゆく。

押し黙る自分に構うことなく、案内役の近侍は鷹揚に叩頭してから来た廊下を引き返していった。一人取り残された秀吉は襖に手を伸ばし、上様と微かに震える声で室内に呼びかける。

 

返事はない。

 

もう一度、信長様……と囁くように口にして襖をゆっくり開くと、月光を背にした主が間近に佇立しており、あっと声を上げた時には腕を捕まれ引き寄せられていた。凄まじい力に痩躯はたやすく宙を浮いて、太い両腕に腰を絡め取られ堅固な胸に閉じこめられる。長剣を軽々と振り抜く腕の堅い筋肉が痩せた四肢や腰を締め上げ、身じろぐこともできずに、はぁ……っと苦しげに喘いで背中を反らせると抱き締める力が些に緩んだ。危うく落としそうになった手燭に息を吹きかけ、小さな炎を消した主の唇が秀吉の頬に触れて、こたえるように自身も信長の額に額を合わせる。怖ず怖ずと瞼を持ち上げると吐息が触れる距離に真鉄の瞳があり、澄んだ暗黒に自分の戸惑ったような表情がはっきりと映し出され少しだけおかしくなった。信長様と沈黙する主の頬に手を伸ばし触れ合う額から伝わる温度の心地よさに淡く睫を伏せる。すると、瞼の上に口づけが落とされ、目の下まで滑り落ちた口唇が肌に接したまま、待ち兼ねた……と甘く咎める言葉を紡いで秀吉の唇に重なった。秀吉もまた手燭を手放して必死に両腕を伸ばし、主の背や肩にしがみついてじゃれ合うように優しい口づけの熱さに身を委ねる。触れるだけで僅かに離れた主の唇は、ふっと小さく笑った後に溜息を攫う深さで自身のそれを奪い取り、襟足を厚いてのひらに包みこんでそっと引き寄せた。

 

胸が苦しい。

 

苦痛や悲哀のためではなく、溢れて心を満たす血潮のように熱い情愛が体の隅々に巡り、喉の奥から、眼球の奥から、体に収まりきらずに尚も溢れるそれがこみ上げてきて苦しくなる。秀吉は眦に滲む涙を拒んで瞼をぎゅっと閉ざし、眉宇を濁して信長の肩に回した手の中に上衣の布を握りこんだ。

 

誰のどのような情愛をもってしても、自分の心は決して満たされることがなかった。満たされないことを最早当然のこととして受け入れるしかなかった。穴の空いた瓶に水を注ぐこととなんら変わりがないのだ。注がれても注がれても、穴から流れ落ちてゆく水をすくい取る術はなく、いずれ尽きて涸れてゆくと知っているものに未練を感じれば、失ったものの貴さに自分自身が傷つくだけのことでしかない。

誰に対しても平等に振る舞うのは誰も自分を満たせないと分かっていたからだ。心に空いた穴を塞いでくれる者はいないという諦観が、今の今まで愛される幸福など幻想に過ぎないと決めつける冷めた割り切りを自身に強いてきた。本当は何よりも自分が欲していたはずの幸せが手に入らないと痛感する度に、消え去ることのない痛みを伴って虚しさが胸に降り積もる。苦痛でしかない。才能でも容姿でも、表面上の性格でもなく、自分という人間そのものを求め欲してくれる愛など存在しないという現実は、この上なく悲しく、この上なく寂しい答えだった。

 

何故なのだろう。決して存在しないと思っていた。決して出会うことのない喜びなのだと諦めていた。それを、そのすべてを、今目の前にいる、自分が生涯唯一の主と定めた男が与えてくれるのは何故。

 

満ちたことのない瓶の中身は一瞬にして溢れ、尽きてゆくことも涸れてゆくこともなく、ただ沸き出でてこぼれ落ちるまでに心を埋め、苦しくなる程に満たしてゆく。触れられると肌以上に心が熱くなった。並々と満たされた水面に幾重にも注がれるものの激しく優しい振動に、胸の底に眠る奥深い闇までが震えて、震える度に体の隅々に喜びという名の熱が緩やかに広がってゆく。

 

主の唇が離れ鼻先がぶつかる卑近で互いを熱心に見つめ合った。自分を真っすぐに熟視する双眼には平素の冷淡も無慈悲もなく、愛しい触れたいとただそれだけを欲し求める純粋な情熱が燃えている。堪えてもどんどん眼窩が熱くなり、秀吉は堪らず信長の胸に顔を埋めた。懸命に巨躯へとしがみついて、上等な香の匂いが立ちのぼる布地に頬を擦り寄せる。自分の体を抱きとめた腕が柔らかく背を包み撫で上げた。嬉しくて、それなのに何故か鼻の奥がつんと痛くなり、今にも涙が溢れ出してしまいそうで奥歯を噛み締め肩を震わせると、その震えごと秀吉を愛おしむように苦しくなる程激しく抱擁され目を閉じる。

 

好きだった。

どうにもならない程好きだった。

 

まるで生まれてから今までの時間をずっと、信長と出会うためだけに費やしてきたかのように、主が好きで愛しくて堪らない。

何度も何回も堅い両腕に抱きすくめられ、厚い胸板に閉じこめられたはずなのに、幾度抱擁されても心を満たす歓喜と幸福は色褪せなどしなかった。確かに喜びであるはずが、いつも抱き締められる度に泣きたくなってしまう。自分のそんな弱さを見透かしたように、一度柔らかく自分の体を包んだ後、息苦しくなる強さで抱きすくめてくれる太い腕の力に、己の身を預け委ねる以外に一体何ができるというのだろう。

かつての迷いも、かつての不安も、かつての憂いも今はなく、現実となることを請うばかりであった望みは、最早自らの力で実現された。

 

今こそ断言できる。

 

主とともに生きる。はるか高みを目指して昇り詰める主とともに、自身もまた空へ舞い上がり常にかたわらに添うと。力強くはばたく翼となって、命の続く限り歩む道をともにする。ともに生き、ともに死に、命運の指し示すままに主と添い遂げると、今こそ誓う。

昔、信長に誓えと命じられた時、ただただ背かないと頷いた自分はあまりにも弱く脆かった。今度は自らの意志で誓いを立てたいと思うのだ。遠く離れゆく今だからこそ、解けぬ強さで、途切れぬ堅さで、移ろい変わりゆく時と世界の中で決して変わらない愛を。

主が命じ望むのなら、自分は幾度でも遠い地に赴き己の才の限りを奮うだろう。そして、役目を遂げ、何度も、何度何回でも、この両腕の中に還りつく。決して迷うことなく唯一の帰途をたどり主の手に必ず舞い戻ると約束する。だから、次に還りついたその時が、すべての夢のかなう時だと信じて、今は、果てのない暗黒へ飛び立ってゆこう。

 

ずっと顔を埋めていた自分を宥めるように、襟足を包んでいた主の手が指の背で何度も項を撫で上げる。こそばゆく優しい感触に段々と震えは収まり、眼窩に滞っていた熱も綺麗に霧散していった。ゆっくりと顔を上げると眉間に信長の喉仏が触れ、蠢くそこに鼻面を擦り寄せて軽く唇を押し当てる。くっと失笑に鳴った喉元へいたずらに吐息を滑らせると、耳朶にやわく歯を立てられ、あ……と思わず驚きの声が唇からこぼれた。項から耳朶の裏側に達した太い指が、くすぐるみたく緩やかに顎の付け根を滑り、きちんと結い上げられた髪を指先で乱しながら元結に触れ、固く結ばれた紐を丁寧に解いていく。紐が緩まる程に首筋に舞い落ちる自身の髪は冷たく、温まった肌との温度差にふるりと身震いした刹那、耳元で、童がごとき姿よと笑いを含んだ低音に囁かれ、昨日自分をからかったのと同じ言葉に苦笑して、いかにも、童にございますとくすくす笑いながら答えると唇で唇を塞がれた。

髪をまとめ上げていた紐が足元に落ちて、柔軟な感触が肩口を滑り肌を撫でながら流れ落ちてくる。硬い皮膚に覆われた指先がするりと鳶色の髪を梳いてから秀吉の頬を包み、やんわりと持ち上げられるまま顎を反らせると再び口づけを見舞われ、自身も腕を伸ばして主の首にすがりついた。するりと下方に落ち、自身の尻を撫で上げる大きなてのひらに喉の奥で笑って、秀吉は、お戯れをと女のように高い声音で冗談めいて呟いてから、わざとらしくしなを作り身をよじる。即座に耳朶へ吐息を滑らせながら、戯れとは? と喉元で笑って尋ねた信長が、秀吉の両脚の間に膝を割りこませ硬い膝頭で股間を擦り上げ、項に軽く歯を立てて接吻を落とした。

部屋に配されていた行灯の火は既に油が尽きて消えており、淡い青の銀光だけが自分と主の姿を映し出していた。涼やかな薄明かりの中で、子供のようにじゃれ合う自分達の微かな笑い声が重なり、穏やかな楽しさにくすぐったい温度が心をじんわりと暖める。秀吉は抱き寄せられるまま、信長の肩口に顔を埋め、目を閉ざして微笑んだ。

「このような様を誰ぞにでも見られましたら、一大事にございますなぁ」

言下に耳元で主が失笑する。

「下らぬことを」

重く両肩を揺らしつつも、主の手が開いていた襖に伸びたのを見て口元をほころばせる。信長の手がゆるりとした動作で襖を閉ざしてゆく様を、広い胸板に身を預けながらぼんやりと眺めていた。桟と桟が合わさって襖が完全に閉ざされた瞬間、体躯を持ち上げられ素早く壁際まで運ばれる。

冷たい壁の堅さに痩せた背を包まれ、躯幹を小さく震わせた秀吉の項に主の口づけが触れ、驚いて口唇を微かに開くとすぐさま唇を攫われた。後頭部に回された手で頭を引き寄せられ、開いた唇から侵入した舌先にぎこちなく自身のそれを突き出すと、素早く絡み取られ強く吸われる。舌を走り抜けるぴりっとした痺れに、んっと声を上げ顎を跳ね上げた秀吉の喉元を主の指が撫で上げた。たっぷりと唾液を絡ませた舌が、口腔でだらりと弛緩した秀吉の舌先を捕らえ、微かに歯を立てながら強く弱く交互に吸う。吸われると口内でちゅくと唾液が弾け、絶え間なく鼓膜を刺激する粘着質な音に下腹がじんとした熱を蓄えてゆくのが分かった。舌が熱く溶けてゆくような恍惚に頭の奥がぼやけて四肢が脱力する。

口づけの合間にも主の手は忙しくうごめき、手早く秀吉の帯を解いて床に打ち捨て袴を一気に引き下ろしてしまう。上衣の袷は左右に開ききって呼吸すると、うっすら肋骨が浮き上がる腹と肉の薄い胸板があらわになった。秀吉は顔を些に逸らして、自身もまた信長の帯に手をかける。別段それを阻むこともせず、主は秀吉の腰を引き寄せ深い溝を作る鎖骨のあたりに唇で触れて、具足に包まれ日焼けから逃れた白い肌に歯を立て赤い痣を刻んでゆく。痛みの後に居残るひりついた熱にうっとりと意識がかすみ、所作の緩慢さが助長された。もたつく自分に焦れたのか、帯を握っていた秀吉の手をつかんで引き離した信長が、自ら帯を取り去り床へ打ち捨てる。同様に袴も脱ぎ去った主の巨躯は、幾度目にしても溜息がこぼれる程美しい均整を保ち、研ぎ澄まされた刃を思わせる筋肉の造形は、出会った頃と変わらず、無駄に肥えることも不健康に痩せすぎることもなかった。男としては理想的ともいえる容貌、体格に羨望を覚えると同時に、柄にもなく心臓が高鳴って気恥ずかしくなる。

しかし、自分の微かな羞恥を気に留めることもなく、主が首飾りを取り去り、太い腕で秀吉の痩躯を抱き寄せゆりると反転させた。壁と向かい合う体勢になり、何げなく下を向くと主の下帯が床に落ち、その布を大きな足が蹴り飛ばしてどかしたのを目撃した。背後から抱きすくめられ、小袖を介していても鋭く鍛え抜かれた筋肉の隆起を背に感じる。襟足に口づけられ、ひくんと肩を揺らした秀吉の腰に主の腕が絡み、片方は下肢へ、もう片方は上体に向かい皮膚の滑らかさを確かめるように丁寧に肌を滑ってゆく。下肢に落ちた手が下帯の中に入りこみ、秀吉は奥歯を噛み合わせてぎゅっと目を閉じ、それでも主の成すがままに体を預けた。半ば勃ち上がっていた秀吉自身を掌中に収めた信長の手が、ゆるゆるとそれをしごき上げる。同時に上体に触れた手が薄い胸板の上でぷくりと立ち上がった二つの突起の片方をつまんで強く捻った。

「いつ……っ」

思わず悲鳴を上げた秀吉の耳朶に主が噛みつき、痛いか? と笑いを含みながらも胡乱げに問うて突起から指を離した。が、すぐに指の腹で淡く色づいたそれを押し潰して擦り上げる。胸板から伝わるびりびりとした感覚に秀吉は突起を嬲る主の手をつかんだ。途端に、下帯へ忍びこんだ手が、慎ましやかに自己を誇示する秀吉の屹立を、射精を急かす勢いで根元から擦り上げ、太い指の背で同時に袋を刺激した。

「ひっ……ぁあっ……上様っ、御手を……っ」

下腹から迫り上がってくる鮮やかな悦楽に耐え兼ねて制止を請うた自分を嘲笑い、信長が声なく笑いながら両手を絶え間なく蠢動させる。

「手を、なんだ」

言えと命じる語調はひどく甘ったるく、秀吉は鼓膜を振動させた低音に身震いしてかぶりを振った。身内を痺れさせる淫らな感覚におののいて、自分自身を弄ぶ主の手から逃れるように腰を退かせたが、後方に腰を引く程信長の股間に尻が収まり、硬度を増して高熱を蓄えた怒張の先端が双丘の谷間に食いこんだ。布を隔てているとはいえ、尻の柔らかい肉を刺激する雄の猛々しい感触に震え、秀吉は壁にすがりついて肩をすぼめる。すると叱咤するかのように自分の屹立を嬲る主の指先が充血して赤く染まる先端の割れ目を浅く掻き、過敏なそこをしつこく弄んだ。ひっと小さく悲鳴を上げて堪らず腰を引くと、下帯を引き降ろされ剥き出しになった尻の谷間に苛烈な熱度を保った怒張が滑りこんでくる。

「ん……ぁっ」

卒然尻に触れた温度の高さに背を反らせた秀吉の屹立をしごいていた主の指が、先端から溢れる先走りを絡めとって、双丘の奥でひっそりと口を閉ざしていた花芯に触れた。突起をつみ取っていた手が下半身に下り、放置された秀吉自身をてのひらに収めて再びしごく。繊細な秘所を太い指が容赦なく擦り上げ、瞬く間に熱を帯びて緩まってゆく入り口に指の腹が僅かに埋まった。

両の手で下肢を嬲られ脚ががくがくとわなないて立っているのがやっとの状態だったが、信長の手が動きを止める気配はない。

くちゅくちゅと卑猥な音を立て、擦られる程に解れてゆく秘所へ、容赦なく指が入りこみ柔らかくなり始めた内壁を更に押し広げるようにして掻き回した。

「うぁっ……あぁ……ぁっ!」

秀吉は繊細な肉壁を掻き回す指の動きにぶるりと大きく痩身を引きつらせて背をたわませる。前後から押し寄せ、間断なく脊髄を駆け上がるいやらしい高揚は、下腹にわだかまっていた白熱を助長し、堪え切れず主の掌中に吐精を果たした。喉が引きつり喘ぐこともままならず、弾けた白濁が内股をどろりと滑り落ちてゆくのを眼下に茫然と見つめていた。力の抜けた脚がかくんと折れ、崩れ落ちそうになった下肢を信長の腕が支える。持ち上げられた腰は体ごと壁に押しつけられ、粘膜に埋められていた指が引き抜かれた刹那、硬い怒張の先端が秘所に宛てがわれた。秀吉が制止を請う間もなく、一際質量のある先端が狭い花芯を押し開いて解れた直腸を犯す。

「あっやぁっ……! 抜いっ……ひあぁっあっ……っあぁっ!」

容赦なく粘膜を押し開いて最奥に向かって進む雄の高温に、躯幹を引きつらせて喘いだ秀吉の背に優しく口づけが落とされ、萎縮した痩身を主の胸板が抱擁する。元より、幾度となく主を受け入れた体は、さして馴らさずともすんなりと雄を咥えこみ、突き上げられれば痛みよりも鮮明に法悦を訴える。太い怒張を根元まで含まされ、異物の感触に恐れおののくよりも先に、身内はとろんと溶けて物足りないとでもいうように真芯から細やかな震えを催していた。それを知ってか、信長の腕に下帯が絡みついたままの大腿を引き寄せられ、辛うじて床を踏み締めていた足が浮いて爪先立ちになる。そして、唐突に埋められた雄が中途まで引き抜かれたかと思うと、最奥を再び硬い先端で突かれた。

「やぁ……ぃあぁっ! 信長様……ぁっ」

秀吉は壁にすがりついて乱れる呼吸の合間から主の名を呼んだ。とろけた粘膜に与えられる激しい衝撃が体の中枢を突き抜けてゆく。脊髄に居残った麻痺感は痛みというよりも快感に近しい悦びを伴い、淫猥な欲求を含んでわななく四肢から極自然と力みが消え失せた。目端に涙を溜めた自分の、大きく上下する双肩に何度も口づけを降らせた主がくっと短く笑う。

「嫌と申すなれば、仕舞いにしてやらんこともないが」

最奥まで収められた雄を細かく揺すぶりながら、楽しげに囁かれた信長の意地悪い言葉に、秀吉は一度唇を噛め締めて押し黙ったが、自身の体躯がこの程度の悦楽では満足できないと疼いていることを否定できず、込み上げる羞恥心で顔が熱くなってゆくのを堪えながら

「嫌とは……言うておりませぬ……」

そう、消え入りそうな声で答えた。言下に、熾熱の塊が再び引き抜かれ、最も過敏な奥底の肉を容赦なく貫く。奥まで突き上げられると些に体が浮いて上体を預けていた壁がきしんだ。繊細な粘膜に硬い肉棒が繰り返し打ちつけられ、体の真芯から衝撃とともに噴き上がる淫猥な恍惚が、先刻達したばかりの自分自身を瞬く間に屹立させ、先端からだらしくなく透明な蜜を滴らせる。やり切れない程に張り詰めてみなぎる自身の雄は、最早限界に近しいと頭の隅に僅か居残った理性で判断はついたが、与えられる快楽の激しさに思考能力はじき白熱へと飲まれた。秀吉はふるりと大きく肩を引きつらせ、体が望むままに自身の高熱を吐き出そうと全身から力を抜いた。しかし、どろりと白濁を溢れさせた自身の硬直を、にわかに主の手がつかみ取り親指と人差し指で根元をきつく締め上げられる。唐突に吐精を遮られ、解放のすんでまで昇りつめた熱が逆流し体内で逆巻く苦しみに、いあぁっ! と悲鳴を上げた秀吉の鼓膜を主の低い笑いがよぎった。

「上様っ……御手を、御手を離し……ぃっ……うあ……ぁっ!」

「堪え性のない奴よ。今少し待たぬか」

止むなく主の叱咤に、はい……とか細く頷いた秀吉は、壁に爪を立てて身内で荒れ狂う衝動を必死に堪えた。数度突き上げられて後、卒然、雄を束縛していた指が緩み、ようやく解放された安堵に四肢から力を抜いた途端達してしまう。同時に直腸の最奥で熱い飛沫が散って、秀吉は上体を大きくのけ反らせながら声なく喘いだ。

吐精を果たした主の雄が僅かでも動いて角度を変えると、秘所からどろりとした液体が溢れて股の内側を鈍重に伝い落ちる。壁に半身を預けがくがくと全身を震わせる秀吉の下帯を解いた主が、後ろから痩身を抱きかかえてゆっくりと畳に腰を降ろした。内部に収まったそれは取り除かれず、あぐらをかいた信長の膝上へ座りこむ体勢になった秀吉は、残存する熱と、粘膜を微かに揺すぶる振動に身をおののかせる。主はしかし、自分に構うことなく華奢な片脚を引き寄せて持ち上げると、痩せてくびれた腰をつかみ、慎重に秀吉の体の向きを変えさせていった。主の雄を咥えこんだまま体躯を反転させられ、安定を失った体の比重が主と繋がった秘所に集中する。向きを変えさせられる度に結合部からはぐちゅっぐちゅっと高く水音が響いて、秀吉は耳を塞ぎ唇を噛んでかぶりを振った。ようやく、信長と真向かう体勢に据えられると、主が耳を塞いでいた秀吉の手を取り上げ、涙の浮いた眦に口づけを落とした。

優しい接吻の暖かさに、嗚咽を吐露しかけた喉を、ひくっと引きつらせて瞼を閉じる。

朦朧とした脳内にぽつりと浮き上がったのは、もう終わりなのだろうかという、平常の自分では信じられない淫乱な不足感だった。ともすれば口をついて出てしまいそうな、続けて欲しいという言葉を喉元で浮沈させながら体を落ち着きなく身じろがせる。言葉にするだけの大胆さはさすがに持てず、秀吉はしばし迷ったがぐっと奥歯を噛み締めて主の首に顔を埋めた。尻を力ませて硬度を失った主の雄を緩く締め上げ、粘膜を擦りつけるようにほんの微かに腰を揺すぶり、筋肉に覆われた広い背に両脚を絡める。平素の自分ならば決してこのような浅ましい真似はしないはずだった。しかし、まるで羞恥という感情を忘れてしまったかのように、主を欲する自身の体を押しとどめる術もなく、押し寄せる法悦に溶け落ちてゆく理性を取り戻すには手遅れだった。

「うぬはかような浅ましき為様をいずこで覚えたのだ」

淫乱に愛撫をねだる粘膜に応じ、自身の内部で硬度を取り戻し勃起する主自身の熱さに痩躯をびくびくと震わせて、はぁっと密やかに嬌声を発した秀吉の頭上から、いかにも楽しげに信長の揶揄が振ってくる。指摘されたことで急に恥ずかしさが蘇り、秀吉は赤面したが涙声で

「お嬲り召されますな……っ」

ご存じではありませぬかと非難がましく声を上げる。秀吉は羞恥のあまり、俯いて信長の胸板に額を預けたまま、収まらない顔の熱とともに込み上げてくる涙を堪えて唇を噛み締める。元々衆道に興味のない自分が信長以外の男に体を委ねるはずなどない。自身の痩躯に男を受け入れる快楽を叩きこんだのは、まぎれもなく主ただ一人だけだった。細胞の隅々にまで覚えこまされた淫らな感触と温度は、主の指先が肌を撫で上げただけでも蜜のように甘い恍惚を発して痺れた。日が空けば疼く程に暴かれ尽くされた痩身のどこにも、主以外の男が触れていい場所などない。どこで腰を振るような真似を覚えたのかなどと問う底意地の悪さに、主を些少憎らしく思えて口を噤んだまま下を向いた秀吉の耳殻へ不意に熱い唇が触れた。

「分からぬか」

唐突に問われて、分かりませぬと怒りを含んだ語気で言い返す。主から身を離そうと腰を浮かせた秀吉の肩と背に、信長の腕が絡みついて押さえこまれた。むっとなって顔を上げた秀吉は、にやにやと笑う主の顔を睥睨し、厭味の一つでも言ってやろうと口を開いたが、んんっと微かに高く声を上げて唇を噛む。文句を言いたくても言えなかったのは、直腸に収められた主の雄が熱した鉄の熾熱に脈打つ感触が背筋から伝わってきたせいだった。

「褒めおいたのだ」

主の意外な言葉に、へ……? と間の抜けた声で上げた秀吉の内壁を、硬くなった雄の先端が緩やかに突き上げる。些少の動きでも、ぐちゅぐちゅと白濁が交わるいやらしい音が響き、怒りで忘れかけていた羞恥心が蘇ってすぐさま顔が熱くなった。そんな自分の反応を楽しんでか、重く拍動を繰り返す怒張が下方からこそばゆい程の微かさで直腸を擦り上げる。

「我を欲する健気なる様を、な」

広い肩口にしがみつき体の中枢を貫いて這い上がってくる悦楽の波を堪える秀吉の耳殻に、ぬるりと舌先を滑らせて言を継いだ信長に、応じる余裕もなくして唇を噛み締める。なんとか口を開こうとしても、過敏になった粘膜には十分過ぎる振動に自然と呼吸は早まって、言葉の代わりに熱く濡れた吐息が唇からこぼれ落ちていった。下肢をさいなむ衝動から逃れようと僅かでも尻を浮かせると、主の手が叱咤する素早さで双丘を押さえつけて、突き上げる動作に激しさが増す。秀吉は目端に涙を滲ませ、堪り兼ねて

「けっ、結局はお嬲り召されるでにゃぁですかっ!」

ひっ……あっと小さく甘い声音を発する口唇から、なんとか信長の意地悪さを責める言葉をぶつける。

「たわけが。信長の寵を疑るか」

くっと短く笑った信長が不機嫌そうな低音で言い捨て、なればと語尾を継いだ。

「身をもって知れ」

愉悦を交えて囁かれた主の滑らか声音に背筋が甘い麻痺感に粟立つ。何をされるのか悟り、秀吉は両腕で鼻先にある太い首にしがみついて胸板に頭を擦り寄せた。

主の両手が腰を押さえつける。僅かに引き抜かれた怒張が一気に秀吉の内壁を貫いた。続けざまに下方から間断なく圧倒的な質量をもった硬直に最奥を突かれ、こぼれそうになった嬌声を噛み殺した口唇の合間から、んぅっと呻きが漏れる。再び訪れた卑猥な高揚に身内がぞくぞくと痙攣しながら悦んでいることを知り、秀吉は面が熱く紅潮してゆくのを感じつつも、懸命に尻を揺すって主の動作に呼吸を合わせた。微妙にずれていた動きは即座に重なり合い、体躯の内側を支配する法悦は助長され、幾重にも大きな波紋を作って脊髄を焼く。先刻よりもはるかに早く絶頂が訪れた秀吉自身は先走りを滴らせる前に達して白濁を吐き出した。だが、主の雄はいまだに硬く張りつめ、痺れる程鮮明に拍動するそれに緩まった粘膜を攻め抜かれて、掻き消えた悦びが即座に蘇る。

「あ……っあぁっ……んっ……ふぁっ」

間断なく自分を貫く衝動に脳内までが痺れて思考する暇も余力もなくなっていた。上体を反らせ与えられるままに声を上げる秀吉の痩躯を主が引き寄せ掻き抱く。更に体が密着したせいで緩やかに勃ち上がり始めた秀吉自身が主の堅い腹筋に擦られ、気がおかしくなりそうな程、体中に巡る毒の蜜が濃く鮮やかになってゆくのが分かった。ぴんと伸ばした足の先で畳の繊維に爪を立てながら、瞬く間に昇り詰めてゆく悦びに全身をわななかせる。すると、堪えよとねだるのに近しい甘やかな低音で命じられ、考えるよりも早く頷いていた。

信長様、信長様と熱に浮かされたように何度も主を呼んでいた。呼ぶ度に肩や項、額や涙の滲む目端に口づけられ、押し寄せる悦楽とは違う喜びが胸にじんとほとぼりをもたらす。心中で、ああ……と安堵の溜息をついたのもつかの間、粘膜から伝わる拍動が強まりとろとろと身内が溶けてしまいそうな高熱が直腸に満ちた。なんとか押しとどめていた欲求を最早堪え切れず、達することを自ら抑止し萎縮していた四肢から力を抜く。と同時に最奥で熱く弾けるものの感覚に婀娜めいた悲鳴を上げて全身をしならせた。主よりも多くの絶頂に果てた自身の屹立もまた吐精したが、先端からこぼれ落ちる液体は透明で、勢いもなく萎えゆく雄をたらりと伝い落ちる。

秀吉は肩で息をしながら主に全身を預けた。信長の胸板は依然、ゆったりとした呼吸を繰り返し、自身とは違って普段と同じ速度で上下している。自分と主の体力差を今更ながらに痛感して、少しの劣等感に唇を尖らせた秀吉の胸襟を知ってか知らずか、主の喉が低い笑いにうごめいた。

自身で立ち上がることもままならない程に体力を奪われた下肢が持ち上げられ、直腸に収まっていた主の雄が引き抜かれる。丁寧に脱力した痩身を抱えられ畳の上へ仰向けに落ち着けられた秀吉の瞳孔に青銀の冷光が差して、眩しさに瞼を伏せると半開きになった唇を主のそれが奪い取った。覆いかぶさってくる巨躯の重みに多少の息苦しさを覚えて微かに身をよじる。自分の意図を察した信長の手が指の背で頬を撫で上げて、呼吸を攫っていた唇が顎の突端へ滑り落ち、そのまま微かに反った喉元を流れ、胸の真ん中を通り過ぎて尚も下方へ落ちていく。秀吉は抗いもせず、薄く睫を持ち上げて茫然と天井を見つめた。

 

何も考えられない。何かを考えたいとは思わない。

暴かれてゆく自身の体躯が主の温もりを、心を、体の感触を、詳らかに記憶してゆくのが分かる。余計な思慮に頭を巡らせる必要はなかった。髪の一筋にまで鮮明に刻みつけられてゆく主のすべてを、奥ゆかしいまでの柔順さで受け入れてゆくことに歓喜を覚えている自分の心身に、嘘をつく必要などない。自分の体力が底を尽きかけていることは分かっていたが、主を拒むつもりも抗う気も、はなからなかった。一時も忘れられない、離れていてもすぐ側にいる確かさで思い出せるように、激しい温度をこの身に余すことなく覚えこませて欲しい。

 

肋骨の浮いた脇腹に歯を立て、へそのかたわらを過ぎ去った主の口唇が更に下肢へと落ち、大腿の付け根に口づけてから、淡い茂りを通り越して秀吉の雄を口に含んだ。びくりと体を引きつらせて思わず両脚を持ち上げると、硬い皮膚をまとうてのひらに尻を撫で上げられ、先程まで主の怒張を咥えこんでいた秘所に骨張った指先が滑りこむ。内部で鉤状に曲げられた指が最奥にまで注がれ溢れていた白濁を丁寧に掻き出し、くちゅくちゅと淫靡な音を響かせた。それだけならばまだしも、主の熱い口腔でざらついた舌先に嬲られる己自身から這い上がってくる陶然とした痺れに、秀吉はふるふると体中を震わせ、はっ……はっと短く吐息して双眼を固く閉ざした。雄の裏筋を尖らせた舌頭で撫で上げられ、上へ昇る主の舌に先端の割れ目を舐めあげられた後強く吸われる。そして、空いた手で袋を強く揉みしだかれ、秘所に埋まった指が時折とろけたひだにやんわりと爪を立てた。緩やかに高まる快楽に背を浮かせて、秀吉は自身の雄が億劫げに膨らんでいく感覚をおとなしく享受する。前後から突き上げてくる衝撃に漸次淫らな恍惚が高まってゆくのが分かった。

脱力しきった下肢に力が入らなかったため、堪える切ることもままならず、二度目に吸われた刹那、主の口腔で達した。ごくりと主の喉が鳴り羞恥に体が熱くなる。秀吉は手で口を押さえて漏れそうになる嬌声を噛み殺したが、離れて身を起こした信長が、つまらぬ意地をとせせら笑って手の甲で口元を拭った。

指に絡みついた自身の精液を鬱陶しいげに振り払った主が、自ら元結を解いて黒髪を束ねていた赤い紐を放り捨てた。月光に照らし出される巨躯の美しく強靭な均整に、うっとりと見入っていた秀吉の上に覆いかぶさった主の口唇が喉元に触れ、音を立てて口づける。硬質な黒髪がちくちくと顎の下や頬をくすぐり秀吉が、ふふと小さく笑って顔を背けると、主の両腕に抱きすくめられて唇を塞がれた。

 

冷えきった空気は熱した肌を癒すこともできず、悦楽の溜息に震える夜気が青白い光を帯びて一つに重なり、解けず睦み合う影を浮き上がらせる。愛撫と抱擁、そして、接吻だけが言葉を凌ぐ饒舌で互いの心をなぞり溶かしてゆく。

夢中で溺れた。昔、草原で重ねた時の一途と純真は、今尚少しも損なわれずここにある。互いの魂が喜びに打ち震える、愛おしい鼓動の旋律を重ね合い、ひたむきにひたすらに灼熱の水底へ沈んでいく。

満月はとおに中天を過ぎ、東の空へ傾き始めていた。月はただ涼しげな顔で夜空に居座って、朝の訪れを拒んでいるかのようだった。

 

 

 

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不思議な主従と言わざるを得ない。

 

徳川家康は小さく溜息をついて、杯を緩やかに口元へ運び酒を含んで両目を閉ざした。

長年徳川にとっても脅威であった武田家の滅亡は、自分ばかりでなく家臣達にも心から喜ばしいことだった。主賓の信長が寝所に下がり姿を消したため、宴はとっくに終わってもよい頃合いではあったが、家康を始めとし、徳川家の重臣達が傾ける祝杯は、脅威が消え去った安心感と解放感が加わり、たやすく尽きることがない。心底の安堵とともに喉を落ちる酒の味わいは体内を熱く焼いて、喜悦に震える心に静かな高揚を与えてくれる。だが同時に、今後徳川家が天下の流れにおいてどのような立場に置かれるのか、身の振り方を慎重に思案せねばならない状況に陥ったとも言うべきだろう。織田家との同盟関係は確かに同盟締結以来揺るぎない強固さで継続されてはいるが、互いが互いの強敵を排除し、多少なりとも余裕が出てきた現在となっては危うい友好関係でもある。

家康は幼少の頃、織田家に人質として身を置いていた時期があり、よく自分を連れ出して遊んでくれた信長を兄のように思う気持ちは少なからずあった。それ故、無理な援軍要請に応じることにもやぶさかではなかったし、信長の頼みならば止むを得ないと憎からず思う部分もある。しかし、旧知の間柄であるからこそ家康には分かってもいた。信長という男は情に薄いというのではなく、情や義理よりも合理性と計算を優先する性分であり、どのような人間に対しても決して例外は作らない絶対的な王者であると。表面でいかに親しく接していようとも、自分に利用価値がなくなれば容赦なく切り捨てにかかるだろう。計算高いという点においては、家康自身が信長と酷似した性情であるため理解できなくもないが、他者のみならず血族に対しても冷酷に振る舞う徹底した姿勢には、むしろ、驚嘆を覚える程だ。

あの男には例外がない。羽柴秀吉という男を除いては。

家康は、ふむと口内で唸り、喉を落ちてゆく酒の熱さに吐息する。かたわらに控えていた侍女が空になった杯に酒を注ごうとしたが、それを制して片手だけで下がれと命じた家康は、自身の手で杯へ、陶酔をもたらす液体を注ぎ入れて一気に呷る。

 

信長の権力が拡大されてゆく中で、同盟者という対等の立場から従属国という下位の立場に転落することだけは避けなければならない。だが、信長の考えは自分とは逆だ。徳川をこのまま同盟国として扱う気はないはずだろう。織田家が最高権力の座に就き諸大名に号令するのであれば、同盟国として対等な立場を保とうとする徳川家は邪魔な存在にしかなり得ない。選択は二つに一つ、服従に甘んじるか、織田から権力の座を奪い取るか。

家康は心中で呻く。

いずれにせよ慎重を欠けば、自分はたちまちのうちに信長の手で滅ぼされてしまうだろう。ましてや、信長を凌ぐなどということは現段階において不可能に近しい。信長一人ならばまだしも、腹心の部下である秀吉が男のかたわらに存在する限り、生半可な策略では手ひどいしっぺ返しを食らうだけだ。

信長の非凡と異質は男の躍進ぶりを見れば最早改めて言及するまでもなく、その信長の勇躍を影で支え続けてきた秀吉の、人なつっこい笑顔からは想像もつかない天才的な調略の手腕は、二つ揃えば家康一人の手に負えるものではない。例え内部崩壊を狙いこちらが謀を仕掛けたとしても、二人の絆に近しい信頼にひびを入れることは、まずできないだろう。二人の信頼関係は揺るぎなく、破綻をきたす可能性は万が一にもあり得ないと、若かりし頃より度々信長と秀吉にまみえたことのある家康には感じられていた。猜疑心が強く他者を決して自身の心の内に入りこませない信長が、秀吉に対しては無上の信頼を置いていることは、はたから見ていてもよく分かる。秀吉自身の信長への忠誠もこの上なく堅く、恐らくあの小男にとって信長という人間は最初で最後ともいえる至上の主君なのであろう。

また、家臣同士の子息子女に婚姻を結ばせ、縁戚関係を強化することで互いの動向を見張らせている信長が、子がないからという理由で秀吉には自身の四男である於次丸を養子に下げ渡している。大抵の場合、子供が多ければ人質として遠国へ送るか、敵国との同盟のため婚姻を結ばせるか、外交の一手段として利用するのが一般的で、信長自身も次男、三男を人質として遠国へ送っていた。それを、家臣に単なる養子として下げ渡すという話は滅多に聞かない。少なくとも家康にはできないことだ。

 

心契を結ぶ親友とも受け取れる。また、志を同じくする同胞とも受け取れる。信長と秀吉は確かに主従であることに違いなかった。しかし、厳然たる階級に区切られていながら、主従という関係性を凌駕した濃密さがあの二人の間には存在している。漠然とではあるが薄々気がついていた家康は、自身の思考が弾き出した最も適切な言葉に馬鹿馬鹿しくなって微苦笑をこぼす。

 

伴侶なのだ。

 

互いが互いの運命を、道を、未来を創造するために存在し、惹かれ合うべくして出会い結ばれた、つがい。より深く近く心に寄り添い、誰もが決して触れ得ぬそれに互いが触れることを許された命運をともにする一対。

 

精神的には対等ともいえる。だが、主たる位置、臣下たる位置を互いに侵すことはしない慎ましさを欠くことなく、果たすべき互いの役割を見事なまでの忠実さと自制心でこなしきっている。信長を生かすのは秀吉であり、秀吉を生かすのは信長であり、いずれかが欠けても今日の彼らは有り得なかっただろう。

なにとはなしにそう感じられて、にわかに寒気が背筋を伝う。彼らが出会うことがなければ、自分は今の立場に甘んじている必要もなかったのではないか。天下を奪取する熾烈な競争に加わり、現在信長が立っている位置には、もしかすれば自分が立っていたのではないか。

そう思う程に頭を抱えたくなり、家康は不快げに痙攣するこめかみを指で押さえて、眉間に深々と皺を刻みこんだ。

 

天に棲まう王は必ず己に見合う伴侶を得る。つがいであればこそ、互いの持ち得ぬ美徳を掛け合わせて政を制し、また、互いの悪徳を諌める厳粛に徹することができる。天に昇り同じ玉座に身を沈めるべき王は、一人であってはならなかった。あたかも、生前より定められた片翼同士が出会い一対の翼となるように、地を蹴り空を翔けるのであれば二人揃わなくては真の王座に就くことはできない。

だがしかし、運の悪いことに今、二つの翼は強力な絆をたぐり寄せて邂逅し結ばれ、ついに空へと羽ばたき駆け上がろうとしている。

 

家康は視線を曖昧にさまよわせて、喉の奥にこびりついた酒の苦味に口角を引きつらせる。信長か秀吉、いずれかの翼を引き裂き砕いてしまわなければ、自分に天下を掌握する順位は永遠に回ってこない。才覚や権力だけでは、国という巨大な生物を手なずけることはできないということを、家康は今までの経験から痛切に熟知していた。ことに、信長と秀吉、あの二人を知る程にそう思わざるを得ない。

才覚も権力も自分にはある。今一つ、あの二人にあって自身にないもの、それは天運だ。一人では手に入れることのかなわないそれを、あの二人は、彼らが出会った瞬間、運命がゆるりと音を立てて動き出した刹那、既に手に入れていた。存在するとするならば、神ですら書き変えることのできない、正に厳粛なる命運の筋書きは、人間ごときの手で変えることなど不可能なのだ。

自身のこの考えを馬鹿げた被害妄想だと笑い飛ばしてしまえる程、家康は楽観主義者ではなかった。あの二人を繋ぐ感情が単なるゆき過ぎた主従愛であったならば、家康とて自身の野心を押し隠し、息を殺して彼らの動向を窺うような真似などしていない。

恐ろしいと思う。信長を龍とすれば秀吉は鳳であろう。王たる者に相応しき王たる伴侶が添うている。二匹の瑞獣が天下を治めることを、誰が忌み嫌うというのだろうか。本来、天で生まれいでた獣は地上に落ち、片羽を失ってさまよっていたが、一度は失った翼を再び得て、身を絡ませながらあるべき場所へ戻ろうとしている。地上より離れたことのない人間たるこの身で、彼らの覇気を退けることがいか程にできるというのだろうか。

 

かなわぬと胸中で重く呟き、家康は沈鬱な溜息をついた。このまま放っておけば彼らは天へ、就くべき玉座に帰還するだろう。唯一王座をかすめ取る好機があるのは彼らが天に戻る前しかない。

 

秀吉はこれより数日後に中国地方へ発ち、毛利家、そして毛利家と同盟を結ぶ周辺諸国を相手に戦を構えねばならない。現在、織田に反発する最大勢力と言っても過言ではない毛利の軍勢は、一年や二年程度で屈服させることのできる相手ではなかった。中国方面の軍司令官として任命を受けた秀吉は、必然的に長期の間、彼の領地である長浜にも主君の居城がある安土にも帰還しないだろう。遠方に離れるとなれば自然、家康とて手を回すことが難しくなる。手飼いの忍びに暗殺を命じることも考えたが、よくよく頭を巡らせてみれば彼が中国地方を制圧してから抹殺した方が家康にとっても損はない。彼ら二人を謀殺した後に、領土を蹂躙した織田家を殲滅すべく手を組むことを求めれば、毛利家は首を縦に振るだろう。また、毛利が信長、秀吉のいずれかに傾倒していたとしても、彼らを陥れた首謀者の罪を他の人間になすりつければ、仇討ちという名目で同盟を組むに差し支えはない。

現状、二人の距離的な位置を測るに、まずは安土に残る信長を狙うのが妥当であろう。

 

龍を引きずり落とす。

 

自ら立ち上がり太刀を握ることは策略の限りを尽くした後に打つ最終手段であることは、信長と秀吉の展開してきた調略と暗躍からもたやすく学び取ることができる。自身もまた彼らにならうべきであろう。己の手を汚すことなく他者を陥れる網を無尽に張り巡らせる狡智は、恐らく、自分にこそ相応しい技術だと錯覚を起こす程に脳裏へと沸き上がる謀の数々にいい知れない歓喜が胸襟を満たした。家康はふつふつと胸にこみ上げてくる陰惨な喜びを堪え、真一文字に引き結んだ口を決して歪めることなく笑いを喉の奥で殺した。

幼少より屈辱と辛酸に耐え忍び、表舞台に上がることなく舞台袖で天下の行く末を傍観し続けてきた。これは醜い野心ではない。天下を総じる順番が自身にも回ってこようとしている。差し出された極上の馳走を辞退するには、自身の腹は飢え過ぎていた。

箸を取るか取らないか。

 

家康は半ばうっとりとしたように瞼をゆるりと閉ざして杯を呷る。

 

取る。

 

そう心中で強く呟き、温厚な顔貌に氷のような無表情を滲ませた。

 

 

 

 

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離れていても、すぐ側にいるかのような確かさで互いを身近に感じている。

奥底へ刻みこんだ温度が薄れ消え去っても、心に、体に残る感覚がある。

離れても近くにいる。遠くにあっても、触れて重ねる手触りは決して色褪せない。それでも、何かを確かめるように肌を重ねる。離れていても、どうにか側にいられる術を探るようにして、どうすれば側にいられるのかを知ろうとするようにして、こぼれる吐息の熱をさえ余すことなく全身を使い記憶してゆく。声も、温もりも、心も、何一つ取り落とさずに確かめ尽くしたいと望むのは、あまりにも単純であまりにも子供じみているのだろう。

 

しかし、成す術もない。

 

どれ程単純であろうとも、どれ程幼稚であろうとも、他に望むもののないひたむきな愛に抗うことなどできはしないのだ。心に棲む激情が揺るがぬものである程に、狂おしい飢渇を満たせるものがたった一つしか存在しないことは自身がよく知っている。

 

信長は額に浮いた汗を手の甲で払拭し、白くぼやけ始めた満月を一瞥した。数刻前までは濃紺の闇をまとっていた天が淡く明るみを増し、涼やかな艶麗さで夜空を照らしていた月は、空にぽっかりと浮いた白い穴のように輝きを失っている。東方の空の果てで輝かしい旭光に包まれて燃える朝日が、夜を支配していた月にとって変わろうとしている瞬間、夜とも朝ともつかない曖昧な空白の一時は、夜の静寂とも異なる神聖な静謐に満ち、冴え冴えとした空気の心地よさが胸に深い静けさを与えた。

いまだ薄暗がりに沈む室内に目を戻し、自身の巨躯の下で四肢を投げ出し横臥した秀吉のかたわらに手をつく。投げ出された細い両脚は、交じり合いどちらのものともつかなくなった精液に濡れ、足の甲にまで伝い落ちた白い筋が彼の肌を犯し汚す様はひどく卑猥な光景だった。体力も尽き果てて、ぐったりと畳の上に横たわった彼の体は上半身から膝まで、寸法の小さい小袖をまとっているため、自身が大腿の付け根にまで刻みこんだ口づけの跡は布に隠されている。うつらうつらと微睡む秀吉の顔を覗きこみ、丸く縮こまった体を覆う小袖を静かにめくると、小さな体の端々に赤く散る痣があった。信長は白い肌の上に点々と色づいた痣の一つ一つに触れて、秀吉の瞼に唇を落とし小袖の裾を大きく開く。さんざんに自分を受け入れた秘所から溢れる白濁が引き締まった双丘の肉を濡らし、一際淫らな姿態をさらした。

唾液を飲み下す喉が鳴る。

汗の引かない体はつい先刻まで彼の温もりを隅々まで貪り抜いたはずだが、自身の雄は性懲りもなく高熱を蓄え始めている。忍耐も自制も、ましてや理性も、今の自分には完全に欠落しており、目の前にある愛しい心身に己の体温を記憶させることだけがすべてであるかのようにすら思えた。信長は額にかかる黒髪を鬱陶しげに掻き上げ、彼の両脚をゆるりと開かせて勃起した自身の先端を濡れた花芯に宛てがう。驚いて目を覚ました秀吉が弱々しく自分を見上げて眉をしかめたが、涙の跡が残る頬を宥めすかすように唇で撫で上げ鷹揚に腰を落とした。とろけきった彼の秘所は指で開かせることをせずとも、女のそれみたく滑らかに張り詰めた雄を飲みこんで、自身が吐き出した精液に潤った粘膜は奥底までひくひくと小刻みにひくついている。

揺すぶると秀吉の喉が反って、吐息交じりの嬌声がその唇からこぼれた。甘く艶やかな声音は、今までの交わりでも聞いたことのない刺激的な色気をはらんで突き上げる度に高く伸びてゆく。乱れ濡れる溜息の最中に、信長様……と自分の名を呼んで喘ぐ彼の唇に口づけ、内部の隅々を愛撫する丁寧さで弛緩した彼の体を貫いた。腰を前後に揺すぶると、とろついた液体が肉棒と粘膜に絡みついて粘着質な音を上げる。

自身よりも多くの絶頂に果てた彼の雄は勃ち上げる気配もなく、代わりに信長の怒張を咥えこんだ内壁が平素よりもきつく肉棒を締め上げ、吸いつくようですらあった。無防備に脚を開かされ、成すがままに貫かれる彼の両目に涙が浮き上がったが、紅潮する面には確かにとろける恍惚が浮き上がる。のけ反る痩躯を抱き締めると、彼が信長の背に脚を絡ませて何度も全身を震わせた。自分を咥えていた秀吉の粘膜が途端に締まり、吐精を欲するみたく怒張に絡みついてくる。望まれるまま彼の最奥で白熱を吐き出すと、秀吉の躯幹が引きつり大きくたわんだ。はっ……ああっ……あぁ……っとほとんど溜息のような嬌声を発して、淡く開いた唇ごと小刻みに震える痩身は、自身と同じく法悦の頂点に達したはずだったが、勃ち上がることなく萎えたままの彼自身は先端から僅かに透明な蜜をこぼしただけだった。しかし、彼は確かに長く尾を引いて身内を駆け巡る快楽の名残に身悶えている。漸次反った背は緩やかに畳の上へと落ち着き、彼が睫を伏せた刹那、涙がこめかみを伝い落ちた。信長は萎えた己自身を引き抜いて、くたりと脱力しきった秀吉を抱き寄せる。何度となく交わりを重ねるうちに、男であっても尻で達することができるようになるというが、彼のそのような姿を見るのは初めてだった。白濁を吐き出し一瞬で終わる絶頂とは違い、後背で感じ得る悦楽は細胞の隅々に広がって尚、甘く残存し続けるらしい。

彼の身を起こして片腕に抱き、部屋に備えつけてあった提下を乱暴につかんで、冷たい水を一気に呷った。多量の汗をかいて乾いた体に冷たい液体は一際心地よく染み、喉を鳴らして水を飲み干す信長の口端から溢れた冷水が顎を伝い落ちてゆく。残った水を口に含み片腕に抱いた秀吉に口づけて、口内の水を開いた唇から流しこむと、彼の腕が伸びてきて信長の首に絡みついた。んくっと軽く喉を鳴らして与えた水を飲み干す彼の目が喜々として細まる。水が尽きて離れても、もっと欲しいというように彼の唇が追いかけてきた。信長は提下に残った僅かな水を口に含み、空になったそれを畳に放って秀吉を抱きすくめ再び口づける。

互いに見つめ合いながら唇を重ねた。口腔の水が尽き、ほんの僅か顔を離していまだ紅潮の引かない秀吉の面を熟視する。今にも眠りに落ちてしまいそうに億劫げに瞼を閉ざし、くたりと頭を傾けた彼の口端から、飲み干し切れずにつっと流れ落ちた水滴を反射的に舌先ですくいとっていた。秀吉がゆるりと睫を持ち上げ、信長の顎から滴っていた水滴を同じように舌先ですくいとり飲み干す。そのまま自身の首筋に顔を埋めた彼の後頭部を片手で支え、力なくてのひらに預けられた重みを両手に包んだ。上向いた秀吉の額に額で触れ、軽く唇を重ね、そして、強く抱き寄せる。

 

眉間と眉間がぶつかった。

視界がぼやける程の近さで互いの瞳を凝視する。絡み合う髪、交じり合う吐息、ぶつかる鼻先、口づけではなく触れ合っている唇、その瞳の奥で激しく燃えている情熱の色、すべてがここにある。手の中に、近くに、互いのすべてが。

最初に胸奥を満たすのは喜び、次に溢れくるのは切なさ、最後に胸を締め上げる愛しさがこみ上げ、いつの時も、好きだと告げる言葉をさえ失った。口を噤み視線を重ねて交えるこの一時の沈黙が、長い一瞬のようで、短い永遠のようで、目を逸らせないままどらちともなく互いを抱く腕に力をこめる。

例えば、元々背にあった翼の片側を失って、ようやく自身の手に失った片翼が戻った時、こんな充足感を、こんな幸福感を知ることができるのかもしれない。

 

彼を抱擁したまま、鷹揚に巨躯を傾け畳へと横たわる。東の空から真朱の光が伸び、青い闇を飲みこんでいった。空を見つめていた自分に気づいて、彼が腕の中でゆるゆると体の向きを変え同じように空を見つめた。薄い肩に鼻先を寄せると、畳の上に投げ出していた腕へ、彼のてのひらが触れる。

互いに空を見つめていた。ただ無言のまま、空を見ていた。

精妙に彩りを変え、輝きを増してゆく天空の果てから、やってくる旭光を待ち望むように。恐らく互いが同時に思ったことだろう。

 

夜が終わる。

 

そして。

夜明けが、近い。

 

 

 

 

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尾張における鷹狩りは安土へ居を移してからというもの、実に久方ぶりのことだった。

腰に佩いていた太刀は既に預けたが、先刻まで草原を駆け回っていた狩装束は綾藺笠もそのままに、自らの足を急かす早さで大股に奥座敷へ向かう自分の後ろを、近侍達があわてふためきながら追いかけてきている。

信長は懐かしくもある庭や屋敷を横目に、足を止めることなく一心に奥座敷を目指した。

 

二日前に遠江の浜松城を発つ際、自分の接待に当たっていた家康と別れて尾張を目指した。とはいえ、尾張へ入るまでは遠江と三河領内を通ることに変わりはなく、家康からどうしても請われ、護衛役として本多忠勝の同行を許可した。家康の四天王と称される勇猛果敢な四人の猛将のうち、家康に過ぎたるものとさえ謳われた忠勝を護衛につけるという待遇は最高の礼であり、自分に並ならぬ敬意を表したととるべきだろう。むしろ、抜け目がないととる方が正しい。

腹底に牙を抱いていても、それをおくびにも出さず、良き同盟者の顔を決して崩さない豪胆さで僅かの非も感じさせずに自分を遇する完璧さは、正に家康の老獪さを物語っているといえよう。油断ならぬ男と思いつつも何故か楽しくて仕方がない。恐らく、最大にして最後の敵となるであろう家康が、どのような策略を用いて自分に抗うのか信長にも完全に予測がつくとはいいがたかった。しかし、同等あるいは、自身がやや勝るか、拮抗した実力と才覚を持ち合わせる男と力を競い戦うことを楽しいと感じる闘争心は抑えがたい。男という生き物は生来闘争を愉悦とする質を持っているのだ。戦を嫌い、人の死を過敏なまでに避けたがる秀吉ですら例外ではなかった。光秀が秀吉よりも際立って活躍していた頃、彼は出自や家柄という、才覚ではいかんともしがたい面については男に劣等感を抱いていたようだが、才能という点においては光秀に勝るとも劣らないという自負を持っていたように思う。自分とてそう思っている。贔屓を差し引いても、秀吉の能力が光秀に劣るとは微塵も思っていない。

信長もまた同じだ。家康という好敵手を得て、勝利に対する貪欲を駆り立てられている。現段階では同盟者として、しばしの間、仮初めの友好を維持し続けてゆくだろうが、均衡が破られた時こそ全力をもって家康をねじ伏せてやろうという凶暴な喜悦が胸にふつふつと煮えたぎっていた。

信長は喉元で声なく笑い、颯爽と廊下を歩きながら綾藺笠を取り去って背後に放り捨てる。自分を後方から追いかけてくる近侍達が投げ捨てた綾藺笠を拾い上げ、また後を追いかけてきた。振り向きもせずに、射籠手、ゆがけ、行縢を次々に脱ぎ去り、背後へと放擲してゆく。じきに狩装束を脱ぎ捨て直垂姿に戻った信長は立ち止まり、顔を後方へ傾け着いてきていた近侍達に

「下がれ」

そう端的に命じて大股に歩いてゆく。自身が放り投げた狩装束を両腕に抱えた近侍達が礼をして去っていったのは気配で分かった。

 

三河から尾張までは途中途中に点在する城や寺に宿泊し、尾張に入ってからは一路清洲城を目指して、昨日の昼頃に城へ到着した。清洲城は自身が生まれて初めて戦いで勝ち取った城でもある。美濃攻略のため小牧山城に居を移して以降は番城として使われており、城主と呼ぶべき武将などは存在しなかった。そのため、城内の至る場所で兵士の姿を目にする。いかに隣国が同盟者とはいっても、国の中程に位置し、守備の要諦ともいえるこの城は常に厳戒体制におかれ緊迫感に満ちている。生まれてこの方、戦とともに人生を歩んできたと言っても決して大袈裟ではない自分にとってしてみれば、皮膚にちくちくと刺さるような緊張感は、むしろ、慣れ親しんだ心地よい空気でもあった。

住居とする屋敷の一番奥手にある座敷は、椿や山茶花といった常緑樹が植わった庭園に面しており、初春のまだ寒さが残る頃に鮮やかな色の花々が咲き乱れる。現在は花の季節ではないので、深い緑色の葉をまとった樹木が延々と並んでいるだけに過ぎないが、昔と変わらない庭先の景色がひどく懐かしく感じられた。清洲城へ泊まるにあたり、奥座敷を寛ろぐ部屋と定めたのは慣れ親しんだ使い勝手の良さもある。だが、若かりし頃、その奥座敷で秀吉と戯れのような情交を重ねた日々の高揚が懐かしく、昔を思い返したくなったことも部屋を選んだ理由だった。

縁側から地に叩頭する彼に手を差し伸べ、微かな脅えを訴える痩躯を引き寄せて必死に抱き締めた。まだ自分を受け入れて間もない彼の不慣れな様に幾度も胸を締めつけられ、幼かった自分はそれが愛おしいという想いだと気づきもせず、ただただ夢中で秀吉の肌を暴いた。今思えば滑稽な程幼稚な自分達の情愛は、怒涛のように訪れる困難を知らずにいた無垢が生み出した飾り気のない真摯だった。白く、足跡一つない新雪のような一途であった。時とともに色褪せてゆく恋情の類いであったならば、真白なひたむきは様々な色に染め抜かれ、真新しかった頃には決して戻れない、幾人もの足跡で埋め尽くされて消え去ってしまう程度のものであっただろう。

擦れ違うこともあった。言葉が足りなかったこともあった。臆病すぎて互いを信じきれずにいたこともあった。しかし、過ごした時の長さだけではなく、白いまま一度も色を変えずに降り積もり続ける感情には、誰がどれ程踏み荒らそうとも決して足跡を残すことはできないと断言できる。自分と彼が迷いなく進んできた一筋の道を示す軌跡のみが、新しく積もる想いとともに延々と残り続けると。

信長は歩調を緩め廊下から縁側へ回り奥座敷に入った。すると、柱に半身をもたせかけて眠たげに庭を見つめる秀吉の姿が即座に目に入り、足を止める。

柔らかく伏せられた睫が秋の日差しに透け、生来淡い色をしたそれは琥珀のように暖かなきらめきをかもし出して。朝日を帯びれば黄金に透け、夕日を浴びれば蜜色に溶ける独特の朗らかな色合いは、彼の陽気な性分や愛嬌のある顔貌とよく似合っている。

袴は身につけず、小袖の上に帷子を着こんでいる秀吉は、髪を頭の後ろで軽くまとめあげており、馬の尾のように長く垂れ下がった髪が微風を受けて時折揺れていた。一歩前に進んだ刹那、板がきしんだ音を立て、信長に気づいて秀吉が鈍重な動作で顔を傾ける。眠たげに瞼を薄く持ち上げ自分を熟視した彼の双眸に一瞬、平素の快活さが蘇った。

「信長様……」

申し訳のう……と普段よりも少し掠れた弱い声で語尾を継いだ秀吉の面に優しく笑みが滲む。主君の前でうたた寝に没頭していたことに対する詫びなのだろうが、謝辞を口にした後もうつらうつらと瞼を上下させて舟を漕ぐ彼の風体に苦笑いを禁じ得なかった。

「構わぬ」

信長は素早く歩み寄って彼の隣にあぐらをかき、ふっと短く笑う。

自身の前では殊更に恐縮して姿勢をただす彼がこうも緩みきっている原因の大半は信長にある。それというのも、夜になれば褥をともにするため、ここ数日間は秀吉にまともな睡眠時間を与えていない。自身とて同じように不眠ではあったが、些少眠気を覚える程度で動き回ることが億劫になる程疲れてはいなかった。体格差が如実に表すように、自分と彼の体力には明確な落差がある。同じ運動量であっても秀吉の疲労度は自身の比ではないだろう。体力を消耗し疲弊しきった体には、柔らかい日差しの温度から与えられる心地よさが何よりも染みるはずだ。彼が居眠りをしてしまうのは止むを得ないので、咎める気は毛頭なかった。

今朝方、鷹狩りへ同行すると言って聞かなかった秀吉に城で待つよう命じたのも、無理をさせるのは忍びなかったからだ。さすがに今宵は添い寝程度で済ませてやろうという配慮は頭にあるものの、隣に彼の存在や温もりがあると思うと、ただでさえ脆くなった理性と自制心は薄氷のようにたやすく砕ける。だが、毎夜の交わりに柄にもなく浮足立つ自分がいることも否定はできなかった。

青年の時以来であろう。いつの時も自身のかたわらにいた彼を捕らえて、望んだ時に欲したまま秀吉の痩躯を貪ることができる機会は、自身の地位が上がるにつれ遠ざかってゆくだけのものだった。日々が自由であった子供の頃と同じ、手を伸ばせばいつでも彼に触れられる今に歓喜している自分がいる。例えこの日々が時限のあるものだったとしても、貴重な時間であることに変わりはなかった。

「何を見ておった」

眠たげな双眸で庭園を眺める秀吉に問うと、細い首が小さく左右に振れた。

「いえ何も……ただ懐かしゅうございました故、色々と思い出しとったんですわ」

自分を一旦見つめてから、庭に目を戻した彼の横顔に見入る。やんわりと微笑の浮き上がる面には、懐かしさとともに愛しげな熱っぽさが滲み、彼もまた清洲城で自身とともに過ごした日々を回顧しているのだと知れた。

 

激しく移ろい、流れうねりながら姿を変えゆくこの世の中で、変わらないものがあるとしたら自分の心だけだ。彼と出会わずに生きてきたのなら、自分は迷いなくそう思っていただろう。何者も踏み入ることのできない孤独の中で、自分だけが信じられるすべてだと考えていたはずだ。だが、自分は出会った。彼に、不変という名の愛に、心に巣食う空虚な闇を瞬時に消し去る己の片翼に。

 

いつまでも庭先を眺めていた秀吉の頬を指の背で撫で上げた。いたずらに元結の端を引っ張ると、紐が解けて軽やかな彩りの髪が細い首を包み隠す。柔軟な髪の感触に己の指を丁寧に絡め、愛撫する優しさで彼の首筋をてのひらに収めて引き寄せ、そっと乱した襟元からあらわになった項へ口づける。ちょうど頸動脈のあたりに触れた口唇から微かに早く脈打つ血管の熱さが伝わり、ただでさえ瓦解しそうな理性を無闇に焦がした。

 

何故彼のすべては、いつの時も自分を愚直にさせて止まないのだろう。そして、いてもたってもいられなくなる程に、胸を満たし心を締め上げるのは何故。

 

愛しているなどという言葉で伝え切れる想いではなく、ただただ尽きることなく溢れてとどまることを知らない熱情は彼のすべてに触れたがる。そして、触れたが最後、この温もりが一片も余すことなく自分のものになるのなら、他の何も欲しなどしないと心臓を掻きむしる苛烈さで思う。自分の物であるはずなのだ。所有物などという短絡的なくくりではなく、彼は身も心も真実自分のものだと断言できる。だが、幾度手にしても、己の指先から確かに得たはずの温度が消えゆく度に、彼を手放してしまったかのような錯覚に見舞われた。どうすればいい。この飢えを、この渇きを、この喪失感を、どうすれば拭い切れるのだろうか。どうすれば、離れていても側にいることができるのか、そんな答えのない無理難題を必死に解こうとする痛切さを、愚かだと切り捨ててしまうことなどできなかった。

どれ程愛しても足りないと感じる激しさで秀吉を想う。生まれてから今まで歩んできた時間が、彼と出会うためだけに存在したのだと告げられても、自分は無邪気なまでの素直さでそれを信じるだろう。彼と出会わなければ、出会わずに歩む道であったならば、まことの生など今の自分にはなかった。何一つ、生きる意味を見出せなどしなかっただろう。

簡単に理解できることは、代替えの利かない愛の前では自分すらも無力であるという現実だった。息苦しくなるようなやるせなさにさいなまれながらも、心に燃え上がる熾熱は喜び以外のなにものでもない。固執など、執着など、こと人間に向けるのであれば、これ程に愚かしく厄介な感情はないと知り抜いている自分が、それでも歯止めが利かない激情を少しも自制せず野放しにしている。

 

唇を落とした項に鼻面を寄せ、忍びこませた手で寛げた襟元からあらわになった薄い肩に顔を埋めた。吐息を交えて赤みが差してゆく肌に触れるだけの口づけを幾度も見舞うと、彼が顔を傾け信長の額に唇で触れる。

彼の肌から、髪の一筋から、自身が衣服に薫き染めている香の匂いがほんのりと立ちのぼり、首の裏を猛々しい寒気がぞくぞくと焼いた。襟を乱していた手で秀吉の頬を包みこんで顔を上げる。僅かも頭を持ち上げないうちに、眠気でぼんやりと曇る彼の瞳と目が合った。半ばうっとりとしたように朧げな秀吉の表情には一晩かけて自身を受け入れた疲れが滲み、それがひどく婀娜めいた色合いを漂わせ、誘われるように唇を寄せていた。

顔を背けることもなく、素直に口づけを受けた彼の小袖の裾から手を忍びこませ、大腿の内側を指の背で撫で上げながら下帯を解く。秀吉が驚いて身を引こうとしたが、片腕で腰を捕縛し逃がさない。

「あのっ……信長様」

大腿を撫で上げながら、小袖の裾をまくり上げてゆく自分の肩に手を置き、秀吉が目の下を赤く染めて眉を八の字にしかめる。

この余暇の最中、彼は信長が求めれば拒むことなくその身を開いた。平素は羞恥によって抗う彼も、ここ数日の休暇がどのような意味を持っているのかを分かっているからこそ無抵抗なのだろう。離れゆくための覚悟を、遠く隔てる距離を越えるために互いの存在をあらゆる術で確かめ合う、儀式のような睦み合いに堅い自制や頑なな羞恥は必要がないと互いに知っている。彼が次に続ける言葉も拒絶や抵抗ではないと了知し、信長は目線だけで先を促してやった。

「手加減頂きたく……」

面を紅潮させて俯き加減に吐露した秀吉の体躯を畳に押し倒し、さて? ととぼけた返答をして口端を吊り上げた自分を彼が軽く睨む。

自身の帯を緩めた信長は半眼になって自分を見上げる秀吉の首筋に唇を落とした。ふいとそっぽを向いた意地っ張りな彼の態度に喉の奥で苦笑しつつも、乱れた裾から侵入させた指先を双丘の谷間に滑りこませる。繊細な箇所に気安く触れられ、驚いた彼の躯幹がひくっと震えて微かに強ばった。構うことなく指の腹で秘所を撫で上げるとそこは熱くなっており、強く押せば指先がつぷんと埋まる。するりと指を飲みこんだ粘膜は、既に高温を蓄え雄に貫かれる瞬間を待ち望んでいるようですらあった。今朝方まで自身を受け入れていたせいもあるだろうが、さして馴らさずとも奥まで解れて指をすんなり咥えこんだ秘所に自身の怒張の先端を宛てがい、内部を傷つけることのないよう丁重に腰を落とす。焦れったい程の緩やかさで突き上げると腕の中で彼が身じろいで、淡く艶やかな吐息をこぼした。喉を反らせて溜息にまぎれてしまうような微かな嬌声を漏らす秀吉の、無防備に開いた両脚を引き寄せて小袖の裾を更にたくし上げ、あらわになった白い大腿をつかみ左右に開かせて腰を押し進める。小刻みに震えていた痩躯がびくびくと大きく引きつり、鳶色の双眸が潤んで困惑したように自身を見つめる。涙に曇る瞳には平常とは違う緩やかな交わりに対する戸惑いと、この数日間、夜毎自分を受け入れて感度の高まった秘所と体から這い上がる悦楽に屈した恍惚が浮かび上がり、物欲しげに見える切なさをたたえて信長を熟視してくる。首の裏側がざわつき、背筋を獰猛な欲求が焼き焦がした。上体を前へ折って彼の頬の上に広がる紅潮に口づけ、濡れた口唇から短くこぼれ落ちる乱れた吐息を飲みこむように唇と舌を交える。畳の繊維に爪を立てる小さい手に指を絡めて握り締め、弛緩し少しも抗わない体躯に覆いかぶさった信長は、中途まで含ませた自身の怒張をゆっくりと落とし、熱くとろける彼の内壁へ根元まで埋めこんだ。途端に秀吉の体がしなり、大きく反った喉から、ひぁ……っと高い悲鳴が上がる。いやいやをするように腰を振って、咥えこまされた雄から逃れたがる体とは裏腹に、彼の直腸はいやらしく信長の屹立を締め上げ、嬉しげに引きつっていた。

「我を食いちぎるか」

くくくと低く笑いながら彼の耳殻に噛みつくと秀吉が瞬時に耳まで赤く染まる。

「愛い奴よ」

揶揄ではなく本心から吐露して、紅潮した頬に唇を滑らせた信長はゆるりと動いて彼を絶え間なく攻め立てた。さんざん自分に貫かれ雄を咥え慣れた粘膜は、怒張で擦り上げられる度に鋭敏な反応を示し、やんわりと突き上げるだけで溶け入りそうな高温に潤んでゆく。ひっそりと勃ち上がった彼自身の根元を親指と人差し指で締め上げ

「後ろを使え」

と囁くと、そんな……ぁっと彼の困惑した声が上げた。彼自身を締め上げる信長の手を非難がましくつかんだ秀吉の指先が震えている。命じられずとも、突き上げられる度に直腸で悦楽を感じ取っていることが知れて口角を歪めた。きつく自身の雄に喰らいついてくる肉壁の熱さが、鈍重な動きでは僅かしか得られない高ぶりを強め、より鮮明にさせる。果てが近いことを悟り、信長は秀吉の腰を抱き寄せて粘膜の最奥にまで怒張を推し進めて、彼の直腸に根元まで収め奥歯を噛み締めた。

雄を締め上げる肉壁に吐精すると、彼の痩せた体が大きくのけ反りびくびくと何度も引きつる。はぁっと熱く溜息をついて開いた彼の口唇からは、声にならない喘ぎが小刻みにこぼれ落ちた。指で束縛した彼の屹立は勃ちあがっていながら先走りさえ滲ませず、秀吉の四肢は琴の弦のようにぴんと張って痙攣し、緩やかに脱力してくたりと畳の上に横たわる。信長は萎えた己自身を引き抜き睫を伏せた彼の頬を撫でた。起き上がる気力も体力もなくし、無防備に四肢を投げ出したまま肩を上下させる秀吉の面から柔らかく紅潮が引いてゆく。

無理に声をかけることも起こすこともせず、乱れた髪を手櫛で梳いてやりながら黙って彼を見つめていた。じきに呼吸を微かに乱しながらも落ち着いた様子で、すうっと寝入ってしまった秀吉に下帯をはかせ、着物の裾を整えてやってからうっすらと汗の滲んだ額を手の甲で拭ってやる。

秋口の風は暖かい日差しとはうらはらに日々冷たさを増してゆく。このまま寝かせておけば冷風にさらされ、彼が風邪がこじらせてしまうのは分かりきっていた。奥の寝所へ連れてゆけば床の用意をさせ彼をゆっくりと寝かせてやることができると判断し、信長は自身の着物を正してから秀吉の背と膝裏に腕を滑りこませて軽い体を持ち上げた。相も変わらず頼りない、華奢な痩躯を両腕に抱え上げ、寝入る秀吉の顔を熟視する。

 

幾度思ったことだろうか。何度何回、彼の温もりを、彼の存在を、彼の心を愛しいと思ったことだろう。例え、どのように出会っても、どのような立場であったとしても、自分は彼を選んでいた。愚かに浅ましく、不格好な程の必死さで焦がれる唯一の相手に彼だけを選んでいただろう。

眉間に唇を落としても秀吉の瞼は閉ざされ、寝息は乱れることなく続く。体力を消耗しきった体に睡眠の心地よさは殊更染み入るのだろう、先刻のうたた寝とは違い、眠りが深くなっていた。額を覆う前髪が、傾く日差しの赤みを帯びた輝きに照らされ、蜜を思わせる甘やかな深い金色に透ける。誘われるように頬を寄せると細い髪から香に交じって日向の匂いが立ちのぼり、無感情に冴え切っていた胸の深淵をほんのりとした熱が焦がした。日だまりと同じ温度の穏やかな発熱はひどく心を締め上げて、奥歯を噛み締めてやり過ごそうとしても、軽やかな体を包む両手がほんの微かに震え出す。自身の腕の中で安息の眠りに沈む痩身を強く抱きすくめ、信長は眉間に深々と皺を刻み、ひやりとした髪の感触に鼻先を埋め口づけた。口唇を撫でるしなやかな冷たさは次第に自分の体温と同化し、触れていることを忘れさせ同じ温度へ綺麗に馴染んでゆく。

 

今は互いの役割のために、成すべきことを成すために、結んだ手を、絡めた指を離して己の職務に徹する無情に甘んじよう。だからこそ、早く戻れなどというありきたりな言葉を口にしたりはしない。相応しい役目を果たさせるために、彼自身と等しく彼の才能を愛するからこそ

「征くがいい」

そして、与えられた役割を完遂したあかつきには、必ず還れと声なく命じる。遠く隔てる距離を越え、空を飛ぶ軽やかさで、自分という終着の地に、何度でも幾度でも、この腕の中に還れ。

 

信長は、征くがいいと心の中で再度呟いた。そして、再び還れ、と。

 

明日は岐阜城へ向かう。そして、岐阜から安土へと帰陣する。

安土へ帰れば彼はしばしの休息を得て、閲兵式でもある馬揃えを行ってから播磨へ下る。幾年月を要して再び己の手に彼は還ってくるのか。長い時を要するということだけは容易に想像がついて、信長は奥歯を緩く噛み合わせる。分かっていながら、それでも胸の奥で痛みを訴える感情があった。彼を行かせると決めた自分の理知に疑いや迷いはない。それなのに、喉元につかえる苦々しさは一体。

 

信長は立ち尽くしたまま動けず、眉間に一層深い皺を刻む。短い一時、儚く色濃いこの一瞬が、何よりも大切に思え、抱き上げた体をより強く両腕に閉じこめた。

 

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