※この作品はR-18です。

龍は真朱の黎明に鳳凰と舞う   作:雷電五郎(旧)

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七 章


Ars nova -新しの技-

天正九年(一五八一年) 一月

 

昨日の騒ぎが嘘のように静まり返った天主閣からは、城下町で催されている祭囃子が微かに聞こえてきた。

 

新年、特に大々的な祭を開催した訳ではいなかったが、今年ようやく完成をみた安土城の天主閣に提灯を下げて光で照らし出すという趣向を元旦に披露し、城下町はおおいに賑わったばかりである。自分を真似て家の屋根に提灯をぶらさげる者も多く、山の頂き付近に建設された天主の最上階からは、夜になると町に立ち並ぶ家々の屋根に灯された淡い光を臨むことができた。日を負うごとに増えてゆく光の数に、蛍が自らの光で仲間を呼びせる習性を思い出し、厳寒の最中、夜毎に灯る小さな赤い輝きを奇妙な心持ちで眺め見ている。

 

織田信長は帷子から両腕を引き抜いて肩に羽織り、西洋の杯に満たされた赤い果実酒を口に含んで、城下町の方を瞥見し、くっと短く喉で笑う。

昨夜よりも増えた光の数に、何故か妙におかしくなって喉の奥から声なく笑いがこみ上げた。恐らく、酒の作用も手伝い高揚感が助長されるのであろう。杯に鼻を寄せると独特の黴臭さが鼻孔をつき、一瞬眉間に皺を寄せるが、すぐに中の液体を口にした。日本の酒にはない酸味を兼ね備えた赤い液体は、慣れれば深酔いしにくく翌朝の体調にも影響が出にくい。庇護する異国の宣教師達が自分に献上した西洋酒は、近頃信長が日本酒よりも頻繁に飲んでいるものだった。

一昨年、安土城の天主閣は外観のみが完成、内装まで竣工したのは今年に入ってからのことで、信長自身も天主閣に足を踏み入れたのはつい最近のことになる。元より安土城は戦における堅牢さを追求した戦闘的城郭ではなく、一つの象徴として人々の心に自身の権勢を知らしめる、いわば、城の形をした大仏のようなものだった。華美であることより、派手であることより、大胆かつ不敵であることを好む自分の性分は、古来、人が想像もつかない奇抜で豪華絢爛な企画を思考することに楽しみを覚える。安土城の天主閣についてもそうだ。実用性はそこそこに、とかく豪奢であることに特化した外見、内装にするよう命じてあった。

外観は五層に見えるが、実際内部は七階建てとなっており、一階部分は食料や武器の保管庫として使用し、二階からの上階は狩野派の絵師に描かせた絵が要所要所に飾られている。特に六階から七階は、日本の城郭というよりも東洋の異国を彷彿とさせる色彩と構造を有しており、内外ともに金箔を用いた装飾は、遠目から見てもその威風を易々と想像し得るものだった。天主閣を見学した宣教師達ですら「我々の国でも見たことがない」と驚嘆して止まなかった程である。安土城を目にした他国の大名、まして、町民達の目には、日本という国を統べる王は信長おいて他にはないと映ったことだろう。

今、自身の眼前で些に興奮した調子で室内を落ち着きなく見回している、彼、羽柴秀吉にしてみても、初めて目にする安土城の天主閣は驚愕すべきものであったはずだ。自身と同じく、西洋の杯に満たされた葡萄色の酒を口に含んで即座に渋面になった秀吉の風体に、信長は広い両肩を重く揺らして笑う。

一昨日の深更、播磨姫路城から安土へ帰還した秀吉と城の大広間で久方ぶりに面会した信長は、あからさまにではないにしろ、自覚がある程には上機嫌だった。彼とゆっくり顔を合わせるのは実に数年ぶりであることも理由の一つだが、やはり昨日の朝、秀吉から贈られた歳暮が自分の機嫌というよりも、好みにぴたりと添った大胆なものであったことが今尚、愉快でならないことも大きい。

夜遅く自分と対面してから安土城下の装束屋敷に入った秀吉には、翌日も城へ来るよう申しつけてあったのだが、朝になり、城下が騒がしいことに気づいた信長が天主から様子を窺うと、彼が歳暮と称して姫路城から運んできた途方もない量の献上品が、大手門から彼の屋敷の門まで延々と列を作り、次々に安土の城門をくぐってゆく最中であった。他の誰もこのような趣向で信長を喜ばせることはない。自分の嗜好を知り抜いた秀吉だからこそ、そして、自分と同じ嗜好を持つ彼ならではの豪放豪胆な演出であると言えよう。

凄まじい歳暮に城中の侍女近侍が騒ぎ興奮した。無論信長も愉快で仕方がなかった。天主から歳暮の行列を眺めながら、大たわけめと彼を愛しげに罵って列の最後尾が門をくぐり終えるまで、それをずっと見つめていた。

登城してきた秀吉と改めて広間で対面した時、懐かしげに自分を熟視し両の眦に涙を溜めて笑った彼に駆け寄って、目の前にある痩躯を両腕に抱き締めたいと痛切に欲したことは記憶に真新しい。いまだその時ではないと理解していても、数年ぶりに自身の手元へ帰ってきた秀吉の心身に触れたいと望まずにはいられなかった。

不思議なものだ。ともすれば、理性など即座に崩れ落ちてしまう苛烈な情愛を、主従という立場を死守せねばならない場では抑止することができてしまう。それは自分の体面を保つためではなく、彼の矜持を貶めることを拒んで止まない、やはり愛情の成せる技なのだろう。

対面した広間で長年の功労を褒めねぎらった後、秀吉を主賓として茶会を催した。茶会に列席した皆で響膳を取った後、彼に翌日も登城するように命じて帰した。そして、今日の昼頃に城へやってきた秀吉と向屋敷で雑談に興じてともに夕餉を平らげ、世にも稀な歳暮の凄まじさに対する褒美として、彼に天主閣へ登ることを許し今に至る。

また、秀吉が自分に何事かを言いたげな様子であったことをすぐに察したこともあり、他者の耳目がない天主閣で寛ろぐことに決めたのだった。

特に話を促しもせずに、喜々とした表情を浮かべて忙しく室内を眺め見る秀吉の風体を観察していた信長は、杯を傾けながら相変わらず肥えることを知らない彼の体に両目をすがめる。帰還した装束屋敷で身なりを整えたのだろう、髪は綺麗に整えられ、髭を剃った面から溢れる愛嬌は、相変わらず昔の面影を強く残し小柄な体格とあいまって若々しく見える。素襖を着こんでいても華奢な体躯の線は誤魔化しきれず、強く抱き締めれば苦しげに眉根を寄せる秀吉の躯幹の細さは、簡単に思い出すことのできる感触だった。しかし、彼を播磨へ送る前、ともに過ごした数日の余暇、決して忘れ得ぬようにとあれ程刻みこんだ感触の鮮やかさは、刻一刻と自身の巨躯から薄れて熱を失ってゆく。欲しいと、ただそれだけを思った。眼前にある痩身の温もりを再び自分の手に感じたいと。

酒の作用も手伝って秀吉を熟視する視線に熱がこもる。彼が気づいて顔をこちらへ向けた途端、信長の凝視にこめられた意図を悟り俯いて目の下を微かに紅潮させた。だが、羞恥を振り払うように唇を噛み締めると、凛と面を緊張させ杯を置いて頭を垂れる。少なからず興冷めして、無表情な面に苦々しさを漂わせた信長だったが、吐息をついて無言のうちに彼を促した。

「宿所を妙覚寺から本能寺へ移されたというのは、まことにございますか」

にわかに予測もしていなかった事柄を問われて片眉を跳ね上げる。中国地方に釘付けになっている秀吉にとって、昨今の安土城下ならびに主君である信長の情報は安土へ帰還してから得られるものも多く、宿所の変更もまた帰還して後に知った事柄に違いなかった。彼に問われた通り、京において信長が宿とする寺は今まで妙覚寺を主としていたが、ここ数年は投宿の場を本能寺へと変えている。本能寺は四方を塀に囲まれ、東側には西洞院川が流れているため妙覚寺よりも防衛に優れた立地と構造を有しており、特に戦陣へと赴く際の宿泊には妙覚寺よりも本能寺を使うようになっていた。内部の構造、建造物の配置などを知られないため、本能寺への投宿は信長以外の何者にも許可せず、徹底して機密の漏洩を防ぐことに努めている。無論秀吉に対しても例外ではない。

「まことぞ」

端的に答えて帯から引き抜いた扇子をぱしりと軽く鳴らすと、然様でと頷いた秀吉は神妙な面持ちで胸元から折り畳まれた紙片を取り出した。

「では、もしも備中へ参れられることあらば、やはり本能寺をお使いになられまするか」

昨日とは打って変わり、珍しく切羽詰まったような表情で自身を凝視する彼に、些少眉根を寄せて信長は自身の肩を扇子で叩く。

現在、中国征伐の任にあたっている秀吉は、既に播磨の三木城を攻め落とし、次なる因幡鳥取城を包囲して兵糧攻めを行っている最中でもある。時間は要すれど鳥取城が陥落すれば、次は備中高松城の攻略に取り掛かるという段階に入っていた。

高松城は毛利連合軍における最前線基地であり、織田方にとってしても、今後の戦局を左右する要となる城だ。高松城を落とせば、毛利は抵抗を続けるという手段の他に講和という選択肢を視野に入れるだろう。領内の中枢にまで侵攻を許した状況で尚も抗い続けることは、土地を荒らし領民を苦しめるだけのことでしかないということは毛利方にも分かっているはずだ。高松城を陥落させ毛利軍と決戦になるにせよ講和の席に落ち着くにせよ、最終的には自身が赴かねばならないということは信長も常々考えていたことでもある。

中国地方一帯を支配する毛利は西方の地で最大の反織田勢力といってもいい。否、今や反織田勢力としては最後の砦ともいうべき巨大な抵抗勢力だ。これを制するということは、天下を掌握する覇業をつかみ取ったも同然と言える。毛利を切り崩す戦いに総大将として自身が立たねば、日本という国の覇権を握るのは信長であるという主張になりはすまい。

彼もそれが分かっているからこそ、いまだ先の話とはいえ備中出陣が確定事項であることを前提に話を切り出したのだろう。とはいえ、今話すべきことでもない。

「恐らくな」

信長はいかにも退屈といった風情で吐息交じりに返答したが、彼は取り出した紙を握る手に力をこめ、ぐっと口を噤み眉宇を濁す。さすがに訝しく思い自身も杯を置くと彼に向き直った。

「なにゆえ、然様なことを訊く」

「それがしの頼みを聞き届けて下されますか」

自分の言葉に答えもせず、間髪入れずに問い返した彼の真剣さに渋面を作りながら、信長は眉間に皺を刻んだまま口端を歪め

「ならぬ、と申せば?」

と意地悪くからかった。しかし、平常ならばすぐに肩を怒らせて、上様っ! と喚くであろう秀吉が腹をくくるように深く息を吸い、真顔を決して崩すことなく信長を強く見据える。

「なれば、軍規を犯すことになりましょう」

思いがけない強硬な言葉に彼を睨みつけ苦虫を噛み潰す。

「背くか」

叱責する鋭さで低く呻いた自分に怯むことなく秀吉は申し訳なさそうな表情をかいま見せつつも、信長から目を逸らすことはしなかった。

「お許し下さらねば、止むを得ませぬ」

珍しく頑固に言い立てる彼の様子に信長は心中で、この阿呆めがと苛立たしげに怒鳴る。どうやら余程聞き入れて欲しい一件があるとみえて、いつになく頑なな態度であった。信長は憮然と溜息をついて

「言え」

面倒そうに言い捨てて秀吉を睥睨した。彼の顔が安堵と許された喜びに解れる。内心舌打ちした自分の苛立ちに気づきもせず、秀吉は手に握っていた紙を広げて差し出した。紙面には、どこそこの場所に兵士何人、用いる軍馬、軍船の数などなど、配置や数量が事細かに記してある。信長は紙に記載された事項に素早く目を通して怪訝な視線を秀吉に向けた。彼は応じて叩頭する。細い首が動くと金色の首飾りがしゃらんと涼やかに鳴った。

「備中へご出陣の折りは、本能寺警護の手配をそれがしに一任頂きたく、何卒この儀ばかりは、何卒お許しを頂きたく存じまする」

「警護だと?」

まったく予期していなかった彼の言葉に、思わず問い返して顔をしかめた信長を見上げ、秀吉は迷いなく、はいと頷いた。

「話せ」

彼が自身に訴えようとしている事柄が尋常なことではないと理解し、腕を組んだ信長は更に先を促した。

「本能寺警護にあたりましては兵二千を周辺寺社に配置し、それらの兵士ともども備中へ向け進軍して頂く所存です。また、備中へ参られる際は陸路を行かれることと存じまするが、摂津河内へ入り堺港より船で海路をたどるがよろしいかと。姫路までの行軍日数を短縮することができまする故」

秀吉の言う通り、自分が備中へ向かうとなれば、明智光秀に与えた丹波領内を通過し、三草山を越えてゆくことを想定していた。播磨に近い亀山城を経由し、姫路城へ赴くのが最も妥当な経路である。山を越える陸路の困難さを思うと、海路を使うという彼の提案は魅力的ではあった。海路は陸路よりも日数を要さず、行軍に要する時間を短縮できるため、兵士の士気を維持することができるからだ。しかし、一つ問題がある。

「来年には讃岐、阿波へ軍を送る故、船は使えぬわ」

すげなく彼の提案を一蹴し、信長はふんと鼻を鳴らした。

かつて石山本願寺との戦いにおいて、本願寺側についた毛利の水軍と相対するため、信長は自身の水軍を用いた。

西国の海では古来より倭寇という名の海賊が出没し、海路を徘徊して物資や金銭を略奪する蛮行が日常茶飯事的に行われていた。倭寇に対抗するため瀬戸内海に面した国々では、自ずと船上での戦いに特化した軍隊を編成し、貿易によって得た物資を倭寇から守るため幾度となく海戦を繰り返してきた歴史がある。長く争い合ううち、操船技術に長けた倭寇を軍の兵卒として自軍に取りこみ、更なる戦力の強化を計ってきた西国の経験豊かな水軍は、海戦の経験が少ない信長にとっては脅威でもあった。元々貿易という点でも海路を制することは経済的に重要な位置を締める。そのため、自軍に海戦を専門とする水軍を編成し、軍船の改良にも努めてきた。

本願寺に兵糧を運びこもうとした毛利軍と衝突した際、海戦においては一日の長がある毛利水軍に一度は手痛い敗戦を喫したが、九鬼嘉隆に命じて外装を鉄で覆った大鉄船を作らせ、二度目にして毛利の水軍を討ち果たした。現在、信長の水軍には通常、戦艦として用いる安宅船や小回りのきく関船などの他に、毛利水軍を打ち破った巨大な鉄船を六艘加え、四国で勢力を拡大する長宗我部と決戦に及ぶには十二分ともいうべき戦力を有している。

四国への出兵を視野に入れ、来年には堺港で軍船、兵糧など諸準備を整えることを考えているため、播磨への兵士搬送に使うには船の数が足りない。四国へ乗り上げる大軍を搬送する分には現在の軍船の数は十分といえたが、信長単騎ならばまだしも、光秀が率いる軍勢がこれに加われば新しく船がいる。備中への出陣に際して地理的な利便を考慮すれば、自分が光秀の軍を用いることは彼にならば分かることだろう。播磨に近しい丹波から、わざわざ摂津河内に進路を取る無駄を光秀が良しとするはずがない。自身は船の問題以外には秀吉の提案にさして異論はなかったが、命じれば光秀が難色を示す。理にかなわないとして、またくどくどと理屈を展開し、信長に命令の撤回を求めるに違いなかった。

命令に対して素直に、はいと頷くことをしない、光秀の煩わしい正論には以前よりいい知れない腹立たしさを覚えている。一見破天荒ともとれる信長の言動が、光秀の説く理よりも更に理にかなっているということが男には分かっていないのだ。常識の範疇でしか物事を考えようとしないばかりか、古い格式や慣習を重んじるあまり、例えば比叡山のごとく腐り切った組織の体質を一掃することにも躊躇する。古来よりの伝統とはいっても、先の世にとっては無用の長物であるのなら、破壊してゆくことも国作りという大事にとって重要な素因であるということが光秀には分からないのだ。

それをいちいち説明して聞かせてやる程信長は親切でも気が長い性分でもない。まるで信長よりも自分の方が正しいといわんばかりに理屈を説いて聞かせる光秀に我慢ならず、手を上げることも少なくはなかった。男の有能を買ってはいるが、個人的な感情で言うなれば、信長にとって光秀のような人間程好きになれないものはない。

その男にいちいち進路の大幅な変更を命じて、無駄だなんだと、言わずとも理解しているような理屈を聞かされるのは憂鬱であるばかりか、腹立たしいことこの上なかった。

押し黙った自身の胸中を察して秀吉が

「海路を行かれるのは上様お一人でよろしいかと存じまする。光秀殿には丹波からいらして頂く方がお早いでしょうしな」

とすかさず付け加える。人差し指で頬を掻いて苦笑いを滲ませた彼を一瞥し、自身も微苦笑を浮かべた。

「船は如何にする」

光秀と別行動になるのであれば海路という提案は信長にとっても悪いものではない。だが、単騎といっても無論護衛も兼ねて兵士が幾百とつき従うので、最低でも数隻の軍船を要することは否めない。端的に尋ねると秀吉が、はっと応じて平伏した。

「それがしが御用意致しますで、何卒海路を」

あくまでも海路にこだわる彼に信長は双眼をすがめて考えこむ。

秀吉には中国征伐における毛利との対決のため、敵の水軍に対抗し得るよういくらかの軍船を貸し与えている。それに加え、彼自身も規模では信長に劣るが水軍を手駒に持っているため、今後鳥取城を陥落させ毛利領の更に奥へと侵攻することになれば、軍船や兵士を割くことのできる余裕ができなくもない。無理な話ではない。無理な話ではないが。

「出過ぎた真似をするでない」

厳しい口調でそれだけ言い放って明確な返答を避けた。しかし、秀吉は一層床に額をこすりつけて

「何卒……!」

すがるような必死さで更に請う。信長は沈黙し、顔を上げない秀吉を凝視した。自分が何かしら言葉を発するまで、彼もまた頭を上げることはしないと知れて呆れとともに吐息する。秀吉がここまで頑是なく自分に頼み事をするのは初めてのことだ。彼は何かを憂慮している。だからこそ、進軍経路をより安全な海路にと請うているのだろう。

何卒お許し頂きたくと再度続けた秀吉に、くどいと面倒そうに言い放った信長は片側の眉を吊り上げ外に目をやった。しばし、叩頭したままでいた彼が鈍重な動作で上体を起こし、眉を八の字にしかめて悄然と肩を落とす。確たる許しを得られず、秀吉が落胆していることは表情ばかりか、小柄な体躯から放たれる空気からもたやすく感じ取れた。笑いたくなるのを堪えて無表情に彼を瞥見すると、部屋に満ちる沈黙が居心地の悪さを感じさせるのか、落ち着きなく座した足を組み替えたり、素襖の下衣を握り締めていたりしていた。

別段秀吉の願いを無下に扱いたいという訳ではなかったが、すぐに許可をすれば調子づいて今から準備を始めるなどと言い出し兼ねない。現段階では彼を鳥取城陥落に集中させるべきなので敢えて即答を避けたが、彼の提案を許容する方向で自分の考えは既に決まっていた。

単に彼が困ったり萎れる様を見て楽しみたいという底意地の悪い欲求も加わって沈黙は長引く。

暫時、落ち着きなく細い体をうごめかせていた秀吉だったが、一度信長をちらりと上目使いで見てから落胆もあらわに項垂れる。どうやら色よい返答をもらえないらしいと判断したのか、平素から快活さを欠くことのない面に色濃い悲哀が浮かび上がった。わざわざ胸中を読み取るまでもなく、彼がひどく落ちこんでいることは見てとれる。しかし、ぱっと表情を変えて顔を上げると紙面を折り畳んで片手に握り、彼は少し寂しそうに笑って、上様と信長を呼んだ。目線だけで、言えと先を促すと秀吉は両手をついて再び頭を下げる。

「あの……それがし、これよりお会いせねばならぬ御仁がおりますんで、そろそろお暇を……」

まったく予想外の言葉に思わず眉を吊り上げ、人と会う? と呻くように低く問い返した自分に彼は暢気に、はいと頷いた。自分との酒宴を辞して何者かに会いに行くという言葉に信長は鋭利な面差しを殊更険しくしかめて、不思議そうに自分を見つめ返す秀吉を睥睨する。

明日には安土を発ち、因幡に戻る秀吉の短い帰還中はなるべく彼を自身の手元に引き留めておきたいと望む信長にとってしてみれば、非常に面白くない話である。

「この信長を差し置いてまみえる相手がおると申すか。名を言え」

余程の貴人であろうなと厳しく語尾を継いで、えっと驚きの声を上げた彼の丸く見開かれた双眸を睨む。

海路での進軍案に許可を出さなかった信長が、余計な口出しに対して不機嫌になったのだと秀吉は判断したのだろう、人と会うために退席すると口にしたのは、沈黙する自分への配慮であったかもしれない。だが、自分を差し置いて他人と会うという理由が不愉快でならないことは事実で、気を利かせたつもりが即座に不興を買った原因を分かり兼ねて秀吉が怪訝そうに眉をひそめた。

「そんな……っただ、ともに飲みましょうっちゅうだけの話ですって……!」

「言うのだ」

よもや会う相手について言及されると思ってもみなかったのか、困惑しきった顔で返答した秀吉に短く、だが、有無言わさぬ強さで命じた。秀吉は心底参ったという表情を浮かべて信長の険相にちらちらと目をやっていたが、すぐに覚悟して

「……光秀殿です」

と低い声でとうとう白状する。信長は相手の名を聞いて反射的に舌打ちしていた。

「捨ておくがよい」

一際冷厳とした語調で命じると秀吉が頬を強ばらせて口を噤む。

平常ならば苦笑いでも浮かべて、手厳しいですなぁと応じているはずだろうが、秀吉は何かを思い悩むように表情を曇らせて俯いただけだった。どうやら単に光秀と酒を飲んで会話を楽しむために会いに行くつもりではないらしい。何かしら思う所があるようだが、募る苛立ちのせいで尋ねる気にはならず、信長は立ち上がって羽織っていた帷子を床に放り捨てた。巨躯を前屈させて下を向いた秀吉の胸元を握り、軽い体を力任せに引き寄せると、はっとして顔を上げた秀吉の唇に自身のそれを重ねる。頭を退かせて自身の口づけから逃れようとした彼の肩をつかみ、床へ痩身を倒そうと力をこめたが、力んだ四肢に阻まれた。彼の表情が驚きからむっとしたものへと変化し、丸い双眸を目一杯吊り上げ怒りをあらわにした秀吉の両手が信長の体を押し戻し、胸倉をつかんでいた手を退かせようと上体を後方に引く。

「人と会うと申し上げましたに、このような……っご無体にござりゃあしませなんだか!」

腕力では自分にかなわないと分かっている彼は、昔から態度での拒絶よりも言葉での抵抗で攻撃してくることが多かった。よく通る声音で機嫌の悪い猫のように騒ぎ立てる秀吉に呆れて、信長は渋面を更に歪める。信長の苦い表情を必死で睨みつけて、それにですなぁっと二の句を継いだ秀吉が、平常は朗らかに半円を描いている眉をきっと吊り上げた。

「兵の配置をお許し下さらねば、これ以上はご辞退させて頂きたく存じまする! そもそも用心に用心を重ねるに越したことはござりませぬ故、それがしは……って?!」

ぐたぐたと喚き散らす彼に辟易して語尾を言い終える前に痩躯を肩に担ぎ上げてしまうと、自身が畳に放った帷子の上に暴れる四肢を落とした。尻から落ちて、あいたぁ! と叫んだ秀吉に構わず、上衣の袖から腕を引き抜き鍛え抜かれた上体を外気にさらす。そして、尻を撫でて半身を起こしそうとした彼の上に素早くのしかかり、素襖の帯をつかみ取った。あっと驚きの声を上げた秀吉が慌てて信長の手を押さえ、帯を解く指の動きを妨げる。信長が彼の手を振り払い、振り払われた手を帯に戻して彼が抵抗し、そんなやりとりがしばらく続いたが、秀吉がとうとう、上様! と鋭く叫んだ。

「何卒、これをお受け取り下され!」

怒鳴るのに近しい勢いで語尾を続けて手にしていた紙面を突き出し、秀吉が憤ったように肩を尖らせる。彼の態度を鼻で笑い、差し出された紙面を取り上げて中も見ずに背後へ放擲してしまうと、彼が、あーっ! と叫んで眉を吊り上げた。先刻一読した時に内容はすべて記憶していたので敢えて再読する必要はない。

「小賢しい猿めが。わしに防護のなんたるかを説くか」

「違いますって……!」

首がちぎれんばかりにかぶりを振った秀吉の帯は、幾度かのせめぎ合いのうちに緩まって解けかけていた。

「上様ぁ~、ほんにお止め下され……! 光秀殿に会わねばならんのですって! お戯れが過ぎますぞ……っ」

帯を押さえて半分泣き言みたく情けない声で訴えた彼を強く睨みつけ、しつこく抵抗する態度に腹が立った信長は、やかましい、このたわけ者! と怒号で返した。

「主を蔑ろにする不実、仕置かねばなるまい」

言下に、いや、ですから違うんですってばぁ……! と手足をばたつかせて喚いた秀吉の頭上に容赦なく拳を落とし、信長は呻いて体を九の字に曲げた彼の腰から素早く帯を抜き取った。取り上げられた帯に手を伸ばして身を起こそうとした小さい体を片手で帷子の上に押さえこみ、口角を歪めて彼を見下ろす。秀吉が自分を見上げて引きつった笑顔を浮かべたまま首を軽く左右に振った。はっといかにも馬鹿にしたようにその態度を笑い飛ばして、無言の懇願をはねのけ痩躯の上にまたがる。

「何卒……っ明日には安土を発ちまする故に」

信長の巨躯を両手で懸命に押し戻して秀吉が眉をひそめた。自分が何を求めているのか、既に理解している彼の今の言葉は制止を請うものでないことを鋭敏に察して、暴れる四肢を制しつつも二の句を待つ。こうなると自分が彼を抱かずに手を離すことはあり得ないと、長年私事において信長の寵を受けてきた秀吉には痛切に分かっている。制止を願っても屋敷へ下がりたいと頼んでも、信長が了承しないことは察しているはずだ。だとすれば、彼の口からもたらされるのは、せめて手加減してくれなどという無駄な懇願であろう。不意に動きを止めた秀吉が微かに赤くなった頬を隠すように横を向いた。

「何卒、加減頂きたく……っ」

「何故、加減がいる」

信長は自身の予測が違わなかったことに口端を吊り上げ、理由を知っているにも関わらず素知らぬふりをしてすかさず問う。幾度も自身に挑まれ貫かれた体で馬に乗るには辛いということは分かっていた。馬が走ればさいなまれた股間に振動が走り、痛みばかりでなく貫かれた瞬間の刺激を体が思い出す。加減が必要な理由を答えられず、秀吉が目の下を更に赤く染めて唇を噛み締めたのを見て、くっと短く笑い飛ばした。

「うぬの案がごとく船を使うがよい」

故にと語尾を継いで彼の袴を引き下ろし、紙と同じく背後へ放り投げてしまう。

「悩ましき事由は最早なかろう」

信長は冷たく言い捨て彼の素襖の袷をつかみ取り、左右に開いて下に着こんでいた白い小袖も手早く脱がせてしまう。袴がぁっ! と喚声を上げて宙を舞った自身の袴に手を伸ばした彼の手首をつかみ取り、解いた帯を巻きつけて片腕を縛り上げた。首飾りと下帯、そして、足袋だけを身につけた秀吉の痩身が自身の巨躯の下でもがくのを鬱陶しげに押さえこみ、信長は縛り上げた彼の手首を引っ張って引き寄せると、胸板をなんとか押し返そうとしていた彼のもう片方の手首をわしづかみにして軽く捩り上げる。

「ちょ、ちょっとお待ち下され! そういう問題じゃあ……!」

あいたたっ! と大仰に悲鳴を上げた秀吉のしつこい抵抗に舌打ちし、信長が眉を吊り上げて眉間に殊更深々と皺を刻むと彼の面が強ばった。

「やかましき口だ」

苛立たしげに言い放って何事かを喚き散らそうとした彼の唇を口づけで塞ぐ。一瞬怯んだ秀吉の抗いが止み、信長は間髪入れずにつかみとっていた手首もまた帯で縛って細い両手を拘束してしまう。いまだ頑なに口唇を閉ざして抗う彼の体を抱き寄せ、下帯を解いてしまうとあらわになった尻の肉を揉むようにして撫で上げた。ひくっと尖った肩が揺れて、短く息を呑んだ秀吉の唇が僅かに開く。信長はすかさず開いた口唇から舌先を忍びこませ、狭い口腔で逃げ惑う彼の舌を絡めとって吸った。束縛された両手を秀吉の頭上で押さえつけ、双丘を撫で回していたてのひらを大腿へ移動させて膝裏からふくらはぎを過ぎ、浮き上がった腱に添って指を這わせながら小さい足を包む足袋を取り去る。自身の手が肌に触れる度、わななく彼の体からすべての布地を取り除いてしまうと、自身の下衣もすべて取り去り床に打ち捨てた。

 

唇を離し痩せた背中を横たえ、彼の体を帷子に包むようにして抱擁する。自分が刻みこんだ香りは最早消え失せ、代わりに彼の肌からは駆け回る戦陣で汗とともに染みついた土と泥の臭いがした。風呂を好み、常日頃から湯浴みを欠かさない秀吉の体はひどく清潔ではあったが、戦という荒んだ状況下で長く過ごした空気は、幾度洗い流そうとも簡単に消え去ることがない。今日とて自分と会う前に湯に浸かったであろう彼の体は無臭であるはずだったが、執拗に残存する土埃や血溜まりの嗅ぎ慣れた臭いは信長の鼻孔を鋭く刺激した。

自身の体と同じ寸法の帷子には香が薫き染めてあり、清々しく匂い立つ布で秀吉の体を包むと、淡く染まりゆく皮膚にはんなりと香りが染みてゆく。自身の体躯からも香るその匂いが、秀吉に不可思議な羞恥を与えていることはすぐに分かった。どんなに顔を背け逃れようとしても、絶えず鼻孔をくすぐる香りが信長の腕を、胸板を、口づけを彼に想起させ、体中を愛撫されているかのような錯覚を起こさせる。その証拠に、拒む言葉を口にしながら、慎ましく膨らむ秀吉の雄は密やかに勃ち上がり、やわい先端が自分の腹に触れていた。

くくくと低い笑いに喉をうごめかした信長は、高熱を蓄え拍動する自身の怒張を彼の内股に押しつけ、手近にあった杯の中に指を浸して赤い液体をたっぷり絡ませる。柔軟な肉へ硬い先端が食いこむ感覚に秀吉の腰が引きつり、退こうと身動きを繰り返した。強情なと叱咤する強さで彼の態度を咎めた信長は、逃たがる腰を押さえ酒で濡らした指を双丘の谷間に忍びこませる。繊細な箇所に卒然訪れた酒の冷たさに、秀吉が、ひゃあっと素っ頓狂な声を上げて腰を浮かせようとしたが、信長が押さえこんでいるため些に尻が動いた程度にとどまった。目の縁に涙を滲ませて無言のまま自分に哀願の眼差しを向ける彼の鼻先で意地悪く失笑し、尻の奥でひっそりと口を閉ざす秘所へ無遠慮に指を滑らせる。酒を滴らせる指の腹で柔らかいそこを押さえつけるように擦り上げて、摩擦で熱くなる花芯の中枢を指先で急かすようにつつくと、数えることも億劫になる頻度で自身を受け入れてきた秘所はすぐさま解れて、撫で上げた指の腹を恥じらいながら僅かに飲みこむ。強く擦り上げてやると、酒に濡れて潤った秘所は易々と太い指を咥えこんでいった。

直腸に埋めこんだ指を抜き差しし、内部を更に柔らかく解して甘く熱してゆく内壁をたっぷりと嬲る。指が動く度に噛み締めた唇の合間から小さな呻きを漏らす秀吉の秘所を開かせ、猛り張り詰めた自身の怒張の先端をそこに含ませた。ぃあぁ……っ! と高く鳴いた彼の唇を口づけで塞ぎ、質量のある先端でゆっくりと肉壁を押し開いてゆく。しかし、閉じようと力む彼の両脚が邪魔になり、中途まで雄を含ませたところで止まった。秀吉が乱れゆく呼吸とともに、上様と掠れた声で呼ぶので彼の双眸を見やる。

「上様っ……首飾りが……っ」

構うなと言い捨てて揺すぶると自身の動き合わせて彼の細い首にまとわりつく黄金の鎖が派手に音を立てた。瞬時に秀吉の顔が耳朶まで紅潮してゆくのを目端にとらえ、縛り上げた両腕を手に取り自身の首に通すと、完全に無抵抗と化した彼の四肢がふるりと震える。信長が脱ぎ捨てた帷子の上で無防備に裸身をさらすはめになった秀吉の肌が見る間に赤みを帯びてゆく様を眼下に見下ろしながら、頑なに閉じようとする細い両脚をつかんで左右へ大きく開かせた。ようやっと妨げる力がなくなり、一気に腰を推し進めて自身の怒張を根元まで咥えこませると、細作りの体の内も外も小刻みに引きつり、小さく悲鳴を上げた彼の眦に涙が滲んだ。繊細な箇所をさいなむ異物の熱に震えながらも腰が左右に揺れて、奥底まで飲みこんだ信長の雄を取り除こうと逃れようもない床の上で懸命に抵抗する。それを鼻で笑い飛ばし、秀吉の腰を押さえこんで、些少粘膜から引き出された自身の屹立を再び最奥まで収めた。うあぁっ! と叫んで跳ね上がった背を抱き寄せ、開かせた脚を両脇に挟みこんだ信長は、結合部に重心をかけてゆっくりと腰を引き、中途まで引き抜いたそれで一気に彼の肉壁を突く。

「ひ……っ! あぁっ……っ抜い……っあっ……ぅっ」

左右にかぶりを振って双眸を濡らした彼の後ろ髪をやんわりとつかみ取って上向かせ、小さい嗚咽にひくつく喉元に唇を滑らせた。自身の首の後ろで縛り上げられた彼の両腕が食いこむ布にきしみ、時折、耳元で、いつっと呻く声が聞こえたが、今解いても抵抗されるだけだと分かっていたので解放してやることはしない。元結を解き、まとめあげるものがなくなってさらりと散った彼の柔軟な髪に指を絡め、濡れたようにとろけた熱を蓄える粘膜を間断なく突き上げる。幾度か繰り返すと秀吉が喉を大きく反らせて一際高く悲鳴を上げた途端、腹にぬるりとした感触が走った。くっと喉の奥で短く笑い、達した彼に構わず直腸を嬲り続け、猛り狂う高ぶりを最奥で吐き出すと再び彼の屹立が呼応するように吐精した。

びくびくと何度か痙攣した四肢をより深く胸に抱きこみ、大きく上下する汗ばんだ肩に唇を寄せて

「何を危惧しておる」

そう、先刻警護の任を請うた秀吉の懸念をようやく問うてやる。しかし、尋ねつつも彼の不安は既に察していた。

 

天正六年のことになる。自分とっても彼にとっても予想外の事件が起こった。摂津の国に封じていた荒木村重が突如として信長に背き、有岡城に立て籠もったのである。

村重が離反した理由が、実の所信長にはさっぱり分からない。それは自身が他者の心の機微に無頓着であることが原因ではなく、村重程の男が損得もなく裏切るとは到底考えられないという、男の性分、気骨を熟知した上での不明点であった。

村重の配下であり従弟でもある茨木城城主、中川清秀の士卒が、村重の預かり知らぬところで本願寺に兵糧を売りさばいていたことが発覚し、男は部下の不手際を信長に詫びるため、一度安土城にやってきたことがあった。確かに部下の不始末は主の手落ちと取られても仕方はないが、村重自身は対本願寺における戦で信長の要請に応じ織田勢について戦い功績を上げている。兵糧の横領は重罪ではあれど、摂津という要所を預かる村重が本願寺ではなく織田にくみしたことにより、対石山本願寺の戦局は信長の有利に傾いた。その功績を帳消しにしてまで罰するべき罪とはいいがたく、信長もさして怒りもせずにこれを許した。事態が急変したのは村重が安土を辞して有岡城に帰還した後のことである。自らの城へ帰還する前後に村重の胸中にどのような心情の変化があったのかは分からない。だが、男は有岡城へ帰り着くとすぐさま信長に対して反旗を翻したのだ。

丹波、播磨に接し、堺港を擁する和泉とも近接する摂津の国は、戦略的にいっても非常に重要な土地であり、摂津にいる村重が裏切れば、丹波にいる光秀、そして、播磨を拠点として毛利に攻め入っている秀吉は背後に敵を抱えることになる。村重が毛利方と共闘し、光秀や秀吉を同時に攻めれば、いかに有能な彼らであっても、これを防ぎきる術は皆無に等しいといえるだろう。西国への第一線で指揮をとる秀吉が戦死するようなことになれば、毛利攻略が頓挫するばかりではなく、信長自身が最も手痛い損失を被ることになる。

彼を失うという、何よりも重大な損失を。

 

信長は村重が離反した後も根気強く説得を続けた。人質を出して再び自分に仕えると誓えば許すと約束し使者を送りもしたが村重の決意を覆すことはできなかった。光秀や秀吉を説得に向かわせたが一向に翻意する様子はなく、頑なな村重の態度に胡乱な思いは拭い切れなかった。

あまりにも急すぎる男の豹変には違和感を覚えざるを得ない。確たる動機がまるで見つからないのだ。信長が原因を見落としているという訳ではなかった。村重は決して暗愚な男ではない。余程何らかの確証、あるいは身の保証がない限り、今現在日本において一、二を争う権力を有する、大大名に昇りつめた織田家に背く危険を犯すはずがないのだ。

 

男の離反には秀吉もまた苦しめられた。この当時、村重は秀吉の配下に加わり中国攻めに参加しており、彼の軍師でもある黒田官兵衛とは旧知の間柄であった。そのため、秀吉は官兵衛を説得に向かわせたのだが、村重はこれを捕縛して土牢に閉じこめてしまった。いつまでも帰らない官兵衛を裏切ったと見なした信長は怒り、官兵衛の息子、松寿丸を斬って捨てろ彼に命じたが、美濃時代から秀吉の軍師として才を奮う竹中半兵衛の機転により松寿丸は隠された。有岡城が落ちた後に土牢で官兵衛が発見されたと聞いた時、信長は松寿丸を殺せと命じたことを深く後悔したが、実は生きていたと知り安堵したことをよく覚えている。さすがに自身の短慮であったことは否めず、秀吉と半兵衛の嘘を責める気にはなれなかった。

村重は一年間籠城して織田と抗戦したが、部下の裏切りにより不利な状況へと追いこまれ、単身で有岡城を脱出、尼崎城、花隈城と城を移動し、ついには毛利領へ逃げ延びた。村重はいまだ毛利領のいずこかで生きている。有岡城を脱する際に妻子を残してまで生き延びることにこだわる理由がなんなのか、信長には推察の余地があった。

反逆後の立場を何者かに保証されている可能性が極めて高い。突然すぎる謀反についても、何者かの思惑を強く嗅ぎ取ることができる。

信長は脳裏をかすめていった家康の顔に心中で苦く舌打ちをした。

村重の反逆を受けて秀吉は不意に恐ろしくなったに違いがなかった。次なる背信が起こらないか、また、起こる可能性があるのではないかと心配している。このまま中国地方の攻略が順調に進んでいく最中で、再び信長や自分を窮地に陥れるような謀反が起こるのではないかと気にかけているのだ。そして、危惧を抱く相手として、自分が辛辣に当たっている光秀が候補に入っているらしかった。

解れて額にかかった黒髪を鬱陶しげに掻き上げ信長は、なるほどと頷く。

「あのきんかん頭とまみえるも、わしを案ずるが故か」

きんかん頭というのは信長がつけた光秀の渾名である。特に懇意にしている訳でもない光秀と会う理由をようやく悟って尋ねると、秀吉が唇に歯を立てて眉根を寄せた。

「そのように出過ぎた事では……」

か細い声で答えた彼の視線は曖昧に宙空をさまよい自分を見ようとはしない。信長は彼の態度に憮然と溜息をつき、深々と眉間に皺を刻んで端麗な面をこの上なく苦々しい表情に歪めた。

「よかろう。うぬの好きにせい」

とうとう根負けして本能寺の警護について許可を出してやると、腕の中で彼の体がほっとしたように弛緩する。

「ありがたき……」

安堵の吐息を交えて礼を述べる秀吉の顔に、ようやく柔和な笑みが滲んだ。自身の許可を得て安心したのか、抗うことを途端に止めておとなしくなった彼の首筋に唇を滑らせる。

「杞憂に終わろうとも咎めはせぬ」

忌ま忌ましいと心の中で舌打ちし、信長は秀吉を抱き寄せて耳元で優しくそう囁いた。

本来ならば自分は中国征伐という大事に彼を集中させてやらねばならない立場であるはずが、こうして余計な危惧を抱かせていることに情けなくも感じられたが、何より、光秀の存在が僅かであろうとも彼の心を占めていることが堪らなく不愉快でならなかった。例え好意でないにしろ、秀吉の心に自分ではない人間の存在がこびりついていることが腹立たしくてならない。しかも、自分とまみえる時間を割いてでも彼が男と会うというではないか。みっともない嫉妬なのだと分かってはいても、むかむかと焼けつく心に歯止めはきかない。

だが、これ以上の思慮を挟んで彼を抱くのは億劫だった。中々には帰ってくることのできない秀吉を自身の腕に縫い止める時は、その痩躯を詳らかに暴き、果てしなく乱して狂わせることに没頭したい。余計な思考に時を割くことはまったく時間の無駄であるばかりか、不快に陥るだけに過ぎなかった。

「うぬの望みは聞き入れた。されば、我が望みを満たすも道理ぞ」

「そっそれは一体、どのような道理にございますかっ! あっ、ちょっと……上様っ! 加減して下さると……っ」

にいっと口角を歪め、不意に秀吉の下肢を引き寄せて内壁に埋まったままの雄でひだを擦り上げた。白濁に濡れた粘膜は硬度を増し、張り詰めてゆく自身の怒張を滑らかに咥えこみ、前後に揺すぶると催促するかのようにきつく締め上げてくる。両手を束縛された状態では逃れることもできず、脚をばたつかせて暴れていた秀吉が非難がましく喚き散らした。しかし、じょじょに速度を早めて粘膜を擦り上げてゆくと、繊細な箇所に絶え間なく感じる卑猥な振動に四肢を引きつらせて上体をたわませ、あぁ……っやぁっ! と艶やかな悲鳴を上げる。それでも、涙の滲んだ双眸で懸命に睨んでくる秀吉の健気な抵抗を、はっと鼻で笑い

「誓紙でも交わしたか?」

そう、手加減を求めた彼の言葉を一蹴した。大体、手加減してやると頷いた覚えはない。

「信長様……っ」

上がる呼吸の合間に責めるような鋭さで自分の名を呼ばった秀吉の唇に口づけ、手首を拘束していた帯を解いてやる。すると、細い両腕がゆるゆると伸びてきて信長の肩や首に巻きついた。てっきり自分を押しのけようとするのではないかと思っていた彼の、最早抵抗の一切を諦めた体を抱きすくめ、信長は朗らかな彩りの髪に指を埋めて息をつく。

 

虫の知らせとでもいうべきなのか、それとも、単なる漠然とした不安なのか、自分をひどく案じている彼の胸中に、何かしらの懸念があることは確かだった。しかし、自分に対して報告をしないということは、秀吉自身が明確な情報をつかんでいる訳ではない上、予測や推察の範疇ですらないということだろう。自身の功績や栄誉のために他者を陥れることを嫌う彼の性分を考えれば、光秀と会う理由を正直に話さないことも男に対する秀吉の配慮であることは熟慮の余地もない。予感に過ぎないからこそ口を噤んで話さない。心配をさせたくないという気遣いもあるのだろう。だが、いつまでも消え去ることのないその予感に、彼は脅え対策を講じたがっている。予感が予感のままで終わることを願いながら、杞憂かもしれないという可能性を考慮に入れても何かをせずにはいられない、彼の迅速な行動力には呆れとともに、さすがだと称賛を送るべきであろうか。

常に信長の身を一番に思う彼の健気が愛しかった。だからといって、彼をみすみす光秀の元に行かせてやる程、自分の心は寛容にできてはいない。それに彼が何か嫌な予兆を感じていることは半ば的外れともいいがたかった。

信長が手飼いにしている忍び達から次々と舞いこむ情報の中に、近頃家康が光秀と親しく書状を交わしているというものがある。村重が有岡城に立て籠もる直前に立ち寄った高槻城でも、家康手飼いの忍びである服部半蔵が周辺で何かしら活動していた痕跡が報告されていた。家康は信長が光秀に辛辣な態度を取っていることを以前から知っている。数年前、甲斐における武田征伐の際、諏訪に敷いた陣で催した宴にも家康は列席しており、諏訪における豪族達が織田方に寝返ったことについて「我々も年来骨折りした甲斐がございました」などと口にした光秀を、信長が手ひどく打擲した場面を目撃している。

 

光秀はどうにも自分が優れているという自負や自尊が強く、時折無意識のうちにそれが言動に表れた。己の苦労に対して報われることを当然と考えている節がある。自分はよく働いている、よく仕えているという矜持が強く、己の働きを少なからず過大に評価し、己の功績に対して謙虚さを持たない。信長に対する忠誠心よりも、尽くしてやっているという恩着せがましい感情が光秀の腹の底にわだかまっている。男は自身のそんな傲慢にはどうやら無自覚のようだが、自己が気がつかない分、言動の端々からそういう脂ぎった感情が臭ってくるのだ。本能的に他者の腹を読み抜く鋭敏さを持つ信長に男の不遜が察知できないはずがない。だからこそ、男の発言に手を上げた。積もり積もった苛立ちも加わり、平常では考えられない手厳しい仕打ちになった。額が裂け流血する程の怪我を負った光秀だったが罪悪感などない。自分達の苦労が報われて武田討滅が実現したといわんばかりの言葉を、主君の前でぬけぬけと口する傲慢に対する仕置きが打擲程度で済んだことを感謝されてもよいぐらいだとすら思う。同席した家康にも自身と光秀の間に決定的な亀裂が生じ始めていることは、容易に察することができただろう。

目をつけたのだ。自分に背き、自分を窮地に陥れる汚れ役をなすりつける役者に村重を、そして、今度は光秀を。食えぬ腹だと心中で家康の狡猾に冷笑し、信長は腕に閉じこめた秀吉の耳朶に唇を寄せ

「安堵せい」

と宥めすかす優しさで囁き、信長様と密やかに呟いた彼の唇を自身のそれで軽く攫った。

「何人の抗いも信長の前には無価値よ」

自身の肩口に頭を擦り寄せてくる彼の頬を親指の腹で撫で上げ、鋭く言い放ったその言葉は秀吉に向けたものではなく、むしろ。

信長は喉を重くうごめかし、自分を陥れるために忙しく策謀を巡らせているであろう家康の必死さを嘲笑う。

 

好都合だ。

 

心中で残忍な喜悦とともに呟いた信長は無意識に口角を吊り上げていた。自分に背くよう光秀をそそのかすのであれば、家康は反逆後の立場を保証する何らかの取引を持ちかけているはずだ。光秀程の慎重な男が衝動的な理由で謀反に走るはずがない。万が一、信長を討ち損じれば窮地に追いやられるのは刃を向けた光秀の方だからだ。秀吉と同じく、長きにわたって流浪を続けてきた光秀には、自身の損得を正確に判断する打算的な視点が確かにある。別段、それを悪しき思考と糾弾するつもりはない。利益不利益を瞬時に見抜き、計算し尽くすことのできる判断力がなければ、戦場においての進退を決するにも誤りが生じる。冷静に状況を見分ける鋭く広い視野を持っていると知ればこそ、男を自らの麾下としたのだ。故に、村重と同様、光秀がなんの保証もなく家康の話に乗じるとも思えない。

 

ならば、彼らが馬脚を表すのを待ち、こちらが家康を討ち果たす口実を作ればよいだけの話だ。何の理由もなく同盟を破棄すれば信長は信用がおけないと認識され、現在平定に及んでいる他方面の国々では降伏に応じる者が減り、降るも戦うも死があるのみと知れば、敵は徹底的に抗戦して無意味に戦線を長引かせるだけのことでしかない。家康が同盟に破綻をきたす失態を自らしでかすというのなら、信長としては願ってもないことだ。約束を破るのは家康であって自分ではない。家康の国に攻め入ったとしても、確固たる理由が自分にはできるという訳だ。

光秀がその契機として自分に背くならば、切り捨てることも止むを得まい。利を念頭において行動する家康とは違い、理に重きをおく光秀は打算を持っているとはいえ、決意すれば己の意志を覆しはしないだろう。一度離反すれば易々と降伏に応じはしないであろうし、信長にしてみても、致命的な謀反を許してまで確保しておきたい手駒ではない。何分、こき使うという点については扱い辛い男でもある。自分の命令に理が通っていないと判断すれば、何かと反論し意見を口にする。信長が求めているのは家臣の諌言ではないのだ。逐一自分の命に異を唱える光秀には実の所、随分と前から辟易しており、ねちねちと理屈をこねる冗漫さに苛立ってもいた。生来癇性な信長とは元々反りの合わない質の人間でもある。そういった私情を差し引いたとしても、家康と内通して謀反を起こしたとなれば、重大な罪を犯した光秀を赦免する余地はない。

 

氷のように冷え切った胸奥で一頻り鋭利な思慮を巡らせ、信長はそれらを投げ捨てる乱雑さで脳裏から消し去り、触れ合う肌から伝わる温もりに没頭した。請われた手加減などとおに失念し、折れそうな程しなる痩躯を容赦なく巨躯で攻め抜いてゆく。微かに土埃の臭いが染みついていた秀吉の躯幹は自身のまとう着物から薫る香の匂いに塗り替えられ、滲む汗が交わるごとに白い皮膚へ香りが染みこんでゆくような気さえした。耳朶を掠める嬌声の熱さに、自身でも滑稽だと己を嗤いたくなる程、理知で固め抜かれた脳内を溶かされてゆくのが分かる。

帷子に秀吉の体を包みこみ、間断なく鳴り響く首飾りの高音までも愛撫するみたく金鎖の一片に口づけを落として、久しぶりに味わう体温の甘さに夢中で酔いしれた。

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