未題 - 或ル白狼天狗ノ手記ヨリ 作:荒木田久仁緒
今を盛りと鳴きまくる蝉の声が、頭上から降りそそぐ。
小さな沢の中を這う小さな道は、今日も日差しをさえぎる高い草に覆われ、適度に湿って涼しくすらあった。その緑の通路の中を私は一人、足音を抑えて歩いていく。向かう先はもちろん、いつものあの小屋。
あの少年との関係は、ずるずると続いていた。少なくとも彼には、やめる気はまったくないようで、私が指定し訪れた日には、一度たりとも欠けずに小屋にやってきている。
私はといえば、挙動不振な上にしょっちゅう姿を消すとあって、男ができたらしいと噂が立つまでになってしまった。ほぼ事実だから仕方ないけれど、相手が誰かは絶対に隠し通さなければいけない。そういうわけで、私も彼と同様に、この小道を利用することにしたのだった。空を飛ぶにせよ歩いていくにせよ、どうしても途中で人目についてしまうが、これなら誰にも見られずに、小屋のすぐ近くまで行くことができる。ちょっとした誤算があったけど、それは置いておくとして。
草の壁にぽっかり開いた横穴をくぐり、茂みに身を低く沈めて、ほんの五十歩ほど森の中を行けば、そこはもう小屋の前。念のためしっかりと、周囲と中の様子を探ってから、静かに引き戸を開けて中へすべりこみ、すぐに閉じる。いつもの小屋の風景に、いつもの気配。そして、いつものにおい。ほっとする心のどこかで、ぽっと灯がともる。
一息ついて靴を脱ぎ、藁を積み増して大きめにしつらえ直した寝床の上に座ると、それを合図に、いつも通り彼が材木の陰から顔を出した。ちょこちょこと近づいてくると、私の右に並んで腰を下ろす。これもいつも通り。
顔は正面に向けたまま、横目で彼を見下ろす。着物の上から股間を両手で押さえて、もじもじするその姿を見ていると、私の中で燃え始めた火も、だんだん大きくなってくる。日は遮られていても、じっとり暑い真夏の小屋の空気の中に、立ちのぼる汗の匂いも混ざる。
上着の紐を緩め、ゆっくりと裾からまくって脱いでいく。彼の顔が横を向き、私の胸に視線が集中するのを感じる。夏用の肌着の薄い布地は、その下で乳首がつんと尖っているのが、はっきりわかってしまう。
しばらくそこを凝視していた彼も、思い出したように自分の着物を脱ぎ始める。細っこいけれど血色のいい腕、意外と逞しさも見てとれる肩と背中。それを観察しながら、私も残りの服を脱ぎ、軽く畳んで寝床の脇にある木箱の上へ乗せた。まだ下帯だけはそのままで。
隣の彼はもう褌も投げ捨てて、一糸まとわぬ裸んぼうだ。その体が腰を上げ、くるりとこっちを向いて、私の右足の上にまたがる。肌に伝わる、小さなお尻とふんわりした股間のふくらみの感触。足の間に差し入れられた彼の膝が、下帯ごしにあそこに軽く触れ、その奥に隠れた欲求を疼かせる。
そうして彼は、上目づかいに私の顔を見つめて、動きを止める。これもいつもの、ちょっとした儀式。その丸い目を見返しながら、軽くうなずくと、お待ちかねといった感じで私の胸に抱きつき、谷間に顔をこすりつけた。おっぱい好きだよね、君。男の子ってみんなそうなのかな。そんなことを考えながら、右腕で彼の肩を軽く抱きしめる。
くすぐったさと心地よさ、それと他人の温かさで胸を満たしつつ、そっと左手を彼の、股間で硬く立ち上がっているものへ伸ばす。ぴくりと小さく、けれど全身で反応した彼は、乳房に顔を埋めたまま目を閉じ、私にその身をまかせてくる。
手からちょっとはみ出すくらいの大きさの肉の棒を、やわらかく握って撫で回す。膨らんだ敏感そうなところを手のひらで包んでこすったり、親指の腹でくりくり刺激したり。私の手の動きに反応して、別の生き物みたいにぴくぴく跳ねるのが、なんだか可愛い。
いじり続けていると、先っぽから雫が漏れ出してきて、手と指を濡らしはじめた。それをぬるぬる塗り広げていくと、気持ちよさそうに胸の上で身もだえして、自分から腰を動かし、私の手に押しつけてくる。そうするうちに、私に抱きつく彼の腕に力がこもり、急に呼吸が速くなる。
もう、出そうなのかな。前にした時から、ちょっと日が開いちゃったし、溜まってるのかもしれない。
先端に手を上からかぶせるようにして、少し強めに揉んであげると、やがて小さく体を震わせ、びゅ、びゅっと手の中に熱いものが吹きかかった。したたりこぼれていく雫を、右手を根元に添えて受け止める。
ひとしきり吐き出し終わるのを待って、両手を持ち上げると、べっとりとついた白い体液から、むわっと雄のにおいが鼻をついた。もうすっかり嗅ぎなれたにおいを堪能しながら、手に口を付け、すするように舐め取る。粘り気が強くて、ちょっとしょっぱい、ヘンな味。少し血に似てるかも。
視線を感じて下を見ると、そんな私の口元を彼が、とろんとした目で見上げていた。飲むのも見られるのも初めてじゃないけど、相変わらず、なんか照れる。でも、まだきれいにする場所は残ってる。
背中にしがみついていた彼の両手を、私の肩の上に導いてから、お尻が乗っかったままの右膝を立てると、ちょうど彼が膝の上に腰掛けた体勢になって、その股間、汁にまみれた肉棒が、私の目の前に持ち上がってくる。そのまま顔を寄せ、ぺろりとひと舐め。肩をつかむ手にぎゅっと力が入る。
下から上へ、舌を這わせ、垂れた雫をぬぐい取り、飲みこんでいく。矢じりの返しのような小さな段差と、先端の穴のあたりは、特に念入りに、舌先でつつくように刺激しながら。私の舌が彼に触れるたびに、彼の手に、足に、お尻に力が入り、少し柔らかくなっていた彼のモノが、むくりとうごめいて、また硬く張りつめてくる。
最後に、ぱくりと丸ごと口の中に入れてしまう。口いっぱいに、汗と精液の味と、ぷるぷるとした触感が広がった。飲み込まれた白魚がぴょんと跳ねて、私の上顎をとんとん叩く。少しの間、舌の上でその動きと温かさを楽しんでから、軽くしゃぶるようにして穴の中に残っていたものを吸い出し、飲み干した。
口を離すと、もう透明な汁が小さな穴から再びあふれ出てきて、唾液に湿った竿をさらに濡らしている。まるで枯れない泉みたい。
まあ、私も人のことは言えないんだけど。指一本ふれていないのに、さっきから下帯の中で熱く湿っている部分に意識を向けながら、頭の中だけの独り言。
背中を後ろに倒し、寝床に体を横たえる。膝の上から彼が降りてきて、広げた足の間に腰を下ろす。彼が見つめる股間を覆う下帯も、夏用の細めで薄い、特に薄いやつで、たぶんちょっと、形が透けて見えてしまっていると思う。通気性を考えて選んだだけで、別に見せるためじゃないけど。でも、鼻息の荒さからすると、彼も興奮してくれているっぽい。関係ないけど。
彼が手を伸ばす。小さな指が、布の上から私のそこに触れて、溝の隙間にちょっとめりこんだ。それだけで肉襞がじんわり痺れて、腰が軽く浮く。指で押されたところに、じわっと愛液が中から染み出すのがわかる。きっと薄い布がますます透けて、ますます彼を興奮させているんだろう。ああ、なんだか逆に恥ずかしい。脱がせちゃってよ、もう。
自分で下帯の紐を解くと、彼の手がそれを引き継いで、私を隠す最後の衣服をするりと剥ぎ取る。数え忘れるくらい見られた場所だけど、やっぱり最初は居心地の悪さが先に立つ。でもそれも最初だけ。どうせすぐに、すっかり溶けて忘れるから。だから、早く。
ぷっくり充血した肉の丘が、左右に割り開かれる。谷間の奥の洞窟から、とろりと汁がこぼれる。その汁をすくい取り、かきまぜつつ、細長いものが、穴の中に入ってくる。一本、そして二本。私の中のかたちを確かめるみたいに、壁や天井をなぞり、へこんだところを、出っ張ったところを、押したり、引っかいたりして、もうかなりとろけている肉を、より柔らかくなるように、こねまわす。ひくひくとあそこを震わせ、時に身をよじる私の反応を、確認しながら。
入り口の横のほうとか、突起の裏側とか、自分の感じるところを、ぜんぶ素直に教えてしまうのも、なんだかしゃくだけど。でも、気持ちいいから、いいや。そう思って、ただぼんやりと彼の愛撫に身を任せる。
と、不意に彼が私の股間に顔を寄せ、肉芽が熱い空間に包まれる。とろりと粘液にまぶされながら、小さな風船に急に血が集まって、破裂しそうなほど膨れ上がり、それを何か柔らかくて、ざらついたものが、すりすりこする。あ、駄目。だめ、ダメそれダメ。
反射的に腰が逃げようとしたけど、彼にがっしり掴まれていて、離れられない。ずん、と中くらいの絶頂が来た。痙攣する太股が彼の頭を挟み、ますます私のあそこに押しつけてしまう。痙攣は頭まで広がって、うめき声のようなあえぎ声が喉の隙間からにじみ出る。彼はその間も、私を口の中で吸い立て、舐めまわしている。気持ちいい。いいけど、強すぎて苦しい。ちょっと待って。止めてってば。
彼の頭を軽く手で叩くと、ようやく離れた。むりやり吸い出された肉芽はまだ大きく腫れていて、ほんのわずかな空気の動きにすら、あそこ全体で敏感に反応してしまう。そんな刺激をなんとかなだめつつ、荒い息をつきながら体を震わせていると、ようやく波が収まってきた。
余韻に揺られながら首を上げれば、しまった、やりすぎた、といったふうな顔の彼。ほんとだよ、まったく。もう一度、かるーく頭をはたいてやる。しゅんとした表情に、今度は私のほうが、やりすぎたかな、と思ってしまうけど、でも甘やかすと調子に乗るし。それに。
本気を出してもらうのは、これから、なんだから。
足を大きく開いて、ちょっと浮かすように、濡れてほころんだ肉花を突き上げる。それを見た彼も腰を前に進め、もう準備万端の槍を握りしめて、私の門めがけて突撃する体勢。穂先が濡れそぼった入り口に押し当てられ、ゆっくり、けれど一気に、私を刺し貫く。すぼまっていた入り口が、中が、押し広げられて、行き場をなくした汁が隙間からあふれだす。そんなに大きくはないはずだけど、反射的にしめつけてしまう肉洞の中のかたまりは、さっき口で含んだときよりも、ずっと太く、硬く感じられる。
自分以外の誰かが、自分の中に押し入ってくる感覚。本来ならそれは、きっとおぞましい何かのはずなのに、こんなにも満たされて、暖かくて、心地いい。考えてみれば不思議な行為。その不思議さは、おそらく私のずっとずっと奥の方に根ざしていて、だから多分、どうしても逆らえないんだろう。なんて、ただの言い訳かもしれないけど。
肉と汁とをなじませるように、私の中で小さく動いていた彼は、やがて腰を引き、抽送を始める。最初はなんだか真剣な目をして、どう動くか、考えながら。でも、少ししたらもう、表情が切なそうに、余裕がなくなって、ひたすら快感をむさぼる動きに変わる。さっき予習したことを、実践できるようになるのは、まだまだみたい。でも激しくて元気のいい動きは、それだけで十分気持ちいい。私も、彼が私の好きなところに当たるように、肉芽を彼の腰に押し付けるように、自分で腰を動かしはじめる。
ずちゅ、ぐちゅ、とあそこから音が響く。すべてをさらけ出して交わる二人の、誰にも聞かせられない、二人だけの秘密の協奏曲。
腰を打ち付ける音と、粘液がはじける水音が、小屋に広がる。体の中と外から、熱気に揉まれて、汗が二人の肌の上を流れ、飛び散り、部屋の空気を湿った香りで染めていく。
彼は腰を動かしながら私の胸をつかみ、乳首を軽く吸っている。とくんとくんと奇妙な気持ちよさが、胸の先から私の心臓へ送られてくる。吸われても、出ないけどね、おっぱいなんて。でも、もし君の────
いま何か、考えかけたことに、誰かが蓋をした。それを考えては駄目だ、と。いや、そんな気がしただけで、すぐに忘れたけど。湧き上がった愛おしさだけが心に残って、私は両腕で彼の背中と頭を抱きしめる。
肉と肉の交わりは続く。こすれ合う肉が熱を生み、熱が呼吸をつたって頭にのぼってくる。頭の中に熱がこもって、世界がだんだんぼんやりしはじめる。
彼の体が、いつもより力強く、覆いかぶさってきた。胸から手を離し、両腕で私の両足を抱え上げる。私の体が、背中を丸めてお尻を上げた格好になる。腰が上から股間に打ち込まれ、彼の先端が私の奥に届く。いつもは胸の上にある彼の頭が、今はちょっと近い。
いや、近づいてくる。彼の顔が。
え、ちょっと待って。それは。待ってってば。
彼は止まらない。もう、鼻と鼻が触れ合う距離まで。
しょうがないなあ。私は目を閉じる。彼の体温と吐息を、頬のすぐ上で感じる。
そして。
半開きの唇と唇が、重なる。
一度目は、軽く。二度目は長く、熱く。
ちょっとだけ出してみた舌が、彼の舌に触れて、ぴりっと電気が走る。お互い、反射的にひっこめて、もう一度。ちょんちょんと触れてから、ねっとり押し付ける。ぴりぴり、ちりちり、舌と口がしびれる刺激。喉の奥から、頭の芯へ、伝わって、はじけて、ひろがっていく。
泡立つ水音が、上から降ってくる。彼が私の中を激しくかきまぜている。私の肉が彼にむしゃぶりついている。打ち合わされる腰と股の間から、振動がお腹の中にとんとん降りてきて、背骨の上に溜まって渦を巻く。高鳴る水音と抽送の激しさが、もうすぐ訪れる瞬間を予告する。
彼の腰が大きく跳ね上がる。追いかけて吸い付こうとした私の肉に、一回り太く膨れ上がった杭が、すぐにまた落ちてきてぶつかり合い、こすれ合いながら、深々と突き刺さった。
小さな体が硬直し、ぶるぶる震える。私の中で、どくんどくんと脈打って、力いっぱい搾り出している。熱い精が注ぎこまれる。彼の中から、私の中へ、蜜であふれた穴の底、秘密の場所を目指して。そのねばついた重い液体が、私の大切な部屋の鍵を溶かし、扉を溶かし、なだれこんで部屋の中の何もかも、どろどろに溶かして、ぬりつぶして、しみこんで、同化して、私のおなかの中ぜんぶが、真っ白い彼の溶液でたぷたぷに満たされた袋になる。そんな空想をしてしまうくらいに、彼と触れ合っているすべての場所が熱くて、たまらず私はぎゅーっと彼をしめつける。しめつけるほど、彼の脈動をはっきり感じて、感じるほど、またあそこが強くしまる。まだ脈動は続いている。それを一滴のこらず搾り取ろうとするように、私の痙攣もずっと続いている。
とろけた頭の中に響く、蝉の大合唱。夏の午後はまだ、終わりそうにない。
短い生を、精一杯に鳴きつくそうとしてか、蝉の声はいつまでも森の中に響いている。蒸し暑い小屋の中で、体と汗を燃やしつくした二人は、今はじっとその動きを止めていた。
流石に疲れ果てたか、彼は私の体の上でうつぶせになったまま、乳房に顔を埋めて、ウトウトしている。そんな彼の髪をそっと梳くように撫で、今もつながったままの下腹部の奥に、彼が吐き出したものを意識しながら、思う。
いつまでも、こんなことを続けていてはいけない。
これまで何度も思った言葉。そしてそのたびに忘れた言葉。今までバレなかったんだから、この先もバレないんじゃないか。そんな言い訳をして。
正確には、既に一人にはバレている。あの小道を作った魔法使い。頻繁に同じ道を使っていたら、鉢合わせだってするに決まってるわけで。さいわい話のわかる相手だったから、そっちが黙っているなら私も騒がない、と持ちかけたら、聞き入れてくれたけれど。その時、ふうん、と言ってにやにや笑った彼女の顔は、思い出したくもないが、よく覚えている。
ともあれ、それ以外には、他の天狗たちには、バレていない。今のところは。
もしバレたら、どうなるかな。
里の人間と、それも子供と密通した女。新聞の一面を盛大に飾った後、最も重い処分が待っている。最下級への降格か、山からの追放か。侮蔑と嘲笑の中で雑用として底辺を生きるよりは、いっそ放逐されたほうがマシかも。そんな風にも思うが、けれど過去にも何人かいたはずのそんな野良天狗が、山の外で今も生きているという話は、聞いたことがなかった。天狗は天狗の中でしか生きられないのか。あるいは、権威をかさにきて他の妖怪を見下してきたツケを、その身で払わされるはめになるのか。
いずれにしても、ろくな末路じゃない。わかっているのに。どうしても、この関係をやめられそうにない私。もとからこの手のことに我慢が効かないタチだと自覚してはいた、いたつもりだけど。ああ、ほとほと自分が嫌になる。
それでも、手放したくない。この腕の中にいる小さな他人を。
離れたくない。今も触れ合う肌を通して響きあう鼓動と。
一度、やめようとしたことはある。何も難しいことはない、ただ、この小屋に来るのを私がやめてしまえばいい。それだけで終わる。そう思った。
けれど、すっぽかそうとしたその時、想像してしまった。
小屋の中で私を待つ彼。待っても来ない私を、小屋のすみで待つ彼の姿。いつまでも、来ない私を、膝を抱えて座りこんで、いつまでも待ち続ける彼の姿を、想像してしまった時。胸がぎゅっと苦しくなって、いつのまにか、小屋へ向かう道を駆けていた。だからそれはきっと、もう私には無理なのだ。
やっぱり私は、おかしくなってしまったのだろう。そう思った自分に、ようやく気づいたか、と誰かが呆れたように言う。思えば最初のあの時から何もかも、おかしくなくては到底できないことばかりじゃないか。なんならそれよりずっと前から、おかしな女だったかもしれない。だったら、今のこの想い、それはもう────
唐突に、あの異国の草子の内容が頭の中によみがえってきた。終盤、男が女に改めて詰め寄る場面。
「さんざん、好きにしただろう。この上、いったい私の何が欲しい。……命か? だったらさっさと殺せばいい」
そっぽを向いたまま、吐き捨てる。しかし、返ってきた答えは予想外のものだった。
「全てだ」 「……え?」
思わず、当惑した顔で男の顔を見返し、真剣すぎる表情に、更に戸惑いが重なる。
「身体は好きに出来た。だが、お前は遠ざかっていくばかりだった。……たまに、近くにいるように思えた時もあったが……それも一瞬だ」
伸ばされた男の手が細い顎をひどく繊細につかみ、くいと上向かせる。
「だから……俺はその一瞬が欲しい。永遠に」
滑稽なまでに真っ直ぐな視線と、ささくれ汚れた視線とが絡み合う。
「……傲慢にもほどがある。よもや今に至って、よくもそんな恥知らずな……いや、それは最初からか……」
しばしのせめぎ合いの後、視線を逸らした彼女の口から漏れた言葉は、どこか弱々しかった。
「何とでも言え。実際、その通りだからな。だが、今欲しいのは……知りたいのは、一つだけだ」
顔をそむける彼女の耳に口を近づけ、囁くように言葉を続ける。
「思えば馬鹿みたいな話だ。今の今まで、知らないことすら知らなかった。だから教えてくれ、お前の―――― | ||
「私の、名前は――――」
びくり、と少年が顔を上げる。もちろん独り言だ。会話じゃない。視線は合わせない。同じ独り言を、もう一度ゆっくり繰りかえす。小屋の壁の隙間から、外の景色をうっすら見通しながら。
濃厚な緑に萌えた木々の梢を抜けて、いくつもの光の筋が揺らめいている。光と共に降りそそぐ蝉の声に、私の言葉が溶けていく。
少し間があいて、彼が私の名をおずおずと呼んだ。「さん」付けで。思ったよりも細い、やわらかい声。それで初めて、彼の声を今まで聞いたことがなかったのに気づく。本当に馬鹿みたいな話だった。そして。
「ぼ、僕は――――」
これは彼の独り言。右から左へ聞き流されるべき言葉を、途中で誰かがこっそり横流しする。流れて溶けて、頭の中に混ざる。私の一部になったその名前を、私の口がまた、独り言として紡ぎだす。
蝉の声が景色をうめつくしていく。時間が止まったように流れていく。
果たして、どちらが先だっただろうか。再び相手の名を呼んだのは。
名前と名前が反響しあう。私の中で小さく柔らかくなっていた彼が、また大きく逞しく膨らんでくる。その硬さを感じながら、私もまた熱く彼を抱きしめる。火照った顔を寄せあい、唇を重ねた。今度は間違いなく、私から。
小屋の中に、肌と汗と肉が溶けあう音と、二つの言葉とが満ちていく。高く晴れた空が赤く染まるまで。