桜の花も散り、上枝には鮮やかな葉が生る。
チリチリと肌を焼く様な、だけど何処か優しい暖かさの気温に、空を見上げると曇り無き晴朗が広がっており、真っ白な雲が所々ふわふわと浮かんでいる。
そんな初夏の訪れを感じさせる光景を眺めながら、手にした杯を満たす酒を少しずつ口にするのは引き締まった身体を詰襟の学生服にマント、ブーツ等の衣服で着飾った若い青年。
その男の傍ら、古臭い着物に下駄を履いた壮年の男性は、酒を飲みつつ背の高い木々を見上げる青年を睨み付けたまま動かない。
そして青年は杯の酒を一気に煽ると何処か呆けた声色で男性に語り掛けた。
「いやー、近頃めっきり暑くなっちまったなー?」
「………」
青年の語り掛けに壮年の男性は仏頂面を浮かべたまま答えない。
だが青年はそんな男性を気にもせず、一人ごちる様に話を続ける。
「こうも暑いと…仕事がしにくいの何のって」
空の杯に酒を注ぎながら青年は笑う。
青年の笑い声が気に食わないのか、男性は怒気を含んだ声色で青年に言葉をぶつけた。
「……世間話は止せ…依頼を承諾してくれるのか…くれないのか……どっちだ…」
苛立ちを隠そうともせずに男性は青年を追い立てる。
青年は男性のへの字に歪んだ眉を見て、更に笑いながら一升瓶を勧める。
「そう焦りなさんな。どれ旦那も一献どうだ?一級品の大吟醸だぜ?」
男性は差し出された一升瓶を掴むと、握力のみで一升瓶を粉砕してしまった。
一升瓶の中に残っていた半分以上の酒は地面に滴り落ちると地面に染みを作った。
「…あーーッ!!ちょ、旦那ッ!何て事を…!!」
悲痛な叫びを上げる青年。
旦那と呼ばれる男性はそんな青年の襟元を掴み、引っ張るとドスの利いた声で青年を恫喝する。
「オイ小僧……余り俺を怒らせるな…ッ」
面食らった表情の青年。
しかしその表情は直ぐに笑みに変わった。
「怒らせたら…何?」
「ッ!この…ッ!!」
青年の返事が気に食わなかった男性は、青年の顔面目掛けて拳を振るう。
だが男性の拳が青年の顔面を捉える事は無かった。
「…?」
青年は不思議そうに首を傾げる。
予想していた痛み、衝撃が何時まで待っても襲って来ないからだ。
逆に男性は怒りに震える表情が一変、苦虫を噛み潰した様な厭な表情へと変化していた。
「……嗚呼、済まないねぇ…ダンナ…」
青年が照れ臭そうに笑う。
男性は未だに苦い表情で目の前でおどけて笑う青年を睨み続けていた。
それもそのはず、男性の首筋には薄皮にめり込む懐剣の切っ先が向けられているからだ。
向けているのは目の前の男、そう青年である。
「本当に済まないねぇ、旦那。職業柄どうも反応しちまってよ」
ハハハと豪快に笑いながら懐剣を懐に仕舞う青年。
男性は額から頬へ伝う冷や汗を着流しの袖で拭い、青褪めた表情を隠そうと口許を掌で覆った。
「気を悪くしないでくれよ旦那。今のはちょっとした事故さ」
有無を言わさぬ迫力。
圧倒的な殺意に男性は生唾で喉を鳴らす。
目の前の自分の半生程しか生きていない人間に、男性は本能的な恐怖、死の予感を感じ取っていたのだ。
その笑みに隠しきれていない、まるで大岩を容易く切り裂く程に研ぎ澄まされた刀剣の様に鋭い殺意を。
「……依頼は…受けてくれるのか…?」
目を合わさない様に横を向いたまま訪ねる男性。
その問いに青年は最高の笑顔で答えた。
「妖怪退治が自分の仕事だからな」
で、相手は?と青年が続けると、男性は大きく深呼吸してから言葉を紡いだ。
目の前の相手を怒らせないように、気分を害しない様に慎重に言葉を選ぶ。
「相手は…人間に紛れて生活してる。特別悪い妖怪って訳じゃないんだが…」
「ふんふん、それで?」
「…奴は、無害そうな面をしていながら…凄まじい力を秘めていて…その…」
「………恐い?」
青年の言葉に男性は首を縦に振る。
青年は思っていた、気丈な筈の男性の目には恐怖が宿っている。それも絶大な恐怖が。
「だから頼む、何かが起こる前に…奴を…」
「ん~、しかし妖怪と人間が共存する幻想郷で何もしてない妖怪を退治する、ってのもなぁ…」
青年は歯痒そうな表情で頭を掻く。
そんな青年にすがる様な勢いで男性は頭を下げる。
「た、頼むッ!謝礼は弾むから受けてくれないか!?」
余りの迫力に半ば仕方無く、青年は首を振った。
「嗚呼、解った解った。良いよ、その依頼受けよう」
軽い気持ちで引き受ける青年。
今までもそうだった、自分に掛かれば妖怪の一匹や二匹程度の相手など取るに足らない生物だったから。
何時からかこの世界に迷い込んだ時から続けている稼業、妖怪退治とは何て自分に合った仕事なんだ。
それでいて自分に助けを求める人々は妖怪一匹を切り伏せる度に多大な謝礼を呉れた。
感謝の言葉と共に、謝礼が払えないからと自らの身を差し出す少女さえ居た。
そんな彼が切った妖怪の数は千を越える、その経験があるからこそ、彼は男性の依頼を易々と承諾したのだった。
「で?相手の妖怪の居場所……いや、住処は?」
青年は懐から取り出した紙巻きの煙草を咥え、マッチで火を付けると一気に煙を吸い込む。
青年が肺に入れた煙を吐き出すと同時に男性は質問の答えを口にした。
「妖怪の山の麓だ…」
(ま、そりゃそうだろうな…)
「その妖怪の名前は?」
この依頼を受けた事が青年の今世最大の間違いだと、彼自身が気付くのはそう遠くない未来だった。
「確か……ああ、柊、柊歌留葉だ」
「柊…か…妖怪風情が御大層なお名前な事だ」
青年はハッと笑い捨て、遠方に見える大きな山を睨み付けた。
(待ってろ柊、明日にはお前の首が地面に転がってる筈さ)
「ッくしゅん…!」
「あれ、歌留葉さん風邪ですか?」
「……誰かが俺の噂をしている様ですね」
「歌留葉さんの噂か、例えば?」
「……俺の髪型が可笑しいだとか、表情が怖いとかそんな所でしょうか」
「ふふっ、全然変なんかじゃありませんし怖くも無いですよ♪」
「はぁ、有り難う御座います……あ、楓さん鍋の火加減を見て来て頂けますか?」
「はーい♪」
(嫌な…予感がする、一応警戒しておくか)