十五話 深き業
六月に入り、蒸し暑くなった幻想郷。
そんな幻想郷にも梅雨の概念はあり、先程からハラハラと滴り降る雨が睡蓮の花弁の上で跳ね踊っている。
山の中腹に在る湖畔の水面に浮かぶ睡蓮を、番傘を差した歌留葉が眺めていた。
「…狐の嫁入りか」
空は晴れている。
だが降り頻る小粒の雨は止む気配が無く、森林に囲まれた大きな湖には陽の光が作り出した小さな虹が出来ていた。
そんな幻想的な光景を目の当たりにしながら歌留葉は思う。
(あの化け狐が嫁入りする光景なんて到底思い浮かばないな)
歌留葉は鼻で小さく笑った。
(さて…)
歌留葉は湖を後にしようと踵を返す。
しかし、歩み始めた筈の歌留葉の足が不意に止まる。
(あれは…)
「………」
降り頻る雨の中、傘も差さずに湖の前で座り込む少女が居た。
一体どれくらい前からその場所にいたのであろう?彼女は全身から滴り落ちる程の雨水により濡れ、何をするでもなくただ其処に居た。
「…ハァ…」
見てしまった。
だから見て見ぬ振りは出来ない。
歌留葉は自身の性格にうんざりしながら少女に近付き、冷たい雨粒から少女の身体を大きな番傘で守った。
何てお節介な性格何だろう。
歌留葉は心の中でも鼻で笑った。
「…?」
自身を打つ雨粒が止み、初めて歌留葉の存在に気付いた少女は首だけを歌留葉に向け、上目遣いで歌留葉を見上げた。
「…大丈夫ですか?」
大丈夫じゃない事は一目見た時から気付いていた。
だけど歌留葉は訊く。取り敢えず訊く。
「………」
少女は首を縦に振った。
そして再び水面に目を遣る。
歌留葉は再び溜め息を吐き出す、しかし例え面倒事だとしても自分から首を突っ込んだ以上、歌留葉は少女の問題を解決してやるつもりだった。
だから歌留葉は取り敢えず少女を観察する。
背中には綺麗な羽、年端もいかぬ齢の成りだ、少女は妖精の一種と見て間違いないだろう。
(余計な詮索は反って逆効果だな)
若しも踏み込まれたく無い様な事情があったとしたら、他人に土足で踏み込まれた方が余計に心を閉ざしたくなる。
歌留葉自身も経験があった。
「…失礼」
「………」
だから歌留葉は彼女の隣に腰掛けた。
何も言わず、何もせず、ただ彼女に傘を差してやりながら隣に座って一緒に睡蓮を眺めた。
サァサァと雨が降る音だけが谺する。
時折吹く風と、雨粒の重みによりしなる枝の音は雨が強くなり始めているのを示唆していた。
段々と空が曇り始めるのを見た歌留葉は、本格的に降り始める前に少女を何とかしようと考える。
「…あの、ね……」
「…………」
少女が語り始める。
だが歌留葉は何も言わなかった。
「私の…家族がいるの」
「………」
「…ううん、違う…私には家族がいて……」
「………」
「違う…そうじゃなくて……私の家族が…私の家族はもう……違う…そうじゃ……っ…なく…て…」
少女は必死に言葉を紡ぐ。
だが少女の大きな瞳から溢れ落ちる涙がそれを邪魔した。
歌留葉は静かに呟く。
「……ゆっくりで良いですから」
その言葉に少しだけ落ち着きを取り戻したのか、少女は手の甲で涙を拭うとゆっくり語り始めた。
「……私の家族が…この中に沈んでるんです…」
「…家族が?」
歌留葉の問いに少女はコクリと頷く。
そしてこう続けた。
「五年くらい前に…この森で人間の子を拾ったんです…多分捨て子立ったんでしょう、真っ暗な森の中でずーっと泣いていて……」
「……」
「それで…友達もいない私は…あの子を見ているとまるで自分を見ている様で、それで気が付いたら……もう…」
再び少女の瞳から涙が溢れる。
「慎ましくても…二人で生きていられれば良かったんです…!必要以上の幸せは望んでなんか無いのに…」
「…さっき、二人で…森をあるいてたら……いきなり…いきなり…妖怪が…私のお腹をぐちゃって…!あの娘もぐちゃって!」
「…っ…確かに私は…不死身です…!でも…でも…彼女は…普通の……に…んげ…んっ…だから…っ!気が付いたら…っ……誰もいな…くて……!」
泣き崩れる少女。
歌留葉は少女に傘を差したまま鼻を利かせてみると、確かにまだ新しい血の匂いがした。
「……その娘の亡骸は…?」
「グスッ…多分……湖の…底に……だから…待ってるんです…あの娘が浮かんでくるのを……」
恐らく…人間の少女は浮かんで来ないだろう。
妖怪の類いが貴重な食糧である屍を棄てるとは考え難い、人間の少女は既に全て食べ尽くされ骨の一欠片さえ残ってはいないだろう。
だけど彼女は受け入れられないのだ。
煙の様に、忽然と姿を消した少女を、今の現状を。
……もう彼女は駄目だ、彼女は壊れてしまったのだ。
嗚呼、可哀想に。
「……傘、差し上げます」
妖精の少女は何も言わない。
「…少しだけ、お待ちください」
それだけを言い残し、歌留葉は今度こそ踵を返した。
醜悪に、異様に膨れた餓鬼の様な腹を揺らしながら獣道を歩く妖怪が居た。
満足そうに卑下た笑いを浮かべながら妖怪は寝床へと辿り着く。
全身に付着した返り血を溜めた雨水で洗い流し、腰にぶら下げた人間の足を掴むとそのまま口へと運んだ。
真っ白で細い、少女の太股に大口でかぶり付き、柔らかな肉を噛み千切る。
口一杯の肉を咀嚼すれば妖怪の口元からは鮮血が溢れた。
口内の肉をゴクリと飲み込むと、妖怪は再び太股にかぶり付く。
咀嚼し、飲み込めば妖怪の気分は更に昂り、恍惚とした表情を浮かべながら今度はズルズルと骨髄を吸い上げる。
一心不乱に少女の肉を喰らい尽くし、骨さえも噛み砕き胃袋に収めると妖怪は草木を敷き詰めた地面に寝転がった。
「ふぅ~…やっぱ喰うならガキだな」
自らの腕を枕代わりにし、妖怪は空を見上げる。
曇天と降り頻る雨を見ると、満腹による眠気で目を閉じ妖怪は欠伸を漏らした。
ん?
あれ?
何だ?
この
殺気は
「御機嫌よう」
誰だお前
誰だよ
やめろ
やめてくれ
ヤメ…
ア、アア…………ア、ガ……
イヤダ
タスケテクレ