頭が痛い、身体が怠い、関節が痛い。
鼻が詰まって息がし難い、それなのに鼻水は止めどなく溢れてくるので、仕方無く鼻をかむ。
そうしたら今度は鼻がヒリヒリと痛み始めてる。
それが何だかもどかしくて…苛々する。
身体は暑い筈なのに何故か寒気がするし、だからと言って毛布に包ると暑い、暑くて仕方無い。
当たり前だ、今は七月。恐らく外気は三十度を越えている。真夏日だ。そうだ、これは夏風邪と云う奴だ。
汗で前髪が額に張り付いて気持ち悪い。背から滲み出る汗が着流しを濡らして気持ち悪い。何よりこんなに情けない姿を楓に見られるのが嫌だ。
嗚呼、喉も痛い。何故だ。何故、妖怪の俺が風邪を……まぁ、俺では菌には勝てないと言う事なのだろう。素直に敗けを認めよう。それよりも困った。部屋から出られない。
今の時刻は恐らく午前六時前、自室から居間まで這って行く力も無い。
楓が起きて来るのは確か七時過ぎ、どうにか七時迄に風邪を治したい。
こんな事なら昨日、傘をやるんじゃ無かった………。否、そもそも博麗霊夢の所に行くのが間違いだったんだ。あの貧乏巫女め、何の用かと思えば箪笥を組み立てろとは、俺は召し使いか?あの難儀な性格を正せば少しは可愛らしくもなるだろうに。
嗚呼、それと博麗の神社に住んでる鬼。彼奴にも困った物だ。
まさか俺が持ち寄った酒を一瞬で平らげ、剰え、俺に酒を買いに行かせるとは…。彼奴も性格を改めた方が良いな。
違う、違うだろう俺。何を考えているんだ。今は昨日の二人に腹を立てている場合では無いだろう。
今する事はどうやって居間で行き、尚且つ熱を下げるかを考える事だ。取り敢えず立ち上がらなければ何も始まらない。少しだけ頑張ってみよう。
何時もより少しだけ早く目が覚めて、何だか気分が良いから朝ご飯はちょっとだけ豪華に作ろうかな。
もしかしたら歌留葉さんはまだ寝てるかもしれない、起きた時にご飯が出来ていたら歌留葉さん、きっと喜ぶだろうな……
よし!お料理はあんまり得意じゃないけど、褒められる為に頑張ろう!
先ずはお布団を畳んで……ん?
何だろう、今何かが倒れた様な、何かを落とした様な音がした。
まさか歌留葉さん、もう起きてるのかな……だとしたら何を……?
あ、そういえば昨日から何だか調子が悪そうだった。
取り敢えず…見に行こうかな…。
「あの…歌留葉さん。大丈夫ですか…?」
楓の部屋から居間を挟んだ所に、歌留葉の部屋は在った。先程聞こえた大きな物音を不穏に思った楓は、歌留葉の無事を確かめるべく歌留葉の部屋の襖を静かに叩く。
「……歌留葉さん?」
聞こえなかったのか?そう考えた楓は先程よりも少しだけ強く襖を叩いた。
だが結果は同じ。歌留葉からの返事は無く、楓の心境は慌ただしい物へと変化してゆく。
「歌留葉さん、入りますよ…?」
やがて痺れを切らした楓は、歌留葉の許可無く、襖に手を伸ばす。後で叱られるかも知れない…。楓は真剣な面持ちで襖を開く、其処で見た物はーー
「ウップ……」
「か、歌留葉さーん!!」
ーー顔を真っ青にした歌留葉が目を回して倒れていた。
「歌留葉さん!しっかりしてくださいッ!」
楓は歌留葉の肩を抱き、歌留葉の頭自らのを膝に乗せる。歌留葉は若干白目を剥き、顔を真っ青から真っ赤に変色させた。
「歌留葉さん…凄く熱い…」
歌留葉の頬に触れた楓が呟く。確かに歌留葉の身体は人間の風邪とは比べ物にならない程、熱くなっていた。その異常性に危機を感じた楓は朝食作りを中止して、歌留葉の看病に一日を費やす事を決めた。
「と、取り敢えず氷嚢…!」
楓は自分の使っていた氷嚢の事を思い出し、それを使おうと考える。
「で、でも歌留葉さんを先にお布団に寝かせなきゃ!」
現在、歌留葉は部屋の隅に転がっている状況。例え歌留葉の身体が痩せ細っていて軽くても、楓の細腕で抱え上げられる筈が無かった。
「……どうしよう」
自分の不甲斐なさに、自然と涙が溢れる。
役に立たず、歌留葉に対して何時も迷惑ばかり掛ける自分に自己嫌悪に陥りながらも、楓は何か出来ないかと考え続けていた。
「…運ぶのは無理だから…掛け布団を掛けよう…」
歌留葉の身体に布団を掛ける。
「つ、次は氷嚢…」
冷たい水は、庭に引いてある井戸からしか汲めない。
普段、水汲みは歌留葉が勝手にやっているので、楓はしない。
過去に一度だけ試した事があるが井戸に引き込まれそうになってから、歌留葉に禁止されていたからだ。
「やるしかない…!」
だが楓の意思は固い。楓は庭へと向かう。
「……腕痛い…」
井戸に落ちそうになりながら、何とか水汲みを果たし、氷嚢を歌留葉の額に乗せた楓。
汲んできた水で粥を炊き、その粥が入った小さな土鍋を歌留葉の枕元に奥と、楓は歌留葉の身体を優しく揺さぶる。
「歌留葉さん、少しだけでも良いので食べてください」
そう言って土鍋から小皿に移された粥は、身体に良いとされる野草や薬草が入っていて、緑の葉が美しい美味しそうな粥だった。異臭に限り無く近い悪臭を除けば。
(失敗……したかな…?)
楓の額から一筋の汗が流れる。
気持ちを切り替えた楓は、歌留葉を見る。
寝苦しいのか、険しい表情を浮かべ、大量の汗をかきながら不規則で浅い呼吸を繰り返していた。
汗で額に張り付いた前髪を掻き分け、元々体温の低い楓は、自らの掌を歌留葉の額に乗せる。
ひんやりとした、心地好い感覚が歌留葉の意識をゆっくりと覚醒させた。
「…楓さん…?」
普段の歌留葉からは考えられない様な、弱々しい姿。
一番見られたく無かった姿を、一番見られたく無い相手に見られた歌留葉は、頬を更に紅潮させた。
そんな歌留葉が、楓には愛しく想えて仕方無かった。
「歌留葉さん、ほらこれ…食べさせてあげますから」
「…凄い臭いですけど…コレ…大丈夫ですか…?」
「…多分…」
「多分…ですか……」
「か、身体には良いですよ!きっと…」
その言葉を聞いた歌留葉は、少しだけ笑みを浮かべ、その後で小さな口を開く。楓は何時に無く素直な歌留葉に若干の戸惑いを見せながらも粥を歌留葉の口許へ運ぶが、不意に聞こえた戸を叩く音に手を止めた。
「……誰でしょう?」
「…俺が出ます、楓さんは此処に…」
そう言って立ち上がろうとする歌留葉を、身体に抱き着くような形で楓は止めた。
「ダメです、動かないでください」
間近に迫る楓の顔。歌留葉は熱が更に上がった気がした。
「御届け物でーす」
「はーい!」
戸の外に居るのはどうやら宅配人の様だ。
楓は反射的に返事を返してしまい、咄嗟に口許を掌で被い赤面する。
「…荷物を受けとるだけですから、ね?」
楓の真っ直ぐな瞳と、密着させた身体は歌留葉の首を縦に振らせるのに効果抜群だったようだ。
「…では、御願いします」
その言葉を聞いた楓は歌留葉の身体を解放すると玄関へと向かった。歌留葉は自身の体温が三度は上がっただろうと感じながら再び瞳を閉じた。
「御届け物でーす」
「はいはい、今出ますよー」
鍵を開け、戸を引く。
楓の目の前には学生服を身に纏った長身の青年が立っていた。
その姿はとても宅配人には見えない。
「……あの…?」
困惑した楓が目の前の青年に語り掛ける。その姿を見た青年は逆に楓に問い掛けた。
「…柊さんの御宅ですよね?貴女が柊歌留葉さん?」
そう言った青年の腰には一本の刀がぶら下げられていた。それを見てしまった楓は声が出ず、否定の言葉を口に出来ないでいる。
「沈黙は肯定として取れ、これ自分の師匠の言葉。まぁその師匠も自分がぶっ殺しちまって居やしねぇんだがな」
そう言って目の前の青年は刀を鞘から抜く、その姿に楓は未だ声を出せないままだ。
恐怖、気付くと楓は半歩後ろに下がっていた。
「ふん、妖怪の癖に別嬪さんだねぇ。嗚呼、妖怪なのが勿体無いぜ」
青年が刀を振り上げる。
漸く死が迫る感覚を理解した楓の喉が、声を上げる事を許可した。
「い、いや……っ…!」
「汚ねぇ悲鳴は聞きたかねぇぞ…?お嬢ちゃん…」
楓の頭目掛けて一直線に振り降ろされた刃、それは楓の頭だけで無く、身体ごと真っ二つに出来る程の切れ味を持っていた。だがその刃が楓の頭に届く事は無かった。
「………っ…」
代わりに真っ二つにされたのは歌留葉の指。刃を掴んで止めようとした歌留葉の薬指と小指が地面に転がる結果となった。
「…楓さん……怪我、ありませんか?」
安心させようと、無理矢理作った笑顔。フラフラとした立っているのさえやっとの状態の歌留葉の姿は、余りにも痛々しくて…
「……いや……いや…歌留葉…さん……」
その姿に楓がショックを受けるのは必然だった。
「何だ、お兄さんが柊か。妖怪の癖に…女の為に指捨てるたぁ……格好良いねぇ」
歌留葉の血が付着した刀を、まるで遊ぶようにクルクルと回しながら、青年が言った。
「…少しお痛が過ぎましたね…」
楓の震える肩を、無傷な左手で抱き、歌留葉は告げる。
「熱で頭が少し可笑しくて……加減が出来無いかも知れませんが…御了承ください」
その笑顔に、青年の背筋が凍り付いた。