彼女を雪の中から救い出してから丸1日が経った。
彼女は布団の中で震え続けている。
どうやら風邪を引いているらしい、妖怪である俺には無縁な病気故に、その辛さが俺には解らない。
「…氷、代えますね」
彼女の額に乗せられた氷嚢の氷を代えようと手を伸ばす。
だが伸ばした手は、彼女の手によって掴まれて止められた。
「…大丈夫ですか?」
「……済みません、水を、頂けませんか…」
「解りました、暫しお待ちください」
どうやら彼女は喉が渇いているらしい。
俺は彼女の手を優しく解き、飲み水を汲む為に裏庭にある井戸へ向かう。
薄い着物姿の俺に、外の朔風が身に染みる。
嗚呼、寒い…
「…んっしょ、んっ…しょ」
手押し式のポンプを必死に押し、硝子瓶に冷たい井戸水を入れる。
この井戸の水は水質が良く、夏場でも良く冷えていて美味しい。
「よし…寒い寒い…」
瓶一杯に水を汲み、急いで部屋に戻る。
口から吐き出された白い吐息は、空中に浮かぶもすぐに熔けいる。
「どうぞ、水です」
硝子瓶の水を湯飲みに移し、弱々しく体を起こす彼女に手渡す。
彼女は湯飲みを両手で掴むと小さく礼を呟き、水を飲み始めた。
「んん…っ、コクッ…コクッ……」
喉を鳴らしながら水を飲むのを見ると、彼女がどれだけの時間遭難していたか判る。
大方、二日か、もしかすると三日かそれくらいだろう。
「ぷは……ん、ありがとう…ございます」
「…別に、思ったより大丈夫そうで何よりです」
改めて彼女を見ると、その姿が美しいのが判る。
雪の様に白い肌、吸い込まれる様に透き通った瞳、絹の様に滑らかな長い黒髪に、朱に染まった頬。
あまり人と関わらない俺でさえ一目見ると判った、彼女は酷く美しい。
「…どうしてあんな所に?」
俺が質問すると、彼女は押し黙って俯いてしまう。
そんなに可笑しな質問だっただろうか…?
「あの…大丈夫ですか?」
「分からないんです」
「…分からない?」
「私、気が付いたらあの山にいて…とても寒くて…それで」
嗚呼、やっと気付いた。
彼女も着物を着ている物だから気が付かなかったんだ。
彼女は「外来人」なんだ。
「そうですか、兎に角…少しの間なら居て頂いて構いません」
「ほ、本当…ですか?」
「ええ、ですが快復したら出て行って下さい」
「モチロン、です…本当にありがとうございます…」
「…別に…」
お礼を言われ慣れてないから照れる、何て口が裂けても言えないな。
嗚呼、落ち着かない、やっぱり一人が一番良い。
「…ご飯の用意します、食べれますか?」
「あ、私は良いです…」キュー…
「…作りますね?」
「…本当の本当に済みません…///」
中々自己主張の激しい人だ…
うん、今日採ってきた山菜を天ぷらにしようか。
「ご馳走さまでした」
「御粗末様でした」
昨日採ってきた山菜は結局一日で無くなった。
俺一人だったら二日、いや三日は持っただろうに。
「料理、お上手なんですね」
可愛らしい笑みを浮かべながら、彼女は満足気にしている。
まぁ満足して貰えて良かった、これで不味かったら格好が付かないからな。
「…どうも」
「…あの、どうかされました?」
「…何でもありません、他人と関わるのに慣れてないだけです」
「…あの、お名前は…?あ、私は……何だったかな…あ、あれ…?」
「…名前も判らないんですか?」
「な、何で…?私は…一体誰なの…?」
これは困った。
どうやら此方の世界に来る時に全ての記憶を無くしてしまってるらしい。
名前すらも判らないとなると元の世界に帰ったとしても為す術無しじゃないか。
「…解りました、明日お医者様の所に行きましょう、だから今日は寝てください。油が勿体無いので」
「……はい、何から何まで本当にありがとうございます」
「聞き飽きましたから、もう言わなくて大丈夫ですよ、ではお休みなさい…良い夢を」
「お休みなさい…」
俺は油に灯った火を、フッと吹き消す。
嗚呼、明日は永遠亭に行かないと。