昔は良かった。
何て爺臭い言葉を使う事になる日が来るとは、思いも依らなかった。
だけど、現に昔は良かったと思う。
俺はそれなりに永く生きて来たけど、昔の方が良かった。
では今と昔、違うのは何だ?
何が違うのか…そう、答えは人だ。
今の人間は、自分達が世の中の理だと思い込んでいる。
人間が一番優れた種族だと、そう思っている。
ハッキリ言うと、ただの馬鹿だ。
自分達が全てを創り上げて来たと、世界は自分達の為の物だと。
そんな物は、ただの思い上がりだ。
昔の人間は、もっと純粋だった筈だ…
ーー12月29日、歌留葉の家ーー
行き倒れていた彼女を救ってから、早くも一週間が経とうとしていた。
最初は快復したら直ぐに出て行く約束だったのだが、ズルズルと先延ばされて一週間だ。
普段の倍の料理を用意したり、倍の量の水を汲むのは些か骨が折れる。
まぁ、彼女も助けてくれてはいるが…
「そろそろ今年も終わりですね~…」
「…そうですね」
「今年は良いことありましたか?」
「特に無かったです」
「…私はありましたよ」
「へぇ、良かったですね、記憶喪失になったのがそんなに良い事何ですか」
「…歌留葉さんって、そういう事言うから友達出来ないんですよ!」ムスッ
「余計なお世話です……あ、楓さん、そのお皿取ってください」
「むー…これですか?はいどうぞ」
「ありがとうございます」
彼女、改め「楓」は料理中でも構わずお喋りだ。
因みに楓と云う名は、ずっと君や貴女と呼ばれるのが嫌だと言う彼女が自分自身に付けた名前だ。
「出来ました!どうですか?」
「……見た目は…鮮やかで良いですね、合格です」
「やった!」
俺は楓に料理を教えている、前に俺が作ったのを食べて気に入ったのか、楓が作りたいと言って聞かない「ミズコブのおひたし」だ。
正直料理とも呼べない様な物だが、それでも彼女はこれが好きらしい、案外物好きだ。
お陰でミズコブが無くなったのは言うまでも無い。
「此方も出来ました、じゃあご飯にしましょうか」
「はい!」
「ではこれを運んで……ん?これは…」
普段は全く意味の無い玄関の手紙入れに、手紙が一通だけ入っていた。
今の時期と封筒の柄から、差出人の察しは付くが…
「済みません、これ運んでいてください」
「分かりました」
楓に料理を運ばせ、俺は手紙を手に取る。
紫掛かった封筒に、黒い筆で書かれたであろう文字。
「……八雲か…面倒臭いな…ハァ、忘年会…明日?幾ら何でも急過ぎるだろ…」
しかも、各々で酒を持参…か。
今から里に出て買いに行かないと。
「嗚呼…本当に面倒臭い、だけど八雲の直々の誘いだ…断る訳にはいか無い」
今は…午後九時か、探せば開いてる店もあるだろう。
「済みません、少し外せない用が出来たので先にご飯食べててください」
「え…えぇ、分かりました」
「先にお風呂入って寝てても良いので、じゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい…!ませ…」
楓が、まるで犬の様に俺を送り出す。
俺は防寒着を着てから楓に微笑み掛けると、ちらほらと雪が降る外に歩み出た。
ーー人里、午後9時42分ーー
この時間帯は、絶対にこの場所に来ないと決めていた。
だがどうしても外せない用がある時は、この場所に来るしかない。
何故この場所に来ないのかと言うと、アレが原因だ。
「お兄さぁん…私を買って~…?」
「夢、見させてあげるよ?」
「ほら、体が疼いて堪らないの…お兄さんの体で鎮めておくれよ…」
若い女、果ては少女までもが自らの春を安く売る。
十代前半であろう少女を、僧侶らしき男が手を引き、連れ歩く様を見ると、やはり人間は愚かで醜い生き物だと改めて実感した。
そんな生き物達を冷ややかな目で流していると、俺の目の前に一人の女が立ち止まった。
「お兄さん、カッコいいね…どう?私と…」
俺に擦り寄り、豊満な胸を押し当てて、まるで盛りの付いた猫の様な声を出す女。
何故こんな女と情事に及ばなければならないのか?
一種の拷問では無いか?
「間に合ってます、離れて下さい」
「連れない事言わないでさぁ…ね?良いでしょ…?」
俺の手を取り、はち切れそうな尻に持って行く女。
こんな脂肪の塊に欲情する男が居るのが信じられない。
「止めてください」
「……ねぇ、お願い…」
俺の耳元に口を近付け、女が小さく囁いた瞬間、俺の中の何かが壊れた。
「良い加減にしろ」
「えっ…」
「…あんまりしつこいと…本当に殺すぞ?」
「えっ、あ……い、いや…」
女の細い首に手を掛ける。
そして女の首に回した掌に少しだけ力を込めてみると、ギリギリと締め付ける感覚が確かに俺に伝わって来た。
「……あ…っ…かは…っ…!」
「ベラベラベラベラと口五月蝿く騒ぎやがって…男のモノを何本も咥えた口で話掛けるな。耳が腐ってしまうだろ?」
「あぁ…はっ……が…はぁ…ひ…!」
女は口を大きく開き、だらしなく舌を出す。
塞がれた気道から必死に息を吸い込もうと足掻く様は、何とも愉快だ。
そのまま首を絞め続けていると、女は失禁した。
「…汚いな…ハァ、もう良い、熱くなり過ぎた」
「っ!ゲホッ!ケホッ!ケホッ!…ハァ、ハァ…うぅ…」
手を離した途端、女は糸が切れた人形の様に崩れ落ちた。
紫色になった首を押さえながら何度も何度も咳き込む。
そして怯えと怒り、不安が入り交じった涙を浮かべた瞳で俺を見上げる。
「…この時間に開いてる酒屋は?」
「…え、は、はい…えっと」
「喋るな、酒屋のある方角を指で指せ」
俺がそう言うと女は、右側の灯りが点いた店を指指した。
どうやら彼処が酒屋らしい。
「そうか…否、そうですか、ありがとうございます」
俺は深々と頭を下げてお礼を言ってから、酒屋に向かう。
女は異形を見る様な目で俺の背中を見送っていた。
「…嗚呼、少し奮発するか」
何故か俺の心は晴れやかだった。