薄暗くて、身を切る様な寒さが支配する部屋に、射命丸 文は両手両足を縛られたまま放置されていた。
窓が無く、家具なども一切無い、陽の光さえも入らぬ無骨な薄暗い室内を照らすのは、天井からぶら下がる二個の電球だけである。
実はこの部屋、歌留葉が以前に棲んでいた部屋で、妖怪の山から少し離れた所にある洞窟に、歌留葉自身が手を加えて出来た部屋なのだ。
今は特に用途が無く、無人の空き家と化していたのだが…
「…お早う御座います、射命丸さん」
「……柊さん…あの、此処は…?」
「俺の想い出の場所、そして貴女の墓場です」
こんな風に役立つとは、思いもしなかった。
俺が今住んでいる家にも地下室があるが、彼女がいるからなぁ…
取り敢えず、完璧に目を覚まして貰おう。
「…あ、あはは…冗談キツいですよ…?」
「俺は…嘘が嫌いです」
ーードバッ…バシャーンッ
俺は手にしたバケツを、天狗に向けてひっくり返す。
中身はただの冷水だが、気温が気温なだけに中々ツラい筈だ。
「ひぅっ!?う…ぅ!さ、寒…い…!」
全身を冷水で濡らした天狗は、白い吐息を吐きながらガタガタガタガタと震える。
そりゃただでさえ薄いブラウスに短いスカート何だ、寒いに決まってる。
「…射命丸さん、実は貴女に頼みがあります」
「ふぅ…ふぅ…な、何で…しょう?わ、私に出来る事なら…何なりとお申し付けください…ぃ…」
寒さのせいで、ガチガチと歯を鳴らす天狗の前に、俺は座る。
目の前の天狗は両手両足を太い針金で幾重にも縛られていて、先程から意味もなく背中の目障りな羽をパタパタパタパタと動かしていた。
「俺は今まで、両手の指で数えられる所かただの一人も人間を殺した事がありません」
「……そう、ですか…」
「ええ、所で貴女の姿は妖怪でありながら、人間に似ていますね」
「…そう、です…ね…」
文の表情がどんどん青褪めていく。
「巷で聴いたのですが…人間の肉と云うのは、それはそれは美味な物だとか」
「……………」
そんな事も気にせず、歌留葉は口を開き、言葉を紡ぎ続けた。
「俺は…殺生を好みません。現に夥しい数の年月を生きていますが、私が畜生の肉を食んだのは数える程」
「……………」
「ですがね、妖怪の貴女ならお分かりになるでしょう。私にも有るのですよ…殺人衝動が」
「……あ、あの…」
「それに加え、食人衝動も有ります」
「ひ、柊さん…っ」
「ですが人間を喰らうのは俺の道徳に反する。まぁ妖怪風情が道徳だとかちゃんちゃら可笑しいですが」
「ひ、柊さん、聞いてくだ…」
「射命丸さん!俺は殺生を好まない…」
「ひっ!!…は、はい…それは聞きました…」
「…ですが、相手が妖怪なら話は別なんですよ、射命丸さん」
「え…」
「俺は…今から貴女を殺します。勿論すぐには殺しません。ゆっくりと時間を掛けて殺します。先ずはそうですね、俺は人間の身体の構造を良く理解していないので貴女を使って勉強します。貴女の姿は人間に良く似ていますからね。そして貴女をバラバラにしてからその死骸を喰らう事にしましょう。実は俺、肉は焼くより生で食べる派なんですよ。数百年振りの肉で気分が高まってきました、堪能させて頂きます。ああそうだ、貴女はどうやって調理されたいですか?一応聞いておいてあげます。でもあまり大掛かりなのは勘弁してください、折角の肉の鮮度を落としたくないので。取り敢えずどの部位から喰らいましょうか?二の腕?脹ら脛?臀部?やはり内臓がいいでしょうか?知ってますか、内臓ってホルモンと呼ばれてて人間の間では人気があるんです。俺も大好きなんですよ。貴女の内臓をぐちゃぐちゃに咀嚼して飲み込むのが今から楽しみです。あ、そうだ、その前にキチンと殺さないと。どうやって殺そうかな、まぁとにかく簡単には殺しませんよ、さてそろそろ始めましょうか。俺、お腹減ってきましたし」
真顔のままで、歌留葉は止めどなく言葉を吐き出す。
全ての言葉を吐き出した頃、文の表情は恐怖と驚愕、そして絶望に染まっていた。
「……あ、ああ……いや…いやああああああ!!?助けてっ!!助けてぇぇぇ!!!」
自身の手首と足首に食い込む針金も気にせず、私は激しく叫んだ。
この男は本気だ、本気で私を喰らうつもりだ…
逃げないと…やはり口八丁が通じる相手じゃない!
「…誰も来ませんよ?周りに誰も居ませんし…それより、先程から鬱陶しいこの羽。邪魔ですね」
陶器の様に白い歌留葉の指が、闇を纏わせた様に黒い羽に触れる。
文は恐怖から小さく声を漏らし、紫色に変色した唇からは歯と歯がぶつかり合う音が響く。
「…さ、触らない…で…」
まるで猛獣に狙われた小動物が如く身体を震わせる文。そんな文の言葉を無視して、歌留葉は羽の根元を掴む。
「いや…っ…やめて…!!」
羽を掴む手に、力が籠る。
「痛い…いたい!!やめて!いたいッ!!!」
骨が折れる様な、不穏な音が聴こえ始めた頃、文の抵抗は更に激しさを増した。
だが、そんな抵抗も気にせず、歌留葉は文の羽を引っ張り続ける。
「やだやだやだやだ!!やめてぇぇ!!!」
ーーメリメリメリ…ゴリッ…ブチンッ!
「……い…っ…あああっ…ああああああッ!!??」
「案外すんなり千切れる物ですね。しかしこれで空を飛んでいたとは…不思議だ」
文の背中には穴が開き、傷口からは白い骨が垣間見え、真っ赤な鮮血が溢れ出して行く。
同じく、歌留葉が手にしている黒い羽からも血が流れ落ち、地面を紅く染める。
「…さて、片方も」
「もういやぁっ!!ごめんなさいごめんなさい!!」
大きく見開いた瞳から涙を流しながら、文は必死に懇願する。歌留葉はそんな文の頬に手を当て、怯えきった表情の文にこう告げた。
「なら、一つ賭けをしましょう。もし貴女が勝てば…貴女を解放します」