部屋から出れば日中に熱せられたままの熱帯夜であるが、室内は一見古めかしい様式に反して快適な、むしろ少し肌寒いくらいの気温が保たれている。二つ並べられた、普通のものより二回りは大きな布団には、それぞれ黒と栃色の髪をした大男がいた。
「ひのもと」
もう灯を消そうか、と日本号がリモコンに手を伸ばした、丁度その時だった。榛色の眼は瞑ったまま、栃色の頭がもう一振りの肩に寄る。
「ん、どうした」
ぎゅ、と抱きつく。こどものような仕草とは裏腹に、開かれたその眼にはあからさまな欲が浮かんでいた。
「抱きたい」
「……」
沈黙と、瞬きが一つ。予想外の台詞に日本号がまともな反応を返せなかったのを、御手杵は迷いと受け取った。
「だめか?」
「いや、それは構わねえん、だが」
元より、日本号が抱く側に回っていたのは初めの一回がそうだったのを引きずっていたからで、衆道のように上下をつける関係でもない。だが、日本号はその「初めの一回」が、一夜では終われなかったのをよく覚えている。
「前準備とか、いるだろう」
なにせそこは本来ものを入れる場所ではなく、日本号も御手杵も槍であったので、人が交わる時に何を必要とするのか全くと言っていいほど知らなかった。それで、まあ、仔細は略すがそれはそれは酷いことになった。その夜から本丸の中では一年と経っていない。それを持ち出されると、御手杵の方も困った。
「あっ。あー、うん。いるな。ないとどっちもきついもんな」
「今、だよなあ」
「うん」
そのうち、というだけなら問題はないが、色の乗った目を見れば御手杵が「その気」になってしまっているのは間違いない。まあ突っ込まなくてもやりようは、と御手杵が言いかけたところで、日本号が何やら思いついたと布団から抜けた。
「んー、ちょっと待ってな」
尽きぬ酒を杯に注いで、なにやら二言三言呟くと一息に煽る。そこまではいつものことだった。なにかを口にするというのは、わかりやすく変化の切欠になる。それが酒であったのは、彼が「日本号」だからだろう。
六尺半の巨躯が縮んでいく。方々へ跳ねて遊ぶ黒髪も、紫色の瞳もそれを彩る長い睫毛もそのままに、しかしシルエットは丸みを帯びて、背丈は先より五、六寸も小さい。そしてなにより藤巴の染め抜かれた浴衣の向こうに、見間違いでは到底済ませない、胸元の膨らみ。
「ほれ、これでどうだ」
声も、御手杵の知るものより高い。そこにいるものは、紛れもなく女の形をしていた。
「……」
思いもよらない解決法に、御手杵はただ目を丸くするばかり。驚きで声も出ないのを否定と捉えたか、日本号が慌てて言う。
「あー、駄目そうならなにか別に、」
「いや、いい。すげーいい」
食い気味に被せてきた東の槍がどうにも必死そうで、思わず笑いが溢れる。細められた紫紺の瞳、その中でなにかがきらきらと煌めくのがあんまり綺麗で、これを他のなにものも見たことがなければいいと、御手杵は思った。
「応。ありがとよ」
掛け布団は傍に避け、二つぴったりと並べられた敷布団の上で、御手杵が再び髪を括った女へ手を伸ばす。滑らかな肌の向こうが、つい十分前と全く違っていて、反射的に手を引いた。
何してんだよ、と笑って胸元に倒れ込む黒髪を慌てて抱きとめれば、その体が身長の変化以上に軽いことに気がついた。
一片のしみもくすみもない肌は、男の時よりもずっと白い。黒い髪と、柔らかな色の紫瞳と、何も塗っていないのに紅でも乗せたような唇とが、僅かな灯りの中で浮き上がるようで。それを人はきっと、人外の美であると言う。
「あんた、きれいだなあ」
「当然だろ、オレを何だと思ってんだ」
日ノ本一の槍、日本号。最も美しい鋼の一つ。それがこうして戦うためでなく人の姿を取ったのなら、それが美しいのはなるほど当然の話だった。
「そりゃそうか」
日本号がぽいと自分の下着を放り投げたのは別段先への期待などではなく、単純にこの体でいつまでも男物の下着をつけているのもどうなのかと思ったからだった。だがそれはそれとして、元々体が縮んだことで緩くなっていた鳩羽色の浴衣は、それで完全に脱げてしまった。
「あ、居るんだ、龍」
本性たる大身槍のように、顕現した日本号のひとがたにも龍の刺青があった。左の膝裏の尾から、螺旋を二回り描いて背中、肋骨の真下まで。男の脚に居たそれと、おそらくは同じ大きさの龍が彼女の左脚の、脛の中程まで尾を伸ばして住んでいる。その鱗の
「消えるもんでもねえだろ」
この身も、確かに「日本号」であるのだから。瞳に煌めく螺鈿のように、むしろ普段の姿よりも本性を映していると言えるかもしれなかった。
女の体は、それが日本号なのだと信じがたいくらいに、どこも柔らかかった。腕にも、脚にも、腹にも、柔らかな脂肪が触れてわかるくらいについていた。それまでとの落差もあって、御手杵には彼女が鋼の槍ではなく、薄い玻璃のグラスであるかのような錯覚があった。抱き寄せただけで、砕けてしまうような気がしてならなかった。
戦う為の、武器としての器が男の体なら、女の形をした日本号は、掲げられ、崇められ、讃えられるためのものだった。
そして今は、今は。
御手杵よりも冷たい指が、ゆっくりと彼の腕をなぞる。到底、二尺六寸の大身槍を振るえるとは思えない、細い指だった。
「手、やーらかい」
胡座をかいた脚の間に背をこちらに付ける形で抱き込んだ女の、常より一回り低くなった耳元に口を寄せて囁きだけを落とす。潜めた声への返答も、釣られて小さくなった。
「戦うための器じゃねえからな」
その手の皮膚もその内の肉も、丸い爪の先の先まで、箸と筆以外は持ったことがないとばかりの柔らかなものだった。項に口付けを落とせば、長い腕が伸びて御手杵の首を捕まえる。振り向いた日本号の唇は僅かに口の端を掠めるだけだったが、そのことよりもけぶる睫毛に覆われた、いつもより青みの強い瞳の奥の煌めきに、なにか自分の奥底の部分が吸い込まれてしまうような心地がした。
「嗚呼。あんた、ほんとにきれいだよなあ……」
強く抱き竦めて、ほとんど吐息のような声を絞り出す。この美しいものが、自分の腕の中に、自分に抱かれるためにいるのが信じられなかった。極修行で十年以上もこの城を離れていたうちに、すべて幻だったような気がしてしまったのだ。日本号が、これをほんとうだとは言ってくれないのも知っているから、せめてこうして熱が欲しかった。
「……そりゃどうも」
困ったような声で、日ノ本一の西の槍、美を讃えられ続けたものが言った。お前も綺麗だとの言葉は、呼気だけに消える。それは日本号にとって、槍が愛を囁くよりも難しい言葉だった。
ぐるぐると、円を描いて大きな手が女の腹を撫でる。
男の脇腹にあった刀傷の跡が、この女にはなかった。螺鈿の柄を瞳に映しながら、けれどその体は研ぎ減る前、傷つく前の。並ぶものの真になかった時、その鋼ががまだ「正三位の槍」と呼ばれていた頃の。姿をしている。血を知らない、ただ美しい鋼であった時代を、その女は体現していた。
このうつくしいものが自分だけのものならばいいのに、とそれは、彼らが鋼で出来ている以上、叶うはずもない祈りだった。
はじめは項だった口付けが首の付け根、肩甲骨、心臓の裏と段々、下の方へ降りていくのに従って、腹を撫でる右手の、円が小さく、中心は下へ下へとこちらも降る。
「ん、ふ」
中心線を下っていた手がするりと恥部を左に避けて、白く柔らかな太腿の、その下の血管をなぞるように動く。人は、それを許せる相手になら急所を触れられて悦ぶようにできているのだと、かつて言ったのは日本号の方だった。
「ひのもと、気持ちいい?」
左の腕は日本号の豊かな胸のすぐ下を通って、右の脇腹をまさぐる。丁度、男の体では刀傷のある辺りで、ここに爪を立ててやると日本号はいつも身を震わせた。
「わかってんだろ」
「っふふ。まあなあ」
無言でこちらの手を誘導するところとか、声をあげずに息だけで快感を逃がそうとするところとか、ぞっとするほどの美麗な顔にたくさんの情が載るところとか。その表情よりも早く快楽を映して淡い紅紫に変じる瞳も、血が巡って薄らに色付いて散った赤の一層映える肌も。面倒なところも美しいのも、全部合わせて。
「やっぱかわいいなあ、あんた」
「そりゃこっちの台詞だっての」
そら、そんな台詞も。まあ本心ではあろうが、押し込んだ下腹への刺激に負けて不敵な笑みを浮かべきれていないあたりがほんとうに可愛らしい。
「ああでも、反応するとこ全然違うんだよなー。それはちょっと寂しい」
右の脇腹にあった刀傷の辺りに反応しないこととか、背骨を撫で上げるよりも項に唇を落とす方が震えが大きいこととか。
「無茶言うな。内臓からして違うんだから」
子宮の辺りに少し触れるだけで身構えることとか。
「この辺とか、この辺とかなあ」
手首から心臓へ向かう静脈の、皮膚に浮かんだのをゆっくりなぞって、投げ出された白い脚の膝裏をぐりぐりと指で押す。
「擽ってぇ……」
日本号のそのぼやきと、思うような反応が返らないことに、やはりと思う。同じ物ではあっても、違う体なのが身に染みる。
「んー、やっぱ声だなあ」
「無茶言うなっての。女の喉からあの声が出るか」
「わかってるけど、それはそれ」
「今度男の方でも抱かれてやるっての」
やわやわと乳房を、下から支えるようにして弄る左手を取って、手首の内側に口付けてそう言った。すると途端に御手杵の手が止まる。きっとびっくりして、その後その光景を想像して、期待と羞恥に頰を紅潮させたことだろう。
見たい、と思った。
「ああ、くそ。おい、こっち向け。顔見せろ」
「えー、どうしよっかな」
混乱中の心を誤魔化すように、わざとらしく言うと、日本号が掴んでいた左手が放された。
「お前な。……なあ、」
半分だけ、振り返る。けれどわざと顔の方は向かずに。睫毛を透かした向こう側から、上目遣いに紫瞳が覗くように。
「ん?」
「だめ、か?」
下腹の奥になにか、熱いものが凝ったのがわかった。今の自分が相当やばい顔をしているのも、たぶんそういう顔が見たいのも察してしまったのは、ある意味で不幸なのだろう。
「おま、お前さ、自分の顔がいいのわかっててやってるだろ……」
「当たり前だろうが。東の、返事は」
後半の声があんまり甘ったるくて、女でも声やばいじゃん前言撤回、などとどうでもいい思考が巡る。
「わ、かったよ。ほら」
布団に寝転がした日本号を、ほとんど押し潰すように体重をかけてのしかかってから、今これが脆い女のすがたであるのを思い出して、御手杵は蒼白になった。
「そこまで柔じゃねえよ」
呆れたようにそう言ったのはただの事実だが、重いより遠い方が嫌だ、と言ったのは当然煽るためだ。
男の方へ伸ばされた白い腕を、もう一方と合わせて掴み上げて頭上で押さえる。残念ながら、下手になにかされたら入れるまで保たない自信が彼にはあった。こちらの感じるところは変わっていないのだから、尚更。
「指、入れるな」
「ん」
囁いた彼の榛の瞳がすぐそばまで近づいているから、目を逸らすことだってできやしない。どうやら征服欲とかそういうなにかのスイッチが、彼女の腕を押さえ込んだ時に入ったらしい。
「……恥ずかしい?」
「態々聞くんじゃねえよ悪趣味だな」
既に愛液をその内側にたっぷり蓄えた秘裂の外側を、御手杵の大きな手の指がとんとんと叩く。その振動で中からどろりと液体が溢れるのを感じて、それでも御手杵が手を止めないものだから、脊骨を握られるようなぞくぞくした感覚が止まらなくて。けれどまさか自分から急かすような真似はできないと、声を飲んだ。
ずるりと自分の内側に侵入してきた肉を、十分に下拵えされていたそこは深く飲み込む。二つ、三つと刺激の元が増えて、日本号は一番頂点のところへとっくに辿り着いていた。そのことは御手杵もわかっているし、もう御手杵自身を受け入れることもできると互いに察していた。だからあとはもう、どちらが言い出すのが早いかという、ほとんど意地の問題だった。
「あんまり、平気そうにゃあ、見えねえ、な?手杵よォ」
そう言いながらすっと足を内腿に沿わせてやれば、御手杵の表情が変わった。驚きと、怒りのようなものと、ほんの幾ばくかの安堵の混じって据わった瞳が、演練以外で日本号には見ることのできない、混じり気なしの殺意に似ていた。
「ひのもと、こそ。趣味悪いな、ほんとにさあ」
どちらもそれを聞くどころではなかったけれど確かに濁った水音がして、そして。
槍とは。ひとを、貫くものだ。
「入っ、た?」
血が、流れないのが不思議なくらいだった。できる限りにゆっくり進めていったはずなのに、最後まで収めてみればそれは、敵の心臓を鋼の本性で穿った時とまるきり同じ感触がした。
「俺、が、知るか」
日本号はこうして互いの距離が零になる瞬間、他の何でも満たせないものがいっぱいになるような心地がした。あの夜に空っぽになったのがなんなのか日本号自身知らないけれども、嗚呼。この東がここにいると、それだけで。
ゆっくり揺さぶってやればそれだけで、薄らと紅の混ざった瞳を含めて、日本号の表情は快楽に溶ける。僅かに開いた口を閉じることもできないのに、反射的に目を閉じる度御手杵を見るために再び瞼を開く様があまりにいじらしくて、ぎゅうと抱きしめる。男の体のままならばともかく、今は腕のみで彼女の上体を支えるのも御手杵には容易いことだった。一気に距離が詰まったことで、内側の隙間も零になった。ずん、というその衝撃に日本号の腕がすぐそばの御手杵にしがみつくのと、彼女の内側が御手杵を食い締めるのは殆ど同時だった。
ああ自分は今、この疑うべくもなく至上の、ひのもといちの槍を。刺して貫いている。それは真正、天下一の東の槍にだけ赦されたぜいたくだった。
「……ああ、いい顔してんなあ」
くっついていた身を離すと、寂しそうな顔をするのに、日本号は気付いていないだろう。左の脚を持ち上げて、龍の尾にキスを落とす。
「っ、」
返答と言えそうなものは、どうしようもなく荒い息遣いだけだった。そのまま鱗を逆撫でするように舌を這わせた途端、薄牡丹の瞳に快楽以外の色が滲んだ。ぼう、と灯った紅に慌てて舌を離す。
「龍の、鱗なんざ」
「うん?」
「下手に触るもんじゃねえよ」
文字通りの逆鱗によって引き出された紅はもう引いていたが、それでもその瞳は夜のはじめに見たのと同じ、古代紫に戻っていた。
「痛感した……あ、ひょっとしてこれ仕切り直しかぁ?」
「いいよ、このままで」
どうせすぐに気分は上がるさ。なあ、と手脚で絡みついて抱き寄せた耳元で囁く。
「好きモノ」
そんなことを相手の腰の辺りを支えて、ぐいと自身に押し付けながら御手杵が言うものだから、日本号は笑ってしまった。
「どっちが」
肉を差し込んだまま、お互いに方々を撫で上げた。深く触れたままのところが、ぴくぴくびくびく反応するのが面白くて、どちらかがわざと引き伸ばしたような気もする。肋骨のかたちをなぞっていた御手杵の手が、腹側の中心線を通って下へ降りる。その途中で、指先以外の部分に、なんだか奇妙な感触があった。
「え、あれ。これ、俺の?」
ひゅっ、と息を呑む音がした。柔らかな手が助けを求めるように御手杵の首へ伸ばされる。救いを希求した先は、まさに今彼女を快の奈落へ突き落とした張本人であるにも関わらず。
「お、上からでもわかるもんなんだな」
突いたり叩いたり、ぐりぐりと押してみたり、半分面白がって遊ぶうちに、ついに日本号が声をあげた。
「ひぁ、やめ、止めろって。そこ、やばい、から」
元々御手杵は体格に見合った大きなものを持っている。女体の日本号の背は十二分に大きいにも関わらず、奥の奥の行き止まりまで届くほどに。そこが、上と、下から気紛れに刺激され続ける。
「う、あ、ちょっとまて。手杵、おい」
御手杵の方は自分で刺激のタイミングが半ばわかっているからいいかもしれない。けれど日本号の方は先程から、上り詰めた頂上から降りられなくなっていた。
「ふ、はは。気持ちいーなあ、ひのもと」
それどころか、快楽は螺旋を描いて天の果てへと昇っていく。抱かれるためにと変じた体だ。快をよく拾い上げるのは当然だった。わかっているつもりだったそれが、けれどあまりに甘美だ。
「そ、うだけどな。ひ、あ、ああ」
「う、あ。俺、も、やばい、かも」
果ての果てへ辿り着くのと、白い熱を胎内に感じるのと、どちらが早かっただろうか。
入ったままのそれが周囲の肉から刺激を受けて再び固くなっていくのが、本刃は当然ながら日本号にも感じ取れた。
「……えっ、と」
どうしようかと言いたげに、完全に復活する前に急いで引き抜いた御手杵が苦く笑って声をかける。仕方ない、とばかりに日本号も笑った。既に明朝まともに起きられる気はしなかったが、この東が望むならいいだろうと。
「……ま、明日非番だしな」
「へへ。ひのもと大好き」
「知ってる」
そう言って、女は男に口付ける。
「ん」
一度目は軽く、二度目は深く。
「ほら、口開けな」
三度目はもっと深く。そうしながら東の槍の澄んだ肌を撫でてやると、御手杵の方から唇を離した。
「ん、ふ。はは」
一旦身を引いて、御手杵はくすくすと笑いを零した。
「何がおかしい」
「この期に及んでリード取ろうとしてるとこ?」
「お前、マジで覚えてろよ……」