Nightcrawler~夜に堕ちる彼女たちへ~ 作:イツカ・ドコカデ
1.境界を守る者たち
深い暗闇がどこまでも続く、そう錯覚させるような裏路地。深夜も二時を回れば、決してそこに踏み入ろうとは誰も思わないだろう。街灯さえなく、手探りで進むにしても闇が濃すぎる――繁華街から道を一本外れただけとは思えない濃厚な闇がそこにはあった。
「……また面倒な事になってるね」
そう裏路地の入口で呟いたのは、一人の小柄な少女だ。身長も一三〇センチにも届いていない。服装も黒を基調に白のセーラー襟と袖口をした、俗に言うゴスロリ服と呼ばれるジャンルだ。その墨のように黒い編み上げの髪も白い肌も、人の目を奪うほどに愛らしい。
しかし、繁華街を行き交う人々は少女に見向きもしない。深夜に出歩く子供というだけで目立つというのに、だ。まるで、そこにいる事に気付きもしないように通り過ぎていく。
いや、実際に気付いていないのだ。少女もそれを当然の事のように受け入れ、裏路地へと入っていった……。
† † †
永遠に続くかと思われた裏路地は、思いの外短い。すぐに『行き止まり』へとたどり着いてしまった。
「やっぱり……」
少女がため息混じりにこぼす。彼女がたどり着いた『行き止まり』は壁でもなければ、建物でもない。深い深い『闇』が、そこにそびえ立っていたのだ。
『ガ、ア、ア』
その『闇』の中から、伸びる腕があった。黒いその腕は、人間のものとしては大きすぎる。ずるり、と音がしそうな動きで腕がアスファルトを引っ掻くと、『闇』の中から腕の持ち主がその姿を見せた。
それは体長四メートルはくだらない、黒い巨人だ。そのこめかみから水牛のそれと似た角を生やし、背には蝙蝠のような被膜の羽、その臀部には太く長い尾が伸びていた。
悪魔――その異形を呼ぶにはその名しかなく、それこそが正解だった。
「レッサーデーモンか。もう深度『2』に到達してるとはね。やにな――」
やになるね、と続くはずだった少女の言葉が、掻き消された。ほんの刹那、瞬きの間に地を蹴ったレッサーデーモンが少女へと右の拳を振り下ろしたからだ。音速に到達した拳の一撃は、零距離で放たれた戦車砲のそれに等しい。回避など不可能だ。
たやすく少女の体を捉えたレッサーデーモンの拳は、そのまま華奢な体を文字通り粉砕した。
「――いきなり?」
『ガッ!?』
砕け散った、そのはずだ。しかし、血の一滴も流さず少女は再び元の姿へ『戻る』。まるで悪魔の一撃など無かったかのように、そこに立っていた。
「問答無用もいいけどさ? 私も時間はかけたくないし」
『ガ、アアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
少女のぼやきに構わず、レッサーデーモンは次は右の爪先蹴りで少女を蹴り上げる。再び粉砕される少女の体――だが、そこで悪魔は気付いた。
これは自分が砕いたのではない。少女が自身で、そうなったのだ、と。
「ただ、自分を殺す相手が何者かも知らずに消滅するのも味気ないでしょう? だから、名乗ってあげる」
黒い霧となった少女が、再び姿を現わす。だが、先程と違うのは立ち位置だ。レッサーデーモンの右肩の上、そこに立っていた少女が告げた。
「五月雨――吸血鬼よ」
次の瞬間、レッサーデーモンがガン! とのけぞった。少女、五月雨の小さなブーツに包まれた爪先が、悪魔の顎を蹴り上げたのだ。のけぞった悪魔は、すかさず五月雨を捕まえようと手を伸ばす。だが握った瞬間五月雨は霧となり、指の間から溢れ落ちた。
「便利でしょ? 吸血鬼って霧になれるの」
空中で構え、五月雨は拳を繰り出していく。右、左、右、至近距離からの素早い連打は体長で四倍近く、体重では一〇倍で効かない相手を軽々と吹き飛ばした。
吸血鬼。不死なる者。夜を歩く者。闇の貴族。魔王。数多くの異名で『闇』の世界で呼ばれる吸血鬼の真祖、それが五月雨という少女の正体だ。
『グ、ル、ア、アアアアアアアアッ!!』
「――さようなら」
レッサーデーモンが反撃しようと身構えた瞬間、五月雨の右腕が消えた。悪魔の頭上、四メートルの巨体さえ嘲笑う巨大な『拳』が、そこに形成される。
己の右腕を『拳』に変え、五月雨は振り下ろし――レッサーデーモンを一撃の元に殴り潰した。
† † †
五月雨は巨大な『拳』で、レッサーデーモンが這い出てきた『闇』を握り潰す。次の瞬間、深い暗闇に沈んでいた裏路地に、ほの暗さが戻ってきた。
遠くに聞こえるようになった繁華街の喧騒を確認すると、五月雨は右腕を元に戻す。そして、いつの間にか握っていたスマートフォンから目的の番号へとコールする。
コールの回数は一回、すぐに相手の声が聞こえてきた。
『もしもーし。終わった?』
「ええ。でも、私が来た時にはもう深度は『2』になってた」
『あー……それは普通じゃないね。やっぱり、人為的に開けられた『門』かも』
電話の相手は、考え込むような声色で言う。それに五月雨は、小さくため息をついた。
「どこの馬鹿なの? そいつ」
――『門』、あるいはゲート。ホール。ポータル。呼び方はそれぞれだが、この国の闇の住人は『門』と呼ぶ事が多い。
それはこの世界と別の世界を繋ぐ穴であり、道であり、移動手段だ。この『門』の規模によって深度『1』から深度『5』までの段階が設定されているが、実のところこの『門』は頻繁に開きはするものの、すぐ深度『1』の規模で閉じてしまうがほとんどだ。極々一部、『門』が拡大を続け異世界の存在がこの世界へとやってくるが、稀な事のはずだった。
『あたしたちの担当区域だけで、もう今月で3つ目だからね。一ヶ月で通常の都市部の年平均に匹敵する『門』が深度『2』になってるとすると……ま、狙ってやってるヤツがいるよね』
「元凶は元から断たないと……早く見つけて」
『無茶言わないでよー。魔法って万能じゃないんだよ?』
「……使えないね、魔法使い」
『そんなことないですぅ! 魔法が使えるから魔法使いですぅ! そもそも、魔法っていうのはね――』
電話の向こうの文句はそこそこに聞き流し、五月雨は必要な会話を終えると歩き出す。夜は吸血鬼の時間だというが、目的もなく出歩く趣味は彼女には無かった。
だから、仕事を終えた五月雨はまっすぐに自分の寝床に帰ることにした……。
† † †
地方都市である夕霧市は、二〇世紀末に発展した政令指定都市のひとつだ。人口は六〇万を越え、首都からは遠いものの交通の便はよくベッドタウンとして発展する事が期待されていた。しかし、二一世紀になると首都圏への人口集中は加速する一方で、夕霧市は想定よりも成長速度が鈍化する事となった。
しかし、それでも六〇万人を超える人口を誇る都市だ。行政やオフィス街が集まる中央区は毎日賑わい、山を切り崩して造られた住宅地も盛況であると言えた。
――そんな場所の管理が、二人ってどうなのかな? 人材不足も甚だしいね。
バスの中から街の光景を眺めて、九条ほのかはそう内心でぼやく。少なくとも不満を表に出そうとは思わない、そう思える理性が彼女にはまだあった。
ほのかはノンフレームの眼鏡のよく似合う、知的な少女だ。少なくとも彼女が通う夕霧女学院においては、才女で通っている。一六〇センチをいくらか超える背、清楚な黒いセーラー服の上からでもわかる女性的な体のライン。その整った顔立ちからも、十分に美少女と呼んでも差し支えはなかった。
ただ、中身に関してはあまり大人しくない。むしろ、どこにでもいそうな活発な女子高生そのものだった。
――しかしてその正体は、美少女魔法使いにして境界防衛局が誇る美少女エージェントなのだ!
そんな事を口にしたら正気を疑われるだろうな、とほのかは苦笑する。だが、フィクションのような事実なのである。
魔法や呪術、錬金術などの技術体系。吸血鬼や魔法使い、人狼、悪魔、天使、妖怪などなどの空想の存在とされたモノ。それは決して夢物語の話ではない。ここではない場所、今ではない時で発達し、生きている現実のものなのだ。
そんな別の世界、異世界と昔からこの世界は繋がりがあった。しかし、この世界の人間はあまりにも他の世界の霊長と比べると弱すぎた。だからこそ、異世界との繋がりを管理する組織が生まれた――それが、境界防衛局である。
人の想い、念、精神は時として異世界への『門』を繋ぐきっかけになりえる。だからこそ、人の多い場所では『門』が開く可能性が高い……のだが。
――そんな場所の管理が、二人ってどうなのかな? やっぱり。
ほのかの感想は、やはりそこに戻ってしまう。吸血鬼の五月雨と魔法使いの自分、それで何とかやっては来ているものの……やはり、人手不足を感じてしまうのは仕方のない事だった。
『次は夕霧女学院前ー。夕霧女学院前ー。夕霧女学院に御用の方は――』
はいはい、とほのかは口に出さずに、バスが止まると流れに任せて降りた。せっかく才女で通っているのだから、そのイメージは死守したい……そういう考えが才女っぽくない、と五月雨には指摘されたので、表に出さずにほのかは貫き通した。
「おはようございます、九条先輩」
「おはようございます」
下級生から挨拶をされ、笑みを作ってほのかは返す。その間の足は止めない、才女というクールなイメージは大変便利だ。足を止めさせようなどという剛の者は現れないからだ。
――ふっ、九条ほのかはクールに教室に向かうのだ。
表情は崩さず、内心でニヒルな笑みを浮かべほのかは去ろうとした。その時だ。
「――っ」
ぞくん、と視線をどこかからか感じてほのかは歩みを乱す。見られる事には慣れているつもりだったが、この視線は明らかに異質だ。視線の主がどこにいるのかさえほのかには掴めず――。
「…………」
頭の先から爪先まで、品定めをされているような視線だった。体全体を巨大な舌で舐められたような、そんな錯覚さえ覚えた。
その不快感を押し殺して、ほのかは人混みに紛れて校舎へと足早に逃げ込んだ。
連続二話投稿になります。
二話へと続く!