かつて、イザナギノミコトは黄泉路での逃走の際に桃を三つ使用した。
逃げ切ったその時に、かの男神は桃に神名を与え、「国の人々が困っていたら助けてやってくれ」と言った。
それから、あまり月日の立たぬ間に、巨大な、赤子が一人入るのではと思われるほど巨大な桃が、川に流れていて、それをとある老齢の国津神が拾った。
これが、始まり。
彼女の、誰にも知られぬ神話の始まり___。
*
一日過ぎて、翌日。
「変な夢を見たなぁ・・・・・・」
目が覚めた。
・・・・・・胸元を見ると、どうやら昨日の事は夢ではなかったらしい。紅い、爪痕のような三本線が心臓の辺りに刻まれている。
「お目覚めになられましたか? 当麻?」
「おはよう・・・・・・桃」
まるで僕が目覚める時間を解っていたかのようにタイミング良く、襖を開ける音に振り向くと、セイバー・・・・・・いや、英霊「桃太郎」を名乗る女性がそこにいた。
桃太郎。
日本人ならば、絵本又は小説等で、人生に一度は触れるだろうメジャーな英雄。
鬼退治のストーリーは、細部こそ違うものの、広く、誰もが知っている程に有名な英雄譚だろう。
「顔を洗ってくる。そしたら朝ごはんを・・・・・・」
「朝餉ならば、もう出来ております」
襖の側で正座で佇む彼女からは、そんな荒々しい英雄じみた雰囲気は感じ取れない。
薄い黄色の着物の上に、薄碧の羽織りを着ている。和風の美人なのもあいまってよく似合っている。
「家の婆ちゃんが生きていた頃着用していたものなんだがね・・・・・・丈は足りたかい?」
「ええ。問題はございません」
美人なのもそうだが、彼女の魅力はそこだけじゃない。すらりとした長身でありながら、女性の象徴ともとれるような場所は大きくたわわに実っており、くびれからの腰つきもそれはもう堪らない。男共の本能に揺さぶりをかけるような、そんな性的な妄想をこれでもかと注ぎ込んだかのような女性なのだ。
正直、直視するだけでも前屈みになりそうだ。
「そ、それじゃ僕は」
「ええ、私は居間でお待ちしております」
僕が立ち上がると、桃も立ち上がる。やはり背が高い。僕と同じ、百八十センチメートルはあるだろう。
腰まで伸びた、今はポニーテールに結われていない艶やかな黒髪がふわりと揺れ、その時に甘い、名前のとおり桃のような甘ったるい、そんな香りがして、僕の心が揺さぶられた。
女性とは何故こうも近くに居るだけでこんなにも良い匂いがするのだろうか。
目覚まし時計の如く早鐘を打ち続ける心臓を抑えながら、赤面し熱を持った顔を冷やそうと洗面所に向かった。
*
「お、美味しいっ・・・・・・」
どうやらガスと電気、水道は生きていたようだ。昨日の夜寝る前に、電話線が繋がらない事は確認したので、他も繋がっていない事を覚悟していたが、杞憂のようで良かった。
顔をどうにか冷まして居間に向かえば、机の上でホカホカと湯気を立てる焼き魚と味噌汁、そして小皿に入ったお浸しが目に入った。
僕が座ると、その傍らで茶碗に桃が炊きたてのご飯を炊飯器から杓文字で注いでくれる。
「いただきます」の声の後に如何にも和風といった朝食を口に含み、出た第一声。
___美味しい。
それ以外出ては来ない。僕自身の貧相な言葉のボキャブラリーでは、この口の中で味わっている料理の感想を、美味しい以外で表すことが出来ない。
美人でスタイル良くて強くて・・・・・・それでいて料理がとても美味しい。ああ、自分の元に押しかけてきた女性は素晴らしい
胃袋を一瞬で捕まれてしまった。これでは彼女の料理以外でもう満足出来そうにない。
そう思えるほど、桃の作った朝食は美味しいものだった。
「これで、胃袋・・・・・・あとは・・・・・・」
「ん? 何か言ったかい? 桃?」
「あ、ああいぇ。独り言ですので。お気になさらず」
じゃあ、気にしないでおく。
言うより先に、ご飯をぱくつく。本当にお嫁さんに欲しいぐらいに美味しい・・・・・・そういえば、彼女は押しかけ妻だった。めとった記憶は無いが、もうこれ奥さんでいい気がしてきたのだ。
「お気に召しましたか?」
「最高だよ。お嫁に欲しいくらいだ」
「・・・・・・あらまぁ、うふふ、うふふふふふ・・・・・・」
口元を抑えて嬉しそうに笑う桃。
何か僕は可笑しい事を言っただろうか。
「これからも末永く宜しくお願いしますね? 旦那様?」
「そう呼ばれるとちょっとむず痒いなぁ・・・・・・アハハ」
彼女は、ご飯を食べる僕を、そのあとはずっと見つめていた。
ずっと、ずっと。
*
「さて、朝ごはんも食べ終えた所で、少し頼みたい事があるんだ、桃」
「はい、何でございましょうか」
二人並んでお皿洗いを済ませた後、居間の机を挟んで向かい合って座る。
そこで、僕は話を切り出した。
「僕の店は、ここ、商店街の美観地区側にあるんだがね・・・・・・」
傍らから地図を取りだし、桃に見せやすいように指し示す。
「その反対側にね。まり姉さんっていう僕の恩人が住んでいるんだ。ほらここ。僕とは調度正反対の入口付近に店を構えているんだ。この人の安否が知りたいから、その・・・・・・」
「その道中守ってほしい。そういう事で御座いますね?」
「そうだ。仮にも英雄とは言え女性に頼むのは、少々アレだが、僕には君しか頼める人がいないんだ。お願い出来るだろうか」
「お受け致します。当麻の恩人とあらば、私の恩人も同義ですから」
ニッコリ微笑んで、彼女は肯定の意を示してくれた。
思い立ったが吉日という言葉の通り、早い方が良いと桃は言った。
「所で、旦那様?」
「なんだい、桃」
「その、まり姉さん、というお方は貴方にとって恩人以上の感情を持つお方でしょうか?」
「恩人、それ以上も以下も無い、かな。どうにも彼女には、それ以上を持てそうに無いから」
そう、彼女は恩人。
僕の事を、まるで本当の息子のように扱ってくれた。
親がいなくなってしまってから、初めて僕に、居場所をくれた。
「何だろう・・・・・・あえて言い換えるなら、親、だろうか」
「そうでしたか。すみません。つまらない質問をしてしまい・・・・・・」
「大丈夫。それより準備をしよう。君はあの大鎧に換装するんだろう?」
まり姉さんが、こんな事で死んでいるとは考えたくない。
最悪を覚悟しながらも、僕は無事を願ってやまなかった。
*
「・・・・・・当麻。貴方が幸せであるならば、私はそれで良いと考えておりましたが・・・・・・こうも、嫉妬の感情を抑えるというのは、苦労するものなのですね・・・・・・」
無害型ヤンデレに挑戦してます。