※この作品はR-18です。

嫌な男が幻想入り   作:Nagomin

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四季映姫・ヤマザナドゥSIDE


仏の顔も三度まで……二度目っ!

 鼓動が早まる。

 静かなこの空間ではその鼓動が至近距離にいる彼に聴こえてしまうのではないかと不安になるほどうるさい。

 高鳴る心臓も抱きしめたまま動かないこの男も訳が分からない。

 不意に、背筋が震え上がる。

 彼が腰から背中へと、触れた指を撫で上げたのだ。

 ゆっくりと感触に全身に鳥肌が立つような感覚が襲い体の中をなにかが通り抜けていく。

 

「んぁぁ……んっ、あっ、んあっ……」

 

 口を一文字にきつく結ぶが抑えきれない声。

 何度も上下に撫でられると背中から粟立ち体から力が抜ける。

 これ以上声は漏らさない、そう決めてきつく目を瞑り必死に服の裾を押さえることで力を入れて意識を他に回した。

 

「ねえ、名前は?」

 

 不意にかけられた声、意識に集中し無視しても良かったが答えなくてはと、長年培った自分の性格に屈して意識を彼に向き直す。

 

「んっ、んふっ……わ、私は、し、四季、映姫……あっ、ん、ヤマザああああっ!」

 

 皆まで言えず絶叫。

 上を見上げた顔は顎が勝手に震えがちがちと声を鳴らす。

 目の前に白い点がいくつも点滅し、一瞬体から意識が離れた感覚に苛まれた。

 う、嘘です……そんな……この私が……!

 脱力した体で思考だけが暗闇に囚われる。

 その時だった、彼と目があったのは。

 

「いっ、い、い、い、今のはっ、た、ただっ、驚いただけですっ! 決して気をやったとかそういうことではないんですっ!」

 

 慌てて言い訳。

 こちらの心境を見透かしたような笑みを浮かべた彼を見た瞬間、なぜか冷静でいられなくなった自分が気づけば口をついていた。

 そうなのだ、決して気をやったわけではない。

 気をやるわけにはいかないのだ。

 わかりましたかっ、そう言い切って顔を隠した。

 彼の視界から、彼の腹部へと。

 自ら彼に抱きつくような格好となってしまい、それに気づいて羞恥が沸くが、離すことができない自分がいた。

 不意に頭上にあった感覚がなくなる。

 被り物がなくなったのだ。

 顔を上げる。

 彼の手には今まで自分が被っていた物が握られていた。

 

「あっ! だ、ダメですっ、帽子をとってはいけませんっ、返しなさい!」

 

 慌てて手を伸ばし取り返そうとするが、時すでに遅し。

 彼の手によって私では届かない遥か上に持ち上げられてしまっていた。

 飛べばもちろん届くが、いかんせん腰に彼の腕が巻きついており何故か浮かぶことができないのだ。

 無様に届かない距離を少しでも近づけようと必死に腕を伸ばすだけ。

 ぐぬぬ、なんてまたしても私らしくない声を上げてしまうがそんなものに構ってる暇などない。

 一刻も早くあの被り物を取り返さなければ。

 一刻も早く、でないと閻魔としての威厳が薄れてしまうではないか。

 自分とて自身が初見で閻魔たる人物と認識させるほどの容姿ではないことは百も承知だ。

 いつも第一印象後に格を見せることで全員が私を閻魔と認識する。

 だからせめて、格好は閻魔たれと思われる服装を着ることで閻魔の品格を落とさぬよう努めている。

 それが、だ。

 果たしてその一部が欠けてしまっては周りから自分はどう映るのか。

 四季映姫、という名の女子。

 そんなこと、そんなの許せるわけがない。

 何人たりともそんなことを認識させるわけにはいかないのだ。

 それ故、取り返そうと必死になる。

 それこそ周りが見えなくなるくらいには。

 だからか。

 

「――あはああっ!」

 

 挙げていた右腕を思いきり下げる。

 突如脇から全身に走った鋭い刺激に反射で下がったのだ。

 しかしそれは痛みではなく快楽。

 閉じた脇からまだ伝わる刺激に体が勝手に震え全身が自由を奪われる。

 腰に回っていたはずの彼の手が、いつの間にか人の脇に触れていた。

 中へ中へと押される彼の親指は程よく筋や骨へと触れ、それがなんとも言えないもどかしくも逃げられない快感をもたらす。

 

「ああっ、や、やめっ、あっ、ああっ、なさ、あああっ……そ、そこはダメ、です、んっ、からぁ、ああっ!」

 

 思わず弱気な声を上げながら無意識に彼の胸へと体を預けてしまう。

 がっちりとした筋肉質というわけでもないが、どこか男らしいその胸板に身を寄せると悔しいほどに安心感を覚えてしまう。

 気づいた時には彼の背中へと左腕を回してしまっていた。

 

「ふあっ」

 

 更にこの男は追撃の手を緩めない。

 不意に頭に訪れた温もり。

 それはまるで現在もたれかかっているもののような安心感と、身を委ねたくなるほどの心地よさを与えてくる。

 

「んっ、んあっ、んんっ、やめなさ、んっ、あ、頭を撫で、るのはっ……んんっ、ダメです、っ、あぁっ」

 

 頭から心を、脇から体を同時に犯されて、委ねそうになる心体を必死に耐える。

 昔、部下たちが話しているので聞いたことがあった。

 異性に、意中の相手に頭を撫でられると心を直接撫でられるような夢心地の気分なると。

 しかしだ、いくら異性とは言え見境なしに男性というわけではないだろう。

 少なくとも自分と親しい、自分が想いを寄せる、そんな相手に限られるはずだ。

 部下たちの話振りではそういった意味での話をしていたのは間違いない。

 ならば。

 それならば何故。

 なぜこんなにも心が浮わついてしまうのか。

 頭を撫でられた経験がないからなのか、それとも撫でる相手が――。

 頭と脇から送られてくる二つの刺激に耐えつつ荒れ狂う思考と感情に翻弄される。

 こんな、こんな小町に陵辱の限りを尽くし私にまでその手を伸ばす外道卑劣極まりないこの男に。

 収まりを見せない内心は自分でも気づかない、しかしはっきりとした穴が空いていた。

 

「君は今、自分の心が俺で揺れてるでしょ?」

 

 いつの間にか顔を寄せられ、耳元で囁かれる。

 

「なッ、な、なにを」

 

 反射的に返そうとした言葉は途中で止まった。

 図星だった。

 心の奥底まで空いた穴に潜り込み、どこか直接的な物言いでないその言葉はまるで心に話しかけているかのように内心に響く。

 青年らしい少しばかり低い声はすんなりと心に届き、私の脳を蕩けさせる。

 普段聞けばただの男の声、響きがあるわけでも深みがあるわけでもないただの声。

 それが今は無性に切なく、艶やかさを秘めた魔声に聴こえて仕方ない。

 下腹部から起こった湿り気のある感触に泣きたくなる。

 悔しい、悲しい、辛い、不甲斐ない自分に。

 その半面、経験のない下腹部の疼きをどこか物足りなく切なげに思う自分へと。

 彼の言葉を無下に振り払うにはタイミングが良すぎた。

 理由はどうであれ心を占めていたこの男、隙をついて心に染み渡った声、いま自分が力を抜いて身を委ねてしまっている彼の男らしい体。

 全てが全て初めての経験、ならば今沸き起こっているこの感情は一体なんだと言うのだろう。

 もう少し、もう少し自分の思考の奥深くへと潜り込めばその答えにたどりつけそうな気がする。

 時より脇から送られる刺激は軽いもので充分に耐えられるもの。

 答えを知りたい、自分の感情がなんという名前なのか。

 恋や愛であるはずがないこの感情の名前を。

 またしてもその瞬間だった。

 

「映姫」

 

 呼ばれた声に体が大きく震える。

 

「なっ、名前で呼ぶのはやめなさいッ! 名前で呼ぶことを許した覚えはありませんっ!」

 

 気づけば怒鳴り散らし早口で捲し立てていた。

 名前で呼ばれると妙に心がざわつく。

 勢いよく上げた顔は彼の顔と至近距離で見つめ合い、それに気づき顔に血液が集まる。

 ゆっくりと自然を装って顔を逸らした。

 この男と至近距離で見つめ合うのがこんなにも恥ずかしいなんて。

 こんな感情もやはり知らないものだった。

 何故こんなにも彼と一緒にいるのがもどかしく甘酸っぱい感覚を覚えるのか。

 今まで長い年月をかけても一度たりとも感じたことのない感情に余計に頭が混乱する。

 彼に言われた言葉、彼に対する想い、閻魔としての思い、全てが激しく交錯して総てが混ざり合う。

 考えたいのに何も考えられない、そんな状態に襲われた。

 

「映姫」

 

 またも無断で名前を呼んだ。

 しかし言い返すことはなかった。

 何故かは分からないが、名前で呼ばれることを肯定する自分がいたのだ。

 朧気な思考の中、なにも返さず彼の言葉に耳を傾ける。

 

「君は女の子なんだから肩肘張る必要はないんだ。もっと自分をさらけ出していいんだよ」

 

 かけられた言葉は、誰からもかけられたことのない言葉だった。

 労い、違う。

 労り、違う。

 尊敬、違う。

 彼は私になにを伝えたいのだろう、分からない。

 分からないが、どこか嬉しくも感じている自分を自覚した。

 だが彼の言葉を大雑把に紐解けば私に一人の女の子になれと言っているのだろうか。

 閻魔ではなくただの四季映姫に。

 その瞬間、頭と脇を軽く撫でられながらもなけなしの理性が我を取り戻す。

 

「んっ、わ、私は閻魔なのですからそんなことをしては、んぁ、いけないのです」

 

 全ては閻魔たれのために、今にも失いそうな理性を必死に繋ぎ止めながら言い切った。

 それだけが自分が芯に持つ理由。

 それだけが私の存在意義。

 その私という者の今まで築き上げてきた全てすら彼の胸には響かなかったというのか。

 彼の手が今まで責めてきた脇から離れる。

 

「……ぁっ」

 

 声が漏れる。

 決して不意に訪れた、今まであった温もり去ったことに対する声なわけがない。

 誰に言うわけでもなく自分に言い聞かせるが、そんなものはすぐに吹き飛んだ。

 全身に感じたことのない安心感のこもったような温もりに包み込まれる。

 呆けたのは一瞬、次には彼に抱きしめられたのだと思い知った。

 そして更なる絶望が精神を蝕む。

 

「あっ、いやっ……そんな……」

 

 閻魔という皮一枚でなんとか繋ぎ止めている理性が断末魔の叫びを上げる。

 全身が完全に弛緩して彼の胸板へと体を預けてしまう。

 普通なはずなのになぜこんなにも彼の胸板が、腕が、声が、全てが狂おしいまでに落ち着くのだろう。

 拒絶したいと思う心は最早なく、頭の片隅でそんな言葉が浮かぶのみ。

 狂おしいほどに落ち着く、激しいほどに心臓が高鳴る。

 嫌なまでに愛おしい。

 最早考えられることなど麻薬のようにのめり込む彼のことばかり。

 これが本当に部下たちが言っていた、恋なのだろうか。

 これが恋なのだとしたらそれはなんと甘美なことだろう。

 恋は人を駄目にする、恋は盲目。

 その言葉を考えた者たちはさぞ恋というものに苦悩したのだろう。

 頭の隅では嫌だと叫ぶ理性を嘲笑うかのように頬を彼の胸に擦り付けた。

 触れる度に擦れる頬はとても心地よく、擦る度に意識から理性が遠退いていく。

 

「映姫、君はいつも頑張ってるんだ」

 

 声をかけられる、上手く回らない頭で反応し顔を上げた。

 

「誰からも望まれず誰からも一線引いた関係でしか付き合うことを許されない」

 

 続けられる言葉、それは今までずっと私のことを見てきたかのような言葉。

 閻魔というものを理解している言葉。

 言われずとも当たり前である、それが私という存在なのだから。

 

「でもそれは君のためじゃない、閻魔としてのためだ」

 

 そう締めくくった言葉は自分にとって当たり前のこと。

 なにを今更と思う。

 そんなはずなのに。

 

「…………そ、それが、私が望んだことなのです」

 

 出た言葉は私らしくない半端な声色。

 それだけじゃ気持ちは伝わらないと話を続ける。

 

「一介の地蔵でしかなかった私をこうして閻魔としてくれた、その恩を返すためにも」

 

 言い切る、しかし以前のような言葉の重さはどこか薄い気がした。

 私の言葉に彼は目を細める、なにか気に障ることでも言ったのだろうか。

 

「能力が使えなくて人ひとり裁けない今の君が、閻魔として相応しいと思う?」

 

「そッ、れは……」

 

 今まで通りの柔和な雰囲気や仕草をそのままに放たれた言葉は辛辣。

 言い返そうにも言葉が詰まる。

 言葉だけではない、彼の放った言葉に胸が詰まったのだ。

 その後に走る激しい痛み。

 それは果たして言葉に対してか彼に対してか。

 能力が使えない、人ひとり裁けない、閻魔としての責任、全てが感じたことのないほどの重さとして心にのしかかる。

 彼の言葉は私に構わず続けられる。

 

「能力が使えなければ人ひとり裁くことが出来ない閻魔を部下が見たらなんて思うかな?」

 

 言われて想像、再び胸に痛みが走る。

 なぜこんなにも痛むのか分からないが、部下に無視されるのはいい、引かれるのもいい、ただ部下たちが陰で私の閻魔としての責任問題を話しているのだとしたら激しく胸が痛んだ。

 またそれも何故か分からず、悶々とした苛立ちが募るだけ。

 そしてなんとも分からぬ感情に目頭が熱くなる。

 

「部下よりも使えないただの四季映姫にこき使われてきた部下は無能な上司に、有能だった今までみたいについてきてくれると思う?」

 

 彼の言葉に胸の痛みが増していき、上手く回ってくれない頭は苛立ちを増すばかりでわけが分からない。

 もう考えることすら億劫になり、考えることをやめる。

 わけが分からない。

 

「…………なら」

 

 頭で深く考えずに呟く。

 それは表情にも現れ、彼を睨み付けた。

 

「ならどうしろって言うんですか! 今まで能力が使えたため、失った途端こんなにも無力になった私に! 全ては閻魔たれと心に決めて生きてきた私に今更なにをしろと! 無理です! 私には閻魔しかないんです! 今まで私自身とともに部下を含め他の者たち皆を律してきました、例え部下に嫌われ愛想つかれようとも私は閻魔として――」

 

 幼子のような喚き。

 言いながら気づく、自分は閻魔に誇りを持っているのではない、閻魔の誇りにすがっているだけなのだと。

 確かに、以前は確固たる誇りを持っていただろう。

 だがこうして追い詰められて出した答えがこれではそんな誇りなどあってないようなものだ。

 いや、それどころかすがっているのは誇りですらなくなってしまったのかもしれない。

 誇りはなけなしの自尊心、自尊心からの言い訳、言い訳するのはすがっているから。

 そんな私を止めたのも、優しくも大きな彼の抱擁だった。

 

「…………私はもう、閻魔ではいられないのでしょうか……」

 

 抱き締められて背中に回された手で頭を撫でられる。

 自然と彼の胸に顔を埋める。

 彼にすがってしまっていた。

 いけないのは分かっている、だが他にどうすればいいのか分からなかった。

 彼に答えを求めてしまう。

 やっぱりこんな感情なんて分からない。

 分からない、何もかもが分からない。

 目頭が酷いまでに熱くなる、鼻の奥がつんとする、瞼が震える。

 絶対に水滴の一つもこの床に落とすものか、彼には悪いが埋める胸に擦り付けた。

 ここは仕事場、ここが閻魔たる自分の拠り所。

 ここだけが閻魔たる自分の最後の砦。

 ここで涙を流す、ただの四季映姫戻ってしまっては閻魔としての四季映姫が消えてしまうから。

 だから絶対に泣くわけにはいかない。

 絶対に、泣くもんか。

 だが。

 

「大丈夫」

 

 たった一言で脆くも崩れ去った。

 

「今の君は疲れているだけなんだ」

 

 そんなありきたりな言葉に心が揺れる。

 

「能力は俺がなんとかしてあげる」

 

 確証すらない口約束だけの言葉。

 一方的な慰め。

 

「……ほんと、ですか……?」

 

 そんな言葉にすがってしまう。

 埋めていた顔を上げて彼の顔を覗き込む。

 真上を見上げるため涙が零れないのが救いである。

 その半面、そんな言葉をかけないで欲しいと思う。

 能力のことは自分が一番分かっている、その自分が能力が一切使えないと感じているのだ。

 いい加減なことを言わないで欲しい。

 

「ああ、任せろ」

 

 いい加減なことを言うな。

 

「だから今日は、俺の前では閻魔ではなく、一人の女の子としての四季映姫で過ごすんだ」

 

 そう言って初めて触れ合った唇。

 私から一切も瞳を逸らさずに言った。

 そんな彼から放たれた言葉に改めて気づかされる。

 いや、本当の意味に気づかされた。

 彼は最初から私を閻魔として見ていたわけではなかった。

 そう彼は最初から私を、私としてしか見ていなかったのだ。

 閻魔などという色眼鏡を一切持たずただ、四季映姫という私を。

 そして同時に沸き上がる思い。

 自分は閻魔ではなくなるのではない、閻魔でなくともいい。

 永久に公正中立な立場である必要はない。

 誰かに傾いてもいい。

 閻魔でない時とはそういうことなのではないか。

 触れ合っていた唇は一瞬か、私にはとても永く思えた。

 唇の感触を呆然と感じながら急速に沸き上がる熱。

 

「んっ」

 

 ゆっくりと離れた拍子に漏らした声、そんなものには気が回らず、見つめ合う形になったその顔に血液が集まる。

 恥ずかしい、赤くなっているだろう顔を見られたくない。

 顔を逸らしたいが逸らしたくない、二律背反な気持ちにただ目を左右に逸らすだけ。

 今までとはどこか違う感覚に戸惑いつつも、静かに優しい笑みを向ける彼にとにかくなにか喋らなければと慌てて口を開く。

 

「で、ですが、私は今まで閻魔としてしか生きてこず……その……一人の女の子というのが、その、良く分からないのです……」

 

 初めてだった、言葉を話すのにこんなにも羞恥を感じるなど。

 初めてだった、女性として見られたいと思ったのは。

 上手く彼の視線には合わせられず、視線が定まらずに左右を向いてしまう。

 今まで性別のことなど意識したことはなく、こんな女性らしくない私を彼はどう思うだろうか。

 羞恥心とともに沸き起こる恐怖心。

 彼に女性として見られない、彼に関心を失われるのが何故かとても怖いと思った。

 部下を強姦したり、私自身も餌食になっているのにどうしてそんなことを思うのだろう。

 次々と生まれてくる初めての感情に意識が囚われていくが、それは彼の声によって呆気なく引き戻された。

 

「なら閻魔としてじゃなく、四季映姫として思ったことを口にすればいいんじゃないかな」

 

 閻魔ではなく四季映姫として……。

 

「楽しいことは好きでしょ?」

 

 彼の言葉に頷く。

 内容にもよるだろうが、自分が楽しいと思うことを嫌う者はほとんどいないだろう。

 閻魔ではなく四季映姫として。

 閻魔ではない私自身のイメージが全く浮かばなく思わず顔をしかめる。

 しかし早いところその言葉の意味を理解しなければ彼からの関心が薄れる、そう思うと理解しようとただただ焦りが浮かぶ。

 分からない、何度考えても分からない。

 全く分からない、彼に聞こうにもこうしてせっかく教えてくれた内容を聞き返すのは失礼ではないか。

 分からない、しかし聞けない、けれど考え付かなければならない。

 そんな私に降って沸いたような啓示が頭に浮かんだ。

 しかしそれは閻魔として、人間として行ってはいけないこと。

 それを行ってしまってはもう閻魔ではいられなくなる。

 そんな私の思考の周りを二匹の小人が回っている。

 一人は純白の翼を生やした天使、もう一人は漆黒の羽を広げる悪魔。

 天使が悪魔に押されて早速いなくなってしまった。

 残ったのは悪魔のみ。

 その悪魔が近づいてきて囁く。

 ばれなければいい、どうせ自分から言わなきゃ分かりっこない。

 例えそうだとしてもやってはいけないことなのだ。

 彼に嫌われてもいいのか、悪魔の言葉に黙る。

 言い返せなかった。

 今が閻魔ではない時だとすれば、閻魔としての問題はないはずだ。

 今回だけだ、黙った私に悪魔が続ける。

 今回だけ、今回だけだ、頭の中で何度も繰り返される言葉。

 今回だけ、今回だけだ、これきりでもう絶対にしない。

 自分の思考に向かって言う。

 今回だけ、今回だけ、嘘をつく。

 自分に、彼に。

 一言口を開くのにこんなにも緊張するとは、心臓がうるさいほどに高鳴る。

 一度大きく深呼吸、そして目を開けて彼を見た。

 

「……わ、分かりました。で、でも勘違いしないでくださいっ、あなたが私の能力を治してくれるというから治るまで仕方なく付き合ってあげるだけなのです! そうっ、他意などないので勘違いしないでださいねっ」

 

 開いた口からは予想外の言葉ばかりが飛び出した。

 言うつもりのない言葉が何故か次々とでる。

 言いたくないのに、勝手に口が動く。

 

「あなたに心を許したわけではないのです!」

 

 彼の胸に顔を埋める。

 怒鳴ってしまった。

 自分の言葉が胸に刺さる。

 言いたくないことをいってしまった。

 あんな心にもないことを怒鳴りつけて、これでは彼に嫌われまいとしたが本末転倒ではないか。

 泣きそうになる。

 なんだか、彼に出会ってから自分は弱くなってしまった気がする。

 泣いてばかりだ。

 

「ありがとう、映姫。嬉しいよ」

 

 ほらまた、嬉しさのあまり泣きそうになる。

 埋めていた顔を優しく両手で挟まれて動かされた。

 ゆっくりと彼の体から離れて僅かに見つめ合う。

 そして再び動きだして、接吻。

 

「んんっ……」

 

 あまりにも優しい接吻。

 込み上げる感情が抑えきれない。

 勝手に溢れだした涙は頬へ、そして床へ。

 涙が流れ着いた顎から離れて床へと落ちた感覚に、自分の頭の隅にあった小さな何かが完全に消滅した感覚を覚えた。

 閻魔たるこの聖域で個たる四季映姫を晒す。

 なにかを失い、なにかが誕生したような感覚。

 だが心に空いた穴は一瞬。

 その刹那には、止めどなく襲いかかってくる彼への愛おしさ。

 これが閻魔なんて関係ない、ただの四季映姫。

 本当の私なのか。

 閻魔ではない、彼に傾いてもいいのか。

 なんと清々しい、今まであったどこか重荷のような心の重さがなくなったかのように感じる。

 こんな素晴らしい気持ちを彼がもたらしてくれたのか。

 もっと感じたい、生まれ変わった自分を、何より彼をもっと感じたい。

 その思いを一心に、見つめ合っている表情に笑みを乗せて、より接吻の心地を堪能するために目を閉じた。

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