長いようで短い唇同士の接吻。
ゆっくりと離れていくそれに目を開き、少しでも長くと追いかける。
しかし追いつけず、目だけがそれを追った。
そんな私に気づいたのか、彼の動きが止まり、それにより暫しの間を見つめ合う。
やがて、どちらともなく顔を寄せた。
名残惜しんだことを見抜かれたのは恥ずかしい。
だが、それ以上に接吻は気持ちよかった。
初めての接吻。
以前はただの接触としか意識していなかった。
しかしこれは、経験してから気づく。
ただの触れ合いではない、そんなわけがない。
ただの触れ合いなんかでこんなにも心が満たされるはずがないから。
唇が触れるたけでこんなにも相手の虜になってしまう。
魔性の誘惑は打ち勝つには自分はあまりに幼く、悦楽の波に飲み込まれる。
その時。
己の唇に触れる違和感、それは彼のものであり舌で私の唇をつついていた。
最初は驚き口を離そうとしたが、体が離れず何度も彼の舌でつつかれる。
それを何度も受ける内に健気に唇をつついてくる彼の舌に、餌を求める雛鳥のそれが重なり、親鳥が餌を与えるように僅かに唇を開けた。
その瞬間だった。
「んんんっ!?」
彼の舌が勢いよく口内に捩じ込まれる。
それはまるで暴力。
文字通り口内を蹂躙された。
無意識に彼の舌から自身の舌を逃がし、それにより歯茎の内側などをしっとりと舐められる。
未知なる攻撃に怖気が走るよりも先に羞恥心に囚われた。
自分の口の中を、感触を確かめるようにゆっくりと、しかし着実に舐められる。
恥ずかしくて死にそうになる。
それがいけなかったのか、とうとう彼の舌に自分のそれが絡め取られた。
「んんっ、んっ、んふっ、んんんっ!」
絡め取られ引っ張るように吸われる。
今の自分がどんな状態なのか分からなくなり、一瞬にして頭に靄がかかった。
しかし分かるのは体の奥底に眠っていた快楽を、舌を伝って強制的に吸いだされているかのような未知なる長い快楽。
何もできず翻弄されるだけ。
それほどまでにわけが分からず、それほどまでに気持ちよかった。
息が吸えない、息苦しい、追い詰められていく感覚に苛まれながらも受け入れる自分。
苦しさと気持ちよさ、相反する刺激に意識が混濁する。
やがて追い詰められる、その瞬間、苦痛が一気に開放された。
彼の舌が、口が離れたのだ。
口元が寂しい、そんなことを思う間もなく反射的に深呼吸。
大きく息を吸い、思いきり吐く。
同時に汗が溢れ、肩を大きく上下させる。
先程とは違う涙を浮かべながら、苦しめた張本人である男へと睨み付けた。
「はあっ……はあっ……い、いきなり、なにを、するんです、かっ……」
吐いた言葉は絶え絶え、きつい口調になってしまったが当然の報いと思うことにする。
だが、彼は笑みをうかべていた。
「気持ちよかったでしょ?」
「し、知りませんッ!」
語調を強めて言い放ち顔を逸らす。
何てことを言うんだろうか。
気持ちよかった、なんて。
そんなわけあるはずが……。
尻すぼみに小さくなる思考に黙ってしまう。
あんな苦しいのは気持ちいいわけがない。
けれど確かに感じていた。
二つの意見がぶつかり合い、思考へと意識が集中する。
だからだろうか。
「きゃっ」
気づいた時には既に。
「な、なにするんですかッ!」
生まれたまま、一糸纏わぬ姿へと成り果てていた。
晒される裸体、晒されるコンプレックス。
幼児体型、ほどではないが成熟しきっていない身体が白昼の下に露呈した。
「ッみ、見ないでくださいっ」
慌てて体を腕や脚で隠す。
何も身に纏っていない、本当の意味での閻魔ではない四季映姫を初めて自分以外に晒した。
晒してしまった。
羞恥で死にたくなる。
閻魔ではない四季映姫はこんなにも劣等感の塊、他にはそうだが特に彼にだけは見られたくなかった。
既に晒されてしまっている裸体を少しでも隠そうと慌てる私に彼は更なる罰を与えてくる。
動かした両手を器用にとられ、頭上に上げられて手首を交差させられた。
片手で両の手首を掴まれ、惜し気もなく裸体を晒してしまう。
しかし、それだけ。
それ以降彼は動かない。
私をじっと見るだけ。
それが無性に恥ずかしい。
裸を晒されたはずなのに晒しているような感覚になってくる。
そして何故か息が上がってくる、緊張しているのか。
同時に気づく、やっと気づいたと言うべきか。
ここはどこなのか。
今、自分はどうだったのか。
休憩を利用して仕事を放棄した小町に説教をした。
そしてその帰り、目の前の男を見つけて話しかける。
そして今。
とっくに休憩など終わっているではないか。
仕事場なのだ、部下が入ってくることだってよくある。
今この姿を見たらどう思われるか。
閻魔たる四季映姫が閻魔たる衣装を身に纏わず、両手を上げられて裸体を晒している。
それも勤務中に、職場で。
全てが全てあってはならないこと。
早く着替えなければ、仕事に戻らなければ。
急速に取り戻す理性。
それを察知したのか、男が顔を動かした。
ゆっくりと、静かに顔をこちらに寄せてくる。
「な、なにするんですか……?」
問いかけるも答えない。
その姿に言い様のない悪寒を感じて思わず頬が引きつるのを自覚する。
無言で顔を寄せる彼。
そして、やがて接着。
「ふわああああっ!」
間抜けな矯声を上げてしまう。
彼の口が乳首に吸い付いた。
強烈な快楽が再び甦る。
強弱をつけながら吸うそれは変則的で、馴れさせてくれない快楽に成す術もなく翻弄された。
先程までのまったりとした心地よさは、以前の強い快楽の時とは違い私の心を解してしまっていた。
「ああ! だめっ、ダメですッ! そこっ、弱いっ、あああ!」
快楽に耐えきれんばかりに弱音を吐いてしまう。
頭を振って快感を逃がそうとするも、吸い付かれている乳首への刺激を増す材料にしかならなかった。
次の瞬間。
「――ッ!」
吸われる乳首が固い感触に挟まれた。
噛まれたのだ。
声を出しているのかすら認識出来ないほどに全身の感覚が消えて、やがて視界が真っ暗に染まっていった。
「あひいいいっ!」
何事か。
思わず悲鳴を上げながら目覚める。
ここは、何故ここにいるのか。
ここで寝ていたのか。
辺りを見渡すとすぐに目の前の物体と目が合う。
「……あっ!」
そして全てを思い出した。
記憶が甦る。
気をやってしまった、それも失神するほどに大きな。
以前自分で触った時も加減を間違えて思わず気を失ってしまったが、こんなにも強制的に意識を奪われるほどの衝撃は初めて。
果たして自分はどんな顔で失神していたのだろうか。
それを彼に見られていた。
「あ……あ……」
でるのは言葉にならない声ばかり。
穴があったら入りたい、まさしくそのような心境。
黙って私を見ていた彼だが、やはりこの男がただ黙っている訳がなかった。
嵐の前の静けさ。
「イっちゃったんだ」
「イっちゃった……?」
口を開いた彼に首を傾げて聞き返す。
いっちゃった、とはどこに行ったのたろうか。
皆目検討がつかない。
彼が再び口を開く。
その瞬間、にやりと笑ったように見えたのは気のせいか。
「気をやったってこと」
その言葉に目を見開く。
「だッ、だだだだ誰が気をやったって言うんですか!? いつ! どこでっ! どんな風にッ!?」
憤慨を全面に言い返した。
一体誰が気なんかやったというのだ。
顔が赤いのは白熱したからに違いない。
「映姫が、さっき、ここで、声もでないくらい気持ち良さそうに」
何事もないように言い返してきた彼に思わず息を飲む。
怒りでだ。
どうしてそんな、相手の名誉を傷つけるようなことを平然と言えるのだろうか。
確かに、ちょっとくらい気をやりそうになった様には見えたかもしれない。
だが、だが、決して気をやってはいないのだ。
気をやる前に意識を失っただけなのだ。
しかしそんな内心への言葉でおさまるほどの怒りではない。
「……こ、この」
いよいよ怒鳴る。
最高潮に達した怒りを発散するように口を開いた。
「――んんんっ!?」
その瞬間、蓋をされた。
彼に一言言ってやらないと気が済まないのだ。
なんとしても離れて説教してやる。
離れようと暴れる、だがそれは想像していたよりも遥かに弱々しいものだった。
顔を動かすが、触れ合う唇は離れない。
身動ぎを大きくすればするほどその動きは嫌がるそれではなく、より唇の感触に意識が集中する。
離れたい、だが触れ合う唇が再び身体に火照った心地よさをもたらし出してきた。
唇が動くほどその心地よさは増し、つい抵抗していることを忘れる。
私の、彼の唇が動きそれに意識を奪われて抵抗が疎かになる、慌てて抵抗をし直しても見計らったように彼の唇が絶妙に私の唇を押し潰した。
そして抵抗を忘れる。
接吻の気持ちよさの虜となった。
こんなに気持ちのいいもの、手放すことなど出来るはずがない。
そんな思考に囚われる。
彼に触れていると抵抗出来ない。
接吻の心地よさに勝てず動きを止めた。
彼の唇が離れた。
僅かに訪れる寂しさ。
「イった顔、可愛かったよ」
微笑みながら彼が言う。
イった、つまりは気をやった。
何てことを言うのだろう、そんなわけないではないか。
失神をしているのだ、可愛いわけがない。
「…………へんたい」
でた言葉は弱く、思わず顔を背けながら言ったことは自分でも拗ねた声色に聴こえた。
不意に両手が開放される。
そこで今まで両手を上で掴まれていたことを思い出した。
その両手を開放され、ゆっくり体を倒された。
床へと寝かされる。
「あの、なにを……」
両腕を押さえられ、四つん這いの格好で跨がられて見下ろされる。
私の言葉に答えず、彼は片手を離して一ヵ所に指をさした。
つられてそこを見る。
「ひッ……そ、それは」
そこは彼の下腹部。
今更だが全裸である彼のそこには隆起した男性としての象徴。
それが痛々しくも大きく強調していた。
居間までは無意識に視界から除外していたのかもしれないが、意識をして見ると初めて見るそれは禍々しく、生理的恐怖を呼び起こす。
あれを、まさか……。
あの棍棒の如き剛直が自分を串刺しにする。
想像してしまい顔から血の気が引く。
そんな私に彼は一言。
「ヤらないか?」
「ヤる……えっ、ま、まさか……」
彼の言葉に想像が現実味を帯びて更に顔から血の気が失せた。
以前聞こえてきた部下たちの話では、その、初めては心に一生の傷を負いかねない絶望的な痛みらしい。
好きな相手だからこそ辛うじて耐えられると言っていた。
ならば別に好きじゃない相手の場合はどうなのか。
先ほど会った部下を思い出す。
小町の、あの常軌を逸した言動が事の壮絶さを如実に物語っていた。
自分もああなってしまうのか。
あの経験豊富そうな小町がああなるのだ、たまたまではあるがそんな相手に出会うことがなかった私が受ければどうなるか。
恐怖と焦りが心中を制する。
「だ、ダメですっ、そんなっ……!」
逃げようと必死にもがくが、押さえつけられている腕は一切動かない。
そのことにまた焦りが募る。
「大丈夫、痛いのは最初だけだから」
「やっぱり痛いんですね! 無理です! 絶対に無理です!」
間髪いれずに返す。
やはり部下たちの話していた通り痛いようだ。
あんな、狂うように精神を壊された小町のように、ひょっとしたらそれ以上の衝撃に襲われるかもしれない。
そんなの無理である。
「その後すぐに気持ち良くなるからさ」
その言葉に接吻の時のような、抜け出せない心に優しすぎる快楽を思い出す。
「き、気持ち良くなるとかならないとかではありませんっ!」
危ない危ない、まんまと嵌められるところだった。
「気持ち良いのは嫌い?」
その問い掛けに再び想像。
唇が蕩けるような、体の芯に響き渡るゆったりとした心地よさ。
彼の腕に抱かれている時の安心感と高鳴る鼓動。
「……べ、別に好きだとかそんなのじゃないです」
少し遅れての回答。
心が揺れていたとかそんなものではない、ただ思考に耽っていて答えるのに時間がかかっただけだ。
思考に耽っていて答えるのに時間がかかっただけなのだ、他意はない。
「じゃあヤろう」
「まっ、待って! 待ってください!」
力が入らない下半身に両脚を押し込めて、脚を無理やり広げさせた彼が腰を私の体に近づけたため慌てて引き留める。
誰も許可を出していないのに勝手に暴挙を犯そうとは。
なんて男だ、全く。
私だってもう立派な大人の女性だ。
別にこれから行われる男女の営みに及び腰になっているわけではない、そんな訳ではないのだ。
ただ、痛いのが嫌なのである。
別に子ども染みた痛みが嫌いというわけではない。
ただ、そう、私には閻魔という相手の命運を握っている大事な仕事があるのだ。
船頭の小町とは違い、精神に大きな影響を及ぼすわけにはいかない、そういうことである。
決して初めてだから怖いとかそんなことではないと声を大にして言いたい。うむ。
せめて、心は傾いても純潔を散らして閻魔としての職務を果たせなくなることだけは阻止しよう、そう決めた。
その瞬間、頭に違和感。
否、頭に触れる優しい感触。
彼に頭を撫でられているのだ。
そう意識した途端、頭を撫でる優しさが心に直接触れるように思考が彼一択に塗り替えられる。
優しくも大きな手、安心感が全身に染み渡る。
彼への愛しさが甦った。
それを見越していたかのようなタイミングで触れられてしまった唇。
接吻の触れ合う感触に全身の動きがリセットされる。
彼への熱が更に燃え上がった。
「んっ……」
そして生まれた心の締め付けに声を漏らす。
彼を思えば思うほど、心がきゅっと締め付けられた。
接吻により全身が弛緩させられた体に、とうとうその時が訪れた。
「っあああ!」
絶叫と同時に、無意識に体が仰け反る。
下腹部から、膣内から巨大な違和感が一気に伝わってきた。
体内を裂くように進んだその異物は、やがて動きを止める。
見えずとも分かる、そこが自分の膣内にとっての最奥だと。
そう意識した次には一気に元来た道を戻るように勢いよく異物が引かれた。
そして限界まで引き抜かれたと思えばまた挿入。
「あああっ! ああああっ! はあああっ! そん、ああああっ!」
思った通りの言葉がでない。
快感なのか痛みなのか、理解できない強烈な刺激だけが下腹部から脳天へと突き抜ける。
絞めたくないのに絞まってしまう膣の感触は彼のそれを明確に認識させ、それを動かされ膣の形を変えられればそこから凄まじい刺激が神経を焼こうと鋭い刺激を送ってきた。
痛くはない、痛くはないがこれでは。
痛みならばひょっとしたら覚悟は出来たかもしれない。
だがこの感覚はなんだ、今自分が何を感じているのか分からない。
無重力へと押し出されたように体の感覚がなくなり、刺激だけが断続的に感じ取れるのみ。
これは不味い。
この果てには自分の知らない世界、知らない私が待っている。
そのことに恐怖。
「あああああっ! ダメッ、ダメですッ! いやあああっ! あああああっ! それッ、激しッ、ああああっ!」
膣の少し上、そこにある何かに触れられた瞬間、自分の内側で何かが大きく破裂した。
それは果たして気のせいか、自分の中にある何かが消失した瞬間だったのか。
それを考えられたのは一瞬、次には自分でも限界を超えていると理解出来るほどの刺激が怒濤のように襲いかかる。
指でそれが押し潰される度に止めどない刺激が駆け巡り、なんとか逃がそう頭を振るが駄目。
何かしていないとおかしくなりそうだった。
いつの間にか自由になっていた両手が自分の頭へと向かい、髪をかきむしる。
それでも攻め寄せる大きすぎる刺激は体内に蓄積し思考を破壊していく。
「映姫、気持ちいい?」
「ああっ、あああッ! ああっ! そ、そんなの、分かん、あはあああ!」
彼の言葉に辛うじて返す。
だがそれはちゃんと言えたのかすら定かではなく前後不覚、今の自分がどのような状態でどうなっているのか全く分からなかった。
これが快楽なのか苦痛なのか。
目が開いているのか閉じているのか、視界が一面真っ白に染まっている。
その先に見える一点のなにか。
それが徐々に近づいてくる。
唯一見えるそれは言い知れぬ恐怖をもたらし、何をしているのかも何も出来ていないのかも分からない自分に更にその恐怖が募った。
「気持ちいいって言わないとやめないよ?」
恐怖に陥る中、唯一聴こえた言葉。
その内容、つまりそれは――。
「ああああっ! きもちっ、気持ち良いっ! 気持ち良いっ! ああっ! い、言いました! 言いましたからぁ、ああああっ!」
気持ち良い、その言葉の意味など考える暇もなく一心不乱に叫ぶ。
それがこの恐怖から逃れられる唯一の手段だと思えたから。
これでやっと終わる、この恐怖が。
「あああっ! ああっ! なん、なんでっ、ああっ! やめッ、ああっ! あああああっ!」
終わらない。
終わらない、更に視界に映る何かが更に近づいてくる。
そして現実を襲う刺激が増した。
指で押す力、膣の上のそれをこねくり回す速度が一気に増す。
更に膣内の感触、彼の男性器の抜き差しが速度を上げた。
視界に映る何かが急速に近づいてきた。
「ああああっ! ダメェッ、い、イヤッ、くる、なにかッ、ああっ! なに!? こんなの分かりませんッ、こないでッ、ああああっ! あああっ!」
あまりの刺激、押し寄せる視界のそれから逃げようともがくが一向に動けず、痛み、気持ち良さ、恐怖が一気に溶けて混ざり合いやがて生まれる一つの感情。
痛みと恐怖、それらが気持ち良いと感じる。
そう自覚した瞬間、もう一つ高みへ自分の体が押し上げられたように感じた。
強制的に上空へと浮かばされているような感覚。
いつ落とされるか分からない恐怖に、なぜか心が昂る。
体に走る刺激の強さに脳が痛みを訴えるが、それに伴い体がより熱く燃え上がる。
この刺激がどこから送られてくるのかすら分からない。
こんなの知らない、知りたくない。
知りたくなかった、知ってしまった。
知ってしまった、もう忘れることなど出来ない。
元の私に戻ることなんて絶対に出来ない。
それじゃあこれからの自分はどうなるのか、分からない。
分からないし、知らない。
知りたくもない。
考えたくもない。
「怖いなら俺に抱きついてな、それならどこにも行かないだろ?」
急激な勢いで押し寄せる視界のそれ、背後から全身へと包まれた温もり。
そして聴こえた声。
彼だ。
彼も一緒なのだ。
真っ白な世界、押し寄せる恐怖の塊、何も出来ない自分。
その世界で初めて現れた他人、初めて訪れた感覚、感触。
感情。
もう私一人じゃない。
彼も一緒にいるんだ。
彼に包まれているんだ。
「ずっと掴んでてやるから」
抱き締め返した。
動かない体、見えない視界の中、目の前に訪れた何かを抱えているような感触。
自分の腕が見えない、彼が見えない。
だが確かに私は彼を掴んでいる。
抱き締めている。
絶対に離すもんか。
「あああっ! ぜ、絶対ですよ! 絶対に離さないでくださいっ! ああああっ、あああああっ!」
頼るように、すがるように叫びつけた言葉は返事を貰えない。
代わりに訪れる唇への優しい刺激。
接吻だ。
この感触は彼のもの。
この接吻が答えだと言わんばかりに抱き締めてくれる腕の力が強まった。
口にはださない肯定。
だがそれは言葉で返されるよりも頼もしく、替え難い幸福感と安心感をもたらした。
このまま彼と抱き締め合っていればあの押し寄せる恐怖も乗り切れる。
彼と一緒なら大丈夫。
彼と一緒なら、もう何も怖くない。
眼前へと迫った恐怖。
脳が伝えてくる命の危機にも似た体の危険信号。
「ああああっ! ああっ、ああああっ! 助けて、くださ、あああッ! イヤッ、イヤイヤイヤッ――ァアアアアアッ!」
出し得る最大限の絶叫。
視界のそれが巨大な何かとなって抱き締める力を限界まで強めた自分と衝突した。
その瞬間、自分の中で何かが大きな爆発を起こした。
何かは分からない、だが確かに何かを失ったと自覚する。
「……くゥッ!」
苦々しくも気持ちよさそうな声を溢す彼に少しだけ嬉しくなる。
どうやら彼も無事なようだ。
自分の何かで彼が気持ち良くなってくれた、それが今の自分の思考を飛ばさずになんとか引き留めてくれる。
だがすぐに真っ白だった視界は徐々に黒へと染まり、やがて漆黒に染まった。
変わってしまった自分、だが彼と一緒にいれば大丈夫。
――彼と一緒なら私は変わっても大丈夫。
それが意識を失った私が最後に思ったことだった。