※この作品はR-18です。

狐月の誓い   作:じゃじゃじゃ

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約束 三

 それは、紛れもなく、狐の子の声だった。

 甘い声なんかじゃ決してなくて、ぼくの知っている凛とした、あの声。

 確信する。

 目が、覚めたんだ……!!

 

「――皆。聞いてくれ」

 

 蔵の中がざわめきで満たされていく。

 狐の子が元に戻ったことに、その場にいる全員が気が付いたみたいだった。

 

「……わたしは、本当に、何もやっていない。この村に、災いを起こすことなど、何も。本当じゃ……!」

 

 最初は声を絞り出すようなか弱い声だった。けれど、段々と強くなっていく。

 

「あんな酷い災害の中、結果的に誰も死なずに済んだのは、紛れもなくおぬしたち自身の力じゃ。間違いない」「……おぬしたちに比べたら、わたしは……何もできてはいない。ただおぬしたちを見守っていただけに過ぎぬ……。……でも、それでも!」「わたしは、この村に仇を成すことなど何もしていない! 信じてくれ! お願いじゃ! この鎖を解いてはくれんか! もう、辛い目に遭うのは……嫌なのじゃ……! もう限界なのじゃ……これ以上犯されたら、壊れてしまう……! だから、頼む……!」

 

 狐の子は前を向き、訴える。その声は切実さと悲痛さに溢れていて……。

 ………………。

 沈黙が蔵の中を支配していく。

 

「――」

 

 それを打ち破ったのは、誰かの笑い声。

 

「ははっ。そんなこと、俺たちが信じるかと思うか?」

 

 皆がそして一斉に、狐の子を嘲笑って。

 狐の子は呆気に取られたかのようにただぽかんと口を開けていた。

 ぼくは今目の前で起こっていることに、思考が止まってしまいそうになる。

 

「狐は嘘つきだからな。騙されねえぞ」「お前がやったってことは分かってんだよ」「口の中にちんぽ突っ込んで黙らせてやろうか?」「何百回言ったら分かるんだ? 聞き飽きたな」「いい加減認めたらどうなんだ、ああ?」

 

 狐の子をつないでいる首輪を誰かが掴む。

 

「うぐっ……」

 

 引っ張られた狐の子の顔が苦しそうに歪む。

 

「止めろ」

 

 ぼくは叫んでいた。

 沢山の視線が、視線が突き刺さってくる。

 でも、引き下がらない。

 

「この子は、洪水や干ばつなんて起こしていない。穀物荒らしや、悪いことなんて何もしていない。そんなことをして、この子になんの得がある? それなのに、この子はこんなに苦しめられて……!!! 離してあげようよ。こんなの、あまりにも酷い……!」

 

 自分の中に湧き上がっていく言葉を、何とかまとめて、伝える。

 はっきりと、声に出した……。  

 

「「「…………………………………………」」」

 

 今度は本当に蔵の中が静まり返った。

 …………あれ……。

 絶対に、誰かに殴られると思っていたのに……。

 ぼくの言葉を咎める人は、いなかった。

 ただ、静かな時間が続いている。

 ……? どうしたんだろう、みんな……。

 ……ぼくは、息を呑む。

 …………………………。

 

「……確かに」

 

 だけど、誰かが沈黙を破ってぽつり、ぽつり、ゆっくりと話し出した。

 

「……こいつは本当は何にもしてないんじゃないかって……」

「薄々と気がついては、いた……」

 

 そして声は止まって。また誰かが話し出す。

 いや、誰が話しているかなんて、もう、関係ないのかもしれない。

 

「洪水とか、干ばつとか、暴風とか……起こせるわけないよな。よく考えると」

「狐にとって、確かに何の得も無いもんな……」

「盗みも、あれは、きっと虫の仕業だったんだろう……」

 

 ……説得がだめでも、諦めないつもりだった。

 何と言われても、引き下がらないために、ぼくは次の言葉を、探していた。

 ……だけど。それの必要はもう無かった。

 ………………。

 ……そうだったんだ……。

 皆も、やっぱり、心の中では、狐の子に酷いことをしたって、考え、。

 

「……だけど」

 

 けれど声は突然に、ふっと、笑って。

 

「そんなこと、もう、関係ねえんだよ」「干ばつがどうとか犯人がどうとか、どうでも」「お前、まだそんなこと気にしていたのか? 流石、こんな獣が好きなだけあるな」「今更、馬鹿か?」

 

 ……え。

 今、何て?

 どうでも、いい?

 

「俺達はただ、この蔵に来て楽しいことができればそれで構わないんだよ。なあ? お前も嫌だとかなんだとかごちゃごちゃ言っておいて、そうなんだろ?」

 

 みんなが狐の子の方を向く。

 狐の子はただただ呆然としていた。ぼくもきっと同じ表情をしているのだろう。

 耳を疑った。どうでもいい?

 ぼくの中で何かが、再生できないほどに崩れていく。

 関係ないって分かってて、みんな、狐の子のことを、苛めていた? 

 言うまでもなかった。みんな、そうだった……。

 小屋の中を満たしていたのは、同じような意味の言葉、嘲笑、罵倒。

 他に何も、何も聞こえてこない。耳を澄ませても、他になにも……。

 

 どうでも、いい。

 

 つまり、狐の子は完全に意味もなくこんなに酷い目にあわされていた……? 

 腹いせに、いや、それですらもなく、ただ気持ちいいから。

 ……めちゃくちゃだ。

 

「分かったか? 狐は黙って人間の言うことを聞いてりゃいいんだよ」

 

 言葉が狐の子の心に傷を残していく。

 

「狐だの、獣だの言うが……!」

 

 耐えられなくなった狐の子が目に涙を浮かべながら悲痛に叫ぶ。

 

「人間のお前らの方がよっぽど低俗で下品で最低じゃ! お前らなど、獣にも及ばぬ、けだものじゃ……!」

 

 けれどその声すらも、もう誰にも届かない。

 

「獣ごときが人間様に何言ってるんだか」

 

 子馬鹿にした調子でそう吐き捨てた男に、ぼくは殴りかかっていた。

 だけど、すぐに周りの人に押さえつけられて袋叩きに遭う。

 全身を蹴られ、口の中からは血の味がして、鈍い痛みに襲われる。

 だけど、絶対に気絶するわけにはいかなかった。

 

「……わたしが、……」

 

 ――狐の子の声が、聞こえる。

 ぼくの中から痛みや怒りは引かなかった。

 けれど意識は狐の子の声だけに傾く。

 ただ、純粋な不吉な予感が、絶望が一気に漂う。

 まずい――。

 暴力に耐えながら、手足をばたつかせて必死に抵抗しながらその声に耳を澄ませる。

 

「……わたしが、間違っていたのか……?」

 

 その声からは、それまで、狐の子に残っていたはずの何かが、消えていた。

 狐の子を繋ぎ止めていたはずの、何かが。

 

「そうだよ。やっと分かったみてえだな」「ようやく気が付けて、良かったじゃねえか」「一つ頭が良くなったな」「これからも心置きなく大好きな交尾ができるぞ」「あーあ、また生意気な獣に戻っちまったか」「まだ、お仕置きが足りなかったみてえだな」「もっともっと一生、犯してやるよ」「お前も本当はそれを望んでるんだろ?」

 

 狐の子を追い詰めるようなそんな言葉を聞いてぼくの確信は、焦燥は強まっていく。

 

「……ああ、そうなのか。……わたしが、…………………………」

 

 狐の子の声は、か細くなって、ついに、途絶えてしまう。

 それまで信じていたものが崩れていく。悲しみさえも、消えていってしまっている。

 代わりに狐の子の気配は、虚で埋め尽くされていく。

 人の合間、向こうに幽かに見える狐の子の姿は、数日前に消えてしまった時よりもずっとずっと儚げで……。

 

 だけどその目だけは決して虚ろじゃなくてむしろ……。

 嫌な予感がした。

 

「全部、お前が悪いんだ」

 

 誰かが言う。

 違う。悪くなんてない。狐の子は、絶対に悪くなんてない。

 こんなに酷いことをされてまで、信じていたのが悪かったなんて、何にもしていないのに、蔵の中で苛められていただけなのそれで悪いだなんて、そんなこと絶対に無い。 

 違う。狐の子は悪くない。

 ぼくが無理やり攻撃から体を起こし、そう叫ぶよりも一瞬だけ早く。

 

「……………………………――――」

 

 狐の子がぼそっと何かを呟いた。

 その短い言葉に、凍り付く。

 狐の子が何て言ったのか、ぼくには、はっきりと聞こえていた。

 

 『死にたい』。

 

 とっさに袂を確かめる。

 かさり……。

 と、手に触れたのは、一枚の、緑の葉っぱ。それだけだった。

 ……無い。さっきはちゃんとここに、入っていたはずの包丁が、無い。

 無い。無い。無い。無い。無い。

 落とした? いや、違う。そうじゃなくて、狐の子に。

 ……!

 ぼくは掴みかかる周りの手を振り払って、狐の子に駆け寄ろうとした。

 

 けれど。

 それは一瞬だけ遅かった。

 狐の子は、どこかに隠し持っていた包丁の柄に、手をかけて。

 その瞳には、絶望と、悲しさと全てが沢山映っていて。

 だけど、あの約束の時のように、輝いていて――。

 そのまま自分の、ふわふわとした白い毛に覆われた、首元に、刃を突き立て――。

 ――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死にたいか?」

 

 一言だけそう言い放った。

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