※この作品はR-18です。

狐月の誓い   作:じゃじゃじゃ

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約束 六

 しばらくして、ようやく呼吸が落ち着いてきた頃。

 狐の子とぼくは、ゆっくりと起き上がって、岩の上へと再び登る。

 

「「……」」

 

 右隣に座って狐の子は、宙を見つめて、何かを考えているみたいだった。

 

「……すまんな。取り乱してしまって……」

 

 狐の子の耳が、申し訳なさそうに、垂れてしまう。

 気にしていない、と狐の子に伝える。

 

「……何度でも言うぞ。おぬしは、わたしの恩人じゃ……。ありがとう」

 

 狐の子の言葉がはっきりとした声で聞こえてくる。だけど……

 

「……でも、やっぱり、ぼくは何も……」

 

 狐の子の為に、何もできていない。

 それどころか……約束の日までに、狐の子を助け出せなかったのに……。

 だけど、狐の子は目を伏せて、ふるふると首を横に振った。

 

「……おぬしと、」

 

 狐の子がきゅっと袴を握る。辛い記憶に耐えているような表情を浮かべながら、語り出す。

 

「……おぬしと格子窓越しに、手の平を合わせて、別れた後。……わたしは本当に壊れ、精液をねだるだけの人形へと堕ちた……」

 

 ……虚ろな目をして、甘い声でちんぽをねだる狐の子を思い出す。

 ずきり、と胸が痛む。 

 

「しかし、約束の日の終わりに……わたしの意識は突然戻った。……そうじゃよな?」

 

 約束の日の交尾が終わった直後に、狐の子は目を覚ました。

 間違いない。ぼくは頷いた。

 だけど……それなら、どうして、今、狐の子は確認したんだろう……?

 狐の子の言葉に少しだけ疑問を抱いていると、狐の子はいきなり……

 

「……騙していて、本当にすまぬ……!」

 

 と、申し訳なさそうに頭を下げた。

 だけどそんな心当たりは全くなくて、困惑する。

 

「それって、一体……?」

 

 騙していたと言われても、狐の子を責める気持ちは少しも沸いてこない。

 ……だけど、気になってしまって訊き返す。

 心臓が早鐘を打っている。

 

「……約束の日は、満月じゃったな」

「……うん」

 

 確かに……約束の日は、思わず見とれてしまうぐらいの、きれいな満月だった。

 蔵の中には、白い月明かりが注ぎ込んでいた。

 満月のおかげで、暗い夜道も仄かに照らされていた。

 ……だけど、それでも狐の子が伝えたいことが何も分からず、息を呑んで待つしかない。

 

「……本当は、あの日の夜、交尾の間ずっと……、目覚めて、おったのじゃよ」

「……え……?」

 

 狐の子の言葉がすぐには信じられなくて、思わず耳を疑ってしまう。

 約束の日の、交尾の間……ずっと?

 だけど……狐の子は、交尾が終わった時に、突然目が覚めたはずだ。

 その時までは……その時までは、ずっと変わらず、虚ろな目をして、堕ちたままだったんじゃ……?

 少なくとも、ぼくにはそう見えていたけれど……。

 ……?

 

「……恐らく、人形になってしまった後も、わたしの意識は、絶えずに、細い糸の様にどこかに残っていたのじゃろう……。月明かりが、それを呼び覚ましてくれたのじゃな……。確かめる術はないが……」

 

 難儀な体じゃな……、と狐の子が付け加える。

 

「そうだったんだ……」

 

 満月のおかげで、狐の子は、元に戻ることができた……。

 心の中で、月にお礼を言う。

 だけど……それだけで十分なはずなのに。

 あることが、心に引っかかってしまう。

 

「それなら……どうして、堕ちていた振りをしていたの……?」

 

 約束の日も、狐の子が完全に堕ちてしまったままだと、ぼくはずっと誤解をしていた。

 狐の子は戻ってこないと思って、絶望していた。

 ……ちんぽを自分からねだって、しっぽを振る演技をするなんて、それだけでも狐の子は辛かったはずなのに……。

 

「……月は、意地悪じゃ」

 

 狐の子が話すのを一旦止めて、月を見る。昨日に比べると、ほんの少しだけ欠けた月だった。

 

「一晩だけ目覚められたとして、それが一体何になる? ただ、苦しい記憶が増えるだけじゃ……。ならば、またすぐに堕ちてしまいたかった。だけど……」

 

 狐の子は月から視線を外して、声を落とす。

 

「……つい、気になってしまった。堕ちた後のわたしは、一体どのように扱われているのじゃろう、と……。もしかしたら、あの者たちが、悔いてくれているのではないかと……」

「……」

 

 ……。

 狐の子が一つ一つの言葉を継いでいく。未だ癒えていない、痛みを伴いながら……。

 

「……だけど、何も変わっていなかった。それどころか、交尾は更に激しくなっておったよ。……考えてみれば、当然じゃな。誰が、人形に遠慮などするか?」「……月を恨んだよ。こんなことなら、やはりずっと堕ちていれば、良かった。それなら、二度と、苦しまなくて済んだのに……。そう思った」「……どうせ、目覚めていられるのは、今宵の満月の間だけ。……約束の日が、最後の機会じゃった」「再び堕ち、意思がなくなる前に、すぐに死のう。そう考えていると、おぬしの番が回ってきて……」「わたしは約束通り、袂から包丁を抜いた」

「……!」

 

 やはり……ぼくが狐の子との約束を守らないと、決心する前に。

 既に、包丁は、袂に無かった……。

 見落としていたせいで、狐の子が自殺してしまっていたのかもしれないなんて……。

 改めて愕然として、暗い気持ちになる。

 ……やっぱり、ぼくは狐の子に何もできていない。……それどころか……。

 

「しかし、おぬし……」

 

 狐の子が顔を上げて、こっちを見る。

 ……?

 狐の子が、かすかに微笑んで、いる……?

 

「包丁を取られたことに、気が付かないで……、泣いてくれていたじゃろう?」

 

 柔らかい口調で狐の子が話す。

 狐の子が戻ってこないと確信した瞬間を思い出す。

 絶望に包まれた時のことを。

 だけど、それでも、狐の子の手の平のぬくもりは、約束の日のあの時、ぼくの番が回ってきた時も、変わっていなくて……。

 それで、自分の奥底にせき止めていた気持ちが、急に溢れ出てきて……。

 他の人には隠したはずなのに。

 泣いてしまっていたことは、狐の子には、ちゃんと、見られていた……。

 

「それに……、おぬし、蔵に居る間ずっと……、わたしの心配をしてくれていたな……?」

「……うん」

 

 蔵の端っこの方で座って、ずっと、悩んでいた。

 ……色んなことに、耐えていた。

 

「……あんなにも、わたしのことを想ってくれた人間は、長い間でも、おぬしが初めてじゃった。……嬉しかったぞ」

 

 ……狐の子のことを忘れるわけがない。狐の子のことが、頭から離れるわけがない。

 だって……狐の子のことが……。

 

「……そして、堕ちてしまう前に、最後の希望を抱いた。……もう一度、あの者たちを、信じてみよう、と思った。……馬鹿じゃな、わたしも……」

 

 狐の子は再び暗い顔をしてしまう。

 ……二人とも、その結末を知っている。

 

「……殺してしまった後で、呆然とした。それから……すぐに死のうと思ったよ。……だけど」

 

 狐の子が静かに息を吸って、俯くのを止める。

 

「おぬしと目が合った時に……ふと、思い留まったのじゃ」

 

 狐の子と視線が合う。

 

「死にたくない。まだ、生きて、おぬしと一緒にいたい、と……」

 

 狐の子は目をつむって、すう……と小さく息をはいた。

 ……。

 色んな感情と、向き合う。

 ぼくが狐の子のことで悩むのを止めてしまっていたら……。

 ……狐の子は、死んでしまっていた。

 そのことを考えると、震えるし、自分の情けなさに、嫌気が差す。

 

 ……だけど。

 もしも、本当に、ぼくがいたから……狐の子が死なないでいてくれたのなら……。

 それなら、……ぼくは、今まで生きていても良かったのかもしれない……。

 こんなことを考えるのは初めてだった。

 

「おぬしは、恩人なのじゃよ」

 

 狐の子は、恥ずかしそうに、しっぽを一回揺らした。

 少し疲れてしまったのか、狐の子は肩の力を抜いているみたいだ。

 

「しかし、おぬしは変わり者じゃな」

 

 それから、呆れと感心の混ざったような目線で狐の子はこっちを見た。

 表情は和らいでいて、その声の調子からも、重々しい感じが引いていて、……安堵する。

 

「わたしなど、例え神であっても、見た目は狐じゃろ? よく助けようと思ったのう?」

「え……」

 

 その言葉に衝撃を受ける。と、いうことは……。

 

「もしかして……神様、だったの……?」

 

 確かに狐の子は、手をかざしただけで膝の傷を治してくれたりしていたけれど……。

 ……尋ねると、狐の子は信じられないという風に目を丸くしている。

 その反応が何よりも答えだった。

 

「……じゃあ、おぬしは今まで、わたしのことを何だと思っていたんじゃ?」

「……妖狐……」

 

 狐の子が使う力は、妖術だとばっかり思っていた。

 まさか、神様、だったなんて……。

 恐る恐る答えると、狐の子はむっと頬を膨らませている。

 

「その、ごめん……いてっ」

 

 咄嗟に謝ろうとすると、ぺし、と狐の子に軽く頭をはたかれる。

 

「んなわけあるかい。だれが妖狐じゃ」

 

 心外だという口調で、狐の子がぷいとそっぽを向いてしまう。

 だけど、不思議とその顔は爽やかだった。

 あれ、だけど、狐の子が神様なら……。

 ……。

 あることに気が付いて、ぼくから血の気が引いていく。

 

「……ご、ごめんなさい。……その、ぼく、神様と知らずに、今まで普通に話しかけていましたけど……とんでもなく、失礼をしていたのでは……ないでしょうか……」

 

 神様に対して敬語を使ってなかったし、馴れ馴れしく話しかけていたし……。

 かなり罰当たりだったんじゃ……。

 

「今更何を。気にしておらんよ」

 

 だけど狐の子は意外そうな顔をして、首を傾げた。

 

「でも……」

「気にせんでいい。今まで通りにしてくれ」

 

 むしろ敬語で話しかけられることが嫌そうに、狐の子は顔をしかめた。

 

「分かった」

 

 ぼくが口調を戻すと狐の子は満足そうに頷いた。

 

「そう。それでいい。……妖狐か」

 

 狐の子がふっと微笑む。

 

「もしもわたしが妖狐なら、夜な夜な、おぬしの家に化けて出てやっていたぞ?」

 

 狐の子が冗談めかして、両手を幽霊みたいに、ゆらり……と下げる。

 

「くくく、怖がる反応が面白そうじゃ……!」

 

 愉快そうに、それでいて不敵に笑う狐の子は、悪戯っぽくてかわいい。だけど、月明かりだけの暗がりの中だと、ちょっと怖い……。

 

「ふふ、冗談じゃよ。怯えられるのも心外じゃからな」

 

 どうやら怖がってしまったことは顔に出ていたらしく、狐の子は可笑しそうに口元を袂で隠す。

 

「ふふふ……。……」

 

 だけど、ふっと狐の子から笑顔が消えて、再び真剣な表情に戻って、俯いてしまう。

 

「……」

 

 それから、長い沈黙の後、狐の子はぽつりぽつりと話し始めた。

 

「……わたしは、今まで……」

 

 狐の子の顔に再び影が差していた。

 

「……今まで、何を、してきたんじゃろう……」

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