※この作品はR-18です。

狐月の誓い   作:じゃじゃじゃ

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約束 七

「……これから、どうすれば良いのじゃ……? 何も、分からぬ……。わたしは……、一体……」 

 

 狐の子は、体を小さく震わせて、嗚咽する。

 暗闇に、狐の子が再び取り込まれそうになっている……。

 そんな恐怖を抱いてしまい、心臓を切り裂かれるような思いになる。

 狐の子の様子に、戸惑って、どうすればいいのか分からなくなって。

 だけど……。

 

「………君が」

 

 すぐに、震える狐の子の、ふわりとした手の平に、自分の手の平を重ねて、……言う。

 

「君が、生きていて、本当に良かった…………」

 

 狐の子の命が、一番大切だった。

 だから、ぼくは狐の子との約束を果たさなかった。気が付けたから、思い留まれた。

 一瞬でも、そんなことを考えてしまった自分は、馬鹿だった。

 本当に、愚かだった。最悪だった。最低だった。

 狐の子が生きていなければ、どうにもならなかったのに……。

 

「君が、死んでしまったら……ぼくは……きっと、もう、生きることができなかった」

 

 狐の子が死んでしまっていたら……。

 そんなことを今、想像するだけでも、怖くて、足元が崩れ落ちて目の前が真っ暗になる様な感覚に襲われる。

 狐の子が、生きていて、本当に、良かった。

 ……狐の子の悲しそうな、辛そうな顔を見るのは……、もう嫌だった。

 

「君が生きていてくれて、本当に、本当に、嬉しい……」

 

 はっきりと言わなきゃいけないことなのに、声が震えている。

 自分が情けない…………。

 

「………」

 

 狐の子は、瞬きをしながら、ぼくをじっと見つめていて……。

 その、ふわふわとした頬の毛の上を、一筋の涙が伝っていた。

 

「…………おぬしは、本当に、優しいな……」

 

 狐の子が、袖で目元を拭う。

 その表情は、少しだけ緩んだような気がする。

 暗闇の気配が狐の子から薄れたように感じて、ほっとする。

 

「「………」」

 

 静かな時間が、続く。

 

「だけど……」

 

 狐の子は見上げていた月から視線を離して、

 

「わたしは、駄目な奴じゃ」

 

 再び、自嘲した。

 そんなことない……、とぼくが首を横に振って、狐の子に声を掛けようとしたけれど。

 

「………のう」

 

 その声は狐の子の声と重なって、途切れてしまった。

 

「おぬしに、どうしても伝えたいことがある」

 

 周りの空気がぴんと張りつめて、ぼくは息を呑む。

 ……大切なことを、狐の子は、話そうとしている。

 それがすぐに伝わってきて、ただ頷いていた。

 

「わたしは長い間、村のことを見守ってきた。……しかし、それは昔の話。今は最早、何者でもない……」

 

 狐の子がぽつりぽつりと、話していく。

 

「いや……例えるならば、今のわたしは、人を奈落の底に突き落とす、祟り神じゃな。……居ない方が良い存在じゃ。……おぬしにも、沢山迷惑をかけた……」

 

 狐の子の口調は弱々しくて、その姿も儚げに見えてしまって……。

 狐の子とお別れをした日の記憶が蘇る。

 

「……これ以上一緒にいては、おぬしに大変な不幸が降りかかるかもしれぬ」

 

 狐の子は前を向いて、それから、ぼくの目を見て、はっきりとした口調で、話す。

 

「じゃから、今のうちに別れ……」

 

 狐の子がそう言い掛ける。だけど、ぼくは首を横に振った。

 

「違うよ。君のせいじゃない。ぼくが情けないのが悪い……」

「……?」

 

 狐の子は、きょとん……とする。

 ……狐の子との、約束の日。

 あの日から、ずっと、心に抱えていたことだった。

 今まで生きてきて、初めて気が付いたことだった。

 

「…………今まで、ぼくは、自分の弱さに甘えていて、自分には何もできないと決めつけていた」

 

 ぼくは無力で、弱い。

 これと言って目立つ存在でもなく、力も弱く、かと言って頭も良くなくて、病気にもよくかかって、特技は無く、人付き合いも苦手で、身寄りもなく、小柄で背も百五十糎(センチ)ぐらいしかない――。

 ……だけど、ぼくは、その弱さに甘えていた。

 独りでいるのならば、ずっと弱いままでいても、生きていけるから……。

 

「自分の出来る範囲でしか、行動することをしなかった。だから、もっと早く、君のことを、……助け出すことができなかった」

 

 けれど、その弱さは、独りで生きている時しか、通用しない。

 

「……もう二度と、君をあんな目に遭わせない。君に辛い思いをさせない」

 

 ぼくは狐の子のことが、好きだ。

 狐の子が悲しそうに、苦しそうにしている姿は、もう見たくなかった。

 弱いままだと、狐の子を守れない。守れるわけがない……。

 ……守りたい、助けたいって願っているだけじゃ、全然足りなかったんだ。

 

「君を守れるように、強くなる」

 

 ぼくは誓う。強くなりたい。

 だけど、ただ力が強いだけじゃダメなんだ。

 大切な人を守れなければ、それは強さじゃないんだ。

 そして何よりも、誰かを想う優しい気持ちが無ければ……。

 ……そう、狐の子がぼくにしてくれた様に。

 だから、僕は。

 狐の子の様に優しくなって……、狐の子を守りたい。

 

「だから……ぼくと、一緒に、いて下さい………………」

 

 狐の子に頭を下げる。

 心臓が暴れている。

 頭が混乱している。

 呼吸がおかしい。

 視界が、くらくらする……。

 狐の子は、目を丸くしている……。

 

「……こんな狐と、一緒に居たいなんて……おぬし、本当に、良いのか……?」

 

 何回も頷く。

 狐の子と、一緒にいたい。それが願いだった。

 

「………………くすっ」

 

 すると、狐の子は頬を緩めて。

 

「強くなる……か」

 

 それからじーっと、どこかを見つめた。その視線の先は……ぼくの右腕。

 

「ふふ、それなら少しばかり鍛錬が必要じゃのう?」

 

 言われてぼくは改めて、自分の腕を確認した。

 ……うん。見るからに細くて貧弱そうだな……。

 強くなりたい、強くなる……と、今さっき自分が話したことのはずなのに、狐の子の口から改めて聞くと何だかこそばゆい気分になってくる……。

 今の段階だと強くなるどころか、そもそもまず普通の人ぐらいには力を付けることからじゃ……?

 

「大丈夫。きっと、絶対、強くなれるから」

 

 くすりと笑みをこぼして励ましてくれる狐の子を、まっすぐ見ることができない。

 きっとぼくの顔は今、真っ赤になっているんだろう……。

 恥ずかしさに襲われているぼくを、狐の子は面白そうに眺めて、それから……。

 

「それに――おぬしは、」

 

 穏やかな優しい表情をした。

 

「おぬしは決して、弱くなどないよ」

 

 それは、芯を持った、凛と透き通った、狐の子の声。

 ……またすぐに、否定の言葉が出てきそうになってしまう。

 けれど、今まで自分はそういう自嘲にも、甘えていたということに気付いて、それを押しとどめる。

 ぼくはまだ弱い。それは本当だ。

 ……だけど、それは今だけにしよう。

 

「………一度は」

 

 少しの間、言葉を探している様子だった狐の子が、再びゆっくりと話し出す。

 

「わたしは、一度は、堕ちてしまった身じゃ。……覚えているじゃろう? 先程の乱れた姿を……」

 

 さっきの狐の子は……本当は震えていたのに、無理に笑っていた。

 その記憶が頭をよぎって、胸が苦しくなる。

 ……だけど。狐の子はもっともっと、苦しかったはずだ。

 

「……再び、怖くなって、また、あんな風になってしまうかもしれない」

 

 確かめるように狐の子は続ける。

 

「それに、おぬしにも、とてつもない不幸をもたらすかもしれない……。」

 

 狐の子と目線を交わす。

 

「………………それでも、良いのか?」 

「うん。一緒にいよう……!」

 

 狐の子にすぐに返事をして、大きく頷いた。

 

「……ありがとう」

 

 狐の子は、泣いていた。

 かすれる声で、答える。

 

「……ぼくの方こそ、ありがとう」

 

 目頭が熱くなっている。じわり、と視界が潤んでいた。

 ぎゅっと、抱きしめあって、目を閉じる。

 狐の子の頬の毛が、頬を撫でて、くすぐったい。

 ぼくの体に、もふもふとした大きなしっぽが巻き付く。

 狐の子は、ふわふわとしていて、とてもあたたかくて……。

 胸が熱くなる。時間が流れていく。

 

「あ、あー……」

 

 何かに気が付いた様子の狐の子が腕をほどいて、気まずそうに目を逸らす。

 

「……? どうしたの……?」

 

 なにか、有ったのかな……。と、心配になる。

 

「――その、うっかりしてて……」

 

 狐の子はもじもじとしながら、目を逸らす。

 ?

 

「……今まで、おぬしの名前を聞くのを、忘れておった……」

「あっ……」

 

 言われてみて初めてはっとする。

 今まで、ずっと「君」って呼んでいて、狐の子の名前を、知らないでいただなんて。 

 思いもよらなかった……。

 

「迂闊なもんじゃな。わたしも」

 

 狐の子は自分に呆れたように、そして照れたように、笑う。

 小さな風にふわふわと揺れる毛。金色の瞳。

 口元からこぼれる牙。思わずどきっ、と心臓が跳ねる。

 

「ぼくの名前は、青(あお)」

 

 今まで滅多に口にすることの無かった自分の名前を言う。

 

「青か。いい名前じゃな」

 

 誰かに名前を褒められるのは初めてで、嬉しいような、むずがゆいような気分になる。

 

「わたしの名は、狐に月で、狐月(こつき)じゃ」

 

 狐月。きれいで、すてきな名前だ……。

 改まって、狐の子、いや、狐月がぺこりと頭を下げる。

 狐月におじぎを返す。

 その時、

 

「……あ……」

 

 ふと視界が白んで眩しくなる。狐月が声を上げて、遠くを見つめる。

 山の向こうから、太陽が、ゆっくりと登っていた。

 森が、こちら側へと少しずつ、夜に隠していた緑色を映していく。

 大空は、鮮やかな橙色に、青色に染まっている。

 壮大な自然を前にして、狐月もぼくも、しばらくの間、言葉を失って、ただ、その様子を眺めていた。

 狐月の左手が、ぼくの右手を包む。

 

「青……」 

 

 狐月に呼ばれて、胸の高鳴りを感じる。

 そして、こっちを向いて、狐月が少しはにかんだ。

 

「本当に、ありがとう」

 

 

 

 ……狐月とぼくが、これからどうなるのかは、分からない。

 だから、ぼくは強くならなければいけない。

 狐月を守れるようになるために。

 ……だけど今、今、この時だけは。

 狐月と一緒にいられるなら、それだけで良かった。

 ――森は日差しを受けて、眩しいくらいに瞬いている。

 鳥の声がどこからか聞こえてくる。

 夜が明けていく。

 狐月と手をつないでいる。

 狐月の目は、もう、虚ろじゃない。

 だけど映っていたのは、死にたいと願っていた時の、儚い輝きでもなかった。

 狐月の金色の瞳は今、澄んで、強く、明るく輝いていた。

 

「――これは、どこかで聞いた話に過ぎんが……」

 

 朝日を眺めながら、狐月がゆっくりと、話し始める。

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