※この作品はR-18です。

狐月の誓い   作:じゃじゃじゃ

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あと六日

 待っていることは、どうしてもできそうになかった。

 とにかく、あの約束の日までにあの子を蔵から助けられれば、それでいい。

 あの子が壊れてしまう前に、自分で死んでしまう前に、助けることができれば……。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 次の日ぼくは、朝起きるとすぐに、村の中を探索することにした。

 とにかく、あの狐の子があそこから出られるように、乱暴を止めてもらうようにお願いしよう……。

 狐の子のことを話せる相手は、大人の男の人だけだ。あの子の話は、恐らく村の男の間の内密だから、女の人に話すのは危険だろう。村中に話が知れ渡った場合、隠ぺいするために狐の子の命が危なくなる可能性だって十分有り得る。

 

 畑沿いの道を歩いていると、向こう側から誰かが歩いてくる。

 権蔵さん。確か昨日はあの場にいたはずだ。

 

「こんにちは」

 

 ぼくが頭を下げると、向こうは少しだけうつむいたように下を向く。

 

「あの」

「……何だ」

 

 権蔵さんに睨みつけられ気押されながらも、何とか怯える心を押しとどめる。

 慎重に言葉を選ぶ。迂闊なことを言えば、狐の子がぼくのことを手先にしてるんじゃないかという疑いが生まれて、更に狐の子が傷つけられるかもしれない……。

 

「昨日の」

 

 だけど、そう言うなり権蔵さんはすたすたと無言で歩き去って行ってしまった。

 一人取り残される。……ここでめげてはいけない。探索を続ける。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 村中を歩き回った。だけど、ぼくの話を聞いてくれる人なんていなかった。

 みんな、『昨日』とか、『狐』っていう言葉を口にした途端に、無視をするか、ぼくを睨みつけてどこかへと行ってしまう。

 村の中ではこの話は、してはまずいのだろう……。

 ぼくが除け者だから、話を聞いてくれないっていうのもきっと有る。

 

「あの狐か」

 

 もう何人目だろうか、ようやく立ち止まってくれる人がいた。弥助さんだ。

 

「はい、昨日の――」

 

 安堵して、早速話を切り出そうとした。

 

「お前の順番は、まだだ。呼びが来るまで黙ってろ」

 だけど、弥助さんはそう言って、すぐにどこかへと歩いて行ってしまった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 気が付けばもうお昼時になっている。

 村の水車の近くで源造さんと、孫ノ介さんと、倉三郎さんが座って談笑している。

 

「あの、すみません……」

 

 話しかけにくい雰囲気が漂っているけれど、躊躇している場合じゃない。

 こうしている間にも時間は過ぎ去っていくのだから……。

 

「ん?」

 

 興味なさそうな目線を浴びせながらも、けだるそうに倉三郎さんは振り向いてくれた。

 

「狐の、ことなんですけど」

「狐? ああ、あいつか」

 

 どうやら話を聞いてくれる気はあるみたいだった。ぼくは頷いて、声を落として話を続ける。

 

「はい、そうです。昨日の狐のことです」

「もしかして、お前、あいつのことが気に入ったのか?」

 

 けれど、源造さんに唐突に話を遮られて……。

 

「ははは、そりゃあ面白え!」

「あんな淫乱な狐のことが、好きになっちまったのか?」

 

 あははははは! 笑い声が響き渡る。

 『狐が好きになった』。

 三人は冗談のつもりで言ってるんだろうけど、それは本当のことだ。

 だから、ぼくの心を探られたようで……嫌な感じがする。

 今すぐにここから立ち去ってしまいたくなる。

 言われたくなかった大切な場所に勝手に土足で上がられて、その上踏みにじられたみたいな気分だ。

 じっとりとした気持ち悪さが襲ってくる。

 心を乱されていく間に話はどんどんと進んでいく。

 

「しかし、お前は変態だな。あんな狐のどこがかわいいんだ?」

「理解できないぜ、ほんと」

「まあでも、お前の相手には、せいぜい獣がぴったりだよ」

「似合う似合う。仲良く一緒に畑耕して、子作りしてな」

「そんなにあいつとヤりたいなら、いっそもう、結婚でもしちまったらどうだ?」

「「あはははははははははははははは!」」

 

 どうしてあの子を好きなのが悪い?

 何であんなに良い子を好きになるのが悪いんだよ。

 あんな狐とか言ってて、じゃあ、みんなどうしてあの小屋に行く……? 

 好かれてもいないのに、精液を注がれるなんて、あの子がかわいそうだ。

 

 怒りたくなるのを必死に抑えて、平静を保とうとする。

 いえいえ、そんな……と、誤魔化すこともできたけど、しなかった。

 ぼくが狐の子のことが好きなのは、本当なんだから……。

 だけど、誰かの前で肯定する勇気も無い。

 それこそここで頷いてしまったら、どんな言葉を浴びせられるか分かったものじゃない。

 ……情けなかった。

 

「……あの、ぼくの順番は」

 

 耳を塞ぎたくなるのを我慢している。もうこれ以上話を聞きたくなかった。

 だけど、ここで怒ったらあの子にもっともっと迷惑がかかってしまう。

 今は、なるべく何も感じないように……。

 

「あー? お前の次の番はまだまだ先だよ」

「少なくともあと二週間は回ってこねえな」

「大人しく待ってろ!」

「……はい」

 

 ぼくは俯いて返事をして、その場を後にする。

 聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声しか出せなかった。

 

「しかしあいつよっぽど交尾がしてえみてえだな」「見かけによらず、溜まってんだろ」「あんな獣と早くヤりたいなんてな」なんて会話が続いて、また笑い声が背中に突き刺さる。

 

 けれど、ぼくが狐の子が本当に好きになったということ、三人が勘付いていなさそうだというところだけは幸いだった。

 もしも知られてしまったら、きっと、もっと、ぼくの中の何かが踏みにじられていくんだろう。

 

 あと二週間は順番は回ってこない。

 今日ここまでで与えられたのは、そんな絶望的な情報だけ。

 少なくとも二週間は……蔵の中に入って狐の子を助ける機会は巡ってこないということ……。

 無理を言って参加させてもらうように頼んでみても、きっと殴られて追い返されるだけだ……。

 だけど、大人しく二週間も待っていたら、狐の子は先に壊れてしまう……。

 悔しさとか、虚しさとか、やるせなさが混ざり合って、息が苦しい。

 狐の子は、こんな雰囲気の中にいつもいるっていうのに、どうして信じたいって願えるのだろう……。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 夕方、誰にも気づかれないようにそっと山を登って、狐の子のいる蔵へと向かった。  

 運が良かった。誰もいない。

 すうすうと眠っていた狐の子は、窓から覗いたぼくの気配に気が付いたようで、ぱちっと目を覚ます。

 

「――おぬしか」

「……うん」

 

 笑っているとも怒っているとも悲しんでいるともつかない、狐の子は殆ど無表情だった。

 気まずい沈黙。

 ……今日一日、狐の子の為に何もできなかった。

 自分の中が、罪悪感で満ちていく。

 

「……のう」

「……?」

「ところでおぬし――家はどの辺にある?」

 

 狐の子から突然飛んできた質問に戸惑う。

 家?

 

「えっと、村の隅っこの方の、大きな栗の木の近くだけど……」

 

 どうしてそんなこと訊くんだろう? 不思議に思いながらも答える。

 

「なるほど。あの辺りは日当たりはまあまあじゃな。今、何を育てているのじゃ?」

「米と、大根だよ」

「種まきは上手くいったか?」

「うん。今年は多分、順調かな……」

 

 災難だった去年とは違って、今年はきっと飢えることは無いだろう。

 

「そうか。それは良かった。だけど、油断は禁物じゃぞ」

 

 狐の子が微笑んでくれて、緊張が次第にほどけていく。

 

「釣りとかはするのか?」

「たまに川に行くよ。……全然得意じゃないけどね」

 

 ぼくの田と畑は狭いから、どうしても釣りや山菜や野草にも頼らなければならない。

 だから川に出かけることもしばしば有る。じーっと待っているのは苦手じゃない。

 だけど、魚は何故か、いつまで経っても引っかかってくれない……。

 

「山の上流の、ブナの群生の近くに、良い釣り場があるぞ。近くにはキノコや山菜も沢山生えておる」

 

 狐の子が方角を指で示す。そんないい場所が有ったなんて、知らなかった。

 狐の子にお礼を言う。

 

「教えてくれてありがとう。釣り、好きなの?」

「いや。わたしもてんで駄目じゃよ。同じ川なら、泳いでる方がよっぽど良い」

 

 狐の子の口調からは自信が垣間見える。泳ぐの、得意なんだ。

 

「おぬしはどうじゃ?」

 

 言われてすぐに首を横に振る。ぼくの場合は、泳ぐというより、なんとか浮かんでいるっていう方が正しい。

 

「まあまあ、そう否定せんでも」

「手と足をどうやって動かせばいいのか……さっぱりで」

「自分が魚になった所を想像するのじゃよ。まずは息を大きく吸って、それから水面に顔をつけて……」

 

 狐の子は実際に手足を使って、泳いでいるときの様な仕草を見せてくれる。

 狐の子が魚と一緒にすいすいと泳いでいるところを想像する。

 のんびりとした景色だ。

 泳ぎ方を教えてくれる狐の子は楽しそうで……運動が苦手なぼくさえも泳ぎたくなってくる。

 ……だけど、だからこそ狐の子を閉じ込めている首輪と鎖と格子の存在が重くなっていく……。

 

「泳ぎやすい場所は、水源から少し離れた――。…………」

 

 突然狐の子が話を止めて、すんすん、と辺りの匂いを嗅ぎ、ぼくの肩越しに何かを見る。

 何かに勘付いたみたいに。

 ……まさか。

 

「そろそろ、人が来るぞ」

 

 そんな重大なことを狐の子はさらりと言った。

 ぼくにはまだ、足音とかは聞こえてこないけれど……。

 言われてみれば、何かが近づいてくる気配だけは確かに伝わってくる。

 まずい。こうしてこっそりと狐の子と会っているってことが分かったら――ぼくは勿論、狐の子にも罰が下されるに決まっている。振り向けばまだ人の姿は無い。

 

「ご、ごめん。じゃあね」

 

 狐の子に幽かな声で挨拶をして、慌ててその場を離れる。

 

「約束……頼んだぞ」

 

 そんな返事が返ってきて、心臓を掴まれた様な気分になって、思わず立ち止まって振り向いてしまう。

 狐の子の表情は明るい。だけど……やっぱりぼくは、頷くことができなかった。

 参道を避けてその脇の草むらから音を立てずゆっくりと山を下りることにする。

 傾斜がかなり急だけど、誰かに見つかる危険を考えると背に腹は代えられない。

 釣り場や泳ぎ方を狐の子は教えてくれたけれど……。

 釣りも山菜摘みも、田んぼや畑の世話も、今、できない。

 それよりもずっとずっと大切なことが有る。

 

 蔵に誰かが来ている時は、狐の子を助けることはできない。

 つまり毎日、夜は無理だから、時間はずっと少ないって考えた方がいい。

 焦燥に駆られる。

 日は沈んで、再び長い夜がやって来る……。

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