狐月の誓い 作:じゃじゃじゃ
狐の子との約束の日まで、あと五日。
昼までぼくは、昨日と変わらずみんなに話を聞いてもらおうとしたけれど……。
誰に話しかけても結局はからかわれるか無視されるかのどっちかで、昨日と一緒でなんにも成果は得られなかった。
一旦家に戻って考える。
恐らく男の人全員に話しかけたと思う。
それでもだめだったっていうことは。
とにかく話を聞いてもらうやり方は、全く上手くいかなかったってことだ……。
……自分がこんな立場にいるっていうことを嫌に思う。
今まではからかわれても、嫌がらせをされても、少し虐められても殴られても全然気にしたことなんてなかった。そもそもそれが普通だと思っていたけれど……。
こんな気分になるのは初めてで……戸惑う。
いや、今、自分のことはどうだっていい。
こんなところで諦める訳にはいかない。次はどうすればいい?
目指すこと自体は変わらない。狐の子をあの蔵から助けてあげること。
……ぼくは自分の家の納屋の奥から、あるものを取り出す。
金槌に鋸に鉈。それらを風呂敷に包んで、こそっと村を抜け出して山を登る。
◆ ◆ ◆
幸いにも今日も蔵の周りにも中にも、狐の子以外誰もいなかった。
見れば、狐の子の毛にはまだ乾いていない精液が沢山ついていて……、艶やかだったはずのその色が濁ってしまっていた。
……昨日の交尾は激しかったみたいだ。それよりも気になったのが、ぺろぺろとその精液を、まるで何でもないことをするような調子で狐の子が舐めていたことだった。
その行為に特に嫌がる素振りも見せない狐の子に、ぼくは一瞬、昨日までと違う気配を感じ取っていた。どくん、と心臓が鳴る。少しずつ、狐の子は……。
「あの……」
けれど、呼び止めて振り向いた狐の子の表情は昨日とあまり変わらないように見える。
いや、やっぱり疲れているようだ。
「おぬしか」
ぼくは狐の子がまだ変わってしまっていないことに安心して、風呂敷を地面に下す。
包みを開くと狐の子はきょとんとしてそれを見ている。
「約束の日より、少しばかし早いが……?」
狐の子の言葉に戦慄し、ぼくは道具を狐の子に取られないように、咄嗟に全て風呂敷にしまって、窓からすぐに遠ざかる。
「違うよ。これは、約束してた道具じゃなくて……」
危うく狐の子が死んでしまうところだった……。
自分の迂闊さに恐怖を抱く。
蔵の出入り口へと向かう。
立派な大きな鋼鉄の扉に、何やら文様が描かれた小さな錠が一つついている。
道具は狐の子との約束として渡すためじゃなくて……、ここで使うために持ってきた。
金槌の柄を持つ。息を吸って、めいっぱいの力を込めて振り下す。
ガン! と鈍い音が響き渡った。腕にしびれが伝わる。
だけど、見てみれば、錠は壊れていなかった。もう一回、もう一回……と、続けざまに振り下ろす。
けれど錠は壊れるはおろか、傷すらも一つもつかない。
それなら……鋸を錠に当てて、強に何度も引いてみる。
錠と刃がこすれる音。ぽろぽろ……と金属の粉が地面に落ちていく。
よし……! 今度こそ、手ごたえはあった。手早く何度もそれを繰り返す。
この調子なら、いけるはず。
……けれど、いつまで経っても錠が外れる気配はない。
不審に思って一旦鋸を離して驚愕する。削れていたのは、錠ではなく、鋸の刃だった。
「嘘だ……」
いくら否定しても、現実は変わらない。
錠は完璧に元のまま何も変わっておらず、反対に鋸は無残にもごっそりと刃が欠けて削れてしまっていた。
『錠には術がかけられている』。今、目の前でそれを見せつけられては、信じるより他にない。
こんなに強固な物だったなんて……。
錠を破壊するのは無理なのか?
諦め切れなかったけれど頭を冷やすために再び、一旦あの格子窓の所に戻る。
狐の子は同情するような視線をぼくに向けていた。
……そうだ。何も錠を破壊しなきゃいけないなんて決まりはない。
「危ないから、離れてて」
その通りに、窓際から狐の子が離れてくれると、今度はぼくは鋸で鉄格子を切ろうと試みる。
これならどうだろう。多分、この窓の大きさからして、全て格子を外せば、狐の子は出られるはずだ。
……けれど、結果は同じ。
こっちの鋸が刃こぼれするだけで、向こうに傷は一つもつかず……何度やってもどの格子でもそれは変わらず。どんなに力を込めても、どんなに早く引いても無駄だった。
終いにはぼきり、と鈍い音を立てて鋸の方が折れてしまった。
泣きたくなるのを我慢してぼくは金槌で格子を思いっきり叩く。
何度も何度も何度も何度も何度も繰り返すけれど格子は曲がりもしない。
何で壊れない、術がかけてあるのは、錠だけじゃないのか……?
「はあっ、はあっ……!」
とうとう格子を破壊するのを諦めて思いっきり素手で壁を殴った。
完全に八つ当たりで、みっともなかった。
やはり傷はつかない、蹴っても同じ。
狐の子は黙って、そんなぼくの様子を見ていた。
意味が無いってことは分かり切っていた。
ただ、蔵と違ってぼくの右手は簡単に傷ついたらしく、少し血が流れ出していた。
「……あ」
急に全身が冷えていって、じわりと赤くなった右手を見つめる。
「……傷口にはがまの花粉を塗ると良い。山の北側の斜面に、生えておったはずだぞ」
狐の子の忠告に泣きたくなってしまう。
何もできず、ただ狐の子に迷惑を掛けるだけの自分が恥ずかしい。情けない……。
「……ごめんね。ありがとう」
狐の子が少し表情を緩めたような気がした。けれどそれは一瞬だけ。
「ところで……来るぞ」
誰かが近づいてくる気配がひたひたと迫ってくる。
空を見上げればすでに夕焼けに染まっている。
錠や鉄格子を壊すことだけに集中していたからか、気付くのが遅かった。
どこからか村人たちの話し声が聞こえてくる。それほどまでに接近している。
「……」
声が出てしまいそうになるのを必死に抑えてぼくは荷物を包んで蔵を離れる。
足音で勘付かれる可能性が有るから、ひとまず近くの茂みに隠れてやり過ごすことにした。
「今日は何発注げるか、楽しみだぜ」
「あいつも淫乱になってきたことだし」
「ああ。もっと激しくしても全然平気だろ」
大体10人ぐらいだろうか?
心臓が跳ねている。まともに息をする余裕もない。
蔵の入り口の前で、その中の一人の一造さんが、袂から錠と……何かが書き付けられた札を一枚取り出した。札を鍵穴の上にかぶせて、それから鍵でその札を破ってから錠を回す。
……!
かちゃり。と音が鳴り……。
そしてあんなにも強固だった錠が、あっという間に外れてしまう。
ぎいいいと扉は開き、蔵に全員が入り終わると、勢いよく蔵は閉ざされて内側から再び錠が掛かる音がする。
瞬きもできずに一部始終を見ていた。
息をのむ。
そうか。錠を開けるためには、鍵以外にも、あの札が必要なのか。
ぼくは茂みから抜け出した。
あの鍵と札さえ手に入れられれば……。