狐月の誓い 作:じゃじゃじゃ
約束まで、あと四日。
夜明け頃起き上がったぼくは、一造さんの家へと向かい、庭に入って縁側から中の様子を伺った。
……どうやら誰もいないみたいだ。
一造さんはまだあの蔵から帰ってきていないらしく、家の中はもぬけの空だった。
けれど、いくら人がいなくて、気付かれずに家に入ることができるからって、あの鍵と札を回収できなければ意味がない。
今はここで待っておいて、帰ってきた一造さんが、再び家を出る機会を狙うことにした。
鍵を貸してくれって言って貸してくれるわけがないんだから……。
狐の子を助けるためには、ぼくは一造さんの家で盗みをしなくちゃならない。
どうやったら鍵と札を盗み出せるか。
恐らくそれが可能になるのは、昼間、一造さんが畑仕事をしに行った時。
その隙を突いて手早く鍵と札を盗んで、それからばれないうちに蔵へと全力で走って鍵を開けて、狐の子を逃がしてあげればいい。
手順はあっさりと組み立てられた。
……だけど、いくら狐の子を苦しめている鍵と札だとはいえ、勝手に人の物を盗むのには変わりはない。
いくら貧しいからって、今までそんなことはしたことは一度も無かった。
……抵抗がある。
それに……村で盗みは重罪だ。
ばれてしまったら、きっとぼくは殺されてしまうんだろう。
それじゃあ、もしも無事、狐の子を助け出すことに成功したら?
その場合は、どうするんだろう。狐の子を逃がした後すぐに、鍵を一造さんの家に戻して怪しまれないようにする?
けれど、どのみち狐の子はもう蔵からいなくなってしまっている。
そして、鍵を盗んで狐の子を逃がした犯人がぼくだっていうことは、きっとすぐに露見する。
だって昨日一昨日とぼくは狐の子のことを訊きまわっていたんだ、怪しいに決まっている。
それに仮に証拠が無かったとしても、真っ先に疑われるんだろう……。
つまり結局、………………ぼくは死ぬ。
蔵の鍵を開けるのに成功しても失敗しても、ぼくがどうなるかは同じだった。
死ぬ……のかな。……どうしても実感が沸かない。
だけど恐怖は本物だった。得体のしれない深淵に引きずり込まれそうだった。
足が震えている。
死ぬ。…………。
自分なんかどうだっていい存在だって思ったりするけれど、死んでもいいかどうかというのはそれとは全然違う。死ぬ。死ぬ。……怖い……。
誰だって怖いだろうし、ぼくだって死ぬのは絶対に嫌だった。
死にたくなんて絶対にない。死にたくない。死にたくない……。
もの凄く嫌だからこそ逆に恐怖が、自分が受け止められる限界よりも余り過ぎていて、かえって妙に落ち着いてもいた。
とにかくぼくがしなければいけないことは、あの札と鍵を上手く手に入れることだ。
鍵を開ける前にばれてしまうのが一番最悪の結末なんだから。慎重にしないと……。
◆ ◆ ◆
一造さんが神社から戻ってきたのはそれからしばらく経ってからだった。
山のふもとに降りてくると、一造さんは他の人たちと別れて自分の家に戻る。
一造さんの家の近くの物陰から其の様子を見ていたぼくは、絶対に音を立てないようにそっと一造さんの家の裏手に回り込む。
一造さんの家の裏は山だから、誰かがぼくの姿を見ることは、きっと……、無いはずだ。
……でも、もしも気付かれたら、全力で逃げろ。
そう自分に言い聞かせながら、一造さんの家の裏側にある小さな窓から部屋を覗く。
一造さんは、辺りを見回すこともなく、警戒するような素振りも見せず……、袂から鍵と札を取り出した。
あれ?
札の穴が塞がってる……。鍵を錠に差し込む時に、破られたはずなのに……。
鍵と札を右手に持ったまま、一造さんは部屋から一旦出て、どこからか薄い木の板を持ってくる。
そして、板張りの床の隙間に、その隙間よりも更に薄い運んできた板を差し込んだ。
ぎいい……と、てこのようにして持ち上げられた床の板を、一造さんは一枚外す。
そして開いた床下の空間の中に、鍵と札を入れ、外した板を何事もなかったかのように元に戻した。
……そうか、鍵は、いつもあんなところにしまっていたのか。
てっきり箪笥か棚とかにしまっているとばかり考えていた。
床下にしまってたんじゃ、闇雲に探しても絶対に見つからない。
必要なことは見届けたから、もうこれ以上覗いている必要は無い。ぼくが窓から離れようとすると……。
ぎゃあぎゃああ!
響き渡る烏の鳴き声。
!!
反射的に姿勢をかがめた。
「なんだあ?」
一造さんが近づいてくる音。段々と、足音が大きくなってくる。
壁に寄りかかって息を殺す。
まずい……!
「……」
一造さんは今、ぼくの殆ど真上にある窓から外を眺めている。
気配で分かった。
少しでも一造さんが下を向くか、ぼくが動けば……その時点で全てが終わる。
見つかる。見つかったらどうなるんだ?
頭の中を雑音が反響して目眩がした。
永遠のような長い時間。
だ、だめ、だ。持たない……。息と緊張が限界に達しようとしていた時。
「……烏か」
一造さんの足音は、ようやく窓辺から遠ざかっていく。
四つん這いになりながら壁を伝って、窓の視界から逃れる。
あ、危なかった……。烏が鳴いた時、もう少し反応するのが遅かったら……。
考えただけでもぞっとする。
危険は一応免れたっていうのに、胸に手を当てれば鼓動はかつてないぐらいに早く感じた。
……これからどうしよう。家に帰って気持ちを整理し直すか、それとも、ここにとどまって、一造さんが畑を耕しに家を離れるのを待つか。
……ここで待とう。機会はすぐにやってくるはずだから……。
壁に軽く寄りかかって、この場所で再び息を潜めることにした。
◆ ◆ ◆
……だけど、いつまで経っても一造さんは家から出てこなかった。
まさか、と思って部屋を覗いてみると、一造さんは昼間なのに布団にくるまって眠っている。
疲れたのか? こんなに良く晴れた日なのに、畑仕事はしないんだろうか……。
とにかくこのままだと、どうすることもできない。
流石に眠っているところを盗みに入るのは危険が多すぎる。
ぼくは再び背中を壁に預けて息をつく。慌てない、待とう。待てば、必ず……。
◆ ◆ ◆
けれど結局その後も一造さんは目を覚ますことはなく。
とんとん、と一造さんの家の扉が叩かれた時には既に太陽は地平線の向こうに沈もうとしていた。
ようやく一造さんの足音がする。
玄関で誰かと囁くように話した後で、布団を畳み、薄い板を土間から持ってきて。
ぎいいいいと床が開く音がする。それは、狐の子が今日もまた苦しむことを告げる合図。
そして、今日ぼくが失敗したことも告げていた。
遠ざかっていく一造さんの背中。その周りを何人かが囲んでいた。
一旦鍵を持ち出されてしまったら、腕っぷしの弱いぼくには鍵を奪うことは無理だった。
それに、仮に奪えたとしても体力のないぼくではあの山を、追いつかれる前に上り切る可能性は……無い。見えなくなる後ろ姿。呆然として立ちすくむ。
◆ ◆ ◆
自分の家に戻ったけれどすることが無い。
いや、自分がしなければいけないことは決まっているのに、みんながまたあの蔵へと向かってしまった以上、鍵を奪える次の機会は明日にならないと回ってこない。
それは分かる。十分に分かってるんだけど……。
このままじっとしておくのも無理だった。
あの子は今……また精液を注がれて、罵倒されて虐められて。
それなのにぼくが家でじっとしているなんて。
気が付いた時にはまた蔵のそばへとやって来ていた。何ができるってわけでもないのに……。
あの窓から恐る恐る中の様子を覗いてみる。今まで見たことの繰り返し。縛られた狐の子の抵抗も気にせずに、みんなでちんぽを押し込んでいる。
「おらっ、もっと締めろ!」
「んぐう、ん~!!」
まんこと口に両方咥えさせられているためか、苦しそうに表情を歪ませる狐の子。
日に日にその行為は乱暴になってきている。胸が苦しい。ぎり……と、拳を固く握る。
「お前もそろそろちんぽが好きになってきたんだろ?」
「んん、ひが、んふ……」
「そんなに一生懸命しゃぶってんじゃ、何言ってるか分かんねえなあ?」
「わらしは、きもひ、よふなんへ……」
「まだ嘘を吐くのか! 泥棒狐が! じゃあこの締め付けは何だ? お前の体は欲しがってんだよ」
「そんにゃあ……」
「もう出すぞ! うっ……」
そうして男たちは狐の子の口の中、膣の中にあふれるほどの精液をぶちまける。
どぷ、どぷ……と音を立てながら狐の子の膣から白濁液がこぼれていく。
ごくんごくんと精液を飲まされていく。
そのお腹は昨日会った時よりも心なしかぼてっと膨らんでいるように見えた。
……妊娠したからじゃない。
狐と人間では、妊娠はしないだろう。それに、妊娠なら、一日でお腹が膨らむことはない。
そうじゃなくて、お腹が少し膨らんでしまうほど、精液をいっぱい注がれて、飲まされたんだ……。
狐の子は、涙も枯れてしまったみたいで……。
目は虚ろだった。明らかに最初に会った時よりも疲弊していた。
諦観が、絶望が狐の子を包み込んでいる。
愕然としていると……ぼくは狐の子と目が合った。
「――」
口を開いて狐の子は何か呟く。目を凝らした。
「次行くぞ」
だけどその時はあっという間に終わって、また別の人が、嫌がる女の子の髪を掴んで無理やりちんぽを咥えさせた。痛みに狐の子は顔を歪ませるけれど、誰も気にしていない。
女の子の瞳が暗闇に支配される。
……ぼくは窓から離れて山を下りる。地面ばっかり見ていた。
――『頼んだぞ』。
格子の向こうの狐の子が、今、ほんの小さなかすれる声でぼくに伝えた言葉が重くのしかかる。
ぼくは、あの子を助けたい。
でも。それじゃあ、もしも助けられなかったら?
……もしも、間に合わなかったら?
ぼくは……あの約束を、果たせるのだろうか?
あの子が、あの子が言った通りの傀儡になってしまう前に。
だけど、果たせば狐の子が死んでしまう。ぼくのせいで。ぼくが殺したのと同じだ。
……。
『殺してくれ』と最初の日にぼくに告げた時、あの子の目は輝いていた。
それに、さっき目が合った時。一瞬だけ、灯りが女の子の瞳に宿ったのをぼくは見た。
月は何も教えてくれない。
……時間だけが刻々と迫ってきていた。