狐月の誓い 作:じゃじゃじゃ
「……?」
狐の子の言葉の意味をすぐに飲み込めない。
ありがとう。
それがどんな意味を持つのか、分かった時にはもう遅かった。
「本当に、ありがとうな」
ぼくはお礼を言われることなんてなにもできていない。
なのに今、狐の子に、お礼を言われている。
ということは……。
「……どう、して」
全身から力が抜けていく。
全てが終わってしまう。それを食い止めなければいけないのに。
「……確かにあの鍵は、札と一緒に使うことで初めて鍵としての意味を為す。……だがな。それにはもう一つ条件が合って」
悔しそうでもなく悲しそうでもなく、ただ懐かしげに狐の子は語る。
「鍵を使う者にも、それに見合った分だけの資質が必要なのじゃよ」
資質が必要。つまり……。
「そして……おぬしにもわたしにも、その資質は、無い」
まともに立っていられないぐらいの絶望に襲われる。
「そ、それじゃあ、その資質はどうやって身に着ければ……」
「無理じゃ。……生まれが決めるものだからの」
どうして、どうして狐の子はそんなことを淡々と語っていられるんだろう。
だって、鍵が開けられないっていうことは、それはつまり……。
「……。のう。おぬしに言っておきたいことがある」
狐の子はまた語り出し始める。言っておきたいこと……?
「ありがとう。わたしの為にここまでしてくれて」
止めてよ。まだ、時間は三日残されているのに。
まだ、狐の子は闇に完全に引きずり込まれていないのに。
まだ方法はあるのかもしれないのに。
これじゃあ、まるで、ここでお別れみたいだ。
いや、これは冗談じゃなくて、嘘じゃなくて、本当のお別れだって、嫌でも分かってしまう。
「知っておったぞ。おぬしが今日まで頑張ってくれていたこと。わたしを助けようとしてくれていたこと。全部、伝わってきたよ」
狐の子はそう言ってすりむいていつの間にか血まみれになっていたぼくの膝に手をかざす。
すると膝の傷は淡い灯りに包まれて、癒えていき……瞬く間にふさがってしまう。
地面をぼくの涙が濡らしていた。駄目だ、ぼくが泣いちゃ……。
本当は泣きたいのは狐の子の方なのに……。
「おぬしは優しいな。こんな狐が困っておっても、普通は放っておくぞ?」
それは、狐の子のことが、好きだから。助けたいと思ったから。
……だけど、ぼくの今日までの行動は、ただの自己満足だったんじゃないか?
狐の子に希望を抱かせるだけの、残酷な行いだったんじゃないか?
……そんな嫌な疑問が湧いてくる。
「わざわざ苦労をかけさせてしまって、すまぬ。格子のことも、鍵のことも、初めに詳しく言っておくべきじゃったな……」
違う。狐の子が謝る必要なんてない。ぼくは首を横に振る。
「…………ごめんなさい……」
謝らなければいけないのはぼくだ。ぼくは……最低だ。
「ふふ、何をおぬしが気に病むことがある? おぬしが来てくれたここ数日は、現実を忘れてしまうぐらい、楽しかったぞ?」
狐の子は明るく振る舞ってくれる。
どうしようもない悲しさとか、憤りとか、色んな感情がこみ上げてきて、それは声にならない声になって。
「でも、それももう……限界、みたいじゃな」
限界。それがどういうことかは痛いぐらいに分かる。
その時が、来てしまった?
ぼくはまだ何もできていないのに。
ただいたずらに狐の子にこのままでいて欲しいって願っている。
自分じゃ何もできなかった癖に……。願っているだけじゃだめなのに。
「……ふふふ。おぬしは本当に優しすぎるな? 自分をそう責めるもんじゃないぞ?」
冗談っぽく狐の子がほころんだ。
ぼくの心はまた読まれてしまった。そんな表情に一瞬ほだされる。
「……そんなおぬしに、最後にもう一つだけわがままを言っても……良いかの?」
狐の子はまっすぐぼくを見据える。すぐに顔を上げた。
「どうか、わたしを殺して欲しい。あの約束は……覚えておるよな?」
覚えていないはずが無かった。初めて出会った日に、狐の子と交わした約束。
狐の子が正気を失う前に、七日後の夜に、ぼくは死ぬための道具を狐の子に渡し――。
だけど、万が一、間に合わなかった時には……。
……。
それでも自分勝手なぼくは、今も頷くことも首を横に振ることも何もできないでいる。
「……君のことが好きです。大好きです……」
ただそれしか言えなかった。
全然言う瞬間としては間違っている。
けれど、それでも、これだけは伝えなきゃいけなかった。絶対にそうだった。
初恋の人。狐の女の子。
とってもかわいくて、良い子なのに、みんなから虐められて……。
どうして、こんなことになったんだろう?
どうして、狐の子はこんなことにならなきゃいけないんだろう。
何も分からなかった。やるせない気持ちがひたすらに増幅していく。
ぼくの言葉に一瞬だけ不意を突かれたような表情を浮かべた狐の子は、照れた様にはにかんで、言う。
「本当に、ありがとう。」
それからゆっくりと、あの時のように格子から手を差し出した。
けれど、その形は指きりじゃなくて、……手の平だった。
ぎゅっと握りあえば、温かい感触が全身に伝わってくる。
ふわふわの毛が触れてくすぐったい。明るい桃色の肉球はぷにぷにとしていてやわらかい。
けれど儚かった。
「……すまぬ。もう一つだけお願いじゃ」
「お願い……?」
「わたしがおぬしのことを忘れてしまっても……、おぬしはわたしのことを忘れないでくれるか?」
「そんなの、当たり前だよ、絶対に忘れたりなんか、しない」
忘れるわけがない。狐の子ことを。絶対に忘れない。
「そうか。そう言ってくれると、嬉しいよ」
狐の子が頷くと、目の前が灯りに包まれていき、視界が徐々に眩くなってきて。
全身が浮くような感覚に包まれる。
お別れだ。
そう瞬時に悟って、けれどそれが信じられなくて信じたくなかった。
「……!」
離れたくない。狐の子の手をぎゅっと握る。
「それじゃ、達者でな」
けれど、手をつないでいるはずなのに、狐の子は段々と霞んでいって見えなくなっていく。
行かないでと叫ぶけれど、狐の子には届かない。
ただ少し寂しそうな笑顔のまま、狐の子の姿は薄らいでいって。
完全に見えなくなってしまった時には、ぼくは自分の家の天井に向かって手を伸ばしていた。
◆ ◆ ◆
………。まだ泣いていた。
起き上がっても全身に鉛がのしかかっているような錯覚は消えない。
ぼくは直してもらった膝の傷跡を見る。忘れるわけがなかった。
手にはまだ、狐の子のぬくもりが残っていて……今起こったことが、現実だということを伝えていた。
だけど、狐の子と手を握ってから、家まで帰ってくるまでの記憶が無い。
狐の子の不思議な力で、多分無意識のままぼくは家に歩いて戻されたのだろう。
その証拠に、途中で枝に引っかかったのか、着物には見覚えのないほつれた跡が新たについていた。
あの鍵は? 袂を探る。
無い。
でも、最後のあの瞬間まで、鍵を落としてなんていなかったはずだ。
でも、今、鍵は無い。
無意識の中で一造さんの家に寄って返してきたのだろうか。
頭が混乱してくる。慌てて窓の外を見る。人の気配は無い。
夕日はとっくに沈んでしまったみたいで、空は暗い。
――悪い予感がする。
考えるよりも早く草履を履いて再び山へと駆け出していた。
蔵にはもう既に人がやって来ているみたいで、気配が漏れ出している。
入り口に回れば、外側の錠は外れていて、内側から閉ざされているみたいだった。
ぼくが何度やっても駄目だったのに――。
悔しさがこみあげてきてまともじゃなくなってしまいそうだった。
扉をそっと押してみてもびくともしない。きっと中から鍵をかけられているんだろう。
戸を叩いてもきっと門前払いが良いところだ。
それよりもはっきりとした嫌な予感が嘘だって信じたくて、ほんの少し前に寄ったはずの格子窓から、中の様子を伺う。
――音を立てて、今までの全てがあっけなく崩れてしまった。
そこで繰り広げられていたのは、いつもと同じこと。
狐の子に対して男たちが乱暴に射精していく。
膣内に出し終えると男が狐の子から体を離して……その一瞬の間に狐の子の姿が見えた。
だけど、いつもとは決定的に違った。
「もっと、もっと、おちんぽ……、ほしいのじゃあ……!」
さっきまでぼくと話していた狐の子は惚けるような、表情を浮かべていた。
だらしなくはっ、はっ、と舌を出して、とろんと、眠たそうに目を細めて。
今までとは比にならないぐらいに、その眼差しには灯りは無く、虚ろな闇だけが支配していた。
鉄で頭を殴られたような衝撃が走る。
「おら、人間様に頼むときの言葉遣いはどうするんだったか? ちゃんと教えてやったろ?」
「ちゃんとおねだりの姿勢も取らねえとなあ?」
男たちの言葉にも緩んだ表情を崩さない狐の子が、まるで芸を仕込まれた犬のように蹲踞をして指でまんこをくぱあ、と広げ、しっぽを振る。
「もっと狐マンコに、せーし……、いっぱい、注いでくださいっ! お口でも、たくさん、いやらしい熱いのごくんごくんしたいです……!」
嬉しいも楽しいも寂しいも悲しいも狐の子には残っていないように見えてしまった。
ただ甘い声で狐の子がおねだりをする。
「あはははは! あんなに強がってたくせに、とんだ淫乱狐だぜ!」
「自分から欲しがるなんて、堕ちたもんだな。もしかして最初っからちんぽが欲しかっただけなんじゃないか?」
「ほら、言われた通りに注いでやるよ、このど変態狐が!」
蔵の中に響く笑い声。そして交尾は繰り返される。
そんな様子を目の前で見せつけられて、ぼくは絶望に取り込まれていく。
……間に合わなかった。狐の子が恐れていたことが、起こってしまった。
狐の子は、もう、ずっとあのままで……戻ってこない。
あの蔵の中で、ずっと、ちんぽをねだるだけ……。
「おら、お前の大好きなおちんぽだぞ?」
「ふあああ、とってもすてきなにおいがして、とろけちゃいます…!」
何の疑いもなく狐の子は男のちんぽを自分から口に咥え舐めまわす。
間髪入れずに別の男が狐の子のまんこにそそり立ったちんぽを挿れる。
「ん、お、おてて、んぶ、……」
もごもごと口を動かして狐の子が何かを訴える。それは、助けを求める声じゃなかった。
「ああ、分かってるぜ。ちゃんと手も使うんだぞ」
狐の子は自分から更に、両手を使って、それぞれ別の男のちんぽを握り、こすっていく。
「もふもふの毛と肉球が絡みついて、狐の手コキも悪いもんじゃねえな」
「どうだ、気持ちいいか?」
一人の男が狐の子のおっぱいを激しく揉んでいく。
「ふぁ、ふぁい、こうび、らいしゅき、……!」
びゅる! 男たちが一斉に果てて。狐の子の全身には白濁とした精子が絡みつく。
ごくん、ごくん。と精子を飲み干した狐の子は、すぐにまた嬉しそうにおねだりをする。
「もっと、わたしのおなかをせいしでいっぱいに……! たくさんお口でもご奉仕しますから! もっとおちんぽ、ほしいです……!」
ぼくはその場から逃げ出した。狐の子がぼくと目を合わせることはもう無かった。
◆ ◆ ◆
呆然としながら、なんとか自分の家まで帰ってきて、座り込む。
……狐の子は、もう戻ってこない。
分かってはいるけれど、どうしても信じたくなんてなかった。
まるで、狐の子の今の姿は、狐の子が予言したのと同じだ……。
意思もなく、堕ちたままずっと、ただ男の精を欲しがって、ずっと、ずっと……。
――『忘れない』という約束をした時の、狐の子の笑顔を思い出す。
「うっ、うう……」
悶えて床の上に体を打って、声が出る。あの子は戻らない。
どうして、どうして、狐の子があんな目に合わなければいけなかった?
どうして狐の子をあんなになるまで苛めて、これからも苛めようとしているんだろう?
あの子は人間のことを信じて待っていたのに。自分たちで気が付いてくれるのを待っていたのに。
間に合わなかった。
どうにかして助けられた?
何か他の方法はあったんだろうか?
きっと有った。けれどぼくは見つけられなかった。
鍵すらも開けることができなかった。
つまり、ぼくの行動は何よりも最低で、自分に力が無いくせに自分なら何かできるって勝手に過信して、それで狐の子の気持ちも顧みていなかった。
無理だと分かっていても、狐の子はぼくのことを見守ってくれていたんだ。
なのにぼくはその優しさに気づかないで反対にそれを踏みにじった。
ただ単純に酷い目に合うよりも、希望が叶わないって思い知らされてから酷い目に合う方が何倍も残酷だ。ぼくはそんな単純なことすらも分かっていなかった。
狐の子との間に残された、最初の『約束』を思い出す。
ここ数日ぼくをずっと苦しめていた、回避できると思っていたその約束は今、目の前に現実となって立ちはだかっている。
答えは出なかった。狐の子の虚ろな表情を見た今でも、分からないままでいる。
知らず知らずの間に夜は更けていく……。
◆ ◆ ◆
それから。
何回も何回も蔵に行っていたけれど、とうとう夜だけじゃなくて、朝も昼間も、一日中誰かが交尾をしにやって来ていて、狐の子の喘ぎ声が、そして更なる精液を求める声が、響き渡って聞こえてきた。
それだけが繰り返されていく内に、あっという間に残り時間は過ぎ去ってしまう。
――そして、約束の日はやって来た。