一人の人間を“消した”ことはあるだろうか。
殺すということの言いかえじゃない。文字通り、存在を消すということだ。
三月の深夜、俺は友人の星川をとある廃工場に誘い出した。そこは犯行現場込みで俺が魔術的な悪魔から借りた、人間を消す罠だった。
星川はいつも学校で見るように、詰襟の学生服姿で整然とやって来た。同じ歩幅で、疑うこともなく。
そしてこちらに気づくと冷たい視線で見上げてきた。童顔なのに鋭く、他人の心を見透かすような眼。やつの瞳はいつも俺の心をざわざわさせる。
「……こっち来いよ」
星川は、また同じ速度で近づいてきた。工場の床に刻まれた魔法陣は、獲物が上に立ったときはじめて輝く。足元の危険な光に気がついたとき、星川はすでに罠に捕らえられていた。
「そうか、これが君のやりたかったことなんだね」
焦ることも、怒ることもない。俺と無駄な言い争いをする気がないのだろう。ただ静かな口調にわずかに感情が乗った。それは、哀れみ?
「君は満足なのかい」
「ああ、そうだよ?」
隠してもしかたがない。俺は言いたいことを言うことにした。
「星川さぁ、自分がいなくなったら喜ぶ人間がいるって考えたことあるか。ないだろ、善人だからな。だけど俺は、もうおまえに耐えられないんだよ!」
うまく言えた気がしなかった。窓からの月光で、半分浮かび上がっているやつの顔。俺が挫折したとき、目標にたどり着けなかったとき、敗北したときにいつも俺を見ていた顔だ。どうして俺にダメージを与える、まるで運命を見透かしたように。
でも、今日で終わりだ。
別れの挨拶もなくやつの姿は消えた。
不安に駆られた俺は工場を三回も廻って異常がないか確かめた。誰もいない、契約した悪魔が出てきたりもしなかった。ただ俺は魔術に成功したのだ。
「はは、は。本当に消してやった」
ありえない事実に腰が抜けて、俺は冷たい床に座り込んだ。
星川は、存在自体が完全に消えたわけではなかった。やつの家はそのままあったし、親は捜索願を出したし、学校でも星川の行方不明が少し騒ぎになった。でも少しだ。異常にあっさりと、皆は星川のことを気にしなくなった。学校で木材を削りながら、俺は様子をうかがった。誰も不審がる人間はいない。俺のことを怪しむ警察も来ない。そして俺の彫る像にわざわざコメントをつけてくるやつは二度と現れない。
ざまあみろだ。
あとは俺自身が良心などに捕らわれなければ、星川は完璧に忘れ去られるのだ。
そして4月の朝、進級した俺は普通に教室でクラスの噂話を聞いていた。なんでも転校生が来るらしい、気を惹かれる話だ。
先生に付き従ってやってきたのは、長い黒髪の少女だった。
「和賀志穂(わが・しほ)です」
その娘は名乗って静かに頭を下げた。見た目が並じゃなかったから、クラスはどよめいていた。俺も初対面だっていうのに心惹かれたのは嘘じゃない。背が小さくて細い肩、なのに驚きの大きさの胸。ボディラインをすぐに計測してしまうのは俺の悪い癖だ。君をモデルに彫刻すると言ったら話に乗ってくれる女子だろうか。
和賀が近づいてきたとき、シャンプーの香りからひじの振り方まで完全に俺好みだったから心臓が躍った。
「えっ」
和賀が俺のすぐ横に立っている。顔を突き出して、俺の肩すれすれにいる。彼女の席はもっと後ろだ、なにかの間違いだろうか。つるつるの肌に造形されたとしか思えない小さくて整った瞳と鼻、口が、手が届く距離に、いる。
信じられないことに、セーラー服の袖が伸びて俺の首を抱いた。抱きしめられ、俺の唇が少女の口で押えられた。
「んんっ、んー」
柔らかく、でもしっかりとした唇の感触。動悸で心臓が爆発しそうになる。息を荒くしたいけれどうまくできないから鼻を動かすしかない。俺、転校生にめちゃくちゃキスされている!?
先生が止めに入るまで、クラスは静まり返っていた。
和賀は先生に連れて行かれて怒られたっぽい。理由を問いただしたかったが、人前であんなことをされたのだ、こちらから近づくのは嫌だった。放課後、俺は一人で美術室にこもった。なんておかしな女だ。痴女ってやつなのだろうか。硬い袖で口をこすって感触を拭い去る。
柔らかい木材ブロックを取り出して鉛筆で下書きをした。こうなったら遠慮なく和賀の姿を彫ってやろう。俺は少女の姿をエロくデフォルメすることもできるのだ。ロリ巨乳にでもしてやれば、和賀だって恥ずかしがるだろう。
「分かるよ、君はそういうのが好きだね」
聞き慣れた声に、俺はぞっとして無人の美術室を見回した。星川の言葉が響いたのだ。しかし俺のほうを見ているのは無言の石膏像や壁の肖像画だけだ。幻聴か。星川のことなど忘れればいいのに、びくびくしていたら心が負けてしまう。
(罪の意識で自爆したりしないぞ、マクベスじゃあるまいし)
そのとき教室の扉が開いた。心臓が凍りそうになった俺が見たのは背の低い美少女、和賀志保だ。和賀は部屋を見渡すこともなく、まるで俺が定位置にいることを知っているかのようにまっすぐこちらに来た。
「近づきかたが唐突なんだよ、転校生」
「それがキスした相手への第一声なの?」
こちらの手元を見た和賀は、さらに覗きこんできた。距離感のおかしいやつだと思ったが、胸元が見えそうでそれどころではない。。
「わー、えっち。おっぱいの大きな女の人だ」
「これは芸術だ。エッチなのはおまえだろ」
「女の子におまえって言ったらだめ……。私とどっちがスタイルいいかな」
俺が答えなかったから、気まずい沈黙が流れた。腰に手を当てて、美術室の中央へと歩いて行く和賀。
「分かってるよ、君はこういうのが好きなんだよね」
俺は木材を投げつけた。部屋の隅に飛んでいく直方体を目で追って、和賀は「怖ーい」とつぶやく。
「なんなんだよおまえ……、和賀」
「芸術にはモデルが必要でしょ。なってあげようか」
美術室の中央、たしかにそこは写生のときなどにモデルが立つ位置。まさかと思ったが、和賀は本当にやった。
真っ先にスカートの下に手をやり、ショーツを脱いだのだ。灰色でつやのある布地が、小さな指でつかまれていた。
「全裸がいいんだよね、ヌードモデル」
「いらないよ」
和賀はスカートを下した! 見えてしまう、初めて見る女の股間が。少し色素を帯びた無毛の割れ目をはっきり見たのは、美術図説以外では初めてだった。和賀は制服に手を突っこんで、器用にブラジャーも外してしまった。足もとにでかいカップが落ちる。ブラジャーは、その大きさの乳房を支えていたということだ。
「最後は君が脱がしなよ」
こちらをなめた態度の女子に、猛り狂って出た言葉が本当に「おらあっ」だとは思わなかった。わきのファスナーを自分からゆるめた和賀につかみかかり、勝手も分からずセーラー服を脱がせた。出てきたおっぱいはもう大きさなんてどうでもいい。自宅に隠してある、いちばんお気に入りのフィギュアと同じ形、同じ乳首の色だった。
わざとだ、わざと自分好みの女子が押しかけてきてエッチなことをさせるんだ。気がつけば自分も股間を露出させていた。少女が全裸で股間を押さえてくる。
「君がしたいことをしてみなよ。それとも勇気がないかな? 童貞だから」
理想のおっぱい、理想の背丈、理想の顔で俺に抱きつく和賀。
「男にこんなことしたら、どうなるか分かってるんだから!」
股間を押しつければ伝わってくる、柔らかくてすべすべした感触。フィギュアが実体化したらきっとこんな感じがするはずだ。
和賀は間違いなく、俺のフィギュアの実体化だ。
「一生、君の人形でいてあげる。どこに行くにも連れて行ってね」
「好きなときにおっぱいを触っていいよ。キスもいっぱい、いっぱいしてね。君に触られるだけで、私は溶けちゃう」
「君のいちばん好きなこと、私は知っているから――」
俺は自分がいちばん好きなフィギュアを見られてしまったことがある。誰に? もちろん、星川に、だ。自室で戸棚を開けて、いちばん好きな娘を鑑賞しているときに、星川が入ってきてしまった。
「そうか、これが君の好きな女の子なんだね」
星川は俺を馬鹿になんてしなかった。からかいもしなかった。ただ冷たい瞳で見すえながら言った。
「面白いね」
俺の魂がぼろぼろに崩れていく感覚を味わった。星川は一生、俺の大事なものを「面白いね」と評価するんだ。
急に現れた、俺の好みを体で具現化した女子がいるのに、星川のことが頭から離れない。必死に逃れようとして、逆に肉棒をねじり込んでしまった。
少女が、俺を受け入れて、抱きしめてくれるのに……!
しばらくして、ぞっとする体の冷えが来てから俺は全てを悟った。
「おまえの正体は。星川なのか」
和賀は全裸のまま、俺の前に立った。おっぱいを腕ですくい上げて、見せてくる。
「君、すごいね。おちんちんを女の子に入れたら正体が分かるんだ」
「……うそだろ」
「正解、ボクが星川だよ。ボク、フィギュアの女の子になっちゃった」
うそだ。立ち上がれないでいる俺に、和賀は女のあそこを見せつけてくる。あんなに見たかった、リアルなフィギュアの実体化した女性器だ。指を立てて、こつ、こつとクリトリスを叩く和賀。皮膚の下にはプラスチックがあるのかもしれない。
「だってボク、君の趣味を知っているもん! ほら、こういうのが好きだったよね。ボクは君の理想になったんだよ」
「なんでそんな」
「君がボクを殺そうとしたからだよ」
和賀志穂。逆から読めば、ほ、し、か、わ。馬鹿みたいな暗号だった。
「君の細胞がボクのおなかに入っちゃった。君のおちんちんにボクの細胞を付けてあげるね、ほら」
「俺の好きな声で、顔でそんなこと言うな」
「嬉しいくせに」
美術室で、体が冷え切った俺を少女が抱きしめてくれる。床に落ちたスマートフォンがなにかを録画している。
「つながったからね、君は一生、ボクから逃げられない。君が性的欲求を向けるのは今日からボク――私、なんだ」
声にならない嗚咽が、俺ののどから出た。